吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2017年2月3日/〈京都・町歩き〉013・出雲阿国の像

2017-02-03 06:05:25 | 京都・町歩き

 

写真①:歌舞伎の始祖・出雲阿国の像

     =京都市東山区四条大和大路西入中之町で、2017年1月27日午後2時40分撮影

 〈京都・町歩きスポット〉 13

 :出雲阿国の像

  2017年1月27日の京都旅行で、京都市伏見区にある「伏見稲荷大社」初参拝に先立ち、東山区四条大和大路西入中之町の「四条大橋」袂に建てられた出雲阿国の像=写真①=を見ました。京都の彫刻家山崎正義氏の作。左手に刀、右手に扇を持ち、男性用の陣羽織姿であでやかに舞うブロンズ像です。

  銅像は、京都洛中ライオンズクラブが2003年11月、歌舞伎発祥400年を記念して寄贈。銅像わきに建てられた「出雲の阿国(おくに)」の見出し付きの解説掲示板によると、出雲の阿国は1603年(慶長8年)、この四条河原で先鋭的な伊達男風の扮装で「かぶきをどり」を披露、関ヶ原合戦後のすさんだ世に都人を驚かせ、絶大な喝采を浴びたという。

 解説文では〈歌舞伎の元祖とおわれている阿国の出生は不詳ですが、出雲大社の巫女で一座を率いて勧進のため入洛、北野天満宮の能舞台で名声を得て各地を巡業しその人気が広まりました。江戸時代に入り、風紀を乱すと女歌舞伎禁止令が出て、男が女形を演じるようになり今日の歌舞伎に発展しました〉と説明。

 さらに〈阿国は晩年出雲に帰り、尼僧となって生涯を終えたと伝えられ、その墓は島根県大社町と京都の大徳寺高桐院にも存在しますが、伝説の域を出ません〉としています。

 像の台座には〈かぶき踊の祖出雲の阿国 都に来たりて、その踊りを披露し都人を酔わせ る〉と阿国の踊りが京都の民衆を魅了して止まなかったことが刻まれていました=写真②=。

 

写真②:〈都に来たりて、その踊りを披露し都人を酔わせる〉と刻まれている像の台座

  顔をやや右向きにした出雲阿国の像。その視線の先の斜め向かいには、四条通りにある歌舞伎の劇場「南座」=写真③=があります。江戸時代から続く日本最古の劇場とされ、国登録有形文化財の豪華な造りです。正式名称は「京都四條南座」。明治26年までは「北座」もありましたが、四条通りの拡張工事でなくなり、同39年から松竹株式会社が経営している「南座」だけが残っています。

 

写真③:四条通りにある歌舞伎の劇場・「京都四條南座」

                             (今回の〈京都・町歩き〉シリーズを終わります)

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2017年1月31日/〈京都・町歩き〉012・伏見稲荷大社

2017-01-31 22:40:18 | 京都・町歩き

 

写真①:参拝客で賑わう「伏見稲荷大社」参道の門前町

     =京都市伏見区深草薮之内町で、2017年1月27日午後3時35分撮影

 〈京都・町歩きスポット〉 12

:伏見稲荷大社

  大阪に住む義母の卒寿のお祝いに行った機会に、2017年1月27日に京都市伏見区にある人気の観光スポットで知られる「伏見稲荷大社」=写真①=を初めて参拝しました。京都訪問は15年4月以来です。

  京都市東山区祇園町北側の京菓子屋・「鍵善」で1月27日午後、久しぶりに葛切を味わったあと、全国に3万社あると言われる「お稲荷さん」の総本宮・「伏見稲荷大社」へ。京阪本線の伏見稲荷駅を降りて、門前町を歩くと、土産店にきつねのお面「開運お面」がずらりと並んでいるのが目に付きました=写真②=。

 

写真②:土産店にずらりと並ぶきつねの「開運お面」

  「稲荷名物」として「すずめの焼鳥500円」や「うずらの焼鳥750円」が、売られている店もあり、いかにも伏見稲荷らしい印象=写真③=。

 

