吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2013年9月30日/〈日記〉526・〈倉敷・町歩き〉1:大原美術館

2013-09-30 20:03:06 | 日記

写真①:JR山陽本線の「倉敷駅」

     =岡山県倉敷市で、2013年9月20日午前10時25分撮影

  きょう9月30日から、〈倉敷・町歩きスポット〉シリーズを掲載します。

 

〈倉敷・町歩きスポット〉1

 :大原美術館

  9月20日朝、福津市津屋崎の拙宅から岡山県倉敷市へ1泊2日の旅行に出かけました。第36回全国町並みゼミ倉敷大会に参加するためで、博多駅から新幹線「のぞみ」に乗り、午前9時48分に岡山駅到着。岡山駅かららJR山陽本線快速に乗り、倉敷駅=写真①=には同10時12分に付きました。

 倉敷駅前の倉敷中央通りを歩いて、「大原美術館」に行きました。昭和5年、倉敷の実業家大原孫三郎が設立した日本初の私立西洋美術館で、西洋美術や近代美術の作品を展示しています。私は昭和42年に訪れて以来、入館は46年ぶりです。入館料1,300円で、ギリシャ神殿風の本館=写真②=や分館、工芸・東洋館へ入館できます。

 

写真②:ギリシャ神殿風の「大原美術館」本館

     =倉敷市中央1で、20日午前11時45分撮影

 本館前にあるロダンの彫刻「洗礼者ヨハネ」の像=写真③=を観て、入館しました。クロード・モネの「睡蓮」や、ポール・ゴーギャンの「かぐわしき大地」など著名な画家の絵画が展示されています。

  

写真③:ロダンの彫刻「洗礼者ヨハネ」の像

  日本の近代洋画が展示されている分館では、林武の代表作とさされる「梳る女」=写真④=と、「大原美術館」の礎となる西洋絵画を収集したことでも知られる画家・児玉虎次郎作の「姉妹」、「和服を着たベルギーの少女」=写真⑤=の絵はがき3点を記念に買いました。

  

写真④:林武作の「梳る女」(左)と児島虎次郎作の「姉妹」、写真⑤:児玉虎次郎作の「和服を着たベルギーの少女」の絵はがき

  20日夜、ライトアップされた「大原美術館」本館は、綺麗でした=写真⑥=。

 

 写真⑥:ライトアップされた「大原美術館」本館

     =20日午後4時35分撮影

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2013年9月17日/〈宗像・町歩き〉005・宗像氏貞の墓

2013-09-17 08:52:30 | 宗像・町歩き

  

写真①:宗像社第80代大宮司・宗像氏貞の墓

    =宗像市上八で、2013年9月16日午前10時50分撮影

 〈宗像・町歩きスポット〉 5 

 :宗像氏貞の墓

 戦国時代末期、安土桃山時代の宗像社第80代大宮司だった宗像氏貞の墓は、福岡県宗像市上八(こうじょう)にあります=写真①=。

 氏貞は、宗像社第76・78代大宮司を歴任した黒川隆尚(宗像正氏)の実子で、母は山口を本拠とした戦国大名大内義隆の家臣・陶晴賢(すえ・はるたか)の姪。晴賢が天文20年(1551年)年、謀反を起こしたため、義隆は自害し、その側近だった黒川隆像(宗像氏男=第79代大宮司)も晴賢に付きました。同じころ宗像一族に家督争いが起き、氏貞は8歳だった天文21年(1552年)年、晴賢の支援で宗像大宮司職に就きます。

 国道495号線から西側の道に入り、宗像市の鐘崎漁港に向かう途中にある「マルヨシ醤油」の手前から右折した舗装道路をしばらく行くと、宗像市教育委員会の「市指定文化財 史跡 宗像氏貞の墓地及び石塔」の案内板が立っています=写真②=。解説の文字が消えかかっているのが残念です。

  

写真②:宗像市教育委員会の「史跡 宗像氏貞の墓地及び石塔」の案内板

 この案内板に「宗像氏最後の英傑」と記されている通り、氏貞は大宮司領の確保と拡大を図り、焼失していた「宗像大社辺津宮本殿」を天正6年(1578年)に再建したほか、山田・増福院をはじめ近隣の56社寺の造営・再建に尽くしました。天正14年(1586年)に「蔦ケ岳城」(赤間の城山)で42歳で病没、世継ぎを残さなかったため約6百年続いた宗像大宮司家が途絶えました。氏貞の墓のそばにある「第80代宗像大宮司 宗像氏貞について」と表示した顕彰碑=写真③=には「父、隆尚公ゆかりの承福寺下のこの地に葬られた」と記されています。

