吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

〈催事〉0488:「室津の鏝絵」巡りフットパス

2017-03-29 03:56:36 | 行楽催事

 

写真①:山口県下関市豊浦町室津の鏝絵巡りフットパスを描いた「室津鏝絵探索図」

4月2日(日)、下関市豊浦町の「川棚温泉」入湯バスツアー開催
室津鏝絵」巡りや「川嶋神社」絵馬探訪と花公園で春本番満喫

 山口県下関市豊浦町の響灘に面した港町・室津(むろつ)に、明治時代に母屋や土蔵の白壁に鏝絵が描かれた町家が残っているとは、知りませんでした。私が所属する福津市の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」は4月2日(日)午前、豊浦町を観光バスツアーで訪れ、北前船も寄港したという室津の鏝絵巡りのフットパス=写真①=を地元ガイドさんの案内で楽しみます。

  旧豊浦町(平成17年に下関市に合併)教育委員会が平成16年に発行した冊子『鏝絵 豊浦町を訪れた左官職人の軌跡』に記載の「とようらの鏝絵」一覧表によると、豊浦町内では室津、川棚、宇賀の3地区計16個所の母屋や土蔵などに鏝絵があり、うち13個所が室津地区。13個所の鏝絵の制作年代は昭和57年制作の絵柄・「月・鶴・亀」の鏝絵を除き、12箇所の鏝絵はすべて明治時代です。

 2日の観光ツアーでは、貸切バスで午前7時50分に福津市のJR福間駅前を出発、9時30分に豊浦町の「室津公民館」前着。まず、「室津公民館」に移設されている「旧濱永家」の龍の鏝絵(長さ4.9㍍という室津で最大の鏝絵)を見学。このあと、「牛若丸・浦島太郎」=写真②=、「大黒・恵比寿」、「龍」、「鶴・亀・松竹梅」、「鶴・亀・月」などの鏝絵を見学します。

  

写真②:「牛若丸・浦島太郎」の鏝絵を紹介した冊子『鏝絵 豊浦町を訪れた左官職人の軌跡』(旧豊浦町教委発行)の解説記事

  鏝絵巡りフットパスウオークのあと、豊浦町の「川嶋神社」に「筑前勝浦濱」(福津市勝浦)の漁民から豊浦が発祥の地とされる「大敷網」(定置網の一種)漁法による豊漁のお礼に大正時代に奉納されたという絵馬を見学し、同町の「川棚温泉」にある「川棚グランドホテル」=写真③=で入湯と瓦そば昼食を楽しみます。さらに、近くの花公園「リフレッシュパーク豊浦」で満開のチューリップやエヒメアヤメ(天然記念物)の花を満喫、日本列島を縦断して旅する〝海を渡る蝶〟・アサギマダラの幼虫、蛹を飼育中の「蝶小屋」を見物して豊浦観光を終え、午後3時40分福間駅前帰着の予定です。

 

写真③:入湯と瓦そば昼食を楽しめる「川棚グランドホテル」

  参加費は、高速道路利用のバス代、昼食・入湯代、入園料、ガイド料、保険料、資料代含め8千円。参加申し込みは、「海とまちなみの会」事務局吉村へE-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jpか、電話(090-7451-8063)で。申し込み先着順の定員23人で締め切ります。

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2017年3月27日〈エッセー〉054:「上田製菓」6月廃業

2017-03-27 16:49:30 | エッセー

 

写真①:6月で閉店する和菓子の名店・「上田製菓」

       =福津市津屋崎3丁目で、2017年3月23日撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第54回:老舗和菓子店廃業へ

 福津市津屋崎の「上田製菓」6月閉店へ

また消える〈津屋崎千軒〉の和のスイーツ土産

  福津市津屋崎3丁目の〈津屋崎千軒通り〉にある江戸時代からの和菓子店・「上田製菓」=写真①=が、6月で廃業されます。店主の上田弘美さん(79)が体力的にきつくなっての店じまいといい、明治時代から作られていたが後継者がなく、2012年に廃業された香立商店(津屋崎4丁目)の「つやざき飴」に次いで、〈津屋崎千軒〉の和のスイーツ土産がまた一つ消えさるのは悲しいことです。

  「上田製菓」は、徳川幕府に開国を迫った米使ペリーが浦賀に来航した江戸末期・嘉永6年(1853年)の翌7年(1854年)には営業していたという老舗。 上田さん手作りの「破れ饅頭」(小豆餡)や「紅白饅頭」(白餡)など1個60円の饅頭が安くて旨いと人気で、白餡に青海苔入りの「恋の浦饅頭」は観光客のお土産にお薦めです。昔は、丁稚奉公の菓子職人さんらもおり、店の隅には大正時代に使っていた法被を展示。また、上田さんご夫妻は座敷や家紋、江戸時代末期の手鏡、明治時代の漆塗りおぼんなども公開しており、〈津屋崎千軒〉観光の代表的な町家の一つでした。

