吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2007年4月30日/〈津屋崎の四季〉086・「津屋崎干潟」に〝空飛ぶ翡翠〟

2007-04-30 09:02:59 | 風物
写真①:「津屋崎干潟」のコンクリート堤防に姿を見せたカワセミ
     =福津市渡で、2007年4月30日午前6時31分撮影

 福津市渡の「津屋崎干潟」西岸のコンクリート堤防に4月30日早朝、カワセミ(カワセミ科)が姿を見せました=写真①=。

 体長約17㌢。スズメ(ハタオリドリ科、体長15㌢)よりやや大きい。太った体の背中が宝石のように輝くコバルト色で、〝空飛ぶ翡翠〟とも呼ばれる美しい野鳥です。

 やや離れた同じ堤防の南側にも、カワセミがもう1羽いました。「環境指標鳥」とも言われるカワセミが2羽も生息している「津屋崎干潟」は、まだ水辺に生きる野鳥が生息できる自然が残っている証拠です。

 4月29日まで「津屋崎干潟」に飛来していた冬鳥・クロツラヘラサギ(トキ科)5羽は、この朝は姿を確認できませんでした。繁殖地の朝鮮半島へ帰ったのでしょうか。

 ――と思いきや、30日夕、再び「津屋崎干潟」を訪れたら、なんとクロツラヘラサギ5羽がいました=写真②=。


写真②:干潟で餌を探す5羽のクロツラヘラサギ
     =「津屋崎干潟」で、30日午後5時03分撮影

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2007年4月30日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉032

2007-04-30 04:40:11 | 行楽催事
〈5月・6月の行楽・催事案内〉


写真①:「あんず祭」で団子汁が振る舞われて賑う「あんずの里市」
     =福津市勝浦で、2007年3月11日午前10時28分撮影

5月

 3日(木)=「あんずの里誕生祭」:午前9時―午後3時、福津市勝浦の市営「あんずの里運動公園」にある農産物直売所「あんずの里市」で。午前10時と午後1時30分に餅まきが行われるほか、午前10時から新鮮な野菜が入った団子汁3,000食の無料サービスを予定。

あんずの里市」(福津市勝浦)=「あんずの里運動公園」入り口にある農林漁業体験実習施設「あんずの里ふれあいの館」に開設。地元農家の里市利用組合が販売する新鮮で安価な野菜、果物、鶏卵、花卉類などが好評。国道495号線沿いにあり、福岡、北九州、筑豊などから車で約1時間の距離で、ドライブと買い物を楽しむ家族客や団体客も多い。玄界灘の眺望が楽しめる高台には、市営の「ふるさとレストラン あんず」(℡0940-52-3891)もあります。◆交通アクセス:〔電車〕JR鹿児島線「福間駅」下車、タクシーで15分〔車で〕九州自動車道古賀インターから国道495号線経由で約20分。駐車台数105台。営業時間は08:30~17:00。休日は毎週火曜日(祝日の場合開店)。問い合わせは「あんずの里市利用組合」(TEL:0940-52-5995)へ。

あんずの里ふれあいの館
   「あんずの里ふれあいの館」位置図
       (ピンが立っている所)


 3日(木)=「薬草祭」:午前10時、福津市宮司元町の宮地嶽神社奥之宮・「稲荷神社」社務所前で。「薬草茶」や「よもぎ蒸しパン」約千人分の無料接待が行われます。



宮地嶽神社(福岡県福津市宮司元町):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕JR鹿児島線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きか、神湊波止場行きで10分の「宮地岳宮前」で下車し、徒歩5分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約15分。駐車台数1200台。問い合わせは、宮地嶽神社(0940-52-0016)へ。

宮地嶽神社
       宮地嶽神社の位置図
       (ピンが立っている所)


27日(日)=東郷神社春季大祭:福津市渡の同神社で。明治38年(1905年)5月27日、日露戦争の日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を撃破した旧日本海軍連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥を祀る同神社に、自衛隊関係者や鹿児島県人会などから参列者が集い、東郷元帥の威徳を偲びます。

