写真①:サクラの枝に止まったジョウビタキの雄
=福津市宮司元町の「宮地嶽神社」境内で、2012年1月31日午前8時25分撮影
早いのもで、1月もきょうまで。福津市津屋崎は31日朝、風もなく、きのうより暖かです。
宮司元町の「宮地嶽神社」境内では、冬鳥のジョウビタキ(ヒタキ科)の雄がサクラの木の枝に止まっていました=写真①=。近くの手洗い場の垣根では、雌も1羽見かけましたよ。
写真①:サクラの枝に止まったジョウビタキの雄
=福津市宮司元町の「宮地嶽神社」境内で、2012年1月31日午前8時25分撮影
早いのもで、1月もきょうまで。福津市津屋崎は31日朝、風もなく、きのうより暖かです。
宮司元町の「宮地嶽神社」境内では、冬鳥のジョウビタキ(ヒタキ科)の雄がサクラの木の枝に止まっていました=写真①=。近くの手洗い場の垣根では、雌も1羽見かけましたよ。
写真①:浅瀬で過ごすヘラサギとヒドリガモ(手前)
=福津市渡の「津屋崎干潟」で、2012年1月30日午前8時25分撮影
福津市津屋崎は30日、寒風が吹く、冷たさでした。
渡の「津屋崎干潟」では、冬鳥のヘラサギ(トキ科)とヒドリガモ(カモ科)が仲良く滞在中=写真①=。1月も、あす31日で終わりですね。
写真①:なんとか1万歩で踏査ウオーキング達成のVサインです
67歳の忠敬さんは偉いです!
「伊能忠敬の歩いた道をたどる」津屋崎踏査ウオークで体感
――第7回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」に参加して
福津市で29日行われた「伊能忠敬の歩いた道をたどる」津屋崎踏査ウオークに参加、津屋崎ー勝浦間で観光ガイドをしました。幸い暖かな好天気に恵まれ、76歳から4歳までの22人(平均年齢62歳。女性8人、男性14人)とともに約6㌔を1万歩余りで踏破できました。
午前11時には、福津市塩浜の畑で揚げヒバリの初鳴きを楽しめ、2時間45分のウオーキングを満喫しました。福岡市や宗像市から参加した女性たちも、津屋崎ののどかな田園風景を歩き、満足そうでした。
それにしても、私と同じ67歳で津屋崎を歩くなど、測量しながら毎日18㌔歩いて地球1周分を踏破し、〝4千万歩の男〟の異名を取った忠敬さんは、偉い人です! 自分の足で1万歩歩き、身を持って分かりました。
写真①:伊能忠敬測量隊が掲げたとされる「御用 測量方」と書かれた旗
「御用」旗を先頭に、67歳の忠敬にならいテクテク歩きま~す
あす29日の「伊能忠敬の歩いた道をたどる」津屋崎踏査ウオークで
――「海とまちなみの会」主催・第7回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」
「御用、御用! 幕府の測量方なるぞ! 伊能隊まかり通る」――2百年前の文化9年(1812年)、江戸時代後期の測量家・伊能忠敬率いる測量隊が、津屋崎を歩いた時、こんなふうに触れ歩いたかは分かりません。
ただ、陣笠姿で測量を指揮した当時67歳の忠敬一行は、こんな「御用」旗を掲げていたそうです。あす29日行われる「伊能忠敬の歩いた道をたどる」津屋崎踏査ウオーク(「津屋崎千軒 海とまちなみの会」主催・第7回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」)では、再現したこの「御用」旗=写真①=を先頭に〝津屋崎―勝浦踏査隊〟が繰り出します。
29日は午前9時30分、〈津屋崎千軒〉通りの「海とまちなみの会」事務所・『貝寄せ館』(福津市津屋崎3丁目18番16号、旧「田畑猛畳店」畳製作場)に集合、徒歩または自転車、車で忠敬らの津屋崎~勝浦の宿泊場所を結ぶ測量コース=酒造業・佐治徳左衛門邸跡~大庄屋・長嶋源五郎邸跡=約6㌔を、忠敬の出身地・千葉県在住の松尾弘道講師(66)(津屋崎中、宗像高、九州大工学部卒。建設省入り後、千葉県庁に出向、土木部技監で定年退職)と「海とまちなみの会」ガイドの案内でたどります(12時終了予定)。
参加無料。9月予定の「伊能ウオーク」(仮称)開催計画準備にボランティアで加わりたい方、歓迎です。歩きやすい靴、防寒対応の服装で、飲料水は各自持参下さい。駐車場は、『貝寄せ館』の2軒西隣の福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」の駐車場(無料)ご利用を。お問い合わせは、「海とまちなみの会」事務局・吉村へメール(yosi3019@sage.ocn.ne.jp)でお願いします。
写真①:北風に負けずに畑地を飛び交うミヤマガラスの群れ
=福津市末広で、2012年1月25日午前8時5分撮影
福津市津屋崎は27日、一時粉雪が舞う寒い一日でした。
やはり寒空だった25日、末広の畑に群れていた冬鳥・ミヤマガラス(カラス科)たち=写真①=は、きょうも同じように北風に負けずにたくましく飛び交っていたことでしょう。
写真①:寒風厳しい畑に咲いた黄色い菊の花
=福津市宮司6丁目で、2012年1月26日午後4時15分撮影
きょう26日も、津屋崎は北風の冷たい一日でした。
