吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2012年10月4日/〈出雲・町歩き〉008・水木しげるロード

2012-10-04 02:38:18 | 〈出雲・町歩き〉

 

写真①:大勢の観光客が行き交う「水木しげるロード」

     =鳥取県境港市の本町アーケード商店街で、2012年9月16日午後2時5分撮影

  

〈出雲・町歩きスポット〉8

 :水木しげるロード

 出雲旅行の最終コースは、島根県安来市の「足立美術館」から再び観光バスに乗り、9月16日午後1時すぎ、漫画家水木しげる氏の古里・鳥取県境港市へ入りました。お目当ては、同氏の漫画に登場する139体の妖怪たちがブロンズ像になって出迎え、今や大人気の「水木しげるロード」=写真①=です。JR境港駅前から本町アーケードまでの約8百㍍で、歩くと約15分かかります。平成5年7月にオープンした通りの上には、「祝2,000万人達成 水木しげるロード」の懸垂幕が晴々しく懸かっていました。平成24年5月4日、入込客数が2,000万人を突破したという。

 水木氏の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』の立体ブロンズ=写真②=も、通りの歩道わきにありました。

 

写真②:通りの歩道わきにある「ゲゲゲの鬼太郎」の立体ブロンズ

     =「水木しげるロード」で、16日午後2時10分撮影

  ずるくて、怠け者の「ねずみ男」の妖怪立体ブロンズ=写真③=は、大正川に架かるコンクリート橋の欄干に寝そべっています。

 

写真③:ずるくて、怠け者の「ねずみ男」の妖怪立体ブロンズ
     =「水木しげるロード」で、16日午後2時5分撮影

 なんと、「妖怪神社」=写真④=もあり、人だかりがしていました。神社は、水木しげるロードにいる妖怪たちの古里として、妖怪たちが住みやすい自然環境を守り育てようと、民間の街づくり会社(株)「アイズ」が2000年元旦、建立し落成入魂式を挙行。御神体は、高さ3㍍の黒御影石と樹齢3百年の欅(けやき)を組み合わせてあり、鳥居は空を飛べることから鬼太郎の乗り物として活躍している妖怪・「一反木綿」をデザインしています。

 

写真④:妖怪たちの古里として建立された「妖怪神社」

     =「水木しげるロード」で、16日午後2時20分撮影

 一度は死んでしまったが、わが子を心配するあまり自らの魂を死者の左目に乗り移らせ蘇生したという妖怪・「目玉おやじ」=写真⑤=も、「妖怪神社」に祀られていました。



写真⑤:魂を死者の左目に乗り移らせ蘇生したという妖怪・「目玉おやじ」
       =「妖怪神社」で、16日午後2時20分撮影

  「水木しげるロード」沿いの歩道わきには、幽霊屋敷風の鳥取銀行のキャッシュコーナー=写真⑥=も設置。お堅い銀行さんまでが、軟らか頭で町興しに協力しているのがいいですね。

 

写真⑥:鳥取銀行のキャッシュコーナー

     =「水木しげるロード」で、16日午後2時5分時撮影

  「目玉おやじのキャラメル」=写真⑦=など妖怪漫画のキャラクターのお菓子を、お土産に買いました。

 

写真⑦:お土産に買った「目玉おやじのキャラメル」などのお菓子

     =拙宅で、17日撮影

  「水木しげるロード」をあとにして、観光バスで山陽新幹線岡山駅に向かいました。途中、海産物のショッピングに立ち寄った大漁市場「なかうち」(境港市竹内団地)の前にも、妖怪たちの看板=写真⑧=が掲げられていました。水木しげる氏が、同市の町興しと観光にいかに貢献しているかがよく分かりました。ヒット漫画の力は、偉大です。

 

写真⑧:大漁市場「なかうち」の前に掲げられた妖怪たちの看板

     =境港市竹内団地で、16日午後4時50分撮影

                           (おわり)

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2012年10月3日/〈出雲・町歩き〉007・足立美術館の日本庭園

2012-10-03 04:49:26 | 〈出雲・町歩き〉

 

