吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2009年2月28日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉075

2009-02-28 04:23:36 | 行楽催事
写真①:満開になった「寒緋桜」
     =福津市宮司元町の宮地嶽神社で、2009年2月27日午前8時31分撮影

〈1月・2月の行楽・催事案内〉追加5

きょう28日、春季大祭(ぜんざい祭)
宮地嶽神社奥之宮・「不動神社」で〝ご開門〟も
「寒緋桜」も満開です

 2月も、きょう28日で終わり。福津市宮司元町の「宮地嶽神社」奥之宮八社の三番参拝社・「不動神社」では、春季大祭(ぜんざい祭)があり、多くの参拝客で賑わいそうです。

 春季大祭は、「ぜんざい」をお不動様にお供えし、無病息災・心願成就などの願い事を〝身代わり不動尊〟に祈念する明治時代から始まったお祭り。当時は、地域で収穫したサトウキビや、もち米等から餅や饅頭を作ってお不動様に供え、その砂糖を使って作ったぜんざいを参拝客に振る舞ったのが始まりという。

 きょうは、午前10時から午後3時まで、神社社務所前に用意されたテーブルで、小さな餅が二つ入ったぜんざいの無料接待が行われる予定。

 「不動神社」は、全国第一級の長さ23㍍の横穴式石室古墳・「宮地嶽古墳」(国指定史跡)の中に不動尊が祀られており、きょうは午前10時から午後3時まで石室内へ入れる〝ご開門〟もあります。

 宮地嶽神社境内では、神社拝殿前にある「寒緋桜」も満開です=写真①=。「桜を観て、〝ご開門〟、ぜんざいコース」の行楽もよいのでは――。

 宮地嶽神社(福岡県福津市宮司元町):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕JR鹿児島線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きか、神湊波止場行きで10分の「宮地岳宮前」で下車し、徒歩5分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約20分。無料駐車場は、乗用車1200台収容。問い合わせは、宮地嶽神社(0940-52-0016)へ。

不動神社
       「不動神社」位置図
       (ピンが立っている所)
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2009年2月27日/〈津屋崎の四季〉395・ツクシ顔出す

2009-02-27 01:59:57 | 風物
写真①:空き地の土手に顔を出したツクシ
     =福津市津屋崎2丁目で、2009年2月26日午後5時37分撮影

 福津市津屋崎でも、ツクシことスギナ(トクサ科)が顔を出しています=写真①=。

 2月26日午後、津屋崎2丁目の住宅地を細君と愛犬を連れて散歩中、道路沿いの空き地の土手にたくさんのツクシが並んでいるのに気づきました=写真②=。

 07年に最初にツクシを見つけたのは、3月1日朝の在自の田んぼ道でした。やはり、細君と愛犬連れの散歩の途中。08年のツクシ採りの記憶はありませんが、温暖化でツクシが顔を出すのも年々早まるのでしょうか。


写真②:土手の斜面に並び立つツクシ
     =福津市津屋崎2丁目で、26日午後5時37分撮影
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2009年2月26日/〈日記〉334・「セレンディハウス」完成

2009-02-26 19:44:49 | 日記
写真①:メディアセレンディの社屋・「セレンディハウス」
     =福津市津屋崎1丁目で、2009年2月26日午前11時55分撮影

津屋崎松原の一角に
メディアセレンディの社屋完成
~2階建ての「セレンディハウス」~

 インターネット動画放送の株式会社「メディアセレンディ」(三明良=みあけ・りょう=社長)の社屋、「セレンディハウス」=写真①=が2月、福津市津屋崎1丁目に完成しました。

 社屋は、国道495号線の「夕陽館入口」と表示のある交差点から「津屋崎海水浴場」方向へ曲がって、すぐ北側の松林の一角にある旧津屋崎乗馬クラブの馬場跡地約1,200平方㍍に建設。木造2階建て延べ約200平方㍍で、事務所や収録スタジオ、リビング、宿泊室などを収容。

 同社が08年11月に開設したインターネット動画放送サイト『福津つれづれ~スローライフのススメ~』では、「地域とそこに暮らす人にスポットをあてた動画放映サイトです。ここには忘れかけた大切なものが満ちあふれています」とのメッセージの通り、津屋崎をはじめ福津市内で農業や津屋崎人形などの特産民芸品造りといった様々な人たちをインタビューして紹介しています。