写真③:売られている「稲荷名物」・「すずめの焼鳥」や「うずらの焼鳥」

  参道わきにある御食事処の2階に立つ看板にも、「うなぎ 寿司」とともに「すずめ うずら」の文字が入っていました=写真④=。

 

写真④:御食事処の2階に立つ看板も「すずめ うずら」の文字入り

  参道には、焼鳥などを立ち食いしている中国人観光客が多く、露店商が「ニーハオ」と呼びかける声も。その人波をよけながら歩き、天正17年(1589年)に豊臣秀吉が造営したとされる大きな楼門=写真⑤=の前まで来ました。

 

写真⑤:「伏見稲荷大社」の楼門

 楼門の前の参道石段両脇には、稲荷大神様のお使いとされるきつねの銅像が鎮座しています=写真⑥=。

 

写真⑥:楼門の前の参道石段両脇に鎮座するきつねの銅像

 楼門を潜ると、「外拝殿」=写真⑦=です。

 

写真⑦:外拝殿

 「外拝殿」の背後には、稲荷大神様を祀る豪放にして優雅な意匠の「本殿」=写真⑧=があり、中は撮影禁止となっていました。

 

写真⑧:豪放にして優雅な意匠の本殿

 「本殿」の裏手に朱色の鳥居が連なる「千本鳥居」=写真⑨=まで行ってみました。稲荷大神様の降臨地・稲荷山の入り口にあり、多くの鳥居が建てられた神秘的な雰囲気が外国人に人気の的で、しきりにカメラび収めています。

 

写真⑨:朱色の鳥居が連なる「千本鳥居」を潜る参拝客

 「千本鳥居」の途中から脇道を引き返していたら、石像のきつねの腹の下に白い野良猫=写真⑩=が蹲っており、微笑ましく感じました。

 

写真⑩:石像のきつねの腹の下に蹲る白い野良猫

 帰りの門前町で、珍しい国産焼栗専門店「丹波の里本舗 京都」=写真⑪=が目に付き、厳選した丹波産の焼栗とやらを買って食べたら、「天清甘栗」と違った本物の甘さの美味しさでした。

 

写真⑪:珍しい国産焼栗専門店・「丹波の里本舗 京都」の焼栗

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2015年4月14日/〈京都・町歩き〉011・鴨川と高瀬川河畔の桜

2015-04-14 06:41:22 | 京都・町歩き

 

写真①:商店の軒に張られた「都をどり」のポスター

     =京都市東山区四条通で、2015年4月1日午後2時15分撮影

 

〈京都・町歩きスポット〉 11

 :鴨川と高瀬川河畔の桜

  京都市東山区祇園町北側の京菓子屋・「鍵善」で4月1日午後、葛切を味わったあと、四条通を歩いていると、商店の軒に1日から始まった「都をどり」(京都市観光協会主催)のポスターが張られているのに目が止まりました=写真①=。舞妓さんが、桜の枝を手にした絵姿が華やいで見え、魅力的なポスターです。機会があれば、祇園甲部歌舞練場で八景の「都をどり」を一度観覧したいですね。

 祇園町から歩いて、四条河原町へ。鴨川に架かる「四条大橋」を渡りながら、左岸土手沿いに、桜並木が満開のピンク花の帯を引き延ばした春景色を楽しめました=写真②=。

 

写真②:満開のピンク花帯が楽しめる鴨川左岸土手沿いの桜並木

 四条河原町の「高瀬川」河畔では、桜並木の枝先の花模様が川面を彩っています=写真③=。久しぶりに京都の花見見物を堪能できた感じで、満足です。

 

写真③:「高瀬川」河畔を彩る満開の桜

                                            (今回の〈京都・町歩き〉シリーズを終わります)

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2015年4月13日/〈京都・町歩き〉010・四条通「花見小路」界隈

2015-04-13 06:03:19 | 京都・町歩き

 

写真①:ビルに挟まれた狭い敷地に建つ2階建て町家

     =京都市東山区四条通で、2015年4月1日午後0時30分撮影

 〈京都・町歩きスポット〉 10

 :四条通「花見小路」界隈

 4月1日、京都市東山区円山町の「円山公園」へ桜見に行く途中、四条通に面した中華料理店に昼食のため立ち寄り。ビルの5階にある同店の窓ガラスから四条通を見降ろすと、ビルに挟まれた狭い敷地に建つ2階建て町家が目に止まりました=写真①=。