東郷神社(福岡県福津市渡。℡0940-52-0027):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕JR鹿児島本線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きに乗って「津屋崎橋」で下車し、徒歩30分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約25分。60台収容の駐車場あり。

東郷神社
     福津市渡の「東郷神社」位置図
        (ピンが立っている所) 

31日(木)=江戸菖蒲初刈り神事:午前10時、福津市宮司元町の宮地嶽神社・民家村菖蒲苑。咲き始めた花菖蒲を神様にお供えする神事で、白装束の神職が一本一本丁寧に刈り取った花菖蒲を巫女が手に持ち、雅やかに舞を奉納します。また、境内では同菖蒲苑と拝殿前御垣内菖蒲苑に咲く約100種10万株の江戸菖蒲の花の見ごろに合わせて、31日から6月10日(日)まで菖蒲まつりが開催され、民芸品を展示即売する「民家村民芸展」をはじめ、さまざまなイベントが行われます。
                                        
6月

 2日(土)=義民六人士供養:福津市津屋崎の教安寺。

 9日(土)=菖蒲はなコンサート:福津市宮司元町の宮地嶽神社。
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2007年4月29日〈福津市津屋崎の野鳥〉083:ケリ

2007-04-29 18:38:08 | 福津市津屋崎の野鳥
写真①:水田に飛来したケリ
     =福津市津屋崎勝浦で、2007年4月29日午後4時25分撮影

 福津市津屋崎勝浦の水田で4月29日正午すぎ、ケリ(チドリ科)を見つけました。福津市上西郷の田んぼで2月4日、5羽の群れに初めて出合いましたが、津屋崎で確認したのは初めて。体長35㌢で、ハト大のタゲリ(チドリ科、体長31㌢)より大きい野鳥です。「ケリリ、ケリリ」と鋭い声で鳴き、ケリと名付けられています。

 田植えが終わったばかりの水田にいた1羽とやや離れた畑に、もう1羽がうずくまっていました。午後4時すぎ、もう一度観察に現場を訪れると、水田そばの畑に1羽がいました=写真①=。近くでもう1羽が、羽を繕っていました。

 ケリは雌雄同色で、頭と胸が灰色、腹部は白く、胸には黒い帯があり、冬鳥とされています。この季節に津屋崎にいるこの2羽=写真②=は留鳥で繁殖する可能性もあり、引き続き観察が必要のようです。


写真②:同じ畑で憩う2羽のケリ
     =福津市津屋崎勝浦で、4月29日午後4時26分撮影
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2007年4月29日/〈日記〉120・プレ「有田陶器市」ドライブ帰りに遺跡を見る

2007-04-29 10:09:09 | 日記
写真①:金立サービスエリアの隣接地に移設、復元された「久保泉丸山遺跡」(中央が支石墓)
     =佐賀市金立町で、2007年4月28日午後2時40分撮影

 4月28日、細君と〝プレ「有田陶器市」ドライブ〟をした帰りに、佐賀市金立町の「久保泉丸山遺跡」=写真①=を見てきました。

 長崎自動車道上り線・金立サービスエリアに立ち寄って休憩した際、トイレわきの遊歩道のすぐ北側の同サービスエリア外の隣接地に「久保泉丸山遺跡」があることを知り、歩いて見学。

 「久保泉丸山遺跡」は、現場の東方約500㍍の佐賀市久保泉町川久保の台地で発掘され、118基もの支石墓(ドルメン)や甕棺墓、石棺墓など縄文時代晩期から弥生時代前期(紀元前3~5世紀)の墓と、5~6世紀の12基の古墳群の複合遺跡で知られています。

 また、死者を葬る内部施設が、竪穴式石室や、日本でも初期に属する横穴式石室、阿蘇の凝灰岩で造られた舟形石棺などバラエティーに富むことが、注目されています。支石墓に供えられた縄文時代晩期の土器からは、米作りをしていたことも分かっており、支石墓や稲作の研究のほか、古墳時代の多様な埋葬施設と鉄剣や勾玉など多くの副葬品を持つことで、学術的に価値が高いという。

