吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

〈薩摩大使〉021:名勝庭園・史跡「仙巌園」=2017年6月30日

2017-06-30 05:37:28 | 薩摩大使

 

写真①: 「仙巌園」の一角にある亀に見える「亀石」(向こうに霞んで見えるのは「桜島」)

     =鹿児島市吉野町で、2017年6月17日午後3時10分撮影

鹿児島1泊旅行記⑩

名勝庭園・史跡「仙巌園」

   私たちを乗せた鹿児島交通観光バスは6月17日午後3時、鹿児島市吉野町の「仙巌園」(名勝庭園・史跡)に着きました。江戸時代初期の万治元年(1658年)、島津家19代当主光久が築いた別邸、明治期には本邸として使われた御殿の雄大な庭園で、鹿児島を代表する観光地です。桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた「仙巌園」の一角に、亀に見える「亀石」=写真①=があるのを鹿児島交通のバスガイドさんに教えてもらいました。曇りのため、「亀石」の向こうに見える「桜島」は霞んでいます。

  「亀石」の近くに、薩摩藩最後の藩主・島津忠義が使った部屋もある「御殿」=写真②=が建っています。

  

写真②:薩摩藩最後の藩主・島津忠義が使った部屋もある「御殿」

     =17日午後3時5分撮影

   「仙巌園」の「正門」=写真③=は、平成20年に放送されたNHKテレビの大河ドラマ『篤姫』で薩摩藩邸江戸屋敷に見立てたロケ地になりました。28代当主斉彬は「仙巌園」を愛し、13代将軍徳川家定の正室となった篤姫や幕府軍艦奉行勝海舟、イギリス商人トーマス・グラバーなど歴史を動かした人物もまた訪れたこの地に立つと、時の旅人になった気がします。

  

写真③:NHKテレビの大河ドラマ『篤姫』で薩摩藩邸江戸屋敷のロケ地になった「正門」

     =17日午後3時撮影

  「正門」から「御殿」へ通じる道に建つている錫板葺きの「錫門」=写真④=は、島津家当主と嫡男だけが通ることができたという。朱塗りの柱と、白い錫屋根の対比が美しい。

 

写真④:朱塗りの柱と、白い錫屋根の対比が美しい「錫門」

     =17日午後3時撮影

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〈薩摩大使〉020:「黒酢の郷 桷志田」=2017年6月29日

2017-06-29 01:45:37 | 薩摩大使

 

写真①: 錦江湾をバックにした「黒酢の郷 桷志田」のかめ壺畑

    =鹿児島県霧島市福山町福山で、2017年6月17日午後1時20分撮影

鹿児島1泊旅行記⑨

「黒酢の郷 桷志田

  6月17日午後1時30分、鹿児島ツアー客を乗せた鹿児島交通観光バスは、鹿児島県霧島市福山町福山の黒酢レストランで人気の「黒酢の郷 桷志田(かくいだ)」に到着。錦江湾をバックにした広大なかめ壺畑=写真①=に案内され、黒酢のできるまでの説明を聞いたあと、黒酢の試飲もさせてもらえました。

  「桷志田」は平成17年、壷畑見学・黒酢レストラン・黒酢直売の3つを融合した“食と健康をつなぐ”日本初の黒酢レストランとしてオープン。旨味や美容・健康の手助けをするアミノ酸として注目されているD-アミノ酸が、米酢の55倍以上増やすことに成功したという。D-アミノ酸が持つ旨味とまろやかさ、お客様ニーズに合った美容や健康増進に関する情報を発信しており、かめ壺畑に隣接した「桷志田」1階にある販売コーナーは、玄米黒酢や黒酢ドレッシングなどの買物客で賑わっていました=写真②=。お土産に、国産の新鮮なブルーベリーと黒酢を使った 「生フルーツ黒酢ブルーベリー」を、飲みやすい旨さだったので購入。

  

