吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2010年1月31日/〈日記〉376・「津屋崎の塩」作りにエールを!

2010-01-31 16:31:45 | 日記
写真①:梶原康弘さん(左)所有の山林の一角に設けられた塩焼き釜
     =福津市手光で、2010年1月30日分撮影

 1月30日と31日、「津屋崎の塩」が製造、販売されている現場を取材してきましたので、皆様に報告します。江戸時代から明治にかけて〈津屋崎千軒〉の繁栄を支え、〝津屋崎は塩で保(も)つ〟とまで言われた「津屋崎塩田」が廃止された今も、古里・津屋崎で塩づくりに成功し、売られているのを見て、嬉しくなりました。

 以前、私が住んでいた福津市津屋崎3丁目隣組の梶原康弘さん(68)が、同市渡の玄界灘に面した「恋の浦」で汲んだ海水で塩づくりをされていることを知り、30日午前、同市手光(てびか)の作業現場を訪れました。

 作業現場は、梶原さん所有の山林の自動車道路に面した場所にあり、塩焼き用の釜や鍋が据えられていました=写真①=。梶原さんによると、12,3年前から「恋の浦」海岸で大潮の時、きれいな海水を10㍑入りのボトルに汲み取り、車で手光まで運び、釜で焼いて塩作りをしているという。

 釜や鍋は廃品を利用、焚き付けの木材も廃材をもらって、試行錯誤を重ねて塩づくりに成功。近くの空き地で1~2日間、天日干し=写真②=し、「粗塩(あらじお)」は漬物用に、不純物を選別した「焼き塩(やきじお)」は料理用として利用されています。

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写真②:「粗塩」の天日干しをする梶原さん
    =福津市手光で、1月30日撮影

 梶原さんは、自宅近くの友人の青山宣比古さんが経営する水産物加工販売会社「若水」に「焼き塩」と塩作りの副産物の「にがり」を卸し、福津市勝浦の農水産物直販所「あんずの里市」で「焼き塩」(180㌘入り、300円)や「天然にがり」(250円)を販売=写真③=。青山さんは「福津市外の注文者にも焼き塩を送っていますが、評判がいい」と話されていました。

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写真③:販売されている津屋崎の「焼き塩」と「天然にがり」
    =福津市勝浦の「あんずの里市」で、1月31日撮影
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2010年1月31日/〈津屋崎の四季〉519・今年最多のクロツラヘラサギ5羽

2010-01-31 09:11:11 | 風物
写真①:採餌中のヘラサギ(左端)とクロツラヘラサギ5羽(1羽は飛翔中)
     =福津市渡の「津屋崎干潟」で、2010年1月31日午前8時2分撮影

 福津市渡の「津屋崎干潟」で31日朝、冬鳥のクロツラヘラサギ(トキ科)=が今年最多の5羽飛来、ちょっと大きいヘラサギ(トキ科)1羽と餌取りに懸命です=写真①。

 クロツラヘラサギは09年11月21日朝、今季最多の7羽が「津屋崎干潟」に飛来。10年1月に入っては22日と23日、24日、30日に確認した4羽が最多でした。

 この日は、ヘラサギ1羽=写真②=と、クロツラヘラサギ5羽が群れで行動しています。

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写真②:浅瀬で餌を探すヘラサギ
     =「津屋崎干潟」で、31日午前8時3分撮影
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2010年1月31日〈エッセー〉017:『坂の上の雲』で脚光の津屋崎に「志」を

2010-01-31 06:47:13 | エッセー
写真①:東郷平八郎元帥が揮毫した8文字が彫られた〈日本海海戦紀念碑〉(左下側面に元帥肖像のブロンズ製レリーフ)
=福津市渡の東郷公園で、2006年5月14日撮影

・連載エッセー『一木一草』

第17回:2010.01.31
 
『坂の上の雲』で脚光の津屋崎に「志」を

 NHKが09年11月から放映を始めたスペシャルドラマ『坂の上の雲』で、津屋崎が、脚光を浴び始めました。福津市渡の大峰山山頂にある旧日本海軍連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥にちなんで建設された「東郷公園」や、本木雅弘が演じる主人公の一人、連合艦隊参謀・秋山真之(さねゆき)の書簡も展示されている「東郷神社」には、来訪者が相次いでいます。