 昼食後、四条通「花見小路(はなみこうじ)」交差点付近の舗道を散策。「花見小路」側の舗道は、観光客が次々と行き交っています=写真②=。

 写真②:観光客が次々と行き交う「花見小路」側の舗道

 「円山公園」で桜見の後、四条通にある義母行きつけの江戸中期・享保年間創業の老舗京菓子屋・「鍵善」で、ちょっと一服。葛切を注文したら、緑色のお洒落な器に入れられて出てきました=写真③=。

 

写真③:葛切を入れた緑色のお洒落な器

     =京都市東山区祇園町北側の「鍵善」で撮影

 お洒落な緑色の器のふたを開くと、こんな状態です=写真④=。

写真④:ふたを開いた器に盛られた葛切

 氷で冷やされた葛切を箸ですくって、いただきます=写真⑤=。吉野葛を使った葛切を口に含むと、黒蜜の黒糖がとても美味しく、桜見と町歩きの疲れが取れたように感じました。さすが、空き席待ちの人気店の味わいです。

 

写真⑤:氷で冷やされた葛切を箸ですくっていただく

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2015年4月12日/〈京都・町歩き〉009・「八坂神社」

2015-04-12 05:27:00 | 京都・町歩き

 

写真①:参拝客で賑わう「八坂神社」楼門

     =京都市東山区祇園町北側で、2015年4月1日午後0時50分撮影

 

〈京都・町歩きスポット〉 9

:八坂神社

  京都市東山区円山町の「円山公園」の桜見をした4月1日、隣接した「八坂神社」=写真①=に参拝しました。

 参道には露店も並び、桜見物の行楽客で賑わっています=写真②=。

 

写真②:桜見物の行楽客で賑わう参道

 境内の一隅に「忠盛燈籠」と解説板が建てられているのが目に付きました=写真③=。

 解説板によると、永久年間(12世紀)のころ、白河法皇が五月雨の降る夜、祇園女御(にょうご)の許に赴こうと、この辺りを通られた時、鬼のようなものが見えたので、お供の平忠盛に討ち取るよう命じました。忠盛が、その正体を見定め、生け捕ったところ、油壺と松明を持ち、燈籠に燈明をたてまつろうとしていた祇園の社僧でした。雨を防ぐために被っていた蓑が、灯の光を受けて銀の針のように見えたのでした。人々は、忠盛の思慮深さに感嘆したといい、この燈籠はその時のものという。

 平忠盛は平安末期の武将で、正盛の子にして清盛の父。白河法皇の信任が厚く、検非違使(けびいし)から刑部(ぎょうぶ)卿に累進、日宋貿易で財力も得て、平氏一門繁栄の礎を築いたことで知られています。

写真③:「八坂神社」境内に建てられた「忠盛燈籠」と解説板(右)

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2015年4月11日/〈京都・町歩き〉008・円山公園の桜

2015-04-11 05:57:24 | 京都・町歩き

 

写真①:花見客に人気の満開のシダレザクラ

     =京都市東山区円山町の「円山公園」で、2015年4月1日午後1時10分撮影

 

 〈京都・町歩きスポット〉 8

 :円山公園の桜

  大阪府大阪市阿倍野区の「晴明通」散策を楽しんだ3月31日、枚方市の細君の実家に宿泊。翌4月1日、京都市東山区円山町の京都一の桜名所とされる「円山公園」へ細君、義母と花見に行きました。

 明治19年(1886年)開設という「円山公園」中央にある〝祇園の夜桜〟で有名なシダレザクラは満開で、花見客が写真を撮ったり、人気のスポットです=写真①=。

 東山を背景に広がる回遊式庭園では、「瓢箪池」に架かる石橋を渡る着物姿の娘さんたちの姿も見られ、風情があります=写真②=。

 