写真①:「足立美術館」の見事な日本庭園

      =島根県安来市古川町で、2012年9月16日午前11時20分撮影

  

〈出雲・町歩きスポット〉7

 :足立美術館の日本庭園

 島根県松江市北堀町の松江城下町を観光バスで出発、同県安来市古川町の「足立美術館」に着いたのは、9月16日午前11時すぎ。近代日本画や横山大観の作品が収蔵され、日本画と日本庭園=写真①=が見事に調和した美術館といわれています。

 約5万坪の庭園は、米国専門誌ランキングで2003年から9年連続で「日本一の庭園」に認定され、記念の石碑=写真②=が建てられていました。

 

写真②:「庭園日本一 2003~9年連続」と刻まれた石碑

     =16日午前11時50分撮影

  「足立美術館」は、地元出身の実業家・足立全康(明治32年―平成2年)が昭和45年に創設したもので、庭園敷地には銅像=写真③=も建っています。

 

写真③:「足立美術館」創設者・足立全康の銅像
     =16日午前11時10分撮影

 外国人が「日本一の庭園」という庭をじかに見るのが、この出雲旅行の楽しみの一つでしたので、木々や芝生、自然石が織りなす造園美の庭園を堪能しました=写真④=。

 

写真④:木々や芝生、自然石が織りなす造園美の庭園

     =16日午前11時15分撮影

  「足立美術館」が誇る日本庭園では、枯山水庭、白砂青松庭、苔庭、池庭=写真⑤=……と様々な庭の美しさは確かに感じられます。しかし、見学コースの回廊から庭を見るだけで、庭内を歩くことはできません。これなら、〝日本三名園〟の「後楽園」(岡山市にある大名庭園)や「兼六園」(石川県金沢市にある加賀百万石の名園)の方が楽しめます。また、人工的な庭園美は素晴らしいとは思いながらも、京都市・竜安寺の石庭や西芳寺(苔寺)の苔庭のような芸術美の感動は湧きませんでした。


写真⑤:人工的な庭園美は素晴らしい「足立美術館」の池庭ですが……
     =16日午前11時20分撮影

  ここまで書いて、「足立美術館」の建物の全景写真を撮り忘れていたのに気付きました。横山大観や上村松園など日本画の巨匠たちの作品約1,500点を収蔵しているほか、河井寛次郎と北大路魯山人の二巨匠の陶芸作品も見ごたえがあったものの、期待していた日本庭園に胸の奥にググッとくるものがなかったせいかもしれません。

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2012年10月2日/〈出雲・町歩き〉006・小泉八雲旧居

2012-10-02 14:50:32 | 〈出雲・町歩き〉

 

写真①:国指定史跡・「小泉八雲旧居」入口

     =島根県松江市北堀町で、2012年9月16日午前9時40分撮影

 〈出雲・町歩きスポット〉6

 :小泉八雲旧居

 島根県松江市北堀町の「小泉八雲旧居」(国指定史跡)=写真①=は、同市北堀町塩見縄手の「武家屋敷」から歩いてすぐの所にありました。9月16日午前9時40分すぎ、見学を終えた数人の観光客が旧居から出て来る=写真②=のと入れ替わりに、邸内に入りました。入場料は、3百円です。

 

写真②:「小泉八雲旧居」から出て来る観光客

     =16日午前9時45分撮影

  怪談「耳なし芳一」や「雪女」の名作で知られる八雲(ラフカディオ・ハーン)の旧居和室には、八雲が使った机と椅子(レプリカ)が置かれています=写真③=。明治37年(1904年)、東京で亡くなるまでの14年間を熊本、神戸など日本の都市で過ごし、うち松江では1年3か月暮らし、この旧居にはセツ夫人と約5か月滞在。旧松江藩士・根岸干夫(たてお)の武家屋敷で、維新後、簸川郡(現在の出雲市)の郡長をしていたため、庭のある侍屋敷にすみたいという八雲に貸したという。干夫の長男磐井(いわい)は松江中学、旧制五高、東京帝大で八雲の教え子でもありました。