そんな寒空の下、福津市宮司6丁目を散歩中、鮮やかな黄色い菊の花がパッと目に飛び込み、暖かな気持ちになりました=写真①=。
冬菊のまとふはおのがひかりのみ 水原秋桜子
写真①:金網にへばりついたスズメの群れ
=福津市末広で、2012年1月25日午前8時5分撮影
ウワーッ、寒い――。一陣の寒風が吹いたあと、スズメの群れが金網にへばりつきました=写真①=。福津市末広で、25日朝のフォト・ショットです。
写真①:電柱から飛び立ち翼を広げたミサゴ
=福津市勝浦で、2012年1月24日午後2時45撮影
福津市津屋崎で雪が舞い始める少し前の24日午後、勝浦の県道528号線西側の電柱に止まっていた猛禽のミサゴ(ミサゴ科)が、さっと飛び立ちました=写真①=。
もう1羽のミサゴが近付いた途端の行動でした。大きく広げた翼と鋭い脚の爪に、野性のたくましさを感じました。
ちょっかいをかけたらしい1羽が飛び去ると、電柱に舞い戻り悠然と辺りを見渡しています=写真②=。
写真②:電柱に舞い戻ってにらみをきかす? ミサゴ
=福津市勝浦で、24日午後2時45撮影
写真①:「寒の内」の厳しい寒さを吹き飛ばすように咲いた菜の花
=福津市塩浜で、2012年1月23日午前8時撮影
福津市津屋崎は23日朝、吹く風がほおに冷たく感じられます。
でも、塩浜の畑の一角に黄色いベールを広げたように菜の花=写真①=が咲いているのを見つけ、「寒の内」の厳しい寒さを一瞬、忘れました。
写真①:波折神社(上方の鳥居の所)近くにあった伊能忠敬が2泊した宿・「佐治徳左衛門」邸(下方)=金内家文書「江戸期津屋崎浦屋敷図」から
「伊能ウオーク」(仮称=9月3,4日開催計画)に賛同の方歓迎です
1月29日(日)に「伊能忠敬の歩いた道をたどる」津屋崎踏査ウオークを行います
――「海とまちなみの会」主催・第7回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」
2百年前、江戸時代後期の測量家・伊能忠敬が、67歳で歩いて測量した筑前国宗像郡津屋崎=写真①=ー勝浦(現福岡県福津市)間約6㌔の道をあなたの体力で歩けますか――。「伊能忠敬の歩いた道をたどる」津屋崎踏査ウオークが、1月29日(日)午前9時30分から約2時間、行われます。
私が所属している福津市の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(略称・「海とまちなみの会」)が、第7回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」=写真②=として開催(雨天決行)。忠敬が文化9年(1812年)7月27日~29日(旧暦)、勝浦から津屋崎まで歩いた九州路宗像郡内測量から2012年で2百年になることから、「海とまちなみの会」の石津宏介副会長と実弟の松尾弘道さん(忠敬の出身地の千葉県在住)らが、忠敬が歩いた跡を2百年後の世代が辿るウオーキング「伊能ウオーク」(仮称)を新暦の月日にあたる9月3,4日前後に開催したいと、企画準備を進められており、「ふるさと塾」でも忠敬の歩いた道を同ウオーク実施の下見踏査として学ぶことにしました。
写真②:第7回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」の案内チラシ
29日の踏査ウオークでは、忠敬が勝浦から津屋崎まで歩いたコース=写真③=の所要時間や見所を踏査、「伊能ウオーク」企画開催時に歩きやすい(歩きたくなる)道筋、休憩・食事・地元産品購入場所などを検討します。午前9時30分、「海とまちなみの会」事務所・『貝寄せ館』(福津市津屋崎3丁目18番16号、旧「田畑猛畳店」畳製作場)に集合、徒歩または自転車、車で忠敬らの津屋崎~勝浦の宿泊場所を結ぶ測量コース=酒造業・佐治徳左衛門邸跡~大庄屋長嶋源五郎邸跡=を実際とは逆のコースで、松尾さんと「海とまちなみの会」ガイドの案内でたどります(12時終了予定) 。
参加無料。「伊能ウオーク」開催計画準備にボランティアで加わりたい方、歓迎です。歩きやすい靴、防寒対応の服装で、飲料水は各自持参下さい。駐車場は、福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」の駐車場(無料)ご利用を。お問い合わせは、「海とまちなみの会」事務局・吉村へメール(yosi3019@sage.ocn.ne.jp)でお願いします。
写真③:「伊能忠敬測量宗像郡内行程」(松尾弘道氏提供)
■伊能忠敬測量宗像郡内行程
①文化9年7月25日~晦日(新暦1812年8月31日~9月5日)
芦屋浦(24日泊)→鐘ケ崎浦(25日泊)→神湊浦(26日泊)→勝浦村(27日泊)→
津屋崎浦(28・29日泊)→新宮浦(晦日泊)
②文化10年10月4日~5日(新暦1813年10月27日~28日)
青柳村(3日泊)→赤間村(4日泊)→芦屋村(5日泊)
※①と②の間、伊能測量隊は、屋久島を含め九州全域を測量して宗像に戻ってきます。