写真①:和名のラベル付きで貝を展示している「〝貝寄せの浜〟・津屋崎の貝がら展」
=福津市津屋崎3丁目の「貝寄せ館」で、2012年4月3日撮影
貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語 13
:貝類解説
サクラガイからアオイガイ、ツメタガイまで
「〝貝寄せの浜〟・津屋崎の貝がら展」
――4月30日まで「貝寄せ館」で展示しています
福津市津屋崎3丁目の「海とまちなみの会」の事務所・「貝寄せ館」(入館無料)では、4月30日まで特別展示中の「〝貝寄せの浜〟・津屋崎の貝がら展」=写真①=を観覧されるお客様と、津屋崎の貝談義が弾んでいます。地元天神町から新屋敷、東町、宮司浜、在自と旧津屋崎町在住の人たちからは、幼いころ海岸で採った貝の食べ方や、どこの浜に何という貝がたくさんいたなどの情報交換、はたまた方言名と和名の違いまで質問が出ます。そんなわけで、きょうは展示している貝類の解説をまとめました。
サクラガイやカバザクラガイ、モモハナガイ、ベニガイ=写真②=は、津屋崎の海岸で冬から春にかけて拾える貝です。
写真②:上からサクラガイやカバザクラガイ、モモハナガイ、ベニガイ
アオイガイ(葵貝)=写真③=は暖海にすみ、別名カイダコ。雌=写真④=は、先が広くなった一対の腕からの分泌物で作られ、卵の保育器に使う白い舟形をしたプラスチックのような貝殻を持つ。卵がすべて孵(かえ)ると雌は死に、殻は捨てられます。この殻は冬、海岸に漂着し、津屋崎の漁師の話では「子宝貝」とも呼ばれ、縁起の良い貝とされています。
写真③:アオイガイ
写真④:アオイガイの雌と貝殻と卵
キシャゴは、ビナ、またはチシャゴという方言名で津屋崎の人になじみのある大豆粒くらいのかわいい巻貝です。昔は貝掻(か)きで砂を掻くと、約1時間で石メゴ(籠)一杯採れました。湯がいて醤油、コショウ(赤唐辛子)で味付けし、木綿針で身を取り出して食べます。ズズは、3㌢くらいの細長い巻貝。干潮の時、内海の岩の上にいるのをバレン(熊手)で集めた。ズズーッと啜って食べることから「ズズ」と呼ばれました。イボがないズズ(ウミニナ)より、イボがあるズズ(イボウミニナ)の方がおいしい=写真⑤=。
写真⑤:上がビナ(キサゴ)、下がズズ(ウミニナやイボウミニナ)
イタヤガイ=写真⑥=は、柄を付けて杓子(しゃくし)にしたので、「杓子貝」ともいわれます。
写真⑥:「杓子貝」ともいわれるイタヤガイ
ツキヒガイ(月日貝)=写真⑦=は二枚貝で、片方が臙脂色(えんじいろ)、もう一方が
黄色で縁取られた白色をし、直径約10㌢の円い形をしているため、お皿として使われました。
写真⑦:片方が臙脂色、もう一方が白色をしたツキヒガイ
ナミセンガイ=写真⑧=またはナミアソビガイは灰紫色の小さな三角形の二枚貝で、正式な和名はナミノコガイです。「白石浜」では、満ち潮に乗っては岸辺の方へ、引き潮に乗っては沖の方へと波とともに移動、波が去ると一斉に貝を突き立て、慌てて砂に潜ろうとするかわいい姿も見られたという。徳富蘆花の小説「不如帰」の主人公浪子は、この貝の名前から付けられました。
写真⑧:灰紫色の小さな三角形の二枚貝・ナミセンガイ
ウマンツメ=写真⑨=は、二枚貝。砂上に馬蹄形の呼吸穴を残して潜っているので、「馬の爪」が訛ってウマンツメと呼ばれています。
写真⑨:砂上に馬蹄形の呼吸穴を残して潜っているウマンツメ
テングニシ=写真⑩=は、巻貝です。その卵嚢(らんのう)が海酸漿(うみほおずき)=写真⑪=で、昔は津屋崎橋の橋脚や内海でも見られました。昭和30年代ごろまでは、木切れについた海酸漿が鮮魚店等で売られていたという。酸漿にして口に含むと、妙に磯臭い感じです。
写真⑩:巻貝のテングニシ
写真⑪:テングニシの卵嚢・「海酸漿」
ツメタガイ=写真⑫=は、砂浜でたくさんみかける半球形で薄茶色の巻貝。外套膜(身体)を広げて他の貝に覆い被さり、唾液腺から強酸を分泌して毛糸針で開けたくらいの穴をあけ、この穴に吻(ふん=唇)を入れて中身を食べます。足の前部は鋤(すき)のようになり、その足で砂の中をブルドーザーのように進むため、〝海のギャング〟とも言われるという。食べられるが、硬い肉質です。
写真⑫:〝海のギャング〟とも言われるツメタガイ
以上は、北ノ一にお住まいの大賀康子氏寄稿の『たかが貝 されど貝――貝に誘われて――』、『たかが貝 されど貝Ⅱ――歴史の狭間で――』から引用、「貝寄せ館」のお客様解説用にまとめさせていただきました。詳しい解説を依頼された団体のお客様から見学予約があった場合は、大賀さんにご登場いただくしかありません――そう思っていたら22日午後、康子さんが夫の孝男さんと来館されました。お二人は、佐治徳左衛門が福岡藩主に献上した津屋崎浦の21種の貝と同じ貝を津屋崎で採集され、津屋崎の貝事情にお詳しく、「海とまちなみの会」会員らの質問にも笑顔で答えられていました。