写真③:和室に置かれた八雲使用の机と椅子(レプリカ)

     =16日午前9時45分撮影

 八雲が好んで眺めたという旧居の庭は、干夫の先代根岸小石(しょうせき)が明治元年(1868年)に枯山水の観賞式庭園として造営。小規模ながら手入れの行き届いた庭で、見事な枝ぶりのサルスベリに赤い花が咲いていました=写真④=。

 

写真④:サルスベリの赤い花が咲く庭

     =16日午前9時50分撮影

  旧居の玄関近くに、「高浜虚子の句」が掲示されています=写真⑤=。〈くわれもす八雲旧居の秋の蚊に〉。明治7年の秋、旧居を訪れて詠んだ句です。

写真⑤:「高浜虚子の句」の掲示板
     =16日午前9時50分撮影

 そうそう、15日に立ち寄った出雲市大社町の「出雲大社」そばにある土産品店では、八雲にちなんだ「ラフカディオ珈琲」=写真⑥=と名付けられたコーヒが売られていましたが、この旧居では見かけませんでした。

  

写真⑥:八雲の肖像画入りの「ラフカディオ珈琲」

     =島根県出雲市大社町の土産品店で、9月15日午後2時5分撮影

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2012年10月1日/〈出雲・町歩き〉005・松江の「武家屋敷」

2012-10-01 05:41:14 | 〈出雲・町歩き〉

 

写真①:松江藩の中老・塩見家の屋敷を保存した「武家屋敷」の入口

      =島根県松江市北堀町塩見縄手で、2012年9月16日午前9時30分撮影

 

〈出雲・町歩きスポット〉5

 :松江の武家屋敷

 9月16日午前9時半、島根県松江市殿町の「松江城」を出て、同市北堀町塩見縄手の「武家屋敷」=写真①=を観光しました。松江藩の中老で、後に千石取りにまで出世した塩見家の屋敷を保存、家具調度を配置して藩政時代の武家の生活様式を復元した屋敷です。塩見家は江戸時代初期の寛永15年(1638年)、結城秀康の第三子で徳川家康の孫にあたる松江松平家の祖・直政公が信州松本から出雲国に移封されたのに従い、松江入りした生え抜きの家来で、異例の昇進をしたことから、屋敷前の通り一帯が「塩見縄手」と名付けられました。この一帯は、江戸初期から松江藩の六百石程度の中級武士が、屋敷替えによって入れ替わり住んだところという。

 入場料3百円を払って長屋門を潜り、「武家屋敷」に入ると、玄関前わきにある「盛り砂」=写真②=が目に付きました。そばに立つ解説板に〈日本刀は普通使わない状態ではよく切れないことがあるので一大事が起こった場合 この砂に数回切りつけてすぐに実戦に使用できるようにするため 武家屋敷の門から玄関までの内には必ず設けてあったといわれている〉と書かれています。初めて「盛り砂」とやらを見て、フーンと頷かされました。

 

写真②:玄関前わきにある「盛り砂」

     =「武家屋敷」で、16日午前9時40分撮影

  邸内には、玄関の間、次の間、当主居間、奥方居間、家族部屋などがあり、最も立派な十畳の座敷=写真③=には当主に挨拶する武士の人形も置かれています。

写真③:当主に挨拶する武士の人形が置かれた座敷
     =「武家屋敷」で、16日午前9時35分撮影


 屋敷入口の長屋門=写真④=は、武家屋敷の特徴の一つで、中間(ちゅうげん=武家奉公人)の住居としても使われていました。敷地の一角には、「お休み処」もあり、腰かけて一服しました。

 

写真④:中間の住居としても使われていた長屋門

     =「武家屋敷」で、16日午前9時35分撮影

 この塩見家の「武家屋敷」近くには、「食事処」の看板が出ている屋敷も見かけました=写真⑤=。寄り道して、出雲そばでも食べたいところでしたが、時間がなく、残念でした。


写真⑤:「食事処」の看板が出ている屋敷
     =松江市北堀町塩見縄手で、16日午前9時30分撮影

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2012年9月30日/〈出雲・町歩き〉004・松江城

2012-09-30 10:14:45 | 〈出雲・町歩き〉

 

