吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2007年2月20日/〈日記〉97・〝クリスマスローズの庭〟を訪ねて

2007-02-20 03:00:40 | 日記
写真①:赤や白の花が見ごろの〝クリスマスローズの庭〟
     =福岡県新宮町三代で、2007年2月19日午後0時03分撮影

 福岡県新宮町三代(みしろ)の住宅に、花好きの訪問者が外から自由に拝見できる珍しい〝クリスマスローズの庭〟=写真①=があると聞いて2月19日午後、細君とドライブがてら訪ねました。

 福津市津屋崎から国道3号線を博多方面へ向かい、「三代」交差点を左折し、すぐまた左折して行くと、道路右側にありました。「米山印刷福岡営業所」の看板の向かいにある農家らしい住宅の前庭です。

 用水路を隔てて道路に面した住宅前庭に、赤や白のクリスマスローズ(キンポウゲ科)が咲いていました=写真②=。庭園木の下草のように植栽され、静かに花を愛でる雰囲気がいいですね。花に見える部分は、植物学的には「花」ではなく「がく片」のため、比較的長い期間観賞できます。

 楚楚とした赤い花を付けているのは、花期が2月下旬から4月までと長いハルザキクリスマスローズと思われます。園芸店ではクリスマスローズの名で売られるのが多いものの、本当のクリスマスローズは、クリスマスのころに白い花を付ける「Helleborus niger(ヘレボルス・ニゲル)」のこととか。


写真②:楚楚とした赤い花を開いたクリスマスローズ
     =福岡県新宮町三代で、07年2月19日午後0時01分撮影

クリスマスローズの庭
福岡県新宮町三代の〝クリスマスローズの庭〟位置図
       (ピンが立っている所)

 〝クリスマスローズの庭〟を後にして、車を東へしばらく走らせると、突き当たった三叉路の向こうに「太閤水」なる名所がありました=写真③=。今も住民に汲まれて利用されている井戸水です。


写真③:石畳の井戸場が造られ、今も住民に汲まれて利用されている「太閤水」(左側の建物。右側はお地蔵様の建物)
      =福岡県新宮町三代で、07年2月19日午後0時09分撮影

 そばに新宮町教育委員会が平成17年に立てた解説板=写真④=があり、次のように書かれていました。

〈天正十五年(1587年)、九州を平定した豊臣秀吉が、大阪への帰路ここで、馬を休め自ら清水を汲んで飲んだ所です。

 当時、九州の大部分に勢力を伸ばしていた島津義久に対抗し、孤軍奮闘していた立花宗茂(立花道雪の養子)を助けるため、秀吉は二十万の大軍を自ら率いて九州へ乗り込んできました。この秀吉を追って九州入りした堺の茶人「津田宗及」は三代の里で水を求めましたが、あまりよい水ではなかったので自ら井戸を掘り湧き水を得ました。秀吉はこの水を飲んでたいそう喜び、掘った者の名を聞き即座に「宗及水」と名付けました。
 
 その後、京都大徳寺の江月和尚(宗及の子)が立ち寄った際に「飲銅水」と改められましたが、後世に石畳の井戸場が造られ太閤秀吉にちなんで「太閤水」と呼ぶようになりました〉

 勉強になりましたね。そういえば、福津市畦町の旧唐津街道筋にも、秀吉がこの年の島津征伐の途中、清水を飲んでのどを潤したという伝説から「太閤水」と呼ばれるようになった史跡が残っているのを思い出しました。


写真④:新宮町教育委員会が立てた「太閤水」の解説板
     =福岡県新宮町三代で、2月19日午後0時09分撮影

宮町・「太閤水」位置図
   福岡県新宮町の「太閤水」位置図
      (ピンが立っている所)
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2007年2月19日/〈津屋崎の四季〉057・ミヤマガラス〝北帰行〟準備か

2007-02-19 10:16:22 | 風物
写真①:電線に約80羽が勢ぞろいした冬鳥・ミヤマガラスの群れ
     =福津市的岡の〈対馬見通り〉で、2007年2月19日午前7時39分撮影

