吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2011年8月28日/〈京都・町歩き〉003・哲学の道

2011-08-28 17:38:47 | 京都・町歩き

 

 写真①:桜並木約1.8㌔の散策路・「哲学の道」 

     =京都市左京区 で、2011年8月19日午前10時30分撮影

 

 〈京都・町歩きスポット〉 3

 

:哲学の道

 

久しぶりに「哲学の道」=写真①=を歩きました。明治23年(1890年)、京都市左京区 の東山山麓に完成された琵琶湖疏水に続く、分線沿いの桜並木約1.8㌔の散策路です。近くにある銀閣寺に行く途中、そぞろ歩きしました。

 

昭和43年(1968年)、地元住民の環境保全整備を求める声に京都市がこたえ、「哲学の道」として整備。以来、地元住民や市水道局による清掃と環境保全整備がはかられ、春の桜、初夏のホタル、秋の紅葉と四季折々に、市民の散策路として親しまれています。哲学者西田幾多郎が思案しながら歩いた事から、「哲学の道」と名付けられたという。私も、人生の越し方、行く末を案じながら歩いてみました。

 

「哲学の道」の案内板の近くに、「京都一周トレイル」の道標もありました=写真②=。トレイルとは、森林・原野・山地などの踏み分け道、山の小道のこと。「京都一周トレイル」は、京都市交通局や同市観光協会などが散策の小道として整備した京都の南東・伏見稲荷から比叡山、大原、鞍馬を経て、嵐山、苔寺へ至る全長約70㌔のコースです。

 

   

写真②:「京都一周トレイル」の道標

       =京都市左京区 、8月19日午前10時30分撮影      

 

「哲学の道」を散策していくと、お目当ての「銀閣寺」の方向を示す案内板=写真③=が立っている分岐点に差し掛かりました。

   

 

写真③:「銀閣寺」の方向を示す案内板

=京都市左京区で、19日午前10時30分撮影     

 

道路の向こうに、「白沙村荘(はくさそんそう)橋本関雪記念館」=写真④=がありました。大正・昭和の京都画壇で活躍した日本画家・橋本関雪大正5年(1916年)年から30年かけて造営した邸宅「白沙村荘」を利用した記念館。関雪の作品やスケッチ、収集した陶器、中国・日本の文人画などの古美術コレクションを収蔵、随時公開展示しており、建物や3千5百坪の庭園も関雪自身が設計しています。大文字山を借景とした庭園には、平安・鎌倉から桃山時代の石仏や石灯籠などの石造美術が配置されています。

 

写真④:「橋本関雪記念館」

=京都市左京区浄土寺石橋町で、19日午前10時30分撮影       

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2011年8月27日/〈津屋崎の四季〉814・里山の上空に棚状の黒雲

2011-08-27 21:29:14 | 風物

 

写真:津屋崎の里山(右端は在自山)の上空にかかった棚状の黒雲

=福津市末広で、2011年8月27日午前6時撮影

  

福津市津屋崎の里山の上空に27日早朝、棚状の黒雲がかかっていました=写真

このところ、蒸し暑く、時折、ゲリラ豪雨に襲われるおかしな天気が続いており、ちょっと不気味な感じでした。結局、雨に見舞われまないまま夜を迎えましたが、あしたはスッキリした天気になってほしいですね。

 

 

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〈催事〉0150:きょう第2回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」

2011-08-27 08:08:47 | 行楽催事

  

写真第2回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」開催のPRチラシ

     

きょう27日、第2回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」を開講します

午後2時から「宮地嶽神社」門前町の旅館「大阪屋」で 

参加無料ですが、予約注文の松ケ枝餅〈1個百5円〉代は自己負担

 

 きょう8月27日午後2時から4時まで福津市宮司3丁目14―11にある「大阪屋」0940-52-0175で、同市の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」主催の第2回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」=写真①=が開かれます。

 

 「大阪屋」=写真②=は、宮地嶽神社の門前町に大正7年(1918年)に建てられた木造3階の旅館。経営者の川道孝さんから旅館の歴史や、福岡県内でも珍しい木造3階の建物の維持・管理などについて話していただき、1,2階を見学し、予約注文でないと食べられない名物の「松ケ枝餅」、「よもぎ餅」(いずれも1個百5円の餅代は個人負担)を味わいながら懇談します。すでに17人の参加申し込みが寄せられています。

 

 参加申し込みは、きょう27日正午までに下記①~に記入、「海とまちなみの会」事務局・吉村へメール(yosi3019@sage.ocn.ne.jp)かFax(094052-1795)で氏名、住所、電話番号、餅の注文予約数(松ケ枝餅、よもぎ餅の種類別個数)を添えて送信下さい。


8月27日の「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」に参加を申し込みます。
氏  名:
住  所:
電話番号:
餅(1個百5円)の注文予約数:松ケ枝餅  個よもぎ餅  個

