吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2013年3月29日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉059:海綿

2013-03-29 05:36:04 | 「貝寄せ館」物語

 写真①:「貝寄せ館」に展示された海綿

 

原田誠さんから海綿が寄贈されました
津屋崎海岸で採集

 福津市津屋崎3丁目の「津屋崎人形巧房」当主の原田誠さん(「海とまちなみの会」会員)が、津屋崎海岸で採集した海綿=写真①=を「貝寄せ館」に寄贈されました。〝貝寄せの浜〟・津屋崎浜に打ち寄せられた貝がら類の展示に、新たに海綿動物の展示が加わることになりました。

  海綿は、海底の岩や砂州に着生する多細胞動物。体の側面にある小さな穴から海水を吸って微生物を食べ、頂上の大きな穴から海水を吐き出します。細かい網目状の海綿質繊維からなる骨格が、入浴時に「肌にやさしいスポンジ」として利用される海綿もありますが、寄贈された海綿の種類は分かりません。

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2013年3月28日/〈日記〉500・『津屋崎学』第20版刊行、これで絶版

2013-03-28 16:16:21 | 日記

写真①:『津屋崎学――A Quaint Town Tsuyazaki-sengen Guide』第20版上製本の表紙

津屋崎の郷土史と自然のガイド本              これで絶版にします
『津屋崎学――A Quaint Town Tsuyazaki-sengen Guide』第20版上製本が完成
(B5判カラー、314㌻) 吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」をもとに書籍化


 古里・津屋崎の良さや歴史を1冊の本にまとめ、子や孫の世代に伝えたいと、吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」をもとに書籍化した津屋崎の郷土史と自然のガイド本、『津屋崎学――A Quaint Town Tsuyazaki-sengen Guide』の第20版上製本(B5判カラー、314㌻)=写真①=が、平成25年(2013年)3月28日、東京にある発行所・Obunest(オブネスト)=ソフト開発のイースト株式会社および印刷会社の欧文印刷の共同事業名=で出来あがり、宅配便で拙宅に届きました。

解説記事に写真402枚付き 

 記事は、「第1章 津屋崎の魅力」から始め、「第2章 津屋崎塩田の軌跡~津屋崎は塩で保(も)つ~」、「第3章 〝筑豊の炭鉱王〟・伊藤伝右衛門と津屋崎」や、「第16章 卯建と鏝絵の町家巡り」、小説やテレビ・ドラマに描かれた津屋崎、失われた町家、〝幻の津屋崎鉄道〟などを紹介した「第18章 津屋崎よもやま話」、「第19章 津屋崎の食文化」まで全19章で構成したあと、「津屋崎歴史年表」を掲載。明治創業の荒物屋・旧「乙藤商店」や旧「田中薬局」といった古い町家の様子と、「豊村酒造」の鏝絵、旧「麦屋惣平衛邸」の卯建、「津屋崎干潟」に渡来する冬鳥・クロツラヘラサギ、東京で撮影した泉岳寺や東郷神社、庚申信仰の柴又帝釈天も含め、平成18年から意識的に撮り集めた郷土の祭りや社寺、石碑、風景などの写真402枚と地図60枚付きで分りやすく表現しています。

  『津屋崎学』は平成23年(2011年)2月12日、ソフトカバーの初版並製本(B5判カラー、432㌻)を刊行。その後、かなりの地図を手作りで差し替え、ページ数を減らして改版、ハードカバーの第20版上製本は「宮地嶽自然歩道」の記事の一部を差し替えました。非売品ですが、私が所属している福津市の町興し団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の事務所・「貝寄せ館」(津屋崎3丁目)でご希望の方には実費(上製本1万5千円、並み製本8千2百円)で頒布しています。この第20版刊行で、絶版にします。

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〈催事〉0226:〈津屋崎千軒通り〉に街灯設置

2013-03-28 05:19:33 | 風物

写真①:「豊村酒造」板塀の前に建てられた街灯

      =福岡県福津市津屋崎4丁目で、2013年3月26日撮影

 〈津屋崎千軒通り〉に街灯設置

「豊村酒造」の板塀の前 

 福津市津屋崎4丁目にある「豊村酒造」の板塀前の〈津屋崎千軒通り〉に、街灯が建てられました=写真①=。

 観光客が散策したくなる街づくりを進める福津市が、〈津屋崎千軒通り〉整備事業で設置。歴史と風情を感じさせる「豊村酒造」の建物のそばに建てられたのに、左に電柱とカーブミラー、右に消火栓の標柱が建っており、ごちゃごちゃした印象ですね。せめて電柱は地中化した方が、古い町並みの景観にふさわしいようです。