 津屋崎のことなら、この動画放送サイトをご覧いただけたら大体のことが分かる情報が日毎に蓄積されているようです。三明社長は「国道側から社屋への正式な入り口がまだ工事中ですが、気軽に遊びに来てください」と話しています。社屋完成で、友田利華・エグゼクティブプロデューサーと、取材に拍車がかかりそうです。


「株式会社メディアセレンディ」:福津市津屋崎1丁目32番16号。℡0940-52-5697。

メディアセレンディ
  「株式会社メディアセレンディ」の位置図
       (ピンが立っている所)
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2009年2月26日/〈津屋崎の四季〉394・アンズの花が咲きましたよ

2009-02-26 09:36:53 | 風物
写真①:庭先に咲いた一輪のアンズの花
     =福津市津屋崎2丁目で、2009年2月26日午前9時01分撮影

 福津市津屋崎は26日、早朝からヒバリ(ヒバリ科)の鳴き声が田んぼの上空から耳元に響いてきました。

 揚げ雲雀も、ぐんと暖かくなった天気に気をよくしているのでしょう。津屋崎2丁目にある住宅では、庭先のアンズ(バラ科)がピンクの花を開いていました=写真①=。

 まだ一輪ですが、枝先のあちこちで蕾が膨らんでいます=写真②=。2月も、あと二日。季節は、確実に移ろっています。


写真②:枝先で咲いたアンズの一輪の花と膨らむ蕾
     =福津市津屋崎2丁目で、26日午前9時02分撮影
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2009年2月25日/〈日記〉333・町家解体また一つ

2009-02-25 10:05:27 | 日記
写真①:解体された永島健彦さん宅
     =福津市津屋崎天神町で、2009年2月22日午前9時05分撮影

 福津市津屋崎天神町にある永島健彦さん(86)宅=写真①=が、老朽化のため2月24日までに解体されました。

 永島さん宅は、「津屋崎人形巧房」から東へ2軒目の町家。永島さんによると、昭和元年(1926年)か3年ごろまでに建築した木造瓦葺平屋ですが、当初2階建てにする計画だったのを断念し、中2階風の造り。裏庭の津屋崎海岸側に自宅新築後は、芹野化粧品店に一時貸していたという。

 永島さん宅には、博多中土居町「文明堂」の宣伝チラシなどが貼られた古い陳列ケース=写真②=もあり、廃棄する予定と聞き、私の所属する町興し団体「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の備品にいただきました。


写真②:博多中土居町「文明堂」の宣伝チラシなどが貼られた陳列ケース
     =永島健彦さん宅で、22日午前9時17分撮影

 このほか、永島さんは昭和天皇の即位の儀礼・御大典が行われたのを奉祝する「御大典祈念 昭和三年十一月」と記された紺色の幔幕=写真③=も「海とまちなみの会」に下さいました。御大典は、昭和3年(1928年)11月10日に京都御所で行われており、全国各地で一般市民の提灯行列や民家に幔幕を張り巡らし、日の丸を掲げて祝ったという。


写真③:「御大典祈念 昭和三年十一月」と記された紺色の幔幕
     =永島健彦さん宅で、22日午前9時49分撮影
  
  この幔幕は横に長く、写真③の部分の左側は写真④のようになっており、永島さんは「天神町では、御大典祈念の幕を各家に張って祝った」と話しておられます。


写真④:「御大典祈念」の幔幕の前に立つ永島さん
     =福津市津屋崎天神町で、22日午前9時50分撮影

 それにしても、〈津屋崎千軒〉では老朽化した町家の解体が相次いでいます。本町の「さくら動物病院」裏側にあった築約百年の重厚な二階建ての元荒物屋・「高山邸」が、シロアリ被害と老朽化のため08年4月に取り壊されたのに続き、沖町にあった江戸の風情を見せる土壁漆喰塗りの二階建ての元米屋・「河崎邸」が同年10月4日に解体されました。

 町家の再生、利用を図ろうと、「海とまちなみの会」の会員有志が町家を補修しての入居者探しを目指すNPO法人をこのほど設立、空き町家の入居希望者への情報提供の試みを始めており、4月には具体化させたいと準備を進めています。町家解体のスピードが速まる前に、軌道に乗せてほしいところです。
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2009年2月24日/〈日記〉332・福津市まちおこしセンター会議

2009-02-24 21:12:37 | 日記
写真①:建設工事が進む「福津市まちおこしセンター」南側外観
     =福津市屋崎天神町のJAむなかた津屋崎支店跡地で、2009年2月24日午前9時12分撮影