写真②:玄米黒酢や黒酢ドレッシングなどの買物客で賑わう黒酢販売コーナー

     =17日午後1時55分撮影

  「桷志田」2階の黒酢レストランでは、“食を楽しむ、食を通じて学べる、食を通じて健康になれる”充実したレストランをコンセプトに、黒酢を使った限定ランチメニューやオリジナル黒酢ドリンクが味わえます。黒酢を使った「ANA機内食採用記念ランチ」の案内表示=写真③=によると、全日空機内食に採用された黒酢ドレッシングオニオンを使用した特別ランチ、黒豚とんかつや坦々麺なども楽しめるという。

  

写真③:黒酢を使った「ANA機内食採用記念ランチ」の案内表示

     =17日午後1時40分撮影

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〈薩摩大使〉019:「黒神埋没鳥居」と「森伊蔵」=2017年6月28日

2017-06-28 17:09:18 | 薩摩大使

 

写真①: 大正3年の桜島大噴火の火山灰に埋もれた「埋没鳥居」

      =鹿児島市黒神町で、2017年6月17日午後0時45分撮影

鹿児島1泊旅行記⑧

「黒神埋没鳥居」と「森伊蔵」

  錦江湾をまたいだ鹿児島市営の「桜島フェリー」が6月17日午前11時30分、桜島港に到着。鹿児島ツアーの鹿児島交通バスで昼食会場に立ち寄った後、大正3年(1914年)1月12日の桜島大噴火の火山灰で埋もれた桜島東部・同市黒神町の「腹五社神社(黒神神社)」の「埋没鳥居」=写真①=を訪れました。高さ3㍍の鳥居は、笠木部分の約1㍍だけを残して埋まり、火山爆発の猛威を今に伝えています。

  大噴火翌日の13日、桜島から30億トンもの溶岩が流出を始め、瀬戸海峡を横断して桜島と大隅半島を陸続きにしたため、黒神地区の全戸687戸が火山灰に埋没したという。「黒神埋没鳥居」と道路を隔てた見学者の駐車場=写真②=の一角には、次の大噴火に備えた「退避壕」も設置されています。

 

写真②:案内看板が立つ「黒神埋没鳥居」(道路向かい)見学者の駐車場

         =17日午後0時45分撮影

 「黒神埋没鳥居」見学後は、鹿児島交通バスは次の観光スポット・「福山黒酢の里」(鹿児島県霧島市福山町福山)へと向かいました。途中、鹿児島県垂水市を走行中のバスの窓ガラス越しに〝幻の焼酎〟・「森伊蔵」の社屋が撮影できました=写真③=。私も大切なお客様への「お・も・て・な・し」の折にオンザロックで愛飲するのが楽しみな薩摩芋焼酎の銘酒です。吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』に収めた拙作の『森伊蔵』の詩を読んでいただければ、よそにはない焼酎づくりにトコトンこだわった森覚志社長と、彼にエールを贈る左党詩人の想いを酌んでいただけると思います。

 

写真③:鹿児島交通バスの窓ガラス越しに撮影した「森伊蔵」の社屋

         =鹿児島県垂水市で、17日午後1時10分撮影

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〈薩摩大使〉018:屋久杉工場見学=2017年6月27日

2017-06-27 17:39:49 | 薩摩大使

 

写真①: 屋久杉見学工場「アリヨシ民芸品店」の展示場

    =鹿児島市喜入瀬々串町で、2017年6月17日午前9時30分撮影

 鹿児島1泊旅行記⑦

屋久杉工場見学

   6月17日午前8時30分、鹿児島ツアーの鹿児島交通バスで宿泊先の「指宿いわさきホテル」を出発、鹿児島市喜入瀬々串町の屋久杉見学工場「アリヨシ民芸品店」=写真①=に立ち寄りました。

  国道226号線沿いにある店の入り口に、大きな屋久杉の切り株が展示してあります=写真②=。店内で、樹齢千年以上とされる「屋久杉」を加工する人形造りの職人の技を見学後、酒樽や箸、スプーン、お盆などの製品展示場でショッピング。

  

