吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2006年10月31日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉005

2006-10-31 04:10:43 | 行楽催事
〈11月・12月の行楽・催事案内〉

 
●写真①:観賞客で賑わった2005年の西日本菊花大会
     =宗像市田島の宗像大社境内で、05年11月5日撮影

11月

1日(水)=七五三まつり:福津市宮司の宮地嶽神社、~30日(木)まで。3、5、7歳の子供達の健やかな成長、将来の幸せを祈念するまつり。同神社では期間中、記念撮影を無料で行います。問い合わせは、宮地嶽神社(0940-52-0016):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕西鉄宮地岳線宮地岳駅下車、徒歩10分。JR鹿児島線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きか、神湊波止場行きで10分の「宮地岳宮前」で下車し、徒歩5分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約20分。駐車台数1200台。

1日(水)=第36回西日本菊花大会=写真①:宗像市の宗像大社で、~23日(木)まで。九州各県を中心に全国の菊花愛好家が丹精こめて作った銘花約3,000鉢が、境内に展示されます。大会の最高賞・内閣総理大臣賞のほか、大臣賞が11本授与され、「菊作り九州ナンバーワン決戦大会」の異名も。期間中は、観菊者、七五三詣での家族連れなどで賑わいます。また菊苗・菊鉢の販売や、勅使館をこの時期限定で特別に開放しての「抹茶コーナー」、豪華景品が当たる「菊みくじ」があり、宗像観光協会運営の「いっぷく茶屋」なども開かれます。
 問い合わせは、宗像市田島の宗像大社(0940-62-1311):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕JR鹿児島本線東郷駅下車、西鉄バス神湊経由福間行で10分、「宗像大社前」下車すぐ〔車で〕九州自動車道若宮インターから約20分、古賀インターから約25分。

写真②:第36回西日本菊花大会のポスター
=06年10月2日正午撮影
















12月

14日(木)=義士祭:福津市津屋崎天神町の万松山新泉岳寺で。「四十七士をしのぶ会」主催。
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2006年10月30日/〈津屋崎の四季〉28・津屋崎に〝お相撲さん〟がやって来ました

2006-10-30 07:57:38 | 風物
写真①:福津市津屋崎天神町にある片男波部屋
=2006年10月26日午前11時35分撮影

 11月12日から福岡市の福岡国際センターで開催される「大相撲九州(11月)場所」を前に、福津市に〝お相撲さん〟がやって来ました。津屋崎に2つの相撲部屋(宿舎)があるからです。ちゃんこ当番の若いお弟子さんたちが、着物のまま自転車に乗り、スーパーに野菜や魚を買い出しに行く姿も見られます。

 福津市津屋崎天神町にある二所ノ関一門の片男波部屋(師匠・片男波大造=元関脇玉ノ富士)は鉄筋コンクリート3階建てです=写真①=。所属力士は前頭の玉乃島、飛鳥ら14人。近くの西鉄宮地岳線津屋崎駅前にも、片男波部屋歓迎の幟3本が立ち並び=写真②=、九州場所の前人気を煽っています。


写真②:西鉄宮地岳線津屋崎駅前に並ぶ幟
=10月26日午前11時33分撮影

 このほか。福津市宮司の宮地嶽神社内にも立浪・伊勢ケ濱連合の春日山部屋(師匠・春日山由晃=元前頭春日富士)の宿舎があります。所属力士は、前頭春日王ら15人。


写真③:=宮地嶽神社参道に立つ春日山部屋の幟
=同神社鳥居そばで、10月29日午前11時04分撮影
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2006年10月29日〈津屋崎の野鳥〉021:ミヤマガラス

2006-10-29 06:20:03 | 福津市津屋崎の野鳥

●写真①:電線に鈴なりになったミヤマガラス(カラス科)
=福津市在自で、2006年10月27日午後4時27分撮影

 ミヤマガラスは、冬の渡り鳥です。例年10月中旬には朝鮮半島から福岡県内に群れをなして渡来し、翌年3月中旬には半島へ渡去します。

 福津市津屋崎では、今年は10月22日午後1時すぎ、同市宮司の宮地嶽神社境内で、上空を高く旋回している51羽を初めて確認しました。神社裏の宮地岳の森に羽を休めては次々と飛び立ち、鳴きながら舞う賑やかな群れ烏です。