 

写真③:「第80代宗像大宮司 宗像氏貞について」と表示した顕彰碑

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2013年9月13日/〈宗像・町歩き〉004・八所宮

2013-09-13 06:40:28 | 宗像・町歩き

写真①:鎮守の森に包まれた「八所宮」の拝殿

     =宗像市吉留で、2013年9月12日午前11時10分撮影

 

〈宗像・町歩きスポット〉 4 

 :八所宮

 福岡県宗像市吉留にある「八所宮」=写真①=を9月12日、初めて訪ねました。日本神話に登場する伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)ら四夫婦神をお祀りしていることから「八所宮」と呼ばれています。天武天皇の時代の674年から現在地に祀られたとされ、宗像地方指折りの古社です。神武天皇が日向から大和に東征する途中、祭神たちが露払いの神様として赤馬に乗って現れて道案内し、この辺一帯を「赤馬(あかま)」と呼ぶようになり、現在の宗像市「赤間」の地名となったという。

 境内は6.5㌶と広く、県指定天然記念物のイチイガシ樹林をはじめとした鎮守の森に囲まれています。参道入り口の石の鳥居=写真②=から拝殿までは、坂道と上りの石段が約2百㍍続いています。

 

 

写真②:境内にある参道入り口の石の鳥居

     =12日午前11時15分撮影

 石段を上り終えた右手に、奉納棚に「八所宮」近くの宗像市武丸の造り酒屋「伊豆本店」の清酒・「亀の尾」の1升瓶がズラリと陳列されていました=写真③=。

 

 写真③:奉納棚に陳列された清酒「亀の尾」の1升瓶

      =12日午前11時10分撮影

 本殿の隅には、木彫りの狛犬がにらみをきかせています=写真④=。

 

写真④:本殿にある木彫りの狛犬

      =12日午前11時10分撮影

 

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〈日記〉525・〈四国・町歩き〉8:特別名勝「栗林公園」

2013-09-09 04:10:15 | 日記

 

写真①:日本を代表する回遊式大名庭園・特別名勝「栗林公園」

     =香川県高松市で、2013年8月30日午前11時30分撮影

 

 〈四国・町歩きスポット〉8

 :特別名勝「栗林公園」

  8月30日午前、香川県高松市にある特別名勝「栗林公園」(県立公園)=写真①=を訪ねました。江戸時代初期・讃岐高松藩の歴代藩主が百年がかりで整備、下屋敷として利用してきたという日本を代表する回遊式大名庭園です。

 東門(入園料4百円)から入った所に、「特別名勝栗林公園案内図」の掲示板が建っていました=写真②=。「日本一の回遊式庭園」として、松の緑が濃い「紫雲山」を借景にした広大な公園(「紫雲山」を含めると75㌶で、東京ドーム16個分)の地図が描かれています。雨が降ってきたのと、時間的に余裕がなかったため、南側の庭園を巡ることにしました。

写真②:「特別名勝栗林公園案内図」

     =「栗林公園」で、8月30日午前11時25分撮影

 まず、日本古来の建築様式を生かした豪壮な2階建ての「商工奨励館」(延べ床面積1,260平方㍍)=写真③=前へ。明治32年(1899年)、旧藩主の「檜御殿」跡に香川県博物館として建てられ、今は県特産品の展示即売や製作実演の場に利用されています。

 

写真③:明治32年建築の「商工奨励館」

     =「栗林公園」で、8月30日午前11時25分撮影

 次に、近くに配された池・「北湖」を巡る園路を、傘をさして反時計回りに散策。「北湖」にある築山・「芙蓉峰」から北を眺めると、小雨に毛ぶる「紫雲山」を背景に、中央に紅の「梅林橋」がくっきりと映え、その右に3百年以上の手入れで枝ぶりを整えたという箱のような形をした「箱松」と背丈の高い「屏風松」が重なるように見える絶景です=写真④=。

