吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2018年11月26日〈エッセー〉062:夕陽風景時計は夕陽時計にあらず

2018-11-26 06:05:29 | エッセー

写真①:縦軸に日没時刻、横軸に方位と水平線に見える約150度の「パノラマ風景」が刻まれた宮地浜「夕陽風景時計」の版面

     =福津市宮司浜4丁目で撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第62回:夕陽風景時計は夕陽時計にあらず

 

〝七つ星〟の宮地浜「夕陽風景時計」

「夕陽時計」と呼ぶのは魅力格下げ

  最近、言葉を約めて呼ぶのが流行っているようですが、福岡県福津市宮地浜にある夕陽風景時計=写真①=までが夕陽時計と約められ、遺憾に思います。

  宮地浜「夕陽風景時計」は、福津市のまちづくりボランティア団体「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が、市制施行10周年記念事業として平成26年(2014年)7月6日、市民ら約2百人から寄せられた募金約40万円で「宮地嶽神社」参道石段最上部から、真っすぐ1.4㌔先の宮地浜に設置。会員の緒方義幸さん(福津市)の考案(実用新案登録)で、扇形に描いたステンレス製の時計版の縦軸に日没時刻、横軸に方位と水平線に見える志賀島(福岡市)や相島など島影の約150度の「パノラマ風景」を刻み、横八文字形の夕陽ループ曲線をたどれば、一年間を通じて「夕陽」が沈む方向と時刻が分かる時計です。幅1.1m、奥行き70cm、高さ90 cmで、時計版面はステンレス製。

  「海とまちなみの会」は宮地浜「夕陽風景時計」設置と同時に、福津市都市計画課と共働で同時計前を発着点として、「宮司・浜の松原」、2千kmもの海を渡る蝶・アサギマダラが立ち寄る「津屋崎浜」、江戸時代から製塩と海上交易で栄えた〈津屋崎千軒〉の古風な趣のある町並みを経て、年間約250万人が訪れる「宮地嶽神社」を回遊する「津屋崎里歩きフットパス」(歩程6.8km、所要時間2時間30分)を市内初のフットパスとして開設しました。「津屋崎里歩きフットパス」は平成27年9月30日、「新日本歩く道紀行100選選考委員会」(現NPO法人「新日本歩く道紀行推進機構」=理事長・下光輝一「健康・体力づくり事業団」理事長=、事務局東京)から『絶景の道100選』第一次選定45コースの一つとして、福岡県内からただ一か所認定されました。

  「宮地嶽神社」参道石段最上部から2月23日ごろと10月18日ごろ年に二度だけ、夕陽が参道を黄金色に照らしながら玄界灘に浮かぶ相島(福岡県新宮町)の背後に沈む光景が、平成28年(2016年)2月に人気アイドルグループ「嵐」のJALの国内旅行企画『先得』シリーズ新CMで、〝光の道〟としてテレビ放映され、全国的に知られる絶景スポットになりました。宮地浜「夕陽風景時計」も、NHK総合テレビで平成28年12月2日に「夕日の町に新名所」として福岡県内で放送され、同月28日の「NHKニュース おはよう日本」で「人気! 夕日が見える新名所」として全国放送されて有名に。

  「夕陽風景時計」は1号基が福岡県古賀市の海岸に設置、宮地浜「夕陽風景時計」が2号基です。その後、沖縄県などにも設置されましたが、私たち「海とまちなみの会」のボランティアガイドでは宮地浜「夕陽風景時計」は〝七つ星〟の夕陽風景時計と紹介しています。古賀海岸の1号基よりバージョンアップし、①時計版を真西ではなく、「宮地嶽神社」参道延長線上に合わせた②夕陽が沈む30分、20分、10分前の太陽の位置と軌道を示した③ここから見える水平線上の島々や山々、建造物などの約150度の大パノラマを描いた優れものだからです。考案・設計者の緒方さんは、季節毎に夕陽の沈む方向や、周囲の景観などから設置場所毎に夕陽風景時計を〝五つ星〟でランク付けしていますが、宮地浜「夕陽風景時計」は寄付き易さや居心地の良さなどから格上の〝七つ星〟の夕陽風景時計、と高く評価されています。

  「夕陽風景時計」は単に夕陽の沈む方向、時刻を刻んだ「夕陽時計」ではなく、水平線上に見える島々や山々などの約150度の大パノラマ風景をも描いた周囲の景観を合わせて楽しむツールです。このため、「海とまちなみの会」では時計版の手前に「夕陽と風景が分かる時計」のステッカーを貼っています=写真②=。夕陽風景時計は夕陽時計にあらず、のゆえんです。

  