 朝鮮半島から津屋崎への飛来第一陣と見られるこの群れは27日午後、福津市在自の田んぼで餌を探していました。時々、「対馬見通り」の道路わきの電線に鈴なりに止まって休憩します=写真①=。

 ミヤマガラスは全身黒色で、体長47㌢。津屋崎で見かけるカラス科の4種の野鳥の中では、嘴の大きいハシブトガラス(体長56㌢)や嘴の小さいハシボソガラス(同50㌢)よりやや小さく、福岡、佐賀両県ではカチガラスの地方名を持つカササギ(同44㌢)よりはやや大きい。体形はハシボソガラスに似ており、嘴の基部が灰色なのが特徴です。鳴き声もハシボソガラスに似ていますが、より細く弱い感じ。


 写真②:「ガァ、ガァ」と細い声で鳴くミヤマガラス
   =在自の道路わきの電線で、27日午後4時11分撮影

 今年3月9日、福津市的岡の電線で渡去前の群れを見かけて以来、津屋崎に渡って来たミヤマガラスたち。これから寒くなるにつれて、飛来数を増して来るはずです。宮地嶽神社前の福津市福間方面へ通じる参道両側の電線に、数百羽の群れが数珠繋ぎのように止まる光景も、いずれ見られるでしょう。


写真③:在自の田んぼ脇の電線に止まったミヤマガラスの群れ
     =27日午後4時26分撮影


写真④:電線から一斉に飛び立つミヤマガラスの群れ
     =在自で、27日午後4時27分撮影
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2006年10月28日/〈日記〉042・〈第3回「津屋崎千軒考え隊」まち歩き〉に参加

2006-10-28 21:46:29 | 日記
●写真①:明治の町屋形式の商家・「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」前を歩く「津屋崎千軒考え隊」の人たち
=福津市津屋崎で、2006年10月28日午前11時07分撮影

 「津屋崎千軒」通りの浮揚策を図る〈第3回「津屋崎千軒考え隊」まち歩き〉が28日、福津市津屋崎で開催され、私も隊員として参加しました。隊員たちは数人ずつの班に分かれ、明治時代創業の造り酒屋「豊村酒造」=写真②=を見学して大奥様(84)から酒屋の歴史の話を聞くなど熱心な調査ぶりでした。


写真②:「津屋崎千軒」を代表する建物の一つ「豊村酒造」の正面
=28日午前11時09分撮影

 隊員や応募の市民ら老若男女の計30人が、午前10時に市津屋崎庁舎に集合。荻原益美・市企画政策課長の挨拶のあと、隊員で津屋崎観光協会ボランティアガイドの花田貞夫さんが、「津屋崎千軒」の歴史概要を説明しました。このあと、「歴史探訪、明治の建物などを探検」、「飴屋さん、うに専門店の話を聞く」などテーマ別の5班に分かれて、まち歩きに出発しました。

 私は「津屋崎人形巧房、仕立て洋服屋さんを訪ね話を聞く」8人の班に入り、まち歩きしました。天神町にある「津屋崎人形巧房」では、窯元7代目の原田誠さん(54)から、約200年前の江戸時代から伝わる素朴な津屋崎人形について、粘土を素焼きして筆で彩色する工程の説明を受け、千個も残されている人形造りの型=写真③=や時代の風俗を伝える収蔵作品を見学。一人で伝統の人形造りを継承する原田人形師の熱意に、感心しました。


写真③:津屋崎人形の型を前に説明する窯元7代目の原田さん
=津屋崎人形巧房で、28日午前11時29分撮影=

 午後1時前、全員が津屋崎庁舎に戻り、市が「地元名物を再現する」趣向で用意した津屋崎産の新米で作ったおにぎりや、特産海草の加工品・オキュウトなどをおかずに楽しく昼食。このあと、同1時40分から「まち歩き」で見聞きした内容をグループ別に発表しました。「昭和14年に廃止された馬車鉄道の最後の車掌津崎米夫さん(74)に話を聞いた班からは、「福間から津屋崎まで走っていた馬鉄では、年間18万人の参拝客を宮地嶽神社に運んでいた。津屋崎の終点は天神町の新川そばで、〝馬つなぎ松〟があった所には今はアパートが建っている」との興味深い報告がありました。

 また、「津屋崎千軒」の賑わいをもたらした海上交易の拠点・津屋崎漁港から商品を運ぶ帆船「五十集船(いさばせん)」の元船長大浜秀吉さん(81)から話を聞いた班は、「15歳から60㌧の五十集船に乗った。まず4,5時間で若松港に着き、そのあと瀬戸内海沿岸に石炭などを運び、雑貨を仕入れて帰って来ていた」と発表しました。

 最後に、特定非営利活動法人(NPO)地域交流センターの山口覚・主任研究員が、第4回「津屋崎千軒考え隊」は11月19日(日曜)、歴史的な町並みを活かした地域活性化に取り組んでいる長崎街道筋の宿場町・「佐賀県鹿島市の肥前浜」を視察すると説明し、午後4時に閉会しました。この視察についての問い合わせや申し込みは、福津市企画政策課(℡0940・43・8115)へ。
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2006年10月28日〈詩〉005・母さんの風邪治し

2006-10-28 06:43:00 | 
母さんの風邪治し

シュン、シュン、シュン
と火鉢にかけた薬缶のお湯が沸く

襖を閉めた座敷の布団で
僕は寝ている
風邪を引いて
39 度の熱がある
扁桃腺が腫れてしまったのだ

母さんが
額に氷のうを載せ
玉子酒を造って
飲ませてくれた
体の芯から温かくなった

シュン、シュン、シュン
と薬缶のお湯が沸く

座敷が蒸気で柔らかくなり
なんだか咽の腫れも引いたよう

母さん ありがとう
体がほてってきたよ
汗がいっぱい出てきた

あとは
母さんが買ってくれたバナナと
おかゆを食べれば
明日(あした)は元気に
学校に行けるね

シュン、シュン、シュン
と薬缶のお湯が沸く

僕がひざ小僧を打って痛い時に
痛いの 痛いの 飛んで行け
と母さんがお呪(まじな)いを言ったら
ひざの痛みがすぐなくなったように
シュン、シュン、シュン
と薬缶のお湯が沸く部屋で
母さんの手当てを受けたら
僕の高熱はすぐ退いていく

僕には
やっぱり
母さんの風邪治しが
一番効く
            
               
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2006年10月27日〈津屋崎学〉010:『万葉集』に詠われた津屋崎と2基の万葉歌碑

2006-10-27 12:41:47 | 郷土史
・琢二と清の郷土史談義
『津屋崎学』

第10回:2006.10.27
  『万葉集』に詠われた津屋崎と2基の万葉歌碑


写真①:大伴坂上郎女の〈名児山万葉歌碑〉の説明文(左)と歌を刻んだ石碑
=福津市勝浦の〈あんずの里運動公園〉で、2003年9月6日午後2時5分撮影

清 「叔父さんに聞いて、津屋崎の歴史がだいぶ分かってきたばい。きょうは、あの『万葉集』にも津屋崎が詠われとるというのを詳しゅう教えて」
琢二 「ほう、知っとったか。感心やな。さすが大学生だけのことはある。『万葉集』は、日本最古の現存歌集だ。名前の意味は、〈万世に伝わるべき集〉とか、〈万の言の葉の集〉とか言われている。7世紀後半から8世紀後半ごろにかけて編まれ、天皇、貴族から名もない防人、遊女ら様々な身分の人が詠んだ4,5百年の間の歌約4,500首を集めている。成立した年は、収録作品の年が最も新しい759年(天平宝字3年)以降と見られ、勅撰説や、橘諸兄(たちばなのもろえ)説、大伴家持(おおとものやかもち)説などがあるが、家持が二十巻にまとめたとの説が有力だ。その家持の父・旅人(たびと)の異母妹である大物女性歌人の歌が津屋崎とゆかりがあり、万葉歌碑も建てられてとる」
清 「へー、知らんやった。で、その〝謎の大物女性歌人〟ちゃ、誰ね?」
琢二 「ハハハ、〝謎の女性〟でも何でもない。大宰帥(だざいのそち)、つまり大宰府の長官に任ぜられた大伴旅人の異母妹の大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)だ。坂の少し上の所に家があったから、坂の上の家に住む娘で、坂上郎女と名付けられた。旅人が九州に下って最愛の妻を病気で亡くしたため、郎女は旅人の片腕として大宰府の長官の家をきりもりし、見識と貫禄を備えた魅力的な女性だった。その郎女が、大宰府から通じる古代の官道を通り、福津市津屋崎勝浦にある〈名児山(なちごやま、『万葉集』では〝なごやま〟と読ませている)〉を越えて宗像市方面へ向かう途中で詠んだ歌が『万葉集』巻六に載っている。天平2年11月、西暦だと730年、帥の家を発って奈良の都に帰る時に、勝浦から津屋崎の奴山(ぬやま)を経て宗像大社のある宗像市田島に行く途中の大阪越で詠んだ歌だ。名児山は標高約150㍍で、津屋崎の勝浦と宗像市との境にある」

清 「どんな歌やろうか」
琢二 「〈大汝(おおなむち)/少彦名(すくなひこな)の/神こそは/名づけ始(そ)めけめ/名のみを/名児山(なごやま)と/負ひて/わが恋の/千重の一重も/慰めなくに〉という長歌だ」
清 「どういう意味か、ちんぷんかんぷんやね」
琢二 「〈大国主の神と少彦名の神が名付けたに違いない名児山は、〝心が和む山〟という意味をもちながら、私の悩む恋心の千分の一さえ慰めてはくれない〉と歌っている。坂上郎女は、大らかな美人だったようだな。十代のときに穂積親王に見初められ、親王が亡くなった後には、藤原不比等の第四子の藤原麻呂(ふじわらのまろ)と結婚したが、別れた。その後、異母兄の宿奈麻呂(すくなまろ)と結婚し、坂上大嬢(おおいらつめ)という長じて大伴家持の正妻になる娘を産んだ。女流としては最も多く万葉集に歌を残しており、相聞歌、つまり恋の歌に優れ、女性の哀感を歌にした人だった。大納言になった大伴旅人の帰京より一足先に旅立った坂上郎女は、大阪峠付近を越えて、海北道中(うみきたのみちなか)の守護神、道主貴(みちぬしのむち)が鎮座する宗像大社に道中の安全を祈願しに寄ったのだろう」
清 「フーン、そういう意味か。宗像3女神が、古代海路の守護神として朝廷に篤く信仰されたのは、前回の〈神郡宗像〉と津屋崎についての話で聞いていたから、宗像大社で都までの長旅の安全を祈る気持ちはよーく分かるよ」
琢二 「この郎女の〈名児山万葉歌碑〉の説明文と歌を刻んだ石碑=写真①=が、勝浦にある福津市の農産物直売所〈あんずの里ふれあいの館〉の上の〈あんずの里運動公園〉道路脇に建てられてとるぞ」
清 「へー、見に行ってみよう」


写真②:大伴坂上郎女の歌を刻んだ〈名児山万葉歌碑〉
=福津市勝浦の〈あんずの里運動公園〉で、03年9月6日午後2時6分撮影

福津市勝浦の〈あんずの里運動公園〉
〈あんずの里運動公園〉に建つ〈名児山万葉歌碑〉の位置図
        (ピンが立っている所)

琢二 「もう一基、福津市津屋崎星ケ丘団地にも万葉歌碑がある=写真③=。碑文には、〈在千潟(ありちがた)あり慰めて/行かめども/家なる妹い/いふかしみせむ〉という歌が刻まれている。これで津屋崎には計2基の万葉歌碑があることになるな」
清 「〈在千潟〉の歌は、どんな意味やろか」
琢二 「『万葉集』巻十二に載っている作者不詳の歌で、意味は〈在千潟のようにあなたと一緒にあり続け、気持ちを慰めて行きたいが、家にいる女房が不審に思うだろう〉。一夜妻と別れる男の言い訳の歌だな。『在千潟』は所在未詳で、〈あり〉の枕詞だ。歌碑の前に建てられた案内説明看板には、〈『在千潟』参考地〉と表示して次のように書かれている。

旧筑前の碩学貝原益軒翁の『筑前国続風土記』荒自村の項に右の和歌を引用して、この『在千潟』は当地付近にあったと記している。歌碑は、それにちなんで昭和五十年三月、星ケ丘団地の造成記念として建立された。
万葉集巻十二に収録されている原文では、『在千方 在名草目而 行目友 家有妹伊将爵悒』とあって、その読解や解釈には諸説があり、所在に関しても確定されていない。疑問なしとしないが、星ケ丘団地に万葉のロマンを結ぶのも一興であろう。〉

以上の通りだ」
清 「星ケ丘団地の一角が、昔は『在千潟』という干潟だったんやろうか」
琢二 「歌碑が建てられた場所は在自山(あらじやま=標高249㍍)の西の麓にあたり、大字は在自。古代の地名は荒自郷だった。昔は、在自の海岸寄りは干潟で、江戸時代に埋め立てて田んぼになったといわれているから、まァ、このあたりに『在千潟』があったとしてもおかしくはない」


写真③:福津市星ケ丘団地に建つ万葉歌碑
=2003年9月7日午後7時50分撮影

福津市星ケ丘団地の万葉歌碑
〈福津市星ケ丘団地に建つ万葉歌碑〉の位置図
       (ピンが立っている所)
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2006年10月27日〈津屋崎の野鳥〉020:ヒヨドリ

2006-10-27 09:23:51 | 福津市津屋崎の野鳥

●写真①:住宅のアンテナに止まったヒヨドリ(ヒヨドリ科)=福津市津屋崎新東区で、2006年10月27日午前7時35分撮影

 福津市津屋崎では、1年中見かける馴染みの野鳥・ヒヨドリ。27日も、朝から新東区の住宅のアンテナに飛来していました=写真①=。

 体長27㌢。青みがかった灰色で、背中は黒っぽい。尾が長いので、スマートに見えます=写真②:新東区で、午前7時34分撮影=。「ピーヨ、ピーヨ」と、大きな高い声で鳴きます。


写真②:体の割に尾が長いヒヨドリ

 全国に分布していますが、北方の個体は冬には温暖な地方へ移動し、春には北へ戻ります。関門海峡はヒヨドリの群れが渡るので有名で、4月から5月にかけては晴れた日の午前9時ごろから昼ごろまで大群が北へ渡り、その上下に飛翔して描く姿が〝龍の渡り〟と呼ばれています。それは、群れを狙う猛禽・ハヤブサ(ハヤブサ科)の鋭い爪から逃れるための必死の飛行でもあります。9月から10月にかけては、南へ渡る季節です。
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2006年10月26日/〈日記〉41・ツバキに開花異変

2006-10-26 08:28:29 | 日記
 26日の天気は、朝から久しぶりに晴れました。早朝の散歩の途中、福津市的岡の住宅の石垣に、ツワブキ(キク科)の黄色い花が咲いているのを見つけました=写真①:午前6時57分撮影=。黄色の花は、明るくていいですね。在自の田んぼでは、ヒバリ(ヒバリ科)も好天に気をよくしたのか、空高く舞い上がりながら囀っていました。


写真①:つやつやした葉に黄色の花が映えるツワブキ

 的岡の別の住宅の庭では21日、冬から春にかけて咲くツバキ(ツバキ科)の花が、早くも開いていました=写真②:午前7時5分撮影=。ひょっとして、早咲きの品種があるのでしょうか。あるいは、最近、福岡地方のあちこちで、サクラが咲いたりしたという記事を新聞で読みましたが、気候の異変でしょうか。今秋、福岡県を襲った台風で樹木の葉が一斉に落ちたため開花した、との解説も載っていたようですが、不自然な現象に面白がってばかりはいられない気持ちです。


写真②:早くもピンクの花を開いたツバキ

 そういえば、自宅近くのキンモクセイ(モクセイ科)=写真③:新東区で、20日午後4時41分撮影=も今年は花の咲くのが遅く、芳香があまり強く匂わないという。


写真③:小さいオレンジ色の花が咲いたキンモクセイ
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2006年10月25日/〈日記〉40・「和白干潟」で野鳥観察

2006-10-25 18:06:12 | 日記
写真①:唐原川河口で泳ぐ冬の渡り鳥・ヒドリガモ
     =福岡市東区和白4丁目の「和白干潟」で、2006年10月25日午前11時18分撮影

 小雨模様の25日朝、福岡市東区の「和白干潟」での初めてのバードウオッチングに行って来ました。福津市の自宅から、渋滞した国道495号線をマイカーで走って約1時間。小学生の時に貝掘りに行って以来、約50年ぶりでしたが、野鳥の楽園に近い自然は辛うじて残っていました。12日に唐原川河口沖の引いた水際に1羽だけ飛来したという赤い嘴の冬鳥・ミヤコドリ(ミヤコドリ科)は確認できませんでしたが、ヒドリガモ=写真①=やマガモ(いずれもカモ科)、シギ類などたくさんの渡り鳥が観察できました。

 和白干潟は博多湾東部の和白海域にあり、面積約80㌶。日本海側では渡り鳥が飛来する最大級の干潟=写真②=です。


写真②:渡り鳥の貴重な中継地・和白干潟
     =10月25日午前11時30分撮影

 周辺の博多湾沿岸がほとんど人工の海岸になっているなかで、和白干潟には貝やカニ、ゴカイなど小さな生き物が棲む砂浜と、岩礁、葦(よし)原=写真③=、クロマツ林へと続く貴重な自然海岸が残っています。


写真③:葦原近くを泳ぐヒドリガモの群れ
     =唐原川河口で、25日午前11時23分撮影

 和白干潟は、東アジアの渡り鳥の渡りルートの交差点でもあり、日本野鳥の会などの調査で1980年以降235種の野鳥が観察され、1975年から飛来している珍鳥・ミヤコドリは有名。このほか、絶滅が心配されている冬鳥のクロツラヘラサギ(トキ科)やズグロカモメ(カモメ科)、ツクシガモ(カモ科)などの越冬地としても重要です。唐原川河口左岸には、福岡市港湾局などが立てた自然保護を呼びかける看板=写真④=も立てられています。


写真④:和白干潟が「鳥獣保護区」に指定されており、海辺の植物保全や、野鳥のえさになるアサリを採り過ぎないよう呼び掛ける看板
 =25日午前11時38分撮影

 和白干潟沖では、福岡市が人工島の建設工事を進めており、環境悪化の恐れもあります。野鳥愛好家や自然保護グループらで組織した「和白干潟を守る会」では、グリーンコープ生協ふくおか福岡東支部とで作った実行委員会の主催で、干潟の自然保護を進めようと、11月19日(日曜)午前11時から、和白干潟に面した「海の広場」で、「和白干潟まつり」を開催します。バードウオッチングや干潟の生物観察、模擬店・バザーなどを行う予定。

◆交通アクセス:福岡市東区和白4丁目の「和白干潟」。駐車場なし〔電車〕西鉄宮地岳線「唐の原」駅下車、徒歩5分。JR香椎線「和白」駅下車、徒歩10分〔バス〕西鉄バス「白浜」バス停下車、徒歩5分。

福岡市・和白干潟
   福岡市東区・「和白干潟」の位置図
  (赤いピンが立っている所)
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2006年10月25日/〈津屋崎の四季〉27・花の〝色あわせ〟グラフ

2006-10-25 09:47:52 | 風物
 福津市で撮影した2種の赤と黄の花を、色合わせの趣向で、グラフに組んでみました。ブラジル原産の常緑低木・エンゼルトランペット(ナス科)と、メキシコ原産の多年草・オシロイバナ(オシロイバナ科)です。


写真①:赤のエンゼルトランペット。トランペットをぶら下げたような豪華な花です
=新東区の住宅庭で、2006年10月19日午前8時8分撮影


写真②:黄のエンゼルトランペット
=②的岡の畑で、06年10月19日午前7時10分撮影


写真③:赤のオシロイバナ
=在自の道路脇の土手で、06年10月16日午後5時11分撮影


写真④:黄のオシロイバナ
=新東区の自宅横の空き地で、06年7月9日午後5時撮影


写真⑤:白のオシロイバナもありました
=新東区の住宅庭で、06年10月24日午前7時37分撮影
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