写真①:JR臼杵駅を出た中津駅行き上り列車を見る参加者たち
=大分県臼杵市で、2022年10月28日午後2時10分撮影
「城下町と鉄路巡り∔プチ里山コース」のフットパス・リポート②
大分県臼杵市で武家屋敷長屋門や稲葉氏の菩提寺などを巡りました
大分県臼杵市で開かれた全国フットパスの集いin臼杵に参加した10月28日、私が申し込んだ「城下町と鉄路巡り∔プチ里山コース」のフットパスで、JR日豊本線臼杵駅前をスタート直後の午後2時10分、同駅から中津駅行き上り列車が私たちの方向きに線路を走って来ました。動きのある鉄路シーンのシャッターチャンスと、カメラに収録=写真①=。
午後2時45分に訪れたのは、旧臼杵藩時代に禄高2百石で馬廻役を務めた上級武家・旧安野家の長屋門=写真②=です。この門の南側には、城下の防衛線を担う堀が掘られていたという。
写真②:臼杵藩馬廻役・旧安野家の長屋門を見る参加者たち
=午後2時45分撮影
次に案内されたのは、臼杵市二王座の「月桂寺」=写真③=です。境内に立つ案内板によると、江戸時代初期の慶長13年(1608年)開山で、臼杵藩藩祖の稲葉良通開基、2代藩主稲葉典通創建の臨済宗妙心寺派寺院。藩主・稲葉氏の菩提寺で、快川国師の火定袈裟が収蔵されているという。快川国師は甲斐国(現山梨県甲州市)の武田信玄の菩提寺「恵林寺」の住持で、織田信長の甲州攻めで信玄の子武田勝頼が自刃し、同寺は安土桃山時代の天正10年(1582年)に焼き討ちに遭い、快川も焼死しました。快川が火の中で唱えたという辞世の言葉「心頭滅却すれば火も自ずから涼し」は名言として有名。地元ガイドさんの説明では、この時に着けていた火定袈裟が「月桂寺」に収蔵されているとか。美濃(岐阜県)の城主だった稲葉典通が臼杵藩主2代目となって、持ち込まれたとの一説もあるそうですが、定かではありません。
写真③:臨済宗妙心寺派寺院の「月桂寺」
「月桂寺」の次に訪れた「善正寺」(臼杵市二王座)は、浄土真宗の寺院=写真④=で、慶長7年(1602年)創建です。
写真④:浄土真宗「善正寺」山門(左)と本堂
「善正寺」境内の本堂前に親鸞聖人御像と、その横と後ろに山門の屋根にあったという龍の瓦が置かれています=写真⓹=。
写真⓹:親鸞聖人御像(右)と、横に置かれた山門の屋根にあったという龍の瓦