吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2012年9月30日/〈出雲・町歩き〉004・松江城

2012-09-30 10:14:45 | 〈出雲・町歩き〉

 

写真①:外観五重、内部は6階の複合天守が雄大な「松江城」

     =島根県松江市殿町で、2012年9月16日午前9時10分撮影

  

〈出雲・町歩きスポット〉4

:松江城

  島根県松江市玉湯町玉造の「玉造温泉」で旅の疲れを癒し、一夜明けた9月16日朝、同市殿町にある国指定重要文化財・「松江城」=写真①=を訪ねました。

 全国に現存する12天守の一つで、城下町・松江のシンボルです。天守は付楼を加えた複合天守で、高さ30㍍、外観五重、内部は6階となっており、最上階は望楼。慶長16年(1611年)、松江開府の祖・堀尾吉晴が5年ががりで完成させました。入母屋破風の屋根が、チドリが羽を広げたように見えることから〝千鳥城〟とも呼ばれています。

 料金550円を納めて、入城。最上階の望楼からの360度の眺めは絶景でした=写真②=。

 

 写真②:最上階の望楼からの松江市街の眺め

      =「松江城」で、16日午前9時撮影

  「松江城」の石垣は、自然石をほとんど加工せずに積み上げた「野面積(のづらづみ)」で、一見すると粗雑ながら頑丈な古い形式の積み方になっています=写真③=。

 

写真③:古い形式の積み方の「野面積」で築かれた石壁

     =「松江城」で、16日午前9時15分撮影

  お城を出て、北側にある「武家屋敷」に向かって道路わきの歩道を進んでいると、お城の堀川を巡る遊覧船=写真④=が水を切って行くではありませんか。以前、福岡県の水郷・柳川市の掘割を回る「どんこ舟」に乗った時の楽しい思い出が蘇りました。

  

写真④:「松江城」の堀川を巡る遊覧船

     =松江市北堀町塩見縄手で、16日午前9時30分撮影

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2012年9月29日/〈出雲・町歩き〉003・玉造温泉

2012-09-29 05:25:59 | 〈出雲・町歩き〉

 

写真①:早朝の「玉造温泉」旅館街

     =島根県松江市玉湯町玉造で、2012年9月16日午前6時45分撮影

 

〈出雲・町歩きスポット〉3

 :玉造温泉

 島根県出雲市の「出雲大社」参拝を終えた旅行初日・9月15日夜の宿泊地は、同県松江市玉湯町玉造の「玉造温泉」です=写真①=。日本最古の歴史を持つ出雲の名湯とかで、お宿は玉湯川のほとりに佇む「保性館(ほせいかん)」。性(やすらぎ)を保つ宿として、創業3百年の老舗旅館。夕食前、さっそく露天風呂に浸かったところ、ぬるっとした肌触りが最高の弱アルカリ高温泉でした。

 宿での夕食は、日本海のカニやエビなど山陰の山海の幸を集めた季節料理。16日の朝食には、宍道湖の「大和しじみ」を使ったシジミ汁=写真②=を味わいました。

 

 写真②:朝食の料理の一品・宍道湖の「大和しじみ」を使ったシジミ汁

    =「保性館」で、16日午前7時10分撮影

   「玉造温泉旅館協同組合」発行のガイドマップには「出雲の国 松江 美肌・姫神の湯」と書かれており、両岸に温泉旅館が並ぶ玉湯川の河原には「足湯」もありました=写真③=。手を触れると、泉温は結構ホットです。

  

写真③:玉湯川の河原に設けられている「足湯」
     =「玉造温泉」で、16日午前6時45分撮影

 玉湯川の両岸の道路わきには、「神話の情景」オブジェが9体設けられ、「佐太大神(さだのおおかみ)誕生神話」の情景オブジェ=写真④=は「保性館」近くの左岸にありました。「美肌・姫神の湯」玉造温泉のいわれにちなむ神のストーリーが、像のそばに建てられた「姫神と神話」の解説板に書かれています。

 その解説文によると〈佐太大神が誕生するとき、母神支佐加比売(ささかひめ)は大切にしていた弓矢を無くしてしまい、無事生んだ後、弓矢が出てくるよう祈りました。

 すると、角でできた弓矢が流れてきたので「これは私が無くした弓矢ではない」と投げ捨てました。しばらくすると、今度は黄金の弓矢が流れてきたので、取り上げ「なんと暗い洞窟なのか」と言いながら弓を放つと、黄金の矢で洞窟が射通され、光がさしこみ中がひかり輝きました。このことから、この地は加加(かか)という地名となりました。

