写真①:小雪の降る中に映える武雄温泉のシンボル・朱塗りの「楼門」
=佐賀県武雄市武雄の「湯元荘東洋館」2階客室で、2016年1月19日午後1時55分撮影
佐賀小旅行記④
武雄温泉の「楼門」
1月19日、宿泊した佐賀県武雄市武雄の「湯元荘 東洋館」2階の和室から、道路向こうに武雄温泉の朱塗りの「楼門」=写真①=が見えました。竜宮を思わせる鮮やかな色彩と形で、天平式楼門と呼ばれ、釘一本も使っていない木造建築。入母屋造・本瓦葺、下層は白色漆喰塗り大壁で、桁行6.8㍍、梁間4.9㍍、高さ12.5㍍です。
江戸時代、長崎街道の宿場町でもあった武雄温泉で参勤交代の大名が泊まる最高級の旅館「本陣」が、「楼門」を入った所に湯屋(浴場)と隣接してありました。20日朝、チェックアウト後、文化財協力費3百円を払って「楼門」に入り、靴を脱いで急勾配の階段を2階に上がり、武雄市観光協会のボランティアガイドさんに案内してもらいました。
格子窓越しに武雄温泉の「新館」(木造2階建て)が見えます=写真②=。「楼門」と「新館」は、佐賀県唐津市出身で明治から大正にかけて日本の建築界の第一人者・辰野金吾博士(1854~1919)が設計、武雄温泉組(現武雄温泉株式会社)が大正4年に建てました。正面に竜宮門を置き、複数の浴室と休憩室を一体化した施設計画など、保養施設の歴史を知る上でも重要だとして、平成17年に国重要文化財(建造物)に指定されました。
写真②:「楼門」の格子窓越しに見える武雄温泉の「新館」
「楼門」2階は、格調高い「格(ごう)天井」になっています=写真③=。格縁を碁盤目に組み、その上に裏板を張って仕上げ、重厚感があり、書院造や寺院造に用いられています。
写真③:「楼門」2階の格調高く重厚感のある「格天井」
この天井の四隅には、干支(えと)の子(ねずみ)=写真④=、卯(うさぎ)=写真⑤=、午(うま)=写真⑥=、酉(とり)=写真⑦=の彫り絵があります。十二支のうちの4つで、方角で言うと「東西南北」に相当。辰野博士が設計した東京駅の南北ドームが平成24年に復原された際、天井に巳(へび)や辰(たつ)など残り8つの干支の彫刻があり、長い間謎とされてきましたが、「楼門」の4つの干支と合わせると12の干支がそろうと、注目されており、私の武雄温泉訪問の楽しみの一つでもありました。
写真④:子(ねずみ)の彫り絵:![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/0b/f590ea9cee35fff90b350b2208723415.jpg)
写真⑤卯(うさぎ)の彫り絵:![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/12/d216521e6c8c76c2d4df8626d4e2f988.jpg)
写真⑥午(うま)の彫り絵:![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/61/926450f627a734518708d33303496500.jpg)
写真⑦酉(とり)の彫り絵:![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/3a/baa5d7886c8948f21aa96457069bf321.jpg)