吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2007年12月31日/〈日記〉199・荒天下の「結びの夕陽」

2007-12-31 21:49:29 | 日記
写真①:寒風の下、炊き出しの〝年越しソバ〟を食べる人たち
     =福津市福祉会館「潮湯の里 夕陽館」東側の敷地で、2007年12月31日午後4時35分撮影

 小雪が舞い、突風が吹き荒れた31日午後4時から、福津市の津屋崎海水浴場とそばの市福祉会館「潮湯の里 夕陽館」で、大晦日に沈む太陽を見送るイベント「結びの夕陽」が催されました。

 福津市職員の有志グループが、市民ボランティアと「夕陽館」などの協力で主催し、家族連れの市民ら約100人が参加。昨年は、砂浜に用意された炊き出しの釜で持参のソバをゆでてもらい、食器やソバつゆの提供を受けていましたが、今年は風に飛ばされた砂が目に入るほどの荒天のため、「夕陽館」東側の風の当たらない敷地で炊き出しが行われ、参加者はジャンパーの襟を立てて〝年越しソバ〟を食べていました=写真①=。

 参加の市民らは、津屋崎少年少女合唱団が「夕陽館」2階のトレーニング室で合唱する歌に耳を傾けながら、雲間から時折現れて水平線にしだいに近づく夕陽=写真②=を窓ガラス越しに眺め、暮れ行く2007年に名残惜しそう。雲が多かったため、赤く染まった太陽が水平線に沈む美景は見られぬまま日没となり、がっかりした表情でした。


写真②:雲間から時折現れて水平線にしだいに近づく夕陽
     =「潮湯の里 夕陽館」テラスで、31日午後4時55分撮影


 吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」の07年掲載はこの日で終わり、また新年からお目にかかります。ご愛読いただいている皆様も、どうぞよいお年を。
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2007年12月31日〈津屋崎学〉030:「教安寺」

2007-12-31 09:00:44 | 郷土史

写真①:「鷗詠山教安寺」の山門
     =福津市津屋崎横町で、2007年12月13日午前9時05分撮影

琢二と清の郷土史談義

『津屋崎学』

第30回:2007.12.31
  「教安寺」


清 「おいしゃん(叔父さん)、今年も大晦日になったね。ご先祖のお寺参りも、近ごろ行かんけど、きょうは津屋崎横町の『教安寺』のことば話しちゃらんね」
琢二 「清、津崎家の菩提寺・『教安寺』のお参りを欠かしたら、いかんぞ」
清 「分かりました。『教安寺』のことは、浄土宗のお寺ということぐらいしか知りまっせん」
琢二 「そう、浄土宗で、『教安寺』は寺号(じごう)だな。山号(さんごう)を鷗詠山(おうえいざん)=写真②=、院号(いんごう)を浄土院(じょうどいん)という」
清 「ちょっと。その寺号、山号、院号って何のこと?」
琢二 「日本の寺院は、奈良時代には平地に建てられていたが、平安時代には山に多く建てられるようになり、高野山、比叡山などが山の名の山号で呼ばれている。『比叡山延暦寺』、『成田山新勝寺』など寺の名前の上に付ける称号として山号が使われているが、のちに『金竜山浅草寺』(きんりゅうざんせんそうじ)などと平地の寺でも山号を付けるようになった。院号というのは、垣根のある立派な屋敷や建物、回廊をさす。『教安寺』の総本山は、京都の知恩院だが、知恩院は院号で、山号は華頂山(かちょうざん)、寺号は大谷寺(おおたにでら)たい」
清 「へー、そうなんや」


写真②:「鷗詠山」の山額が掲げられている『教安寺』本堂
     =12月13日午前9時05分撮影

琢二 「『教安寺』は、平安時代に浄土宗を開いた法然(ほうねん)の弟子の行音自阿弥陀仏大和尚(ぎょうおんじあみだぶつだいおしょう)が、鎌倉時代中期の寛喜3年(1231年)に開山した」
清 「それで、ご本尊は?」
琢二 「平安か鎌倉時代の作といわれる阿弥陀如来=写真③=が、本堂にあるたい。計り知れない生命力・光を持つ如来である西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来から見て右側に衆生の無知を救う仏の智慧を表す『勢至菩薩』、左側に慈悲を示す『観音菩薩』の像が脇侍として建っている」
清 「ほう、いっぺん拝んでみたい」