 

 

 

写真②:第2回「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」が開かれる「大阪屋

 

 

写真大阪屋」位置図

 

 旧津屋崎町発行の『津屋崎町史 通史編』や同書に掲載された明治30年ごろの「宮司門前町図絵」(上妻義治氏提供の明治31年発行『参詣案内宮地みやげ』から)によると、「大阪屋」について「宮地嶽神社の門前町にあるのは、当町内の特色の一つであろう」としています。また、旧津屋崎町発行の津屋崎町史民俗調査報告書『津屋崎の民俗(第一集)』では、同門前町の宿について、「多いときで25軒、うち4軒は3階建て(木造)が立ち並び、月参、正月、旧正月には常連さん(炭坑の人が多かった)が泊まっていた。見番も2軒あり、芸者、酌婦もいた。明治41年4月に津屋崎馬車鉄道が福間駅との間に開設され、大正14年7月に博多湾鉄道の宮地岳線が開業し、参拝客が増えた」と紹介しています。

 

 きょうの第2回「ふるさと塾」では、①この木造3階建ての旅館は、大阪屋のほかに何という屋号の店で、今も建物が残されているかを考察②大阪屋の道路向かい側近くにあった津屋崎馬車鉄道宮司停車場の当時の状況について、同馬鉄駅務員だった津崎米夫さん(87)(「海とまちなみの会」会員)から馬鉄利用の参拝客で賑わっていた当時の写真をもとに話していただきます。

 

「〈津屋崎千軒〉ふるさと塾」は、津屋崎の歴史や文化、自然、習俗、景観、祭り、民話、建築遺産、観光などを講師に学び、登録塾生も時には講師として自らの体験や蘊蓄を教え合い、楽しみながら交流します。福津市内外から参加を募り、受講は無料。津屋崎の宝の発掘と郷土の素晴らしさの認識を深め、津屋崎ファンとの交流人口を増やし、町興し、地域づくりの〝人財〟育成も目指しています。受講者の皆様を「ふるさと塾」塾生として登録、次回以降の講演会案内やイベントなどの開催通知を行います。7月24日には、開塾記念の第1回講演会(受講無料)を市文化会館2階・視聴覚室で開き、講師の大森洋子・久留米工業大学建築・設備工学科教授に、「〈津屋崎千軒〉の町並みの印象と保全策」の演題で講演していただきました。

 

 

 

 

 

 

 

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2011年8月23日/〈京都・町歩き〉002・先斗町から鴨川の川床へ

2011-08-23 05:41:30 | 京都・町歩き

 

 

 

写真①:石畳の狭い通りが南北に走る先斗町通

     =京都市中京区で、2011年8月18日午後4時10分撮影

 

〈京都・町歩きスポット〉 2

 

:先斗町から鴨川の川床へ

 

「寂光山常照寺」からの帰路、京都市営バスを降り、中京区の先斗町(ぽんとちょう)通=写真①=を経て、四条大橋から鴨川の「川床」(納涼床)=写真②=を眺めながら、そぞろ歩きを楽しみました。

 

「京の先斗町会」が立てた「京名所 先斗町」の案内板には、〈この地は、もと鴨川の州であったが、寛文十年(1670)に護岸工事の為埋め立て石垣を築き町家が出来て、これを新河原町通りといった。その後、三条一筋南から、四条まで、即ち南北600米、東西50米にわたる地域に人家が建ちならび、俗に先斗町と呼ぶようになった〉と書かれていました。

 

さらに、案内板では〈正徳二年(1712)に茶屋、旅籠屋両株と茶立の女子部を置くことを許され爾来花柳の街として繁盛、現在に至っている。先斗町の呼名は、ここの人家がすべて川原の西側にたち、先ばかりに集中しているところから先斗町と呼ばれるようになったともいい、(以下略〉〉としています。

 

 「川床」は、鴨川の右岸にある飲食店や茶屋が、川の上や屋外で川のよく見える位置に座敷を作って料理を提供する高床式の施設で、京都の夏の風物詩の一つです。鴨川べりの堤防を散歩している人たちを橋の上から眺めると、こちらも川風を涼しく感じます。

 

 

写真②:「川床」のそばの堤防を歩く人たち(右は鴨川)

=京都市中京区の四条大橋で、8月18日午後4時15分撮影

 

 最近、町歩きをしていて目に付くのが建物の柱や屋根瓦などの造り。京都市下京区条通烏丸東入ル長刀鉾町にあった「三井住友銀行」の文字が目立つ京都三井ビルディングの柱は優雅で、風格を感じました=写真③=。ネオバロック風の格調高いデザインの「JR直方駅」(福岡県直方市)玄関中央に設けられた車寄せの柱に似ています。

 

