写真①:星野哲郎の写真やグッズが並ぶミュージアムショップ
=山口県周防大島町の「星野哲郎記念館」で、2010年2月5日午前11時50分撮影
2月5日、山口県光市室積(むろづみ)の白壁の町家が並ぶ「海商通り」や、江戸時代の繁栄ぶりがしのばれる柳井市の「柳井津・白壁の町並み」を訪れたあと、瀬戸内海にある周防大島へドライブしました。
周防大島の訪問先は、二つありました。一つは、日本音楽著作権協会会長、日本作詩家協会会長などを歴任した作詞家・星野哲郎=写真①=の作品や、生い立ちなどの資料を展示している「星野哲郎記念館」=写真②=です。
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写真②:「星野哲郎記念館」が設けられている周防大島町東和庁舎
=山口県周防大島町で、2月5日午後0時25分撮影
星野(本名有近哲郎)は大正14年(1925年)、周防大島町生まれの84歳。「みだれ髪」(歌手・美空ひばり)や、「雪椿」(小林幸子)、「風雪ながれ旅」(北島三郎)、「兄弟船」(鳥羽一郎)、「アンコ椿は恋の花」(都はるみ)など数々のヒット曲を生み出しています。私はかねて、「日本レコード大賞」や「日本作詞大賞」に輝いたこの大作詞家が育った郷里を訪ね、作詞の秘密を探ってみたいと思っていました。
「星野哲郎記念館」では、半世紀を超える作詞活動の膨大な作品が紹介されており、「昔の名前で出ています」(小林旭)など、カラオケで歌えるなじみの曲がメジロ押し。星野が作詞した「三百六十五歩のマーチ」のヒットで紅白歌合戦に出場した愛弟子・水前寺清子の「歌手生活45周年展」も開催されていました。
もう一つの訪問先は、「宮本常一記念館」=写真③=でした。日本を代表する民俗学者の一人、宮本常一(みやもと・つねいち)の足跡を偲びたかったからです。
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写真③:ドーム型の屋根の「宮本常一記念館」(左側の建物)
=山口県周防大島町で、2月5日午後1時撮影
宮本は、明治40年(1907年)、周防大島町に生まれ、昭和56年(1981年)に73歳で死去。戦前から高度成長期まで日本各地の村や島をフィールドワークし、〝旅する巨人〟と評され、『忘れられた日本人』、『塩の道』などの著書で知られています。被差別の民や底辺での生活者を温かなまなざしでとらえて生活ぶりを記録、人々を明るく励まし、誇りと勇気を与えた敬愛すべき民俗学者です。
今の観光旅行のあり方が、各地の名所旧跡を訪ね、特産物を賞味して歩く消費型観光から、旅することの意味を自分に問いかける思索・体験型の観光へ移行しつつあるとされている折、宮本の旅する姿は私たちの〈津屋崎千軒〉観光のあり方にも大いに参考になります。
記念館は、「周防大島文化交流センター」の1階に付設されており、入り口に常設展示「宮本常一がみた山のくらし、海のなりわい 昭和37年の九州情景」の案内看板=写真④=が、立てられていました。館内には、対馬や九州本土で宮本が撮影した風景、船、農民などの写真や収集した民俗資料、文献などのほか、周防大島の民具が収蔵展示されています。
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写真④:「周防大島文化交流センター」入り口に立つ常設展示の案内看板
=山口県周防大島町で、2月5日午後1時撮影