写真③:本堂にある阿弥陀如来像(向かって左が『勢至菩薩』像、右が『観音菩薩』像)
     =「教安寺」で、12月13日午前9時36分撮影

琢二 「本堂前には、青銅製の大地蔵菩薩=写真④=もあるばい。江戸時代に幾度もあった飢饉で亡くなった子供の供養にと、江戸後期の文政8年(1825年)に建立された」
清 「確か、日本史の授業で享保の飢饉というのを習った記憶がある」
琢二 「よう覚えとったな。徳川吉宗が将軍だった江戸時代中期の享保17年(1732年)にイナゴが大発生し、享保の飢饉が起きた。筑前領内でも死者約10万人で、福岡と博多の住民の半数が犠牲となり、黒田藩に大きな打撃となったそうな」


写真④:本堂前の境内にある青銅製の大地蔵菩薩
     =「教安寺」で、12月13日午前9時47分撮影

清 「津屋崎でも、多くの子供が飢饉で亡くなったっちゃろうね」
琢二 「そうだな。境内には『義民六人士』も祀られとるのを知っとうや」
清 「『義民六人士』の名前は聞いたことがあるばってん、詳しくは……」
琢二 「『義民六人士』は、江戸時代に津屋崎の漁場拡張を黒田藩に直訴した庄屋佐兵衛と組頭ら5人のことたい。藩の浦奉行が津屋崎白石浜の俵瀬にあった三百貫(1,125㌔)の大石を6人に担がせ、力尽きた所を境界とすると裁きをした。ところが、6人は必死に勝浦浜側まで約1㌔歩き続け、浦奉行が制止した所で境界とし、約百年の漁場争いに終止符が打たれた」
清 「それで、6人が『義民六人士』と呼ばれるようになったとね」
琢二 「6人は直訴したとして断罪されたが、『教安寺』に『義民六人士』を供養する六角堂と塚が建てられ=写真⑤=、波折神社境内には六之(ろくし)神社=写真⑥=が設けられ、神として祀られた。勝浦浜には、その大石が残され、俵瀬には佐兵衛が詠んだ〈骨くだく思いもしぶきと消えさりぬ 白石浜の今日の夕映え〉という歌の石碑が建てられている」
清 「胸の底に重く響く歌だね」


写真⑤:『義民六人士』を供養する六角堂と塚
     =「教安寺」で、12月13日午前9時06分撮影


写真⑥:『義民六人士』を祀る六之神社
     =福津市津屋崎古小路の「波折神社」境内で、12月9日午後4時44分撮影


琢二 「ただ、この浦奉行の裁きで漁場を狭められた勝浦浜人の無念もまた残されたということだ。それから、境内には江戸時代中期の寛保3年(1743年)に津屋崎塩田を開発し、黒田藩から塩浜庄屋に任命された大社元七(おおこそ・もとしち)さんの墓も祀られとるばい」
清 「『教安寺』には、津屋崎の海にまつわる歴史が詰まっとうね」

『教安寺』(福岡県福津市津屋崎横町。℡0940-52-0004):◆交通アクセス=〔バスで〕西鉄バス「商工会津屋崎支所前」下車、徒歩5分〔車で〕九州自動車道古賀インターから国道495号線経由で約25分。

教安寺の位置図

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2007年12月30日/〈津屋崎の四季〉192・寒風吹きすさぶ

2007-12-30 16:58:08 | 風物
写真①:北風を避けるように泳ぐカルガモの群れ
     =福津市的岡の「新堤池」で、2007年12月30日午後3時59分撮影

 30日、福津市津屋崎は大陸から冬将軍が急襲した感じで、寒風が吹きすさびました。

 的岡の「新堤池」では、いつもより多い34羽のカルガモ(カモ科)が、北風を避けるように泳いでいました=写真①=。波が荒くなった「津屋崎干潟」の浅瀬からの避難組もいるようです。