 

写真③:優雅で風格のある京都三井ビルディングの柱

=京都市下京区四条通烏丸交差点角で、8月18日午後3時10分撮影

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2011年8月22日/〈京都・町歩き〉001・寂光山常照寺

2011-08-22 10:59:55 | 京都・町歩き

 

 

写真①:「寂光山常照寺」の本堂

     =京都市北区鷹峰北鷹峰町で、2011年8月18日撮影

 

 きょう8月22日から、〈京都・町歩きスポット〉シリーズを掲載します。18日、洛北の「寂光山常照寺」=写真①=を初めて拝観し、天下の名妓とされた二代目吉野太夫の墓や、夫の豪商灰屋紹益と合わせて偲ぶ「比翼塚」にお参りしたのを機に、あちこち散策した京都市の名所・旧跡を紹介します。

 

〈京都・町歩きスポット〉 1

 

:寂光山常照寺

 

「寂光山常照寺」は、京都市北区鷹峰(たかがみね)北鷹峰町にある日蓮宗の寺院です。鷹峰の地名の通り、鷹が住みつきそうな山すそにあります。江戸時代初期の元和2年(1616年)、書や陶芸、漆芸に優れた芸術家・本阿弥光悦の土地寄進によって、日蓮宗中興の祖・日乾(にちけん)上人を招じて開創された学寮・「鷹峰檀林」の旧跡で、「檀林の寺」とも呼ばれています。

 

「二代目吉野太夫」は、西国の武士で流浪のすえ京に住みついた松田武左衛門の娘で、本名徳子。7歳の時、武左衛門が亡くなり、六条三筋町(後の島原)の遊里に預けられ、14歳で遊女として最高位の太夫となり、才色兼備の名妓として有名になりました。光悦の縁故で日乾上人に帰依し、寛永5年、23歳の時に巨財を投じて朱塗りの山門・「吉野門」(吉野の赤門)=写真②=を寄進しました。

 

 

写真②:二代目吉野太夫が寄進した朱塗りの山門・「吉野門」

 

その赤門を潜って境内に入ると、本堂が正面にあります。吉野は、その美貌が唐の国にまで聞こえたほどで、教養が高く、和歌や連歌、俳句、書、茶湯、香道、音曲に優れていました。本阿弥の親族で、和歌や茶の湯に秀でた文化人の灰屋紹益(灰屋は藍染めに使う紺灰を家業とした屋号で、紹益は号。本名・佐野重孝)に見初められ、当初、身請けしようとした紹益の親に反対され駆け落ちしましたが、吉野に会った親が振る舞いに感服して勘当を許しました。紹益は、寛永8年(1631年)、吉野26歳の時に千3百両で身請けしたという。吉野は寛永20年(1643年)、38歳の若さで病死。二人のロマンスは、演劇や歌舞伎に戯曲化され、吉野の墓=写真③=には歌舞伎俳優や芸能人なども訪れるという。

 

 

写真③:二代目吉野太夫の墓

 

紹益は、夫婦となってわずか12年で他界した吉野を慕うあまり荼毘の骨灰を呑み干し、「都をば花なき里となしにけり 吉野の死出の山に移して」との歌を詠んだといい、その歌が境内に掲示されています=写真④=。

 

 

写真④:紹益が吉野を恋慕して詠んだ歌の掲示板

 

 吉野は、紹益の菩提寺・立本寺<京都市上京区)に葬ることもできましたが、日乾上人に帰依した吉野の遺言で「常照寺」に墓を建立。二人を添わせてやりたいと、歌舞伎俳優の第13代片岡仁左衛門らが昭和46年(1971年)に建てた「比翼塚」=写真⑤=には、吉野と紹益の戒名が刻まれていました。

 

 

写真⑤:吉野と紹益の戒名が刻まれた「比翼塚」

 

 境内には、吉野が愛したという大丸窓「通称・吉野窓」=写真⑥=のある茶室・「遺芳庵」も見られます。完全な円形ではなく、下部が水平になっており、人間の不完全さを表しているといわれています。

 

 

写真⑥:吉野が愛したという大丸窓「通称・吉野窓」

 

 境内に置かれた鉢植えの蓮にピンクの花=写真⑦=が咲いており、吉野と紹益のロマンスを偲ばせるように甘く匂っていました。毎年4月には、吉野太夫花供養が行われ、島原の太夫行列や野点茶席も催されて賑わうという。

 

 

写真⑦:ピンクの花が甘く匂う鉢植えの蓮

 

「寂光山常照寺」(京都市北区鷹峰北鷹峰町45。℡075-492-6775):拝観時間は、午前8時30分~午後5時。拝観料3百円。◆交通アクセス=〔バスで〕市営バス「鷹峰源光庵前」下車、徒歩約2分。参拝者用の駐車場あり。

 

 

「寂光山常照寺」位置図

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2011年8月21日/〈津屋崎の四季〉813・小雨の田んぼのゴイサギ幼鳥

2011-08-21 16:03:33 | 風物

 

 

写真:水田に舞い降りたゴイサギの幼鳥

=福津市末広で、2011年8月21日午前11時30分撮影

 

福津市津屋崎は21日、小雨が降ったり、やんだりの天気。末広の水田には、ゴイサギ(サギ科)の幼鳥=写真が舞い降りていました。

やや離れた水路のそばにも、別の個体が佇んでいます=写真②=。

 

写真②:水路のそばに佇むゴイサギの幼鳥

=福津市末広で、21日午前11時35分撮影

 

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〈催事〉0149:津屋崎の盆踊り

2011-08-16 09:18:42 | 行楽催事

 

写真浴衣姿の男女が輪になって踊る「津屋崎盆踊り大会」

     =福津市津屋崎4の「お魚センター」第一駐車場で、2011年8月15日午後8時15分撮影

津屋崎の素晴らしい芸能文化

哀調ある『博多柳町ぶし』の唄や囃子に合わせ

「津屋崎盆踊り大会」賑わう

 

8月15日午後7時から福津市津屋崎4丁目の「お魚センター」第一駐車場で津屋崎区のお盆供養があり、同8時から9時半まで盆踊り大会=写真①=が開かれました。

 盆踊り大会は、津屋崎盆踊り保存会と津屋崎区・区長会の主催。私も里帰りの孫娘・息子たちと、団扇を片手に甚兵衛姿で参加。太鼓、三味線の伴奏に乗り、哀調のある『博多柳町ぶし』の唄や、軽快な囃子言葉に合わせて、楽しく踊りしました。

 

屋崎の盆踊りは、『博多柳町ぶし』と『須磨の浦ぶし』という独特の哀調がある節回しの唄と、太鼓、三味線の伴奏に乗り、輪になって楽しく踊ります。私は07年に初参加し、津屋崎の素晴らしい芸能文化の一つだと体感しました。昔の盆踊りでは、思い思いに仮装して、網笠や風呂敷を被った踊り手が、笛や太鼓、三味線の伴奏に乗り、櫓の舞台で自慢ののどを披露する歌い手の唄に合わせて軽やかに踊ったそうです。

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2011年8月15日/〈津屋崎の四季〉812・農のある町並み

2011-08-15 08:00:27 | 風物

 

 

写真:住宅地の背後に広がる緑豊かな田園(向こうは在自山) 

=福津市在自で、2011年8月15日午前6時撮影

 

福津市津屋崎にある古風な趣のある町並み・〈津屋崎千軒〉は、南の玄界灘に面して福岡県内でも一級の海水浴場があるうえ、後背地に食糧供給基地の豊かな田園=写真が広がっているのが大きな魅力です。

在自の青田の真ん中を走る農道=写真②=では15日朝、すがすがしい空気を胸いっぱいに吸いながら散歩を楽しむ男女の姿が見られました。

 

写真②:市民の散歩コースにもなっている青田の中を走る農道

=福津市在自で、15日午前5時55分撮影

 

 末広の田んぼでは、黄色味を増した稲穂が重みで垂れています=写真③=。〝農のある暮らし〟をうかがえる自然環境のまちに住む幸せを感じます。

 

写真③:黄色味を増し重みで垂れた稲穂

=福津市末広で、15日午前6時25分撮影

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2011年8月14日/〈津屋崎の四季〉811・盆のそよ風

2011-08-14 07:26:00 | 風物

 

写真:電線に止まった2羽のツバメ

    =福津市宮司ケ丘で、2011年8月14日午前5時55分撮影

 

お盆の津屋崎に14日朝、そよ風が吹き渡っています。

福津市宮司ケ丘の住宅地では、電線に止まった2羽のツバメ=写真も羽繕いをしながら、涼しそう。

 こんな過ごしやすい天気だと、秋が近づいているのを実感します。時折、小雨がぱらついたあと、西の空には大きな虹が弧を描いていました。

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2011年8月13日/〈津屋崎の四季〉810・お盆入りの津屋崎

2011-08-13 07:19:53 | 風物

  

写真:夜明けの東の空に浮かぶ雲(向こう中央は対馬見山)

     =福津市末広で、2011年8月13日午前5時55分撮影

 

きょう13日は、「お盆」入り。福津市津屋崎では、夜明けの東の空に浮かぶ雲が秋めいたタイプに見えました=写真

 末広の田んぼで、稲穂をスズメたちから守る案山子=写真②=さんが、笠を被って残暑に耐えるのもあとしばらくのようですよ。

 

 

写真:笠を被って稲田に立つ案山子

     =福津市末広で、13日午前5時55分撮影

 

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