吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2016年1月30日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉104:イーゼルを新調

2016-01-30 12:49:09 | 「貝寄せ館」物語

 

写真①:「貝寄せ館」前にお目見えした新調のイーゼル案内表示

     =福津市津屋崎3丁目で、2016年1月30日撮影

 貝寄せの浜・〈貝寄せ館〉物語 104

新調のイーゼルで案内表示

 

「貝寄せ館」のいわれや入館無料を案内

伊藤伝衛門と白蓮の写真展示」など見所も説明

  私が所属する「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の観光ガイド拠点事務所・「貝寄せ館」(福津市津屋崎3丁目)前に1月30日、新調のイーゼルで案内表示をしました=写真①=。

 案内表示には、上方に津屋崎の歴史と文化、自然が分かる『貝寄せ館』「入館無料」などの説明案内と、「〈津屋崎千軒〉町興しの先駆者・伊藤伝衛門と白蓮の写真展示中」の見出し付きで、「〈津屋崎千軒〉懐古・パネル展」「塩と炭鉱王が支えた津屋崎」「津屋崎で発見された柳原白蓮の写真」の画像付きのチラシを貼っています。下方には、「貝寄せ館」の館名のいわれの説明文と、「津屋崎浜で2012年5月に採取されたアオイガイ」、「勝浦浜に上陸し、産卵を終えて海に帰るアカウミガメ」のカラー写真を添えた見所案内を貼り、同館前の〈津屋崎千軒通り〉を行く皆様にアピールしています。

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〈催事〉0420:「波折のかみさま」

2016-01-30 12:04:48 | 行楽催事

 

写真①:創作劇「波折のかみさま」を熱演する「大和保育所」の園児たち

     =福津市津屋崎8丁目の市立津屋崎小学校多目的ホールで、2016年1月30日午前11時15分撮影

 

福津市の「大和保育所」園児が創作劇

「波折のかみさま」を熱演

 福津市中央1丁目の市立「大和保育所」の年長クラス(今年6歳児)園児26人が1月30日午前、同市津屋崎8丁目にある市立津屋崎小学校の多目的ホールで、創作劇「波折のかみさま」を熱演しました=写真①=。上演前の舞台あいさつで幕の前に全員並んだ園児たちに、父兄や観劇の市民で満席の会場から大きな拍手が送られました=写真②=。

  

写真②:上演前に幕の前に全員並んで舞台あいさつする園児たち

    =午前11時10分撮影

  「大和保育所」の園児と先生たちが、津屋崎4丁目にある「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」(国登録有形文化財)の運営を福津市から業務委託されている「藍の家保存会」(柴田富美子代表)との交流で、津屋崎の氏神・「波折神社」の縁起を郷土の歴史に詳しい大賀康子会員(「福津郷土史会」会員)から学び、2015年12月に創作劇「波折のかみさま」を園内で上演。津屋崎の素晴らしさを伝えるこの劇を地元の人たちにも観てほしいと、同保存会が津屋崎小での上演を企画しました。

  「波折神社」拝殿わきの境内にある「波折神社縁起」の案内板によると、祭神は住吉大神と志賀大神、瀬織津大神と表示。そのうえで〈縁起によれば神功皇后の新羅を遠征せられ凱旋し給いし時に、この三神当浦渡村鼓島に現われ給いしにより皇后この浦の岡分河原崎の宮之本という地字に神垣を造りて斎祀せらる〉としています。さらに、昔、漁師3人が沖合で釣りをして急に海が荒れ始めた。神様に祈って助けを求めると三神が現れ、その助けによって、荒波を折ってやっと鼓島に漂着、波風が収まるのを待つことにした。待っている間に食べ物がなくなると、また神様が現れて食べ物を与えられ、飢えをしのげた。波風が収まり、神様が去ったあと、気が付くと船に三つの石があったので、漁師たちはそれを持ち帰って御神体とし、社を建ててお祭りをしたことから、社名が波折神社となった、と説明。〈かくていにしえ彼の河原崎の宮之本に祭られしより時移り八十四代順徳天皇の承久三年此処に移し奉る〉という。

