吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

〈催事〉0203:「伊能ウオーク」にぎわう⑥

2012-08-31 16:06:29 | 行楽催事

写真①:江戸風味の冷やしそばを味わう人たち(手前)とそばを求める行列(奥)

     =2012年8月25日午前11時45分、福津市津屋崎3丁目の福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」で撮影

 「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」
江戸風味の美味しい〝冷やしそば〟を堪能

⑥「伊能ウオーク記念そばを楽しむ会」


 「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」の参加者が8月25日、「伊能ウオーク記念そばを楽しむ会」=写真①=に加われたのは、福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」に帰着した午前11時45分からです。バスツアー参加者42人のうち、忠敬の宿泊先での接待食を模した料理を会食する「忠敬御膳を味わう会」への参加者10人を除く32人でした。

  「伊能ウオーク記念そば」は2百年前、津屋崎を歩いて測量した伊能忠敬が活躍した江戸時代に人気を博したという豆腐入りの油揚げを薄揚げして味付けし、茗荷や大葉を添え、冷たいそばつゆで味わう美味しい〝冷やしそば〟=写真②=です。

  

写真②:豆腐入りの油揚げを薄揚げして味付けした江戸風味の「伊能ウオーク記念そば」

        =25日午後2時5分、「津屋崎千軒なごみ」で撮影

――そば打ちで町興しボランティア――

「福岡そばの会」と「篠栗そばの会」の11人が応援に駆け付け

  この〝冷やしそば〟は、劇団民藝の創立者宇野重吉さんらが訪れた手打ちそばの名店・「多め勢(ためせい)」(福岡市早良区室見1丁目)の大将田口俊英氏のそば教室で腕を磨いた〝名人〟たちが、手打ちそばでの町興しボランティア活動を目的に平成13年に設立した「福岡そばの会」(会員73人)と、守男・同会師範(篠栗町)が指導している「篠栗そばの会」(同26人)のスタッフ計11人が、25日午前7時30分から「津屋崎千軒なごみ」の4か所でそば打ちを披露=写真③=しながら準備。

  

写真③:そば打ちを実演する「福岡そばの会」と「篠栗そばの会」の〝名人〟たち

     =25日午前8時20分、「津屋崎千軒なごみ」で撮影

  「伊能ウオーク記念そばを楽しむ会」チケット代を含むバスツアー参加の予約なしで飛び入りのお客様にも、この日午前10時30分から午後3時まで1人前5百円のボランティア価格で、この江戸風味の〝冷やしそば〟を提供=写真④=していただきました。

 

写真④:「伊能ウオーク記念そば」を求めるお客様

     =25日午前11時45分、「津屋崎千軒なごみ」で撮影

 バスツアーにご招待した〝伊能忠敬そっくりさん〟の井手米夫さん(福岡県太宰府市)には、「忠敬御膳」の後に、この「伊能ウーク記念そば」も無料で召しあがっていただきました。そば打ち〝名人〟たちの江戸前そばの味に、「伊能ウオーク記念そばを楽しむ会」の参加者たちは、「豆腐入りの油揚げを薄揚げして味付けした江戸前そばを食べたのは初めて。とても美味しいわ」「茗荷や大葉を添え、冷たいそばつゆで味わう〝冷やしそば〟は、猛暑の夏に合うね」と満足そうでした。

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〈催事〉0202:「伊能ウオーク」にぎわう⑤

2012-08-30 11:34:37 | 行楽催事

写真①:「忠敬御膳」を味わう人たち

     =2012年8月25日午後0時20分、福津市西福間4丁目の「サンピア福岡」2階・「芙蓉の間」で撮影

 「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」
忠敬の宿泊先の接待食を模した料理を会食

⑤「忠敬御膳を味わう会」

  「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」の参加者42人は8月25日午前11時45分、出発場所の福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」に帰着。ここで、江戸時代に人気を博したという江戸前の手打ちそばを堪能する「伊能ウーク記念そばを楽しむ会」と、忠敬の宿泊先での接待食を模した料理を会食する「忠敬御膳を味わう会」=写真①=の二コースに分かれました。