 きょう2月19日、福津市の朝は晴天に恵まれ、爽やかに明けました。午前7時39分、的岡の〈対馬見通り〉の電線には、冬鳥・ミヤマガラス(カラス科)の群れ約80羽が勢ぞろい=写真①、②=。


写真②:〈対馬見通り〉に飛来し、電線に次々と止まるミヤマガラス
     =福津市的岡で、07年2月19日午前7時39分撮影

 約1時間後、ミヤマガラスの群れは、北西の在自地区の田んぼへ次々と飛んで行きました。06年3月9日午前7時、同じ的岡の〈対馬見通り〉の電線に約100羽の群れが止まっているのを見ましたが、同月下旬には津屋崎では1羽も見かけず、朝鮮半島へ渡去したようです。どうも、この日の大群は〝北帰行スタンバイ・OK〟のデモンストレーションのように思えてなりません。

 鹿児島県出水市の越冬地に飛来していたマナヅルたちも、すでに〝北帰行〟を始めています。福津市宮司の「宮地嶽神社」では、早咲きの〈開運桜〉や、〈寒緋桜〉の開花も例年より早めですし、ミヤマガラス=写真③=の〝北帰行〟も例年より早まりそうな予感です。


写真③:嘴の基部が灰色で体長47㌢と小さなミヤマガラス
     =福津市的岡で、07年2月19日午前7時40分撮影
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2007年2月18日/〈津屋崎の四季〉056・宮地嶽神社で〈寒緋桜〉も咲きましたよ

2007-02-18 17:56:04 | 風物
写真①:宮地嶽神社境内で早くも開花した〈寒緋桜〉
     =福津市宮司で、2007年2月18日午後3時13分撮影

 福津市宮司の「宮地嶽神社」本殿前の境内で2月18日、早くも〈寒緋桜〉が開花しました=写真①=。樹齢約百年を誇り、枝ぶりが10㍍四方に広がる2本の早咲きの桜です。

 この日の福岡地方は、朝のうちは小雨模様。曇り空に天気が回復した午後からは、「宮地嶽神社」には参拝客が増え、早くも開花したピンク色の〈寒緋桜〉に見とれていました=写真②=。


写真②:ピンク色の〈寒緋桜〉の花に見とれる参拝客
      =「宮地嶽神社」本殿前で、07年2月18日午後3時13分撮影

 本殿横にある境内で1本だけ〝超早咲き〟で知られる〈開運桜〉もまだ見ごろで、カメラに収める若い女性の姿も見られました=写真③=。〈寒緋桜〉の一種ながら、この1本だけが毎年、境内で最も早く咲き、神様のご利益を受けているという意味で〈開運桜〉の名が付けられており、今年も1月下旬から咲き始めていました。


写真③:見事な〈開運桜〉をカメラに収める若い女性
      =「宮地嶽神社」本殿横で、07年2月18日午後3時15分撮影
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2007年2月17日/〈日記〉96・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の活動

2007-02-17 18:14:07 | 日記

写真①:「海岸通り」にある築百年の元老舗割烹旅館「旧玉乃井旅館」
      =福津市津屋崎で、2006年11月29日午前10時44分撮影

 福津市・「津屋崎千軒」通りの活性化を図るため2月16日夜、同市新町の「津屋崎千軒民俗館『藍(あい)の家』」で設立した〈津屋崎千軒 海とまちなみの会〉(略称「海とまちなみの会」、吉村勝利会長)では、3月8日(木曜)に最初のプロジェクトへの取り組みをスタートします。午後5時に海岸通りにある築百年の「旧玉乃井旅館」=写真①=を見学し、同7時から『藍の家』で会員集会を開き、「旧玉乃井旅館」の「〈解体と再生〉プロジェクト展」開催と老朽化した同建物の改修計画への協力や、古民家や歴史的建造物巡りの手引きにする会員手作りの「回遊マップ」構想を話し合う予定です。