 加加(かか)・・・松江市島根町加賀

            洞窟を加賀の潜戸(くけど)と呼ぶ〉という。

  

写真④:「佐太大神誕生神話」の情景オブジェ
     =「玉造温泉」で、16日午前6時45分撮影

  玉湯川に懸かる橋の欄干には、神話の里にふさわしく、めのうの勾玉のオブジェが飾られていました=写真⑤=。


写真⑤:玉湯川に懸かる橋の欄干を飾る勾玉のオブジェ
     =「玉造温泉」で、16日午前6時40分撮影

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2012年9月28日/〈出雲・町歩き〉002・古代出雲歴史博物館

2012-09-28 09:51:32 | 〈出雲・町歩き〉

 

写真①:3本の巨木を一つに束ねて作られた「出雲大社」古代神殿の柱

     =島根県出雲市大社町杵築東の「古代出雲歴史博物館」で、2012年9月15日午後2時10分撮影

 

〈出雲・町歩きスポット〉2

 :古代出雲歴史博物館

  9月15日午後、島根県出雲市大社町の「出雲大社」参拝を終え、近くにある県立「古代出雲歴史博物館」を訪問。まず、「出雲大社」古代神殿の柱=写真①=が館内に展示されているのが、目に付きました。古代神殿の柱は、3本の巨木を一つに束ねて直径3㍍の柱を作り、さらにそれを9本の柱として高さ48㍍の御本殿が建っていたという。「雲太、和二、京三」(出雲大社の社殿が最大で、次いで奈良の大仏殿、平安京の大極殿の順に大きい)といわれる巨大神殿の造りが、よく分かりました。

 島根県斐川町神庭(かんば)西谷にある「荒神谷(こうじんだに)遺跡」(国指定史跡)から出土した弥生時代の青銅器類も、展示されています。同遺跡からは、昭和59年(1984年)に358本の銅剣が、翌年には銅鐸6個、銅矛16本が発見され、これらの青銅器群380点は、平成10年(1998年)に国宝に指定。弥生時代の三種類の青銅器が一か所に埋められる例は国内になく、貴重な遺跡です。展示された銅鐸が、謎を秘めた黄金色に輝いて見えました=写真②=。

 

 写真②:黄金色に輝いて見えた銅鐸

      =「古代出雲歴史博物館」で、15日午後3時撮影

   「荒神谷遺跡」から出土した銅剣380点のレプリカが、ずらりと展示されているのは、圧巻です=写真③=。

  

写真③:ずらりと陳列された「荒神谷遺跡」出土の銅剣
     =「古代出雲歴史博物館」で、15日午後3時5分撮影

 「荒神谷遺跡」で4列に並んで同じ形の銅剣358本が一度に出土した時の撮影写真パネル=写真④=も、展示されていました。発見された当時、全国の銅剣出土総数は3百本余りで、荒神谷で銅剣358本が一度に出土し、弥生時代の青銅器研究の見直しを迫る大発見となった衝撃が伝わるすごさを感じます。

 

 写真④:銅剣358本が一度に発見された当時の写真パネル
      =「古代出雲歴史博物館」で、15日午後3時5分撮影

 次に、「古代出雲歴史博物館」そばで開催されている「神話博しまね」(11月11日まで)の特設会場も訪問。「神話映像館」で、国内最大級のアーク型超ワイドスクリーン(高さ3㍍、幅15㍍)で出雲神話の世界を女優・浅野温子のナレーション入りで再現したという迫力あるビデオ映像(上映時間約20分)を見ました。このあと、宿泊先の「玉造温泉」に向かう観光バスで車窓から、出雲市矢野町に同市がスポーツ・レクリエーション施設として平成4年に建てた日本最大級の木造建築・「出雲ド-ム」(高さ約54㍍、建築面積約1万6千平方㍍)を見ることができました=写真⑤=。


写真⑤:移動中の観光バスの窓越しに撮影した「出雲ドーム」
     =出雲市矢野町で、15日午後4時20分撮影

 最後に、島根県松江市玉湯町湯町にある土産品店の「いずもまがたまの里 伝承館」=写真⑥=に立ち寄り、日本一という大きな勾玉を見学、記念にアクセサリーを買ったころには夕暮れです。

 

 写真⑥:「いずもまがたまの里伝承館」
     =島根県松江市玉湯町湯町で、15日午後5時25分撮影

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2012年9月27日/〈出雲・町歩き〉001・「出雲大社」参拝

2012-09-27 12:52:40 | 〈出雲・町歩き〉

 

写真①:大注連縄が懸かる「出雲大社」神楽殿

     =島根県出雲市大社町で、2012年9月15日午後1時55分撮影

  きょう9月27日から、〈出雲・町歩きスポット〉シリーズを掲載します。

 

