吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2007年2月28日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉023

2007-02-28 11:25:19 | 行楽催事
〈2月・3月の行楽・催事案内追加4〉

春季大祭(ぜんざい祭)賑う
―宮地嶽神社奥之宮「不動神社」―


写真①:春季大祭(ぜんざい祭)で〝ぜんざい〟をいただく人たち
     =福津市宮司の宮地嶽神社奥之宮「不動神社」で、2007年2月28日午前10時16分撮影

 福津市宮司の宮地嶽神社奥之宮八社の三番参拝社・「不動神社」で28日、春季大祭(ぜんざい祭)があり、大勢の参拝客で賑わいました=写真①=。全国第一級の長さ23㍍の横穴式石室古墳・宮地嶽古墳(国指定史跡)の中に不動尊を祀る神社で、この日は午前8時半から石室内へ入れる〝ご開門〟もあり、多くの人が石室殿で参拝していました。

 春季大祭は、「ぜんざい」を神様にお供えし、無病息災・心願成就などの願い事を〝身代わり不動尊〟に祈念する明治時代から始まったお祭り。当時は、地域で収穫したサトウキビや、もち米等から餅や饅頭を作ってお不動様にお供えし、その砂糖を使ってぜんざいを作り参拝客に振る舞ったのが始まりです。

 今では、お不動様へお供えした「ぜんざい」を戴き、一心に願いを込めてお祈りすれば、「善哉、善哉(よきかな、よきかな)ぜんざい、ぜんざい」といって願いを聞き届けくださり、1年間は無病息災・心願成就は間違いなしと言われています

 この日は、午前10時から午後3時まで、神社社務所前に用意されたテーブルで、小さな餅が二つ入ったぜんざい=写真②=の無料接待が行われ、参拝客らは社務所前に用意されたテーブルで、笑顔でいただいていました。神社参道には、接待の順番を待つ長い列=写真③=が出来るほどの人気で、神社では2万食分を用意するという。


写真②:お茶にタクアン付きで参拝客に振る舞われた〝ぜんざい〟
     =宮地嶽神社奥之宮「不動神社」で、07年2月28日午前10時17分撮影


写真③:参道で〝ぜんざい〟接待の順番を待つ参拝客の列
     =宮地嶽神社奥之宮「不動神社」で、28日午前10時08分撮影


 参拝客は、不動神社に参拝=写真④=したあと、桃の枝に和紙作りの雛人形が飾られた「お花雛」や、「雛あられ」を社務所で求める人も。この日は晴天に恵まれ、境内を散歩する家族連れも多く、宮地嶽神社拝殿前にある満開の「寒緋桜」を観賞、春到来も楽しんでいました。


写真④:「不動神社」に参拝する人たち
     =福津市宮司で、28日午前10時21分撮影

宮地嶽神社(福岡県福津市宮司):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕西鉄宮地岳線宮地岳駅下車、徒歩10分。JR鹿児島線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きか、神湊波止場行きで10分の「宮地岳宮前」で下車し、徒歩5分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約20分。駐車台数1200台。問い合わせは、宮地嶽神社(0940-52-0016)へ。


奥之宮不動神社
  宮地嶽神社奥之宮「不動神社」位置図
       (ピンが立っている所)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007年2月27日/〈日記〉101・土居の弁財天社

2007-02-27 09:47:53 | 日記
写真①:〈津屋崎干潟〉東岸にある赤い鳥居の「弁財天社」
      =福津市土居で、2007年2月7日午後0時28分撮影

 福津市土居の〈津屋崎干潟〉東岸に、赤い鳥居の「弁財天社」があります=写真①=。弁財天は、七福神の一つ。弁天とも呼ばれ、福徳・智慧・財宝を与える神様です。

 旧津屋崎町が同町史編集委員会の編集で発行した津屋崎町史民俗調査報告書『津屋崎の民俗 第三集』の「岡の二、三」の中に、「六 信仰」の「(三)クミの信仰」のくだりが443㌻にあり、「集落の小祠・小堂」として「弁財天」について、次のように書かれています。