写真②:「夕陽と風景が分かる時計」のステッカーが貼られた宮地浜「夕陽風景時計」

     =福津市宮司浜4丁目で、2018年2月23日撮影    

  ところが、2018年10月27日に開催の宮地浜ウォーキングイベントのチラシでは、夕陽時計として記載されていました。〝七つ星〟の夕陽風景時計が、格下げされてガイドされているようで、募金を寄せられた全国の皆様にも申し訳ない気持ちです。

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2018年11月21日〈エッセー〉061:鉄道があるということ

2018-11-21 15:43:54 | エッセー

 

写真①:「津屋崎馬車鉄道」の写真パネルなどを観覧する「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」参加の人たち

    =福津市津屋崎1丁目の同市複合文化センター「カメリアステージ」1階で、2018年11月17日撮影

・連載エッセー『一木一草』

第60回:鉄道があるということ

「津屋崎馬車鉄道」廃止後、西鉄宮地岳線「貝塚―津屋崎駅間」開通

さらに西鉄宮地岳線「新宮―津屋崎駅間」廃止後に来るものは?

  地域の宝・津屋崎塩田遺産や津屋崎馬車鉄道の歴史、文化を見詰め直し、後世に伝えたいと11月17日、私が所属する福津市のまちづくりボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が同市複合文化センター「カメリアステージ」と初めて開催した「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」には、市内外から男女20人の方の参加をいただき、ありがとうございました。午前10時からは、「カメリアステージ」1階に同日まで展示の「津屋崎馬車鉄道と津屋崎塩田」回顧展の写真パネルを観覧=写真①=。この後、明治から昭和初期まで福間―津屋崎間を走った「津屋崎馬車鉄道」の津屋崎駅跡、<津屋崎塩田>の産業遺産・「塩倉庫」(旧熊本塩務局文書庫)などを訪ね、迷路のような津屋崎千軒の路地をそうつく2時間のフットパスを、五感で満喫。

  1頭の馬に引かせた木製の客車(乗客16人乗り)が幅91.4㌢の線路を走り、福間―津屋崎間を結んだ「津屋崎馬車鉄道」は、明治41年(1908年)4月開業、一日15本運行で年間18万人の乗客を運び、〝馬鉄〟の愛称で親しまれましたが、乗合バス利用の時代となり、昭和14年(1939年)3月に廃止。馬鉄津屋崎駅跡は、私が津屋崎小学生だった昭和30年代初めまでは空地で、松の木が何本か立っていました。この松は以前、6本あったといい、馬鉄の終点で馬をなわでつなぐ〝馬つなぎの松〟と言われていたという。

 一方、旧西鉄宮地岳線が大正14年(1925年)、当初開業していた「和白駅」(福岡市東区)までの路線が「宮地岳駅」(福津市宮司)まで延長され、「津屋崎馬車鉄道」廃止後、旧津屋崎町宮司までをつなぐ鉄道として利用されるようになりました。さらに旧津屋崎町時代の昭和26年(1951年)7月1日には「宮地岳駅」から「津屋崎駅」まで1.5㌔、1駅路線延長され、旧津屋崎町と福岡市が鉄道で直結。この日、路線延長を全町で祝う〝津屋崎どんたく〟が催され、津屋崎小1年生だった私も天神町どんたくパレード隊の〈紳士ダンス・チーム〉の一員としてラインダンスを披露した記憶があります。しかし、同路線の貝塚(福岡市東区)―津屋崎駅間20.8㌔のうち、新宮(福岡県新宮町)―津屋崎駅間が平成19年3月31日限りで廃線になり、津屋崎駅は解体、今は、駅跡のしるしは旧駅舎跡南側に建つ「電車延長記念碑」=写真②=だけとなりました。

 西鉄宮地岳線「新宮―津屋崎駅間」廃止後の津屋崎に、新たな鉄道が生まれる日は来るのでしょうか。

 

写真②:旧西鉄宮地岳線「津屋崎駅」前に建つ「電車延長記念碑」

     =福津市津屋崎1丁目で、2018年11月21日撮影

福津市内2番目のフットパスの魅力に手ごたえ

 フットパスとは? イギリスが発祥で、ありのままの風景や自然、古い町並みを楽しみながら歩くこと(Foot・フット)ができる小径(こみち。Path・パス)のことで、この小径を歩くことも言います。

  「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が、福津市内初のフットパスとして2014年開設した「津屋崎里歩きフットパス」(歩程6.8km。2015年9月に『絶景の道100選』認定)は、ありのままの風景や自然を楽しむコース。フットパス開設後、コースにある宮地浜「夕陽風景時計」や「宮地嶽神社」から宮地浜へ延びる参道を照らす夕陽が〝光の道〟として、全国的な有名スポットになりました。『絶景の道100選』認定3周年を記念し、17日に開催した「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」は古い町並みを楽しみながら歩くコースです。町家に卯建や鏝絵が残る迷路のような路地を抜け、コースわきの軒先に咲く秋の花、港町の潮の香、商家の女将さんとの昔話など、ありのままの古い町並みの風情が楽しめ、市内2番目のフットパスコースとして参加者に魅力をアピールできる手ごたえを感じました。