 このうち「忠敬御膳を味わう会」への参加者10人は、「津屋崎千軒なごみ」に待機していた観光バスに乗り、福津市西福間4丁目のホテル・「サンピア福岡」へ約5分で移動。会席会場に充てられた2階の「芙蓉の間」=写真②=で、「忠敬御膳を味わう会」だけを予約していた6人と合流しました。

写真②:「サンピア福岡」2階に設けられた会席会場・「芙蓉の間」入口の案内表示

 忠敬が、九州の第一次測量の帰路に三河(愛知県の東部)の挙母(ころも)藩に立ち寄った文化8年(1811年)3月25日と26日の食事には、測量隊に当時は貴重だった塩で鯛を丸ごとくるんで作る大変なぜいたく品で珍味でもあった「鯛の浜焼き」をはじめ、イカのきの芽和え、こちの吸い物、うなぎの蒲焼きなども出ています。

 芸州藩(浅野家)では、伊能測量隊に対し、将軍の代わりの際などに治政の視察のために旗本を諸国に派遣した『巡見使』なみの扱いで宿舎や食事の用意をさせており、各地で御馳走の接待を受けていたようです。

  「忠敬御膳を味わう会」は、忠敬が宿泊先で接待されたであろう豪華な料理を模した「忠敬御膳」=写真③=を、予約者16人に4千円で味わっていただく趣向です。ご招待した〝伊能忠敬そっくりさん〟の井手米夫さん(福岡県太宰府市)は、無料で召しあがられます。

 

写真③:忠敬が宿泊先で接待されたであろう豪華な料理を模した「忠敬御膳」(献立の一部)

  「忠敬御膳」の献立=写真④=は、「サンピア福岡」の小崎龍哉総料理長らが再現考案されたもので、小鯛浜焼、鰻蒲焼、鹿の南蛮煮、鯛・貝類盛り合せなど10品会席です。江戸時代に日本を訪れた「朝鮮通信使」を新宮町沖の相島で接待した福岡藩は、津屋崎で捕れた鯛や猪、鹿の肉も提供したことが福岡藩の記録文書(「黒田家文書」「黒田家譜」など)に記載されており、小鯛浜焼や鹿の南蛮煮を再現メニューに盛り込みました。また、鰻(うなぎ)をよその宿泊先で食べた記録が「忠敬測量日記」に記載されていることや、忠敬が宿泊した「佐治徳左衛門」屋敷の前にある波折神社の西側に「三苫うなぎ」といううなぎ屋さんが、昭和の時代まで営業していて、入海(津屋崎干潟)で採れた天然もののうなぎが食べられる店だったというので、鰻の蒲焼きも再現メニューに入れてあります。

  「忠敬御膳」の献立は、次の通りです。

▽先付 烏賊、大根、人参、滑子のなます▽前菜 鰻蒲焼、ところ天、海老旨煮、かまぼこ、蓮根、茸胡麻和え▽吸物 カマスの吸物、冬瓜、順才 清汁仕立て▽造り 鯛・貝類盛り合せ▽焼物 小鯛浜焼、有馬山椒、はじかみ、レモン▽煮物 鱸(すずき)の煮つけ、蕉、青味▽肉料理 鹿の南蛮煮、白髪葱▽冷やし鉢 そうめん、茗荷、椎茸、湯葉▽飯 白飯▽汁物 味噌汁▽香物 ▽果物

 

写真④:「サンピア福岡」で考案、再現された「忠敬御膳」の献立

  2百年ぶりに考案、再現された「忠敬御膳」を味わった〝伊能忠敬そっくりさん〟ら会食した男女16人の方たちは、「小鯛浜焼は美味しいわ」「鹿の南蛮煮は初めてだけど、軟らかくて食べやすい」など笑顔で話が弾んでいました。

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〈催事〉0201:「伊能ウオーク」にぎわう④

2012-08-29 17:49:50 | 行楽催事

 