〈ベンザイテンまたはビザイテンと呼ぶ。所在地は土居。
土居の守り神様として、組長が責任を持って皆で祭っている。普段は近くの人が毎日シバや花の水替えをしている。
祭日は新暦の七月十五日
大祭の七月十五日は波折宮から神職がきて祝詞をあげる。(中略)
女性の腰の病気に良いといわれているので、おばあちゃん達のお参りが多い。とても御利益がある神様である。

※塩浜の塩田ができた後に建立した弁財天神の方向は、塩田を向いているといわれている。塩田の守り神として作られたという話である。〉

 確かに、「弁財天」の祠(ほこら)=写真②=は、塩田があった東の方角を向いて建っていますね。


写真②:塩田があった東の方角を向いて建っている「弁財天」の祠
     =福津市土居で、07年2月7日午後0時28分撮影

福津市・「弁財天社」
    福津市土居・「弁財天社」位置図
        (ピンが立っている所)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007年2月26日/〈日記〉100・津屋崎の自然保護の系譜

2007-02-26 13:54:32 | 日記
写真①:パンフレット「つやざき八景」(1994年、津屋崎町観光協会発行)の表紙を飾った柴田治さんが津屋崎の海岸植物を描いた石版画
     =福津市津屋崎で、2007年2月26日午前10時16分複写

 きょう2月26日は、ブログ〈日記〉の100回目です。記念すべき日の掲載テーマは「津屋崎の自然保護の系譜」にしました。

 1991年に「津屋崎の自然と開発を考える住民の会(花田アサノ会長)」が、宗像郡津屋崎町(現福津市津屋崎)の美しい自然を広く知ってもらおうと、活動資金の一部に充てるため、絵はがき集「津屋崎の浜辺――この自然を子や孫に」を出しました。

 花田会長は津屋崎町天神町生まれの元小学校長で、私より随分年配のいとこです。二人いた副会長のうち原田活男さんは津屋崎人形窯元で、津屋崎郷土史研究会(現津屋崎郷土史会の前身)会長、のちに町教育委員長も務められました。もう一人の副会長安部郁郎さんは同町在自出身の元小学校長で、福岡植物研究会会長。私の津屋崎小学校時代の同級生、安部千春君(弁護士)のお父さんです。小学校の遠足かなにかで東郷公園に登った時、咲いていた黄色い花・通称キンポウゲ(キンポウゲ科)の名前を尋ねて、〈ウマノアシガタだよ〉と和名を教えてもらった記憶があります。

 「住民の会」会員は、主婦、自営業の人などもいて総勢約80人。絵はがき集は、津屋崎町出口に住む会員の元中学校教諭柴田治さんの作品=写真①=です。津屋崎に自生する海岸植物のコマツヨイグサが咲く白石浜を描いた「いか釣りのころ」や、ハマヒルガオ、ミヤコグサなどが咲き誇る東浜海水浴場の「五月の浜」、「オニユリ咲く入江」など5枚1組3百円で販売。

 柴田さんは、93年8月に結成された「津屋崎町街並み保存協議会(原田活男会長、約130人=事務局・町観光協会内)」の事務局長として、明治の商家・旧上妻邸を「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」として保存、町興し拠点として活用する住民運動でも活躍。柴田さんが2002年3月に亡くなり、協議会は解散しましたが、『藍の家』の運営は現在のNPO(特定非営利活動)法人「つやざき千軒いきいき夢の会」にバトンタッチされ、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」会員でもある夫人の富美子さんが柴田さんの遺志を継ぎ、『藍の家』の運営スタッフを続けておられます。

 「津屋崎の自然と開発を考える住民の会」が発足した当時は、玄界灘一帯に大規模リゾート(保養地)を造る「玄界レク・リゾート構想」で、津屋崎海岸を埋め立て、ヨットやボートを収容できるマリーナ建設計画が浮上し、町民の間から「津屋崎の自然を守ろう」という声が高まり、90年12月に会が結成されました。「津屋崎の海をきれいに」と、91年1月に海岸のゴミを一掃する「カモメ大作戦」と名付けた大掃除をしたり、絵はがき集を発行、自然を守り、行政任せでない町の発展も考える会として町づくり活動を展開しました。