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2018年11月11日〈エッセー〉060:入浜式製塩と煙突

2018-11-11 08:13:02 | エッセー

 

写真①:「津屋崎塩田」跡地に建つ旧「旭製塩」の煙突(手前に並ぶのは「太陽光発電所」のソーラーパネル)

     =福津市西竪川で、2018年11月10日撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第60回:入浜式製塩と煙突

NHK朝の連続テレビ小説『まんぷく』で製塩が話題に

福津市・「津屋崎塩田」跡地に今も残る釜焚きの煙突

  世界初のインスタントラーメンを発明した日清食品創業者・安藤百福さんと妻仁子さん夫婦の半生をモデルにしたNHK朝の連続テレビ小説『まんぷく』・第6週の「お塩を作るんですか!?」で11月10日、赤穂の塩作りを学んで入浜式製塩に取り組むヒロイン立花福子(役名)、夫の萬平(同)さん夫婦の奮闘ぶりが放送され、お茶の間の人気を呼んでいます。江戸時代から明治にかけて〈津屋崎千軒〉の繁栄を支えた福岡県福津市の「津屋崎塩田」も入浜式製塩で、味噌、醤油、漬物など博多の味に津屋崎の粗塩は欠かせないと定評があり、製塩量は江戸時代には筑前の90%を占め、明治時代も県内の3分の1を賄い、〝津屋崎は塩で保(も)つ〟と言われたほど有名でした。

  入浜式製塩とは、堤防を築いて満潮時に海水を砂浜に導入する製塩法。塩が付着した砂を集めて海水の濃度を高めた濃い塩水・「かん水」を生成する採鹹(さいかん)工程を経て、釜屋の石釜に「かん水」を入れて焚く煎熬(せんごう)工程で結晶する塩を作ります。福津市西竪川の「津屋崎塩田」跡地には、戦後の塩供給量不足で自家製塩が許可され、昭和20年代に操業していた旧「旭製塩」の釜焚き用の煙突=写真①=が今も建っています。煙突の前の敷地約61,000平方㍍に並べられているのは、福岡市の会社が平成29年に建設した「太陽光発電所」のソーラーパネル群。

  私が所属する福津市のまちづくりボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」は同市複合文化センター「カメリアステージ」と11月17日(土)、地域の宝・津屋崎塩田遺産や津屋崎馬車鉄道の歴史、文化を見詰め直し、後世に伝えたいと、「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」(詳しくは<A href="http://www.tsuyazaki-sengen.com/">本会ホームページ</A>)を初めて開催します。津屋崎橋近くの広場に建つ「津屋崎の製塩産業遺跡」とされる赤レンガ造りの通称「塩倉庫」(明治39年建設の旧熊本塩務局津屋崎出張所庁舎文書庫)=写真②=や明治7年(1874年)創業の〈津屋崎千軒〉のランドマーク・「豊村酒造」などを本会ガイドがご案内します。どうぞご家族、お友達連れでご参加ください。お申し込みは、「海とまちなみの会」事務局へ12日(月)までにメールyosi3019@sage.ocn.ne.jpか、電話090-7451-8063で担当吉村までお願いします。

  

写真②:赤レンガ造りの通称「塩倉庫」(熊本塩務局津屋崎出張所文書庫)

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2018年11月2日〈エッセー〉059:残したい「豊村酒造」と「塩倉庫」のある風景

2018-11-02 15:28:14 | エッセー

 

写真①:津屋崎千軒のランドマーク・「豊村酒造」の主屋と高さ21㍍の煙突

     =福津市津屋崎4丁目14-18で、2018年11月1日撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第59回:「豊村酒造」と「塩倉庫」のある風景

 創業144年の「豊村酒造」の煙突や酒蔵、黒塀

古風な町並みの風情残したい津屋崎千軒のランドマーク

  福津市津屋崎4丁目にある明治7年(1874年)創業の「豊村酒造」は、懐かしい町並み・〈津屋崎千軒〉のランドマークとされる町家です。高さ21㍍の煙突=写真①=は、迷路のような路地を歩いている時の目印になり、約3,300平方㍍の敷地を取り囲む黒塀=写真②=は“A Quaint Town Tsuyazaki-Sengen” (古風な趣のある町〈津屋崎千軒〉)の風情を醸しています。

  