 連合艦隊が明治38年(1905年)5月27日、世界最強とされていたロシアのバルチック艦隊を撃破し日露戦争を勝利に導いた日本海海戦のとき、当時18歳だった地元の獣医安部正弘さんが、標高114㍍の大峰山山頂で、両軍艦隊が放つ砲声が響いてきたのを聞き、壱岐の方から黒煙が何本も上がったのを目撃。岳父の伊地知弘一さんが明治初期、東郷元帥とイギリスのロンドンに留学した仲で、のちに日本海軍の戦艦〈高千穂〉艦長の大佐となったこともあり、安部さんは戦後、上京して東郷元帥を訪ね、親交を結ばれました。

 その後、私財を投げ打ち、全国に寄付も募って、地元有志で組織した〈日本海々戦偉績保存会〉が昭和9年(1934年)6月27日に東郷元帥を顕彰しようと、山頂に〈日本海海戦紀念碑〉=写真①=を建て、約千平方㍍の東郷公園を造営したという。〈日本海海戦紀念碑〉は、連合艦隊の旗艦・三笠の艦橋をかたどってあり、勝利の日の明治38年5月27日にちなみ、高さ38尺(11.4㍍)、幅5尺(1.5㍍)、マスト27尺(8㍍)。碑の8文字は東郷元帥の揮毫です。

 安部さんは、「日本海海戦で負けていたら、今の日本はなかった」として、大峰山中腹に東郷元帥を祭神とする「東郷神社」を建立。毎年5月27日に春の例祭が行われています。 境内には、入館料100円で観覧できる〈宝物館〉(宝物殿)=写真②=があり、東郷元帥の書や元帥を崇敬した秋山真之らの書簡、旗艦・『三笠』の模型など多数が展示されています。

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写真②:海軍将校らの遺品や旗艦・『三笠』の模型などが並ぶ〈宝物館〉の展示室
      =「東郷神社」で、07年2月15日撮影

 09年のNHK大河ドラマ『天地人』では、「義」がテーマとして注目されましたが、今年は『坂の上の雲』の放映で真之らの「志」が注目されそうです。『坂の上の雲』で脚光を浴びた津屋崎が観光目的の来訪地になるだけでなく、今の日本人に求められている「志」にも思いを寄せる機会の場となってほしいと思います。
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2010年1月30日/〈津屋崎の四季〉518・5羽いつまで滞在?

2010-01-30 10:35:36 | 風物
写真①:ヘラサギ(右端)を先頭に移動するクロツラヘラサギたち
     =福津市渡の「津屋崎干潟」で、2010年1月30日午前7時48分撮影

 福津市津屋崎渡の「津屋崎干潟」浅瀬で30日朝、冬鳥で同じトキ科のヘラサギ1羽とクロツラヘラサギ4羽が、連れ立って歩いていました=写真①=。一回り大きい右端のヘラサギ君が、「俺に付いて来い」とばかりに先頭を切り、リーダーシップを発揮しているように見え、面白いシーンです。

 干潟中央に移動すると、ヘラサギは翼の手入れタイムに入り、クロツラヘラサギ4羽はうたた寝を始めました=写真②=。

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写真②:翼の手入れを始めたヘラサギ(右端)とうたた寝中のクロツラヘラサギ4羽
     =「津屋崎干潟」で、30日午前7時51分撮影

 ヘラサギの動きはめまぐるしく、〝首回し体操〟をするような仕草もユーモラスです=写真③=。

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写真③:〝首回し体操〟をするような仕草がユーモラスなヘラサギ(右端)
     =「津屋崎干潟」で、30日午前7時51分撮影

 1月も、あと1日で終わり。この5羽の群れは、いつまで「津屋崎干潟」にいてくれるのでしょうか。
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2010年1月27日/〈津屋崎の四季〉517・霜の降りた朝

