吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2016年5月22日/〈大分・町歩き〉014・火山島「姫島村観光」・古庄家

2016-05-22 17:40:04 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:旧庄屋の格式を伝える「姫島庄屋古庄家」

    =大分県姫島村で、2016年5月15日午後1時15分撮影

 〈大分・町歩きスポット〉 14

 :姫島庄屋古庄家

  大分県姫島村の島の北西部にある「おおいた姫島ジオパーク」の名所・「観音崎」観光の後、貸切バスで「姫島港」へ向かう途中、村指定有形文化財の「姫島庄屋古庄家(こしょうけ)」=写真①=に立ち寄りました。

 古庄家は鎌倉時代の建久7年(1196年)、鎌倉から豊後に入国した大友能直(よしなお)」の宰臣、古庄四郎重吉を祖とし、安土桃山時代の文禄2年(1593年)に大友氏が太閤秀吉の怒りに触れて所領を没収されたため、古庄徳右衛門が諸国流浪の末、江戸時代初期の慶長15年(1610年)に姫島に渡り、元和8年(1622年)に島民に推されて里正(りせい)となりました。

  以来、明治4年(1871年)の廃藩置県まで12代、250年にわたり、杵築藩に属する姫島の庄屋として村を治め、甘藷(さつまいも)の導入、防波堤や塩田の築造など多大な功績を残したという。現存する屋敷は、第11代小右衛門逸翁が江戸時代後期の天保13年(1842年)から3年がかりで建築、敷地550坪で、寄棟造り一部2階建ての母屋は延べ建坪110坪、1階10部屋=写真②=、2階2部屋から成り、旧庄屋の格式を伝えています。藩主のために普請された書院造りの奥の部屋は、「御成りの間」と呼ばれ、庭園には藩主の駕籠を下したとされる2畳敷大の大石もあります。

 

写真②:「姫島庄屋古庄家」1階のお座敷

  (今回の〈大分・町歩きスポット〉シリーズの続編「火山島・姫島村観光」連載を終わります)

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2016年5月21日/〈大分・町歩き〉013・火山島「姫島村観光」・観音崎

2016-05-21 04:28:15 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:黒曜石の断崖が見ものの「観音崎」(中央に小さく見えるのは「千人堂」)

      =大分県姫島村で、2016年5月15日午後1時30分撮影

 〈大分・町歩きスポット〉 13

 :観音崎

  大分県姫島村の旧塩田跡地を訪問後、島の北西部にある「おおいた姫島ジオパーク」の名所・「観音崎」へ貸切バスで向いました。

  「観音崎」は島内随一の景勝地で、高さ40㍍、幅120㍍にも及ぶ黒曜石の断崖が見ものです。この黒曜石は、姫島の城山(しろやま=標高62㍍)火山を造る溶岩の一部で、ガラス質の岩石。先史時代には石器に加工され、瀬戸内海を中心に東九州、四国、大阪、鹿児島県種子島まで姫島産の黒曜石が発見されるほど広く流通し、考古学的にも重要なため、平成13年に「姫島の黒曜石産地」とし「観音崎」一帯が国の天然記念物に指定されました。

  黒曜石の断崖の上に、姫島七不思議の一つとされる「千人堂」=写真①=があります。馬頭観世音を祀る小さなお堂で、大晦日の夜、債鬼(さいき=鬼のように情け容赦なく借金を取り立てる人)に追われた善人を千人かくまうことができるとのいわれから「千人堂」の名が付いたという。「千人堂」までは登山道を行かねばならず、時間もないので断念しました。

  「観音崎」見物の前に昼食を楽しんだ姫島南部の食事処・「姫乃家」近くにある「南浜公園」に立ち寄ると、園地中央に「黒曜石」が置かれていました=写真②=。「黒曜石」の背後には、昭和35年から7期連続無投票当選し、水や医療など離島の直面する課題の解決に貢献した姫島村名誉村民・前村長藤本熊雄翁の銅像が建っています。

  

写真②:「南浜公園」に置かれている「黒曜石」(背後に見えるのは姫島村名誉村民・前村長藤本熊雄翁の銅像)

         =15日午後0時45分撮影

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2016年5月20日/〈大分・町歩き〉012・火山島「姫島村観光」・塩田跡