写真①:外観五重、内部は6階の複合天守が雄大な「松江城」

     =島根県松江市殿町で、2012年9月16日午前9時10分撮影

  

〈出雲・町歩きスポット〉4

:松江城

  島根県松江市玉湯町玉造の「玉造温泉」で旅の疲れを癒し、一夜明けた9月16日朝、同市殿町にある国指定重要文化財・「松江城」=写真①=を訪ねました。

 全国に現存する12天守の一つで、城下町・松江のシンボルです。天守は付楼を加えた複合天守で、高さ30㍍、外観五重、内部は6階となっており、最上階は望楼。慶長16年(1611年)、松江開府の祖・堀尾吉晴が5年ががりで完成させました。入母屋破風の屋根が、チドリが羽を広げたように見えることから〝千鳥城〟とも呼ばれています。

 料金550円を納めて、入城。最上階の望楼からの360度の眺めは絶景でした=写真②=。

 

 写真②:最上階の望楼からの松江市街の眺め

      =「松江城」で、16日午前9時撮影

  「松江城」の石垣は、自然石をほとんど加工せずに積み上げた「野面積(のづらづみ)」で、一見すると粗雑ながら頑丈な古い形式の積み方になっています=写真③=。

 

写真③:古い形式の積み方の「野面積」で築かれた石壁

     =「松江城」で、16日午前9時15分撮影

  お城を出て、北側にある「武家屋敷」に向かって道路わきの歩道を進んでいると、お城の堀川を巡る遊覧船=写真④=が水を切って行くではありませんか。以前、福岡県の水郷・柳川市の掘割を回る「どんこ舟」に乗った時の楽しい思い出が蘇りました。

  

写真④:「松江城」の堀川を巡る遊覧船

     =松江市北堀町塩見縄手で、16日午前9時30分撮影

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2012年9月29日/〈出雲・町歩き〉003・玉造温泉

2012-09-29 05:25:59 | 〈出雲・町歩き〉

 

写真①:早朝の「玉造温泉」旅館街

     =島根県松江市玉湯町玉造で、2012年9月16日午前6時45分撮影

 

〈出雲・町歩きスポット〉3

 :玉造温泉

 島根県出雲市の「出雲大社」参拝を終えた旅行初日・9月15日夜の宿泊地は、同県松江市玉湯町玉造の「玉造温泉」です=写真①=。日本最古の歴史を持つ出雲の名湯とかで、お宿は玉湯川のほとりに佇む「保性館(ほせいかん)」。性(やすらぎ)を保つ宿として、創業3百年の老舗旅館。夕食前、さっそく露天風呂に浸かったところ、ぬるっとした肌触りが最高の弱アルカリ高温泉でした。

 宿での夕食は、日本海のカニやエビなど山陰の山海の幸を集めた季節料理。16日の朝食には、宍道湖の「大和しじみ」を使ったシジミ汁=写真②=を味わいました。

 

 写真②:朝食の料理の一品・宍道湖の「大和しじみ」を使ったシジミ汁

    =「保性館」で、16日午前7時10分撮影

   「玉造温泉旅館協同組合」発行のガイドマップには「出雲の国 松江 美肌・姫神の湯」と書かれており、両岸に温泉旅館が並ぶ玉湯川の河原には「足湯」もありました=写真③=。手を触れると、泉温は結構ホットです。

  

写真③:玉湯川の河原に設けられている「足湯」
     =「玉造温泉」で、16日午前6時45分撮影

 玉湯川の両岸の道路わきには、「神話の情景」オブジェが9体設けられ、「佐太大神(さだのおおかみ)誕生神話」の情景オブジェ=写真④=は「保性館」近くの左岸にありました。「美肌・姫神の湯」玉造温泉のいわれにちなむ神のストーリーが、像のそばに建てられた「姫神と神話」の解説板に書かれています。

