吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2018年2月10日/〈田川・町歩き〉004・「いいかねPalette」

2018-02-10 09:02:44 | 田川・町歩き

 

写真①:平成29年度会員交流会&「体験体感ツアー」研修会が開かれた雪景色の「いいかねPalette」

    =福岡県猪国2559の旧猪井金小校舎跡で、2018年2月7日午前10時30分撮影

 〈田川・町歩きスポット〉 4

 「いいかねPalette(パレット)」

  福岡県筑豊地域のまちづくり・景観づくり活動を学ぶ平成29年度会員交流会&「体験体感ツアー」(参加無料)が2月7日、積雪に見舞われた田川市で開催されました。「福岡県美しいまちづくり協議会」の主催で、県内各地のまちづくり団体や市町村の都市計画担当職員とともに協議会加盟の福津市の「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の一員として私も参加しました。

 「体験体感ツアー」は、「地域の景観をつくる・活かす・アピールする」をテーマに毎年開催。この日は、午前10時30分から田川市猪国の2014年廃校になった旧猪井金小校舎跡利用の宿泊・音楽等の交流施設「いいかねPalette」(市設置で株式会社BOOK運営)=写真①=で研修会が行われました。田川市の都市計画やたがわフィルムコミッション事務局(田川市建設経済部たがわ魅⼒向上課内)の「ロケ誘致によるまちづくり~フィルムコミッション事業~」の活動報告を聴講したあと、「いいかねPalette」の事業説明と施設案内をいただきました。

  「いいかねPalette」は2017年、市の委託を受けた株式会社BOOKが旧猪井金小校舎跡利用施設として地方創生交付金で校舎を整備、「なんでもできる世界をつくる」ことをコンセプトに開業。校舎1階に読書や勉強、仕事のシェアオフィスとして活用できる「シャアライブラリー」と、「レコーディングスタジオ」=写真②=や音楽編集ができる「ミュージックラボ」、外国人観光客も含め10人が宿泊(料金3,300円)できる「ドミトリー」=写真③=が設けられています。

  

写真②:校舎1階に設けられている「レコーディングスタジオ」

  

写真③:10人が宿泊できる「ドミトリー」

  校舎2階には、以前の教室を会議やワークショップ、アトリエ、子供の遊戯室=写真④=など多目的に利用できる「自由教室」が設けられていました。

 

写真④:以前の教室に滑り台を置いた子供の遊戯室

 校舎1階玄関前には、地場産のイノシシ肉を使ったハンバーガー「猪国(いのくに)バーガー」(フライドポテト付き980円)=写真⑤=の販売車もあります。「株式会社BOOK」は2016年4月、田川高校同級生で30代の樋口聖典(九州大学大学院芸術工学府終了)、大井忠賢(同大学院経済学府終了)共同代表が地方創生を目的に創立。この日、「いいかねPalette」の事業を「地元の若者による田川の廃校まちづくり計画」として説明された青柳考哉・同社プロジェクトマネージャーも田川高卒業生で「株式会社BOOKは、どこでも、なんでも、だれでもできる世界をつくるをテーマに、ドラえもん的世界観で事業運営しています。『ドミトリー』は田川市に宿泊場所が少ないので設けました。都会からUターンした若者など社員年齢の若い会社ですが、創立以来退社した人はいません」と笑顔で話し、『猪国バーガー』を販売する車の外装装飾は女性スタッフの手づくりデザインという。

 

写真⑤:廊下の壁に貼られた「猪国バーガー」販売のポスター

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2011年7月31日/〈田川・町歩き〉003・炭坑節発祥の地

2011-07-31 09:37:34 | 田川・町歩き

 

写真①:平成16年に建てられた「炭坑節発祥の地」の記念碑 

   =福岡県田川市伊田の「石炭記念公園」で、2011年7月29日撮影 

 

 田川・町歩きスポット〉 3 

 

炭坑節発祥の地 

 

福岡県田川市は、「炭坑節のふるさと」を全国にアピールしています。市内伊田の「田川市石炭・歴史博物館」がある「石炭記念公園」には平成16年、麻生渡・県知事(当時)の揮毫による「炭坑節発祥の地」の記念碑=写真①=が建てられています。明治43年、伊田尋常高等小学校の教員だった小野芳香(よしか)が、「伊田場打選炭唄」の一部を改曲して節を付け、「炭坑節」として世に出しました。筑豊・川崎町出身の芸者歌手赤坂小梅が戦後、日本コロムビアからレコードを出して大流行、NHKの紅白歌合戦でも歌い、全国区の民謡となりました。 