 遺跡のある台地に長崎自動車道が建設されるため、佐賀県教育委員会が同遺跡のうち支石墓16基と甕棺墓1基、箱式石棺墓2基、古墳8基、中世墓3基を昭和58年に金立サービスエリアの上の台地に移設、復元しました。古墳の石室には模造の副葬品を展示、石室内部に入れるようにしてあるほか、山寄りの広場には支石墓の歴史や古墳時代の人たちの生活を理解できるよう陶製の説明板も設けてあります。

 これだけ立派な遺跡の紹介施設なのに、金立サービスエリアからの案内標識が分かりにくいのはもったいないことです。古代遺跡ファンの方には、子供連れでぜひ立ち寄られることをお薦めしたいスポットです。


写真②:山寄りの広場に設けられている「久保泉丸山遺跡」の陶製説明板
     =佐賀市金立町で、4月28日午後2時40分撮影
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2007年4月28日/〈日記〉119・プレ「有田陶器市」ドライブ

2007-04-28 23:39:52 | 日記
写真①:「有田陶磁の里プラザ」で開催の〝プレ陶器市〟
     =佐賀県有田町で、2007年4月28日午前10時29分撮影

 4月29日から佐賀県有田町で始まる「第104回有田陶器市」を前に28日、細君と〝プレ「有田陶器市」ドライブ〟をしてきました。

 午前7時45分、福津市津屋崎の自宅をマイカーで出発。九州縦貫道―西九州自動車道経由で高速道路を走り、午前9時45分に有田町の「有田焼卸団地協同組合」に着きました。すでに敷地内の「有田陶磁の里プラザ」では、24店舗で〝プレ陶器市〟の商いが行われており=写真①=、まず「賞美堂本店」などで陶器の時計や皿などを購入しました。

 次に訪れたのは、この朝の日本テレビ系列の番組「ズームイン!!サタデー」で、開店前から大行列が出来ていた模様が生中継で全国放映された「源右衛門窯」。案の定、テントの中で開催中の陶器市は、大勢の品定めの客で混雑していました=写真②=。


写真②:大勢の品定めの客で混雑するテントの中の陶器市売り場
     =「源右衛門窯」で、4月28日午前11時13分撮影

 このあと、深川製磁経営の「チャイナ・オン・ザ・パーク」で昼食。陶器売り場で、花瓶や皿を買い足しました。

 例年、「有田陶器市」は初日に訪れるのを楽しみにしていましたが、今年は29日に初孫が長男夫婦に連れられて神戸から里帰りして来るため、前日に繰り上げ訪問しました。初日に賑うメーンストリートでの陶器市や、香蘭社、深川製磁など各店舗をリュックを背負って回るのは面白いものですが、前日の〝プレ陶器市〟でも掘り出し物が結構あって楽しめました。

 帰宅後、購入した商品を並べて見ると、時計や花瓶、皿など13点=写真③=でした。


写真③:〝プレ陶器市〟で購入した時計や花瓶、皿など13点
     =福津市津屋崎の自宅で、4月28日午後5時45分撮影
コメント (2)
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2007年4月28日/〈福間・町歩き〉003・〈長谷寺〉の身代わり観音

2007-04-28 05:55:12 | 福間・町歩き
写真①:〈長谷寺〉境内に建つ観音堂
     =福津市手光で、2007年4月27日午後3時57分撮影

〈福間・町歩きスポット〉 3 

:〈長谷寺〉の身代わり観音

 福津市手光(てびか)にある〈長谷寺(ちょうこくじ)〉を4月27日午後、訪ねました。長谷寺=写真②=は、曹洞宗の禅寺です。


写真②:参道石段の上にある曹洞宗の禅寺・〈長谷寺〉
     =福津市手光で、07年4月27日午後4時01分撮影

 石段を上がって境内に入ると、右手に観音堂=写真①=がありました。鷹に関する悲話が伝わる観音様と聞き、日本野鳥の会員としてはぜひ知っておきたいと、足を運びました。そういえば、福津市中央6の小烏神社を訪ねた時も、トリつながりで引き寄せられました。