写真①:「佐治徳左衛門」屋敷跡前で記念撮影するツアー参加者たち

      =2012年8月25日午前11時25分、福津市津屋崎4丁目で撮影

「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」
忠敬の津屋崎浦の宿泊先を訪ねる

④「佐治徳左衛門」屋敷跡

  「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」の参加者42人が、忠敬が宿泊した旧勝浦村の「大庄屋長嶋源五郎」屋敷跡の次に観光バスで訪れたのは、福津市津屋崎4丁目にある津屋崎浦の宿泊先・「佐治徳左衛門」屋敷跡です=写真①=。

 忠敬が記録した『測量日記』によると、江戸時代後期・文化9年(1812年)7月28日(新暦では9月4日)の宿泊先について〈八ツ頃に津屋崎浦へ着。止宿本陣佐治徳左衛門。別宿瀬戸屋兵三郎〉と書いています。翌29日(新暦では9月5日)の宿泊先についても、〈四ツ半前に帰宿。津屋崎浦再宿〉と記述、2日続けて同じ宿に泊まったとしています。忠敬測量隊19人のうち隊長の忠敬ら幹部が「本陣」の「佐治徳左衛門」屋敷に、他の隊員が「別宿」の「瀬戸屋兵三郎」屋敷に分かれて宿泊したとみられます。「佐治徳左衛門」=写真②=は酒造業で、「瀬戸屋兵三郎」は網元でした。

  

写真②:天保6年(1835年)佐治徳左衛門夫婦像 (『津屋崎町史 通史編』から)

 江戸時代の「江戸期津屋崎浦屋敷図」(金内家文書)によると、「佐治家」の屋敷は、波折神社前から浜まで広がる大きさでした=写真③=。現在の財前哲也氏宅を含む一帯が、屋敷跡です。

 

写真③:「佐治徳左衛門」屋敷が左側下方に波折神社前から浜まで広がる大きな長方形で描かれている「江戸期津屋崎浦屋敷図」(金内家文書)。

  「佐治徳左衛門」屋敷跡地の一部である財前さん宅前の津屋崎千軒通り脇には、財前さんの許可を得て「伊能忠敬宿泊地」の立看板が民間団体関係者の手で設置されていますが、手違いで忠敬が文化9年7月28日に宿泊したと書かれ、連泊した29日が記載漏れとなっています。

 佐治家は、近江国(おうみのくに=滋賀県)甲賀郡の出身。黒田長政に仕え、関ケ原の戦い(1600年)で手柄がありました。初代佐治与助(さじ・よすけ。近江国生まれ)、は福岡藩・黒田家の筑前入国後、3百石で召し抱えようと言われたのに仕官を辞退し、代わりに津屋崎で自分だけに酒造の許可をいただくよう願い出ました。すぐには許可が下りず、与助の死後約30年後の江戸時代初期・寛永21年(1644年)、2代目佐治徳左衛門に許可され、「紅粉屋(べにや)」という屋号の酒屋になりました。

 実際に酒造りを始めたのは、慶安4年(1651年)からで、明治の初めまで2百年以上も続けました。酒造りのほか、精米業の経営や漁業に出資したり、明治時代の初めまで営業。庄屋などの政治的な役職は一切していません。典型的な近江商人です。江戸時代後期の寛政12年(1800年=*伊能忠敬が蝦夷地を測量した年)、10代藩主斉清(なりきよ)公が津屋崎に来られた時には、佐治徳左衛門は貝手頭として津屋崎の貝を21種類献上しています。

 網元の「瀬戸屋兵三郎」の「瀬戸屋」は屋号で、塩田経営にも携わっていました。屋敷は、「佐治徳左衛門」屋敷の斜め前、現在の「孝明保育園」の敷地にありました。

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〈催事〉0200:「伊能ウオーク」にぎわう③

2012-08-28 16:07:36 | 行楽催事

 

写真①:「大庄屋長嶋源五郎」屋敷跡で説明を聞くツアー参加者たち

      =2012年8月25日午前11時5分、福津市勝浦で撮影

 「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」
忠敬の勝浦村の宿泊先を訪ねる

③「大庄屋長嶋源五郎」屋敷跡

 勝浦海岸での江戸時代後期・文化9年(1812年)の測量再現パフォーマンスで、伊能忠敬の測量技術を体験した「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」の参加者42人は、再び観光バスに分乗。約5分で福津市勝浦の市立勝浦小学校(明治7年開校)の敷地にある旧勝浦村の「大庄屋長嶋源五郎」屋敷跡に着きました=写真①=。

