写真①:フットパスウオーク開会式に集まった参加者
=鳥取市鹿野町農業者トレーニングセンターで、2015年10月25日午前8時30分撮影
鳥取市の「鹿野城下町と里山コース」9Km
フットパスウオークを3時間楽しみました
「全国フットパスの集い2015in鳥取西いなば」(実行委員会主催、日本フットパス協会共催)初日の10月24日は、鳥取市鹿野町(しかのちょう)の国民宿舎「山紫苑」に宿泊、温泉で疲れを癒しました。翌25日午前8時30分、鹿野町農業者トレーニングセンターで開かれたフットパスウオークの開会式=写真①=に全国から集まった約230人とともに参加、「気高(けたか)生姜ぽかぽかコース(7.3Km)、「鹿野城下町と里山コース」(9Km)、「青谷(あおや)しおかぜコース」(6.3Km)の3コースに分かれてウオークに出発。
私は古里の福津市・〈津屋崎千軒〉と同じ古い町並みと「津屋崎里歩きフットパス」(歩程6.8Km、所要2時間半)の魅力の一つ・里山と同じような美しい景観も味わいたいと、「鹿野城下町と里山コース」を希望し、ボランティアガイドさんの先導で午前8時40分にスタートしました。
〈鹿野往来〉を散策
〈鹿野往来〉と呼ばれる鹿野町の町並みは安土桃山時代の天正9年(1581年)、鹿野城主となった亀井茲矩(これのり)が城下町として整備。石畳の通りに面して京風千本格子を備えた町家=写真②=が建ち、通りの両脇には清水が流れる水路が残っており、町の紋章を石の各柱に刻んだ「足下行燈」の薄明かりが夜には足下を照らすなど、落ち着いたたたずまいで、気品のある町並みです。
写真②:京風千本格子を備えた町家・「石屋出店」。軒下には水路と「足下行燈」が見える
しばらく行くと、「幸盛寺(こうせいじ)」がありました。亀井茲矩が、義父で悲業の死を遂げた出雲の戦国大名・尼子氏の家臣で尼子十勇士の筆頭武将・山中鹿助(しかのすけ)幸盛の菩提を弔うため建てた寺です。境内の大イチョウ(高さ34㍍、樹齢4百年)の下に、「山中幸盛公之墓」の墓標が建てられています=写真③=。毛利元就に主君尼子義久が滅ぼされた後、尼子家再興の信念を貫いた英雄鹿助の「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話のフレーズが石碑に刻まれていました。
写真③:「幸盛寺」境内に建つ「山中幸盛公之墓」の墓標
「幸盛寺」の次に、城下町から外れて「地蔵小路」の細い路地を抜けると、コスモス畑の中に敷かれた簀子の道を歩く「コスモスロード」へ出ました=写真④=。
写真④:コスモスロードを歩くフットパスウオーカー
このあと、鹿野城下町の通りに戻る入り口に「庚申堂」=写真⑤=がありました。〈津屋崎千軒〉に残る庚申塔と同じ庚申信仰が根付いた町と分かり、親近感を持ちました。60日毎に巡ってくる庚申の晩は、人体に棲む三尸虫(さんしのむし)が眠っている間に天帝にその人の悪行を告げて寿命を縮めるため、徹夜でお堂にこもって過ごす信仰。この「庚申堂」では、今もお堂にこもる風習があるという。
写真⑤:庚申信仰を今に伝える「庚申堂」
午前9時すぎ、1回目の休憩と接待の場所に到着=写真⑥=。出発から30分後、約60人のウオーカーがのどのかわきを感じるころ、お茶とお菓子が地元の婦人たちから提供され、一息つけました。このあとゴールまで計4か所の休憩場所で同様の接待があり、疲れた心身が元気づけられ、おもてなしの心を嬉しく思いました。
写真⑥:お茶とお菓子のお接待で一息つくウオーカーたち
続いて、河内川に架かる橋を渡り、田園地帯を行くコースに入りました=写真⑦=。特産の生姜が植えられた畑も目に付きます。
写真⑦:田園地帯を行くフットパスコース
清冷な水が湧き出る「布勢(ふせ)の清水」(環境省選定「平成の名水100選」)の休憩所では、この清水で沸かしたコーヒーが振る舞われました。午前11時すぎ、「四季薫る町鹿野 川柳街道」の掲示板が建てられている場所に着き、そばに川柳を書いた木杭も並んでいるのに気付きました=写真⑧=。鹿野町民が川柳大会2部門で日本一になり、「川柳のまち鹿野」誕生を機に、鹿野小学校前の道路に優秀作の句を木杭や石に記して設置し、「川柳街道」としてPR。
写真⑧:「四季薫る町鹿野 川柳街道」の掲示板
午前11時20分すぎ、「鹿野城跡公園」に到着。「鹿野城」は現在、天守閣などの建物はなく、石垣や堀が残っています=写真⑨=。出発地点の鹿野町農業者トレーニングセンターにゴールインしたのは、午前11時40分。スタートから3時間、万歩計は17,141歩を記録していました。
写真⑨:「鹿野城」のお堀に架かる橋を渡るフットパスウオーカーたち