 観音堂の前に、「身代わり観音」と題した由来の説明板=写真③=が建っていました。由来説明文は、(本尊 十一面観世音菩薩 (西暦一五七五年 天正二年*)〉と前書きされ、次のような内容です。(*天正二年=安土桃山時代=が正しいとすれば、西暦は1574年の誤記か)

 〈今から六百五十年前、百姓の五郎作夫婦は子宝に恵まれず観音様に熱心にお願いしました。そのかいがあって二人には可愛い女の児が授かりました。然し五郎作は病で急死しました。ある日、娘が家で一人で針仕事をしていると、どこからか一羽の鷹が飛び込んで来ました。驚いた娘は棒切れで夢中でたたきました。その時、家にはいって来た侍に殿様の大事な鷹を殺したと云うことで斬りつけられ、大変深傷をおいました。母親は帰って来てその傷を見てとても悲しみ、娘の命が助かるようにと観音様に「南無大慈大悲観世音」と唱えて毎日一生懸命祈りました。今にも死にそうだった娘はすっかり元気になりました。

 母親と二人でお礼のお参りに行くと、これはどうしたことか今まで傷一つなかった観音様肩口に大きな傷がついていました。此れ以来、長谷寺十一面観世音菩薩は身代わり観音様と呼ばれるようになりました。観音様の傷も消えたということです。身代わり観音様は秘仏で、三十三年一回行われる御開帳(本開扉)とその中間本開扉より十七年目の(中開扉)の日だけしか拝観することが出来ません〉


写真③:〈長谷寺〉境内にある「身代わり観音」の由来説明板
     =福津市手光で、4月27日午後3時56分撮影

長谷寺(福津市手光)◆交通アクセス:〔JRで〕JR 鹿児島線「福間」駅下車、タクシーで5分〔バスで〕JRバス「手光バス停」下車、徒歩5分。駐車場あり。

福津市の〈長谷寺〉

       福津市の〈長谷寺〉位置図
         (ピンが立っている所)

◇お知らせ

「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の会員が40人になりました

 福津市津屋崎の町興し住民団体、「津屋崎千軒 海とまちなみの会(略称・「海とまちなみの会」)」の会員が4月27日、40人になりました。住所別では、福津市38人(旧津屋崎町30人、旧福間町8人)、福岡市1人、福岡県粕屋郡志免町1人。性別では男13人、女27人です。

ご入会案内「海とまちなみの会」は、福津市・〈津屋崎千軒〉通りの活性化を目指し、07年2月16日に設立しました。会員は、同市津屋崎と市内外の30代から90代までの男女です。江戸時代から栄えた〈津屋崎千軒〉通りの古い町並みの保存と、海辺の自然保護を図ります。ご入会(一般会員、賛助会員=会活動に賛同し、例会出席は不要=とも年会費千円)申し込みは、会長の吉村勝利(〒811-3304 福岡県福津市津屋崎369-14。E-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jp)が、お受けしています。◇例会案内=5月17日(木)19時、「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」。

「津屋崎千軒新聞」創刊号の無料配布

 「海とまちなみの会」では、会報季刊紙「津屋崎千軒新聞」創刊号「春」号を福津市の下記の場所で無料配布しています。

 創刊号はA3の2㌻で、江戸時代から海上交易の港町で栄え、造り酒屋や商家が並び〈津屋崎千軒〉と呼ばれた古い町並みの歴史や文化と、津屋崎人形店、東郷平八郎元帥を祭る東郷神社で売っている幻の逸品・「東郷ビール」などを特集。〈津屋崎千軒〉通りの地図に、歴史的な建物の懐かしい写真が撮れる場所と古民家をイラスト入りで紹介した〈津屋崎千軒懐かし博物館マップ〉付きです。