写真②:「瓢箪池」向こうの東山を背景に広がる「円山公園」の回遊式庭園

 「円山公園」の一角に、「祇園小唄」の歌碑があるのに気付きました=写真③=。昭和36年に京都市などが設置した自然石に、〈月はおぼろに東山〉で始まる昭和の作詞家・長田幹彦自筆の歌詞が彫られています。

 

写真③:作詞家・長田幹彦自筆の歌詞が彫られた「祇園小唄」の歌碑

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2011年9月5日/〈京都・町歩き〉007・京都の〝文化村〟エリア

2011-09-05 07:06:53 | 京都・町歩き

 

写真①:「京都市美術館」 

     =京都市左京区岡崎円勝寺町で、2011年8月19日午前11時35分撮影 

 

 〈京都・町歩きスポット〉 7 

 

:京都の〝文化村〟エリア 

 

京都市左京区岡崎西天王町の「平安神宮」の南側にある「岡崎公園」内には、公立美術館としては東京都美術館に次ぎ日本で二番目という「京都市美術館」=写真①=をはじめ、京都の〝文化村〟エリアというべき文化施設が集まっています。

「平安神宮」に参拝後、訪ねた「細見美術館」=写真②=も、その一つ。建築家・大江匡氏が設計した京町家イメージの現代建築で、地上3階、地下2階の建物は櫛目引きの外壁が特徴です。第40回「建築業協会賞」受賞。大阪の実業家、故細見良にはじまる細見家三代の収集品をもとに、平成10年に開館した同館の収蔵品は、平安・鎌倉時代の仏教・神道美術、室町の水墨、茶の湯釜、桃山の茶陶や七宝工芸、琳派、伊藤若冲など江戸時代の絵画に優品が多く、内外屈指のコレクションとして知られています。この日は、鶏の巧みな描写で知られる伊藤若冲の水墨画」の特別展示(入館料千円)を観覧しました。

 

 

写真②:京町家イメージの現代建築・細見美術館」 

京都市左京区岡崎最勝寺町6 、8月19日午後1時5分撮影

 

「細見美術館」の南東にある第三セクター運営のイベント会場・「京都市勧業館みやこめっせ」前には、「源氏物語石像」=写真③=がありました。京都府石材業協同組合から市に寄贈されたもので、『源氏物語』第十二帖「須磨」の和歌をモチーフとして建造。その和歌とは、源氏の君の「身はかくてさすらへぬとも 君があたり 去らぬ鏡の 影は離れじ」(たとえこの身は、地の果てまでさすらいの旅をつづけても、あなたの鏡の面にはわたしのおもかげがとどまって、あなたと離れはするものか)と、紫の上の和歌「別れても 影だにとまる ものならば 鏡を見ても なぐさめてまし」(たとえあなたと別れても、恋しいあなたのおもかげがせめて鏡に残るなら、日がな一日この鏡を飽きずに眺め暮らしましょう)です。この石像には、世界平和への願いと、「あなたは一人ではなく、いつもあなたのことを考え見てくれている人が傍にいますよ」というメッセージが込められているという。

 

写真③:『源氏物語』第十二帖「須磨」の和歌をモチーフとして建造された源氏物語石像」

京都市左京区岡崎成勝寺町9、「京都市勧業館正面広場西側で、8月19日午後1時5分撮影  

 

 昼食は、「細見美術館」北隣の京料理の店・「だる満」=写真④=に立ち寄りました。

 

 

 

写真④:京料理・おばんざいの店「だる満」

=京都市左京区岡崎最勝寺町8、8月19日午後0時20分撮影

 

 「おばんざい」=写真⑤=と、冷やし蕎麦=写真⑥=を味わえる「そば点心」(1,580円)を注文。旬のお野菜たっぷりの、京のおばんざいは、おいしくいただけました。 

 

 

 

 

  