2016-05-20 08:17:20 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:旧塩田跡地に建つ操業当時の古い煙突

     =大分県姫島村で、2016年5月15日午前11時撮影

 〈大分・町歩きスポット〉 12

 :塩田跡

   大分県姫島村の名所・「比売語曽社(ひめこそしゃ)」と「拍子水(ひょうしみず)」を巡ったあと、島の北側にある旧塩田跡地を訪れ、操業当時の古い煙突=写真①=を見ました。

  姫島村教育委員会によると、姫島の塩田は江戸時代初期の慶長15年(1610年)には開発されており、昭和34年(1959年)に廃止されました。旧塩田跡地は、沿岸漁業と並ぶ村の基幹産業・車えび養殖の場=写真②=として利用されています。煙突は姫島車えび養殖センターの敷地にあり、部外者は立ち入り禁止ですが、ガイドさんを通じて特別許可を頂き、見学させていただきました。

 

写真②:操業中の車えび養殖場

     =旧塩田跡地の姫島車えび養殖センターで、15日午前11時5分撮影

  このあと、ガイドさんの案内で近くの「北浦公園」に残る赤煉瓦造りの旧「熊本塩務局

姫島出張所」倉庫=写真③=を貸切りバスで訪問。

 

写真③:赤煉瓦造りの旧「熊本塩務局姫島出張所」倉庫

    =「北浦公園」で、15日午前11時40分撮影

  赤煉瓦造りの倉庫の入り口側には、石段が設けられています=写真④=。建物のそばに姫島村教育委員会が建てた「専売所跡地」の案内板には、〈明治三十八年四月一日に熊本塩務局姫島出張所が開所された跡地で、事務所と塩倉庫二棟と、この赤煉瓦の倉庫が建てられていた。平成二年三月、北浦公園として造成され村民の憩いの場となる〉と解説。

 福津市津屋崎の旧「津屋崎塩田」に残る同じ赤煉瓦造りの「旧「熊本塩務局津屋崎出張所」文書庫(通称・〝塩倉庫〟)入り口が破損した状態のところ、同じ庁舎等級区分の7等級庁舎だった「熊本塩務局姫島出張所」の赤煉瓦造り倉庫(公文書など重要書類保管の文書庫)の完全な建物構造と、これとは別に塩倉庫二棟が建てられていたことが分かり、収穫でした。「津屋崎塩田」の通称・〝塩倉庫〟とは別に「塩倉庫」があったと推定できます。

  

写真④:旧「熊本塩務局姫島出張所」の赤煉瓦造り倉庫入り口側

     =15日午前11時40分撮影

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2016年5月19日/〈大分・町歩き〉011・火山島「姫島村観光」・拍子水

2016-05-19 06:10:00 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:姫島の名由来ゆかりの「比売語曽社」に参拝する「姫島」ツアーの人たち

     =大分県姫島村で、2016年5月15日午前11時15分撮影

 〈大分・町歩きスポット〉 11

 :比売語曽社と拍子水

  大分県姫島村・「みつけ海岸」で〝海を渡る蝶〟・アサギマダラの観察、撮影を楽しんだあとは、火山が生みだした神秘の島・「おおいた姫島ジオパーク」観光です。ジオパークとは、ジオ(地球)に関わるさまざまな自然遺産(地層・岩石・地形・火山・断層など)豊かな「公園」のことで、生態系や人々の暮らしとのかかわりまでをつなげて考える場所です。「おおいた姫島ジオパーク」は平成25年、日本ジオパークネットワークに加盟認定され、姫島の自然、歴史、伝統、文化などの魅力あふれる地域資源を活用、村民と行政が一体となって姫島の魅力を再開発して島の活性化を目指しています。

  私たち「姫島」ツアーの一行が最初に訪れた「姫島ジオパーク」の名所は、「比売語曽社(ひめこそしゃ)」=写真①=で、『日本書紀』に記述されているお姫様を祀った小さな神社です。

  参道わきに建つ「比売語曽社の由来」掲示板などによると、〈垂仁天皇の御代、意富加羅国(おほからのくに。今の韓国南部)の王子、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)が白い石から生まれたお姫様と結婚しようとしたが、お姫様はそれを逃れ、海を渡って島に上陸し、比売語曽の神となりました。姫島の由来はここから始まります〉という。