 忠敬が記録した『測量日記』には、文化9年7月27日(新暦では9月3日)の宿泊先について〈九ツ半後に勝浦村へ着。止宿本陣大庄屋長嶋源五郎、酒造家なり。奈良漬を贈る。別宿庄屋半兵衛〉と書いています。

 『津屋崎町史 通史編』(旧津屋崎町が平成11年に発行)では、〈大庄屋長嶋源五郎〉の姓〈長嶋〉は〈永嶋〉と表記されています。勝浦地区では、昔から〈永嶋〉の〈嶋〉の字を〈島〉と書く例も少なくないという。

  勝浦、津屋崎の旧宗像郡内を測量した測量隊は、忠敬率いる19人。隊長の忠敬ら幹部が「本陣」に、他の隊員が「別宿」に分かれて宿泊しています。勝浦村の「本陣」となった〈大庄屋長嶋源五郎〉の存在を裏付ける古文書を探したところ、福津市勝浦東の「年毛(としも)神社」の永島俊一(としかず)前宮司(永島家十五代。故人)が昭和56年(1981年)に50年かけて作成した永島家の家系図・『筑前宗像永島系譜』(原本)=写真②=に、「松賀屋」三代大庄屋源五郎勝義であることが確認できる記述を見つけました。

 

 写真②:永島俊一・「年毛神社」前宮司が作成した『筑前宗像永島系譜』

  『筑前宗像永島系譜』は毛筆で書かれ、門外不出の史料として表紙に赤い字で「持出禁止」の角印が押されています。それによると、〈参代大庄屋源五郎勝義〉と記載=写真③=され、勝浦村本村の「松賀屋」三代で、文政3年(1820年)6月26日に38歳で死去と記載されており、忠敬が宿泊した文化9年当時は30歳でした。「松賀屋」は、本村にあった酒造業「甘住屋(あまずみや)」の別家という。 妻は、勝浦浜の「山賀屋」・永島久四郎の娘於伊智(おいち)と書かれています。

 

写真③:『筑前宗像永島系譜』(原本)の〈参代大庄屋源五郎勝義〉の記述部分

 福津市勝浦の松原地区に住む元教諭で、桂区にある第二次大戦の慰霊碑「忠霊塔」を祀る宗教法人「相愛会」会長の小島正弘さん(76)によると、大庄屋「長嶋源五郎」の屋敷は、勝浦小学校の敷地に以前あった旧「勝浦幼稚園」の跡にあり、木造2階建て瓦葺で、入母屋の大きな家が建っており、敷地は道路を隔てて西側にある「忠霊塔」の所まで続いていたという。「年毛神社」の永島俊一前宮司の長女で、永島家十六代の永島淑子現宮司は、「長嶋源五郎」の屋敷について、「よその三階建てぐらいの高さがある見上げるような二階建てだった。戦後間もなく、取り壊された」と話されています。また、桂区の永島信行さん(66)の話では、勝浦小西側の道路向かいにある理髪店(花田政夫さん経営)の所は、大庄屋の酒造所があったと伝えられています。

 小島さんと永島信行さんの話によると、「長嶋源五郎」の子孫で、「松賀屋」六代の永島長樹清重源五郎さんは、明治41年からと大正5年から勝浦村長を通算2期務めました。昭和5,6年ごろ庄屋さんの屋敷を勝浦村がもらい、七代恒樹さんの孫・永島理恵子さん(福津市外在住)の時、田んぼの土地に宗教法人で「忠霊塔」を建てるため桂区の自治会名義で寄付していただき、地上げして「忠霊塔」を建てたという。

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〈催事〉0199:「伊能ウオーク」にぎわう②

2012-08-27 06:38:37 | 行楽催事

写真①:扇子を右横に振りながら「おのおの測量方始めよ!」と発声、測量の指揮を執る〝伊能忠敬そっくりさん〟の井手米夫さん

      =2012年8月25日午前10時40分、福津市の「勝浦海岸」で撮影

 

