吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2006年08月31日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉002

2006-08-31 14:42:42 | 行楽催事
〈9月・10月の行楽・催事案内〉

●写真:頓宮へ下る金刀比羅神社秋季大祭(津屋崎放生会)の大名行列=福津市津屋崎天神町の新泉岳寺前で、2005年9月9日撮影


 *〈イーヤーウーヤー
   イーヤーウーヤー
   下にィー、下にィー。〉
  (吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』=新風舎刊=65㌻に収録の詩篇「津屋崎放生会」第7連から)


9月

9日(土)=金刀比羅神社秋季大祭(津屋崎放生会):福津市在自の同神社。筑紫路で最初の秋季大祭(放生会)です。今年は、例年午後11時ごろになる祭終了時間を繰り上げようと、五穀豊穣を祈願しての大名行列=写真=は〈お下り〉時刻を早めて午後2時に神社スタート。稲穂の揺れる田んぼ道2キロを練り歩き、同市津屋崎天神町にある頓宮(お仮屋)に同3時着の予定です。大名行列が神社へ戻る〈お上り〉は、頓宮を同4時スタート。問い合わせは、同神社の神職が居る同市西福間の「諏訪神社」(0940-42-0691)◆金刀比羅神社の交通アクセス=〔電車・バスで〕西鉄宮地岳線宮地岳駅下車、徒歩30分。JR鹿児島線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きで10分の「的岡」で下車、徒歩20分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約25分。駐車台数5台。頓宮は西鉄津屋崎駅下車、徒歩5分。

21日(木)=宮地嶽神社秋季大祭:福津市宮司の同神社、~23日(土)まで。例年21日に神輿、十二単姿の祭王らが進む荘厳な御神幸行列が行われていましたが、今年は23日正午からに変更。祭王は、歌手の神野美伽(しんの・みか)さんです。▽22日(金)午後8時から約3000発の「ねがいかなえ開運花火大会」を開催予定。問い合わせは、宮地嶽神社(0940-52-0016):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕西鉄宮地岳線宮地岳駅下車、徒歩10分。JR鹿児島線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きか、神湊波止場行きで約5分の「宮地岳宮前」で下車し、徒歩5分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約20分。駐車台数1200台。

10月

1日(日) =みあれ祭:宗像大社秋季大祭(田島放生会。3日まで)の幕開けを飾る〈海上神幸〉で、大漁船団の勇壮な海上パレード。宗像市・大島の中津宮にお迎えした「沖津宮」(沖ノ島)と「中津宮」の神様を乗せた「御座船」2隻に、宗像七浦の漁船約400隻が午前9時30分に大島港を出て、神湊港まで玄界灘約20㌔を約1時間巡行。神湊港で辺津宮(同市田島)の神様が出迎え、宗像三女神が集まって「頓宮」で祭典のあと、辺津宮まで陸上をパレードします。問い合わせは、宗像市田島の宗像大社0940-62-1311:◆交通アクセス:〔電車・バスで〕JR鹿児島線東郷駅下車、玄海交通バス神湊経由福間行きで10分、「宗像大社前」下車すぐ〔車で〕九州自動車道若宮インターから約20分、古賀インターから約25分。
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2006年8月30日〈津屋崎の野鳥〉005:ハクセキレイ

2006-08-30 09:10:42 | 福津市津屋崎の野鳥


●写真上:ハクセキレイ(セキレイ科)=福津市津屋崎的岡の新堤池で、06年8月22日午前6時15分撮影

●写真下:国道10号線「沖水橋」橋げたで横列に並んだハクセキレイ=宮崎県都城市の沖水川で、1974年1月撮影


 私の定点探鳥地にしている福津市津屋崎的岡の「新堤池」では、サギ類をはじめ、カワセミ(カワセミ科)、キジバト(ハト科)など様々な野鳥が姿を見せます。8月22日朝は、ハクセキレイが堤防のコンクリート護岸に脚を休めていました=写真上=。私のデジカメのシャッターを切る音を聞きつけると、「チチッ、チチッ」と鳴いて飛び去りました。

 体長約21㌢で尾が長く、体は白と黒のツートンカラー。白い顔に眼の両脇を横切る黒い過眼線があります。体長、体色ともよく似た仲間のセグロセキレイは、黒い顔に白い眉の形の斑紋があるので区別できます。