 「旧玉乃井旅館」は木造2階建てで、名物の〝タコ料理〟と2階座敷からの海の眺望が人気を呼んだ元老舗割烹旅館ですが、老朽化した別館や離れの解体改修を迫られています。旧経営者の家族で同建物に住む、「海とまちなみの会」会員の著述・翻訳業安部文範さんが、建物解体を前に、〈再生〉の願いもこめ、4月21日から5月6日まで親しい現代アート作家らによる「現代美術展覧会」を建物内で開催する計画です。

 津屋崎地区では、民営国民宿舎つやざきの閉鎖や、城山観光のレジャー施設「玄海彫刻の岬・恋の浦」跡地の売却話に加え、西鉄宮地岳線津屋崎―新宮駅間が3月限りで廃線になり、このままでは町並みが廃れかねないと危惧する声も強まっています。微力ながら津屋崎をなんとかしたい――そんな気持ちから、市内外の市民有志約30人で町興しの住民組織「海とまちなみの会」を結成しました。

 会員のメンバーには、津屋崎郷土史会の女性会員や商店経営者、福津市津屋崎観光協会ボランティアガイドの男性のほか、同市西福間、花見が丘の主婦らも入られており、市全体の視点から津屋崎の町並みの位置づけを行い、市のまちづくりに寄与できればと思っています。
 
 会への入会(年会費千円)申し込みや問い合わせは、事務局の吉村(E-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jp)がお受けしています。
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2007年2月16日/〈日記〉95・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」を創設しました

2007-02-16 23:19:07 | 日記
写真①:「津屋崎千軒 海とまちなみの会」設立総会で熱心に話し合う会員たち
      =福津市新町の「津屋崎千軒民俗館『藍の家』で、2007年2月16日午後9時13分撮影

 福津市・「津屋崎千軒」通りの活性化を図る「津屋崎千軒考え隊」員らで創設する〈津屋崎千軒 海とまちなみの会〉の設立総会が、2月16日午後7時から福津市新町の「津屋崎千軒民俗館『藍(あい)の家』」で開かれました。

 1月31日に開かれた「津屋崎千軒考え隊」最終会議で、民間の組織で津屋崎千軒のまちづくりの取り組みを継続しようと、満場一致で決定。呼びかけの事務担当者に不肖吉村が指名され、この日に設立総会開催となり、福津市に住む隊員のほか、市外の賛同者も含め男女約30人が出席しました。会費、組織などの会規約を決めたあと、会長に吉村を選出、当面の活動計画を話し合いました。

 その結果、江戸時代からの港町として海上交易や塩田で栄え、「津屋崎千軒」と呼ばれる古い町並みの保存を図り、市内外の探訪者にも歴史的文化的に貴重な建造物を分かりやすく紹介しょうと、①明治の商家・「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」をはじめ、明治・大正・昭和の古民家と文化財の写真やイラスト、解説文を付けた「回遊マップ」を作り、3月末で廃線になる西鉄宮地岳線の「津屋崎駅」などで鉄道ファンや市民に配布する②海岸通りにあり、築100年の木造建築で改修を迫られている「旧玉乃井旅館」の再生プロジェクトに協力する――などを決めました。
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2007年2月16日/〈津屋崎の四季〉055・津屋崎に〝春一番〟

2007-02-16 07:17:31 | 風物

写真①:〝春一番〟の強風で、白波が打ち寄せる津屋崎海岸
     =福津市渡の大峰山山頂・「東郷公園」で、2007年2月14日午後5時04分撮影

 2月14、15日と2日続けて、福津市渡の大峰山(標高114㍍)山頂にある「東郷公園」に登ってきました。ブログで連載中の〈津屋崎学〉の取材で、公園の写真を撮るためです。