「津屋崎千軒新聞」創刊号無料配布場所:▽「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」(℡0940-52-0605=営業時間10:00~16:00)▽津屋崎公民館▽カメリアホール▽お魚センター▽宮司コミュニティー
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2007年4月27日/〈海とまちなみの会〉018・「乙藤商店」界隈

2007-04-27 08:31:18 | 海とまちなみの会
写真①:改築工事が終わった「乙藤商店」
     =福津市津屋崎本町で、2007年4月18日午後3時50分撮影

〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 5 

:「乙藤商店」界隈

 福津市津屋崎本町の「乙藤(おとふじ)商店」の改築工事が、終わりました=写真①=。海上交易の港町で〈津屋崎千軒〉が栄えた時代、〈五十集(いさば)船〉で運んできた品物を売って繁盛していた元商店です。木造2階建ての1階玄関には、「各國陶器 荒物金物 福岡縣津屋崎町本町 乙藤喜太郎商店 電話十八番」と書かれた看板が掲げられています=写真②=。

 各國(国)から取り寄せた陶器や荒物・金物を幅広く商っていた様子がしのばれます。津屋崎町が発行した『津屋崎の民俗(第四集) 北の一、北の二、新町・天神町・東町』によると、現在商いはしていないが、〈番頭が二人くらいいて、大きな商いをしていた。練原の出身であった〉という。


写真②:各国から取り寄せた陶器や荒物・金物を商っていたという「乙藤商店」の看板
     =福津市津屋崎本町で、07年4月26日午後4時21分撮影

 「乙藤商店」1・2階の庇(ひさし)の破風には華麗な木彫りの装飾=写真③=も施されていて、粋な商家の佇まいを垣間見せています。



写真③:「乙藤商店」1・2階の庇の破風に施された華麗な木彫り装飾
     =福津市津屋崎本町で、07年4月21日午前10時57分撮影


 往還を挟んだ向かいには、木造2階の「芹野米穀店」があります。1階出入り口はアルミサッシになっていますが、2階正面は趣のある建物です=写真④=。「乙藤商店」とともに、〈津屋崎千軒〉通り商家の風情を今に伝えているようです。


写真④:2階正面が趣のある「芹野米穀店」
     =福津市津屋崎本町で、07年1月27日午後4時52分撮影

「乙藤商店」の建物(福岡県福津市津屋崎本町):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕JR鹿児島線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きに乗って「津屋崎橋」で下車し、徒歩3分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約20分。

「乙藤商店」の建物
       「乙藤商店」の建物・位置図
        (ピンが立っている所)

◇お知らせ

「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(略称・「海とまちなみの会」)では、「津屋崎千軒新聞」創刊号を福津市の下記の場所で無料配布しています。創刊号はA3の2㌻で、江戸時代から海上交易の港町で栄え、造り酒屋や商家が並び〈津屋崎千軒〉と呼ばれた古い町並みの歴史や文化と、津屋崎人形店、東郷平八郎元帥を祭る東郷神社で売っている幻の逸品・「東郷ビール」などを特集。〈津屋崎千軒〉通りの地図に、歴史的な建物の懐かしい写真が撮れる場所と古民家をイラスト入りで紹介した〈津屋崎千軒懐かし博物館マップ〉付きです。

「津屋崎千軒新聞」創刊号無料配布場所:▽「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」(℡0940-52-0605=営業時間10:00~16:00)▽津屋崎公民館▽カメリアホール▽お魚センター▽宮司コミュニティー

ご入会案内「海とまちなみの会」は、〈津屋崎千軒〉通りの活性化を目指し、07年2月16日に設立しました。会員は、福津市津屋崎と市内外の30代から90代までの男女37人です。〈津屋崎千軒〉通りの古い町並みの保存と、海辺の自然保護を図ります。ご入会(一般会員、賛助会員=会活動に賛同し、例会出席は不要=とも年会費千円)申し込みは、会長の吉村勝利(〒811-3304 福岡県福津市津屋崎369-14。E-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jp)が、お受けしています。◇例会案内=5月17日(木)19時、『藍の家』。
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2007年4月26日/〈津屋崎の四季〉085・「津屋崎の春」・グラフ特集