写真②:「アリヨシ民芸品店」入り口に展示された大きな屋久杉の切り株

     =17日午前8時55分撮影

   「アリヨシ民芸品店」の見学後は、さつま揚げやかるかん饅頭など鹿児島の特産品を販売している鹿児島市七ツ島一丁目にある「かごしま旅の駅『魔猿城(まさと)』」に寄り、2階にある「かるかん饅頭工場」=写真③=の製造工程を見学。ツアー客たちは、1階売店でお土産品を買い求めました。

 

写真③:かごしま旅の駅『魔猿城』2階の「かるかん饅頭工場」

     =17日午前10時5分撮影

   午前中、最後の行程は、この日のお目当て観光スポットの一つ、錦江湾に浮かぶ火山・桜島に渡るフェリー乗船です。午前11時、鹿児島港から鹿児島市営の「桜島フェリー」に鹿児島交通バスの座席に座ったまま乗り、桜島港に向かう船内から桜島と桜島港で待機中の鹿児島港行きフェリーが撮影できました=写真④=。

  

写真④:桜島と桜島港で待機中の鹿児島港行きフェリー

         =鹿児島港から乗った桜島港行きの鹿児島市営「桜島フェリー」船内で、17日午前11時15分撮影

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〈薩摩大使〉017:指宿いわさきホテル=2017年6月26日

2017-06-26 04:18:09 | 薩摩大使

 

写真①: 夕暮れの錦江湾を行く大きな白い船

     =指宿市十二町の「指宿いわさきホテル」から敷地内のプールを見降ろしながら、2017年6月16日午後6時20分撮影

 鹿児島1泊旅行記⑥

指宿いわさきホテル

  薩摩半島の最南端・「長崎鼻」観光を終え、鹿児島ツアーの鹿児島交通バスで宿泊先の「指宿いわさきホテル」(指宿市十二町)に着いたのは6月16日午後5時前。早速、ホテル内の〝砂むし温泉〟に仰向けに入りましたが、浴衣の上にかけられた砂が思いのほか重く感じ、びっくり。汗もかかずに10分であがりましたが、天然温泉で温められた砂に全身を包まれ、岩盤浴よりいい気分に。

  ホテル4階のオーシャンビューの客室に上がり、夕暮れの外を見ると、ヤシの木が植えられたホテル敷地のプール向こうの錦江湾を大きな白い船がゆっくり航行しています=写真①=。南国の時間が、ゆったり流れていくのを感じました。

  アロハシャツに着替え、レストランで錦江湾の眺めを楽しみながらの夕食。一夜明けた17日朝は、室内の大浴場に浸かり、ゆったり。朝食後、ホテル敷地を散歩しましたが、庭園が広く、指宿ゴルフクラブも併設され、900超の客室を備えた大きなホテルです=写真②=。

  

写真②:広い敷地に建つ「指宿いわさきホテル」

     =17日午前8時5分撮影

  ホテルの玄関わきには、敷地内のテニスコート、美術館などの案内掲示板=写真③=がありました。

  

写真③:「自慢の庭園です」の見出しの案内掲示板

     =17日午前8時5分撮影

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〈薩摩大使〉016:長崎鼻=2017年6月25日

2017-06-25 20:26:29 | 薩摩大使

 

写真①: 薩摩半島の最南端・長崎鼻

      =指宿市で、2017年6月16日午後3時35分撮影

鹿児島1泊旅行記⑤

長崎鼻

  6月16日の鹿児島ツアー最後の立ち寄り観光スポットは、薩摩半島の最南端・「長崎鼻」でした=写真①=。

  「長崎鼻」から望む〝薩摩富士〟・開聞岳(標高924m)は絶景です=写真②=。

  

写真②:「長崎鼻」の海岸から望む〝薩摩富士〟・開聞岳

     =午後3時45分撮影

  「長崎鼻」のとったんにある灯台へ下る道の入り口に、豊玉姫(乙姫)を祀る「龍宮神社」=写真③=が鎮座。近くに掲示された「長崎鼻の竜宮伝説」解説文によると、長崎鼻は竜宮伝説の発祥の地として知られています。山幸彦(浦島太郎のモデル)は、竜宮城で豊玉姫と結ばれ、3年後、身ごもった豊玉姫を連れ、山川郷竹山の「無瀬の浜」に帰ってきました。この沖合にある竜宮門ともいわれる奇形の島「俣川洲」で、豊玉姫はお子をお産みになったと伝えられているという。

 

写真③:豊玉姫(乙姫)を祀る朱塗りの「龍宮神社」

        =午後3時35分撮影

 

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〈薩摩大使〉015:池田湖と西大山駅=2017年6月24日

2017-06-24 04:44:41 | 薩摩大使

写真①: 周囲約15kmという九州最大の湖・「池田湖」(向こうに聳えるのは開聞岳)

     =鹿児島県指宿市で、2017年6月16日午後2時45分撮影

 鹿児島1泊旅行記④

イッシー〟伝説の池田湖と「JR日本最南端の駅」・西大山駅

  6月16日午後、鹿児島県南九州市知覧町の「知覧パラダイス」駐車場から鹿児島交通のバスに乗り、次に下車した観光スポットは未確認巨大生物・〝イッシー〟伝説の残る指宿市のカルデラ湖・「池田湖」=写真①=です。最深233m、周囲約15kmという九州最大の湖。残念ながら〝イッシー〟は確認できませんでしたが、湖に群棲している大ウナギは湖畔のレストラン「池田湖パラダイス」の水槽で見物できました。

  「池田湖パラダイス」で休憩後、観光バスが立ち寄ったのは、指宿市山川大山の「JR日本最南端の駅」・指宿枕崎線「西大山駅」です。〝薩摩富士〟・開聞岳(標高924を望むホームには、「JR日本最南端の駅」の標識が立っています=写真②=。

 

写真②:「JR日本最南端の駅」標識が立つ「西大山駅」ホーム(向こうに見えるのは〝薩摩富士〟・開聞岳)=指宿市山川大山で、午後3時15分撮影

  畑の中にあるこの駅に駅舎はなく、ホームに「西大山駅 北緯31度11分」と「←おおやま さつまかわしり→」の案内掲示板があるだけ=写真③=。ただ、ツアー客以外にも若いカップルや家族連れの観光客が相次いでホームに立ち、開聞岳をバックに記念撮影していました。寂しい無人駅でも、「JR日本最南端の駅」ということで〝鉄ちゃん〟ならずとも観光スポットになるんですね。

  

写真③:ホームに立つ「西大山駅 北緯31度11分」の案内掲示板=午後3時10分撮影

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〈薩摩大使〉014:知覧町の特攻隊慰霊=2017年6月23日

2017-06-23 05:53:22 | 薩摩大使

 

写真①: 沖縄の空に散った若い特攻兵士の霊を慰める石燈籠

     =南九州市知覧町で、2017年6月16日正午撮影

鹿児島1泊旅行記③

知覧町の特攻隊慰霊

  鹿児島交通の観光バスが待つ知覧平和公園(鹿児島県南九州市知覧町)にあるレストラン・「知覧パラダイス」駐車場近くに、太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)、知覧にあった陸軍の特攻基地から飛び立ち、沖縄の空に散った若い特攻兵士の霊を慰める石燈籠が、建ち並んでいます=写真①=。昭和62年、全国陸軍少年飛行兵会と鹿児島県陸軍少年飛行兵会が、全国各地の陸軍少年飛行兵出身者や遺族、教官らの浄財で建てました。

  近くに設けられた「乙女の祈りの庭」には、み霊の安らかな眠りを祈る「乙女の祈り」の像もあります=写真②=。

  

写真②:「乙女の祈りの庭」にある「乙女の祈り」の像

     =16日正午撮影

  知覧平和公園には、昭和62年に開館した「知覧特攻平和会館」があり、陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品などが展示されています。昭和17年(1942年)から特攻基地に到着した少年飛行兵らを我が子のように面倒をみて、「お母さん」と慕われた鳥濱(浜)トメさんが営んでいた陸軍指定の食堂・「富屋食堂」は、知覧の通りを走行中の観光バスのガラス窓越しに撮影=写真③=。「知覧特攻平和会館」には以前訪れ、トメさんと少年飛行兵との交流秘話、特攻隊員の遺書などを観覧し、胸が苦しくなったことがあり、今回のバスツアー観光では知覧武家屋敷の見学コースを選びました。