 津屋崎千軒の古い町並みや美しい海も、豊かな自然環境の保護=写真②=があってこそ、その良さが生かされます。「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の活動目的も、歴史的な景観の保全と伝統的建造物群の修復保存、海の自然・生態系の維持を図り、〈津屋崎千軒〉通りの活性化と福津市のまちづくりに寄与することにあります。


写真②:「干潟を守ろう」と環境保全を呼びかける福津市の建て看板
     =「津屋崎干潟」東岸で、06年11月15日午前11時38分撮影

 ハマボウ(アオイ科)は、神奈川県三浦半島が自生北限で、7、8月に美しい黄色の花を付ける〝日本のハイビスカス〟ともいえる南方系直物です。かつては、津屋崎の浜辺にも多く自生していましたが、護岸工事で自生地が少なくなったといわれています。こうしたハマボウをはじめ、津屋崎の浜辺や河口周辺に自生する固有の植物を守り育てていくことも必要ではないかと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007年2月25日/〈日記〉099・伊能忠敬や山頭火も泊まった老舗旅館「魚屋」で懇親会

2007-02-25 20:34:21 | 日記
写真①:創業二百年余という老舗旅館「魚屋本店」
     =福岡県宗像市神湊で、2007年2月25日午前11時43分撮影

 隣組の懇親会が2月25日、福岡県宗像市神湊の老舗割烹旅館「魚屋(うおや)本店」=写真①=で開かれましたので、細君と出席しました。福津市津屋崎の自宅近くから、迎えのマイクロバスに隣組の26人が乗り込み、約10分で到着。

 懇親会場は、3階建ての「魚屋本店」2階の和室。創業二百年余という老舗旅館の座敷から眺めた玄界灘の景色は雄大でした=写真②=。


写真②:「魚屋本店」から臨む玄界灘の雄大な景色(向こうは宗像市鐘崎)
     =宗像市神湊で、07年2月25日午後2時23分撮影

 宴席では、玄界灘の荒波で身のしまった海の幸を盛り込んだ会席料理に舌鼓を打ち、余興のカラオケで2曲歌って気分もよろしく、お開きに。送りのバスが待つ玄関へと歩く途中の前庭に、漂泊の自由律俳人・種田山頭火の句碑=写真③=があるのに気付きました。句碑には〈晴れるほどに/曇るほどに/波のたわむれ 山頭火 昭和十五年五月三十一日 魚屋にて〉と刻まれています。そばに立つ解説板によると、この日、「魚屋」に宿泊した時の連作の一句という。この年、山頭火は亡くなっています。

 山頭火自身が句碑のために揮毫し、生前に建てられた唯一の句碑は、「魚屋本店」近くにある宗像市神湊の禅寺「隣船寺」境内に建てられており、06年9月21日に細君と訪ねました。〈松はみな枝垂れて南無観世音〉の句が石碑に刻まれています。


写真③:山頭火の句碑
     =「魚屋本店」で、2月25日午後2時25分撮影

 「魚屋」には、江戸時代に全国を測量し詳細な日本地図を作った「伊能忠敬」も宿泊したそうで、「魚屋本店」玄関前には記念の石碑も建っていました=写真④=。


写真④:「伊能忠敬宿泊跡」の記念石碑
     =「魚屋本店」玄関前で、2月25日午前11時43分撮影

「魚屋本店」(福岡県宗像市神湊。℡0940-62-2122):◆交通アクセス=〔車で〕西鉄宮地岳線「津屋崎」駅から車で約10分。JR鹿児島線福間駅から車で約20分、同東郷駅から車で約15分。

「魚屋本店」
        「魚屋本店」位置図
        (ピンが立っている所)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007年2月25日/〈津屋崎の四季〉059・津屋崎の春を告げる花2題

2007-02-25 15:47:31 | 風物
写真①:満開になった早咲きの「寒緋桜」
     =福津市宮司の「宮地嶽神社」拝殿前で、2007年2月25日午前10時22分撮影