  街灯のデザインや支柱の黒い色は、レトロでおしゃれなセンスが不足していないでしょうか。街灯の夜景はどうかな、と28日未明に撮影してみました=写真②=。

 

 写真②:街灯が照らす夜の「豊村酒造」板塀前の〈津屋崎千軒通り〉

     =3月28日午前3時55分撮影

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記事2013年3月26日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉058:「貝寄せ館」開館1周年

2013-03-26 14:21:27 | 「貝寄せ館」物語

写真①:「海とまちなみの会」の観光拠点事務所・「貝寄せ館」

     =福津市津屋崎3丁目18-16の〈津屋崎千軒通り〉で撮影

 「貝寄せ館」オープンから1年経ちました
1、782人の入館者にご利用いただきました
27日、KBCのテレビ番組で〝珍スポット〟として放送されます

 私が所属している福津市の町興しボランティア団体・「海とまちなみの会」の観光拠点事務所・「貝寄せ館」=写真①=が、2012年3月25日(日曜)にオープンしてから、13年3月24日で1年経ちました。当初、毎週火・土・日曜と祝日の午前11時から午後3時までの開館とし、12年9月からは〈津屋崎千軒〉の商店の大半が定休日の火曜日は閉館に変更。この1年間の開館149日間に計1,782人の入館者(1日平均11.95人)があり、〈津屋崎千軒〉の観光ガイド拠点や市民、観光客の立ち寄り場、休憩所として知られてきたようです。あす27日(水曜)は、午前10時45分から11時40分まで放映されるKBC九州朝日放送のテレビ番組「サワダデース」でも、お勧めの観光・〝珍スポット〟として放送(11時前ごろの見込み)されます。

 この1年間で入館者が最も多かったのは12年6月4日、見学に訪れた福津市立津屋崎小学校3年全クラス児童ら155人と、下関市の健康美容体操団体の女性45人らの計200人でした。「貝寄せ館」=写真②=は開館以来、RKBラジオ放送番組「高田課長のちょい旅」で取り上げられたり、西日本新聞の「福岡都市圏版」、朝日新聞の「わが街広報部長」、読売新聞の「福岡東かわらばん」、毎日新聞の「TOWN たうん」にも掲載。福津市の広報誌「広報ふくつ」12年6月1日号では4㌻にわたる特集記事で紹介、同年10月にはJcom福岡のテレビ番組「素敵シニアの自悠時間」で、同館を拠点とした「海とまちなみの会」男女会員のボランティア活動ぶりを放映いただきました。

 

写真②:「貝寄せ館」の位置図

 晴れて開館1周年を迎えられたのは、「貝寄せ館」建物(「旧田畑畳店」畳製造所)を無償で貸していただいた田畑猛さん(91)、ヨネ子さん(83)ご夫妻のご厚意と、建物改装費支援寄付金計62万5千円を会員や市民、団体の皆様からお寄せいただいたおかげで、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。「貝寄せ館」開館日の当番スタッフをはじめとした会員の方々や、ひごろから活動を支援いただいている関係各位にもお礼を申し上げます。

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2013年3月23日/〈日記〉499・『文化福津』に記事掲載

2013-03-23 04:51:11 | 日記

  

写真①:福津市文化協会会誌『文化福津 第8号 2013』の表紙

 

寄稿記事3本が掲載されました

「貝寄せ館」開館、「伊能ウオーク」、『津屋崎学』刊行

――福津市文化協会会誌『文化福津 第8号 2013』

  私が所属している「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の「貝寄せ館」開館と、「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」開催の報告寄稿記事、吉村青春の『津屋崎学』刊行紹介記事が、2013年3月に2,500部発行の福津市文化協会会誌『文化福津 第8号 2013』=写真①=に掲載されました。

  福津市文化協会『文化福津』編集委員会から要請され、私が執筆。「貝寄せ館」オープンの記事は56㌻に掲載=写真②=され、「〈津屋崎千軒〉の観光ガイド拠点」、「『貝寄せ館』がオープン」――の見出しに、平成24年3月25日に行った開館式で、小山達生・福津市長らと同館前で祝賀のVサインをして記念撮影する様子の写真と、同市広報誌『広報ふくつ』同年6月1日号に4㌻にわたって特集掲載された記事のカット写真2枚付きです。

