写真①:歌舞伎の始祖・出雲阿国の像
=京都市東山区四条大和大路西入中之町で、2017年1月27日午後2時40分撮影
〈京都・町歩きスポット〉 13
:出雲阿国の像
2017年1月27日の京都旅行で、京都市伏見区にある「伏見稲荷大社」初参拝に先立ち、東山区四条大和大路西入中之町の「四条大橋」袂に建てられた出雲阿国の像=写真①=を見ました。京都の彫刻家山崎正義氏の作。左手に刀、右手に扇を持ち、男性用の陣羽織姿であでやかに舞うブロンズ像です。
銅像は、京都洛中ライオンズクラブが2003年11月、歌舞伎発祥400年を記念して寄贈。銅像わきに建てられた「出雲の阿国(おくに)」の見出し付きの解説掲示板によると、出雲の阿国は1603年(慶長8年)、この四条河原で先鋭的な伊達男風の扮装で「かぶきをどり」を披露、関ヶ原合戦後のすさんだ世に都人を驚かせ、絶大な喝采を浴びたという。
解説文では〈歌舞伎の元祖とおわれている阿国の出生は不詳ですが、出雲大社の巫女で一座を率いて勧進のため入洛、北野天満宮の能舞台で名声を得て各地を巡業しその人気が広まりました。江戸時代に入り、風紀を乱すと女歌舞伎禁止令が出て、男が女形を演じるようになり今日の歌舞伎に発展しました〉と説明。
さらに〈阿国は晩年出雲に帰り、尼僧となって生涯を終えたと伝えられ、その墓は島根県大社町と京都の大徳寺高桐院にも存在しますが、伝説の域を出ません〉としています。
像の台座には〈かぶき踊の祖出雲の阿国 都に来たりて、その踊りを披露し都人を酔わせ る〉と阿国の踊りが京都の民衆を魅了して止まなかったことが刻まれていました=写真②=。
写真②:〈都に来たりて、その踊りを披露し都人を酔わせる〉と刻まれている像の台座
顔をやや右向きにした出雲阿国の像。その視線の先の斜め向かいには、四条通りにある歌舞伎の劇場「南座」=写真③=があります。江戸時代から続く日本最古の劇場とされ、国登録有形文化財の豪華な造りです。正式名称は「京都四條南座」。明治26年までは「北座」もありましたが、四条通りの拡張工事でなくなり、同39年から松竹株式会社が経営している「南座」だけが残っています。
写真③:四条通りにある歌舞伎の劇場・「京都四條南座」
(今回の〈京都・町歩き〉シリーズを終わります)