吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2014年11月6日/〈福間・町歩き〉017・「畦町天満宮」の夕陽風景時計

2016-11-06 10:04:01 | 福間・町歩き

 

写真①:「畦町天満宮」の参道石段わきに設置された夕陽風景時計

      =福津市畦町で、2016年11月6日撮影


〈福間・町歩きスポット〉17

:「畦町宿天満宮」の夕陽風景時計

 福津市畦町(あぜまち)にある「〈唐津街道〉・畦町宿場跡」を11月6日、久しぶりに訪れました。畦町宿の上町にある「畦町天満宮」境内に2月設置された夕陽風景時計=写真①=を見るためです。

  「畦町天満宮」=写真②=は、畦町宿の街道の「東構口」跡近くの丘陵にあり、江戸時代の建立。拝殿裏にある祠の菅原道真公像は、江戸中期・明和2年(1765年)の作という。街道から参道の急勾配の石段は108段あり、手すりをつたって上りました。

  

写真②:菅原道真公を祀る「畦町天満宮」

  夕陽風景時計は、石段最上部近くの踊り場に櫓風に手づくりされた木枠の展望所の平板台(標高約50㍍)上に設置=写真③=された簡便な作りです。時計の版面は、考案者の「津屋崎千軒 海とまちなみの会」会員・緒方義幸さんが、「唐津街道畦町宿の街並みを保存会」の要請でA3判で印刷、ラミネート加工。「海とまちなみの会」が福津市の「宮地浜」に設置している夕陽風景時計のステンレス製版面は、本格的な造りですが、製作費は市民募金約40万円を要しました。畦町宿の夕陽風景時計は、本格的な造りを目指されるのでしょうか。

  

写真③:夕陽風景時計が木枠の平板上に設置された展望台(中央。向こうは畦町宿の街並み)

  2月28日、緒方さんが畦町宿で開いた住民向けの夕陽風景時計の説明会では、「畦町天満宮」からは2月12日前後と10月30日前後に博多湾の玄界島に沈む夕陽が見られるという。

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2015年4月25日/〈福間・町歩き〉016・堀三太郎別荘

2015-04-25 04:58:47 | 福間・町歩き

 

写真①:堂々として格調高い旧「堀三太郎別荘」の薬医門

     =福津市花見が浜1丁目5-1で、2015年4月24日撮影


〈福間・町歩きスポット〉16


:旧「堀三太郎別荘」

 福津市福間(現同市花見が浜1丁目)の国道495号線を車で通るたびに、旧「堀三太郎別荘」の堂々とした本瓦葺きの「薬医門」=写真①=に風格を感じます。貝島、麻生、伊藤、安川と並んで〝筑豊の五大炭鉱主〟と呼ばれた堀三太郎の福間別荘跡の正門です。2本の本柱の背後だけに控え柱を立て、切妻屋根をかけた「薬医門」は、大名や藩の御典医などに建築が許された様式という。

  堀三太郎は、幕末の慶応2年(1866年)に直方市新町の醤油屋の長男として生まれ、後に堀甚四郎の養子になりました。23歳の明治22年に鞍手郡勝野村(現小竹町)で炭鉱経営を始め、各地でも炭鉱を経営。晩年は福間の別荘で過ごし、昭和33年(1958年)に92歳で亡くなりました。別荘は戦後売却され、現在は医療法人恵愛会(江見五城理事長)が経営する精神科・心療内科などの「福間病院」の正門となっています。

 福間別荘は、約9万坪の敷地に延べ5百坪の建物が大正半ばごろ建てられ、戦後は一時、建物や庭園が米軍将校のクラブに使用。「福間病院」の初代院長が敷地の三分の一、5万坪を購入、昭和30年(1955年)に日本初の精神科自由開放療法の病院として開院したという。別荘の主な建物や庭園は残され、三分の二の敷地は住宅地に変わっています。4月24日、同病院主催の認知症についての講演会を受講した際、職員の方のご案内で敷地を散策、中島が浮かぶ日本庭園=写真②=や、その西側の丘陵地に建つ瓦葺き平屋の別荘母屋玄関=写真③=、母屋に接続した銅版葺き屋根の離れ=写真④=を見ることができました。