 

「月が出た出た 月が出た」でおなじみの歌詞を刻んだ「炭坑節之碑」=写真②=も、「石炭記念公園」にあります。地元の有志が、昭和42年に田川市中央町1の市役所敷地に建てていた詩碑を移設したものです。

 

 

 

写真②:「石炭記念公園」に移設された「炭坑節之碑」 

 

「田川市石炭・歴史博物館」1階の玄関ロビーには、炭坑節の踊りの振り付けを描いたイラストが掲示されていました=写真③=。

 

 

写真③:炭坑節の踊りの振り付けを描いたイラスト

     =「田川市石炭・歴史博物館」1階の玄関ロビーで撮影

 

日本の代表的民謡・「炭坑節」の歌詞で「あんまり煙突が高いので、さぞやお月さんけむたかろう」と歌われた煙突が、「石炭記念公園」にそびえています。明治41年(1908年)に築造された旧三井田川鉱業所伊田竪坑の第一・第二煙突(通称・二本煙突)=写真④=。国登録文化財で、経済産業省認定近代化産業遺産です。伊田竪坑の開設時に、捲揚機と付属設備の動力に使われた蒸気機関の排煙用に築造された丸形の大煙突(高さ45.4㍍)で、耐火煉瓦製。現存する明治期のものとしては国内最大級という。筑豊の石炭産業に竪坑時代を画した伊田竪坑の一部で、筑豊炭田のシンボルです。

 

 

 

写真④:筑豊炭田のシンボル・〝二本煙突〟

     =「石炭記念公園」で撮影

 

 

旧三井田川鉱業所伊田竪坑の櫓(国登録文化財、経済産業省認定近代化産業遺産)=写真⑤=も、「石炭記念公園」にあります。地下深部の石炭を採掘する竪坑の捲揚機で、イギリス製のバックステイ形。高さ28.4㍍の鉄骨造りです。明治43年(1910年)に完成しました。筑豊に残る唯一の竪坑関係遺跡です。

 

 

 

写真⑤:旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓

     =「石炭記念公園」で撮影

 

 「田川市石炭・歴史博物館」裏の屋外展示場には、筑豊地区で石炭などを運ぶ国産貨物列車牽引用に使われていた蒸気機関車(9600形、愛称キューロク)も展示されています=写真⑥=

 

 

 

写真⑥:「田川市石炭・歴史博物館」の屋外に展示されたSL

 

「田川市石炭・歴史博物館」2階のバルコニーで、田川市伊田町()亀屋延永の「羊羹黒ダイヤ」 =写真⑦=が販売されており、お土産に購入。しっかりした甘味が舌先に残り、美味しい羊羹でした。“ 黒いダイヤ”とは石炭のことで、筑豊地区が石炭産業華やかりし、昭和25年から販売されているロングセラーの逸品という。

 

 

写真⑦:()亀屋延永の「羊羹 黒ダイヤ」(黒色の菓子)

 

明治33年に旧三井田川鉱業所が設立され、炭鉱=写真⑧=のまちとして大きく発展した田川。大正6年には全国の出炭量2,290万㌧のうち筑豊炭田が約50%の1,148万㌧を産出しましたが、昭和30年代には石炭産業にかげりが見え始め、戦後の復興期まで日本経済を支えた石炭はエネルギー革命で石油にその座を奪われ、同鉱業所も昭和39年に閉山しました。

 

 

写真⑧:「石炭記念公園」に立つ「炭坑夫之像」

 

現在の田川市の人口は、約5万1千人。「田川市石炭・歴史博物館」に所蔵されている「山本作兵衛炭坑記録画」(福岡県有形民俗文化財指定の墨画306点、水彩画278点)が、ユネスコの世界記憶遺産に登録が決まり、歴史・炭坑観光で浮揚のビッグ・チャンスを迎えたといえるでしょう。お土産品や、お食事処、観光スポット、ガイドの紹介など案内情報の整備・充実が求められます。   (おわり)