 13日夜の風の吹き加減から、「たぶん、これって今年の〝春一番〟だろう」と感じていたら、福岡管区気象台が14日、九州北部と山口県地方に13日夜から14日朝にかけて〝春一番〟が吹いたと発表。それでも、同地方では2年ぶりの観測で、2005年よりも1か月余り早いとか。またまた、地球温暖化の影響でしょうか。

 14日夕、東郷公園では、まだ大変な強風が吹き荒れていました。大峰山山頂にある「日本海海戦記念碑」前に立つと、吹き飛ばされそうでした。眼下東方に見下ろした津屋崎海岸では、高波が白く打ち寄せています=写真①=。

 15日朝、訪れた東郷公園から眺めた津屋崎海岸は波も小さくなり、素晴らしい景色=写真②=でした。〈津屋崎は筑紫(つくし)の田舎だけれど/美しく優しい自然に恵まれている〉(新風舎刊、吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』の詩篇「津屋崎」第1連から)と、改めて思いました。


写真②:波も小さくなり、素晴らしい景色の津屋崎海岸
      =大峰山山頂・「東郷公園」で、07年2月15日午前9時56分撮影

 嵐の後には、晴れる日もやってきます。

 豊かな津屋崎の自然が疲れた心身を癒し、潮の香漂う〈津屋崎千軒〉の古い町並みが温もりをもたらせてくれます。〈ここが私の産土だ/津屋崎よ/古里は明るい光の中にあり/生きる力を与えてくれる/津屋崎の水と土で私は育った〉(詩篇「津屋崎」第5連)と、私が思う津屋崎の好きなところです。

 「津屋崎千軒考え隊」員らが、民間の組織で〈津屋崎千軒〉のまちづくりの取り組みを継続しようと創設する〝津屋崎千軒 海とまちなみの会〟(仮称)の設立総会はきょう16日午後7時から福津市新町の「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」で開きます。「津屋崎をどうにかしたい」と思っておられる皆様、入会ご希望のお知り合いの方と、ぜひご出席を。
コメント (3)
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2007年2月15日〈津屋崎学〉024:東郷神社

2007-02-15 20:51:06 | 郷土史

●写真①:大峰山の中腹にある「東郷神社」(鳥居左側の建物が社務所、右側は喫茶「三笠」)
      =福津市渡で、2007年2月15日午前10時撮影

琢二と清の郷土史談義
『津屋崎学』

第24回:2007.2.15
  東郷神社


清 「おいしゃん(叔父さん)、きょうは、福津市の東郷公園近くにある〈東郷神社〉=写真①=のことば話しちゃるとやったね」
琢二 「旧日本海軍連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥を祀る〈東郷神社〉は、地元の獣医で今は亡き安部正弘さんが昭和10年(1935年)からお祀りし、同42年(1967年)に宗教法人化された。拝殿=写真②=は、鉄筋コンクリート製のはにわ型だ」
清 「拝殿の形としては、珍しかね」


写真②:鉄筋コンクリート製のはにわ型をした「東郷神社」拝殿
     =福津市渡で、2006年5月14日午後0時20分撮影

琢二 「安部さんの岳父・伊地知弘一さんは明治初期に、東郷元帥とイギリスのロンドンに留学した仲で、のちに日本海軍の戦艦〈高千穂〉艦長になった大佐だった。安部さんは当時18歳だった明治38年(1905年)5月27日、東郷公園がある大峰山山頂から日露戦争の日本海海戦を目撃し、壱岐の方から黒煙が何本も上がったことや、砲声が一日中聞こえたと話していたそうだ。戦後、上京して東郷元帥を訪ね、親交を結んだ。『日本海海戦で負けていたら、今の日本はなかった』と、大正7年(1918年)から50年かけて東郷神社を宗教法人にされた。神社は東郷元帥を祭神とし、毎年5月27日に春の例祭を行い、元帥の誕生日の12月22日も例祭を行っている。〈宝物館〉内には、安部さんの御子息・