2010-01-27 09:28:47 | 風物
写真①:堰堤に佇んで朝日を浴びるイソシギ
     =福津市末広で、2010年1月27日午前8時53分撮影

 福津市津屋崎は27日朝、田畑に霜が降り、冷え込みました。

 末広の畑近くの農業用水路の堰堤では、イソシギ(シギ科)が朝日を浴びて気持ちよさそう=写真①=。時間がたつにつれて、辺りはしだいに暖かくなってゆきます。

 26日午後には的岡の畑で、モズ(モズ科)=写真②=が飛び回っているのを見かけました。野鳥たちも、近づく春に向けて元気が増してきた感じです。

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写真②:枯れ草の茎に止まったモズ
     =福津市的岡で、1月26日午後4時14分撮影
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2010年1月26日〈エッセー〉016:〈津屋崎千軒〉のまちなみの特徴

2010-01-26 16:33:40 | エッセー
写真①:〈津屋崎千軒〉の家並みの路地から見える海
     =2010年1月26日、福津市天神町で撮影

・連載エッセー『一木一草』

第16回:2010.01.26 

路地から海が見えるまちなみ

 〈津屋崎千軒〉のまちなみの特徴について、「路地から海が見えるようになっていますね」と、津屋崎の外に住む人から教えられ、思わずうなずいたことがあります=写真①=。この特徴を指摘されたのは、福津市企画政策課が市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」の建設前に、センターの基本計画を検討したいと08年に開催したワークショップの折、アシスタント役をつとめた席で話された㈱醇建築まちづくり研究所(福岡市)所長の牧敦司さんです。

 〈津屋崎千軒〉で江戸後期から戦前までに建てられた125軒の家(九州大学大学院芸術工学研究院・田上研究室発行『津屋崎千軒のマチとイエ』)の造りで目立つ特徴は、敷地の奥行きの長さのほか、隣の家とのすき間・「スアイ」=写真②=や、中庭=写真③=、土間の設置などが挙げられます。これらの特徴は、博多の町家と似か寄った点もありますが、「スアイ」の「路地から海が見えるようになっている」点が大きく異なります。まさに「海に拓けた港町」・〈津屋崎千軒〉を象徴する特徴と言えるでしょう。

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写真②:隣の家とのすき間・「スアイ」。家の壁は隣家との延焼を防ぐため、トタン張りが多い。
     =福津市古小路で、2007年6月7日撮影


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写真③:床の間の奥側にある町家の坪庭
     =福津市天神町の「上田製菓」で、2009年4月21日撮影

 〈津屋崎千軒〉のまちなみは、江戸後期から明治初期にかけて完成したとみられています。「津屋崎漁港」東側の北の一区・北の二区は漁師町として、その東の新町区は漁師町から後に商人町として、天神町は職人町、その北の岡の二区と岡の三区は農民の町として発達。昭和42年に県道「渡(わたり)・津屋崎線」(海岸通り)が建設されて、海岸沿いに住宅が建ち、平成13年の「しおさい通り」建設でまちなみは二分されました。

 また、〈津屋崎千軒〉の建物の高さでは、1階建て、2階建ての低層住宅がほとんどで、海岸沿いに3階建て以上の建物があります。建物の建設年代別では、明治から昭和初期に建てられた古い住宅が「しおさい通り」より西側の〈千軒通り〉沿いに多く見られます。

 さて、“A Quaint Town”という〈古風な趣のある町〉を印象づけているのは、何でしょう? それは、「しおさい通り」より西側の〈千軒通り〉沿いに残る町家の古風な魅力に加え、「海が見える路地」があるまちなみの造りが、住んでいる人、訪れる人にも開放感を与えてくれているからではないでしょうか。

 “A Quaint Town Tsuyazaki-Senngen”(古風な趣のある町 〈津屋崎千軒〉)
という〈まちなみ散策地図『津屋崎千軒そうつこう』英語・日本語併記版〉表面に載せたキャッチコピーが、歴史的なまちなみの良さをアピールできる名フレーズに思えてきました。
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2010年1月25日〈エッセー〉015:“A Quaint Town ”の仕様