  

写真②:中島が浮かぶ日本庭園

 

写真③:瓦葺き平屋の別荘母屋玄関

 

写真④:母屋に接続した銅版葺き屋根の離れ

  母屋の南側には、白壁の大きな土蔵=写真⑤=が建ち、その前には入母屋式2階建ての立派な倉庫=写真⑥=がありました。倉庫の窓扉は銅版製で、なぜか鬼瓦にに十の字の島津家の家紋が入っています=写真⑦=。堀三太郎と、薩摩・島津家の接点は、何だったのか、興味津々です。

  

写真⑤:母屋の南側に建つ白壁の大きな土蔵

 

写真⑥:窓扉が銅版製の入母屋式2階建て倉庫

 

写真⑦:○に十の字の島津家の家紋が入った2階建て倉庫の鬼瓦

  直方市新町1の「堀三太郎屋敷」はどっしりとした和風建築の木造平屋で、明治31年(1898年)に建てられ、広い座敷や板の間、庭園があります。昭和16年に直方市に寄贈され、今は伝統芸能の生涯学習拠点の「直方歳時館」として無料公開されています。

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2014年10月12日/〈福間・町歩き〉015・唐津街道畦町宿祭り

2014-10-12 03:38:18 | 福間・町歩き

写真①:「〈唐津街道〉・畦町宿跡」の町角に設置された灯篭の案内標識

     =福津市畦町で、2014年10月11日午後3時50分撮影


〈福間・町歩きスポット〉15

:唐津街道畦町宿祭り

  福津市畦町(あぜまち)にある「〈唐津街道〉・畦町宿場跡」で10月11日、第2回唐津街道畦町宿祭り(「唐津街道畦町宿保存会」主催)開催されました。2007年3月21日掲載した〈福間・町歩きスポット〉2で江戸時代に〈唐津街道〉の宿場町で商家が建ち並んで栄えたこの宿場跡を紹介しましたが、久しぶりに訪ねた町並みには灯篭の案内標識が設置されたり、絵本美術館がオープンするなどかなり整備が進んでいる様子です。

  浄土真宗のお寺・「菖蒲山護念寺」前を通りかかると、パレード中の「軍師官兵衛」福岡プロジェクト協議会のキャラクター「ふくおか官兵衛くん」が歓迎のポーズをとってくれました=写真②=。平成26年のNHK大河ドラマで放送中の「軍師官兵衛」にあやかり、福岡ゆかりの黒田官兵衛のPRと福岡の歴史資源情報を全国に発信、観光客の誘致や経済の活性化を図るキャンペーンで活躍の「官兵衛くん」でした。「護念寺」は岡山から来た黒田家家臣・中島半六が、戦乱の世を厭って出家し、江戸時代初期の慶長7年(1602年)に創建、初代住職になったといい、「官兵衛くん」が現れたのも納得です。

 

写真②:歓迎のポーズをとる「ふくおか官兵衛くん」(後ろは「菖蒲山護念寺」)

     =福津市畦町で、11日午前9時45分撮影(後ろは

   「護念寺」の斜め前に「あぜのまち絵本美術館」=写真③=の町家が建っています。軒先にある立て看板=写真④=が、かわいいです。

 

写真③「あぜのまち絵本美術館」の町家▽写真④:軒先にある立て看板

 「あぜのまち絵本美術館」の玄関土間から座敷に上がると、北九州市出身の童画家・田中時彦さんのノスタルジックな画風の作品が欄間のある和室に飾られていました=写真⑤=。田中さんは漫画家でもあり、北九州市漫画ミュージアム館長やイラストレーターとしても活躍され、日本玩具博物館のパンフレットや宗像市観光絵葉書などの作品が知られています。

 

写真⑤:和室に展示された田中時彦さんの童画作品

  次に、旅人が休息のため腰掛ける「番子(ばんこ)」のある町家・「清水醤油店」の前に差しかかると、「番子」の上に露店の商品が並べられていました=写真⑥=。店内の土間では、腰かけてぜんざいを召し上がっている観光客の姿も見られました

  

写真⑥:「番子」のある町家・「清水醤油店」

  「清水醤油店」の前にある「中村酒屋」=写真⑦=は、江戸時代・寛政の大火後に建てられ、杉玉を飾った小屋根が残っています。昔ながらの玄関潜り戸から土間に入ると、天井のない建物を支える大きな梁が目に付きました。

  

写真⑦:昔ながらの玄関潜り戸が残る「中村酒屋」

  「中村酒屋」から東へ行くと、家の外に張り出した防火用の壁・卯建(うだつ)が建つ町家・「小田牛乳所」=写真⑧=です。家の前で売られていた草餅(1個百円)を、土産に6個買いました。午前11時から当番した「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の観光ボランティアガイド拠点・「貝寄せ館」(福津市津屋崎3丁目)で昼食時に食べ、おいしかったです。「畦町宿祭り」を重ね、〈唐津街道〉の町並みがさらに整備されるといいですね。

 

写真⑧:卯建が建つ町家・「小田牛乳所」前で売られていた草餅を買う人たち

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2014年1月12日/〈福間・町歩き〉014・福間ラーメン「ろくでなし」

2014-01-12 17:23:53 | 福間・町歩き

 

写真①:福間ラーメン「ろくでなし」

     =福津市中央4-22-30で、2014年1月12日撮影

  

〈福間・町歩きスポット〉 14 

 :福間ラーメン「ろくでなし」

 福津市中央4丁目の旧国道3号線沿いに、福間ラーメン「ろくでなし」=写真①=が開店したと聞き、1月12日に暖簾を潜りました。

 普通の麺にチャーシュー入りのラーメン(550円)=写真②=を注文、さっそく味わうと素朴な豚骨ラーメンでした。営業56年間余で2013年6月末に惜しまれながら暖簾を閉じた福津市津屋崎3丁目の人気ラーメン店・「宝来軒」のラーメンを思わせる豚骨味で懐かしく感じられ、スープまで美味しくいただきました。

  

写真②:素朴な味が懐かしい感じの豚骨ラーメン

  若いスタッフの応対で、カウンターと座敷席にお客さんが手際よく案内され、店内は活気があふれています。午前11時から午後3時までは、お好きなラーメンに+200円で焼き飯(小)付きのAセットや、同ラーメンに+200円で餃子4個とライス付きのBセット、同ラーメンに+300円で餃子4個と焼き飯(小)付きのCセットの「お得なランチセット」=写真③=もあります。

 

写真③:「お得なランチセット」のメニュー

  〈津屋崎千軒〉の古い町並みから豚骨ラーメンの名店が無くなったので、津屋崎にも支店を出してほしいと、福間ラーメン「ろくでなし」のまだお若い店主中村誠さんにお声をかけたら、「出会えたご縁に感謝」と墨書き入りの名刺をいただきました。

 ◆福間ラーメン「ろくでなし」(福津市中央4-22-30。℡0940-36-9525)。店前に駐車できます。

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2013年10月22日/〈福間・町歩き〉013・「わかたけ広場」

2013-10-22 10:27:35 | 福間・町歩き

写真①:フジバカマの花に止まったアサギマダラ

     =福津市手光の「わかたけ広場」で、2013年10月22日午前8時40分撮影

 〈福間・町歩きスポット〉 13 

 :アサギマダラの渡来地・「わかたけ広場」

  「海を渡るチョウ」として知られるアサギマダラ(タテハチョウ科)の群れが、南へ渡る途中、福岡県福津市に次々と飛来しています。10月22日朝、同市手光の野外活動広場・「わかたけ広場」では、秋の七草の一つ、フジバカマ(キク科)の淡い紫紅色の花にも止まっていました=写真①=。

  翅の外側に、「10/20」「MSふくつ」の文字が書かれています=写真②=。10月20日、どこまで渡っていくのか調査しようと、地元のアサギマダラ保護グループの人たちが「わかたけ広場」でマーキングされたのでしょうか。飛来地として知られる大分県北東部の姫島では、今年4月下旬から捕獲した1600匹以上のアサギマダラの翅に油性ペンで姫島の印を付け〝放蝶〟し、うち1匹が6月3日に約1200㌔・㍍離れた北海道上ノ国町で函館工業高校教諭に確認されています。「わかたけ広場」飛来の個体が今後、南の国のどこで確認されるか、楽しみです。

写真②:翅の外側に「10/20」「MSふくつ」の文字がマーキングされた個体

     =「わかたけ広場」で、22日午前8時40分撮影

 杉の木立の下に植栽されているフジバカマのそばには、写真付きの「ちょう(アサギマダラ)をとらないでね」と呼びかける看板も立てられています=写真③=。

  

写真③:「ちょう(アサギマダラ)をとらないでね」と呼びかける看板

  福津市中央公民館の北側にある「わかたけ広場」=写真④=は、芝生広場やアスレチックなどの施設が整備されていますが、春と秋の2回、渡りの途中に立ち寄るアサギマダラの中継地として、子供たちの自然教育に絶好の場ともいえそうです。

 

写真④:「わかたけ広場」(左奥の杉木立下の斜面にフジバカマが植栽されている)

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2012年10月19日/〈福間・町歩き〉012・旧JR福間駅「跨線橋門柱」

2012-10-19 20:48:06 | 福間・町歩き

 

写真①:旧JR福間駅「跨線橋門柱」のモニュメント

      =福津市中央3丁目で、2012年7月27日撮影

 

〈福間・町歩きスポット〉 12 

 :旧JR福間駅「跨線橋門柱」

 福津市中央3丁目のJR福間駅前の西鉄バス乗り場近くに、旧JR福間駅「跨線橋(こせんきょう)門柱」がモニュメントとして保存展示されています=写真①=。

 明治23年(1890年)9月28日、九州鉄道会社の博多―赤間間の鉄道が開通、福間駅のレールを初めて汽車が走りました。鉄道が国有化された後、国の鐡(鉄)道院が管轄するようになり、明治44年(1911年)に同駅に1番線ホームから2番線・3番線ホームへ乗客が歩けるように、線路をまたぐ「跨線橋」が新設され、その階段の乗降口に建てられた鉄製「門柱」の右側には「明治四十四年 鐡道院」の文字が刻まれました=写真②=。

写真②:鉄製「門柱」に刻まれた「明治四十四年 鐡道院」の文字

     =JR福間駅「跨線橋門柱」モニュメントで、7月27日撮影

 鉄道院はその後、鉄道省、運輸通信省、運輸省、日本国有鉄道、九州旅客鉄道株式会社へと変遷。「跨線橋」も、平成22年(2010年)1月の新福間駅建設工事で百年の役目を終えました。往時をしのぶ証として、2対の「門柱」のうち1対は北九州市の門司港にある「九州鉄道記念館」に保存、残る1対を発展するまちの歴史を見守り続けてきた旧駅舎のシンボルとして福間駅前に保存展示したという。

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2012年4月24日/〈福間・町歩き〉011・「熊野神社」の朸

2012-04-24 17:35:52 | 福間・町歩き

写真①:樹齢8百年を超える朸の木

     =福津市手光で、2012年4月16日午前10時10分撮影

 

〈福間・町歩きスポット〉 11 

 :熊野神社の朸

 福津市手光の「熊野神社」境内にある朸(おうご)=写真①=は、推定樹齢約800年です。「御神木」と書かれた立て札が、参道入り口の石段の脇にあります=写真②=。

 

写真②:参道入り口石段の脇にある「御神木」の立て札  

     =16日午前10時10分撮影

 朸とは、ナギ(マキ科)のことです。常緑高木の針葉樹で、高さ20㍍に生長。床柱や庭園樹に使われます。樹皮はなめらかな黒紫色で、老木になるとうろこ状にはげ、はげた跡の色は褐色になります。葉は長楕円形で竹の葉のように平行脈を有し、引っ張ってもなかなか切れない強靭なもので、力柴の別名もあります。

  神社参道石段を上がった境内に、拝殿=写真③=が建っていました。

 

写真③:「熊野神社」拝殿

     =16日午前10時10分撮影

 「熊野神社」」(福津市手光)◆交通アクセス:〔バスで〕西鉄バス「通り堂」バス停から徒歩20分。「駐車場」なし。近くの「冠(かむり)公民館」駐車場に駐車、徒歩5分。

 

 「熊野神社」位置図

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2009年5月8日/〈福間・町歩き〉010・舎利蔵自然林

2009-05-08 07:06:33 | 福間・町歩き
写真①:樹齢8百年を超えるナギの巨木(左の2本)
     =福津市舎利蔵で、2009年5月5日午前10時32分撮影

〈福間・町歩きスポット〉 10 

:舎利蔵自然林

 福津市舎利蔵(しゃりくら)にある「舎利蔵自然林」は、福岡県の自然百選に選ばれている自然の宝庫です。カシ、シイ、タブ、ムクの自然林が茂り、推定樹齢8百年というナギ(マキ科)の巨木(県指定天然記念物)=写真①=が5本もあることで知られています。

 この地には、奈良時代の養老2年(718年)、名僧行基(ぎょうき)が仏舎利を安置して舎利山勝宝寺(しゃりさんしょうほうじ)を開基し、舎利蔵の地名の由来になったという。子院15坊を抱える大寺でしたが、今は廃寺となり、観音堂などの小庵が残るだけ。自然林の入り口には、福津市の「舎利蔵自然林」の解説板=写真②=が建っています。

 それによると、ナギの木は5本ともインドから移植されたと伝えられ、「樹皮はなめらかな黒紫色で、老木になるとうろこ状にはげ、はげた跡の色は褐色になる。葉は長楕円形で竹の葉のように平行脈を有し、引っ張ってもなかなか切れない強靭なもので、力柴の別名もある。福岡県下に自生はなく、神木として神社の境内によく植えられている」と説明。


写真②:福津市が建てた「舎利蔵自然林」の解説板
     =福津市舎利蔵で、5月5日午前10時29分撮影

 ナギは常緑高木の針葉樹で、高さ20㍍に生長。床柱や庭園樹に使われます。本州南部、四国、九州、沖縄、台湾、中国南部に分布。雌雄異株で、「舎利蔵自然林」の木は、鐘楼に近い1本が雌株=写真③=で、他の4本は雄株です。


写真③:ナギの木の雌株(左)と雄株(中央)
   =「舎利蔵自然林」で、5月5日午前10時31分撮影


「舎利蔵自然林」(福津市舎利蔵)◆交通アクセス:〔バスで〕JRバス「本木バス停」下車、徒歩25分。「駐車場」なし。道路わきに駐車可能です。

舎利蔵自然林
    「舎利蔵自然林」位置図
    (ピンが立っている所)
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2009年1月24日/〈福間・町歩き〉009・古民家ぎゃらりぃ畦

2009-01-24 15:29:32 | 福間・町歩き
写真①:「〈唐津街道〉・畦町宿場跡」にオープンした「古民家ぎゃらりぃ畦」
      =福津市畦町で、2009年1月24日午前11時53分撮影

〈福間・町歩きスポット〉009

:古民家ぎゃらりぃ畦
 
 福津市畦町(あぜまち)にある「〈唐津街道〉・畦町宿場跡」に、「古民家ぎゃらりぃ畦」=写真①=がオープン。築90年という大正モダン建築の建物で、レトロな雰囲気を醸し出すとともに、江戸時代に〈唐津街道〉の宿場町として栄え、商家が建ち並んでいた古い町並みに元気をもたらしています。

 古賀市中央の主婦岩熊美穂子さんが、夫の元高校教師寛さんの実家をギャラリィ店舗に改装=写真②=し、08年10月開店。


写真②:陶器類が展示・販売されている床の間のある座敷
     =「古民家ぎゃらりぃ畦」で、24日午前11時51分撮影


 営業は、毎土・日曜日の午前11時―午後5時。美穂子さんが制作しているトンボ玉=写真③=や、娘の陽子さんが作ったクッキー、ケーキなどの菓子類=写真④=などを販売しています。


写真③:美穂子さん制作のトンボ玉
     =「古民家ぎゃらりぃ畦」で、24日午前11時51分撮影


写真④:陽子さんが作った菓子類
     =「古民家ぎゃらりぃ畦」で、24日午前11時51分撮影
 

「古民家ぎゃらりぃ畦」(福津市畦町368)◆交通アクセス:〔バスで〕JRバス「畦町バス停」下車、徒歩10分。「駐車場」あり。同店宗像市側、隣の隣の空き地で、7台くらいは駐車可能です。

「古民家ぎゃらりぃ畦」
福津市の「古民家ぎゃらりぃ畦」位置図
      (ピンが立っている所)
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2007年5月29日/〈福間・町歩き〉008・上西郷の〝自然標語〟の道

2007-05-29 07:29:24 | 福間・町歩き
写真①:「自然がたくさん 生き物がすめる西郷川」と呼びかける標語の立て札
     =福津市上西郷で、2007年5月27日午前11時05分撮影

〈福間・町歩きスポット〉 8

:上西郷の〝自然標語〟の道

 福津市上西郷の西郷川右岸の堤防道路を歩いていると、田んぼのわきに〝自然標語〟の立て札が並んでいるのが目に入ります。

 たとえば、「自然がたくさん 生き物がすめる西郷川 上西郷区 伊藤 ゆきな」=写真①=。作者の「伊藤ゆきな」さんは、たぶん近くの内殿地区にある上西郷小学校の児童でしょう。

 上西郷小は飯盛山の麓にあり、豊かな自然環境に恵まれ、1学年1クラスという小さな学校のようです。堤防道路をしばらく歩くと、また標識がありました=写真②=。

 「魚がいっぱいすめるような きれいな西郷川にしよう 上西郷区 旗生 庄平」


写真②:「魚がいっぱいすめるような きれいな西郷川にしよう」の標語の立て札
     =福津市上西郷で、5月27日午前11時07分撮影

 また、堤防道路を行くと、次の標識が立っています=写真③=。

 「西郷川のまわりには いつも花のえがおであふれている 内殿区 井上 かな子」


写真③:「西郷川のまわりには いつも花のえがおであふれている」の標語入り立て札
     =福津市上西郷で、5月27日午前11時08分撮影

 自然や魚をはじめとした生き物、花があふれる西郷川に――と子どもたちが願う標語が立ち並ぶ道を散歩していると、体だけでなく心の中まで温かくなってきます。「津屋崎干潟」や「津屋崎松原」、「福間海岸」など福津市のあちこちに、こんな「〝自然標語〟の道」を増やしたいものです。


「〝自然標語〟の道」(福津市上西郷):◆交通アクセス=〔バスで〕JR九州「西郷」バス停下車、徒歩1分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約10分。駐車場は、県道30号線を挟んで斜め向かいにある市営農産物直売所「ふれあい広場ふくま」の駐車場を利用。

上西郷の〝自然標語〟の道
  「上西郷の〝自然標語〟の道」位置図
       (ピンが立っている所)
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