  「大和保育所」の園児と先生たちは1月21日、福津市渡の渡半島を訪れ、沖に浮かぶ鼓島も視察、この日の上演に備えたといい、波折神社をセットに再現した舞台で冒頭、津屋崎民謡・『津屋崎の子守歌』を歌って子守りする子供を演技する園児たちに観客の市民は感心していました。

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2016年1月27日/〈津屋崎の四季〉1132:〈開運桜〉開花

2016-01-27 14:40:16 | 風物

 

写真①:ピンク色の花を開いた〈開運桜〉
     =福津市宮司元町の「宮地嶽神社」本殿横で、2016年1月27日午前8時35分撮影

〝超早咲き〟の〈開運桜〉が咲いていますよ

――福津市の「宮地嶽神社」境内

  寒波が緩み暖かくなった1月27日朝、福津市宮司元町の「宮地嶽神社」本殿横の〈開運桜〉に約30輪のピンクの花が咲いているのに気付きました=写真①=。境内に植栽されている早咲きの〈寒緋桜〉の一種ですが、毎年1月にこの1本だけが最も早く咲き、神様のご利益を受けているという意味で〈開運桜〉の名が付けられています。

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〈催事〉0419:佐賀小旅行⑥

2016-01-27 04:41:43 | 行楽催事

 

写真①:展示ハウス通路両脇に咲き誇るブーゲンビリアの花

     =佐賀県嬉野市嬉野町岩屋川内甲で、2016年1月20日午前10時30分撮影

佐賀小旅行記⑥

「ブーゲンハウス嬉野」

  佐賀県武雄市の「武雄温泉」見学後の1月20日午前、嬉野市にある「ブーゲンハウス嬉野」=写真①=に立ち寄りました。嬉野温泉街の一角、「塩田川」南岸にあります。

  中南米原産の熱帯花木・ブーゲンビリア(オシロイバナ科)を展示ハウスの温室で植栽しており、入場料大人7百円。赤、ピンク、黄色、白など20種類175本の花が咲き乱れ、通路を歩くと春らんまんの気分になれます=写真②=。

 

写真②:赤、ピンク、黄色、白など鮮やかな花が咲き乱れるハウス

  ブーゲンビリアの花名は、18世紀にブラジルでこの花を発見したフランスの探検家のルイ・アントクーヌ・ブーゲンビルの名前に由来しています。「情熱」の花言葉を持つこのブーゲンビリアの赤紫の花が好きで、以前の自宅庭に植えた苗が大きく育ち、通りがかりの人にも人気の花になりましたが、大きくなりすぎたため、転居の際に伐採してしまいました。嬉野市に「ブーゲンハウス嬉野」がオープンしたのをテレビ番組で知り、改めてブーゲンビリアの花に魅了されました。

                                        (「佐賀小旅行記」終わり)

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〈催事〉0418:佐賀小旅行⑤

2016-01-26 05:35:29 | 行楽催事

 

写真①:武雄温泉の大衆浴場「蓬莱湯」(左)と「元湯」

     =佐賀県武雄市武雄で、2016年1月19日午後2時50分撮影

 佐賀小旅行記⑤

「武雄温泉」

  佐賀県武雄市武雄の朱塗りの「楼門」を観覧した1月20日午前、「楼門」を入った所にある「武雄温泉」(「武雄温泉株式会社」経営)を見学しました。もともと730年ごろ編纂された『肥前国風土記』にも登場する歴史ある温泉で、古くは「塚崎の湯」、「塚崎温泉」などと呼ばれ、豊臣秀吉の朝鮮出兵による「文禄・慶長の役」の折には、文禄元年(1592年)ごろ伊達正宗ら全国から肥前名護屋に集められた多くの将兵が訪れた名湯です。