 

写真③:特攻の母・鳥浜トメさんが営んでいた「富屋食堂」

     =16日午前11時15分撮影

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〈薩摩大使〉013:武家屋敷群街道=2017年6月22日

2017-06-22 05:15:30 | 薩摩大使

 

写真①: 石垣と生垣に囲まれた武家屋敷が両側に並ぶ静かな佇まいの街道

      =南九州市知覧町郡で、2017年6月16日午後0時40分撮影

鹿児島1泊旅行記②

「知覧町武家屋敷群」街道を歩く

  鹿児島県ツアーの知覧町武家屋敷群巡りは、石垣と生垣に囲まれた武家屋敷が両側に並ぶ街道=写真①=を歩き、江戸時代中期の武家屋敷庭園を備えた「佐多直忠邸」見学後、国選定「知覧重要伝統的建造物群保存地区」にある保存建物・「旧高城家住宅」へ。明治以前建築の武家住宅で、二つの屋根の間に小棟を置いた屋根の造形が美しい=写真②=。

  

写真②:二つの屋根の間に小棟を置いた屋根の造形が美しい「旧高城家住宅」

     =午後0時50分撮影

  「旧高城家住宅」を出て、街道を曲がった三差路の突き当たりに石柱・「石敢当(せっかんとう)」が建てられていました=写真③=。石に敢えて当てて邪気を跳ね飛ばし、魔物が屋敷内に入って来るのを防ぐ魔除けとされる中国発祥の信仰で、江戸時代に琉球(沖縄)を経て伝わったといい、南九州市有形民俗文化財に指定されています。

  

写真③:魔物が屋敷内に入って来るのを防ぐ魔除けの「石敢当」

     =午後1時10分撮影

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〈薩摩大使〉012:知覧町武家屋敷=2017年6月21日

2017-06-21 11:30:52 | 薩摩大使

 

写真①: 武家屋敷群の一つ、「佐多民子邸」の屋敷門

      =南九州市知覧町郡で、2017年6月16日午後0時30分撮影

鹿児島1泊旅行記①

知覧町の武家屋敷群を巡る

  鹿児島県へ九州新幹線で行く! 桜島・知覧・仙巌園・池田湖・長崎鼻と指宿いわさきホテル優雅な休日2日間――という福岡市の旅行会社の募集ツアーで6月16日(土)から鹿児島を訪れ、福津市の自宅に17日夜帰着しました。きょうから旅行記を連載します。

  ツアー客23人の一人として、博多駅発の九州新幹線で鹿児島中央駅に16日午前10時13分到着後、鹿児島交通の観光バスに乗って「指宿スカイライン」経由で南九州市知覧町へ。「知覧パラダイス」で昼食後の観光コース①涙なしでは語れない特攻隊の遺品、手紙などを展示した特攻平和会館②国選定「知覧重要伝統的建造物群保存地区」にある武家屋敷庭園の二択から②を選んで知覧町の武家屋敷群をバスで訪れました。

  ベテランの女性バスガイドさんの案内で、まずは知覧町郡の「佐多民子邸」=写真①=を見学。江戸時代中期の寛保・宝暦(1741~1763年)に作られたという庭は、主屋北側に巨石を配して造られ、奥にマキの刈りこみが築山風景を描いています=写真②=。

 

写真②:巨石を配して造られた「佐多民子邸」の庭

  やはり江戸時代中期の武家屋敷庭園を備えた「佐多直忠邸」の屋敷門を潜ると、敵の侵入を防ぐ目隠しの切石が突き出ていました=写真③=。

  

写真③:屋敷門を潜ると目隠しの切石が突き出ている「佐多直忠邸」

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