まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第17番「曼殊院」~近畿三十六不動めぐり・30(叡山電車「ひえい号」と京都ラーメン)

2019年01月31日 | 近畿三十六不動
近畿三十六不動めぐりは残すところ7ヶ所の寺院。このうち最後に訪ねる予定の高野山の2ヶ所、そして比叡山の奥の院とでもいう位置にある葛川明王院を除くと、残りは京都市内にある門跡寺院となる。門跡寺院とは一般の僧侶とは異なり、代々皇族や貴族が住職を務める寺院をいう。前回訪ねた醍醐寺の三宝院も門跡寺院だし、近畿三十六不動でいえば嵯峨の大覚寺や仁和寺、大原の三千院、滋賀の圓満院なども該当する。三十六不動めぐりに門跡寺院が多いのは何か理由があるのだろうか。

今回は左京区編ということで曼殊院に向かう。同じ左京区なら聖護院も該当するが、京阪電車からさらに叡山電車に乗り継ぐか否かでエリア分けした。曼殊院の最寄駅は叡山電車の一乗寺、もしくは修学院となる。

1月27日に出かける。この週末は寒気が日本列島を覆い、北日本から日本海側にかけて大雪となった。関西でも滋賀や京都、兵庫の北部で結構な雪になった模様である。この分だと京都市内も雪があるかなと期待しながら家を出る。

まずは京阪特急に乗る。せっかくなのでプレミアムシートを利用する。運賃の倍の500円のプレミアム料金がかかるとわかっていても、ゆったりと過ごす価値はある。現に他の普通車両を見るとやはり混雑しているようだ。京都府に入ると日陰に少し雪が積もるのが見え、遠くの山の木々も白くなっている。

出町柳に到着。叡山電車のホームに行くと、鞍馬行きは観光車両の「きらら号」が発車を待っていた。一方、八瀬比叡山口行きには、昨年デビューした「ひえい号」の緑の車体が停まっていた。正面には楕円形のリングが大胆にあしらわれている。最初にテレビで見た時に「ひえ~」と思ったが、現物をナマで初めて見て改めて大胆な印象を持った。

車内は一人ずつのバケットシートで、内装も落ち着いた印象である。観光車両とはいうが「きらら号」同様特別料金もなく、あくまで定期列車の中の1両である。

さて曼殊院に向かうが、「ひえい号」に当たったことだし、修学院まで乗る。地図を見る限りでは一乗寺からでも修学院からでも同じような距離だ。

白川通、一乗寺といえば京都のラーメン激戦区で、店には詳しくないのだが、曼殊院参詣の後はどこかの店に行こうかと思う。そんな中で、「魁力屋」の本店が現れる。別の店で何度かいただいたことがあるのだが本店に当たるとは。時刻は11時を回ったところで、このまま曼殊院にお参りして戻って来るとちょうど昼すぎでどの店も行列だろう。それならば先にここで食べておけば・・という気になった。今ならカウンターも十分余裕がある。

「京都元祖北白川背脂醤油ラーメン」と呼ばれる醤油ベースのラーメン。九条ねぎは別に出てきて自由に追加できる。あまりしつこい味でないのがよい。まずはしっかり腹ごしらえして曼殊院に向かう。

緩やかな坂道を上る。少しずつ雪の量も増えてきた。このぶんだと曼殊院で雪景色が見られるかなと期待する。

魁力屋に立ち寄った時間を差し引くと修学院駅から15分ほど歩いて、境内が近づいてきた。「曼殊院門跡」の石碑がひっそりと立ち、正面奥には山門も見える。参道の最後は右手に武田薬品の薬用植物園を見て、上からは雪が解けて水滴が落ちるのを避けながら歩く。

曼殊院は紅葉、そして新緑の青もみじの名所として知られるが、この時季はご覧の通りである。なお山門と書いたが、正面のこの門は正しくは勅使門という。特別な方だけここから出入りできるというが、その「特別な方、特別な時」というのは、門跡寺院だけあって皇族が来る時である。勅使門の石段の下には(平成の)天皇皇后両陛下の行啓を記念した石碑もある。

また門の手前では、参道を挟んで「浩宮殿下(現・皇太子)お成り記念樹」、「礼宮殿下(現・秋篠宮)お成り記念樹」が植えられている。植えられたのが昭和の時なので以前の宮さまの名前なのだが、今から3ヶ月ほど後には平成から次の時代になり、宮さま方の立場も変わる。門跡寺院は今では他の寺院と同じように僧侶が住職を務めるとは言え、一つの時代の移り変わりに思うところは多々あるだろう。

これから参詣で、一般庶民向けの「北通用門」から境内に入る・・・。
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