2010-01-25 04:29:02 | エッセー
写真①:福津市沖町にある「麻生久彦邸」の卯建


連載エッセー『一木一草』

第15回:2010.01.25 

“A Quaint Town ”の仕様

 前回の本欄で、〈津屋崎千軒〉のまちなみの魅力を津屋崎の外に住む人たちから、“A Quaint Town ”(古風な趣のある町)というフレーズで教えられ、はっとなったことを紹介しました。きょうは、その“A Quaint Town ”の仕様を取り上げてみます。

〈津屋崎千軒〉
 江戸時代から廻船業と海上交易で栄えた港町で、商家が千軒も並ぶほどだとして〈津屋崎千軒〉と称されました。関ヶ原の戦い(1600年)の恩賞により、1602年に黒田長政公が筑前の領主となって博多に入り、津屋崎の港を交易港とします。以来、裕福な商人が生まれ、1743年に大規模な塩田で塩作りが始まり、港から船で塩を博多へ運び、帰り荷で衣類、金物などが津屋崎に陸揚げされ、大変賑いました――〈津屋崎千軒〉のまちなみは、こんな歴史に裏打ちされています。

〈卯建と鏝絵の残る路地〉
 〈津屋崎千軒〉のまちなみは、海岸に並行する町筋を軸に港から東西に市街が広がっています。江戸後期から明治に建てられた町家の妻壁には、裕福な家でないと建てられなかったという卯建(うだつ)が建つ元質屋「麻生久彦邸」=写真①=や、漆喰彫刻の芸術品とも言われる鏝絵(こてえ)の装飾=写真②=が施された「豊村酒造」(明治7年創業)などがあり、往時の繁栄や庶民の気風がうかがえます。

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写真②:福津市横町にある「豊村酒造」白壁の龍の鏝絵

〈塩木〉
 防虫、防腐のため、海水に数年間浸けた塩木(しおぎ)の材木で百年以上もつようにと建てられた「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」(明治34年建築の紺屋・旧上妻家住宅=国登録有形文化財)=写真③=や「豊村酒造」の建物は、〈津屋崎千軒〉を代表する町家です。

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写真③:福津市横町にある「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」

 このように“A Quaint Town Tsuyazaki-Senngen”(古風な趣のある町 〈津屋崎千軒〉)〈卯建と鏝絵の残る路地〉〈塩木〉という海に面した町らしい資材で建てた町家の古い造りなどが、独特の〈古風な魅力〉を醸し出す仕様となっていると思えるのです。

 都会の喧騒の中で暮らす方たちにお勧めします。「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が発行した〈まちなみ散策地図『津屋崎千軒そうつこう』英語・日本語併記版〉を手に、この“A Quaint Town”をそうついて(津屋崎弁で「散策して」の意味)みませんか。

 〈古風な趣のある町〉の仕様を一つずつ確かめて歩くうち、懐かしくもホッとした気持にさせられる癒しのプチ旅になるかもしれません。
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2010年1月24日〈エッセー〉014:〈津屋崎千軒〉のまちなみの魅力

2010-01-24 05:35:45 | エッセー
写真①:“A Quaint Town Tsuyazaki-Senngen”のキャッチコピーを載せた〈まちなみ散策地図『津屋崎千軒そうつこう』英語・日本語併記版〉の表紙


連載エッセー『一木一草』

第14回:2010.01.24
 
“A Quaint Town ”(古風な趣のある町)


 〈津屋崎千軒〉のまちなみの良さを津屋崎の外に住む人たちから教えられて、はっと気付かされることがあります。最近、目を見張らせられたのが、“A Quaint Town ”というフレーズです。

 (古風な趣のある町)の意味で、私が所属する「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が09年12月に2万部発行した〈まちなみ散策地図『津屋崎千軒そうつこう』英語・日本語併記版〉(A2判、表裏カラー、八つ折り)の表面にキャッチコピーとして載せました=写真①=。

 英訳をお願いした通訳案内士の女性お二人(福岡県福津市、宗像市在住)からいただいたアイディアです。〈津屋崎千軒〉の〈古風な魅力の秘密〉は、江戸後期から戦前までに建てられた125軒の家(九州大学大学院芸術工学研究院・田上研究室発行『津屋崎千軒のマチとイエ』)の造りの古さや、たくさんある小さな路地、都会とは違う青い空の色、潮の香匂う空気などが、人が住みたくなる佇まいを与えていることにあるようです。