安部一男氏の軍服姿の写真=写真③=も展示されている」


写真③:軍服姿の安部一男氏(安部正弘さんの御子息)の写真
     =福津市渡の東郷神社・「宝物館」で、07年2月15日午前10時45分撮影

清 「今の宮司さんは、女の人やと聞いたばってん」
琢二 「よう知っとうな。安部さんが昭和46年(1971年)に84歳でなくなり、二女で夫に先立たれた内田久美さん(88)が、翌47年に神職の資格を取って2代目の宮司になられ、今はその娘さんの川野万里子さんが3代目の宮司たい」
清 「感心やね、亡くなったお父さんの跡を継がれたったいね」
琢二 「内田さんにきょう2月15日、お目にかかって聞いたら、初代の宮司は波折神社の神職さんに兼務してもらっていたそうな。内田さんが2代目宮司になったころの春の例祭には、50人くらいしか集まらなかったが、最近は自衛隊関係者や鹿児島県人会からなどから参加者は100人くらいに増えたそうたい。境内には、入館料100円で観覧できる〈宝物館〉もあるから、清もいっぺんお参りしてこい」


写真④:東郷元帥の書や海軍将校の遺品などを展示している〈宝物館〉
     =「東郷神社」で、06年5月14日午後0時20分撮影

清 「〈宝物館〉には、何が展示してあるとね?」
琢二「〈宝物館〉は、〈宝物殿〉とも言い、東郷元帥海軍大将の書や日記書簡をはじめ、元帥を崇敬追慕してやまなかった海軍将校らの書、遺品、記念品、旗艦・『三笠』の模型など多数だ。大部分は、安部さんが収集したものたい」


写真⑤:海軍将校らの遺品や旗艦・『三笠』の模型などが並ぶ〈宝物館〉の展示室
     =「東郷神社」で、07年2月15日午前10時54分撮影


清 「津屋崎に〈東郷神社〉があることは、あんまり知られとらんね」
琢二 「そうだな。英語のみくじ=写真⑥=があることも、知らんやろう。内田さんが宮司になって間もないころ、チェコからの留学生の青年が各地の外国人を連れて、再三神社を訪れた。青年は〈ボクの国では、東郷さんを教えるのに、日本では教えませんね〉と流暢な日本語で話した。ソ連軍がチェコに侵入した後、青年の消息は分からなくなった。そこで、内田さんは青年をしのぶとともに、ロンドン留学中に独学で英語を習得した東郷元帥と伊地知艦長を見習ってほしいという願いも込めて、和英併用のみくじを作ったそうたい。きょう、拝殿前の自動販売機に30円を入れたら、ほら、英語で〈Excellent〉というて〈大吉〉が出たぞ。〈運勢〉は、英語で〈Your Fortune〉たい。みくじの裏面には、和文が赤い文字で書いてある。最近は、英語上達の軍神として、受験生に人気があるそうや。一般的な合格祈願は、学問の神様・太宰府天満宮でして、英語上達は東郷神社にお願いする医学部受験志望の高校生も参拝したとの話も聞く」


写真⑥:〈運勢〉は、〈大吉〉を英語で〈Your Fortune〉〈Excellent〉と書いた英語のみくじ
     =「東郷神社」で、07年2月15日午前11時34分撮影

清 「アハハ。〈大吉〉は、〈Excellent〉で、〈待ち人〉は〈expected visitor〉、〈争い事〉は〈game and match〉か。面白いねー」
琢二 「受験生には、〈皇国荒廃此ノ一戦ニアリ〉として旗艦・『三笠』に掲げられたZ旗が刺繍された〈勝守(かちまもり〉という800円のお守りも人気があるそうだ。内田さんは『Zは、アルファベッドの最後の文字です。もう後がないと思って、一生懸命勉強しなければなりません』と励まし、4月には東大や九州大に合格した受験生とか、希望通り就職できた若者のお礼参りがあって、嬉しいという」
清 「神様も分業やね、ハハハ」
琢二 「もう一つ、変わったものがある。境内の社務所で、東郷元帥の肖像のラベルが付いた〈アミラーリ東郷ビール〉=写真⑦=を売っとるとたい。330㍉・㍑入りで500円。日本のビールとは、ちょっと違う味ばい」
清 「えっ、それって地ビールね?」
琢二 「味は、チェコ産の麦芽やホップを使った鹿児島空港そばにある〈霧島高原ビール〉製造の地ビールに似た感じで、飲みやすいが、輸入品だ。東郷元帥は、北欧ではロシアの艦隊に勝った人物として知られており、もともとフィンランドのビール工場が海軍提督(Amiraali:アミラーリ=フィンランド語)の肖像ラベルを付けて販売した〈アミラーリ・ビール〉に東郷元帥のラベル付きのも製造を始めた。今はオランダの工場で製造されたビールに、日本の会社が東郷元帥のラベルを付けたプライベートビールの〈アミラーリ東郷ビール〉として売っとるそうたい」