  この「比売語曽社」そばにお姫様伝説ゆかりの「拍子水」(炭酸水素塩冷鉱泉)=写真②=がありました。太古の昔から間断なく湧き出す冷泉です。お姫様が、おはぐろをつけた後、口をゆすごうとしたが水がなく、手拍子を打ち祈ったところ、水が湧き出したといういわれから、拍子水(ひょうしみず)というそうです。ガイドさんの説明では飲める温泉水ということで、柄杓で汲んで飲んでみると、炭酸を含むだけにソーダの味がしました。

 「拍子水」の前には、この冷泉を活用した入浴施設・「拍子水温泉」もあり、慢性皮膚病や神経痛などに効能があるといわれています。

 

写真②:湧き出る冷泉・「拍子水」を飲もうと柄杓で汲む「姫島」ツアーの女性

      =15日午前11時20分撮影

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2016年5月18日/〈大分・町歩き〉010・火山島「姫島村観光」・みつけ海岸

2016-05-18 17:54:58 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:丸太の柵で囲われたアサギマダラが好んで花の蜜を吸う砂引草の群落

     =大分県姫島村の「みつけ海岸」で、2016年5月15日午前10時40分撮影

 〈大分・町歩きスポット〉 10

 :みつけ海岸

 

 大分県姫島村・「みつけ海岸」は「姫島」北部にあり、春の渡りで日本列島を北上途中のアサギマダラの群れの飛来地で知られています。姫島港からは、観光バスで約10分で到着。すでに蝶見物の観光客で賑わっていました。アサギマダラ(タテハチョウ科)が好んで花の蜜を吸う海浜植物・スナビキソウ(砂引草)の群落があり、丸太の柵で囲われています=写真①=。

   姫島村が建てた「アサギマダラ休息地」の解説表示には、〈長距離を移動する優雅なチョウで、姫島に自生するスナビキソウの蜜を求めて、5月中旬から6月中旬頃、南の地から飛来し、休息した後、涼しい北の地に向かって飛び立ちます。10月中旬頃、その世代を交代したチョウが、北の地から暖かい南の地へと向かう途中で、姫島に生えているフジバカマの蜜を求めて休息します〉と説明文があり、スナビキソウの花の上を群舞するアサギマダラのカラー写真が添えられていました。

 

写真②:「アサギマダラ休息地」の解説表示

=「みつけ海岸」で、午前10時40分撮影

   私が所属する「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が「みつけ海岸」でのアサギマダラの飛来状況の説明を依頼していた姫島村の「アサギマダラを守る会」=大海重好(だいかい・しげよし)会長=の会員男女4人の方たちの丁寧な説明=写真③=を聴きながら、「姫島」ツアー参加の人たちから「毎日に飛来数は、だれがカウントしていますか」、「幼虫が蛹になってから羽化するには何日かかる?」など質問が相次ぎました。

 

写真③:姫島村の「アサギマダラを守る会」の男性会員(右端)から飛来状況の説明を聴く「姫島」ツアーの女性たち

     =「みつけ海岸」で、午前10時35分撮影

  飛来地のそばには、「産卵から羽化まで」や「交尾の様子」のカラー写真や「アサギマダラ秋の移動図(南下)」などを分かりやすく解説したパネル=写真④=も掲示されていました。

 

写真④:飛来地のそばに掲示した「産卵から羽化まで」、「交尾の様子」などの解説パネル

=「みつけ海岸」で、午前10時40分撮影

  しかし、「アサギマダラを守る会」の大海会長(67)らの話では、5月14日午前8時には200頭(匹)が飛来していたのに、この日は風が強く午前10時で40頭(匹)の飛来だけで、ちょっと期待外れの状況。近くの別の砂引草の群落地に多くの個体が舞っていることが分かり、「姫島」ツアーの一行は移動して観察、撮影を楽しみました=写真⑤=。

  

写真⑤:砂引草の花の蜜を吸いに来た観察、撮影を楽しむツアー参加の人たち

     =「みつけ海岸」で、午前10時50分撮影

   私も、砂引草の花の上を舞うアサギマダラを撮影できました=写真⑥=。

 