〈出雲・町歩きスポット

:「出雲大社」参拝

  9月15日、島根県出雲市の「出雲大社」参拝の1泊旅行に細君と出かけました。「出雲大社」神楽殿に懸かる大注連縄=写真①=を、この目で見るのが楽しみの一つでした。わが福津市宮司元町の「宮地嶽神社」が〝日本一〟と誇る拝殿の大注連縄(長さ13.5㍍、直径2.5㍍、重さ5㌧)と、実物を見比べたかったのです。もっとも、同神社は2011年12月17日、拝殿を傷めないように小ぶりの大注連縄(長さ11㍍、直径2.6㍍、重さ3㌧)に懸け替えています。

  出雲観光協会によると、「出雲大社」拝殿の大注連縄は長さ6.5㍍、重さ1㌧ながら、神楽殿に懸かる大注連縄は長さ13㍍、重さ4.5㌧で、神楽殿の大注連縄は確かに現在の「宮地嶽神社」拝殿の大注連縄の長さより大きいものでした。

  観光バスが「出雲大社」に着いたころから、あいにく雨が降り出し、拝殿には傘をさしての参拝です=写真②=。大社では、厚さ1㍍の桧皮葺の屋根を葺き替える60年に一度という「平成の大遷宮」が行われており、平成24年度末完成を目指して修造工事中の御本殿(延享元年=1744年=造営で、高さ24㍍。昭和27年国宝指定)を拝めなかったのは残念でした。

 

写真②:雨に降られながら傘をさして拝殿に向かう参拝客たち

     =「出雲大社」で、15日午後1時35分撮影

  「出雲大社」境内には、〝縁結びの神〟で知られる祭神・大国主大神(おおくにぬしのおおかみ。大黒様)の「ムスビの御神像」が、建てられています=写真③=。

  

写真③:境内にある大国主大神の「ムスビの御神像」
     =「出雲大社」で、15日午後1時35分撮影

 拝殿に通じる「松の参道」=写真④=は、見事なものでした。松江藩主・堀尾忠氏(ただうじ)の夫人が、江戸時代初期の1630年ごろ祈願成就のお礼に奉納したもので、以前は殿様や皇族だけが真ん中を通ることができたという。

  

写真④:拝殿に通じる見事な「松の参道」
     =「出雲大社」境内で、15日午後1時35分撮影

 「出雲大社」前には、平成11年に奉納されたという岐阜県産の「さざれ石」とその由来の解説碑文を刻んだ石碑も設けられていました=写真⑤=。「さざれ石」は、石灰岩が長年の間に溶解して多くの小石を集結して大きくなったもので、めでたい石とされています。国歌・「君が世」の〈君が世は千代に八千代に さざれ石の巌となりて 苔のむすまで〉の一節にうたわれたいきさつが、石碑に刻まれています。


写真⑤:「さざれ石」(左)とその由来の解説碑文
     =「出雲大社」前で、15日午後1時25分撮影

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〈催事〉0207:あすから第4期ガイド養成講座

2012-09-25 10:28:19 | 行楽催事

 

写真①:「義民六人士」が命がけで担いだ三百貫(1,125㌔)の大石(約1㌔向こうが俵瀬)
     =福津市勝浦浜で、2007年12月9日撮影

あす26日から始まります

 「第4期〈津屋崎千軒そうつこうガイド〉養成講座」

――「津屋崎千軒 海とまちなみの会」主催

 

 私が所属している「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が、あす9月26日(水)から「第4期〈津屋崎千軒そうつこうガイド〉養成講座」 を始めます。

 26日午後2時に福津市津屋崎3丁目の市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」駐車場に集合、「義民六人士」(Six resisters)のゆかりの地を私の案内で巡ります。

 「義民六人士」は、江戸時代初期の寛永17年(1640年)、勝浦との漁場争いで津屋崎浦の漁場拡張を福岡藩に訴え、願いはかなったものの、処刑された浦庄屋佐兵衛と組頭5人。6月1日、俵瀬にあった三百貫(1,125㌔)の大石を6人で担いで白石浜を歩き、力尽きた所を境界とされ、懸命に約1㌔を歩き続けた勝浦浜で浦奉行から制止され、約百年の漁場争いに終止符が打たれました。翌2日、6人は直訴の罪で断罪、浜には今も大石=写真①=が残されています。