写真⑦:東郷元帥の肖像ラベルを付けた〈アミラーリ東郷ビール〉
     =「東郷神社」で、07年2月15日午前11時撮影


東郷神社(福岡県福津市渡。℡0940-52-0027):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕西鉄宮地岳線津屋崎駅下車、徒歩40分。JR鹿児島本線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きに乗って「津屋崎橋」で下車し、徒歩30分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約30分。60台収容の駐車場あり。

東郷神社
     福津市渡の「東郷神社」位置図
        (ピンが立っている所)

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2007年2月14日〈津屋崎学〉023:東郷公園

2007-02-14 12:11:54 | 郷土史
●写真①:戦艦三笠のブリッジや砲台を模した日本海海戦記念碑がある「東郷公園」展望園地
      =福津市渡で、2007年2月14日午後5時05分撮影

琢二と清の郷土史談義
『津屋崎学』

第23回:2007.2.14
  東郷公園


清 「2月11日に宮地嶽神社に参ったら、〝開運桜〟が満開になっとって、綺麗やったよ。おいしゃん(叔父さん)も、桜見に行ってきたらよかとに」
琢二 「早咲きのカンヒザクラの一種だな。本殿横の1本だけが毎年、早く咲くけん、神様のご利益を受けているというて、〝開運桜〟の名が付いたったい。宮地嶽神社は、福津市津屋崎のソメイヨシノの名所でもある」
清 「宮地嶽神社が津屋崎の東にある桜の名所なら、福津市渡の東郷公園=写真①=は津屋崎の西にある桜名所やね。ソメイヨシノが、500本もあるげなよ。晴れた日には、北西に玄界灘の孤島・沖ノ島や、壱岐・対馬まで遠望できて、眺めもいいよ。眼下の東方に広がる津屋崎海岸の美景は、吉村青春さんの第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』の表紙カラー写真にも使われとったね。それはそうと、東郷公園の謂われをよう知らんけん、教えちゃらんね」
琢二 「津屋崎小学校の遠足で、子供のころから行っとって、よう知らんとか。日本海海戦で世界最強とされていたロシアのバルチック艦隊を撃破し、日露戦争を勝利に導いた旧日本海軍連合艦隊司令長官東郷平八郎元帥にちなんで、東郷公園の名前が付けられたったい。渡半島の突端にある標高114㍍の大峰山から、日本海海戦のときには日露両軍の船影が遠望でき、両軍艦隊が放つ砲声は津屋崎町まで響いたと伝えられとる」
清 「へー、そうなんだ」

琢二 「東郷公園の広さは、約千平方㍍。大峰山山頂に建てられた〈日本海海戦記念碑〉=写真②=は、連合艦隊の旗艦・三笠の艦橋をかたどってあり、記念碑の8文字〈日本海海戦祈念碑〉は〈記念〉を〈祈念〉と書かれ、東郷元帥の揮毫たい。記念碑は、勝利の日の明治38年(1905年)5月27日の〈海軍記念日(現〝海の記念日〟)〉にちなみ、高さ38尺(11.4㍍)、幅5尺(1.5㍍)、マスト27尺(8㍍)になっとる」