写真④:小雨に毛ぶる「紫雲山」を背景に中央に紅の「梅林橋」が映える「北湖」

       =築山・「芙蓉峰」から、8月30日午前11時45分撮影

  散策の最後に、一休みしようと茶店に立ち寄ると、「さぬきうどん」のメニューが目に止まりました。「ぶっかけさぬきうどん」を注文、腰のある本場のうどん麺を美味しくいただき、〝うどん県〟への旅の締めとしました。

                               (終わり)

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524・〈四国・町歩き〉7:徳島の宿と道の駅「源平の里むれ」

2013-09-08 12:54:08 | 日記

写真①:夜明けの徳島平野に白く輝く帯のように見える吉野川(上方左から右へ流れる)

    =徳島県徳島市八万町中津山の「簡保の宿とくしま」4階から、2013年8月30日午前6時撮影

 〈四国・町歩きスポット〉7

 :徳島の宿と道の駅「源平の里むれ」

  徳島県藍住町歴史館「藍の館」を後にして、8月29日夜は徳島市のシンボル・眉山(標高290㍍)山頂近くにある同市八万町中津山の「簡保の宿とくしま」に宿泊。温泉で旅の疲れを癒し、一夜明けた30日、4階の部屋から見た〝四国・三郎〟吉野川=写真①=が白く輝く帯のように見えて綺麗でした。

  午前9時、「簡保の宿とくしま」をレンタカーで出発、徳島高速自動車道経由で香川県高松市へ戻る途中、国道11号線沿いにある同市牟礼町原の道の駅「源平の里むれ」=写真②=で休憩しました。源平屋島合戦の古戦場として有名な場所に位置し、海を望む風光明媚なスポットです。

写真②:道の駅「源平の里むれ」

     =香川県高松市牟礼町原で、8月30日午前10時45分撮影

 道の駅の裏手にある「房前公園」に歩いて行くと、高松琴平電気鉄道が大正15年(1926年)に新造した車両・「335号」が展示されていました=写真③=。長さ14.7㍍、幅2.6㍍、高さ4.1㍍、重さ25.4㌧。定員96人で、平成18年12月に引退するまで80年間活躍した電車です。同19年1月、同鉄道から高松市に寄贈され、公園でプラットホーム付きで展示されています。

写真③:高松琴平電気鉄道が大正15年に新造した電車・「335号」

     =「房前公園」で、8月30日午前10時35分撮影

  「房前公園」の展望台からは、瀬戸内海に通じる志度湾のゆったりとした感じの海が眺められました=写真④=。

写真④:展望台から見た志度湾の海

     =「房前公園」で、8月30日午前10時35分撮影

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2013年9月7日/〈日記〉523・〈四国・町歩き〉6:藍の館

2013-09-07 00:17:14 | 日記

写真①:藍住町歴史館「藍の館」の入り口

     =徳島県板野郡藍住町徳命字前須西で、2013年8月29日午後4時40分撮影

 

〈四国・町歩きスポット〉6

 :藍住町歴史館「藍の館」

  徳島県美馬市脇町からレンタカーに乗り、約40㌔東の吉野川下流にある同県板野郡藍住町の同町歴史館「藍の館」=写真①=を訪ねました。今回の四国旅行の二つ目の目的として、「阿波藍」の歴史と本場の藍染め作業を見学したかったからです。

  「藍の館」の敷地の一角で、藍が栽培されていました=写真②=。

写真②:敷地の一角で栽培されている藍

  「藍の館」(入館料大人3百円)に入ると、中庭に藍を葉や茎などに選別する「藍こなしの作業」の像が目に止まりました=写真③=。

 

写真③:中庭にある「藍こなしの作業」の像

 中庭の突きあたりには、藍商屋敷だった旧「奥村家主屋」が建っています=写真④=。

写真④:藍商屋敷・旧「奥村家主屋」

  2階建ての立派な主屋に玄関から入ると、番頭の執務室がありました=写真⑤=。

写真⑤:番頭の執務室

  中庭の前には「藍染体験場」の平屋があり、女性スタッフが藍染め作業中で、プ―ンと鼻をつく匂いが充満していました=写真⑥=。

 