 写真⑤:京料理の「おばんざい」            ⑥:京料理店の冷やし蕎麦

  京阪電車に乗ろうと、三条に着くと、三条大橋の東のたもとにある「寛政の三奇人」の一人、「高山彦九郎正之の銅像」=写真⑦=が目に入りました。高い大きな台座に伏して拝んでいる像で、「土下座像」の異名もあるという。群馬県生まれの江戸後期の尊王思想家で、幕府の追及を受けて福岡県久留米市で自刃した彦九郎(通称。名は正之)を顕彰しようと、全国の有志により昭和3年(1928年)に建てられました。高さ約2メートルの台座には「江戸時代、ここ三条大橋は、東海道五十三次の起終点にあたり、往時の都の出入り口であった。高山彦九郎正之は、京都に出入りする折には、この銅像の姿のように京都御所に向かって拝礼した」と書かれています。「寛政の三奇人」は、彦九郎のほか、 江戸後期の学者・蒲生君平(がもうくんぺい)、経世家・林子平(しへい)。

 写真⑦:正座して皇居を望拝する「高山彦九郎正之の銅像」

=京都市東山区三条大橋東詰で、8月19日午後1時25分撮影

                                 (おわり)

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2011年9月4日/〈京都・町歩き〉006・平安神宮

2011-09-04 05:32:35 | 京都・町歩き

 

 

写真①:朱の柱に緑の屋根瓦が華麗な「応天門」 

     =京都市左京区岡崎西天王町 の「平安神宮」で、2011年8月19日午前11時40分撮影 

 

 〈京都・町歩きスポット〉 6

 

:平安神宮

 

 

「銀閣寺」の次に、平安遷都を行った桓武(かんむ)天皇と平安京で過ごした最後の天皇である孝明(こうめい)天皇を祀る「平安神宮」を訪れました。入り口にある「応天門」=写真①=は、大棟の両端につけた鳥の尾のような飾りの「鴟尾(しび)」を置く二層碧瓦葺(みどりかわらぶき)の建物で、国指定重要文化財です。延暦14年(795年)に造営された平安京大内裏の正庁朝堂院(ちょうどういん)の南面正門を、平安遷都千百年にあたる明治28年(1895年)に同神宮を創建した際、往時の様式を復元して同神宮の神門(しんもん)として建てられました。高さ約18㍍。

 

「応天門」から境内に入ると、正面に朱塗りの柱が並び立つ、堂々とした「大極殿(だいごくでん。外拝殿)」=写真②=が見えました。平安時代の天皇が政務を執り、朝賀・即位などの重要な儀式が行われた「大極殿」を模して、明治28年に往時の約2分の1で建造した入母屋造、碧瓦本葺の建物です。

 

 

写真②:朱塗りの柱が並び立つ堂々とした外拝殿

平安神宮」 、8月19日午前11時45分撮影    

   

拝殿前の境内には、平安京内裏の正殿で即位・朝賀などの儀式を行った紫宸殿(ししんでん)の南階下の西方に植えられたという「右近の橘」=写真③=がありました。儀式の際、右近衛府の官人がその側に列したことが、その名の由来。橘はミカンの仲間で唯一の野生種であり、その実は古くから「常世国(とこよのくに)」の不老長寿の妙薬として珍重されたという。

 

 

 

写真③:拝殿前の「右近の橘」

平安神宮」で、8月19日午前11時45分撮影     

 

「右近の橘」の反対側の境内には、紫宸殿の南階下の東方に植えられたという「左近の桜」=写真④=があります。儀式の際、左近衛府の官人がその側に列したことが、その名の由来。桜は、清らかさを大事にする日本人の心を表すものとして「国花」にもなっています。

 

写真④:拝殿前の「左近の桜」

平安神宮」で、8月19日午前11時45分撮影

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2011年9月3日/〈京都・町歩き〉005・銀閣寺

2011-09-03 06:05:49 | 京都・町歩き

 

写真①:観光客が次々と向かう「銀閣寺」入り口の総門

     =京都市左京区銀閣寺町2 で、2011年8月19日午前10時40分撮影

 

 〈京都・町歩きスポット〉 5

 

:銀閣寺

 

「銀閣寺」は、臨済宗の禅寺です。「銀閣寺」は俗称で、正しくは「東山滋照寺(ひがしやまじしょうじ)」。室町時代の文明14年(1482年)、室町幕府八代将軍の足利善政公が建立。高校時代の修学旅行以来、何度か訪れていますが、入り口の総門=写真①=前の参道は、観光客が次々と歩いていました。

 