  

写真②:「貝寄せ館」オープンの記事が掲載された56㌻

  「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」の寄稿記事は、平成24年8月25日に福津市まちおこしセンターを発着点にして開催した内容を44㌻、45㌻に見開きで掲載=写真③=。ツアー参加者から選ばれた〝伊能忠敬そっくりさん〟が先頭になり、勝浦浜の距離を歩測する様子をはじめ計5枚の写真を添えています。

 

写真③:「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」の記事が掲載された44㌻と45㌻

  吉村青春の『津屋崎学』刊行紹介記事は57㌻に、「津屋崎の郷土史と自然のガイド本」の見出しと本の表紙写真付きで掲載=写真④=。

  

写真④:57㌻に掲載された吉村青春の『津屋崎学』刊行紹介記事

  この『文化福津』の記事を見て、観光拠点事務所・「貝寄せ館」や「海とまちなみの会」の活動に読者市民や観光客の皆様の理解が深まり、一人でも津屋崎ファンが増えると幸いです。

 

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2013年3月21日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉057:舗道石畳敷設工事

2013-03-21 09:01:15 | 「貝寄せ館」物語

写真①:ほぼ完成した「津屋崎千軒なごみ」(右側)前の石畳敷設工事
     =福津市津屋崎3丁目の〈津屋崎千軒通り〉で、2013年3月16日撮影

 

福津市・〈津屋崎千軒通り〉の散策道路整備事業

「津屋崎千軒なごみ」前の舗道石畳敷設工事ほぼ完成

  福津市が平成24年度事業で2012年10月から行っていた〈津屋崎千軒通り〉の散策道路整備事業のうち、津屋崎3丁目(天神町)の市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」前の舗道に石畳を敷く工事がほぼ完成しました=写真①=。

 この〈津屋崎千軒通り〉の散策道路整備事業は、福津市がまず平成17年度予算で津屋崎漁港(浜の町)前から「豊村酒造」前(新町)付近まで約5百㍍のコンクリート舗道(最大幅4.5㍍)に、グレーと淡い赤褐色の石畳(40㌢四方)をきれいに敷き詰めました。平成24年度は、さらに東側の市まちおこしセンター前までの2百㍍区間について、予算4千万円で同じように石畳を敷いて整備する計画で、「津屋崎千軒なごみ」から「しおさい通り」を挟んで西側の〈津屋崎千軒通り〉の「豊村酒造」前付近までの石畳敷設工事も進められています。

 これまで「津屋崎千軒なごみ」前舗道の石畳敷設工事で車の通行が規制され、2軒東側にある「海とまちなみの会」事務所・「貝寄せ館」(入館無料)に立ち寄られる観光客は足止め状態でしたが、工事がほぼ完成したことで入館して、展示中の津屋崎産の貝がらやカブトガニの標本、江戸時代の津屋崎浦地図、製塩で栄えた〈津屋崎千軒〉の解説写真パネルなどを観覧される女性やお子さん連れの家族客も増えています。

  「津屋崎千軒なごみ」前から「貝寄せ館」や江戸時代から営業の上田製菓と2軒の津屋崎人形店の前を経て、津屋崎交番までの〈津屋崎千軒通り〉東詰めまで残りの舗道の石畳敷設工事も、平成25年度以降の予算でぜひ行ってほしいものです。

 

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〈催事〉0225:あんず祭り

2013-03-17 08:39:32 | 行楽催事

写真①:ピンク色のアンズの花が満開になった「あんずの里運動公園」

      =福岡県福津市勝浦で、2013年3月17日撮影

 約2,500本のアンズの花が見ごろ

きょう〈あんず祭り〉開催です

――福津市勝浦の市営「あんずの里運動公園」

 福津市勝浦の市営「あんずの里運動公園」で、植栽されている約2,500本のアンズの花が満開です=写真①=。

 公園内にある農産物直販所「あんずの里市」では、きょう17日(日曜)午前9時30分から〈あんず祭り〉が開催されます。子供太鼓の演奏やダンス、歌謡ショー、無料乗馬体験のほか、3,00食のだんご汁が振る舞われます。問い合わせは、「あんずの里市利用組合」(℡0940-52-5995)へ。

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2013年3月15日/〈福岡・町歩き〉011・西鉄太宰府駅

2013-03-15 04:42:02 | 福岡・町歩き

写真①:「太宰府天満宮」を模した外観の「西鉄太宰府駅」

     =太宰府市宰府二丁目で、2013年3月2日午前11時15分撮影

 