  江戸時代には、長崎街道の宿場町で賑わい、伊能忠敬の測量隊のほか、文政9年(1826年)に入浴したオランダ商館の医師・シーボルトなど著名な人物も立ち寄り、日記や紀行文に武雄温泉のことを書き残しています。大正11年に「武雄温泉株式会社」が創設され、旅館の泊まり客がこの温泉を利用していましたが、昭和初期には混雑を避けるため、各旅館に温泉が引かれるようになったという。

  現在、「武雄温泉」には、大衆浴場の広い浴槽の「元湯」(入浴料大人400円)、シンプルな「蓬莱湯」(同)=写真①=、露天風呂やサウナ付きの「鷺乃湯」(同600円)があります。このほか、休憩、素泊まりができる「旅館 楼門亭」(入場料1千円、素泊まり大人2名で4,500円)、貸切湯の江戸時代中期・武雄鍋島氏の専用風呂として大理石で造られた「殿様湯」(通常料金1室1時間3,800円)、4畳半の控室もある「家老湯」(同3,000円)、家族湯5室がある「貸切湯柄(つか)崎亭」(同鶴・亀2,900円、桜・松・つつじ2,300円)が設けられています。

  武雄温泉組(現武雄温泉株式会社)が大正4年に建てた朱塗りの「新館」(国指定重要文化財)=写真②=は、入母屋造桟瓦葺の木造2階建てで、桁行正面14間、梁間3間。1階に男女大浴場各2室と上々湯各3室、2階に和室5部屋があります。

 

写真②:「武雄温泉」の朱塗りの「新館」

         =1月20日午後1時55分撮影

 今度、立ち寄り湯として利用できる「武雄温泉」を訪ねた時には、シーボルトも入浴した「殿様湯」=写真③=に浸かりたい気分になりました。

 

写真③:「武雄温泉」入り口にある「殿様湯」(上段左端)などを紹介した「館内のご案内」板

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記〈催事〉0417:佐賀小旅行④

2016-01-25 09:13:47 | 行楽催事

 

写真①:小雪の降る中に映える武雄温泉のシンボル・朱塗りの「楼門」

     =佐賀県武雄市武雄の「湯元荘東洋館」2階客室で、2016年1月19日午後1時55分撮影

佐賀小旅行記④

武雄温泉の「楼門」

  1月19日、宿泊した佐賀県武雄市武雄の「湯元荘 東洋館」2階の和室から、道路向こうに武雄温泉の朱塗りの「楼門」=写真①=が見えました。竜宮を思わせる鮮やかな色彩と形で、天平式楼門と呼ばれ、釘一本も使っていない木造建築。入母屋造・本瓦葺、下層は白色漆喰塗り大壁で、桁行6.8㍍、梁間4.9㍍、高さ12.5㍍です。

  江戸時代、長崎街道の宿場町でもあった武雄温泉で参勤交代の大名が泊まる最高級の旅館「本陣」が、「楼門」を入った所に湯屋(浴場)と隣接してありました。20日朝、チェックアウト後、文化財協力費3百円を払って「楼門」に入り、靴を脱いで急勾配の階段を2階に上がり、武雄市観光協会のボランティアガイドさんに案内してもらいました。

  格子窓越しに武雄温泉の「新館」(木造2階建て)が見えます=写真②=。「楼門」と「新館」は、佐賀県唐津市出身で明治から大正にかけて日本の建築界の第一人者・辰野金吾博士(1854~1919)が設計、武雄温泉組(現武雄温泉株式会社)が大正4年に建てました。正面に竜宮門を置き、複数の浴室と休憩室を一体化した施設計画など、保養施設の歴史を知る上でも重要だとして、平成17年に国重要文化財(建造物)に指定されました。

  

写真②:「楼門」の格子窓越しに見える武雄温泉の「新館」

   「楼門」2階は、格調高い「格(ごう)天井」になっています=写真③=。格縁を碁盤目に組み、その上に裏板を張って仕上げ、重厚感があり、書院造や寺院造に用いられています。

  