 ハクセキレイは冬季、大群で大きな橋の下や街路樹の大木などを塒にすることがあり、野鳥愛好家を驚かせます。私が読売新聞都城通信部記者だった1974年(昭和49年)1月、宮崎県都城市の沖水川(大淀川支流)に架かる国道10号線沖水橋の橋げたでも、越冬中の大群約400羽が列を作りました=写真下=。
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2006年08月29日/〈日記〉010・第2回「津屋崎千軒考え隊」に出席

2006-08-29 23:18:54 | 日記
●写真:町興しイベント「つやざき千軒よっちゃん祭」が催された津屋崎千軒通り=福津市津屋崎で、06年4月23日午後0時20分撮影

 津屋崎千軒通りの浮揚策を図る第2回「津屋崎千軒考え隊」会議が、29日午後7時から福津市津屋崎の市文化会館で開かれました。隊員として出席しましたが、活発な意見が相次ぎ、閉会したのは午後9時15分でした。

 会議では、特定非営利活動法人(NPO)地域交流センターの山口覚・主任研究員が、九州の歴史的な町並みを活かした地域活性化の事例をスライドで紹介。①江戸時代に千石船で木材を大阪へ搬出して栄えた「宮崎県日向市の美々津(みみつ)千軒」②城下町と昭和初期のレトロの町が残る「大分県臼杵市」③長崎街道筋の宿場町の建物が並ぶ「佐賀県鹿島市の肥前浜」――の活性化3事例に共通するキーワードは、風景や祭り、食べ物、酒、地元に残る逸話など「あるものを活かす」と、観光、地域づくりの拠点の「たまり場をつくる」の二つだ、とまとめました。

 このあと、出席した隊員の市民男女約20人が、津屋崎千軒で「守りたいもの・好きなもの」や「問題点・改善したい点」、「まちづくりとして取り組みたい事」を紙に記入して、発表。「問題点」では、「津屋崎千軒通りに食事の施設がない」「交通の案内情報がなく、町並みが観光客を受け入れないように見える」など、辛口の指摘もあり、相槌を打ちました。

 第3回「津屋崎千軒考え隊」は10月28日(土曜)午前10時に市津屋崎庁舎「301会議室」に集合、町並みの良さを再発見しようと午後4時までの予定で千軒通りをたっぷり歩きます。あなたも、参加しませんか。申し込みは、福津市企画政策課(℡0940・43・8115)へ。
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2006年8月29日〈エッセー〉002:幸せを運ぶ鳥

2006-08-29 15:30:38 | エッセー
●写真はカササギ:福津市津屋崎的岡(まとおか)の畑で、05年5月27日撮影=吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』口絵3ページにも掲載

・連載エッセー『一木一草』
第2回:2006.08.29
 幸せを運ぶ鳥

 秋篠宮妃紀子さまのご出産が、近づいたようです。ご懐妊が報道された折、赤ちゃんの入ったかごの柄を嘴にくわえて飛ぶコウノトリ(コウノトリ科)のイラストが新聞に載りました。ヨーロッパでは、コウノトリ(嘴の黒いニホンコウノトリの近縁種・シュバシコウ=朱嘴コウ=という嘴の赤いヨーロッパ産コウノトリことで、ドイツの国鳥)は、生まれる赤ちゃんを泉や池から連れて来る〝幸せを運ぶ鳥〟とされていますが、ドイツにはコウノトリが嘴にくわえて運ぶ赤ちゃんは悪い子との伝承があり、背中に良い子を乗せて飛ぶイラストにすべきだと指摘する声も聞かれます。

『完訳アンデルセン童話集 1』(岩波文庫、大畑末吉訳)に収録された童話「コウノトリ」には、まだ飛べないコウノトリの雛4羽が子どもたちに「突き殺される」などとからかわれる話が載っています。4羽は飛べるようになると、悪口の歌を真っ先に歌い出していた一番悪い子には死んだ小さな弟を、「動物をからかうのはよくないことだ」と言った良い男の子のペーターには小さい妹と弟をという具合に、子どもたちの家に赤ちゃんを届けて仕返しをしました。それで、コウノトリはみんなペーターという名前になり、今でも、そう呼ばれているのですよ――というのです。

 それはさておき、私には〝幸せを運ぶ鳥〟はカササギ(鵲、カラス科)=写真=のように思えます。体長44㌢とハトより大きく、九州北部の平野に生息する野鳥です。佐賀、福岡両県ではカチガラスとも呼ばれ、高木や電柱に営巣し、カチカチ、カチカチとよく通る声で鳴きます。実は、福岡県柳川市が全国公募した『平成15年度白秋祭献詩』で三席に入賞した私の詩篇名が「カチガラス」でした。同年(2003年)8月18日、妻と北原白秋の故郷・水郷柳川を訪ね、どんこ舟に乗って川下り観光をした際、頭上を飛ぶカササギの鳴き声を聞き、カササギを案内役に川下りを楽しむ様子を童謡詩風に詠った作品です。この入賞がなかったら、私の吉村青春第一詩集『鵲声―津屋崎センゲン』出版もなかったでしょう。白秋祭献詩の入賞者表彰式が同年11月2日、同市矢留本町の白秋詩碑苑で催された際も、樹木の梢から「カチカチ…」と鳴き声がしきりに響き、私を祝福してくれているようで胸が熱くなりました。