2007-04-26 04:17:22 | 風物
写真①:高く伸びた麦が風に揺れ、穂が白くウエーブを描き、圧倒的なボリュームの麦畑
     =福津市在自で、2007年4月25日午後4時52分撮影

 4月の福津市・「津屋崎の春」を、カメラでスケッチしました。

 在自(あらじ)の麦畑は25日午後、高さ約1㍍にも伸びた麦が風に揺れ、穂が白くウエーブを描き、広い麦畑に伝わっていきました。圧倒的なボリュームの麦畑=写真①=に、穀物を育む大地の恵みを感じました。

 津屋崎出口の「善福寺」境内にあるフジ棚では、紫のフジの花が見ごろになっています。=写真②=。


写真②:見ごろになった「善福寺」境内の紫のフジ
     =津屋崎出口で、20日午後4時12分撮影

 宮司元町の宮地嶽神社では、境内の木々と神社裏にそびえる宮地岳(標高182㍍)の新緑が鮮やかです=写真③=。


写真③:境内の木々と向こうに見える宮地岳の新緑が鮮やかな「宮地嶽神社」楼門前
     =宮司元町で、9日午前8時04分撮影

 渡(わたり)の「津屋崎干潟」では18日、大勢の人が潮干狩を楽しんでいました。次の世代へ、津屋崎の〝豊饒(じょう)の海〟を残していけるでしょうか


写真④:広い「津屋崎干潟」で潮干狩を楽しむ人たち
     =渡で、18日午後3時45分撮影
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2007年4月25日〈福津市津屋崎の野鳥〉082:チュウシャクシギ

2007-04-25 18:07:08 | 福津市津屋崎の野鳥
写真①:「津屋崎干潟」に飛来したチュウシャクシギ
     =福津市津屋崎渡で、2007年4月25日午前9時27分撮影

 福津市津屋崎渡の「津屋崎干潟」は、野鳥たちの春の渡りの季節を迎えています。4月23日に〈旅鳥〉・ホウロクシギ(シギ科)が飛来したのが確認されたのに続き、25日には同じ〈旅鳥〉のチュウシャクシギ(同)が立ち寄りました=写真①=。

  
 25日朝、「津屋崎干潟」西側の浅瀬で、歩いているホウロクシギの近くの波打ち際にチュウシャクシギ2羽が餌を探しているのを確認しました=写真②=。


写真②:波打ち際で餌を探す2羽のチュウシャクシギ
     =「津屋崎干潟」で、07年4月25日午前9時29分撮影


 チュウシャクシギは体長42㌢で、25日も3日連続で「津屋崎干潟」に姿を見せたシギ類最大のホウロクシギ(体長約62㌢)=写真③=より一回り小さい。黒い嘴が長く、下に曲がっているのが特徴。

 雌雄同色。体の背面は黒味のある褐色で、腹部は淡色。縦に走る黒褐色の斑点がたくさんあり、眼の上にある横長い眉斑と、眼を横切る褐色の過眼線が目立ちます。鳴き声は大きく、「ホイピピピピピピ」と続く。


写真③:23日から連続3日間、「津屋崎干潟」に滞在しているホウロクシギ
     =4月25日午後4時04分撮影

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2007年4月25日/〈海とまちなみの会〉017・新屋敷角の庚申塔

2007-04-25 07:13:50 | 海とまちなみの会
写真①:五差路の東角にある〝新屋敷角の庚申塔〟
      =福津市津屋崎新屋敷で、2007年4月23日午前9時31分撮影

〈津屋崎千軒・町歩きスポット〉 4 

:新屋敷角の庚申塔

 福津市津屋崎新屋敷の五差路に、庚申(こうしん)塔があります=写真①=。五差路の東角にあるため〝新屋敷角の庚申塔〟で通っています。私が小学生時代は、天神町の実家から新泉岳寺の前を歩いて、新屋敷角を右折して津屋崎小学校へ登校していました。