総門から白砂の敷き詰められた参道に入ると、両脇に見事な大苅込の生垣がそびえています。中門を潜ると、観音菩薩を祀る二層の「観音殿」(銀閣)、その手前に白砂の庭・「銀沙灘(ぎんしゃだん)」がありました=写真②=。

写真②:二層の観音殿(銀閣)の手前に設けられた白砂の庭・「銀沙灘」

=「銀閣寺」 、8月19日午前10時45分撮影      

 

「銀沙灘」をはさんで「観音殿」の反対側にある善政公の持仏堂・「東求堂(とうぐどう)」=写真③=は、一層の入母屋造り。現存する檜皮葺きの最古の書院造りとして知られ、北面東側の四畳半は「同仁斎」と呼ばれており、草庵茶室の源流、四畳半の間取りの始まりという。

   

 

写真③:一層の入母屋造りの「東求堂」

=「銀閣寺」で、8月19日午前10時45分撮影       

 

庭園の一角に、樹齢5百年の「千代の槇」=写真④=が枝を張っています。

 

写真④:庭園にある樹齢5百年の「千代の槇」

=「銀閣寺」で、8月19日午前11時撮影

 

 境内の園路を上って小高い展望所に立つと、緑に包まれた「銀閣寺」境内が一望できます=写真⑤=

 

 

写真⑤:展望所から俯瞰した眺望

=「銀閣寺」で、8月19日午前10時55分撮影       

 

京都市西京区にある臨済宗天竜寺派の寺・西芳寺(通称・苔寺)の庭園を手本に造営されたという庭園=写真⑥=は、緑の芝生のような苔が美しい。

 

 

写真⑥:観光客が展望所の下り石段を下りながら観賞できる苔庭

=「銀閣寺」で、8月19日午前10時55分撮影

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2011年9月2日/〈京都・町歩き〉004・「銀閣寺」参道

2011-09-02 02:37:36 | 京都・町歩き

 

 

写真①:土産物を売る店が軒を連ねる「銀閣寺」の参道 

      =京都市左京区 で、2011年8月19日午前10時35分撮影 

 

 〈京都・町歩きスポット〉 4 

 

:「銀閣寺」参道 

2㌔足らずの「哲学の道」を経て、「銀閣寺」の参道=写真①=にさしかかりました。京漬物や、八ツ橋せんべいといった土産物を売る店が、軒を連ねています。

 

そんな中に、1階の庇中央の屋根に彫像が置かれた2階建ての古民家=写真②=が気になりました。

 

 

写真②:1階の庇中央の屋根に彫像が置かれた古民家

 

=京都市左京区 、8月19日午前10時40分撮影 

この彫像=写真③=は、右手に笏(しゃく)を持ち、辺りをにらむようにいかめしい顔をした老人のように見えます。家の守り神でしようか。

 

   

 

写真③:1階庇の上で辺りをにらむようにいかめしい顔をした彫像

=京都市左京区で、8月19日午前10時35分撮影     

 

 「銀閣寺」近くの参道わきには、軒先に小屋根付きの小さな祠のある「ちりめん山椒」の店=写真④=がありました。


写真④:軒先に小さな祠のある「ちりめん山椒」の店

=京都市左京区浄土寺石橋町で、8月19日午前11時20分撮影

 

  軒先にある小屋根付きの小さな祠=写真⑤=に近づくと、上部に「大日如来」と書かれた木札が掛けられ、格子の奥に石像らしいものが安置されていました。

 

 

写真⑤:「大日如来」の木札が掛かる

=京都市左京区浄土寺石橋町で、8月19日午前11時20分撮影

 

 こんな祠に「大日如来」が祀られているのかな? 先の古民家の彫像も何なのか解明できないままだな、と気になりながら参道を行くと、

「ここは美化推進強化区域です」と大書きし、たばこのポイ捨て禁止や空き缶・瓶などを収納器に入れるよう呼びかけた京都市まちの美化推進事業団作成の大看板=写真⑥=が立っていました。銀閣寺は、このすぐ先です。

 

 

写真⑥:「ここは美化推進強化区域です」と書かれた大看板

=京都市左京区浄土寺石橋町で、8月19日午前11時20分撮影

 

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