「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」
「勝浦海岸」で測量指揮の〝忠敬そっくりさん〟が人気呼ぶ

②江戸時代の測量再現パフォーマンス

  「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」の参加者42人は8月25日、福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」で講演会を聴講後、江戸時代に67歳で忠敬が測量した勝浦、津屋崎の場所と宿泊先を訪ねるバスツアーに午前10時10分出発。実行委員会がチャーターした「みなと観光バス」(宗像市)のバス2台に分乗した一行は、約6㌔北の西鉄勝浦浜バス停で下車、約50㍍西側の「勝浦海岸」まで炎天下を歩きました。

 この日、福岡地方の最高気温は34度Cを記録。忠敬が勝浦を訪れた文化9年(1812年)の7月27日(新暦では9月2日)は、「伊能ウオーク」開催日とほぼ同じころですが、忠敬が測量した日もまだ残暑が厳しかったのではないでしょうか。

 やがて、ツアーの一行は海岸べりの舗装道路に到着。ここから砂浜まで降り、〝伊能忠敬そっくりさん〟の指揮で江戸時代の測量の様子を再現するパフォーマンスのスタートです。主役は、忠敬の誕生日の(延享2年=1745年)1月11日(新暦では2月11日)に近く、当時の忠敬と同じ67歳の男性の公募条件で選ばれ、バスツアーに無料招待された〝伊能忠敬そっくりさん〟の井手米夫(いで・よねお)さん(1月22日生まれ。福岡県太宰府市)です。

 以下は、司会兼リポーター役の私が作成した「勝浦海岸測量」再現パフォーマンス・シナリオに沿って寸劇が展開いたしました。

司会

  ただ今より、2百年前の江戸時代にタイムスリップいたしまして、伊能忠敬測量隊の勝浦測量の場にご案内します。タイムトラベラーの皆様、ご準備整いましたでしょうか。では、カウントダウン、一、二、三!

 はい、江戸時代の文化9年(1812年)にタイムスリップしました。「御用 測量方」と書いた御用旗のそばに、伊能忠敬隊長が立っておられます。さっそく隊長の指揮で測量が始まるようですよ。

伊能忠敬そっくりさん

  (扇子を取り出し)「おのおの測量方始めよ!」と発声、扇子を右に振る=写真①=。

司会

 こちら現場から、リポーターの吉村です。ここで、松尾弘道講師に測量の様子を解説していただきます。

松尾弘道講師

 測量用の竹竿の梵天(ぼんてん)2本を立てまして、距離を測っているところです。(以下、解説が続く)

司会

 炎天下のご測量、お疲れ様でございます。伊能隊長様、津屋崎の塩を味わって一息お入れください(皿に入れた塩を差し出す。 [注]この塩は、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」会員が「恋の浦」のきれいな水を汲んで釜で焼き、天日干して手作りしている「焼き塩」です)。

伊能忠敬そっくりさん

 (皿の塩をなめ)うむ、旨い塩じゃのう。勝浦の塩浜で作っておるのか」

司会

 御意。勝浦塩田と津屋崎塩田の2か所の塩浜66町歩(66㌶)で5万俵を作り、福岡藩の製塩量の9割を占めております。

伊能忠敬そっくりさん

 相分かった。これからも塩作りに励むように。

司会

ハハッ、ありがとうございます。これで、現場からの中継リポートを終わります。

(拍手)

  これで寸劇の舞台は終了――。このあと、〝伊能忠敬そっくりさん〟がバスツアー参加者の先頭になり、南北に間隔を置いて砂浜に立てられた2つの梵天の間の距離を歩測(自分の歩幅で実測)しました=写真②=。着物の丈などから身長160㌢とみられる忠敬の1歩の幅は、約69㌢と推測されており、普通の成人男性の歩幅は約75㌢だそうです。身長168㌢の〝忠敬そっくりさん〟の井手さんの歩幅は、何㌢だったでしょうか。横並びで砂浜を前進し、歩測体験を楽しむ皆さんの笑顔が印象的でした。

