写真①:イベント広場に飾られた〈岡流〉の山笠(正面の表題は「土蜘蛛退治」)
=福津市津屋崎3丁目の市まちおこしセンターで、2024年7月18日撮影
福津市・「津屋崎祇園山笠」復活50周年の飾り山を展示中
7月20日(土曜)裸参り、21日(日曜)追い山開催です
3百年余の伝統を誇る福津市津屋崎の夏祭り・「津屋崎祇園山笠」の飾り山の展示が7月20日(土曜)の裸参り、21日(日曜)の追い山を前に、岡、新町、北の3流(ながれ)ごとにお目見えしました。津屋崎祇園山笠振興会(花田実会長)では、3流の山笠(重さ約1㌧)が男衆らに担がれてお宮入りする同市津屋崎4丁目の波折神社(野上雅貴宮司)で、20日午後6時から山笠復活50周年の記念式典を行う予定です。
江戸時代に発刊された地誌・『筑前国続風土記附録(ちくぜんのくにぞくふどきふろく)』や、 旧津屋崎町が平成8年に発行した『津屋崎町史 資料編 下巻(一)』によると、津屋崎祇園山笠は江戸時代の正徳4年(1714年)、津屋崎の氏神・波折神社の境内にある祇園社に、博多から祇園神をお迎えし、旧暦の6月19日に高さ10㍍という大きな三基の山笠を作って担ぎ、神様に捧げて祇園神の祭りをしたのが始まりとされています。2024年は正徳4年から起算して山笠発足310周年、昭和38年(1963年)にサラリーマンが増えてかき手不足となって中断、同50年(1975年)に復活してから50周年というわけです。
岡流の飾り山は、福津市津屋崎3丁目の市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」のイベント広場に展示。正面の表題は「土蜘蛛退治」=写真①=。平安時代の武将、源氏の大将源頼光の館に毎夜のように出没する身の丈2メートル程の怪法師が、頼光四天王の坂田金時に襲いかかった際、頼光から愛刀膝丸で斬りつけられると、糸をさっと吐いて恐ろしい土蜘蛛に変身。「おのれ妖怪」と、頼光が刀を横一文字に払うと、土蜘蛛は身を震わして掻き消えます。血の後を追ったところ、北野の大きな塚に長さ1.2㍍の山蜘蛛がいたことから、以後、愛刀を「蜘蛛切りの刀」と呼ぶようになったという。山笠は、この場面を頼光、金時、土蜘蛛の津屋崎人形を飾って描いています。
山笠の(向正面)の表題は「笹の才蔵」です。戦国時代から江戸時代にかけて活躍した武将の可児(かに)吉長(槍の名手で通称・才蔵)の人形が飾られています=写真②=。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、福島正則軍の先鋒隊長として討ち取った敵兵17人の首に目印として笹を立て、「笹の才蔵」の異名を取りました。笹を口に含ませるのは、酒(ささ)を討ち取った相手に飲ます最後の手向けの意味合いもあったといわれます。
人形飾り製作は正面、見送りとも同市津屋崎3丁目の筑前津屋崎人形巧房(原田誠7代目当主)の津屋崎人形師の力作です。
写真②:「笹の才蔵」の津屋崎人形が飾られた岡流の山笠見送り
祇園山笠行事では、土曜日の夕方に3流の男衆らが、裸に赤い締め込み姿で波折神社を出発、提灯を掲げて約7㌔の夜道を走り、同神社と在自の金刀比羅神社、宮司の宮地嶽神社の旧津屋崎町の3神社に参拝する裸参りが行われます。翌日の日曜日は、午前9時に波折神社から3流の山笠が順番にスタートするハイライト・追い山が繰り広げられ、祭りの幕を閉じます。