  「第4期〈津屋崎千軒そうつこうガイド〉養成講座」では、津屋崎漁協が昭和43年に俵瀬に建てた「佐兵衛の歌碑」や勝浦浜に残る大石、そばの勝浦松原に6人が祀られている「六社宮」、津屋崎の氏神・「波折神社」境内に建てられている「六之(ろくし)神社」、近くの「教安寺」に6人が祀られている「六角堂の首塚」などを見て回ります。

 「海とまちなみの会」では、第4期〈津屋崎千軒そうつこうガイド〉養成講座受講者に、私が刊行した津屋崎の歴史と自然のガイド教本・『津屋崎学』(吉村青春著。B5判、314㌻。第17版2012年7月刊)をもとに、受講無料で計10回の講義を行い、修了された方には本会事務所・「貝寄せ館」(福津市津屋崎3丁目18-16)を拠点としたボランティアガイドに登録、有償の観光ボランティアガイドとして活動していただきます。受講希望の方は、26日午前9時までにメールでyosi3019@sage.ocn.ne.jpの「海とまちなみの会」事務局・吉村勝利あて、氏名、年齢、住所、電話番号を明記してお申し込み下さい。

 10月以降の講座は、受講者の都合に合わせ、随時9回(座学と現地研修で1回2時間程度)、私と先輩ボランティアガイドが「地名・津屋崎の由来」、「津屋崎人形と波折神社」、「津屋崎馬車鉄道と在自唐坊跡遺跡」、「津屋崎塩田」「〝筑豊の炭鉱王〟・伊藤伝右衛門と津屋崎」、「貝寄せの浜、朝鮮通信使と相島交流の石碑」などについて講義します。

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2012年9月22日/〈津屋崎の四季〉926:末広のヒガンバナ

2012-09-22 08:23:09 | 風物

 

写真①:須多田川の土手に咲いた赤いヒガンバナの花

     =福津市末広で、2012年9月22日午前6時35分

 

「秋分の日」、福津市末広ヒガンバナの花が咲いています

きょう、Jcomテレビさんの取材を受けます

  きょう9月22日は、「秋分の日」。早朝、福津市末広を流れる須多田川の土手を訪れたら、赤いヒガンバナの花が咲いていました=写真①=。

  遠くに津屋崎の里山・対馬見山(標高243㍍)が霞んで見え、昇りかけた朝日=写真②=が彼岸の中日の幕開けを静かに告げているようです。

  

写真②:津屋崎の里山・対馬見山から昇る朝日

     =福津市末広で、22日午前6時30分

  午後3時からは、私が所属している福津市の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の例会が、同市津屋崎3丁目の事務所・「貝寄せ館」で開かれます。12月1日に市文化会館で開催する第35回全国町並みゼミ第5分科会「町並みの保存・継承と町家等の活用」の取り組みと、全国から集まる町並み保存活動のリーダーら約80人を案内する津屋崎千軒ガイドのコース案を検討します。例会には、ケーブルテレビ・Jcom福岡さんの取材クルーも来られます。

  「貝寄せ館」近くの「花祭窯」では、磁器作家・藤吉憲典さんが「赤絵の器展」を23日まで開かれています。「海とまちなみの会」の会員の皆様、例会出席後、素敵な「赤絵の器」を観に「花祭窯」へお立ち寄り下さい。

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2012年9月19日/〈津屋崎の四季〉925:酔芙蓉

2012-09-19 19:26:02 | 風物

 

写真①:住宅の庭で咲いた酔芙蓉の白い花

     =福津市宮司6丁目で、2012年9月13日午前6時30分

 

 福津市宮司6丁目にある住宅の庭で、酔芙蓉(アオイ科)の白い花が咲いていました=写真①=。

 酔芙蓉は、朝のうちは純白、昼ごろには淡紅色、夕方から紅色になり、酒に酔った人の顔がしだいに赤らむのに似ていることから名づけられたという。この庭では、日の差す方の花は赤くなっているようです=写真②=。

 

 写真②:赤く変色した花も見られる酔芙蓉

     =福津市宮司6丁目で、13日午前6時30分

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2012年9月17日/〈日記〉491・レンタル菜園

2012-09-17 06:07:16 | 日記

 

写真①:畑の端に立てられた「レンタル菜園 かぶとがに」の募集看板

     =2012年9月13日、福津市宮司6丁目で撮影

 

「対馬見通り」に「レンタル菜園」お目見え

福津市・「的岡」交差点近くの小さな畑

  福津市宮司6丁目の「対馬見通り」に面した小さな畑が、「レンタル菜園 かぶとがに」になりました。畑の端に立てられた利用者募集の看板=写真①=には、お問い合わせ先として、「プレミア株式会社(担当)あびる」の名と電話番号が、トマトやタマネギのイラスト入りで表示されています。