写真③:「楼門」2階の格調高く重厚感のある「格天井」

 この天井の四隅には、干支(えと)の子(ねずみ)=写真④=、卯(うさぎ)=写真⑤=、午(うま)=写真⑥=、酉(とり)=写真⑦=の彫り絵があります。十二支のうちの4つで、方角で言うと「東西南北」に相当。辰野博士が設計した東京駅の南北ドームが平成24年に復原された際、天井に巳(へび)や辰(たつ)など残り8つの干支の彫刻があり、長い間謎とされてきましたが、「楼門」の4つの干支と合わせると12の干支がそろうと、注目されており、私の武雄温泉訪問の楽しみの一つでもありました。

 写真④:子(ねずみ)の彫り絵:

写真⑤卯(うさぎ)の彫り絵:

写真⑥午(うま)の彫り絵:

写真⑦酉(とり)の彫り絵:

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〈催事〉0416:佐賀小旅行③

2016-01-24 06:27:41 | 行楽催事

 

写真①:「脇本陣」の宿・「湯元荘 東洋館」(右側)と武雄温泉の朱塗りの「楼門」

        =佐賀県武雄市武雄(温泉通り)で、2016年1月19日午後2時50分撮影

 佐賀小旅行記③

脇本陣の宿・「湯元荘 東洋館」

  1月19日午後、佐賀県武雄市武雄町の「御船山楽園」訪問後、武雄温泉の「湯元荘 東洋館」にチェックイン。江戸時代初期・慶長のころ、旅人の宿「諸国屋」として始まり、創業約400年の伝統を誇る老舗旅館です。長崎街道の宿場町でもあった武雄温泉で参勤交代の大名一行の「脇本陣」の宿を務め、二刀流で知られる剣聖・宮本武蔵が巌流島の決闘後、『五輪の書』の想を練った由緒ある宿という。

  参勤交代の大名は、最高級の旅館「本陣」に泊まり、武雄温泉では「湯元荘 東洋館」=写真①=と道路を隔てて建つ朱塗りの「楼門」を入った所に湯屋(浴場)と隣接してありました。「脇本陣」は大名の従者が宿泊する旅館ですが、複数の大名が同じ宿場に泊まる場合は、格式上位の大名が「本陣」に、他の大名は「脇本陣」を利用。

  「湯元荘 東洋館」4階にある源泉かけ流しの大浴場は、宮本武蔵にちなみ、男湯が「武蔵の湯」、女湯が「おつうの湯」と名付けられています。「武蔵の湯」に浸かると、アルカリ性単純温泉で肌がつるつるになりました。部屋に運ばれてきた夕食の会席料理は、地元作家・窯元が作った鮮やかな器に盛られ、食材の彩りも美しく、評判通りの美味しさでした。

  「湯元荘 東洋館」の建物壁面に、有田焼・柿右衛門窯伝統の図案を特別に使用させてもらって描いたという〝しだれ桜〟の鏝絵=写真②=があるのも、ユニークです。鏝絵のある町並みで有名な愛媛県内子町の左官・市兼武志さんに依頼し、約20日間かけて制作した力作です。

  

写真②:愛媛県内子町の鏝絵職人・市兼武志さんに依頼して描かれた〝しだれ桜〟の鏝絵

  20日の朝食=写真③=も美味しく、1階の喫茶室はコーヒーのサービスがあり、寛げる空間です。客室21室、収容人員90名の旅館の和の佇まいと、スタッフの皆さんの細やかな気遣いが心地よく、また泊まりたい旅館と思いました。

 

写真③:器、食材の彩りが美しい朝食の料理

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〈催事〉0415:佐賀小旅行②

2016-01-23 08:36:17 | 行楽催事

 

写真①:国登録記念物「御船山楽園」の入り口

     =佐賀県武雄市武雄町武雄で、2016年1月19日午後1時20分撮影

 