写真⑥:藍染め作業中の「藍染体験場」

  「藍染体験場」に隣接した展示場では、藍染めの手順の解説や藍染めの作品が見学できました=写真⑦=。

写真⑦:藍染めの手順の解説や藍染めの作品が展示場

  展示場の壁には、平成19年(2007年)10月28日に「藍の館」を視察された皇太子ご夫妻の記念写真も掲示されています=写真⑧=。

写真⑧:「藍の館」を視察された皇太子ご夫妻の記念写真

  別の大部屋には、「藍刈り」、「しぼり染」など藍の収穫から藍染め商品ができるまでの工程が人形で分かりやすく展示してありました=写真⑨=。

写真⑨:人形で分かりやすく表現した「藍刈り」作業

  「藍の館」の訪問記念に、お洒落な藍染めしじら織りの帽子(男女兼用)=写真⑩=を買いました。軽くて風通しがよく、気に入っており、9月6日に福津市郷育カレッジ(市郷育推進課主催)で「津屋崎の町家巡り」の講師として「津屋崎千軒そうつこうガイド」を務めた際に初めて被りました。こんな素敵な藍染め商品が、〈津屋崎千軒〉でもお土産用に作られるようになるといいですね。

写真⑩:阿波しじら織りの帽子

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2013年9月6日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉068:郷育講座

2013-09-06 16:05:56 | 「貝寄せ館」物語

  

写真①:「貝寄せ館」を見学する郷育講座受講の皆さん

     =2013年9月6日午前11時35分撮影

貝寄せの浜・〈貝寄せ館〉物語 68

郷育講座で臨時開館

 

福津市郷育講座で40人に講義しました

町歩きで「津屋崎の町家巡り」ガイドも

 「海とまちなみの会」は9月6日、福津市郷育推進課主催の平成25年度郷育講座で、「津屋崎の町家巡り」の講義を担当しました。2012年に続き2回目で、本会の「観光ガイド拠点・「貝寄せ館」も講義の2時間に合わせ臨時開館=写真①=し、見学していただきました。

 受講者は市民36人と市郷育推進課でインターンシップ中の九大、九工大生ら大学生4人の計40人。午前10時から福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」で、吉村勝利会長が町並みの起源に関する〝津屋崎の七不思議〟や、徳島県美馬市脇町と岐阜県美濃市の卯建の上がる町並み、大分県宇佐市安心院町の邸宅に残る鏝絵などをスライドで紹介し、〈津屋崎千軒〉の卯建や鏝絵のある町家を説明。

 このあと、受講者は引率用三角旗を掲げた「海とまちなみの会」の花田貞夫・「ボランティアガイド委員会」委員長と、小野清巳世話人に付き添われ、〈津屋崎千軒通り〉を歩いて「豊村酒造」=写真②=をはじめ江戸時代や明治時代から残る町家を正午まで巡りました。

 

写真②:「豊村酒造」で大きな梁組みや清酒「豊盛」などを見る人たち

   =6日午前11時10分撮影

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〈日記〉522・〈四国・町歩き〉5:野崎呉服店

2013-09-06 05:43:23 | 日記

写真①:藍染めの商品が並ぶ「野崎呉服店」

     =徳島県美馬市脇町南町で、2013年8月29日午後3時25分撮影

 

〈四国・町歩きスポット〉5

 :野崎呉服店

  美馬市脇町にある江戸時代創業の「野崎呉服店」には、藍染めの商品が所狭しと並べられています=写真①=。店内の壁には、脇町で一番古い呉服屋らしく「電話脇町一番」と書かれた昔の店の広告チラシ「引札」=写真②=が掲示されていました。

写真②:店内の壁に掲示された昔の野崎呉服店の「引札」

 店内の別の壁には、昭和9年(1934年)に芝居小屋として建てられた近くの脇町劇場「オデオン座」を舞台に、平成8年(1996年)11月にロケが行われた松竹映画「虹をつかむ男」の山田洋次監督や主演の西田敏行、田中裕子、吉岡秀隆さんら俳優のサイン色紙=写真③=も掲げられています。

写真③:山田洋次監督や主演の西田敏行さんら俳優のサイン色紙

  野崎呉服店女将からのお薦めもあり、細君と息子の嫁に藍染めのバッグ=写真④=を二つ脇町土産に購入しました。

写真④:藍染めのバッグ

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〈日記〉521・〈四国・町歩き〉4:卯建の上がる町並み

2013-09-05 04:31:38 | 日記

写真①:国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定された卯建の上がる町並み

     =徳島県美馬市脇町南町で、2013年8月29日午後2時40分撮影

 

〈四国・町歩きスポット〉4

:卯建の上がる町並み

  美馬市脇町南町筋の4百㍍にわたり、50もの卯建の上がる町並み=写真①=は昭和63年(1988年)、全国で28番目の国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。藍染めの原料・阿波藍の集散地として幕末から明治時代まで栄えた「南町通り」には、藍商をはじめ本瓦葺きの商家が数多く建ち並んでいました。

 卯建は中世末、京都や奈良の町家の板屋根の端の保護に使われた土壁が起こりで、防火用の袖壁として役立ったという。「南町通り」の土蔵造りの町家では、隣家との境界の2階妻壁に袖壁風卯建が上がっています=写真②=。

写真②:町家の2階妻壁に上がる卯建

     =「南町通り」で、29日午後2時40分撮影

  「南町通り」中央付近で交差する「桜小路」は、かつて「桜屋」という酒屋の大店(のちに百貨店を営業)があって賑わったことから名付けられました。この交差点角には、袖壁風卯建が2層になった「重層卯建」=写真③=も残っています。

写真③:袖壁風卯建が2層になった「重層卯建」

     =「桜小路」で、29日午後3時10分撮影

  「南町通り」東端近くにある美馬市立図書館も、卯建の町並みに合った白漆喰の土蔵造りです=写真④=。

 

写真④:白漆喰の土蔵造りの美馬市立図書館(右から2軒目の建物)

     =「南町通り」で、29日午後3時15分撮影

 

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2013年9月4日/〈日記〉520・〈四国・町歩き〉3:「藍商佐直」

2013-09-04 06:11:06 | 日記

写真①:脇町一の豪商・「吉田家住宅」(「藍商佐直」)の裏門

      =徳島県美馬市脇町南町で、2013年8月29日午後2時35分撮影

 

〈四国・町歩きスポット〉3

 :「藍商佐直」

  道の駅「しおのえ」(香川県高松市塩江町安原上東)で休憩後、レンタカーで国道193号線を南下し、〝四国三郎〟・吉野川の水運を利用して阿波藍の集散地として栄えた徳島県美馬市脇町の道の駅「藍ランドうだつ」に着いたのは、8月29日午後2時30分過ぎです。

  四国旅行の目的の一つは、全国的に有名な脇町南筋にある50もの卯建の上がる町並みを訪ねることでした。道の駅駐車場から、かつて吉野川への舟着き場がたもとにあった石段を歩いて、脇町一の豪商・「吉田家住宅」(美馬市指定文化財)に裏門=写真①=から入りました。「吉田家住宅」=写真②=は江戸後期・寛政4年(1792年)創業の藍商吉田直兵衛の屋敷で、屋号を「佐直(さなお)」とし、明治にかけて繁盛したという。卯建の町並み・「南町通り」に面し、間口11間、奥行き30間の大きな敷地で、2階妻壁に延焼を防ぐ卯建も上がっています。

写真②:卯建が上がる「吉田家住宅」(「藍商佐直」)

     =「南町通り」で、29日午後2時40分撮影

 主屋、質蔵、中蔵、藍蔵、離れ家の5棟が、中庭を囲むように建ち並んでおり、一般公開(入館料5百円)されています。主屋1階入り口の座敷には藍染めのれんが掛かり、番頭の人形が控えています=写真③=。

写真③:藍染めのれんが掛かり、番頭の人形が控える主屋1階入り口の座敷

     =29日午後3時撮影

 2階には、箪笥階段=写真④=で上れました。

写真④:主屋の2階へ上がるのに利用される箪笥階段

     =29日午後2時50分撮影

  2階にある主座敷は、「王位戦の間」の表示がありました。平成17年(2005年)9月5・6日、佐藤康光棋聖が羽生善治王位と対戦して勝った将棋の七番勝負棋戦・「第46期王位戦」第5局平手戦が行われたそうで、対局の模様をイメージできるように将棋盤が置かれています=写真⑤=。

写真⑤:「第46期王位戦」第5局平手戦が行われた主座敷(「王位戦の間」)

     =29日午後3時撮影

  別の部屋には、幕末から明治前期の剣客、政治家・山岡鉄舟の屏風も飾られています=写真⑥=。

写真⑥:展示された山岡鉄舟の屏風

     =29日午後3時5分撮影

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