 福津市津屋崎は25日、朝から肌寒く、どんよりとした天気。それでも、午後から晴れ間も除き、少しは暖かくなりました。

 宮司の「宮地嶽神社」拝殿前にある早咲きの「寒緋桜」は満開で、参拝客の目を楽しませていました=写真①=。

 在自の新川沿いの土手では、ヤブツバキ(ツバキ科)の花が楚々と咲いています、=写真②=。

 ツバキは、吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』の詩篇「椿の花のような娘」で、〈楚々と咲いているけれど/しっかりとした自分を持っている/椿の花のような娘が好きだ〉と詠ったように、私の好きな花の一つです。

 椿の花のようになってほしいと願って育てた私の娘は、元日に結婚し、23,24両日、東京から夫と初めて里帰りしてくれました。夫婦で支え合い、楽しく、暖かい家庭を築いてくれれば、親として望むものはありません。


写真②:新川沿いの土手で楚々と咲いたヤブツバキ(ツバキ科)の花
     =福津市在自で、07年2月25日午前8時04分撮影
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007年2月25日〈福津市福間の野鳥〉002:ミヤマガラス

2007-02-25 06:35:24 | 福津市福間の野鳥
写真①:電線に止まった冬鳥・ミヤマガラスの群れ
     =福津市手光南で、2007年2月7日午前9時38分撮影

 
 福津市手光南の旧国道3号線に面したパチンコ店の前の電線に、冬の渡り鳥・ミヤマガラス(カラス科)の群れが止まっていました=写真①=。

 体長47㌢で、全身黒色。嘴の基部が灰色なのが特徴=写真②=。朝鮮半島から福岡県内に群れをなして飛来し、翌年3月中旬には半島へ渡去します。今年は暖冬で、2月中旬から一部の群れの北帰行が始まった気配ですが、2月22日午後5時55分ごろから福津市道辻参道口にある「宮地嶽神社」駐車場南側の田んぼには、約500羽の群れが舞い降りていました。


写真②:嘴の基部の灰色が目立つミヤマガラス
     =福津市手光南で、07年2月7日午前9時39分撮影


 この田んぼには、別のパチンコ店の建設が始まっています。田んぼ近くの道路沿いの電柱は、ミヤマガラスの塒になっていますが、同店開店後の夜間は、店のネオンサインの灯りで眠りづらくなりそうです。田んぼの北側にある「宮地嶽神社」駐車場の上空を飛ぶ群れ=写真③=は、日に日に建設が進むパチンコ店周囲の田んぼの環境変化を気にかけているのではないでしょうか。


写真③:「宮地嶽神社」駐車場の上空を飛ぶミヤマガラスの群れ
     =福津市道辻参道口で、07年1月16日午前8時53分撮影
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

007年2月24日〈福津市津屋崎の野鳥〉072:津屋崎の野鳥・「群れる鳥」

2007-02-24 07:19:35 | 福津市津屋崎の野鳥
 福津市内で撮った津屋崎の野鳥・「群れる鳥」の写真を紹介します。


写真①:池で憩うカルガモ(カモ科)の群れ
     =的岡の「新堤池」で、2007年2月19日午前7時56分撮影


写真②:道路脇のガードレールに群れるトビ(タカ科)
     =渡の「津屋崎干潟」で、06年12月22日午後2時29分撮影


写真③:カリフラワーの葉に群がるスズメ(ハタオリドリ科)
     =宮司の畑でで、07年1月31日午前11時04分撮影


写真④:電線に鈴なりのミヤマガラス(カラス科)
     =新東区で、07年2月19日午前8時14分撮影


写真⑤:仲良く泳ぐオナガガモ(手前3羽)とヨシガモ(いずれもカモ科)
     =渡の「津屋崎干潟」で、06年12月17日午後4時13分撮影
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007年2月23日/〈津屋崎の四季〉058・津屋崎の春景色

2007-02-23 02:39:15 | 風物
写真①:在自山(向こう側)の麓にある畑で満開の菜の花
     =福津市在自で、2007年2月21日午後4時08分撮影