 在自の田んぼでは、コサギ(サギ科)が風にあおられながら舞い降りていました。その上空を猛禽のチョウゲンボウ(ハヤブサ科)が勢いよく飛んでいましたが、急な横風で斜めに大きく流され、あたふたと電線に止まる姿も見られました。

 このぶんでは、あす31日も寒い大晦日になりそうです。
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2007年12月26日〈福津市福間の野鳥〉007:イソヒヨドリ

2007-12-26 13:02:53 | 福津市福間の野鳥
写真①:福津市立図書館屋上に姿を見せたイソヒヨドリ
     =福津市中央1で、2007年12月26日午前10時31分撮影

 福津市中央1の市立図書館屋上に26日、イソヒヨドリ(ヒタキ科)がいました=写真①=。体長23㌢ですが、上半身だけをのぞかせています。

 頭から胸が濃い青色、腹がレンガ色なので、雄のようです。
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2007年12月25日/〈津屋崎の四季〉191・ムクドリのイナバウアー

2007-12-25 18:05:16 | 風物
写真①:〝イナバウアー〟のポーズをとるムクドリ
     =福津市在自で、2007年12月25日午後4時59分撮影

 福津市津屋崎は25日、風が冷たい一日でした。

 在自の住宅そばの電線上では夕方、太陽の光を浴びた1羽のムクドリ(ムクドリ科)が、気持ちよさそうに〝イナバウアー〟のポーズをとっていました=写真①=。高難度の演技に見えましたよ!

 正午すぎ、宮司の畑の鉄柱に止まったモズ(モズ科)=写真②=は、小さくても猛禽らしく精悍な表情でした。


写真②:畑地を横目で見る精悍な表情のモズ
     =福津市宮司で、25日午後0時25分撮影
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2007年12月24日/〈日記〉198・バリケン登場

2007-12-24 20:21:36 | 日記
写真①:田んぼに現れたバリケン
     =福津市勝浦で、2007年12月24日午後4時29分撮影

 思わぬ場所で、意外な野鳥に出合うと、驚きます。24日午後、福津市勝浦の田んぼに見かけない野鳥がいるのに気付き、ぎくりとしました。白い顔に、黒っぽい体のバリケン(カモ科)=写真①=でした。

 福津市渡の「津屋崎干潟」に3月14日朝、現われたのを見た時も、「何だ、この色調のどぎつい野鳥は?」と思ってしまいました。

 中米や南米に生息するノバリケン(カモ科)を品種改良して家禽化した食用鳥で、各地で飼育されており、逃げ出したバリケンが全国的に川や池で観察されています。福岡県内でも、福岡市の室見川や粕屋郡粕屋町の駕与丁公園の池で撮影された例もあり、どこかの飼育鳥が勝浦に飛来したのでしょうか。

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2007年12月22日/〈日記〉197・干支の津屋崎人形

2007-12-22 22:16:19 | 日記
写真①:2008年の干支・ねずみの津屋崎人形(「津屋崎人形原田半蔵店」作)
     =福津市津屋崎で、2007年12月22日午後6時58分撮影

 きょう22日は、私が加入している福津市の町興しボランティア団体「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(略称・「海とまちなみの会」、会員111人)の賛助会員になっていただいている〈津屋崎千軒〉通りの各商店を訪ね、会員向けニュース『はちがめ通信3号』(B4判1㌻)をお渡しして回りました。お留守のお宅もあり、また23日にお伺いするつもりです。

 14日に私が初めてガイドを務めた「〈津屋崎千軒そうつこう〉ガイド」(〝千軒ガイド〟)で、福津市歩こう会福間南支部の男女25人をご案内した津屋崎天神町の「津屋崎人形原田半蔵店」では、2008年の干支・ねずみの人形=写真①=が展示されていました。白ねずみに赤い絵の具で耳や口が描かれ、かわいいです。

 5代目当主半蔵さんが作った津屋崎人形の〈太鼓乗りにわとり〉は、平成5年(1993年)の年賀切手の図案に採用され、古博多人形の俤を伝える素朴な津屋崎人形の魅力が全国的に有名になりました。