  

写真②:バスツアー参加者の先頭になり、勝浦海岸の距離を歩測する〝忠敬そっくりさん〟

     =25日午前10時45分撮影

 パフォーマンスを終えた後、〝忠敬そっくりさん〟は参加者に囲まれ、記念撮影にひっぱりだこの人気ぶりでした。

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〈催事〉0198:「伊能ウオーク」にぎわう①

2012-08-26 09:28:23 | 行楽催事

 

写真①:「津屋崎千軒なごみ」和室で開かれた講演を聴く人たち

      =2012年8月15日9時35分撮影

 「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」盛況でした
講演会や「伊能ウオーク記念そばを楽しむ会」もにぎわう

①講演会

 私が所属する「津屋崎千軒 海とまちなみの会」ら八団体で設立した実行委員会主催の「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」は8月25日、福津市で開催、おかげさまで盛況でした。「伊能ウオーク記念そば」を楽しむ会、「忠敬御膳を味わう会」と盛りだくさんのプログラムの模様を、きょう26日からシリーズで紹介します。

 まず、25日午前9時30分から福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」和室で開かれた講演会=写真①=。「伊能ウオーク&探訪バスツアー」予約客42人と「忠敬御膳」予約客16人らのほか、「伊能ウオーク記念そば」のそば打ち実演を見に訪れた人も含め約60人が参加。松尾弘道会員(津屋崎出身、千葉県在住)の講演・「伊能忠敬の歩き方、測り方」=写真②=と、不肖私の講演・「忠敬が泊まった津屋崎の宿」=写真③=などを熱心に聴講されていました。

 

 写真②:「伊能忠敬の歩き方、測り方」について話す松尾弘道会員

 

写真③:「忠敬が泊まった津屋崎の宿」について話す私

      =正岡功会員から提供いただきました

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〈催事〉0197:江戸風味の冷やしそば

2012-08-21 22:47:49 | 行楽催事

写真①:「伊能ウオーク記念そば」のチラシ

 

江戸風味の冷やしそばを食べに来て下さい

「伊能忠敬ウオーク記念そば」(5百円)を味わう会

〝名人〟のそば打ち実演もあります

 「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー実行委員会」が8月25日(土)に福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」」(同市津屋崎3丁目17-3)で開催する「伊能ウオーク記念そばを味わう会」のチラシ=写真①=が、できました。

 それによると、「伊能ウオーク記念そば」は2百年前、津屋崎を歩いて測量した伊能忠敬が活躍した江戸時代に人気を博したという豆腐入りの油揚げを薄揚げして味付けし、茗荷や大葉を添え、冷たいそばつゆで味わう美味しい〝冷やしそば〟です――とPR。

  さらに、手打ちそばでの町興しボランティア活動を目的に平成13年に設立された「福岡そばの会」(会員73人)と、「篠栗そばの会」(同26人)のスタッフ11人が25日、福津市まちおこしセンターの4か所でそば打ちを披露しながら、午前10時30分から午後3時まで限定3百食を1人前5百円のボランティア価格で提供します、と説明。「11人が応援に駆け付け」「そば打ちで町興しボランティア」の見出しを付けています。

 最後に、劇団民藝の創立者宇野重吉さんらが訪れた手打ちそばの名店・「多め勢(ためせい)」(福岡市早良区室見1丁目)の大将田口俊英氏のそば教室で腕を磨いた〝名人〟の江戸前そばの味をお楽しみください、と呼びかけています。

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〈催事〉0197:江戸風味の冷やしそば

2012-08-21 22:47:49 | 行楽催事

写真①:「伊能ウオーク記念そば」のチラシ

 

江戸風味の冷やしそばを食べに来て下さい

「伊能忠敬ウオーク記念そば」(5百円)を味わう会

〝名人〟のそば打ち実演もあります

 「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー実行委員会」が8月25日(土)に福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」」(同市津屋崎3丁目17-3)で開催する「伊能ウオーク記念そばを味わう会」のチラシ=写真①=が、できました。

