吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2011年10月31日/〈光市・町歩き〉003・旧「伊藤博文邸」

2011-10-31 06:20:19 | 〈光市・町歩き〉

 

  写真①:ルネサンス風の瀟洒な2階建ての洋館・旧「伊藤博文邸 

      =山口県光市束荷で、2011年10月27日午前10時45分撮影

 

〈光市・町歩き〉 3 

 :旧「伊藤博文邸」 

 

  旧「伊藤博文邸=写真①=が、山口県光市にあるとは知りませんでした。市発行の観光ガイド「海とみどりのハーモニー ひかり」によると、初代内閣総理大臣・伊藤博文は天保12年(1841年)に旧大和町(現光市束荷)で生まれ、9歳で萩に移るまでこの地で幼年時代を過ごしました。 

  光市が整備した「伊藤公記念公園」にある旧「伊藤博文邸」は、同公が基本設計したルネサンス風の瀟洒な2階建ての洋館で、県指定有形文化財です。建物が完成したのは、伊藤公が明治42年に視察先の中国・ハルピン駅で狙撃されて69歳で他界した後でした。1階には、ゆかりの品々が展示されています=写真②=。


写真②:1階に展示された伊藤公ゆかりの品
     =
旧「伊藤博文邸で、27日午10時50分撮影

 1階の階段=写真③=から2階へ上がると、洋間=写真④=と和室=写真⑤=がありました。


写真③:1階の階段
     =27日午10時45分撮影


 写真④:2階の洋間                                                  写真⑤:2階の和室
     =写真④,⑤とも27日午10時50分撮影


旧「伊藤博文邸前の「伊藤公記念公園」敷地には博文公の銅像=写真⑥=が建っています。同邸の隣には、その生涯を遺品と影像で紹介する「伊藤公資料館」もありました。

 

写真⑥:伊藤博文公の銅像

     =27日午10時45分撮影

 面白かったのは、くり抜かれた伊藤博文公の肖像の顔に自分の顔を出して昭和38年発行の「千円札」の記念撮影ができる表示板が設けてあったことです=写真⑦=。

  

写真⑦:伊藤博文公の肖像の顔に自分の顔を入れて「千円札」の記念撮影ができる表示板

     =27日午10時50分撮影

 

 「伊藤公記念公園」の奥には、6歳まで過ごした博文公の生家=写真⑧=が復元してあり、見学できました。産湯に使った井戸や、子供のころ登って遊んだ柿の木の二世などもあり、幼少時をしのべるようになっています。

 

写真⑧:6歳まで過ごした伊藤博文公の生家

     =27日午10時50分撮影

 

旧「伊藤博文邸位置図

                           (終わり)

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2011年10月30日/〈津屋崎の四季〉836・クロツラヘラサギ今季初渡来

2011-10-30 09:18:33 | 風物

 

写真:「津屋崎干潟」に今季初めて渡来したクロツラヘラサギ
     =福津市津屋崎渡で、2011年10月30日午前8時撮影

 福津市渡の「津屋崎干潟」(福岡県指定鳥獣保護区)に10月30日朝、冬鳥のクロツラヘラサギ(トキ科)が、今冬初めて渡来した姿を撮影しました=写真=。 


 10年初渡来の11月11日朝(1羽確認)より12日早いです。それ以前の初渡来は09年が11月19日朝(3羽確認)、08年が11月15日朝(1羽確認)でした。

 世界では、東アジアだけに約2,000羽しか生息しておらず、環境省が「絶滅危惧
A類」に指定している貴重な野鳥。冬場の「津屋崎干潟」に渡来する野鳥のシンボル的存在です。10年、09年のシーズンとも1月までに計7羽が渡来しており、第二陣の飛来が期待されます。

 この日渡来した1羽は、「津屋崎干潟」の浅瀬で、朝鮮半島付近からの長旅に耐えた翼の手入れをするかのように、長く大きなヘラ形の黒い嘴を伸ばして身繕いをしていました=写真=。

 

 

写真②:長く大きなヘラ形の黒い嘴を伸ばして翼を繕うクロツラヘラサギ
     =「津屋崎干潟」で、30日午前8時撮影

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2011年10月30日/〈光市・町歩き〉002・「普賢寺」

2011-10-30 06:38:16 | 〈光市・町歩き〉

 

 

写真①:「普賢寺の仁王門 

=山口県光市室積8丁目で、2011年10月27日午前9時25分撮影

 

〈光市・町歩き〉 2 

 

:「普賢寺 

 

 26日夜は、温泉のある宿・「かんぽの宿光」(光市室積東ノ庄)に宿泊。翌27日朝、 平安時代中期・寛弘3年(1006年)の一条天皇のころ創建されたという臨済宗建仁寺派の名刹「普賢(禅)寺」(市室積8丁目)を訪れました。創建当時は天台宗のお寺でしたが、室町時代後期ごろに臨済宗となりました。山号は、峨嵋山(がびさん)。 

 

寛弘4年(1007年)、播州書写山円教寺の住職・性空上人(しょうくうしょうにん)が開基。本尊は、理知・慈悲をつかさどり、延命の徳を備える普賢菩薩像で、漁師が室積沖の海中から出現したと話した霊像を性空上人が安置されたといわれ、古くから「海の菩薩」(海の守護仏)として全国各地から広い信仰を集めてきたお寺という。江戸時代から明治初年の版籍訪韓までは、毛利公の祈願所で寺格の高いお手普請寺でした。開基性空上人の入寂の日をとって定めたという毎年5月14,15日の「普賢祭」には、露店市が立つ〝普賢市〟が開かれています。 


 境内入り口にある仁王門=写真①=は、江戸時代後期・寛政10年(1798年)の建立。両脇には、忿怒(ふんぬ)の形相で仏敵を払う雄大かつ怪奇な木刻の仁王像=写真②=が立ち、楼上には釈迦の命により正法を守り、衆生を導く16人の大阿羅漢・「十六羅漢像」が安置されています。


写真②:仁王門の脇に立つ木刻の仁王像
      =27日午前9時50分撮影

境内を歩き、石彫りの象=写真③=が台座に載っているのが目に留まりました。白象に騎乗するとされる普賢菩薩にちなんだ彫像でしょう。 

 

 

写真③:普賢菩薩が騎乗するとされる象の石象

=27日午前9時25分撮影

 本尊の
普賢菩薩像を安置する「普賢菩薩堂」=写真④=は大正6年に改築され、平成5年に大修理されました。


写真④:本尊の
普賢菩薩像が安置されている「普賢菩薩堂」

 

=27日午前9時25分撮影


  
普賢菩薩堂」の参拝所に立ち、頭上を見ると十二支を描いた古びた方位盤=写真⑤=がありました。色あせた感じですが、9月18日に  大川市酒見の「風浪宮」拝殿前で目にした東西南北の字の周囲に十二支の絵が描かれた古風な方位盤に似ていると思いました。

 

写真⑤:十二支を描いた古びた方位盤

     =27日午前9時30分撮影

 境内にある池では、甲羅干しする5匹の亀=写真⑥=が気持ち良さそう。

 

 

写真⑥:気持ち良さそうに甲羅干しする5匹の亀

     =27日午前9時35分撮影

池の近くに「普賢寺の山門=写真⑦=が建っています。

 

 

写真⑦:「普賢寺の山門

     =27日午前9時35分撮影

「普賢寺の山門を潜ると、どっしりとした造りの本堂=写真⑧=が見えました。

 

 

写真⑧:どっしりとした造りの「普賢寺本堂

     =27日午前9時35分撮影

本堂の南側には、山口県指定名勝「普賢寺庭園」=写真⑨=がありました。正方形の地割(455平方㍍)をもった枯山水庭園で、周囲の緑地を含めた広さは2,177平方㍍あり、大きな自然石を用いた石組の構成が特色です。暖帯性樹林が国の天然記念物に指定されている峨嵋山(標高117㍍)を背景に、前面を池に見立てて、東南部の石組の枯滝を中心にして両端に組んだ豪華、雄大な石組が、枯山水庭園出現初期の室町時代後期の作庭という。雪舟が築庭したと伝承され、枯山水庭園では県内最古となっています。

 

 

写真⑨:雪舟が築庭したと伝承されている山口県指定名勝「普賢寺庭園」

     =27日午前9時40分撮影

本堂の東側敷地には、赤門=写真⑩=が建っています。江戸時代初期の1630年代に建てられたとみられ、〝開かずの門〟ともいわれています。 鬼瓦には毛利家の家紋があり、普賢寺が江戸初期の元禄15年(1702)に再建され、毛利氏のお手普請寺でもあったなごりを残す建造物です。

 

 

写真⑩:本堂の東側敷地に建つ赤門

     =27日午前9時40分撮影

普賢寺」山門の近くの境内には、落葉高木・センダン(センダン科)の巨木(樹高21㍍)=写真⑪=がそびえており、あまりの高さに目を見張りました。

 

 

写真⑪:樹高21㍍というセンダンの巨木

     =27日午前9時45分撮影

普賢寺」位置図

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記2011年10月29日/〈光市・町歩き〉001・北前船の寄港地・室積

2011-10-29 08:40:34 | 〈光市・町歩き〉

 

写真①:瀬戸内海の港町・室積の眺め(向こう正面の「室積半島」左端が「象鼻ケ岬」) 

=山口県光市室積東ノ庄の「かんぽの宿光」5階から、2011年10月27日午前7時10分撮影

きょう10月29日から、〈光市・町歩き〉シリーズを掲載します。岳父の墓参で26日、山口県光市室積(むろづみ)にある岳父家の菩提寺「如宝寺(にょほうじ)」(臨済宗)を訪れ、散策した同市の名所・旧跡を紹介します。

 

〈光市・町歩き〉 1 

:北前船の寄港地・室積

  

 光市は山口県東南部の瀬戸内海に面し、人口5万4千人。室積は江戸時代に北前船が寄港した瀬戸内海有数の港町で、回船問屋や多くの商家が軒を連ねて栄えました温暖な気候と豊かな自然環境に恵まれ、白砂青松の室積・虹ヶ浜海岸や、象鼻ヶ岬(ぞうびがさき)など風光明媚な海岸部は瀬戸内海国立公園に指定されています。室積東ノ庄の高台にある「かんぽの宿光」(鉄筋コンクリート6階建て)の5階から見下ろした眺めは、絶景です=写真①=。室積は、もと無漏津海、室津海、または室住と言われていましたが、室は年中風がないでいて室の中にいるようだとの意味という。

室積には、海外貿易の隆昌をきわめた足利・室町時代からの古い町並みで知られる「海商通り」があり、海上交易で栄えた福津市の〈津屋崎千軒〉通りと同じように、古風な趣のある白壁格子造りの町家が並んでいます=写真②=。〈津屋崎千軒〉では、軒を連ねた町家の間の狭い通路を「スアイ」と言いますが、室積では人ひとりがすれ違うのがやっとの狭い路地のことを「アイゴ」と呼んでいます。


 写真②:足利・室町時代から海上交易で栄えた「海商通り」に並ぶ町家
     =山口県光市室積3丁目で、岳父の13回忌法事で訪れた2010年2月4日午後4時20分撮影

 潮の香りが漂う室積の町並みを歩くと、津屋崎と同じようなほっとした気持ちで胸が膨らみます。光市では、歴史的町並を保存しようと「保存地区」を選定し、対象地区の道路に面した建造物の修復(家屋)、修景(門、塀)に対し、補助を行う「光市町並保存事業」を実施しています。福津市の〈津屋崎千軒〉の町並みにも、こうした施策が望まれます。

「山口県光市室積」位置図

 

 

 

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2011年10月25日/〈津屋崎の四季〉835・津屋崎の夕陽

2011-10-25 19:59:16 | 風物

  

写真:「相島」(福岡県新宮町)東端の玄界灘に沈む夕陽 

        =福津市宮司元町の「宮地嶽神社」境内で、2011年10月25日午後5時37分撮影

 25日、美しい夕陽が玄界灘に沈んでいきました=写真①=。福津市宮司元町の「宮地嶽神社」参道の石段を上り詰めた境内で、見とれた光景です。水平線に沈む夕陽は一瞬、大きく燃えるような〝光の球〟に変身します。

  

「津屋崎の夕陽が素敵で、終の棲家にしました」と、福津市の星ケ丘団地に家を建てた男性や、市外から引っ越して来た女性が私の知人にいます。夕陽が玄界灘に沈んだ後、残照が西の空を茜色に染める時間もいいですね=写真②=。

 

 

写真②:茜色に染まる「相島」の空

=「宮地嶽神社」境内で、25日午後5時38分撮影

 

 雲に映える残光は、茜色からしだいに薄いピンク色に変わっていきます=写真③=。映画や写真の世界では、日没後数十分間、光源の太陽がないのにソフトで暖かく金色に輝いて見える薄明の時間帯のことを〝ゴールデンアワー (Golden Hour)〟 、またはマジックアワー (Magic Hour)と呼んでいます。「宮地嶽神社」境内に立てば、宮地浜まで真っすぐ伸びた参道の向こうに沈む夕陽で、そんな素敵な影像があなたの網膜に残せますよ。