 その解説文によると〈佐太大神が誕生するとき、母神支佐加比売(ささかひめ)は大切にしていた弓矢を無くしてしまい、無事生んだ後、弓矢が出てくるよう祈りました。

 すると、角でできた弓矢が流れてきたので「これは私が無くした弓矢ではない」と投げ捨てました。しばらくすると、今度は黄金の弓矢が流れてきたので、取り上げ「なんと暗い洞窟なのか」と言いながら弓を放つと、黄金の矢で洞窟が射通され、光がさしこみ中がひかり輝きました。このことから、この地は加加(かか)という地名となりました。

 加加(かか)・・・松江市島根町加賀

            洞窟を加賀の潜戸(くけど)と呼ぶ〉という。

  

写真④:「佐太大神誕生神話」の情景オブジェ
     =「玉造温泉」で、16日午前6時45分撮影

  玉湯川に懸かる橋の欄干には、神話の里にふさわしく、めのうの勾玉のオブジェが飾られていました=写真⑤=。


写真⑤:玉湯川に懸かる橋の欄干を飾る勾玉のオブジェ
     =「玉造温泉」で、16日午前6時40分撮影

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2012年9月28日/〈出雲・町歩き〉002・古代出雲歴史博物館

2012-09-28 09:51:32 | 〈出雲・町歩き〉

 

写真①:3本の巨木を一つに束ねて作られた「出雲大社」古代神殿の柱

     =島根県出雲市大社町杵築東の「古代出雲歴史博物館」で、2012年9月15日午後2時10分撮影

 

〈出雲・町歩きスポット〉2

 :古代出雲歴史博物館

  9月15日午後、島根県出雲市大社町の「出雲大社」参拝を終え、近くにある県立「古代出雲歴史博物館」を訪問。まず、「出雲大社」古代神殿の柱=写真①=が館内に展示されているのが、目に付きました。古代神殿の柱は、3本の巨木を一つに束ねて直径3㍍の柱を作り、さらにそれを9本の柱として高さ48㍍の御本殿が建っていたという。「雲太、和二、京三」(出雲大社の社殿が最大で、次いで奈良の大仏殿、平安京の大極殿の順に大きい)といわれる巨大神殿の造りが、よく分かりました。

 島根県斐川町神庭(かんば)西谷にある「荒神谷(こうじんだに)遺跡」(国指定史跡)から出土した弥生時代の青銅器類も、展示されています。同遺跡からは、昭和59年(1984年)に358本の銅剣が、翌年には銅鐸6個、銅矛16本が発見され、これらの青銅器群380点は、平成10年(1998年)に国宝に指定。弥生時代の三種類の青銅器が一か所に埋められる例は国内になく、貴重な遺跡です。展示された銅鐸が、謎を秘めた黄金色に輝いて見えました=写真②=。

 

 写真②:黄金色に輝いて見えた銅鐸

      =「古代出雲歴史博物館」で、15日午後3時撮影

   「荒神谷遺跡」から出土した銅剣380点のレプリカが、ずらりと展示されているのは、圧巻です=写真③=。

  

写真③:ずらりと陳列された「荒神谷遺跡」出土の銅剣
     =「古代出雲歴史博物館」で、15日午後3時5分撮影

 「荒神谷遺跡」で4列に並んで同じ形の銅剣358本が一度に出土した時の撮影写真パネル=写真④=も、展示されていました。発見された当時、全国の銅剣出土総数は3百本余りで、荒神谷で銅剣358本が一度に出土し、弥生時代の青銅器研究の見直しを迫る大発見となった衝撃が伝わるすごさを感じます。

 

 写真④:銅剣358本が一度に発見された当時の写真パネル
      =「古代出雲歴史博物館」で、15日午後3時5分撮影

 次に、「古代出雲歴史博物館」そばで開催されている「神話博しまね」(11月11日まで)の特設会場も訪問。「神話映像館」で、国内最大級のアーク型超ワイドスクリーン(高さ3㍍、幅15㍍)で出雲神話の世界を女優・浅野温子のナレーション入りで再現したという迫力あるビデオ映像(上映時間約20分)を見ました。このあと、宿泊先の「玉造温泉」に向かう観光バスで車窓から、出雲市矢野町に同市がスポーツ・レクリエーション施設として平成4年に建てた日本最大級の木造建築・「出雲ド-ム」(高さ約54㍍、建築面積約1万6千平方㍍)を見ることができました=写真⑤=。