写真②:東郷元帥が揮毫した8文字が彫られた〈日本海海戦記念碑〉
     =福津市渡の東郷公園で、2006年5月14日午前11時55分撮影

清 「東郷公園から玄界灘を遠望しても、明治の時代に日本の運命を決する日本海海戦があったとは、信じられん気がする。記念碑の下部側面には、東郷元帥肖像のブロンズ製レリーフ=写真③=や、〈海戦説明盤〉もあったよ」
琢二 「日本の海戦史を記念する場所の一つとして、若い人にも見てもらいたいな」


写真③:日本海海戦記念碑の側面に飾られた東郷元帥肖像のブロンズ製レリーフ
     =福津市渡の東郷公園で、07年2月14日午後5時03分撮影

清 「東郷公園ができたのは、いつごろ?」
琢二 「地元の獣医だった安部正弘さんが、私財を投げ打ち、全国的にも寄付を募って、地元有志で組織した〈日本海々戦偉績保存会〉が昭和9年(1934年)6月27日に東郷元帥を顕彰しようと〈日本海海戦記念碑〉を建て、公園や資料館も造った」
清 「東郷公園は、これからハイキングに行くのに良い景勝地だね」
琢二 「東郷公園を含む一帯の130㌶は、福岡県が昭和57年から5年がかりで〈大峰山自然公園〉として整備し、キャンプ場や遊歩道もある。次回は、東郷公園近くの大峰山中腹に建てられた東郷元帥を祀る〈東郷神社〉=写真④=のことば話しちゃろう」


写真④:東郷公園への階段登り口南側にある東郷神社の鳥居
     =福津市渡で、07年2月14日午後5時09分撮影

東郷公園(福岡県福津市渡):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕西鉄宮地岳線津屋崎駅下車、徒歩40分。JR鹿児島本線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きに乗って「津屋崎橋」で下車し、徒歩30分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約30分。駐車場(60台収容)あり。

東郷公園
    福津市渡の「東郷公園」位置図
       (ピンが立っている所)
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007年2月13日/〈日記〉94・「道の駅・むなかた」建設始まる

2007-02-13 06:46:57 | 日記
写真①:敷地の整備が進む「道の駅・むなかた」建設予定地(手前が「釣川」、向こうが北九州市方面)
      =宗像市江口で、2007年2月12日午後3時55分撮影

 福岡県宗像市江口の釣川河口で、「道の駅・むなかた」(仮称)の建設が始まり、敷地の造成工事が急ピッチで進められています=写真①=。「道の駅」は、県内には「道の駅・おおむた」(大牟田市)、「道の駅・たちばな」(八女郡立花町)など筑後地区を中心に9か所ありますが、宗像地域では初めてです。宗像市によると、地域の産業と観光振興を図ろうと、同市田島の宗像大社前にある「アクシス玄海」内にある観光物産館をリニューアルし、同市江口地区に新「観光物産館」(仮称)を核とした「道の駅・むなかた」を08年4月オープンを目指して整備する計画としています。

 現場は、福津市から海岸寄りを北進して北九州市若松区へ通じる国道495号線沿いで、道路西側の海岸にある松原との間です。釣川に架かる同国道の「さつき橋」も新しいコンクリート橋の建設工事が行われていました。現場に掲げられた「造成中」と赤い大文字で書かれた県宗像土木事務所道路課維持係の説明板には、「工事面積2,965平方㍍」と表示されています=写真②=。長さ約85㍍にわたり、7,500立方㍍の路体盛り土を行っています。


写真②:「造成中」と赤い文字で工事日程などが書かれた説明板
     =「道の駅・むなかた」建設敷地で、2月12日午後3時53分撮影

 敷地造成工事は、2006年12月5日から着手し、3月15日に終了の予定です。


写真③:ブルドーザーやパワーシャベルで造成中の敷地(右側向こうに見えるのは旧玄海町商工会館)
     =「道の駅・むなかた」建設敷地で、2月12日午後3時54分撮影

