吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2006年09月30日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉004

2006-09-30 05:05:37 | 行楽催事
〈10月・11月の行楽・催事案内〉


●写真①:筑紫神舞を奉納する神職たち=福津市宮司の宮地嶽神社拝殿前特設舞台で、2003年10月22日午後3時19分撮影

10月

 1日(日)=みあれ祭:宗像大社秋季大祭(田島放生会。3日まで)の幕開けを飾る〈海上神幸〉で、大漁船団の勇壮な海上パレード。宗像市・大島の中津宮にお迎えした「沖津宮」(沖ノ島)と「中津宮」の神様を乗せた「御座船」2隻に、宗像七浦の漁船約400隻が午前9時30分に大島港を出て、神湊港まで玄界灘約20㌔を約1時間巡行。同10時30分に到着する神湊港で辺津宮の神様が出迎え、宗像三女神が集まって「頓宮」で祭典のあと、同11時20分に車で出発して辺津宮まで陸上を20分間パレードします。2日(月)は、午前8時から境内で豊作を占う流鏑馬神事、同11時からは同市鐘崎の岬沖から鐘を引き上げようとしたら、鐘は揚がらず、翁面が海中から浮き上がったという「沈鐘伝説」にちなみ、浮かび上がった面をつけて舞う翁舞が、喜多流能楽師により奉納されます。問い合わせは、宗像市田島の宗像大社0940-62-1311:◆交通アクセス=〔電車・バスで〕JR鹿児島本線東郷駅下車、西鉄バス神湊経由福間行で10分、「宗像大社前」下車すぐ〔車で〕九州自動車道若宮インターから約20分、古賀インターから約25分。

 8日(日)=波折神社秋季大祭(おくんち):御神幸行列=写真②は福津市津屋崎古小路の同神社で、2003年10月12日午後3時28分撮影=が、同神社を午後2時に出発。太鼓や笛などを鳴らしながら賑やかに市内を回ります。午後6時ごろから、神社境内の土俵で市内の小学生が出場する「奉納子供相撲大会」=写真③は神職に清められる境内の土俵:03年10月12日午後3時28分撮影=も催されます。問い合わせは波折神社(TEL:0940-52-0264)◆交通アクセス:西鉄宮地岳線津屋崎駅または西鉄バス津屋崎駅前から徒歩15分。駐車場なし。


写真②:波折神社から繰り出す〝おくんち〟の御神幸行列


写真③:清められる奉納子供相撲大会の土俵

21日(土)=宵宮灯明祈願祭:午後6時から、福津市宮司の宮地嶽神社で。信者らが願い事を込めて納めた竹灯にご神火を灯し、諸願成就を祈る祭典。夕暮れの境内は幽玄な光に包まれ、神秘的な雰囲気になります。問い合わせは、宮地嶽神社(0940-52-0016):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕西鉄宮地岳線宮地岳駅下車、徒歩10分。JR鹿児島線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きか、神湊波止場行きで10分の「宮地岳宮前」で下車し、徒歩5分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約20分。駐車台数1200台。

22日(日)=御遷座記念祭(奉納筑紫神舞=かんまい=):午後1時から、福津市宮司の宮地嶽神社拝殿前特設舞台で。1200年受け継がれ、能や舞楽の原型ともされる幻の宮廷舞「筑紫神舞」が、神職や敬神婦人会の人たちにより奉納されます=写真①:筑紫神舞を奉納する神職たち=。「筑紫舞(つくしまい)」は8世紀には筑紫地方の風俗舞として舞われていたもので、その伝承者が宮地嶽の岩屋(不動洞窟)で舞い伝えていたとのことから、神社で再興、「筑紫神舞」として伝承されています。榊(さかき)・玉串・絹垣(きぬがき)などを持ち、独自の手振りで舞う躍動的な〝古代舞踊〟です。

 筑紫舞は傀儡子(くぐつ)という芸能者集団により伝えられた九州発祥の伝統芸能。平安時代の勅撰史書『続日本紀 巻第十一』にも、雅楽寮で伝習する定員が20人と記述されています。昭和初期まで伝承され、戦後に途絶えましたが、神戸市出身の西山村光寿斉(こうじゅさい)さん(85)が復活させ、1984年に福岡市東区に転居。筑紫舞宗家として西山村津奈寿(つなとし)総帥(40)ら後継者の育成に力を注いでおり、毎年7月か8月に同市中央区の福岡県立大濠公園能楽堂で公演を行っています=写真④は04年6月27日、福岡県朝倉町での筑紫舞公演=。筑紫舞の特徴は、回転しながらの跳躍などの所作にあり、2001年のフランス公演では〝日本のフラメンコ〟と好評を得ました。


写真④:福岡県朝倉町であった〝幻の宮廷舞〟筑紫舞の公演




11月

 1日(水)=七五三まつり:福津市宮司の宮地嶽神社、~30日(木)まで。3、5、7歳の晴れ姿の子供達の健やかな成長、将来の幸せを祈念するまつり。同神社では期間中、記念撮影を無料で行います。
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2006年9月29日〈津屋崎学〉006:津屋崎は〈港町〉か

2006-09-29 08:24:49 | 郷土史
●写真①:津屋崎漁港から玄界灘を望む=福津市浜の町で、2006年9月29日午前7時16分撮影

・琢二と清の郷土史談義
『津屋崎学』

第6回:2006.09.29
  津屋崎は〈港町〉か

清 「この前、親友の安倍義彦に、叔父さんから聞いた津屋崎の謂われを話してやったら、今度は『一言で言ったらどんな町や』って聞かれて、また困ったとばい。教えちゃらんね」
琢二 「安倍晋三・新総理と同じ安倍と書く、あの岩手県平泉町出身の男か。平泉町民憲章では『奥州藤原文化発祥の地、平泉の町民であることに誇りをもち』とあるから、さしずめ平泉は〈奥州藤原文化発祥の町〉と言うのだろう。まァ、道に面して町家が建ち並んでいれば〈町〉で、自然の空き地に囲まれて門や塀の内側に建つ農家が集まっているなら〈村〉だが、さて、津屋崎のキャッチコピーは〈何々の町〉かな。少しは、自分で考えてみい」
清 「津屋崎漁港のある西部の福津市浜の町や古小路(こしょうじ)なんかは〈港町〉のようだし、津屋崎千軒通は商店があるから〈商家町〉にも見えるね。宮地嶽神社参道のある津屋崎東部の宮司は〈門前町〉やろうし、北東部山麓にある在自や須多田なんかは〈農村〉だもんね。漁師、商人、農民が一緒に住む町だから、一言で言いにくいたいね」


写真②:白壁の家が残る津屋崎千軒通りの町並み=05年8月12日午後4時撮影


写真③:宮地嶽神社秋季大祭最終日に参道の門前町を通る参拝客=福津市宮司で、06年9月23日午後3時8分撮影

琢二 「旧津屋崎町の沿革を言うと、港を基盤とした廻船業や漁業によって発展してきた津屋崎村と西隣の渡村が、市町村制施行の明治22年に合併して津屋崎村が発足。次いで、里山沿いの宮地、在自、須多田、大石、奴山の5村が合併して宮地村が、さらに北部に勝浦村ができた。明治30年には町制を敷いた津屋崎村が津屋崎町と改称、同42年に宮地村を合併するなどして、昭和30年に勝浦村と合併して津屋崎町となった。この歴史の流れと、古小路にある津屋崎の氏神様の波折神社が、海上の安全と大漁を祈願する神様を祭神に祀っていることから見れば、津屋崎は港によって栄えてきた〈港町〉と言うべきだろうな」
清 「そう言えば、津屋崎の天神町生まれで吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』を東京の新風舎から出版した青春さんは、カラオケで歌う18番は森進一の〈港町ブルース〉やったね。〈♪ 背伸びしてみる海峡を/きょうも汽笛が遠ざかる……〉って歌詞のヒット曲たい」


写真④:吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』(新風舎刊)=06年8月10日撮影

琢二 「ハハハ、青春さんは、津屋崎が港町というのをよく分かっているからやろう。彼は美空ひばりの〈港町13番地〉も、よく歌うばい。美空ひばりと言えば横浜の生まれで、横浜は港町たい。〈♪長い旅路の航海終えて/船が港へ泊まる夜/海の苦労をグラスの酒で/みんな忘れるマドロス酒場/あーあー/港町13番地〉という歌詞の〈港町13番地〉は昔、流行った歌だったな」

清 「2005年1月24日、旧宗像郡津屋崎町が隣の同郡福間町と合併し、福岡県福津市が誕生して、僕たちは町民から市民に〝昇格〟したようなもんやから、安倍にも僕は〈市民〉やが、君はまだ〈町民〉なんやな、って冗談を言ってやったよ。そしたら、安倍が怒って『俺のところは、由緒正しい町民なんじゃ』って息巻いたんで、びっくりした」
琢二 「町から市に名前が変わって喜ぶなんて、単細胞だな。福津市と言っても、市名からすぐに津屋崎の由緒が分かることがなくなったやないか。宮崎駿監督のアニメ映画『千と千尋の神隠し』の中に、能面のように顔の表情がないキャラで〝カオナシ〟というのが出ていたな。自己や自分の言葉というものを持たず、他人を呑み込んでその声を借りてしか他者とコミュニケーションできない謎の男だ。津屋崎町の名が合併で消えたということは、旧町民は〝カオナシ〝、つまり〝顔なし〟になったと同じことだぞ。ヒロインの千尋のように、〈不思議の町〉の湯屋で働くことになり、名前を奪われ、囚人のように〈千〉と番号で呼ばれて自我を消失させられ、個人の人生を奪われると言い換えてもいい。地名の消滅は、魂のアイデンティテイーを失うことに等しい重大な意味を持つ、と言っても過言ではない。青春さんが詩集『鵲声―津屋崎センゲン』を急いで出版したのも、津屋崎町の名が消えたのがきっかけやったとばい」
清 「そうか。詩集の〈序〉にも〈思い出の中にある〝セピア色の津屋崎〟。そのイメージを永遠に本の中にとどめたいと念じ、50編で編んだ〉と書いとんしゃったね」
琢二 「だいたい、日本の歴史的町並みで知られる町のうち、大多数は城下町か宿場町だと言っていい。城下町では、武家屋敷や町家がお城を取り囲み、宿場町では入り口に一里塚、中央部に本陣を配置した曲がりくねった街道が続く町並みになっている。これに対して、漁村では天然の良港の後背地に住家が細い街路に沿って建ち並ぶし、農村では水路と農地を利用しやすい所に住宅が建てられるとるな」
清 「なるほど。津屋崎の古小路なんかは、まさに〈港町〉らしい小字名たいね」
琢二 「津屋崎は、名探偵〈浅見光彦〉が活躍する人気シリーズで有名な旅情ミステリー作家・内田康夫さんの新聞連載小説『化生の海』の舞台になった。ストーリーは、江戸時代から伝わる粘土を素焼きして筆で彩色する素朴な〈津屋崎人形〉をキーワードにして、殺人事件の謎解きが展開するのだが、浅見に〈あの人形は、昭和の初め頃に福岡県の津屋崎という、玄界灘に面した古い港町で作られたものでした。津屋崎は北前船の寄港地で、北前船のお客が多く、〉と語らせているよ」


写真⑤:筑前津屋崎人形巧房=福津市津屋崎天神町で、05年8月
12日午後4時撮影


写真⑥:原田半蔵さん作の津屋崎人形=福津市津屋崎の市津屋崎庁
舎で、06年9月28日午前9時40分撮影

清 「そのミステリーは、僕も読んだが、津屋崎を核に物語がテンポよく展開して面白かったな。内田さんが、新聞連載終了後の2004年に津屋崎を2年ぶりに再訪した時に、〈とても大好きな町の一つ。小さな路地がたくさんあって素敵だ。古さを大事にしてほしい〉と話していたと聞いて、嬉しかったよ。全国的な視野で、よその人から津屋崎の良さを再認識させられ、はっとした。そうや! 安倍にも新潮社から出版された『化生の海』を読ませよう」


写真⑦:内田康夫さんの探偵小説『化生の海』(新潮社刊)=06年9月29日午前5時撮影

琢二 「津屋崎千軒の港町を訪ねた観光客は、静かな町並みに癒されたと言う人が多い。青春さんの『鵲声―津屋崎センゲン』に収録された詩篇〈津屋崎千軒〉にも〈小さな路地に潮の香がして/訪ねた人の気持ちを和ませ/温もりを持ち帰らせる/懐かしい町並み/それが津屋崎千軒でございます〉と詠ってある。津屋崎の誇れる宝である古い町並みを守り、自然豊かな美しい古里を後世に残していくのも清ら若い者(もん)の務めたい」
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2006年9月28日〈津屋崎の四季〉015:実りの秋

2006-09-28 08:18:51 | 風物
 福津市在自(あらじ)の金刀比羅神社の秋季大祭も終わり、在自の田んぼでは黄金色に実った稲穂が収穫を待つばかりになっています=写真①:9月28日午前6時50分撮影=。台風13号の襲来にも耐え、今はスズメの群れの食害を警戒するだけです。


写真①:在自の田んぼで黄金色になった稲穂

 福津市的岡の畑では、コスモスやヒガンバナが咲いています=写真②:28日午前6時34分撮影=。



 写真②:的岡の畑で咲くコスモスやヒガンバナ

 福津市新東区の住宅の庭では、柿が赤く実っていました=写真③:28日午前6時25分撮影=。


 写真③:新東区の住宅の庭で実った柿
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2006年9月27日〈津屋崎の野鳥〉013:ウミネコ

2006-09-27 04:44:00 | 福津市津屋崎の野鳥


写真①:入り江に浮かぶウミネコ(カモメ科)
     =福津市浜の町の津屋崎漁港で、06年9月25日午後0時24分撮影

 福津市浜の町の津屋崎漁港では、津屋崎漁協前の入り江でウミネコをよく見かけます=写真①=。9月25日正午すぎ、岸壁から数えると漁協付近だけでも13羽もいました。

 ウミネコは体長46㌢で、中形のカモメ類。体は白く、背や翼の上面と嘴は黒色。尾に黒い帯があり、ほぼ同じ大きさで嘴が黄色いカモメ(体長45㌢)と区別できます。鳴き声は、名前の通り「ミャーオ、ミャーオー」と猫のようです。

 係留された漁船の前にも、2羽のウミネコが浮かんでいます=写真②=。ときおり入り江の上空へ舞い上がったあと、漁船に降りては羽を休める姿も見られました。

写真②:岸壁に係留された船のそばに浮かぶ2羽のウミネコ
     =9月25日午後0時24分撮影
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2006年9月26日〈津屋崎の四季〉014:津屋崎干潟の秋

2006-09-26 09:29:45 | 風物
 澄み切った群青の海に、大きく広がる干潟――。秋の「津屋崎干潟」が、夕暮れを迎えました。福津市西部の渡半島に抱かれた入り江は、干潮で漣(さざなみ)の波紋がゆっくりと遠くへ伝わっていきます。

 豊富な貝類や小魚が遊泳する入り江は、野鳥たちの天国でもあります。ツルと見間違えられる体長93㌢のアオサギ(サギ科)が飛ぶ姿も、伸びやかです=写真①:9月24日午後5時30分撮影=。

写真①:津屋崎干潟を飛び立つアオサギたち

 浅瀬の青い海の中に、すっくと立つアオサギ1羽。その向こうのアオサに覆われた干潟には、小太りのもう1羽がいました=写真②:同撮影=。

写真②:青い海、緑のアオサ、灰黒の干潟のコントラストを背景に立つアオサギ

 津屋崎は渡り鳥の中継地でもあり、安全で餌も確保できる津屋崎干潟は羽を休める最適の場所の一つ。2005年10月には、九州では珍しい冬鳥のコハクチョウ(ガンカモ科)2羽が飛来したほか、絶滅危惧種のクロツラヘラサギ(トキ科)の飛来地として、国際保護ネットワーク(事務局・香港)から国際観測点の一つに登録されています。

 クロツラヘラサギは体長73㌢で、長いヘラ状の黒い嘴が特徴。その群れは、繁殖地の朝鮮半島から早ければ11月にはやって来ます。

 ◆津屋崎干潟:福岡県福津市浜の町の津屋崎漁港から北へ伸びる地元では「内海(うちうみ)」と呼ぶ細長い入り江。干潟約48㌶は、近く県鳥獣保護区に指定される見込みです。波が静かで、ゴカイなどの餌も豊富なことから、〝生きた化石〟と言われ絶滅が危惧されているカブトガニ(カブトガニ科)も生息。
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2006年09月25日/〈日記〉024・「夕陽館」で一風呂

2006-09-25 21:08:47 | 日記
 福津市の津屋崎海岸にある市福祉会館「潮湯(しおゆ)の里 夕陽館(ゆうひかん)」=写真①:午後4時44分撮影=で25日午後、久しぶりに一風呂浴びてきました。

    写真①:鉄筋2階建ての「潮湯の里 夕陽館」正面

 
 地下から汲み上げた海水を温めた「潮湯」は、保温や発汗の効果が高く、海水に含まれるミネラルが身体組織を活性化させるという〝海と夕陽の癒しの館〟がキャッチコピー。健康に効果的なうえ湯船からの玄界灘に沈む夕陽の眺めも素晴らしいと、福間町と合併して福津市になる前の旧津屋崎町時代の2001年2月の開館以来、市外からの客も多く人気を集めています。

 1階大浴場入浴料は、リハビリ室のヘルストロン(高電位治療器)1回使用料込みで中学生以上200円、小学生以下無料と安く、アトピー性皮膚炎にも効能があるといわれる評判も好評の理由のよう。この日も月曜日の午後5時なのに、男湯は20人の入湯客で賑わっていました。高齢者や子供を連れた父親のほか、青年の姿も。なめると塩辛い湯ですが、湯上りは肌がすべすべになった感じで、温泉に浸かったあとと同じようにいい気分です。

 ぽかぽかになった体で、1階海側のサンルームからウッドデッキに出ると、津屋崎海岸から北の渡半島・大峰山=写真②:午後5時9分撮影=と、南の福岡県新宮町・立花山=写真③:同撮影=を180度見渡す夕暮れの眺めがしっとりとして綺麗でした。

写真②:津屋崎海岸から望む北の渡半島・大峰山


写真③:津屋崎海岸から望む南の新宮町・立花山


 1階エントランスホールの壁面では、福津市の画家が津屋崎千軒の町並みや津屋崎漁港、海岸などを描いた風景画を展示していました=写真④:午後5時10分撮影=。

    写真④:津屋崎の風景を描いた水彩画展


◆夕陽館=福岡県福津市津屋崎。℡:0940-52-3353。西鉄宮地岳線津屋崎駅下車、徒歩5分。JR鹿児島線福間駅下車、西鉄バス「津屋崎浜」バス停下車、徒歩3分。無料駐車場あり。開館時間は午前9時―午後9時だが、大浴場は午前11時―午後8時。閉館日は毎週火曜と年末年始の12月29日―1月3日。
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2006年9月25日〈津屋崎の野鳥〉012:コサギ

2006-09-25 01:10:12 | 福津市津屋崎の野鳥
●写真上:夕暮れの干潟で餌を探すコサギ(サギ科)=福津市渡の津屋崎干潟で、06年9月24日午後5時17分撮影

福津市渡(わたり)の津屋崎干潟で24日午後、1羽のコサギがうつむいていました=写真上=。砂の中に棲む小動物を探しているようです。夕暮れの干潟は引き潮で、餌場の砂地が大きく広がっています。

コサギは体長61㌢で、津屋崎で見られるアオサギ(体長93㌢)やダイサギ(同89㌢)など他のサギ類に比べてかなり小さい。白い体に、黒い嘴と脚、そして脚指が黄色いのが特徴です。

海草のアオサが砂地を覆い、灰黒色の津屋崎干潟に彩りを添えています。コサギが、浅瀬の水の中をゆっくりと歩き出しました=写真下:24日午後5時24分撮影=。

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2006年09月24日/〈日記〉023・山頭火の句碑と「其中庵」を訪ねて

2006-09-24 04:30:33 | 日記
 漂泊の自由律俳人・種田山頭火の句碑と庵(いおり)を、福岡県宗像市と山口市で観てきました。

〈松はみな枝垂れて南無観世音〉

 この句を石に刻んだ碑は、9月21日に細君と訪れた宗像市神湊(こうのみなと)の隣船寺の境内にありました=写真①:午後4時30分撮影=。山頭火自身が句碑のために揮毫し、生前に建てられた唯一の句碑です。

写真①:隣船寺境内にある山頭火の句碑


 神湊の旅館「魚屋本店」の近くにある隣船寺=写真②=は、臨済宗らしい閑静なお寺です。

写真②:隣船寺


 句碑は、バス通りから山門=写真③=を入ってすぐ左手の境内に建っています。そばにある説明板によると、碑は山頭火と親交の深かった当時の同寺第十六世(住職)田代宗俊和尚が昭和8年(1933年)に建立。山頭火が寺を訪れた当時、四方に枝を伸ばしていた「潜龍松」と呼ばれる老木の松は昭和50年(1975年)に枯れたが、その前にある観音堂は今も残っているそうです。

写真③:左脇に「山頭火生前唯一の句碑」と表示した石板のある隣船寺の山門

 山頭火は明治15年(1882年)に山口県防府市に生まれ、酒を愛して句作と行乞の旅に生きながら、昭和15年(1940年)に死去。昭和7年9月から13年10月まで山口市小郡に結んだ庵「其中庵(ごちゅうあん)」で暮らしました。私は岳父の墓参で、細君と山口県へ旅行しての帰りの8月27日、義母や細君の妹夫婦と一緒に、復元された同庵を訪ねました=写真④:午前11時30分撮影=。

写真④:山口市小郡に復元された「其中庵」


 室内は、当時の模様を再現してあります=写真⑤=。


写真⑤:「其中庵」の室内


 山頭火は、法華経のなかにある「其中一人作是唱言」の言葉を好みました。災難に遭ったり、苦痛に苛まれた時、其の中の一人が「南無観世音菩薩」と唱えると、観世音菩薩が直ちに皆を救われ、悩みから解き放たれるという意味です。山頭火は、この一節の「其中一人」を自分に置き換え、その中の一人が住む庵として庵名にしました=写真⑥:其中庵の全景。

写真⑥:其中庵の全景。


 大学時代の恩師の七回忌で墓参に山口市を訪れた3月11日、カメラに収めた同市湯田温泉にある山頭火句碑=写真⑦:午前8時35分撮影=は、ちょっとユーモラスで禅味を帯びた異色の句が刻まれていました。山頭火は、風雨で痛んだ「其中庵」を去り、昭和13年11月から同市湯田に移り住んでいたのです。

 〈ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯〉


写真⑦:山口市湯田温泉にある山頭火句碑


〈鉄鉢の中へも霰〉

 山頭火の代表句の一つ。玄界灘を望む福岡県宗像市の海岸線に約5キロ続く黒松林「さつき松原」付近で詠んだのではないか、と言われています。この句碑は、宗像市の北に隣接した岡垣町の真言宗寺院「成田山不動寺」境内にありますが、私はまだ訪ねていません。

 山頭火の俳句は自由律でありながら、独特のリズムを持っています。詩人の所以でしょう。優れて自由な俳人の足跡が身近に伺えることは、うれしいことです。

〈分け入っても分け入っても青い山〉
〈しぐるるや人のなさけに涙ぐむ〉
〈うしろすがたのしぐれてゆくか〉
〈ほろほろほろびゆくわたくしの秋〉
〈年とれば故郷こひしいつくつくぼうし〉