写真⑥:砂引草の花の上を舞うアサギマダラ

         =「みつけ海岸」で、午前10時40分撮影

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2016年5月17日/〈大分・町歩き〉009・姫島村

2016-05-17 09:09:23 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:国東半島沖に浮かぶ「姫島」(右端は島内最高峰の標高266㍍の〝姫島富士〟・矢筈岳)

     =大分県国見町の「伊美港」に着いた姫島村営フェリーの甲板で、2016年5月15日午後2時30分撮影

 〈大分・町歩きスポット〉 9

 :姫島村

 

きょうから連載します

「火山島・姫島村観光」

  「津屋崎千軒 海とまちなみの会」主催の「姫島」アサギマダラ観察とジオパーク観光ツアーで5月15日、大分県姫島村=写真①=を初めて訪ねました。「国東半島」沖の周防灘に浮かぶ周囲17Km、人口約2千人の火山島で、宗像市の「筑前大島」(周囲15Km、人口約7百人)より一回り大きい大分県唯一の村です。きょう17日から、「火山島・姫島村観光」を連載します。

  私が所属する「海とまちなみの会」の団体賛助会員の「みなとタクシー」(宗像市)の観光バスをチャーターし、バス代、高速道路料金、姫島村営フェリー乗船代、昼食代、傷害保険料、ガイド料、資料代を含め参加料各人8千円で開催。会員や俳句愛好グループ、ヨーガ教室受講仲間など福津、宗像、古賀、宮若4市から応募の24人(女性18人、男性6人)が参加、15日早朝、福津市を出発しました。九州自動車道古賀インターから東九州自動車道宇佐インター経由、国道213号線をひた走り、約2時間半で大分県国見町の伊美港着。姫島村営フェリー=写真②=に乗って、約20分で姫島港に着きました。

 

写真②:姫島港に入る姫島村営フェリー「第一姫島丸」

     =大分県姫島村で、15日午後1時55分撮影

  「姫島村営フェリー姫島港船客待合所」前の駐車場には、〝海を渡る蝶〟・アサギマダラが「みつけ海岸」のスナビキソウの上を群舞する写真をあしらい、「ようこそ姫島村へ」の歓迎挨拶入りの大看板が立てられています=写真③=。春の渡りで日本列島を北上途中のアサギマダラの群れとの対面が近い、と期待に胸が膨らみました。

  

写真③:アサギマダラの群舞写真入りの「ようこそへ姫島村へ」の大看板

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2013年2月11日/〈大分・町歩き〉008・小鹿田焼の里

2013-02-11 02:48:19 | 〈大分・町歩き〉

写真①:「大久保台梅林公園」で咲き始めた梅の花

     =大分県日田市大山町西大山で、2013年2月8日午前10時10分撮影

 〈大分・町歩きスポット〉 8

 :小鹿田焼の里

 日田市の温泉宿に1泊した翌2月8日朝、同市大山町の「大山ひびきの郷」近くの「大久保台梅林公園」を訪ねました。まだ一部の梅の花が咲いているだけです=写真①=。梅の花を愛でていると、大分合同新聞日田支社の女性記者さんから取材され、梅見客の記事用に写真を撮られました。17日(日)から3月17日(日)まで「日田おおやま梅まつり」が開催されますが、それまでには梅林=写真②=の花もほころびを増していることでしょう。

  

写真②:一斉開花の時季が待たれる「大久保台梅林公園」の梅林

  「大久保台梅林公園」を見物後、路肩に積雪が残る山道をスリップしないようにと、マイカーをのろのろ運転して日田市皿山の小鹿田焼(おんたやき)の里へ着きました。小鹿田焼は、江戸時代中期の宝永2年(1705年)、陶工柳瀬三右衛門により開窯された民陶です。作陶技術では、初期には唐津焼、後には高取焼、小石原焼の影響を受けており、壷や鉢、茶碗などを登窯で焼き上げ、素朴で伝統的な技法が国の無形文化財に指定されています。皿山周辺で取れる陶土は、川の流れを利用した唐臼=写真③=で粉砕して粉状にし、天日で乾燥させてできるという。

 

写真③:川の流れを利用して陶土を粉砕して粉状にする唐臼

  ゴトン、ゴトンと大きな音が響く唐臼のそばに、「山のそば茶屋」=写真④=があるのを見つけ、昼食に地鶏そばを注文。熱々の手打ちそばを食べ、冷え切っていた体が温まったところで、北九州市や筑豊地方は8日朝から積雪のため高速道路が通行禁止になっているとのラジオニュースを聞き、日田観光を終えて九州自動車道経由で福岡へ向かいました。