 二つ目の〝気付き〟は、08年7月に津屋崎のカメリアホールで「海とまちなみの会」が開催した町興し講演会で体験しました。講師の西村幸夫・東京大学大学院教授(都市計画)が「『本町通り』は微妙に曲がっており、一本の道が閉じられて見えます。見える範囲が自分の町の広さに近く、人間の感覚では、ホッとします。道幅も町家との距離もヒューマンスケールで、人に優しく、落ち着きます」と話されたのを聴き、ウーンとうならされました。

 確かに、明治時代創業の荒物屋・旧「乙藤商店」前に立って東西を見ると、『本町通り』は微妙に曲がって見通せません=写真②=。

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写真②:福津市津屋崎北本町の旧「乙藤商店」前の『本町通り』(向こうが「津屋崎漁港」方面)

 「このような微妙な曲がり方を都市計画の学生に設計しろ、と言ってもこんな道はできないですよ、今の技術では」と、西村教授は指摘されました。車がある程度のスピードで走るのに便利な道路にするためなら、直線で設計するのが当世の常識でしょう。『本町通り』は、人間優先の感覚でできているわけです。

 人が歩く感覚でできた町、つまり〈身体感覚でできている町〉が、身近な所に残っている幸せ。健康のためにも、「歩いて暮らせる町づくり」が大事になってきた今、歴史的なまちなみの良さ、“A Quaint Town ” (古風な趣のある町)〈津屋崎千軒〉の魅力を誇りにし、後世に伝えたいと思いたくなります。
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2010年1月23日/〈津屋崎の四季〉516・5羽そろい踏み

2010-01-23 09:11:00 | 風物
写真①:クロツラヘラサギ4羽の前で餌を取るヘラサギ(手前)
     =福津市渡の「津屋崎干潟」で、2010年1月23日午前8時28分撮影

 福津市津屋崎渡の「津屋崎干潟」で23日朝、冬鳥で同じトキ科のクロツラヘラサギ4羽とヘラサギ1羽の〝そろい踏み〟ショットが撮影できました=写真①=

 22日朝、今年最多の4羽飛来したクロツラヘラサギ4羽と、ちょっと大きいヘラサギ1羽とが、この日、浅瀬で遭遇したシーン。もっとも、クロツラヘラサギ3羽は、朝食後のうたた寝タイムです。
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2010年1月22日/〈津屋崎の四季〉515・今年最多のクロツラヘラサギ4羽

2010-01-22 09:28:58 | 風物
写真①:採餌中のクロツラヘラサギ2羽
     =福津市渡の「津屋崎干潟」で、2010年1月22日午前8時36分撮影

 福津市津屋崎は22日朝、暖かな天気です。渡の「津屋崎干潟」では、冬鳥のクロツラヘラサギ(トキ科)=写真①=が今年最多の4羽飛来、ちょっと大きいヘラサギ(トキ科)1羽と餌取りに懸命です。

 クロツラヘラサギは09年11月21日朝、今季最多の7羽が「津屋崎干潟」に飛来。10年1月に入っては4日と20日に確認した3羽が最多でした。

 この日は、連れ立って採餌中の2羽と離れた「津屋崎干潟」西側の浅瀬で、別の1羽=写真②=が餌取りに忙しそう。

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写真②:浅瀬で餌取りに忙しそうなクロツラヘラサギ
     =「津屋崎干潟」で、22日午前8時37分撮影

 もう1羽は、さらに西側の浅瀬でこれまた採餌に夢中=写真③=。

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写真③:浅瀬で採餌に夢中の様子のクロツラヘラサギ
     =「津屋崎干潟」で、22日午前8時38分撮影

 「津屋崎干潟」東側の浅瀬では、20日にも見かけた冬鳥・ヘラサギ(トキ科)1羽=写真④=も朝食タイムで嘴を水中に差し込んでいました。

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写真④:嘴を水中に差し込んだヘラサギ
     =「津屋崎干潟」で、22日午前8時34分撮影
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