写真⑤:移動中の観光バスの窓越しに撮影した「出雲ドーム」
     =出雲市矢野町で、15日午後4時20分撮影

 最後に、島根県松江市玉湯町湯町にある土産品店の「いずもまがたまの里 伝承館」=写真⑥=に立ち寄り、日本一という大きな勾玉を見学、記念にアクセサリーを買ったころには夕暮れです。

 

 写真⑥:「いずもまがたまの里伝承館」
     =島根県松江市玉湯町湯町で、15日午後5時25分撮影

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2012年9月27日/〈出雲・町歩き〉001・「出雲大社」参拝

2012-09-27 12:52:40 | 〈出雲・町歩き〉

 

写真①:大注連縄が懸かる「出雲大社」神楽殿

     =島根県出雲市大社町で、2012年9月15日午後1時55分撮影

  きょう9月27日から、〈出雲・町歩きスポット〉シリーズを掲載します。

 

〈出雲・町歩きスポット

:「出雲大社」参拝

  9月15日、島根県出雲市の「出雲大社」参拝の1泊旅行に細君と出かけました。「出雲大社」神楽殿に懸かる大注連縄=写真①=を、この目で見るのが楽しみの一つでした。わが福津市宮司元町の「宮地嶽神社」が〝日本一〟と誇る拝殿の大注連縄(長さ13.5㍍、直径2.5㍍、重さ5㌧)と、実物を見比べたかったのです。もっとも、同神社は2011年12月17日、拝殿を傷めないように小ぶりの大注連縄(長さ11㍍、直径2.6㍍、重さ3㌧)に懸け替えています。

  出雲観光協会によると、「出雲大社」拝殿の大注連縄は長さ6.5㍍、重さ1㌧ながら、神楽殿に懸かる大注連縄は長さ13㍍、重さ4.5㌧で、神楽殿の大注連縄は確かに現在の「宮地嶽神社」拝殿の大注連縄の長さより大きいものでした。

  観光バスが「出雲大社」に着いたころから、あいにく雨が降り出し、拝殿には傘をさしての参拝です=写真②=。大社では、厚さ1㍍の桧皮葺の屋根を葺き替える60年に一度という「平成の大遷宮」が行われており、平成24年度末完成を目指して修造工事中の御本殿(延享元年=1744年=造営で、高さ24㍍。昭和27年国宝指定)を拝めなかったのは残念でした。

 

写真②:雨に降られながら傘をさして拝殿に向かう参拝客たち

     =「出雲大社」で、15日午後1時35分撮影

  「出雲大社」境内には、〝縁結びの神〟で知られる祭神・大国主大神(おおくにぬしのおおかみ。大黒様)の「ムスビの御神像」が、建てられています=写真③=。

  

写真③:境内にある大国主大神の「ムスビの御神像」
     =「出雲大社」で、15日午後1時35分撮影

 拝殿に通じる「松の参道」=写真④=は、見事なものでした。松江藩主・堀尾忠氏(ただうじ)の夫人が、江戸時代初期の1630年ごろ祈願成就のお礼に奉納したもので、以前は殿様や皇族だけが真ん中を通ることができたという。

  

写真④:拝殿に通じる見事な「松の参道」
     =「出雲大社」境内で、15日午後1時35分撮影

 「出雲大社」前には、平成11年に奉納されたという岐阜県産の「さざれ石」とその由来の解説碑文を刻んだ石碑も設けられていました=写真⑤=。「さざれ石」は、石灰岩が長年の間に溶解して多くの小石を集結して大きくなったもので、めでたい石とされています。国歌・「君が世」の〈君が世は千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで〉の一節にうたわれたいきさつが、石碑に刻まれています。


写真⑤:「さざれ石」(左)とその由来の解説碑文
     =「出雲大社」前で、15日午後1時25分撮影

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