 

写真④:唐臼の音が響く小鹿田焼の里に建つ「山のそば茶屋」

 江戸幕府の西国筋郡代の役所が置かれ、九州随一といわれるほどの繁栄を極めたという天領日田。豪商たちが活躍し、町人文化が花開いた日田の旧家に残る絢爛豪華なひな人形や、ひな道具が、旧家や資料館で一斉に公開される「天領日田おひなまつり」=写真④=が、15日(金)から3月31日(日)まで開催されます。あなたも、天領日田へお出かけになりませんか。

  

写真④:「天領日田おひなまつり」のポスター

 (今回の〈大分・町歩きスポット〉シリーズの続編「天領・日田観光」連載を終わります)

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2013年2月10日/〈大分・町歩き〉007・廣瀬淡窓

2013-02-10 04:51:39 | 〈大分・町歩き〉

写真①:廣瀬淡窓の旧宅・「北家」にある「廣瀬資料館」

     =大分県日田市豆田町9-7で、2013年2月7日午後3時35分撮影

 〈大分・町歩きスポット〉 7

 :廣瀬淡窓

 江戸時代後期の儒学者で、全国から集まった約5千人の門下生を教育した廣瀬淡窓は天明2年(1782年)、豊後日田の商人・廣瀬宗家第5世三郎右衛門の長男として生まれました。幼時から学問を好み、病身のため、宗家第6世を二男の久兵衛に譲ります。ちなみに、廣瀬勝貞大分県知事は、久兵衛の子孫です。

 淡窓の経歴や関係資料を展示した財団法人「廣瀬資料館」(入館料450円)=写真①=は、日田市豆田町の魚町(うおまち)通りを挟んで南北に分かれている淡窓の旧宅のうち北側の「北家(ほくけ)」(廣瀬家の本宅)にあります。

 「北家」は、敷地1,308平方㍍。主屋や座敷、能楽、三味線披露の場に使われた新座敷と、土蔵3棟があり、廣瀬家当主や家族が住んでいました。

 魚町通りを挟んで南側にある淡窓の旧宅「南家(なんけ)」(廣瀬家の向宅・向屋敷)=写真②=は、敷地859平方㍍。南主屋や庭園を備えた隠宅(いんたく)、土蔵2棟があり、祖父母や父母の隠居家、親族の住居などに使われていたという。

 

写真②:淡窓の旧宅「南家」の土蔵

 淡窓は成人するまでは、主に「北家」に住み、文化14年(1817年)に日田市淡窓2丁目に私塾「咸宜園」=写真③=を開いた後は「南家」に居住し、当初は「南家」土蔵(隠居蔵)で門下生に講義を行っていました。

 

写真③:淡窓の私塾「咸宜園」跡(国指定史跡)にある江戸時代建設の居宅「秋風庵(しゅうふうあん)」

         =日田市淡窓2丁目で撮影

  廣瀬家の先祖は、江戸時代初期の延宝元年(1673年)に博多から日田に移住し、豆田魚町に居を構え、家号を「博多屋」としました。また、淡窓は寛政9年(1797年)、16歳の時に福岡の亀井塾に入門、福岡藩儒学者で志賀島から発掘された有名な「漢委奴國王」と陰刻された金印の鑑定を依頼され、『金印辨』を書いた亀井南冥から教えを受けています。偉大な教育者であり、頼山陽や菅茶山とともに江戸後期の〝三大漢詩人〟の一人に数えられた淡窓。廣瀬家ともども、博多とのかかわりがあることを「廣瀬資料館」の展示で知り、親しみがわきました。同館前の魚町通り=写真④=は石畳が敷かれ、手作りおかきや、そば饅頭を売る店が軒を連ねており、心なごむ雰囲気も良かったです。

 