佐賀小旅行記②

「御船山楽園」

  1月19日、佐賀県多久市多久町の「多久聖廟」参拝後、武雄市武雄町武雄の「御船山楽園」=写真①=を訪れました。江戸時代後期・武雄の第28代領主・鍋島茂義公が、1845年に「御船山」(標高210㍍)をも含む約15万坪(東京ドーム10個分)の敷地に創設した回遊式庭園です。

  江戸時代に自然景観を取りこんで造られ、近代以降も発展してきたことが評価され、平成22年に佐賀県初の国登録記念物(名勝地関係)認定されました。庭園入り口の門の左手奥に、そそり立つ「御船山」の岩峰が見えます=写真②=。

  

写真②:そそり立つ「御船山」の岩峰(「御船山楽園」入り口の門の左手奥)

 岩峰の前に開ける「つつじ谷」の園地にはツツジ約20万本が植栽され、3月末から5月初旬までの「花まつり」期間は花見客で賑わうという。ここからの岩峰の眺めが絶景とのことで、入園料5百円を払って「つつじ谷」へと坂道を上ると、3百年前に有明海から隆起してできたという雄々しい「御船山」の岩峰が、中国の山水画を思わせるように眼前に迫ってきました=写真③=。ツツジが満開の春、また来て絶景を楽しみたいものです。

  

写真③:中国の山水画を思わせる「御船山」の岩峰

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〈催事〉0414:佐賀小旅行①

2016-01-21 11:59:40 | 行楽催事

 

写真①:中国春秋時代の孔子を祀る「多久聖廟」

     =多久市多久町で、2016年1月19日午前11時50分撮影

佐賀小旅行記①

「多久聖廟」

    1月21日は、二十四節気の一つの「大寒」。暦の上では、最も寒さが厳しいころですが、福津市津屋崎でもその通りの寒波襲来です。19日、家族で1泊2日の小旅行で訪れた佐賀県多久市多久町の「多久聖廟」でも小雪が舞う寒さでした。きょうから佐賀小旅行記を連載します。

  学問の神と称えられる中国春秋時代の孔子=写真②=を祀る「多久聖廟」=写真①=は、江戸時代中期の宝永5年(1708年)、儒学を篤く学んだ多久家四代領主多久茂文=写真③=が文運教化を図るため建設。彫刻や紋様に中国様式を取り入れた堂形式と呼ばれる建物は昭和25年、国の重要文化財に指定されています。京都の儒学者・中村斎(てきさい)の指導で鋳造された青銅の孔子像や、四哲と称される四人の弟子・顔子、曾子、子恩子、孟子も祀られています。

  

写真②:「多久聖廟」参道沿いの園地に建つ孔子石像

 

写真③:「多久聖廟」参道入り口にある多久家四代領主多久茂文像

  「多久聖廟」そばの敷地には、中国原産の「楷樹(かいじゅ)」(ウルシ科)が、植栽されています=写真③=。別名トネリバハゼノキともいい、中国では科挙(王政時代の官吏登用試験)の進士(合格者)にこの芴(しゃく)原木は中国山東省曲阜市孔林にある孔子墓塚に孔子の弟子、子貢が手植えした老樹です。大正4年、当時の農商務省林業試験場初代場長の白沢保美博士が孔子墓上から原木の種子を採取し、播種、育苗し、鹿児島第七高等学校(現鹿児島大学)に移植した幼木2本のうち1本が「多久聖廟」に寄贈され、大正14年(1925年)、この地に植栽されたという。

 

写真③:2千数百年の命脈を伝える銘木・「楷樹」

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2016年1月19日/〈津屋崎の四季〉1131:雪景色

2016-01-19 08:20:25 | 風物

 

写真①:白く雪化粧した畑や住宅の屋根

      =福津市宮司5丁目で、2016年1月19日午前7時10分撮影

 今年一番の冷え込みに見まわれた福津市津屋崎は1月19日朝、未明から断続的に降った雪ため、畑や住宅の屋根が白く雪化粧=写真①=。

 風も冷たく、本格的な寒波襲来です。

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