 好きな句です。己をメタ認知し、素直になっています。味があります。


◆隣船寺=福岡県宗像市神湊。℡:0940-62-0678。JR鹿児島線東郷駅下車、玄海交通バス神湊経由福間行きで20分。

◆成田山不動寺=福岡県岡垣町内浦の湯川山中腹。℡:093-282-1643。西鉄バス「波津橋」下車徒歩15分、JR鹿児島線海老津駅より車で15分。

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2006年09月23日/〈日記〉022・十二単の〝祭王〟に人気―「宮地嶽神社秋季大祭」御神幸行列

2006-09-23 14:06:48 | 日記
●写真上:〝祭王〟の牛車に率いられ、福津市の宮地浜から宮地嶽神社に上る御神幸行列=06年9月23日午後1時07分撮影

 福津市宮司の宮地嶽神社秋季大祭(宮地放生会)最終日の23日は、メーンイベントの御神幸行列が午後0時50分、同市宮地浜のお旅所を出て、神社まで約2㌔の参道を練り歩きました。

 この日は、秋晴れの好天気。正午すぎからお旅所で神事が厳かに行われたあと、神輿や馬に跨った神職、氏子、稚児ら約500人の行列が次々と出発。行列を率いる〝祭王〟を務めた演歌歌手・神野美伽(しんの・みか)さんが、十二単姿で牛車に乗って通ると、沿道の見物人が写真を撮ったり、盛んに手を振るなど、人気を集めていました=写真下:福津市宮司の参道で、午後1時19分撮影。


沿道の見物客に手を振って応える〝祭王〟の神野美伽さん

 御神幸行列の神社到着後、境内では神野さんの「祭王歌謡ショー」や少年柔道大会などがあり、参道にはお土産店のほか多くの露店も並び、おもちゃや名物の松ケ枝餅を求める人の列=写真下:午後3時10分撮影=ができるなど家族連れの参拝客で賑わいました。


     お土産店で松ケ枝餅を買い求める人たち


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2006年9月22日〈津屋崎の四季〉013:秋の夜空に花火打ち上げ―「宮地嶽神社秋季大祭」2日目―

2006-09-22 18:20:27 | 風物


●写真上:福津市宮地浜で秋の夜空に打ち上げられた花火=06年9月22日午後8時21分撮影 

 秋の宮地浜に、花火約3000発打ち上げ――。福津市宮司の宮地嶽神社秋季大祭(宮地放生会)2日目の22日は、午後5時から同市宮地浜で2つのイベントが開催されました。

 幕開けは、宮地浜海水浴場にある「海の家」の特設舞台で催されたエフエム福岡の「BUTCH COUNTDOWN RADIO」公開生放送です。番組DJ・BUTCH(ぶっち)さんの爆笑・炸裂トークで、〝ブチカン〟のパーソナリティー・斉藤ふみ、笑子、チンドン屋コンクール日本一の芸暦を持つ安達ひでや(福岡市・アダチ宣伝社社長)さんも加え、スタッフ全員が出演。ゲストに歌手のKさんやナナムジカさん、コメディアンの波田陽区さんらが次々と登場しました=写真下は「海の家」で開かれた公開生放送:午後5時06分撮影=。


 ゲストのトップバッター・波田陽区さんは「拙者、ギター侍じゃ。目は開いていますよ」とギターを抱えて登場。「福岡は、おいしい〝めんたいこ〟に、野球のホークス自慢です。でも、オリンピック誘致は、東京に負けたんですから。ザンネーン!」とのネタで、約100人の見物客の笑いを誘っていました。

 午後8時10分からは、「ねがいかなえ開運花火大会」=写真上=。参拝客たちの願いをこめた約3000発の「夢花火」が、浜辺から夜空高く相次いで打ち上げられ、見物に詰め掛けた家族連れや若いカップルから大きな拍手と歓声が上がっていました。

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