 学習研究社の『漢和大字典』では、鵲は「めでたい知らせを告げる鳥とされる」とし、その鳴き声「鵲声(じゃくせい)」は鵲語、鵲報ともいい、「よい事がおこる前兆とされる」としています。私にとっても入賞という幸運をもたらした「鵲声」を、感謝の気持ちも込めて記念すべき第一詩集のタイトルとしました。また、小学館の『故事・俗信 ことわざ大辞典』によると、「鵲巣(じやくそう)風の起こる所を知る」(『淮南子』)とは、カササギが、その年の風の具合を考えて巣を作ることから、未来を予知する能力のたとえ、だそうです。鳴き声が吉兆の前触れに加え、未来の予知能力も兼ね備えている鳥ということになります。さらに、妻の母校・佐賀県立佐賀西高校(佐賀市)の校章には、奇しくも3羽のカチガラスがあしらってあるというではないですか。かくて、私には、とりわけ親しみを感じるカササギが〝幸せを運び、祝福する鳥〟に思えてなりません。
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2006年08月28日/〈日記〉009・如宝寺に掲げられた〝自立の言葉〟

2006-08-28 17:51:24 | 日記


●写真上:山門脇の掲示板に書かれた言葉=如宝寺で、06年8月26日午前9時15分撮影

●写真下:如宝寺=山口県光市室積西ノ庄で、06年8月25日午後1時30分撮影



 岳父の墓参で25日、山口県光市室積(むろづみ)にある岳父家の菩提寺「如宝寺(にょほうじ)」(臨済宗)=写真下=を訪れた際、山門脇の掲示板に書かれた「人はだれでもその人にふさわしい役割、その人でなければならない仕事をめいめい一つは持っている」で始まる文章が印象に残りました。

 文章の続きは「だから自分は、だれにも劣るものではなく、だれに優るものでもない。それを知ったとき、人は自立する。」と結ばれていました。住職が白墨で書かれたのでしょうが、禅宗で悟りの境地などの宗教的内容を表現する漢詩の「偈(げ)」のような内容にも思えました。気になる言葉だったので26日朝、お別れの墓参で寺を再訪した際に全文=写真上=をカメラに収めました。

 如宝寺は、瀬戸内海を眺望できる室積西ノ庄の高台にあります。明治4年(1871年)、宝積院と如意寺を合併して誕生したそうで、両寺とも、弘法大師が開山したと伝えられる室積の千坊山(せんぼうざん)に昔あった真言宗の「妙相寺」(平安時代に焼失)の末寺で、室町期に再興され、当時大内氏の庇護で栄えました。如宝寺には、大内家伝来の能面を大内義隆が奉納したと伝えられる五面があるほか、妙相寺より宝積院へと伝わった不動明王を彫った空海の刻字入り、つまり弘法大師作と見られる版木があるそうです。
 
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2006年8月28日〈津屋崎の野鳥〉004:ゴイサギ幼鳥

2006-08-28 09:18:27 | 福津市津屋崎の野鳥
●写真はゴイサギ(サギ科)の幼鳥:福津市津屋崎新東区の新川で、06年8月27日午後5時37分撮影


 福津市津屋崎新東区の新川で8月27日夕、ゴイサギの幼鳥が魚やカエルを狙って水面を凝視しているのを見つけました=写真=。この日午後の雨で、川の水かさがいつもより増えているようですが、期待の獲物はやって来たでしょうか。

 ゴイサギは体長約57㌢。昼間は竹林やヨシ原で休み、主に夕方から夜間に活動する留鳥です。曇った日には昼間も池や川に飛来し、クワァッ、クワァッと鳴きます。成鳥は、背と頭が黒っぽい。腹部は白く、脚は黄色。成長の羽になるまで2年かかる幼鳥は「星五位(ほしごい)」と呼ばれ、成鳥とは別種のように見えるほど違います。羽毛は黄褐色で、腹部はずっと淡く褐色地に白い縦列の班紋がたくさんあるのが特徴です。
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2006年08月27日/〈日記〉008・海産物問屋

