写真①:「遺物埋納坑」隣接地に古墳広場駐車場の建設工事が進む「船原古墳」
=古賀市谷山柳原で、2017年12月28日午前10時35分撮影
〈古賀・町歩きスポット〉 4
:国指定史跡「船原古墳」
古賀市谷山柳原と小山田舟原の境にある「船原(ふなはら)古墳」は現存長37.4㍍、復元全長45㍍以上の前方後円墳で、6世紀末から7世紀初め頃の築造。12月28日訪れたところ、隣接地に古墳広場駐車場の建設工事が平成30年3月完成予定で進んでいました=写真①=。
平成25年3月、古賀市の谷山地区水田の圃場整備に伴う谷山北地区遺跡群の発掘調査で、「船原古墳」西側に古墳時代後期の馬具一式などが埋蔵された土坑(長さ5.3㍍、幅0.8㍍、深さ0.8㍍)が見つかり、鉄製壺鐙(つぼあぶみ)、鉄製輪鐙(わあぶみ)、金銅(こんどう)装飾の鞍、轡(くつわ)の一部の金銅製引手(ひって)、国内初の発見であるガラス製の飾りが付いた金銅製雲珠(うず)、金銅製心葉(ハート)形杏葉(ぎょうよう)、金銅製鈴(れい)など500点以上が出土。
この「船原古墳遺物埋納坑」は、金色に輝く金銅(金メッキした青銅)を用いた豪華な馬具類や、同時に出土した弓、矢、甲冑といった武器・武具、国内3例目となる馬冑(馬用かぶと)、蛇行鉄器、金銅製歩揺付飾(ほようつきかざり)金具など稀少品が含まれ、古墳の外側から遺物を納めた土坑の発見は例がなく、当時の死者の埋葬儀礼の研究にも重要な資料とされ、特に重要な史跡として「国史跡=写真②=」に平成28年指定されました。
写真②:埋め戻された「船原古墳遺物埋納坑」そばに建てられた国史跡の石柱
=28日午前10時30分撮影
「船原古墳」は、平成26年度の発掘調査で後円部の径28㍍で、後円部の高さに比べて前方部の高さが低い珍しいタイプの前方後円墳と判名。古賀市地域で唯一つの前方後円墳で、糟谷・宗像地域では最後に築かれた前方後円墳です。中央政権と政治的なつながりを持つ有力者が葬られていたと見られます。