 津屋崎の山野も海も、一気に春めいてきました。本当にまだ2月なのでしょうか。

 福津市の在自山(標高249㍍)山麓にある農業用溜め池「名呑池(なのみいけ)」北側の畑では、菜の花が満開です=写真①=。

 「名呑池」南側の土手の小路を下ると、土手の斜面にノアザミ(キク科)の青紫の花が咲いていました=写真②=。


写真②:「名呑池」の南側土手で咲いたノアザミの花
     =福津市在自で、07年2月22日午前7時52分撮影

 福津市在自の農道わきの草地には、ホトケノザ(シソ科)の群落で小さな赤紫色の花=写真③=が開き、花むしろのように広がっています。


写真③:農道わきの草地で小さな赤紫色の花を開いたホトケノザ
     =福津市在自で、2月22日午後3時03分撮影

 福津市土居の「内海(うちうみ)」の水も、心なしか温んで見えます。岸辺に係留されたレジャーボートは、漣に揺られながら出番を待ちかねているようですね。


写真④:「内海」の水も心なしか温んで見え、岸辺では出番を待つレジャーボートが揺れる(向こうは渡半島の大峰山)
     =福津市土居で、2月13日午後2時09分撮影
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007年2月22日〈福津市津屋崎の野鳥〉071:津屋崎の野鳥グラフ特集⑤=07年1月撮影分

2007-02-22 00:41:43 | 福津市津屋崎の野鳥
 「津屋崎の野鳥・グラフ特集」⑤を組んでみました。福津市津屋崎で、2007年1-2月に撮影した写真です。


写真①:悠々と泳ぐハシビロガモ(カモ科)の雄
     =的岡の「新堤池」で、2月19日午前7時50分撮影


写真②:木の枝に背中を見せて止まったジョウビタキ(ツグミ科)の雌
     =渡の「東郷公園」で、2月15日午前9時52分撮影


写真③:樹液を吸いに幹に止まったメジロ(メジロ科)
     =宮司の「宮地嶽神社」境内で、1月19日午前10時35分撮影


写真④:水面で眠そうなコガモ(カモ科)の雄
     =的岡の「新堤池」で、2月20日午前9時27分撮影


写真⑤:田んぼで餌を探す2羽のタゲリ(チドリ科)
     =末広で、1月5日午後2時47分撮影
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007年2月21日/〈日記〉98・「街並み保存 津屋崎現代美術展」のこと

2007-02-21 04:21:56 | 日記

写真①:表紙を飾った「津屋崎千軒民俗館『藍の家』出入り口格子戸の写真
      =「街並み保存 津屋崎現代美術展」パンフレット表紙から、2007年2月18日午後4時57分複写

 きょう2月21日は、福津市新町横町の「津屋崎千軒民俗館『藍(あい)の家』」と、同市土居の「農業倉庫、塩田れんが倉庫」で、1994年(平成6年)3月20日から4月19日に開かれた「街並み保存 津屋崎現代美術展 場の夢・地の声」のことを紹介します。

 主催は、福津市津屋崎海岸通りの「旧玉乃井旅館」に住む著述・翻訳業安部文範さんの「現・在の会」と、1993年に設立された「津屋崎町街並み保存協議会」(事務局=町観光協会内)。後援団体には、町教育委員会と町文化協会が名を連ねています。

 この「街並み保存 津屋崎現代美術展」のパンフレットは、写真撮影吉住美昭さん、翻訳安部文範さんの担当で作成。6㌻構成で、表紙の写真は『藍の家』(旧上妻邸)出入り口の格子戸=写真①=。「上妻」の表札と門灯が懐かしい感じです。

 パンフレットの冒頭に掲載された「場の夢そして地の声 Dream of Space, Voice of Place」と題した文章では、「街並み保存 津屋崎現代美術展」開催の目的について、「取り壊し、立て直しなどを迫られ、緊急を要する街並み保存という呼びかけに応えるかたちで、また長い時間をくぐり抜けてきた日本の木造建築の美しさ力強さを、現在の視点で捉え、新しい空間として創りだしていこうとする試み」としています。

 1901年に建てられ、染色、織物の商家として続いてきた上妻邸や、明治期の塩田用れんが倉庫=写真②=、大正期の農業倉庫などでの、その保存のための活動を含んだ現代美術展です。


