吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

〈催事〉0209:絶滅危惧種のイラスト入り三角旗

2012-10-29 06:06:08 | 行楽催事

 

写真①:クロツラヘラサギ、カブトガニ、アカウミガメのイラストをあしらった3種類の三角旗


絶滅危惧種のイラスト入り「三角旗」のデザインが決まりました
ボランティアガイドでの観光客の先導用です

 私の所属する福津市の町興しボランティア団体、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が、〈津屋崎千軒〉のボランティアガイドで観光客を先導する際に使う三角旗のデザインが決まりました。観光バスのガイドさんや旅行会社の添乗員さんが、お客様の目印になるように頭上に掲げるアレです。しゃれた感じのデザインではないでしょうか。

 デザインは、芹野義則会員(福津市)制作。ブルーの地に「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の白ぬき文字入り。「津屋崎干潟」に渡来する環境省のレッドデータブックで「絶滅危惧ⅠA類」指定の冬鳥・クロツラヘラサギ(トキ科)、同干潟で繁殖する〝生きた化石〟・カブトガニ、白石浜や恋の浦、勝浦浜で産卵する「絶滅危惧ⅠB類」指定のアカウミガメのイラストをあしらった3種類=写真①=です。


 12月1日(土)午後1時から福津市文化会館大研修室で開催する「第35回全国町並みゼミ福岡大会」(主催・実行委員会、特定非営利活動法人全国町並み保存連盟)第5分科会に全国から参加する町づくり団体のリーダー約百人を、午前中に〈津屋崎千軒〉の町並みをガイドする際に、お披露目する予定。三角旗のイラスト別に「クロツラヘラサギ班」、「カブトガニ班」、「アカウミガメ班」の3グループに分け、それぞれの引率ガイドが頭上に掲げます。

 「第35回全国町並みゼミ福岡大会」は、「地域遺産の再発見とまちの魅力創出―福岡から活かそう 町並みとアジア文化―」をスローガンに11月30日、福津市の名義後援も得て福岡市の都久志会館で開幕、「これからのまちや地域の景観づくり」をテーマにした座談会や全国各地からの報告「町並みの保存と課題」などを行います。翌12月1日は、同市内4か所と福津、太宰府両市内各1か所で計6分科会を開き、最終日の同月2日は福岡市立婦人会館で分科会報告とシンポジュウム「地域遺産を守り、どう活用するか~女性の活動現場から~」を行います。

 第5分科会の開催運営は、「海とまちなみの会」が担当。「町並みの保存・継承と町家等の活用~空き家再生の視点から~」をテーマに、山口覚・NPO法人地域交流センター津屋崎ブランチ代表(福津市)がコーディネーターを務め、田上健一九州大学大学院准教授(福岡市)と松井薫・京町家情報センター代表(京都市)をアドバイザーに迎え、岸野祐児・NPO法人龍野町家再生活用プロジェクト理事長(兵庫県たつの市)や、中村泰典・NPO法人倉敷町家トラスト代表理事(岡山県倉敷市)、大島真一郎・NPO法人八女町家再生応援団理事(福岡県八女市)がパネル討議を行います。

 2日開催のシンポジュウムには柴田富美子・「藍の家保存会」代表(福津市)がパネリストとして参加します。同ゼミ福岡大会のチラシ表裏のデータと参加申込書(参加費・一般5千円、学生3千円)については、同大会ホームページhttp://www.pureriver.net/からダウンロードできます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年10月27日/〈日記〉494:『津屋崎学』18版刊行

2012-10-27 05:24:28 | 日記

 

写真①:『津屋崎学――A  Quaint  Town  Tsuyazaki-sengen  Guide』第18版上製本の表紙

 

津屋崎の郷土史と自然のガイド本
『津屋崎学――A Quaint Town Tsuyazaki-sengen Guide』第18版上製本が完成
(B5判カラー、314㌻) 吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」をもとに書籍化

 古里・津屋崎の良さや歴史を1冊の本にまとめ、子や孫の世代に伝えたいと、吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」をもとに書籍化した津屋崎の郷土史と自然のガイド本、『津屋崎学――A Quaint Town Tsuyazaki-sengen Guide』の第18版上製本(B5判カラー、314㌻)=写真①=が、平成24年(2012年)10月13日、東京にある発行所・Obunest(オブネスト)=ソフト開発のイースト株式会社および印刷会社の欧文印刷の共同事業名=で出来あがり、宅配便で私の手元に届きました。

解説記事に写真402枚付き 

 記事は、「第1章 津屋崎の魅力」から始め、「第2章 津屋崎塩田の軌跡~津屋崎は塩で保(も)つ~」、「第3章 〝筑豊の炭鉱王〟・伊藤伝右衛門と津屋崎」や、「第16章 卯建と鏝絵の町家巡り」、小説やテレビ・ドラマに描かれた津屋崎、失われた町家、〝幻の津屋崎鉄道〟などを紹介した「第18章 津屋崎よもやま話」、「第19章 津屋崎の食文化」まで全19章で構成したあと、「津屋崎歴史年表」を掲載。明治創業の荒物屋・旧「乙藤商店」や旧「田中薬局」といった古い町家の様子と、「豊村酒造」の鏝絵、旧「麦屋惣平衛邸」の卯建、「津屋崎干潟」に渡来する冬鳥・クロツラヘラサギ、東京で撮影した泉岳寺や東郷神社、庚申信仰の柴又帝釈天も含め、平成18年から意識的に撮り集めた郷土の祭りや社寺、石碑、風景などの写真402枚と地図60枚付きで分りやすく表現しています。

  
 『津屋崎学』は平成23年(2011年)2月12日、ソフトカバーの初版並製本(B5判カラー、432㌻)を刊行。その後、かなりの地図を手作りで差し替え、ページ数を減らして改版、ハードカバーの18版上製本は一部の写真を差し替えました。非売品ですが、私が所属している福津市の町興し団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の事務所・「貝寄せ館」(津屋崎3丁目)でご希望の方には実費(上製本1万5千円、並み製本8千2百円)で頒布しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年10月22日/〈日記〉493・「メガソーラー」建設進む

2012-10-22 10:05:10 | 日記

 

写真①:「百田興産」が敷設を進めているソーラーパネル群(手前の水路がクロツラヘラサギやバンなど野鳥の楽園になっていました)

     =福津市渡池尻で、2012年10月22日撮影

 

姿を見せ始めた津屋崎のメガソーラ・パネル群

クロツラヘラサギ近く渡来の鳥獣保護区・「津屋崎干潟」そばに

 福津市渡の「津屋崎干潟」周辺2か所で建設中のメガソーラー(太陽光発電設備)工事現場のうち、同市渡池尻の用地約5万5千平方㍍では、着々と敷設される「百田興産」(福岡市)ソーラーパネルが姿を現し始めています=写真①=。平成25年7月31日までに、総出力約2千㌔・㍗の太陽光パネル約8千枚を設置する計画です。

「津屋崎干潟」には、世界に約2千羽しかいないという環境省のレッドデータブックで「絶滅危惧ⅠA類」指定のクロツラヘラサギ(トキ科)10羽前後が毎冬、朝鮮半島から渡来。10月末にも初渡来が予想されるクロツラヘラサギたちが、「津屋崎干潟」北側の渡池尻の用地に出現したメガソーラー・パネル群に、上空から目をパチクリしないでしょうか。

 このメガソーラー敷設現場の東に接した水路は、「津屋崎干潟」とともに福岡県鳥獣保護区に指定されています。これまで同水路は、冬の渡り鳥・クロツラヘラサギやヘラサギ(トキ科)、留鳥のカワセミ(カワセミ科)、バン(クイナ科)など野鳥の採餌や休息の楽園になっていましたが、水路との境界敷地にあった樹木がメガソーラー敷設工事で伐採され、〝野鳥の楽園〟は敷設現場から丸見えの状態に一変しています

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈催事〉0208:Jcom番組「素敵シニアの自悠時間」DVD上映会

2012-10-20 10:22:10 | 行楽催事

 