〈福岡・町歩き〉・「太宰府天満宮」参道探訪 6

 :西鉄太宰府駅

  太宰府市宰府二丁目にある「西鉄太宰府駅」=写真①=は、「太宰府天満宮」参拝の入り口駅にふさわしく、天満宮を模した外観です。

  「太宰府天満宮」参道両脇の商店街には、組み木を入り口に突き出した変わったデザインのコーヒ店=写真②=もありました。

  

写真②:組み木を入り口に突き出した変わったデザインのコーヒ店

  「大町参道」沿いにある格子の町家を活かした和風喫茶店「風見鶏」=写真③=は、古都・大宰府らしい風情です。

 

 写真③:格子の町家を活かした和風喫茶店「風見鶏」

   「風見鶏」の斜め向かいにある「梅園」=写真④=は、和菓子処。幸せを運んでくれる天神様の守り鳥とされる「鷽(うそ)」にちなんでつくられた「うそ餅」は一口サイズで、口に入れると紫蘇の優しい香りと味が広がると、お土産や贈り物に人気のお菓子です。

 

写真④:和菓子専門店の「梅園」

  「太宰府天満宮」境内にある西高辻信貞先代宮司らの歌碑が建つ庭園・「邂逅(かいこう)の苑」の紅梅が、あでやかな花を咲かせていました=写真⑤=。天満宮界隈の散策は、桜も開花したこれからが絶好の季節です。

 

写真⑤:「邂逅の苑」のあでやかな紅梅の花

                     (「太宰府天満宮」参道探訪シリーズ・終わり)

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2013年3月14日/〈福岡・町歩き〉010・和歌・俳句灯篭

2013-03-14 02:38:54 | 福岡・町歩き

 

写真①:和歌と俳句を4つの側面に刻んだ石灯篭

      =太宰府市宰府二丁目の「西鉄太宰府駅」前広場で、2013年3月2日午前11時15分撮影

 

〈福岡・町歩き〉・「太宰府天満宮」参道探訪 5

 :和歌・俳句灯篭

  太宰府市宰府二丁目の「西鉄太宰府駅」前広場で、和歌と俳句を4つの側面に刻んだ石灯篭を見つけました=写真①=。

  側面に刻まれた和歌の一つ、〈東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ〉は、もちろん太宰府天満宮の祭神・菅原道真公の作です。現代語訳は「永かった冬の終わりを知らせる風が東の方から吹きはじめたら、咲き香って、その甘い香りを遠い土地に住むことになった私にも届けておくれ梅の花よ、たとえこの私が居なくなっても春を忘れないで花開いておくれ」。

  二つ目の和歌=写真②=は、万葉歌人の大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が詠んだ〈今もかも 大城の山に ほととぎす 鳴きとよむらむ われなけれども〉(今頃は、大城の山でホトトギスがさかんに鳴いているであろう。もう私はそこ(大宰府)にいないけれども)。

  

写真②:石灯篭に刻まれた大伴坂上郎女の和歌

  郎女は、大宰帥(だざいのそち)、つまり大宰府の長官に任ぜられた大伴旅人(おおとものたびと)の異母妹。旅人が九州に下って最愛の妻を病気で亡くしたため、郎女は旅人の片腕として大宰府の長官の家を切り盛りしました。この歌は、旅人より早く帰京した後、大城山(大野山)を懐かしんで詠んだ一首です。大野山には、古代山城である大野城があります。

  郎女の万葉歌碑は、福津市勝浦の「あんずの里運動公園」にも建てられています。郎女が、大宰府から通じる古代の官道を通り、福津市津屋崎勝浦にある〈名児山(なちごやま=『万葉集』では〝なごやま〟と読ませている)〉を越えて宗像市方面へ向かう途中で詠んだ〈大汝(おおなむち) 少彦名(すくなひこな)の 神こそは 名づけ始(そ)めけめ 名のみを 名児山(なごやま)と負ひて わが恋の千重の一重も 慰めなくに〉という長歌です。現代語訳すると、〈大汝の神と少彦名の神が名付けたに違いない名児山は、〝心が和む山〟という意味を持ちながら、私の悩む恋心の千分の一さえ慰めてはくれない〉となります。大汝(大国主)と少彦名は、国造の神。

 石灯篭に刻まれた3つ目の和歌は、日本最初の禅寺で知られる臨済宗寺院・「聖福寺」(福岡市博多区で江戸時代に住職を務めた仙義梵(せんがい・ぎぼん)の作。〈烟たつ かまどの山の 緋桜は 香飯の国の 贈る春風〉。烟=けむり=が立ち上るように匂うかまどの山=竈門山(宝満山)=の緋桜は香飯の国=天上の世界=から贈られてくる春風のように陶然となる、の意味でしょうか。禅画や俳句にも造詣が深い趣味人としても知られた仙和尚らしく、洒脱な調べです。

 石灯篭の側面に刻まれた4つ目は、夏目漱石の俳句で〈反橋の 小さく見ゆる 芙蓉かな〉。明治29年9月、九州旅行で太宰府天満宮に参拝した漱石が、芙蓉の花越しに心字池に架かる太鼓橋(反橋=そりばし)=写真③=が遠望される情景を詠んだ一句のようです。

 

写真③:「太宰府天満宮」の心字池に架かる太鼓橋

  古代の万葉女流歌人から菅公、〝西の一休さん〟・仙和尚、明治の文豪・漱石まで4首(句)を飾る石灯篭は、大宰府の歴史・文化の奥深さを感じさせてくれます。

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2013年3月12日/〈福岡・町歩き〉009・伝衣塔と梅壺侍従蘇生の碑

2013-03-12 07:59:57 | 福岡・町歩き

写真①:渡宋天神伝説にちなむ「伝衣塔」(解説板の右側)

      =太宰府市・「国博通り」沿いで、2013年3月2日午前11時30分撮影

 

〈福岡・町歩き〉・「太宰府天満宮」参道探訪 4

伝衣塔と梅壺侍従蘇生の碑

  「光明禅寺(こうみょうぜんじ)」の近くの国博通り沿いに、同寺を創建した菅家(菅原道真家)の生まれとされる鉄牛円心(てつぎゅうえんしん)和尚にまつわる渡宋天神(とそうてんじん)伝説の「伝衣塔(でんえとう)」=写真①=がありました。鉄牛円心和尚は、博多の「承天寺」や、京都の「東福寺」を開山した「聖一国師(しょういちこくし)」の弟子で、国師の伝記・『聖一国師年譜』を執筆したことでも知られています。

 「伝衣塔」そばに太宰府市が建てた解説板には「鎌倉時代のこと、大宰府横岳の崇福寺(そうふくじ)にいた聖一国師の夢枕に菅神(かんしん=菅原道真公)が現われ禅の教えを問うた。そこで国師が宋(中国)の仏鑑(ぶっかん)禅師を紹介したところ、菅神は一夜のうちに宋に渡り、忽ちに悟りを開いて戻って来られたという。渡宋天神の話であるが悟りの証にもらった法衣を聖一国師の弟子の鉄牛円心和尚が納めて建てた塔が伝衣塔であり、その時創建された寺が光明禅寺と伝えられる」と書かれています。

  この「菅神は一夜のうちに宋に渡り、戻って来られた」伝説にあやかりたいと、昭和の出征兵士に贈る千人針に「伝衣塔」の苔を取って縫い込んだため、苔が無くなったという悲しい戦時の逸話も伝えられています。

  「伝衣塔」の近くの藍染川には、「梅壺侍従蘇生の碑」という伝説の石碑=写真②=もありました。太宰府天満宮の神官中務頼澄(なかつかさよりずみ)を慕い、筑紫に下った京女梅壺が頼澄に会えないのを嘆いて「光明禅寺」の前を流れる藍染川に身を投げたため、頼澄が天神様に祈ったら蘇生したという。

  

写真②:蘇生伝説ゆかりの「梅壺侍従蘇生の碑」

     =2日午前11時30分撮影

 藍染川という雅な名前には、なにやら謂れがありそうだな、と思って調べてみましたら、古くは「愛染川」とも書かれ、古来、和歌や謡曲にも詠われたそうで、梅壺が身を投げる舞台にふさわしい川でした。「藍染川」の案内石注=写真③=が「光明禅寺」の山門前に建っています。表通りの太宰府天満宮参道を外れ、九州国立博物館へ通じる裏通りの「国博通り」で、こうした「伝衣塔」や「梅壺侍従蘇生の碑」のミステリアスでロマンあふれる伝説に巡りあえるのが、町歩きの楽しみです。

 

写真③:「藍染川」の案内石注

     =「光明禅寺」の山門前で、2日午前11時35分撮影

 

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