2006-08-27 21:55:08 | 日記


●写真上:風光明媚な室積の海岸遠景=山口県光市室積で、06年8月25日午後5時30分撮影

●写真下:海産物卸販売店「友松商店」=光市室積で、06年8月25日午後5時05分撮影

岳父の墓参のため25日、山口県光市室積(むろづみ)に細君とマイカーで旅行しました。海産物問屋で知られる「友松商店」=写真下=で、土産に干しエビとデビラ鰈、煮干しいりこを購入。店内には、海産物珍味から海藻類まで様々な商品が展示され、進物用に求める客が相次いで訪れており、私の古里・福津市津屋崎にも、こんな老舗でなくても品数豊富な海産物卸販売店があったらな、と思いました。

 光市は瀬戸内海に面した山口県東南部の小都市で、室積は江戸時代から明治にかけ北前船の寄港地で栄えた港町=写真上=。温暖な気候と豊かな自然環境に恵まれ、白砂青松の室積・虹ケ浜海岸や象鼻ケ岬など風光明媚な海岸部は瀬戸内海国立公園に指定されています。海産物が特産で、市民も砂浜では貝獲り、港の防波堤から魚釣りが楽しめ、津屋崎に似た環境です。
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2006年8月27日〈古文書に見る野鳥〉10止

2006-08-27 15:46:54 | エッセー
私の野鳥評論『古文書に見る野鳥』の冊子10回目=最終回=を紹介します。
27日に掲載した写真は、①18ページ「あとがき」②19ページ「蛇足」――の内容です。
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2006年8月25日〈古文書に見る野鳥〉09

2006-08-25 05:32:48 | エッセー
私の野鳥評論『古文書に見る野鳥』の冊子9回目を紹介します。
25日に掲載した写真は、①16ページ「主な参考文献」②17ページ「付録」都城地方の野鳥の方言――の内容です。
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2006年8月24日〈津屋崎学〉001:地名「津屋崎」の謂われ

2006-08-24 18:46:58 | 郷土史
●写真は一説に地名「津屋崎」の由来となった〈河原崎〉の地とされる国道495号線宮ノ元交差点付近=06年8月22日午後1時35分撮影

・琢二と清の郷土史談義
『津屋崎学』
 
 この連載は、津屋崎に生まれ育った郷土史家・津崎琢二(つざき・たくじ)と、甥の大学生清(きよし)の対話で書き進めます。

第1回:2006.08.24
 地名「津屋崎」の謂われ

清  「こんにちは。叔父さん、元気?」
琢二 「おお、元気たい。夏休みで帰って来たか。東京での1年目の大学生暮らしはどうや」
清  「東京は空気が汚れていて、息苦しいよ。春は花粉症も出て、大変やった」
琢二 「そりゃ、気の毒だったな。友達はできたか」
清  「中尊寺で有名な岩手県平泉町から入学した安倍義彦という男と親しくなったよ」
琢二 「ほう、平安時代末期に、あの奥州藤原氏で栄えた平泉町の出身か」
清  「それで、安倍にお前の生まれた福岡県の津屋崎とはどんな町か、と聞かれて弱ったよ。津屋崎の謂われも知らんし……」
琢二 「なんや、情けないな。江戸時代の福岡藩の国学者・青柳種信(あおやぎ・たねのぶ)が編集責任者となった『筑前国続風土記拾遺(ちくぜんのくにぞくふどきしゅうい)』には、〈この村を津屋崎というは、昔、産土神の鎮座時、村の西方河原崎という所に堂を建て、村民たち多く集いて通夜せしより、此所を通夜崎という、遂に村名になるといえり〉とある。津屋崎村が町制を施行したのは明治30年、つまり1897年のことや」
清  「へー、そうなんだ」
琢二 「産土神というのは、津屋崎古小路にある波折神社のことで、河原崎は今の津屋崎郵便局前の国道495号線と福津市役所津屋崎庁舎前の〈つばき通り〉が交差する宮ノ元交差点付近のことだな。もっとも、津屋崎の由来については、『波折神社縁起』によれば神功(じんぐう)皇后が河原崎で杖をさされた辺りを〝杖さし〟と言い、それが〝津恵崎〟、後世に〝津屋崎〟と称するようになったとする伝説などが語源とも伝えられる。このほか、平成13年に東京堂出版が再版した『市町村名語源辞典』改訂版では〈ツエ(崩壊地形)・サキ(崎)の転で『断崖の岬』のことか〉と見る説もあるよ」
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