福津市まちおこしセンターの愛称
「津屋崎千軒なごみ」に決まる
――市が運営会議ワークショップで公表

 「福津市まちおこしセンターに係る運営会議」が24日夜、市文化会館で開かれました。市は津屋崎天神町のJAむなかた津屋崎支店跡地に建設中の「まちおこしセンター」=写真①=が3月10日に完成、7月1日にオープンを目指し、公募していたセンターの愛称を応募作品120点の中から市民2人が提案した「津屋崎千軒なごみ」に決めたことを明らかにしました。

 会議は、センターの運営方法に関して意見を求めるため開いたもので、昨年度に策定した同センター基本計画で意見を交わした私を含む関係者(検討委員)のほか、新たに市文化協会、津屋崎管理区長らを加えた計19人が出席。市側は、センター=写真②=の開館時間を午前9時ー午後8時、非常勤の嘱託職員を週3日ずつ交代勤務させ、周囲の店舗の休みに合わせ火曜日を定休とすると説明、個人、団体の利用は原則有料で3月市議会に設置条例を上程する、としました。


写真②:「福津市まちおこしセンター」の西側外観
     =福津市津屋崎天神町で、24日午前9時13分撮影

 このあと、「こう使おう! H21まちおこしセンターの活用」のテーマで、第1回ワークショップを行い、3班に分かれて活用のアイディア出しと具体的な活用計画について意見を交換しました。観光客に対応するためには、休日のスタッフをボランティアで確保すべきではないか、販売コーナーで何を売るのか、観光案内コーナーの対応者をどうするのか、展示コーナーや体験コーナーでの催事などについて論議しました。

 第2回ワークショップは、3月18日午後2時から完成した同センターで行い、観光案内コーナーや展示コーナーなどをどう使うかについて意見交換の予定。



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2009年2月24日/〈津屋崎の四季〉393・クロツラヘラサギ3羽上陸

2009-02-24 14:48:24 | 風物
写真①:土手に舞い降りた3羽のクロツラヘラサギ
     =福津市末広で、2009年2月24日午前9時24分撮影

 福津市津屋崎は24日、ぐっと暖かくなりました。花粉症の身にはつらいところですが、寒がりの向きには嬉しく、痛しかゆしの天気です。

 津屋崎干潟近くの末広の土手には、絶滅危惧種の冬鳥・クロツラヘラサギ(トキ科)3羽が舞い降り、休憩しています=写真①=。

 干潟での朝食も済み、ときおり翼に嘴を差し込んで〝春眠〟も楽しんでいるようです=写真②=。


写真②:翼に嘴を差し込んで〝春眠〟中の3羽のクロツラヘラサギ
     =福津市末広で、24日午前9時25分撮影
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2009年2月23日/〈日記〉331・『植物さんの緑の瞳』

2009-02-23 17:23:42 | 日記
写真①:麦野裕さんの著書、『植物さんの緑の瞳』
    =福津市津屋崎で、2009年2月22日撮影

 福津市津屋崎門前の〈しおさい通り〉東側にある卯建(うだつ)の建つ町家・「麦野邸」(木造瓦葺き2階)の所有者の麦野裕(ゆたか)さん(千葉県在住)から、著書『植物さんの緑の瞳』(186㌻)=写真①=が、拙宅に贈られてきました。

 裕さんの祖父は、麦野時雄・第12代津屋崎町長。昭和22年(1947年)から同町が勝浦村と合併して新津屋崎町になった同30年(1955年)まで在任、同26年(1951年)の西鉄宮地岳線津屋崎延長や、同30年(1955年)の福岡県立水産高校誘致、同31年(1956年)の津屋崎の玄海国定公園指定に貢献されました。

 裕さんは、岡山大学理学部卒後、神戸大学理学修士物理化学専攻で元出光興産・研究所に勤務し、現在は千葉の自然に親しむ会会員、環境省認定環境カウンセラー、財団法人日本自然保護協会の自然観察指導員をされています。

 12冊目の著書という『植物さんの緑の瞳』は、1-5章で構成。著書名と同じタイトルの第3章の「その土地に『あるもの』」と題したエッセイでは、〈郷里の津屋崎を歩いていても、そこには昔と何ら変わらない何かが「ある」という確信に似たものが湧いてきます〉〈見えないけれど「ある」のです。抽象的ですが、その土地に存在している「気」のようなものかもしれません〉と書かれています。

 確かに、同感できます。古里・津屋崎には「癒しの気」や「義の心」があるように思いますね。

 第5章「お世話になった人々」に収められた「津屋崎の砂」では、子供のころ(1950年)の思い出に触れ、〈恋の浦の砂浜は、夢のようであった。歩くとポコポコと音がする、鳴り砂の浜でした。鳴り砂は荒海で細かくなった砂が、綺麗な海水で洗われないとできない、究極のピュアな物です〉と記されています。