写真④:心なごむ雰囲気が素敵な石畳の魚町通り

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2013年2月9日/〈大分・町歩き〉006・豆田町

2013-02-09 09:33:09 | 〈大分・町歩き〉

写真①:天領日田を代表するスポット・豆田町の古い町並み

     =大分県日田市の「豆田みゆき通り」で、2013年2月7日午後3時35分撮影

  きょう2月9日から、〈大分・町歩きスポット〉シリーズの続編「天領・日田観光」を掲載します。

 〈大分・町歩きスポット〉 6

 :豆田町

 大分県日田市へ2月7日、家族で1泊旅行しました。日田は、江戸時代から幕府直轄領の天領として栄えた町です。このうち江戸初期の寛永16年(1639年)、日田御役所(日田陣屋)が置かれた豆田(まめだ)町=写真①=は町人の町で、往時の地割りや伝統的な建物が残っており、平成16年に10.7㌶の地域が国の重要伝統的建造物群(重伝建)保存地区に選定されています。

 地元の町並み保存団体・「豆田町伝建保存会」のメンバー16人が平成24年12月1日、福津市津屋崎で開催された「第35回全国町並みゼミ福岡大会」第5分科会に参加。その分科会の運営を私が所属している「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が運営し、江戸時代から繁栄して〈津屋崎千軒〉と称された町並みの見学ガイドを担当したことから、以前訪れていた豆田町を再訪したくなり、マイカーで日田へ出かけました。

 豆田町では、江戸中期の明和9年(1772年)や明治13年(1880年)、同20年(1887年)の大火を契機に、茅葺の町家が瓦葺で木部を土で塗り込める「居蔵造り」に改築。重伝建保存地区南部にあり、製蠟業や酒造業などを営んだ大規模商家・「草野家住宅」=写真②=は、明和9年大火後に建てられた漆喰塗大壁で防火性の高い「居蔵造り」町家として国の重要文化財に指定されています。

 

写真②:国指定要文化財の大規模商家・「草野家住宅」

 日田市では、周囲の山々から流れ出る豊富な水が集まって筑後川となることから、〝水郷日田〟としても有名。豆田町の町家の間を流れる水路=写真③=も、清流です。

 

写真③:豆田町の町家の間を流れる水路

 「草野家住宅」の隣にある「天領日田資料館」(入館料310円)=写真④=には、天領で栄えた町人文化を今に伝える文人画や書、屏風などが展示されていました。

 

写真④:文人画や書、屏風などが展示されている「天領日田資料館」

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2012年5月17日/〈大分・町歩き〉005・安心院ワイナリー

2012-05-17 13:59:15 | 〈大分・町歩き〉

 

写真①:「安心院町葡萄酒工房」の入り口

     =大分県宇佐市安心院町で、2012年5月11日撮影

 

〈大分・町歩きスポット〉 5

 :安心院町ワイナリー

 宇佐市安心院町の「鏝絵(こてえ)通り」町歩きを楽しんだあと、麦焼酎「いいちこ」の製造で知られる「三和酒類株式会社」(同市山本)が経営している安心院ワイナリー(「安心院町葡萄酒工房」。同市安心院町下毛)=写真①=に立ち寄りました。醸造場や貯蔵庫、ブドウ畑、試飲ショップ、ワイナリーレストラン、土産物屋などの施設があります。

 試飲ショップ1階には、多くのワインを展示=写真②=。マイカードライブの途中なので、芳醇な安心院ワインを試飲できなかったのは残念でした。

 

写真②:試飲ショップ1階に展示されたワイン

 広い敷地の一角には、日本の標高7百㍍前後の山中に自生する珍しいメグスリノキ(目薬の木。カエデ科)=写真③=が、植栽されていました。高さ約10㍍の落葉高木で、樹皮に含まれる成分が、眼病予防や視神経活性化、肝機能改善に効果があるとされ、「長者の木」や「千里眼の木」などとも呼ばれています。名前の由来は、樹皮や葉の煎じ汁で目を洗うと眼病に効くことからという。

 

写真③:植栽されているメグスリノキ

  「安心院葡萄酒工房」入り口そばにあるナニワイバラ(難波茨。バラ科)の垣根=写真④=は、大輪の一重咲きの白い花(直径約10㌢)がきれいでした。一説では、江戸時代に中国から伝わり、大阪の植木屋さんが広めたことから「難波茨」の名が付いたという。中国・台湾原産で、常緑性の原種のつるバラです。

 

 写真④:一重の白い大きな花がきれいなナニワイバラの垣根

                   (今回の〈大分・町歩き〉シリーズ連載おわり)

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