写真②:懐かしい町並み・〈津屋崎千軒〉の風情を醸す「豊村酒造」の黒塀

     =11月1日撮影

  「豊村酒造」の主屋=写真③=は、明治20年(1887年)建築で、玄関土間天井には大きな梁が組まれ、玄関白壁には「杉玉」の両脇に「龍」を描いた見事な鏝絵もあり、第1回福岡県屋外広告景観賞・優秀賞に輝いています。煙突は平成17年(2005年)の福岡沖地震でひびが入り、老朽化した酒蔵とともに修復・維持を図るには多額の費用がかかるとして解体も検討されました。地元住民有志で結成したNPO法人が、地域の財産として酒蔵などの保存を福津市に訴え、市が2017年度に「豊村酒造」の建造物保存対策と煙突の現地調査を行った結果、煙突内部の鉄筋は傷んでいないことが分かり、2018年度予算で「豊村酒造」の煙突を含む建物の耐震診断など保存活用基本計画策定と津屋崎地区の観光振興の可能性調査を進めています。

 

写真③:「杉玉」の両脇白壁に「龍」の見事な鏝絵が描かれた主屋

     =「豊村酒造」で、11月1日撮影

  福津市津屋崎4丁目(土居)の津屋崎橋近くの「津屋崎干潟」に面した広場(豊村酒造所有地)に建つ赤レンガ造りの通称「塩倉庫」(約6m×約5m四方)=写真④=は、明治38年に政府が塩の専売制をしき、翌39年(1906年)に建設した熊本塩務局津屋崎出張所庁舎附属文庫(文書庫)で、津屋崎の塩田が廃止になるまで文書を保管。老朽化し、屋根や床が抜け落ち、痛みが激しい。九州産業考古学会編集で2008年に発行された『福岡の近代化遺産』(弦書房刊)では、「津屋崎の製塩産業遺跡」として〈この倉庫は塩田で栄えた町の証であり、歴史的遺産として再生・活用されることを望みたい。倉庫近くでは、塩の積み出しが行われた船着場と思われる石垣も確認できる〉と紹介されています。

  

写真④:赤レンガ造りの通称「塩倉庫」(熊本塩務局津屋崎出張所文書庫)

 2010年4月17日夜、私が所属している福津市のまちづくりボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」がメンバーに参加した実行委員会で初めて開催された「津屋崎千軒うみがめ祭・町家まつり」~塩と炭鉱王が支えた津屋崎~では、「塩倉庫」前広場に特設した野外ステージで「津屋崎塩倉庫ライトアップコンサート」=写真⑤=を行い、約2百人の音楽ファンが来場したこともありました。

 

写真⑤:約2百人の音楽ファンが来場した「津屋崎塩倉庫ライトアップコンサート」

     =「塩倉庫」前広場に特設した野外ステージで、2010年4月17日午後7時撮影

  全国に現存する塩務局の施設(建物)は9個所あり、九州では塩の収納量や配置定員で施設を最上位の1等級から11等級にまで分けた等級区分のうち7等級の姫島出張所(大分県東国東郡姫島村)と津屋崎出張所の2か所だけ。「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が2016年5月15日、姫島村に観光バスツアーで行った際、同村北浦にある姫島出張所=写真⑥=には赤レンガ造りの付属文書庫が残されており、県道沿いの北浦公園の物置として利用されていました。人口約2,000人の姫島村が文書庫を保存しているのに、人口約64,000人の福津市では残せないのでしょうか。

  

写真⑥:姫島村が保存している赤レンガ造りの「熊本塩務局姫島出張所」文書庫

     =大分県東国東郡姫島村北浦で、2016年5月15日撮影

 「熊本塩務局姫島出張所」文書庫のそばには、姫島村教委が立てた「専売所跡地」解説板=写真⑦=がありました。

  

写真⑦「熊本塩務局姫島出張所」文書庫のそばに立つ「専売所跡地」解説板

     =姫島村北浦で、2016年5月15日撮影

残し活用していきたい「豊村酒造」と「塩倉庫」のある風景

 赤レンガ造りの通称「塩倉庫」(熊本塩務局津屋崎出張所文書庫)を塩田で栄えた町の証の歴史的遺産として再生させ、「豊村酒造」の煙突や酒蔵、黒塀を、津屋崎千軒のランドマークとしてなんとしても残し活用していきたい、と願っています。

 この願いの意味も込めて、平成19年に発足した「海とまちなみの会」は町興し活動の原点に帰り、地域の宝を見詰め直し、後世に伝えたいと、福津市複合文化センター「カメリアステージ」と11月17日(土)、「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」(詳しくは<A href=http://www.tsuyazaki-sengen.com/>本会ホームページ</A>を初めて開催します。「塩倉庫」や「豊村酒造」を本会ガイドがご案内します。どうぞご家族、お友達連れでご参加ください。お申し込みは、「海とまちなみの会」事務局へ11月12日(月)までにメールyosi3019@sage.ocn.ne.jpか、電話090-7451-8063で担当吉村までお願いします。

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