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2011年7月30日/〈田川・町歩き〉002・山本作兵衛66歳からの偉業

2011-07-30 09:29:48 | 田川・町歩き

 

 

写真①:田川市石炭・歴史博物館が発行した『炭鉱の語り部 山本作兵衛の世界』の裏表紙 

 

 〈田川・町歩きスポット〉 2 

 

山本作兵衛66歳からの偉業

 

 

福岡県飯塚市出身の絵師山本作兵衛は、明治25年(1892年)生まれ。昭和59年(1984年)に92歳で死去。日本で初めて国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の「世界記憶遺産」に登録されることになった彼の描いた筑豊炭田の記録画など697点は、主として66歳から71歳までの6年間に精力的な作業で残されました。

 

田川市伊田の「田川市石炭・歴史博物館」が、開館25周年記念の特別企画で平成20年に発行した『炭鉱(ヤマ)の語り部 山本作兵衛の世界』(144㌻)=写真①=には、作兵衛の卓越した記憶と絵心が凝集・結晶された筑豊炭田の記録画が収録されています。

 

作兵衛は、14歳から筑豊各地の炭鉱で働き、明治末から戦後にかけての炭鉱労働者の生活の様子を千点以上の水彩画に描写。炭鉱労働に従事した本人が描いた感動を与える絵画は例がない、と高い評価を受け、「世界記憶遺産」への登録が決まりました。「田川市石炭・歴史博物館」=写真②=には、作兵衛の記録画をひと目見ようという観覧者が増えています。

 

 

 

写真②:「田川市石炭・歴史博物館」1階の展示室入り口

  =田川市伊田で、2011年7月29日撮影

 

作兵衛の記録画には、「ガス爆発」や「ヤマの水害」など死と隣り合わせの災害に遭いかねない坑内で、はいつくばって石炭を掘る「寝掘り」などの様子が、精細に描かれています。炭鉱夫(婦)らの過酷な労働と多くの犠牲の上で、産業エネルギーとしての石炭が大量に発掘されて日本の近代化が支えられ、伊藤伝右衛門ら〝筑豊の炭鉱王〟ら炭鉱主の富も蓄えられたことがうかがえました。それにしても、坑内の作業を終えて男女混浴の共同風呂で、炭塵と汗まみれの体を洗う労働者たちの環境の劣悪なこと。労働者の搾取により、資本家の富が蓄積されていく過程が、膝の上に重い砂袋を載せてのリンチや日本刀を抜き合ってのヤマの男のけんかの場面などリアルな絵と添え書きの文で理解できます。

 

「田川市石炭・歴史博物館」の裏手の敷地にある「産業ふれあい館」(復元炭鉱住宅)=写真③=では、明治・大正・昭和期の炭住の間取りを再現してあります=写真④=。

 

 

写真③:「産業ふれあい館」(復元炭鉱住宅)

      =「田川市石炭・歴史博物館」裏手の敷地で撮影

 

 私が小学生だった昭和20年代には、夏になると筑豊の炭鉱会社員たちが大型の貸切バスを何十台も連ねて津屋崎の海水浴場に来ていました。津屋崎海岸や渡半島には、筑豊の炭鉱会社の海の家や炭鉱主の別荘があり、伊藤伝右衛門が曽根の鼻の海辺に築いた『活洲場跡』や伝右衛門のお抱え運転手の家もあったことから、筑豊の炭鉱と作兵衛の筑豊炭田の記録画には親近感を覚えました。

 

 

写真④:明治・大正・昭和期の間取りを再現した炭住の部屋

      =「産業ふれあい館」(復元炭鉱住宅)で撮影

 

 明治・大正・昭和の筑豊炭田に約50年間、坑夫として生きた作兵衛が、66歳にして初めて絵筆を握り、筑豊炭田の記録画を残そうとしたのは、子や孫に「ヤマの生活やヤマの作業や人情を書き残しておこうと思い立った」からでした。私が61歳で吉村青春第一詩集・『鵲声――津屋崎センゲン――』(A6判、175㌻。新風社文庫)を出版、66歳で津屋崎の郷土史と自然のガイド本・『津屋崎学』(B5判カラー、314㌻。イースト株式会社および欧文印刷株式会社)を発行したのも、行政合併で津屋崎町の名がなくなり、古き良き時代の古里・津屋崎町の風物や人情を書物に書き残し、子や孫に津屋崎の素晴らしさを知って誇りにしてほしいとの想いがあったからです。