 それによると、「伊能ウオーク記念そば」は2百年前、津屋崎を歩いて測量した伊能忠敬が活躍した江戸時代に人気を博したという豆腐入りの油揚げを薄揚げして味付けし、茗荷や大葉を添え、冷たいそばつゆで味わう美味しい〝冷やしそば〟です――とPR。

  さらに、手打ちそばでの町興しボランティア活動を目的に平成13年に設立された「福岡そばの会」(会員73人)と、「篠栗そばの会」(同26人)のスタッフ11人が25日、福津市まちおこしセンターの4か所でそば打ちを披露しながら、午前10時30分から午後3時まで限定3百食を1人前5百円のボランティア価格で提供します、と説明。「11人が応援に駆け付け」「そば打ちで町興しボランティア」の見出しを付けています。

 最後に、劇団民藝の創立者宇野重吉さんらが訪れた手打ちそばの名店・「多め勢(ためせい)」(福岡市早良区室見1丁目)の大将田口俊英氏のそば教室で腕を磨いた〝名人〟の江戸前そばの味をお楽しみください、と呼びかけています。

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2012年8月21日/〈津屋崎の四季〉922:朝焼け二景

2012-08-21 07:30:23 | 風物

 

写真①津屋崎の里山・在自山の朝焼け。山麓に星ケ丘団地の灯が小さくみえます。

    =2012年8月21日午前5時31分

 朝焼けが、綺麗でした。8月21日午前5時31分、福津市津屋崎の里山・在自山(標高249㍍)の朝焼け=写真①=は、爽やかな風を感じながらの早朝散歩の気分を最高にしてくれました。

 澄んだ空気を胸いっぱい吸いながら、愛犬と農道を行くと、梅津の里山・森山(標高81㍍)の上空まで朝焼けの雲が広がっていました=写真②=。里山の自然美で綴るアルバムのひとこまです。

  

写真②:梅津の里山・森山(中央)の上空まで広がる朝焼け雲

     =21日午前5時36分

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2012年8月19日/〈日記〉489・「忠敬御膳」

2012-08-19 17:29:04 | 日記

 

写真①:「忠敬御膳を味わう会」で料理を盛りつけるのに借りた膳(一部)

  

「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」企画

「忠敬御膳を味わう会」応募も残り4席になりました

 江戸時代の測量家・伊能忠敬が、当時67才で福津市津屋崎地区を歩いて測量して2012年で2百周年になるのを記念しようと、8月25日(土)に同市内で開催する「伊能忠敬ウオーク&宿泊地探訪バスツアー」(定員42人)が完売になり、同日午後0時10分から同市西福間4丁目の「サンピア福岡」で開く「忠敬御膳を味わう会」(定員20人、参加料4,000円)にも16人が応募、残り4席となりました。

 忠敬が津屋崎の宿泊先で食べたであろう料理を再現した「忠敬御膳」は、三つの膳に盛ってお客様に味わってもらう趣向。「サンピア福岡」のレストランには膳がないため、同ツアー実行委員長の私は19日までに、所属する「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の会員宅や親戚、知人宅など6軒を回って60個の膳をお借りしました=写真①=。

  「忠敬御膳」は、小鯛浜焼、鰻白焼、鹿の南蛮煮、貝類盛り合せなど10品会席=写真②=として再現。献立は、ほかに▽烏賊、大根、人参、滑子のなます▽ところ天、海老旨煮、かまぼこ、蓮根、茸胡麻和え▽鯒吸物、帯冬瓜、順才▽鱸の煮つけ、蕉、青味▽白髪葱、そうめん、茗荷、椎茸▽白飯、味噌汁、漬物▽果物などを添える計画ですが、当日の食材の入荷などの事情で実際には献立の一部が異なる場合もありますので、予めご了承ください。

  

写真②:小鯛浜焼、鰻白焼、鹿の南蛮煮、貝類盛り合せなど10品会席の「忠敬御膳」

(「サンピア福岡」の献立案)

  「忠敬御膳」の予約は、電話で福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」(福津市津屋崎3丁目17-3、火曜休館 ℡0940-52-2122)へお申し込みを。残り4人は予約先着順で23日(木)午後5時で締め切りです。

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