 この畑は住宅1軒の敷地程度の広さで、県道の「的岡」交差点から在自方向へ曲がってすぐの角にあります=写真②=。以前、福津市星ケ丘に住む夫婦が地主さんから借りて、イモや野菜を育てておられました。このあたりは、住宅街の一角に小規模な畑が点在していますが、「レンタル菜園」に変身したのは初めてです。

  

写真②:「対馬見通り」(手前)に面した「レンタル菜園」

     =9月13日撮影

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2012年9月14日/〈日記〉490・鳥獣保護区そばで進むメガソーラー建設

2012-09-14 06:12:29 | 日記

 

写真①:「百田興産」の太陽光発電設備設置工事が進む現場(右の水路が「福岡県指定鳥獣保護区」。手前が「津屋崎干潟」側)

     =2012年9月12日、福津市渡池尻で撮影

 

「福岡県指定鳥獣保護区」の水路そばに

メガソーラ建設工事進む

クロツラヘラサギの渡来地の環境保護、大丈夫?

 福津市渡の「津屋崎干潟」北側の渡池尻の用地約5万5千平方㍍で、「百田興産」(福岡市)のメガソーラー(太陽光発電設備)設置工事が進んでいます。その東隣にある水路=写真①=は「福岡県指定鳥獣保護区」で、世界に約2千羽しかいないという環境省のレッドデータブックで「絶滅危惧ⅠA類」指定のクロツラヘラサギ(トキ科)10羽前後が毎冬、朝鮮半島から渡来し、餌を取ったり、休息する貴重な水域です。水路の東側を南北に走る県道502号線との境界には高い垣根があり、水路の様子はうかがえないようになっています。

  メガソーラー設置工事は8月から始まっており、平成25年7月31日までに総出力約2千㌔・㍗の太陽光パネル約8千枚を設置する計画。建設現場の南側にある舗装道路を隔てた「津屋崎干潟」(内海)も「福岡県指定鳥獣保護区」で、クロツラヘラサギや冬鳥・カモ類の〝野鳥の天国〟となっています。内海の満潮時には、建設現場の東隣にある水路がクロツラヘラサギやカモたちの憩いの場に変わります。

 

 以前、この水路に接したメガソーラー建設現場側は草木が茂り、水路に生息する野鳥たちには絶好の目隠しになっていました=写真②=。しかし、今は工事で草木が伐採され、見通しのよい環境に一変、野鳥たちはウカウカできない雰囲気です。メガソーラー建設後、渡来したクロツラヘラサギの群れは、地上に敷きつめられた太陽光パネルが乱反射し、西側の目隠しの草木がなくなつた水路を上空から〝鳥の目〟で眺め、「毎冬の津屋崎の〝常宿〟は、ここだったっけ?」といぶかる恐れはないでしょうか。

  

写真②:ヘラサギ1羽とクロツラヘラサギ4羽が餌を取る水路(左手のメガソーラー建設現場側は草木が茂っていた)

     =2011年1月27日撮影

 メガソーラーは、三井松島産業(福岡市)の子会社・MMエナジー株式会社(同)が、「津屋崎干潟」の東に隣接した福津市西竪川の旧「津屋崎塩田」跡地約3万2千平方㍍の用地でも、総出力約2千㌔・㍗の太陽光パネル約8千5百枚を9月から建設、平成25年3月に完成の予定です。

 「津屋崎干潟」の「鳥獣保護区」 福津市渡の「津屋崎干潟」は、福津市西部の渡半島に抱かれた細長い入り江で、同市浜の町の津屋崎漁港から北へ広がり、地元では〝内海(うちうみ)〟と呼ばれています。波静かで、小魚や貝、ゴカイなど野鳥の餌も豊富です。クロツラヘラサギの越冬地で、国際保護ネットワーク(事務局・香港)から国際観測点の一つに登録されています。06年11月15日、県から鳥獣保護法に基づき、野生鳥獣の狩猟が禁止される「鳥獣保護区」(特別保護地区)に指定されました。指定区域は、干潟約48㌶と周辺の水路や陸地約15㌶の計約63㌶です。指定期間は10年で、問題がなければ更新されます。

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2012年9月10日/〈津屋崎の四季〉924:ザクロの実熟れる

2012-09-10 21:48:26 | 風物

 

写真①:たわわに生ったザクロの熟れた実

     =福津市宮司6丁目で、2012年9月10日午後3時15分

 

 福津市津屋崎は10日も、雨が降ったり、やんだりの天気でした。

 秋雨前線の活発化で、気分もすっきりしませんね。宮司6丁目にある畑では、赤く熟れたザクロの実が小雨に濡れて光っていました=写真①=。

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