 そして、〈物質的には恵まれていなかったかもしれないが、なんと贅沢な豪華な自然の衣装に包まれていたことか〉〈綺麗な砂は、津屋崎が貴婦人であった頃の彼女の衣装だった。ベラミ〉〈今も砂浜はありますが、何か津屋崎の砂浜ではないような気がします〉

 ウーン、考えさせられますね。

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2009年2月22日/〈日記〉330・飯塚市にも鏝絵の町家

2009-02-22 04:51:14 | 日記

写真①:白壁に鏝絵のある木造2階建て町家
     =飯塚市幸袋で、2009年2月21日午後3時58分撮影

 2月21日、福岡県飯塚市立岩の「麻生大浦荘」を観た帰り路で、同市幸袋にある「旧伊藤伝右衛門邸」の近くで白壁に鏝絵のある木造2階建て町家=写真①=を見かけました。

 鏝絵は、町家正面の2階白壁に大きく描かれています=写真②=。


写真②:町家正面の2階白壁に大きく描かれた鏝絵
     =飯塚市幸袋で、21日午後3時58分撮影

 2階白壁の中央に、二つある窓の間に描かれている鏝絵は、富士山=写真③=です。


写真③:二つある窓の間に描かれている富士山の鏝絵
     =飯塚市幸袋で、21日午後3時58分撮影

 2階白壁の右端には、イノシシが駆ける姿を描いた鏝絵=写真④=があります。


写真④:2階白壁右端に描かれたイノシシの鏝絵
     =飯塚市幸袋で、21日午後3時58分撮影

 2階白壁の左端には、弓と矢を持った武士の鏝絵=写真⑤=が描かれていました。ということは、三つの鏝絵によって富士山でイノシシ狩りをする武士の勇姿を表現したのでしょうか。


写真⑤:2階白壁の左端にある弓と矢を持った武士の鏝絵
     =飯塚市幸袋で、21日午後3時58分撮影

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2009年2月21日/〈日記〉329・麻生大浦荘

2009-02-21 22:27:06 | 日記

写真①:「麻生大浦荘」の豪華な屋敷門
     =飯塚市立岩で、2009年2月21日午後3時58分撮影

 久しぶりに天気に恵まれた21日、細君のフルート教室発表会が福岡県飯塚市であったのを傍聴に行った帰りに、「第九回筑前いいづか雛(ひいな)のまつり」で3月3日まで無料で特別公開中の同市立岩の「麻生大浦荘」=写真①=を観てきました。

 「麻生大浦荘」は、大浦地区に建てられた麻生一族の個人住宅で、木造2階建て約792平方㍍の和風入り母屋書院造りの邸宅=写真②=。大正末期か昭和初年の建築と推測され、柱はすべて四面に柾目のある「四方柾(しほうまさ)」が使われ、廊下に畳を敷き詰めるなど豪華です。現在は麻生グループのクラブとして利用されています。


写真②:芝生の張られた庭園から見た「麻生大浦荘」
     =飯塚市立岩で、21日午後3時33分撮影

 重厚な玄関=写真③=を入ってすぐ右側に、「旧伊藤伝右衛門邸」の造りと同じような洋広間がありました。


写真③:入場客でにぎわう玄関
     =「麻生大浦荘」で、21日午後3時34分撮影

 座敷の欄間=写真④=にも、精巧な細工がうかがえます。


写真④:精巧な細工がうかがえる座敷の欄間
     =「麻生大浦荘」で、21日午後3時20分撮影

 玄関前の車寄せには、ヤマモモとキンモクセイ、ギンモクセイの3本の木を寄せた「寄せ木」=写真⑤=があるのが、面白く感じました。こんもりとした「寄せ木」があるのが麻生系住宅の特徴という。


写真⑤:玄関前の車寄せにあるこんもりとした「寄せ木」
     =「麻生大浦荘」で、21日午後3時36分撮影


「麻生大浦荘」=飯塚市立岩1060◆交通アクセス:[JR]福北ゆたか線「新飯塚駅」下車、徒歩10分。[駐車場]徒歩5分の近くに飯塚市歴史資料館の無料駐車場あり。問い合わせは、飯塚観光協会(℡0948-22-3511)へ。

麻生大浦荘
        「麻生大浦荘」位置図
        (ピンが立っている所)

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