大正建築の卯建の町家・「鷹取純一邸」解体へ
7月16日の福津市・津屋崎祇園山笠終了後
写真①:母屋2階妻壁に袖型の卯建が建つ元坑木屋・「鷹取純一邸」
=福津市津屋崎三丁目17-11で、2023年7月12日撮影
福津市津屋崎三丁目17-11(旧裏町)の〈しおさい通り〉東側に面した卯建(うだつ)の建つ町家・「鷹取純一邸」=写真①=が、7月15日~16日開催の津屋崎祇園山笠終了後に解体されることが分かり、私が所属しているまちづくりボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」は12日、現地を視察しました。
〈津屋崎千軒〉の町並みには、江戸後期から明治に建てられた町家の妻壁に卯建の建つ家が6軒も残っています。卯建は、仕事などで成果が出せない人を「卯建が上がらない人」と言う語源(諸説あり)になったとされるほど、裕福な家でないと建てられませんでした。民家の妻に屋根より一段高く設けた小屋根つきの土壁で、家の格を示し、装飾と防火を兼ねています。「鏝絵」と同じように、今なお残る町並みは全国でも多くありません。「鷹取純一邸」は大正時代に建てられた木造瓦葺き2階建てで、鷹取家は元坑木屋でした。2009年4月18日(土)、19日(日)の2日間、〈津屋崎千軒〉通りかいわいで催された「津屋崎千軒 町家まつり」(「津屋崎地域郷づくり推進協議会」など主催)では、他の町家とともに公開され、観光客や市民が室内に案内されました。
「鷹取純一邸」母屋の卯建は、北向きの玄関のある2階妻の白壁の東側と西側に建てられ、西側の卯建は以前、西隣に倉庫を建て増して母屋と接続した際に撤去されたが、2010年1月に復元されました。建物の老朽化と一人暮らしで高齢の鷹取さんが施設に入られたことから、津屋崎祇園山笠の終了後まもなく、建物を解体されることになったという。解体業者の作業員が、12日も家屋内の建具搬出などの準備を進められていました。「海とまちなみの会」役員3人は、作業員の方から解体作業の進捗状況を聞き、建物の写真を撮影しました。卯建と鏝絵の町家ガイドは「海とまちなみの会」の津屋崎千軒案内でも観光客に好評で、津屋崎の建築技術や町並みの歴史、文化を伝える卯建の町家が姿を消すことは、残念です。