写真①:「素敵シニアの自悠時間」の「海とまちなみの会」紹介場面

     =Jcom福岡のテレビ番組「素敵シニアの自悠時間」DVDから

 きょう20日11時―15時、「貝寄せ館」で
Jcom福岡のテレビ番組「素敵シニアの自悠時間」DVD上映会

16日から放送中の「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の活動紹介です

 私の所属する福津市の町興しボランティア団体、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が9月22日からケーブルテレビ「Jcom福岡」(福岡市)に取材された番組・「素敵シニアの自由時間」の映像=写真①=が、10月16日から31日までの予定で放送中です。津屋崎地区で同ケーブルテレビの視聴ができるようになったのを機会に、同番組シリーズ企画の14番目として取り上げられました。きょう20日11時から15時まで、同市津屋崎3丁目の本会事務所・「貝寄せ館」で同番組のDVD上映会を入館無料で行いますので、皆様お越しください。

 「素敵シニアの自悠時間」は、第二の人生を生き生きと過ごすシニア世代の姿を紹介する企画番組です。「海とまちなみの会」の放送は、月―金曜は16時から、土・日曜は9時からと18時から各18分間放映。9月20日に同会が講師を務めた福津市郷育講座・「卯建と鏝絵の町家巡り」講座で〈津屋崎千軒〉の町家をガイドする様子や、同月22日に「貝寄せ館」で開いた例会の模様と、出席した男女会員らのボランティア活動に加わった動機や半生をインタビューした映像をナレーション付きで流しています。

 柴田富美子・「藍の家保存会」代表(「海とまちなみの会」会員)が、明治34年建築の元紺屋・旧上妻家住宅(「藍の家」)を保存しようと、平成5年に設立された旧津屋崎町街並み保存協議会の事務局長だった夫の治さん(平成14年他界)の遺志を継ぎ、女性たちのボランティア活動で「藍の家」の保存や、藍染め教室、コンサ-ト開催などの活動を続け、保存活動開始から20年目の節目を迎えて奮闘されている様子も紹介されています。

 このほか、車椅子でのガイド活動や福津市郷育講座を受講されている正岡功さん(「海とまちなみの会」会員)や、「貝寄せ館」近くに佐賀県から家族3人で6月に移住された「花祭窯」の磁器作家・藤吉憲典さん(同)が津屋崎に移住された理由や津屋崎の自然と人情の素晴らしさについてのインタビューの内容も放映されています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年10月19日/〈福間・町歩き〉012・旧JR福間駅「跨線橋門柱」

2012-10-19 20:48:06 | 福間・町歩き

 

写真①:旧JR福間駅「跨線橋門柱」のモニュメント

      =福津市中央3丁目で、2012年7月27日撮影

 

〈福間・町歩きスポット〉 12 

 :旧JR福間駅「跨線橋門柱」

 福津市中央3丁目のJR福間駅前の西鉄バス乗り場近くに、旧JR福間駅「跨線橋(こせんきょう)門柱」がモニュメントとして保存展示されています=写真①=。

 明治23年(1890年)9月28日、九州鉄道会社の博多―赤間間の鉄道が開通、福間駅のレールを初めて汽車が走りました。鉄道が国有化された後、国の鐡(鉄)道院が管轄するようになり、明治44年(1911年)に同駅に1番線ホームから2番線・3番線ホームへ乗客が歩けるように、線路をまたぐ「跨線橋」が新設され、その階段の乗降口に建てられた鉄製「門柱」の右側には「明治四十四年 鐡道院」の文字が刻まれました=写真②=。

写真②:鉄製「門柱」に刻まれた「明治四十四年 鐡道院」の文字

     =JR福間駅「跨線橋門柱」モニュメントで、7月27日撮影

 鉄道院はその後、鉄道省、運輸通信省、運輸省、日本国有鉄道、九州旅客鉄道株式会社へと変遷。「跨線橋」も、平成22年(2010年)1月の新福間駅建設工事で百年の役目を終えました。往時をしのぶ証として、2対の「門柱」のうち1対は北九州市の門司港にある「九州鉄道記念館」に保存、残る1対を発展するまちの歴史を見守り続けてきた旧駅舎のシンボルとして福間駅前に保存展示したという。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年10月18日/〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉008・飛騨高山

2012-10-18 09:28:43 | 〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉

 

写真①:人力車の目線から巡る古い町並み

      =岐阜県高山市三町で、2012年10月8日午前10時45分撮影

 

〈尾張・美濃・飛騨・町歩きスポット〉8

 :飛騨高山

  岐阜旅行5日目の10月8日は、高山市を訪問。細君や孫2人と一緒に人力車に乗り、同市三町の古い町並みを巡りました=写真①=。人力車に乗ったのは初めてですが、一段高い目線での町並み巡りは新鮮で、大いに楽しめました。

 三町の古い町並みは、日中の自動車の通行を控えるよう呼びかけられており、人力車や観光客が安心して散策しています=写真②=。

 

写真②:古い町並みを行く人力車や観光客

     =8日午前10時30分撮影

 町角では、土蔵造りの町家に珈琲店=写真③=が営業していました。

  

写真③:古い町並みの一角で営業している珈琲店

     =8日午前10時35分撮影

 高山市上三之町では、古い町家の屋根に明かり取り窓=写真④=が設けられているのを面白く感じました。

 

写真④:町家の屋根に設けられた明かり取り窓

     =高山市上三之町で、8日午前11時撮影

 3階建ての白壁格子の町家=写真⑤=も、残っています。

 

写真⑤:古い町並みに残る3階建ての白壁格子の町家

     =8日午前10時35分撮影

  商店の軒下に、江戸時代から伝わる「水車からくり」=写真⑥=が置かれ、人形が箱を取り上げるたびに中の品物が変わるのに観光客が見とれていました。下にある水車の力を利用して人形が動く仕掛けという。

 

写真⑥:水車の力を利用して人形が動く「水車からくり」

     =8日午前11時5分撮影

 昼食は、元旅館だったという「坂口屋」=写真⑦=で、しょう油味のスープに細く縮れた麺が特徴の飛騨中華(高山ラーメン)を味わいました。

 

写真⑦:元旅館だったという高山ラーメン店・「坂口屋」店内

     =8日午前11時20分撮影

 高山市八軒町にある国指定史跡・高山陣屋の「陣屋門」=写真⑧=は、高山城主金森氏の下屋敷の一つでしたが、金森氏が上ノ山(山形県)へ移封後、徳川幕府の直轄地として江戸から来た代官や郡代が飛騨を治める役所となりました。

  

写真⑧:徳川幕府の代官や郡代が飛騨を治め役所・「高山陣屋」入口の「陣屋門」

     =高山市八軒町で、8日午前10時5分撮影

 この朝、高山市入りして最初に訪ねたのは、「高山陣屋」前の広場で開かれていた「陣屋前朝市」=写真⑨=でした。地元農家の奥さんたちが、新鮮な野菜や果物、花などを売っています。

  

写真⑨:新鮮な野菜や果物、花などを売る店が並ぶ「朝市」

     =高山市八軒町で、8日午前9時55分撮影

  「おらんとこの味 手作り漬物 1袋300円」と書かれた表示=写真⑩=の手作り感が良く、赤かぶの漬物を買いました。

  

写真⑩:「おらんとこの味 手作り漬物 1袋300円」と書かれた表示

     =8日午前10時撮影

  「陣屋前朝市」前の道路を隔てた所に、「高札場跡」の石碑=写真⑪=が建っています。

 

写真⑪:「高札場跡」の石碑

     =8日午前10時20分撮影

 古い町並みの軒下に、青いランの花が楚々と咲いているのに魅かれます=写真⑫=。古里の福津市・〈津屋崎千軒〉の町歩きの観光客の方から「町家の軒先に、きれいな花が多いのが素敵」との感想をいただいていたのを思い浮かべました。

  

写真⑫:軒下に楚々と咲いた青いランの花

     =8日午前10時30分撮影

  「高山市政記念館」=写真⑬=は、明治28年から昭和43年まで町役場・市役所だった建物で、総檜造り。「高山市三町伝統的建造物群保存地区」内の南端にあり、一之町、二之町、三之町を見渡せる場所にあります。

  

写真⑬:明治28年から昭和43年まで町役場・市役所だった「高山市政記念館」

     =高山市神明町で、8日午前10時25分撮影

 宮川に架かる「中橋」のたもとにある小さな公園には、飛騨の匠・韓志和(からしわ)の「木鶴(もっかく)大明神像」=写真⑭=が建てられていました。そばにある解説碑文によると、彫刻の名手で、平安時代後期に自作の木鶴に乗り、唐土(中国)へ渡り、穆宗(ぼくそう)皇帝に入神の妙技を見せたといわれる伝説上の人物です。高山市政50周年にあたり、市の飛躍を象徴するものといて伝説を具象化し、同公園の記念碑としたという。

 

写真⑭:自作の木鶴に乗った飛騨の匠・韓志和の「木鶴大明神像」

    =8日午前10時20分撮影

  飛騨の匠にまつわる伝説を紹介したところで、〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉シリーズもピリオドを打ちます。

                                                                        (終わり)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年10月17日/〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉007・飛騨古川

2012-10-17 04:39:20 | 〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉

 

写真①:コイが泳ぐ瀬戸川と「白壁土蔵街」

      =岐阜県飛騨市古川町壱之町で、2012年10月7日午後3時15分撮影

 

〈尾張・美濃・飛騨・町歩きスポット〉7

 :飛騨古川

  10月7日午後、飛騨市古川町の歴史的な町並みを散策。戦国時代に豊臣秀吉の命を受けた金森長近が飛騨を統一、二代目可重が1589年に飛騨唯一の平城「増島城」を築き、城下町を作りました。約千匹のコイが泳ぐ瀬戸川と約5百㍍続く「白壁土蔵街」=写真①=が、町並みのシンボルです。

 瀬戸川は、約4百年前に「増島城」の濠の水を利用し、「瀬戸屋源兵衛」という人が世話人となって新田開発のため作られたことから、名付けられました。野菜も洗えるきれいな用水でしたが、日本経済の高度成長期のころ著しく汚れたため、美しい川に戻そうと1968年に住民の寄付でコイが放流されたという。色とりどりのコイが泳ぐ清流として市民に親しまれ=写真②=、農業・防火用水、流雪溝の役割も果たしています。

  

写真②:コイが泳ぐ清流として市民に親しまれている瀬戸川(右端)と路地

     =7日午後3時15分撮影

 古川には2軒の造り酒屋があり、建物はともに国の有形文化財に登録されています。このうち「渡辺酒造店」は、江戸時代中期の享保17年(1732年)に初代久右衛門が創業、明治3年(1870年)から銘酒「蓬莱(ほうらい)」造りを開始。玄関の軒先に懸けられた杉の葉を球状に束ねた「酒林(さかばやし)」=写真③=は、酒造場の看板です。毎年11月下旬、新酒の初搾りの日に新しい酒林に取り換えられます。

 

写真③:「酒林」が玄関の軒先に懸けられた「渡辺酒造店」

     =飛騨市古川町壱之町で、7日午後3時10分撮影

  「渡辺酒造店」正面玄関に、平成元年(1989年)建立の「杜氏酛摺(もとすり)り像」=写真④=があるのが目に付きました。〈杜氏殿の 心澄みゆき 魂きはる いのちの酛は 生れ初めけり〉と書かれた台座の書は 司馬遼太郎、像制作は飛騨市出身の彫刻家・中垣克久(新制作協会)。創業120年記念と、杜氏達のこれまでの労に感謝したいと、酒造りの象徴とも云うべき酛摺り(優良な酵母を集中的に育てる工程で、冷えた水を加えた米、麹を深夜、ひたすらすり潰す辛い作業)のブロンズ像を建てたという。

  

写真④:「渡辺酒造店」正面玄関に建つ「杜氏酛摺り像」

     =飛騨市古川町壱之町で、7日午後3時10分撮影

  飛騨の伝統的な家屋が軒を連ねる古川にも、袖卯建(うだつ)が上がった町家を見かけました=写真⑤=。古川の町家では、家の軒下の肘木に彫り付けてある各大工さん固有の紋様・「雲」が施されているのが特徴。昭和半ばに始まったといわれ、古川大工特有のものです。奈良時代、都の神社仏閣の造営で活躍した飛騨の大工は、その卓越した技能から〝飛騨の匠〟と称されています。「雲」が施されているのも、古川の大工の誇りを示すシンボルです。現在、この「雲」の文様、約170種類もあります。

 

写真⑤:軒下の肘木に彫り付けてある各大工さん固有の紋様・「雲」もある「卯建の上がった町家」

      =7日午後3時10分撮影

  飛騨市古川町の町並みには、すし店などが並ぶ3階建ての町家もけっこう建っていました=写真⑥=。

  

写真⑥:すし店などが並ぶ3階建ての町家

     =7日午後3時30分撮影

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年10月16日/〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉006・新穂高ロープウェイ

2012-10-16 06:47:50 | 〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉

 写真①:「新穂高ロープウェイ」の上り口になる「新穂高温泉駅」

       =岐阜県高山市奥飛騨温泉郷新穂高温泉で、2012年10月7日午後1時10分撮影

 

〈尾張・美濃・飛騨・町歩きスポット〉6

 :新穂高ロープウェイ

  思いがけずに世界文化遺産・飛騨白川郷(岐阜県白川村)を見物できて気を良くした10月6日夜は、奥飛騨・新平湯温泉の「古宝館」に泊まり、温泉でくつろぎました。翌7日朝、中部山岳国立公園の「新穂高ロープウェイ」観光に出かけました。

  北アルプスを一望できる展望台へ通じる「新穂高ロープウェイ」は、まず第1ロープウェイ(高低差188㍍)に「新穂高温泉駅」から「鍋平高原駅」まで4分間乗ります=写真②=。

  

写真②:「新穂高温泉駅」へ下る第1ロープウェイのゴンドラ(向こう)到着を待つ観光客

     =7日午前10時25分撮影

 第1ロープウェイのゴンドラ(定員45人)のガラス越しに、急斜面の山肌を染める広葉樹の紅葉(黄葉)=写真③=が観賞できました。

 

写真③:第1ロープウェイのゴンドラのガラス越しに見る広葉樹の紅葉(黄葉)

      =7日午前11時15分撮影

  第1ロープウェイの次は、第2ロープウェイ(高低差845㍍)上り口の「しらかば平駅」まで2分歩き、同駅から日本唯一という2階建てのゴンドラ(定員121人)に乗って7分後に標高2,156㍍の「西穂高口駅」へ到着。第1、第2ロープウェイの往復乗車料は、2,800円でした。駅付近の気温は10度で、さすがに高山に来たな、と寒さを感じます。

  「西穂高口駅」でゴンドラを降り、同駅舎屋上にある展望台に立ちましたが、あいにく霧がたちこめていて、展望はできませんでした。北アルプスの峰々を描いた方位地図=写真④=を見て、霧の向こうにそびえる西穂高岳(標高2,909㍍)や槍ケ岳(同3,180㍍)などの連峰を想像しました。

 

写真④:「西穂高口駅」屋上の展望台にある北アルプスの方位地図

     =7日午後0時5分撮影

  展望台そばには遊歩道が整備されており、沿道にクマザサや水芭蕉が生えた高山の自然を歩いて楽しみました=写真⑤=。

  

写真⑤:遊歩道を散策するリュック姿の観光客たち

     =7日午前11時45分撮影

  7日夜の宿も、6日と同じく高山市奥飛騨温泉郷・新平湯温泉の旅館「古宝館」。6日の夕食=写真⑥=は、飛騨牛のとろける様な「しゃぶしゃぶ」や岩魚の塩焼きでしたが、7日の夕食は飛騨牛の朴葉ステーキでした。

 

写真⑥:飛騨牛の「しゃぶしゃぶ」の「古宝館・」夕食

     =6日午後6時30分撮影

  8日の朝食=写真⑦=には、温泉卵や朴葉味噌を焼いてご飯に付けていただきました。「古宝館」の水源は、奥飛騨の3億年前の化石の地層から湧き出るミネラル豊富な『奥飛騨・古代宝水』といい、ミネラル豊富で美肌効果が高く、『延命の水』として料理にも使い、宿泊客のお風呂上がりや朝起きた時の飲料水にペットボトルに入れて持ち帰っていただいているという。確かに美味しい水で、ボトルに入れて宿を出ました。

 

写真⑦:「古宝館」の朴葉味噌焼の朝食

     =8日午前7時30分撮影

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年10月15日/〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉005・世界文化遺産・飛騨白川郷

2012-10-15 06:50:06 | 〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉

 

写真①:岐阜県指定重要文化財・「明善寺庫裡」3階窓から見降ろした「飛騨白川郷」

     =岐阜県白川村荻町で、2012年10月6日午後2時30分撮影

 

〈尾張・美濃・飛騨・町歩きスポット〉5

 :世界文化遺産・飛騨白川郷

  世界文化遺産・飛騨白川郷(岐阜県白川村)=写真①=を訪れたのは、10月6日午後2時すぎでした。県指定重要文化財・「明善寺庫裡」は、江戸末期に飛騨高山の棟梁大工と地方の棟梁大工らが3年がかりで完成させた5階建てで、白川郷最大の合掌造り建築。釘やカスガイを使わず、クサビとマンサクの若木、ワラナワでしめくくったうえ、茅葺きの切妻屋根は雪を落とすため60度近い急勾配なのが特徴です。

  先祖が加賀百万石前田家の御典医を勤めていた「長瀬家」の合掌造り(5階建て)=写真②=は、長瀬民之助・5代目当主が明治23年(1890年)に建築。白川郷の樹齢150~200年の桧や樹齢300~350年の栃、欅、桂などの巨木を使い、3年かけて白川郷民の〝結の心〟で完成したという。平成13年から80年ぶりに行われた大屋根の葺き替えは、NHKテレビが1年にわたって撮影、ドキュメント番組として放送されました。

 

写真②:「長瀬家」の合掌造り(5階建て)

     =6日午後2時50分撮影

 集落の独特の景観が評価されて昭和51年(1976年)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、平成7年(1995年)には合掌造り集落として、富山県上平村菅沼、平村相倉(五箇山)の2集落とともにユネスコの世界文化遺産に登録された「荻町合掌造り集落」は、大勢の観光客が散策を楽しんでいます=写真③=。

 

写真③:「荻町合掌造り集落」の散策を楽しむ観光客たち

     =6日午後2時50分撮影

  白川郷「おみやげ処」=写真④=では、飛騨の民芸品やお菓子を求める観光客の姿で賑わっていました。人口約2千人の山村に、年間150万人もの観光客が詰めかける世界文化遺産村の一端です。

  

写真④:白川郷のお菓子や民芸品を売る「おみやげ処」

     =6日午後2時50分撮影

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年10月14日/〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉004・和紙と卯建の町・美濃市

2012-10-14 08:49:08 | 〈尾張・美濃・飛騨・町歩き〉

 

写真①:屋根に卯建が上がる町家が続く古風な町並み

     =岐阜県美濃市で、2012年10月6日午前10時20分撮影

 

〈尾張・美濃・飛騨・町歩きスポット〉4

 :和紙と卯建の町・美濃市

  〈尾張・美濃・飛騨〉旅行3日目の10月6日は、岐阜県美濃市を訪れました。「和紙と卯建(うだつ)のまち・美濃市」を代表する「国選定重要伝統的建造物群保存地区」の卯建の上がる町並み=写真①=を散策するのが、この旅の楽しみの一つでした。

  美濃市の町並みには、家々の屋根の両端、妻に立ち上がっている卯建の残る町家が、19棟あります。6棟ある福津市・〈津屋崎千軒〉の町並みの3倍以上で、〝卯建のまち〟の本場といえるでしょう。

  美濃市の造り酒屋・「小坂家住宅」(国指定重要文化財)の母屋や酒蔵は、江戸期の築造で、屋根面がふくらんだ「むくり屋根」が珍しく、鬼瓦のない古風な飾りの卯建が立っているのが特徴=写真②=。棟にある小ぶりの煙出しも、卯建風に作られています。軒下には、割り竹を円弧状に曲げた「犬矢来(いぬやらい)」が設けられ、京都の町家を連想しました。

 

写真②:珍しい「むくり屋根」で、鬼瓦のない古風な飾りの卯建が立つ「小坂家住宅」

     =6日午前9時35分撮影

  「小坂家住宅」に入ると、江戸から続く造り酒屋の名酒=写真③=展示されており、「百春(ひゃくしゅん)」を購入。飲んだら、フルーティーで美味しい酒でした。

  

写真③:「小坂住宅」の名酒

     =6日午前9時40分撮影

 住宅内の見学もさせてもらったら、土間の台所に昔懐かしい竈=写真④=がありました。

 

写真④:「小坂住宅」に残る昔懐かしい竈

      =6日午前9時40分撮影

  次に訪ねたのは、和紙の原料商として栄えた旧「今井家住宅」・美濃史料館(入館料3百円)=写真⑤=。江戸中期の建物で、鬼瓦が小さく、シンプルな卯建や野太い格子など古風な町家です。長良川の中流域にある美濃の町は、良質の原料と清流の恩恵を受けた美濃和紙によって繁栄しました。

  

写真⑤:豪壮な和紙問屋として栄えた旧「今井家住宅」・美濃史料館

     =美濃市泉町で、6日午前9時55分撮影

 江戸末期には庄屋だったという旧「今井家住宅」の中庭には、江戸時代の文政年間に考案されたという「水琴窟」=写真⑥=が設けられており、ひしゃくで水を流すと涼やかな音があたりに響きました。

 

写真⑥:旧「今井家住宅」の中庭に設けられた「水琴窟」

     =6日午前10時撮影

  敷地奥にある「にわか蔵」には、街角を舞台に風刺劇を繰り広げる郷土芸能「美濃流し仁輪加(にわか)」の実演を人形で再現しています=写真⑦=。「博多にわか」と同じように、とんちを利かして美濃弁で世相を風刺する演芸が、本州の美濃にも残っているとは面白いですね。

 

写真⑦:人形で再現した「美濃流し仁輪加」の実演風景

     =6日午前10時15分撮影

  和紙の製造工程をミニチュアの家屋や人形で展示した「紙漉(す)く家」のコーナー=写真⑧=には、和紙の原料・楮(こうぞ)=写真⑨=もありました。

 

写真⑧:「紙漉く家」の展示コーナー        写真⑨:和紙の原料・楮

     =6日午前10時15分撮影

 「大石家住宅」の1階屋根には、「屋敷神様」を祀る木箱(防火の神棚)が置かれていました=写真⑩=。

写真⑩:「大石家住宅」1階の屋根に置かれた「屋敷神様」の木箱(防火の神棚)

     =6日午前10時20分撮影

  通りには、乗用車が格子戸の中に収められている町家=写真⑪=も見られ、統一された町並みの美観を損なわない気遣いがうかがわれ、感心しました。

  

写真⑪:格子戸の中に乗用車を収めた車庫

     =6日午前10時20分撮影

 おやおや、「十六銀行美濃支店」=写真⑫=までが町家風の建物です。

 

写真⑫:町家風イメージの「十六銀行美濃支店」

     =6日午前10時25分撮影

  町家の軒下には「馬つなぎ石」=写真⑬=も残され、馬で人や物を運んだ江戸時代から明治にかけての生活ぶりが目に浮かびました。

 

写真⑬:軒下に残る「馬つなぎ石」

     =6日午前10時35分撮影

 菓子店でお土産に買った煎餅には、卯建の町・美濃らしく、「うだつくん」の焼き印が付いています=写真⑭=

 

写真⑭:「うだつくん」の焼き印が付いた煎餅

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする