写真①:国道386号線(手前)沿いにある「水(すい)神社」
=朝倉市山田で、2020年2月25日午後3時20分撮影
朝倉市の「水神社」と農業発展に寄与した「山田堰」を訪ねて
アフガン砂漠緑化の中村哲医師も学んだ筑後川の灌漑施設
福岡県朝倉市山田の「水(すい)神社」は国道386号線沿いにあり、社殿は境内にそびえる県指定天然記念物の大楠(胸高幹周り約8㍍、高さ約21㍍)の四方に伸びた枝に覆われています=写真①=。祭神は、国生みの終わりに伊奘冉尊(いざなみのみこと)が火神を生んで病んだ際に尿から生まれた水の神・罔象女神(みつはのめのかみ)です。
2月25日、国道386号線を渡って「水神社」境内に入り、石の鳥居の向こうに流れる筑後川に「山田堰」が望めました=写真②=。「山田堰」は、「傾斜堰床式石張堰(けいしゃせきしょうしきいしばりぜき)」という日本では他にない石張り堰で、筑後川の水を農業用水に利用するため江戸時代中期の寛政2年(1790年)に地元の庄屋古賀百工(ひゃくこう)が農民らと築造して完成。せき止めた水を右岸の水門(取水口)を通って堀川へ流し、8㌔・㍍以上離れた田畑まで送ります。
写真②:「水神社」の石の鳥居の向こうに望む筑後川の「山田堰」
「水神社」境内の筑後川寄りには、「古賀百工翁頌徳碑」=写真③=が建てられています。「水神社」は江戸時代中期・享保7年(1722年)、取水口を現在の位置に変更するため水門工事の安全を祈願して建立されました。
写真③:「水神社」境内に建てられている「古賀百工翁頌徳碑」
「水神社」の石の鳥居から筑後川に下りて左手に「山田堰」から導水する水門=写真④=があります。「水神社」前の国道386号線を隔てた丘陵地に鎮座する「恵蘇八幡宮」北側の御陵山から連なる岩盤の一部をくり貫いて造られた切貫水門です。
写真④:筑後川の「山田堰」から導水する水門(右端)。向こう上は「水神社」
「水神社」側から見た水門下の筑後川・「山田堰」=写真⑤=。2019年12月、アフガニスタンで武装集団に銃撃されて亡くなった中村哲医師(当時73歳。福岡高校卒で私の2年後輩)が、1984年に現地で難民の医療支援を始め、「飢えは薬では治せない」と井戸掘りや水路建設で65万人が農業をできるようにした際、「山田堰」に学んで水路建設に成功したことが偲ばれます。
写真⑤:「水神社」側から見た水門下の筑後川・「山田堰」
「水神社」境内には、国際かんがい排水委員会(ICID)から築100年以上で農業発展に大きく寄与したかんがい施設として登録、表彰されたという「ICID 世界かんがい施設遺産登録2014年9月」解説板=写真⑥=が掲示されていました。添付の1900年ごろの「山田堰平面図」によると、緩やかな左カーブで流れる「山田堰」付近の筑後川には、流れに斜交する石畳が築かれており、流水はカーブの外側(右側)に設置の水門へ導かれる仕組み。平水時は筑後川の本流となる3つの水路(「水神社」から見て手前から「砂利吐き口」、「中舟通し」、「南舟通し」(舟通しには昔、帆掛け舟が往来、いかだが下っていた)を水が流れ、増水時には石畳全体を水が越えることで堰の安全と取水量の安定を保っています。「山田堰」は、水面下に隠れる部分を含め、最長部172㍍、総面積約25,370平方㍍の巨大な構造物という。
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写真⑥:「水神社」境内に掲示されている「世界かんがい施設遺産登録」解説板