 当時は、〝新屋敷角の庚申塔〟の周囲は、低い板塀で囲ってあったような記憶があります。元津屋崎郷土史研究会会長・田中香苗さんの著書『津屋崎風土記』(昭和60年刊)によると、江戸時代後期の文化15年(1818年)の建立で、碑文字は〈庚申塔〉とされています。今は碑文字は読み取りにくい状態で、塔がひっそりと建っています=写真②=。


写真②:五差路の東角にひっそりと建っている〝新屋敷角の庚申塔〟
     =福津市津屋崎新屋敷で、07年4月13日午後2時18分撮影

 田中さんは、旧津屋崎町の『広報つやざき』昭和55年8月号に寄稿した〈郷土の歴史 〝庚申さんの謎〟〉の中で、庚申塔は津屋崎町内に38基残っているが、長い年月、風雨にさらされ、寺社境内や路傍に忘れられた存在になりつつある、と書かれています。

 60日毎に来る十干十二支の庚申(かのえさる)の日の夜に、体の中にいる三尸(さんし)という虫が寝ているすきに抜け出して天の神様(天帝)にその人の悪事を告げ、命を短くするとの庚申信仰が室町時代に起こり、悪疫や害虫が入って来ないように村の入り口に庚申塔を建てたという。

 庚申の夜には、三尸の虫に罪を告げられぬように町の人たちは徹夜して家族や近所の人など皆で長話をして過ごす〈庚申待(こうしんまち)〉をした、とか。江戸時代以来、しだいに社交的な行事となり、新屋敷では、豆腐の吸い物や、ニワトリ飯、煮しめなどの料理も用意し、庚申様の祭りを行っていたそうです。津屋崎の町歩きをして点在する庚申塔を巡り、昔の人たちに思いを馳せるのも一興です。

 「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の会報季刊紙、「津屋崎千軒新聞創刊号「春」号では、2㌻に掲載した〈津屋崎千軒懐かし博物館〉の町歩きの地図に、〝新屋敷角の庚申塔〟が建っている所をイラストで記入しています。


〝新屋敷角の庚申塔〟(福岡県福津市津屋崎新屋敷):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕JR鹿児島線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きに乗って「津屋崎」で下車し、徒歩5分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約20分。

〝新屋敷角の庚申塔〟
    〝新屋敷角の庚申塔〟位置図
        (ピンが立っている所)

◇お知らせ

「津屋崎千軒 海とまちなみの会」では、「津屋崎千軒新聞」創刊号を福津市の下記の場所で無料配布しています。創刊号はA3の2㌻で、江戸時代から海上交易の港町で栄え、造り酒屋や商家が並び〈津屋崎千軒〉と呼ばれた古い町並みの歴史や文化と、津屋崎人形店、東郷平八郎元帥を祭る東郷神社で売っている幻の逸品・「東郷ビール」などを特集。〈津屋崎千軒〉通りの地図に、歴史的な建物の懐かしい写真が撮れる場所と古民家をイラスト入りで紹介した〈津屋崎千軒懐かし博物館マップ〉付きです。

「津屋崎千軒新聞」創刊号の無料配布場所:▽「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」(℡0940-52-0605=営業時間10:00~16:00)▽津屋崎公民館▽カメリアホール▽お魚センター▽宮司コミュニティー▽福津市立図書館

ご入会案内=「海とまちなみの会」は、〈津屋崎千軒〉通りの活性化を目指し、07年2月16日に設立しました。会員は、福津市津屋崎と市内外の30代から90代までの男女37人です。〈津屋崎千軒〉通りの古い町並みの保存と、海辺の自然保護を図ります。ご入会(年会費千円)申し込みは、会長の吉村勝利(〒811-3304 福岡県福津市津屋崎369-14。E-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jp)が、お受けしています。◇例会案内=5月17日(木)19時、『藍の家』。
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