写真①:臨済宗大徳寺派の名刹・「雲心寺」の山門
=福岡県直方市山部で、2011年4月23日午後3時55分撮影
〈直方・町歩きスポット〉 8
:雲心寺
江戸時代初期の元和9年(1623年)、福岡藩主・黒田長政公が亡くなると、四男の高政が4万石を譲り受け、直方に支藩の東蓮寺藩(後に直方藩に改名)が置かれました。藩主の館は、殿町に設けられた後、四代藩主・長清公の時代に現在の直方市体育館のある御館山(おたてやま)に移されます。長清の長男継高(つぐたか)が第五代福岡藩主黒田宣政(のぶまさ)公の養子となったため、江戸中期の享保5年(1720年)、長清公の死亡に伴い直方藩は無くなりました。
直方市山部にある直方藩主の菩提寺・「雲心寺」=写真①=は、寛永3年(1625年)に建てられました。臨済宗大徳寺派に属し、初代藩主黒田高政公から寺領六十石を賜った名刹です。境内には、高政公(雲心院殿)や二代藩主之勝公の供養塔があり、「直方藩主の御塔所」解説板=写真②=が立てられています。二人とも江戸で亡くなったため、遺体を収めた墓は東京都の祥雲寺にあります。
写真②:境内に立てられた「直方藩主の御塔所」解説板
=「雲心寺」で、4月23日午後3時55分撮影
「雲心寺」の境内は、広い墓地=写真③=の周りの木々が青葉に包まれていました。
写真③:木々の青葉に包まれた墓地
=「雲心寺」境内で、4月23日午後3時40分撮影
直方藩主の菩提寺にふさわしく、塀の白壁は見事な龍の彫刻で装飾されていました=写真④=。
写真④:塀の白壁飾る見事な龍の彫刻
=「雲心寺」境内で、4月23日午後3時55分撮影
また、境内には炭鉱王・貝島太助の銅像=写真⑤=や貝島一族の墓地も設けてあります。
写真⑤:炭鉱王・貝島太助の銅像
=「雲心寺」境内で、4月23日午後3時40分撮影
「雲心寺」位置図
(十字の所)