 「原田半蔵人形店」の〈津屋崎人形由来書〉によると、創業は江戸時代中期の明和5年(1768年)。最初は、ロクロを使い、火消壷、カメ等の生活用品を製造、その後次第に庶民の生活に結びついた素朴な、人形、動物類(十二支・他)を製作するに至り、江戸末期より明治初年ごろにかけ、本州及び四国方面へ、船で大量出荷していたという。

 現在の6代目当主半宗=本名彪(たけし)=さんは、元小学校校長で、日展会友の彫刻家でもあります。14日に店を訪れたガイド客の中に「校長先生!」と声をかけられる方もおられました。私は〝千軒ガイド〟として、おみやげに人気のフクロウを模った〈モマ笛〉をもっと製造してほしいと、彪さんにお願いしました。

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2007年12月21日/〈日記〉196・「福津市総合案内図」一新

2007-12-21 05:26:37 | 日記
写真①:新しくなった「福津市総合案内図」 
     =福津市・「津屋崎庁舎」玄関前で、2007年12月20日午前11時33分撮影

「福津市総合案内図」がリニューアル

 いよいよ2007年も、あと10日――。私が加入している福津市の町興しボランティア団体「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(略称・「海とまちなみの会」)は、きのう20日夜の12月定例会で、会員111人となり、08年1月24日午後6時30分から「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」で「津屋崎の〝蒸し雑煮〟を楽しむ会」新年例会(詳しくは、「海とまちなみの会」のブログご参照を)を開くことが決まり、めでたく新春を迎えられそうです。

 そういえば、迎春準備ではありませんが、福津市津屋崎庁舎玄関前にある「福津市総合案内図」=写真①=が、新しくなっています。旧津屋崎町時代に設置していた同地図には、07年3月31日限りで廃線になった西鉄宮地岳線「津屋崎駅」が入っていたことから、同市が15か所に設置の地図を張り替え、リニューアルしたそうです。

 明るい印象の新総合案内図には、地図中央に「津屋崎(新原・奴山)古墳群」の解説=写真②=が、左右に「藍の家」や「あんずの里」「津屋崎海浜」、「福間漁港・海浜公園」「西郷川花園」など11か所の名所の解説が入っています。


写真②:「福津市総合案内図」の中央にある「津屋崎(新原・奴山)古墳群」の解説
     =福津市・「津屋崎庁舎」玄関前で、20日午前11時34分撮影


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2007年12月20日/〈津屋崎の四季〉190・タゲリ2羽丸々と

2007-12-20 09:16:55 | 風物
写真①:田んぼに姿を見せた丸々とした2羽のタゲリ
     =福津市津屋崎末広で、2007年12月20日午前8時01分撮影

20日の福津市津屋崎は、朝から晴れわたり、いい天気です。末広の田んぼでは、2羽のタゲリ(チドリ科)が、丸々とした姿を撮影させてくれました=写真①=。近くの田んぼにも、もう1羽います。

 今冬は、11月29日に末広の田んぼで5羽の群れを初めて確認して以来、滞在している冬鳥です。12月19日も、末広の田んぼで5羽を見かけました。
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2007年12月19日/〈津屋崎の四季〉189・在自でケリ初確認

2007-12-19 17:36:22 | 風物
写真①:田んぼの畦に舞い降りたケリ
     =福津市津屋崎在自で、2007年12月19日午後3時31分撮影

 福津市津屋崎は19日、午後には風があまり吹かず、日差しも温かく感じました。在自の田んぼの畦で、1羽のケリ(チドリ科)が、気持ちよさそうに立っているのを見つけました=写真①=。津屋崎では、勝浦や末広の田んぼで2羽のケリを見たことがありますが、在自では初めてです。

 「ケリリ、ケリリ」と鳴いて飛び上がり、すぐまた畑に舞い降りました。頭から胸にかけては青灰色で、胸に黒い帯があり、嘴と脚が黄色いのが特徴=写真②=。


写真②:頭と胸が青灰色で、胸に黒い帯があり、嘴と脚が黄色いケリ
     =福津市津屋崎在自で、19日午後3時48分撮影
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