 「道の駅」は、国土交通省が登録した道路施設。ドライバーの休憩施設と地域振興施設を一体化しているのが特長です。だれでも24時間、自由に立ち寄れる休憩施設で、地域の特産物販売や名所、歴史、文化などの情報を紹介するサービスを提供してもらって、鉄道の駅のように各地域の核になり、多くの「道の駅」が道路を介してつながる地域連携効果も期待されています。

 西鉄「宮地岳線」の津屋崎―新宮駅間が3月限りで廃線になる福津市津屋崎にとって、「道の駅」が建設できれば、新たな起爆剤になりそうですが、建設にはいろいろ条件がありそうです。

 国土交通省の「道の駅」登録の条件は①いつでも利用できる一定数の駐車スペースとトイレ、電話がある②道路や地域の情報を提供する施設を備え、案内人がいる――など。国や県が、基本的な施設の駐車場やトイレを建設、第三セクターや市町村が地域振興施設を設けているケースがほとんどという。「道の駅むなかた」では、宗像市が「市観光物産館」を建設の予定で、敷地造成の予算を計上しています。

道の駅むなかた
   「道の駅・むなかた」建設地の位置図
        (ピンが立っている所)
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2007年2月12日/〈日記〉93・「筑前・染と織の美術館」訪問

2007-02-12 21:04:01 | 日記
写真①:丘の上にある白壁造りの「筑前・染と織の美術館」
     =北九州市若松区小竹で、2007年2月12日午後1時07分撮影

 2月12日午後、北九州市若松区小竹の「筑前・染と織の美術館」=写真①=を細君と訪ねました。頓田貯水池を見下ろす丘の上にあり、白壁造りの2階建て延べ約260平方㍍の建物です。

 田中種昭館長(78)が、北九州市職員時代から給料の多くをつぎ込み、20年間かけて集めた「染めと織り」の約5千点もの収蔵品を誇る全国でも数少ない私設美術館。オープンした1991年9月の開館式には、田中館長の親戚の作曲家團伊玖磨氏も駆けつけました。

 久留米絣(かすり)のコレクターとしては、日本で3指に入る田中館長だけに、久留米絣の名品は展示の目玉の一つ。この日も、「お雛様と久留米絣(連続幾何学模様)」展(4月22日まで)を開催中で、2階展示室には絵文様の美しい名品が数多く展示されていました。中でも、明治時代に作られた「部分と全体が同じ形になる」自己相似性を示すフラクタル図形の久留米絣、「図変わり連続幾何学文様 布団地」は、目を引かれます。このほか、収蔵品には嫁入りの際に持参する高価な「筒描(つつが)き」の布団表などもあるそうです。

写真②:フラクタル図形の久留米絣、「図変わり連続幾何学文様 布団地」
     =「筑前・染と織の美術館」で、07年2月12日午後1時15分撮影


写真③:久留米絣のデザインについて解説する田中館長
     =「筑前・染と織の美術館」で、07年2月12日午後1時12分撮影

 1階展示室では、お雛様の名品も展示。福島県郡山市の人形作家・阿部貞子さん作の「庄屋どんちのひな祭り」は、明治の童(わらべ)の生活風俗をモチーフにした創作雛人形で、3段飾り。最上段に、一人だけちりめんの着物を着た庄屋の娘が座り、2、3段目には木綿のかすりの着物姿の遊び仲間が並んでいます。


写真④:創作雛の3段飾り「庄屋どんちのひな祭り」
     =「筑前・染と織の美術館」で、07年2月12日午後1時10分撮影

 「筑前・染と織の美術館」(北九州市若松区小竹2376=℡093-791-3545)。開館時間は、午前10時―午後5時。休館日は、毎週月曜日(ただし、祝祭日は開館)。入館料は大人600円、小人300円。同館そばに駐車場あり。

筑前・染と織の美術館
    「筑前・染と織の美術館」位置図
       (ピンが立っている所)
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