 

写真③:薄いピンク色に変わった「相島」上空の残光(手前は宮地浜まで真っすぐ伸びた参道)

=「宮地嶽神社」境内で、25日午後5時39分撮影

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〈催事〉0161:「つやざき飴作り」グラフ②

2011-10-25 05:15:04 | 行楽催事

 

写真①:空気が混ざって真珠色になった飴を飴引き機から外す香立尚作さんと多美子夫人

    =福津市津屋崎4丁目「の香立商店」で、2011年10月24日午前10時20分撮影

 

「つやざき飴作り」見学② 

――第4回『〈津屋崎千軒〉ふるさと塾』に参加して 

 

10月24日、福津市津屋崎4丁目の「香立商店」で開かれた第4回『〈津屋崎千軒〉ふるさと塾』・「つやざき飴作り」見学会(「津屋崎千軒 海とまちなみの会」主催)で、「香立商店」当主の香立尚作さん(73)は、飴引き機にかけた飴が空気が混ざって白く輝く真珠色になったところで、飴引き機から外されました=写真①=。 

 

 飴引き機から外された飴は、取り落とさないようにそっと作業台へ運ばれます=写真②=。 

 

 

写真②:取り落とさないようにそっと作業台へ運ばれる

 

作業台で小麦粉にまぶした飴は、細長く棒状に伸ばされます=写真③=。

  

写真③:作業台で粉にまぶして細長く棒状に伸ばされる飴

 

この細長くなった棒状の飴は、博多鋏でカチッと、切り分けます=写真④=。香立さん夫妻が、鋏で次々と飴を切るたびに「カチッ」、「カチッ」というリズミカルな心地良い音が室内に響きます。

 

 

写真④:博多鋏で小気味よく飴を切る香立さん夫妻

 

一口サイズに切り落とされた飴はふるいに入れ、揺すって粉が落とされます=写真⑤=。

 

 

写真⑤:切った飴をふるいに入れて揺すり、粉を落とす作業

 

粉を落とされた飴は、乾燥剤として4時間かけて炒った炒り糠とともに小袋に70グラム分入れて封をすると、出来上がりです=写真⑥=。

 

写真⑥:小袋に入れられた「つやざき飴」

 

多美子夫人から「噛(か)まんで、口の中にふくんでゆっくり味わってください」と言われ、出来たての飴を試食した「つやざき飴作り」見学会の参加者たちは、その淡い甘味が懐かしそうで顔をほころばせ、出来上がった小袋入りの飴(130円)を購入していました。

「つやざき飴作り」グラフ 終わり)

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〈催事〉0160:「つやざき飴作り」グラフ①

2011-10-24 19:37:53 | 行楽催事

 

 

写真①:「つやざき飴作り」で飴引き機を操作しながら笑顔で話す「香立商店」当主・香立尚作さん

    =福津市津屋崎4丁目で、2011年10月24日午前10時15分撮影

 

「つやざき飴作り」を見学しました 

――第4回『〈津屋崎千軒〉ふるさと塾』に参加 

 

10月24日午前10時から福津市津屋崎4丁目の「香立商店」で開かれた第4回『〈津屋崎千軒〉ふるさと塾』・「つやざき飴作り」見学会(「津屋崎千軒 海とまちなみの会」主催。参加無料)=写真①=に参加し、明治時代から作られてきた「つやざき飴」作りの職人技に見とれました。 

 

見学会には、福津市の「海とまちなみの会」会員福岡県内の飴作りの文化史に詳しい県文化財保護指導委員・牛嶋英俊さん(直方市)ら男女計10人が参加。「香立商店」当主の香立尚作さん(73)が、原料の水飴と砂糖を炉にかけた銅鍋で煮詰めるところから見学しました=写真②=。 

 

 

写真②:水飴を銅鍋で煮詰める香立尚作さん

 

 「波折神社(波折宮)」横にある「香立商店」の「つやざき飴」は、昔は「宮の脇飴」の名で親しまれ、宗像市や福岡県新宮町、福岡市東区和白・奈多方面まで卸販売されていましたが、今は津屋崎千軒民俗館・『藍の家』」向かいの「津屋崎千軒回遊茶屋 あけぼの」で売る分だけを2か月に1回程度、香立さんが多美子夫人らと作られています。

 

炉にかけた銅鍋で煮詰めた水飴と砂糖には、生姜の絞り汁を入れて風味を付けます。飴を水に浸けて硬さを確認したあと、銅のタライに鍋の中の飴を流し込みます=写真③=。タライには、飴がくっつかないように食用油が塗ってあるという。

 

 

写真③:銅のタライに鍋の中の飴を流し込む作業

 

次に、飴を入れたタライごと井戸水の上で冷まします。均一に冷めるように、タライを手でグルグル回します=写真④=。

 

 

写真④:均一に冷めるようにタライを手でグルグル回す

 

約10分後、熱がとれて飴が飴色に固まってきます=写真⑤=。

 

 

写真⑤:熱がとれて飴色に固まった飴

 

熱がとれて固まった飴を飴引き機にかけ、弾力が出るように空気を入れて練り込むと、空気が混ざって白くなっていきます=写真⑥=。

 

 

写真⑥:固まった飴を飴引き機にかけ、空気を入れて練り込むと白くなっていく

 

                   (次回グラフは、10月25日に掲歳します)

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〈催事〉0159:2011実業団女子駅伝西日本大会

2011-10-23 11:24:46 | 行楽催事

 

 

 写真①:力走する「2011実業団女子駅伝西日本大会」の選手たち
     =福津市津屋崎2丁目で、2011年10月23日午前9時56分撮影


2011実業団女子駅伝西日本大会
トップ・アスリートたちが力走
――福津市津屋崎のコース

 「2011実業団女子駅伝西日本大会(第31回全日本実業団対抗女子駅伝競技大会予選会)」=三実業団陸上競技連盟(関西・中国・九州)主催=が23日、宗像、福津両市にまたがる6区間のコースで行われました=写真①=。

 

 各チームの選手は、午前9時に宗像市役所正門前をスタート。福津市津屋崎2丁目の拙宅前には同9時55分過ぎに1位チームの選手が姿を見せ、後続チームの選手が次々と走り抜けて沿道の市民の声援を受け、白熱したレースを展開しました=写真②=。

 

 写真②:市民の声援を受けて力走する選手たち
     =福津市津屋崎2丁目で、23日午前9時57分撮影

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2011年10月22日/〈津屋崎の四季〉834・「新堤池」のススキ

2011-10-22 22:00:03 | 風物

  

写真:風に揺れる「新堤池」のススキの花穂

        =福津市在自で、2011年10月22日午後4時35分撮影

 福津市津屋崎は22日、風が強い一日でした。

 

在自の「新堤池」の堤では、秋の七草の一つ、ススキ(イネ科)の花穂(尾花)が風に揺れていました=写真=。

 

曇天で、時折小雨も降り、寒さを感じる秋の日。明日の日曜日は、晴れ間が戻ってほしいですね。

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〈催事〉0158:「つやざき飴作り」見学会開催

2011-10-21 11:17:33 | 行楽催事

  

写真明治時代から3代続けて「つやざき飴」を作られている「香立商店」

     =福津市津屋崎4で、2011年10月21日撮影

10月24日()午前10-11時に開催します
「つやざき飴作り」見学会(参加無料、要予約)

――第4回『〈津屋崎千軒〉ふるさと塾』

 

水あめと砂糖を鍋で煮詰め、生姜の絞り汁を入れて固まった飴を練り込んで、棒状に伸ばして博多鋏でカチッツと小さく切り分けると、出来上がり――。

 

津屋崎の歴史や食文化、習俗などを学び、伝えたいと、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が主催する第4回『〈津屋崎千軒〉ふるさと塾』・「つやざき飴作り」見学会(参加無料)が、10月24日(月)午前10時ー11時に、福津市津屋崎4丁目19-12の「香立商店」(「波折神社」横)=写真①=で開かれます。出来上がった飴の購入もできます。

 

見学会への参加は、会員以外の方も5名様に限り申し込み順に受け入れできますので、希望される方は同会事務局・吉村へメール(yosi3019@sage.ocn.ne.jp)でお願いします。

 

「つやざき飴」は、「香立商店」で明治時代から3代続けて作られてきました。今は、3代目の店主香立尚作さんが「津屋崎千軒民俗館・『藍の家』」前の売店「あけぼの」で売る分だけを数か月おきに家族で作られています。来年には閉店も検討されており、飴作りを見学できる得難い機会といえそうです。24日の見学会には、福岡県内の飴作りの歴史に詳しい研究家も直方市から参加されます。

 

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