  〈津屋崎千軒〉の町家の解体は、古風な町並みの破壊の始まりです。2008年に旧本町(津屋崎4丁目)にあった旧荒物屋で凝った建具が目立つ築百年の「高山邸」(木造2階)と、旧沖町(同)にあった江戸の風情を見せる土壁漆喰塗り二階建ての元米屋・「河崎邸」が解体されました。10年には津屋崎海岸通り(津屋崎3丁目)の旅館「魚正」が閉店、12年には津屋崎4丁目の〈津屋崎千軒通り〉の「瀬戸隆鮮魚店」も閉店したほか、17年には近くの「松原化粧品店」が廃業し平屋の町家が解体されて更地となり=写真②=、旧天神町(津屋崎3丁目)の「上妻傘屋」の町家のシャッターには廃業で「貸店舗」の表示が貼られています。

 

写真②:町家が解体されて更地となった「松原化粧品店」跡

      =福津市津屋崎4丁目で3月23日撮影

  〈津屋崎千軒〉の町並みの雰囲気に惹かれ、福津市外からの移住者が増えても、大半が会社員や公務員などの勤め人で、店舗営業者の進出が少なければ、相次ぐ閉店で町家のシャッターが降ろされ、建物が解体されて更地になっていき、〈津屋崎千軒〉の古風な趣のある町並みは廃れてしまいます。年に一度のイベントで賑わいを演出するだけでなく、一年を通して来訪者が絶えず、〈津屋崎千軒〉の店舗の売上増につながり、市の税収も潤う観光地域づくりを戦略的に推進するDMOなど新たな地域創生の手法が、いま福津市に求められているのではないでしょうか。

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2017年3月20日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉111:サクラガイ

2017-03-20 20:33:41 | 「貝寄せ館」物語

 

写真①:「まだ知らない福岡の魅力」として〝貝寄せの浜〟のサクラガイを掲載した201

7年3月20日付読売新聞広告記事

 貝寄せの浜・〈貝寄せ館〉物語 111

:〝貝寄せの浜〟のサクラガイ

 

「まだ知らない福岡の魅力」広告記事で紹介

  2017年3月20日付読売新聞朝刊に見開き2ページ特集で掲載された「まだ知らない福岡の魅力」スポットの企画広告記事で、〝貝寄せの浜〟のサクラガイが紹介されました=写真①=。

  波打ち際で手のひらにサクラガイをのせたカラー写真とスポットの地図付き。記事では〈サクラガイとは、カバザクラやベニガイなどの総称で美しい薄紅色が特徴です。壊れやすく、完全な形のものを目にすることはまれです〉とし、〈冬から春にかけて、福津市の〝貝寄せの浜〟を散歩すると、サクラガイを含むさまざまな貝に出会うことができます〉として、〝貝寄せの浜〟を〈津屋崎海岸~福間海岸〉と掲載しています。

  「津屋崎千軒 海とまちなみの会」では、観光ガイド拠点事務所・「貝寄せ館」(福津市津屋崎3丁目18番16号)に、〈津屋崎の浜が春先に吹く西風で多くの貝が打ち寄せられ、〝貝寄せの浜〟と呼ばれているのに因み、会員や市民、観光町歩きの皆様が、貝のように寄せ集まる所にしたいと「貝寄せ館」と名付けました〉と説明した―〈津屋崎千軒〉の新観光スポット―「貝寄せ館」のPRチラシを置いています。

  「貝寄せ館」では、総称でいう〈サクラガイ〉ではない本家のサクラガイやカバザクラガイ、ベニガイなどのほか、暖海から対馬暖流に乗って冬に恋の浦や白石浜などに漂着する白く美しいアオイガイ(葵貝。別名カイダコ)など約60種の貝殻を展示しており、入館(3月の開館は26日=日曜=11~15時)無料です。

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〈催事〉0487:謎の絵馬

2017-03-16 17:20:26 | 行楽催事

  

写真①:山口県下関市豊浦町の「川嶋神社」に奉納された「筑前地之嶋大敷」絵馬

 
下関市豊浦町の「川嶋神社」に奉納された「筑前地之嶋大敷」絵馬の謎


  いつ、どこで行われた合戦を描いたのか分からない謎の絵馬=写真①=があります。「筑前地之嶋」(福岡県宗像市地島)の漁師が、山口県下関市豊浦町湯玉の「川嶋神社」に豊浦町が発祥の地とされる「大敷網」(定置網の一種)漁法で大漁を得たお礼として、大正時代に奉納。「豊浦地区まちづくり協議会」のメンバーら33人が2月13日、福津市の『絶景の道100選』認定・「津屋崎里歩きフットパス」の視察で津屋崎を訪れた際、私が所属する「津屋崎千軒 海とまちなみの会」がガイドを引き受け、絵馬の写真を拝見しました。

  絵馬の額には「筑前地之嶋大敷 沼井磯市」、「大正六丁巳年七月吉祥日 大漁叶」と書かれています。描かれた絵に題名はなく、左手に馬上で槍を突き出した豊臣秀吉家臣で「賤ケ岳七本槍」の加藤清正、福島市松(正則)の両戦国武将、その右手に新納(にいろ)武蔵、伊集院忠棟の島津氏の武将が馬上で迎え討っている構図です。上部には金色の千成り瓢箪の背後に鎧武者の群れと林立する幟旗が描かれており、秀吉の本陣のようです。新納武蔵は、戦国時代の薩摩国島津家に仕えた「島津四勇将」の一人で武勇は鬼神のごとしと評された通称「鬼武蔵」で、伊集院忠棟は島津義久に仕えた筆頭家老。どうやら秀吉の九州遠征での島津攻めの場面と思われますが、戦の年月、場所は分かりません。

  「海とまちなみの会」では4月2日(日)、豊浦町の港町・室津の町家に残る龍や浦島太郎、大黒・恵比寿などの鏝絵巡りフットパスウオークのあと、「川棚温泉」入湯と瓦そば昼食、「リフレッシュパーク豊浦」の花園や、〝海を渡る蝶〟・アサギマダラの幼虫、蛹を飼育中の「蝶小屋」見物を行う「豊浦町観光貸切バスツアー」を開催、「川嶋神社」の絵馬見学も予定しており、絵馬の額裏に題名や絵師の名前が書かれていないかなど、地元ガイドさんの案内で詳しく調べる計画。〈津屋崎千軒〉には山口県から網漁法の普及に来た漁師が移住しており、豊浦町と約60Km離れた津屋崎の漁師たちが「大敷網」漁を通じて大正時代に交流した歴史も鮮明になるのでは、と期待しています。

  「大敷網」の発祥地とされる豊浦地区から、この漁法がどのようにして「筑前地之嶋」に伝えられたのでしょうか。旧津屋崎町が平成10年に発行した同町史民俗調査報告書・『津屋崎の民俗(第四集)』「北の二」によると、定置網の中で最大の「落し網」(「大敷網」ともいう)=写真②=を張る津屋崎の網漁では、ブリ、イワシ、トビウオ、アジ、サバ、サワラ、マイワシを捕獲。二隻で操業し、一隻に七、八人乗って朝方1回操業、都合によっては夕方も行っていました。〈大正末期から昭和の初期、山口県安岡(注:響灘に面した旧豊浦郡安岡町安岡浦=現下関市安岡=のことか。安岡漁港がある漁村)の船が津屋崎の海で縄大敷網を操業していた〉という。

 

写真②:落し網(大敷網)の図=『津屋崎の民俗』(第四集)「北の二」105頁掲載=

  「豊浦町観光貸切バスツアー」参加募集中

  4月2日の「豊浦町観光ツアー」では、貸切バスで午前7時50分に福津市のJR福間駅前を出発、9時30分に豊浦町の「室津公民館」前着。町内観光を終えて、午後3時40分福間駅前帰着の予定です。参加会費は、交通費、昼食・入湯代、入園料、ガイド料、保険料、資料代など8千円。参加申し込みは、3月26日まで「海とまちなみの会」事務局吉村へE-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jpで。申し込み先着順の定員23人で締め切ります。

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〈薩摩大使〉011:鶴丸城御楼門=2017年3月14日

2017-03-14 09:14:02 | 薩摩大使

 

写真①: 『県政かわら版』の2017年2月号1面に掲載された「鶴丸城御楼門」建設の記事

 鹿児島県が平成32年3月完成目指し

島津氏の居城・鶴丸城の「御楼門」再建へ

  鹿児島県かごしまPR課の薩摩大使事務局から隔月刊広報誌『グラフかごしま』の2017年2月号が、拙宅に到着。1面に「鶴丸城御楼門の建設に向けて 平成32年3月完成予定」の特集記事が掲載されていました=写真①=。

  鶴丸城は、島津家第18代当主で後に初代島津藩主となる島津家久が江戸時代初期・慶長6年(1601年)に鹿児島市城山町に築いた島津氏の居城。背後の山城(城山)と麓の居館から成る城ですが、居館(現鹿児島県歴史資料センター黎明館)の正面中央にあった鶴丸城のシンボル・御楼門(高さ約18㍍、幅約20㍍)は明治6年(1873年)の火災で焼失しました。主柱(鏡柱)は幅3尺(約90㌢)もあった堂々たる建物でした。

  鹿児島県は、御楼門の建設は鹿児島の歴史や文化、建築技術の継承と、新たな観光拠点づくりになるとして、官民一体となって平成27年に設立した「鶴丸城御楼門建設協議会」で同32年3月の完成に向けて取り組みを進めており、御楼門復元寄付金で同29年度に着工の予定です。また、城郭の美観や威厳を増したいと、御楼門と連なる「御角櫓(おすみやぐら)」も併せて建設します。「御角櫓」は本丸の南東角に位置し、城の防御と物品収蔵に充てられた建物で、篤姫がここから祇園祭を見物したという記録も残っているという。

  平成30年1月から放送されるNHK大河ドラマは西郷隆盛が主人公の「西郷(せご)どん」に決まっていることとあいまって、「鶴丸城御楼門」と「御角櫓」の建設で薩摩、鹿児島(かごんま)が全国的に注目されそう。

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