 

 遺族の方の話によると、作兵衛は絵を描く時は人を寄せ付けないほどの気迫で、声を掛けるのもはばかれたといい、1枚も書き損じた作品を見たことがないという。本当に想いが実現するかどうかは、その感じ方が十分かどうかにかかっていると思います。辺境の地で、世界に通じる偉業を成し遂げた作兵衛の作品の所蔵地・田川を、今後も訪れたくなりそうです。

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「田川市石炭・歴史博物館」位置図

 

 

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2011年7月29日/〈田川・町歩き〉001・世界記憶遺産・山本作兵衛の世界

2011-07-29 21:27:25 | 田川・町歩き


写真①:田川市石炭・歴史博物館が発行した『炭鉱の語り部 山本作兵衛の世界』の表紙


 きょう7月29日から、福岡県田川市の〈田川方・町歩きスポット〉シリーズを掲載します。29日、同市伊田の「田川市石炭・歴史博物館」を初めて訪れ、筑豊炭田の記録画=写真①=など697点が日本で初めてユネスコの「世界記憶遺産」に登録されることになった同県飯塚市出身の絵師山本作兵衛(1892~1984年)のコレクションを観賞、いま注目の「山本作兵衛の世界」の一端を紹介します。

〈田川・町歩きスポット〉 1

:世界記憶遺産・山本作兵衛の世界

 福津市津屋崎の拙宅からマイカーで約1時間20分、JR日田彦山線田川伊田駅の近くに「田川市石炭・歴史博物館」=写真②=はありました。


写真②:「田川市石炭・歴史博物館」の玄関
     =田川市伊田で、2011年7月29日午後0時5分撮影

 「田川市石炭・歴史博物館」正面のガラス窓中央には、「日本初 山本作兵衛氏 炭鉱記録画・記録文書 ユネスコ『世界記憶遺産』 田川市・福岡県立大学」と書いた懸垂幕が掲示されています=写真③=。


写真③:「日本初 山本作兵衛氏 炭鉱記録画・記録文書 ユネスコ『世界記憶遺産』 田川市・福岡県立大学」と書かれた懸垂幕
     =「田川市石炭・歴史博物館」正面で撮影

 玄関から「田川市石炭・歴史博物館」1階に入ると、入場券売り場の左側に「祝世界遺産登録 ユネスコ(世界記憶遺産) ~山本作兵衛コレクション~ 田川市・福岡県立大学」と書かれた立看板=写真④=が掲示されていました。


写真④:「祝世界遺産登録 ユネスコ(世界記憶遺産) ~山本作兵衛コレクション~ 田川市 福岡県立大学」と書かれた立看板
     =「田川市石炭・歴史博物館」1階で撮影

 窓口で観覧料210円を支払って大人の入場券を求め、2階に設けられた山本作兵衛炭鉱記録画の展示会場=写真⑤=へ入場しました。実物の記録画4点や複写写真パネルを含む計約40点の作品が展示されています。残念ながら会場内は撮影禁止のため写真を紹介できないので、田川市石炭・歴史博物館が発行した『炭鉱の語り部 山本作兵衛の世界』を同館で買いました。平日にもかかわらず、多くの観覧者が地底で命を賭して働く炭鉱労働者の姿を生々しく描いた作兵衛の水彩画や墨絵を食い入るように観ていました。


写真⑤:山本作兵衛炭鉱記録画の展示会場入り口
     =「田川市石炭・歴史博物館」2階で撮影


「田川市石炭・歴史博物館」(田川市伊田2734番地1。℡0947-44-5745):開館時間は、午前9時30分~午後5時30分(入館は午後5時まで)。休館日は、月曜日(毎月第3日曜日の翌日を除く)及び第3日曜日。国民の祝日及び休日の翌日(翌日が日曜日または休館日にあたるときはその翌々日)。年末年始(12月29日―1月3日)。観覧料は大人210円、高校生100円、小・中学生50円◆交通アクセス=〔電車で〕 JR日田彦山線「田川伊田駅」下車、徒歩10分。

「田川市石炭・歴史博物館」位置図

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