写真②:今も「内海(うちうみ)」そばに残る塩田用れんが倉庫
     =福津市津屋崎土居で、07年2月7日午後0時31分撮影

 出展作家は、元村正信(北九州市生まれ)、大浦こころ(東京生まれ)、坂崎隆一(熊本市生まれ)3氏と、津屋崎町在住の山本隆明氏(福岡県生まれ)。パンフレットの文章では、この福岡―九州を中心に活躍中の4人の美術家による、「既成の空間から離れた、インスタレーションを中心とした表現の展開になります」といい、「蓄積された時間に、今を生きるものの思いを重ねていくことで、歴史も現在も、もっとくっきり見え始めるでしょうし、場のあたたかさのなかで旧いものが今も豊かに生きているというあたりまえの事実を確認しあえるのではないでしょうか」とのメッセージを投げかけています。

 「インスタレーション」とは、もとは「設置」の意味で、展示方法によって空間自体を作品化する美術の手法として彫刻や絵画などから独立、1970年代以降に一般化した現代美術の表現手法・ジャンルのことを指すようになりました。場所や空間全体を作品として体験させる芸術とされ、中国や韓国では「設置芸術」や「装置芸術」とも呼ばれています。

 インスタレーションの特徴は、原則として作品の展示は一時的なもので、展覧会が終われば撤去されること。しかし、作品は設置場所の形状や周囲の壁面・建築・地形との関係や、その場所にかかわる歴史と記憶に密接し、設置場所に固有のもので、移転や再現が困難です。日本のインスタレーション作家では、勅使河原宏、横尾忠則、荒木経惟各氏らが知られています。

 元村氏の作品=写真③=は上妻邸1階に、大浦氏の作品は同邸2階に展示され、坂崎氏の作品は農業倉庫に、山本氏の作品は塩田れんが倉庫にそれぞれ展示されました。


写真③:上妻邸1階に展示された元村正信氏の作品
    =「街並み保存 津屋崎現代美術展」パンフレットから、07年2月20日午後2時04分複写

 パンフレットの最後の6㌻に、上妻邸(横町)、農業倉庫(土居 藤井睦雄氏所有)、塩田れんが倉庫(土居 豊村酒造所有)のミニ解説が載せられています。上妻邸については「明治34年に建築された染め物店の家屋で、間口・奥行き共に6間(約11メートル)の二階建て。がっちりとした構造とみごとな風格のある建物」と解説。

 農業倉庫については「明治から大正時代の農協の倉庫。津屋崎の塩田が盛んだった頃の土居は、塩田で働く人々で賑わい、この倉庫の右隣には農協や役場があったという。間口7間に奥行き3間半の広さで、耐震構造にもなっている」とし、塩田れんが倉庫は「津屋崎の塩田で塩を作っていた明治時代に、塩の倉庫として使われていた赤煉瓦造りの約5メートル×4メートルの建物」と紹介されています。

 この「街並み保存 津屋崎現代美術展」主催団体の一つ、「津屋崎町街並み保存協議会」は2000年、「藍の家運営協議会」に改組され、保存活動を続けてきた『藍の家』の管理・運営を担うようになります。02年には、同協議会が「津屋崎千軒いきいき夢の会」(1998年設立)と統合、新組織の「津屋崎千軒いきいき夢の会」が発足し、04年にはNPO(特定非営利活動)法人に認証、設立登記されます。

 こうした歴史を振り返ると、『藍の家』で94年に開かれた「街並み保存 津屋崎現代美術展」は、「津屋崎町街並み保存協議会」のその後の発展の礎となるイベントだったことがうかがえます。

 「旧玉乃井旅館」経営者の家族で、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」会員でもある安部さんが、07年4月21日から5月6日まで「旧玉乃井旅館」で開く現代アート作家らによる「現代美術展覧会」は、第2回「街並み保存 津屋崎現代美術展」と言える内容です。それゆえに、『藍の家』の保存・活用や、「旧玉乃井旅館」の「〈解体と再生〉プロジェクト」と、そして「海とまちなみの会」による津屋崎千軒のまちづくり活動に大きなインパクトを与え、新たな地平を拓くイベントとして期待されるのではないでしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする