吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2012年4月30日/〈津屋崎の四季〉909:山紫水明の春

2012-04-30 10:00:31 | 風物

 

写真①:雨上がりの里山・対馬見山(中央)や在自山(右端)

    =福津市末広で、2012年4月30日午前8時45分撮影
                                                                                                                                                                                                  
 万緑の里山と澄んだ水辺のある景色、好きです津屋崎――。

 4月30日朝、福津市津屋崎は雨上がりの里山・対馬見山(標高243㍍)や在自山(標高235㍍)の山並みが、いつもよりくっきりと見えました=写真①=。湯上がりの女性のうなじのように、しっとりとした美しさです。

 末広の水田の畦では、夏の使者・アマサギ(サギ科)が首を伸ばしていました=写真②=。渡来した仲間も、10数羽に増えています。

 

写真②:水田の畦で首を伸ばす夏鳥・アマサギ

     =福津市末広で、30日午前8時55分撮影

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年4月29日/〈日記〉481・旧「津屋崎駅」跡地に住宅建設

2012-04-29 16:05:59 | 日記

 

写真①:旧「西鉄宮地岳線」津屋崎駅跡地で始まった宅地造成工事(向こうが国道495号線)

      =福津市津屋崎1丁目で、2012年4月29日撮影

旧「西鉄宮地岳線」津屋崎駅跡地でも宅地造成進む

津屋崎駅延長記念碑のすぐ東側敷地

  2月28日掲載の〈日記〉458「宮地岳線の跡地利用」で、福津市宮司5丁目では民間に売却された旧「西鉄宮地岳線」跡地で宅地造成工事が始まっているのを紹介しましたが、今度は同市津屋崎1丁目の同線「津屋崎駅」跡地でも宅地造成工事が始まりました=写真①=。

 古里・福津市津屋崎に乗り入れていた旧「西鉄宮地岳線」(福岡市東区貝塚―津屋崎間、20.0㌔)のうち新宮(福岡県新宮町)-津屋崎駅間9.9㌔は、平成19年(2007年)3月31日限りで廃止。津屋崎駅は、旧津屋崎町時代の昭和26年(1951年)7月1日、「宮地岳駅」から1駅延長されて誕生、全町で祝う〝津屋崎どんたく〟が催され、津屋崎小1年生だった私も、天神町どんたくパレード隊の〈紳士ダンス・チーム〉の一員としてラインダンスを披露した記憶が昨日のことように脳裏に蘇ってきます。

 「津屋崎駅」跡地での宅地造成工事は、福岡市東区唐原にある株式会社が事業主となり、「西鉄宮地岳線」津屋崎駅延長記念碑=写真②=のすぐ東側の敷地約2,991平方㍍を対象に、4月から6月16日までの予定で宅地造成を進めています。工事現場近くの人の話によると、17戸の宅地になるという。

 

写真②:造成工事が進む「西鉄宮地岳線」津屋崎駅延長記念碑(右端)の東側敷地

      =29日撮影

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年4月28日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉018:「芹野酒店」の古い団扇

2012-04-28 05:15:04 | 「貝寄せ館」物語

 

写真①:着物姿の嵯峨三智子が表を飾る「芹野酒店」の古い団扇

  

貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語 18

:「芹野酒店」の古い団扇

 

嵯峨三智子が表を飾る

:「芹野酒店」の古い団扇

――「海とまちなみの会」

 福津市津屋崎3丁目にある「麦屋惣平衛邸」当主麦野裕(ゆたか)さん(千葉県在住。「海とまちなみの会」会員)から同会事務所・「貝寄せ館」に寄贈された〈津屋崎千軒〉の商店の古い団扇9枚のうち、新町の「芹野酒店」の団扇の表は、女優の嵯峨三智子が清酒やビールが並ぶ店頭に立ち、左手に焼酎瓶を持って着物姿でほほえんでいます=写真①=。

 嵯峨三智子は女優山田五十鈴の娘で、昭和27年(1952年)に東映女優嵯峨美智子(後に三智子と改名)としてデビュー。同31年(56年)に松竹に移籍、妖艶な演技で人気女優となりました。俳優の岡田眞澄と婚約、後に解消し、平成4年(92年)に57歳で他界しました。

 美しく、レトロな色調が魅力の団扇の裏には「芹野酒店 津屋崎新町 電話一三六番」と書かれています。同店2代目経営者の芹野國康さんの時代に作られた団扇のようです。3代目でデザイン会社「ブローテ」を経営している義則さんは「芹野酒店時代のこんなきれいな団扇は、初めて見た」と感動して写真を撮り、初代経営者の芹野桂蔵(けいぞう)は「芹桂(せりけい)」の屋号で新聞屋と呉服屋を営業、戦後に酒屋に転じたと話されていました。

 義則さんは、木造で老朽化していた「芹野酒店」の建物を解体、跡地に建てられた「ブローテ」新店舗(木造2階延べ170平方㍍)がほぼ完成しています=写真②=。現代美術作家の直子夫人とデザインや建築様式を検討して建てられ、斬新な白亜の建築物として関係者に注目されています。

写真②:「芹野酒店」跡の敷地に建て替えられた「ブローテ」新店舗

     =福津市津屋崎新町で、2012年4月27日撮影

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年4月27日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉017:「河崎政一商店」の古い団扇

2012-04-27 11:39:14 | 「貝寄せ館」物語

 

写真①:大黒(左)と恵比須が表を飾る「河崎政一商店」の古い団扇

 

 貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語 17

 :「河崎政一商店」の古い団扇

 

取り壊されて今は無いお米屋さん

「河崎政一商店」の古い団扇

――「海とまちなみの会」

 福津市津屋崎3丁目にある「麦屋惣平衛邸」当主麦野裕(ゆたか)さん(千葉県在住。「海とまちなみの会」会員)から同会事務所・「貝寄せ館」に寄贈された〈津屋崎千軒〉の商店の古い団扇9枚のうち、沖町にあった米穀店・「河崎政一商店」の団扇の表を飾っているのは、山盛りの米が入れられた枡を前にした立ち姿の大黒(左)と恵比須です=写真①=。

 財福と開運出世の神・大黒は大きな白い袋を右肩に担ぎ、商売繁盛の神・恵比須は豊かに稔った黄金色の稲穂を背景にして両手に米俵を抱えています。笑顔で福耳の大黒と恵比須が、商売繁盛を寿いでいる感じで、美しくも懐かしいレトロな色調が魅力です。

 団扇の裏には「毎度有難う御座居ます 米穀 雑穀 麺類 飼料・販売 河崎政一商店 津屋崎沖町」と書かれています。

 「河崎政一商店」は、江戸の風情を見せる土壁漆喰塗りの二階建て町家=写真②=でしたが、建物の老朽化とシロアリ被害のため、福津市外に住む所有者の方が平成20年(2008年)に取り壊されました=写真③=。

 

 写真②:江戸の風情を見せる土壁漆喰塗りの二階建てだった旧「河崎政一商店」

      =福津市津屋崎沖町で、2007年1月27日撮影(吉村青春著『津屋崎学』から)

   

 写真③:取り壊される旧「河崎政一商店」

      =福津市津屋崎沖町で、2008年10月4日撮影(吉村青春著『津屋崎学』から)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈催事〉0183:「宮地嶽神社」のボタン見ごろ

2012-04-27 02:48:46 | 行楽催事

  

写真①:見ごろになった赤いボタンの花
      =福津市宮司元町の「宮地嶽神社」・「民家村自然広苑」で、2012年4月26日午後3時5分撮影

「民家村自然広苑」のボタン園
赤や黄色、ピンクの花が見ごろに
――福津市の「宮地嶽神社」境内  
                                                                                                  

 福津市宮司元町の「宮地嶽神社」境内にある「民家村自然広苑」・ボタン園で、赤=写真①=や黄色=写真②=、ピンクなどのボタン(ボタン科)の花が見ごろになっています。

 

 写真②:上品な黄色のボタンの花
      =「宮地嶽神社」・「民家村自然広苑」で、26日午後3時5分撮影

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年4月26日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉016:「あらじ屋商店」の古い団扇

2012-04-26 11:20:27 | 「貝寄せ館」物語

  

写真①:女性の写真が表を飾る「あらじ屋商店」の古い団扇

  

貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語 16

 :「あらじ屋商店」の古い団扇

 

表を飾った女優はだれ?

「あらじ屋商店」の古い団扇

――「海とまちなみの会」

 福津市津屋崎3丁目にある「麦屋惣平衛邸」当主麦野裕(ゆたか)さん(千葉県在住。「海とまちなみの会」会員)から同会事務所・「貝寄せ館」に寄贈された〈津屋崎千軒〉の商店の古い団扇9枚のうち、同館前にあった青果・食料品店・「あらじ屋商店」の団扇=写真①=の表を飾っている女優の名前も分りません。ご存じの方、教えて下さい。

 9枚の団扇は、美しく懐かしいレトロな色調が魅力です。1枚寄贈された「あらじ屋商店」の団扇は、八百屋さんらしく、牛が耕す野菜畑と屋外で放し飼いの鶏が餌をついばむ姿を背景に、清潔感あふれる若い女性がトマトやカボチャなどの野菜と果物がぎっしり入った竹かごを手にほほえんでいる写真が表を飾っています。たぶん、女優さんでしょう。 

 団扇の裏には「毎度有難う御座います 青果 食料品 あらじ屋商店 電話六三番」と書かれています。

  「あらじ屋商店」は、福津市津屋崎の在自(あらじ)出身の上妻幸次郎さんが、昭和元年ごろ営業を始め、あらじを入れて屋号にしたという。2代目の利雄さん(80)は「天神町にスーパーのユーマートも開店していた平成元年に店じまいしたが、こんな団扇は初めて見た」と26日、笑顔で話されました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年4月25日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉015:バカガイ

2012-04-25 04:20:04 | 「貝寄せ館」物語

  

写真①:アオヤギの別名付きラベルが貼られているバカガイ

    =福津市津屋崎3丁目の「貝寄せ館」で、2012年4月24日撮影

 

貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語 15

 :バカガイ

 

〝貝寄せの浜〟・津屋崎の貝がら展」観覧者からの情報

バカガイが今、宮司浜で採れていますよ

――「貝寄せ館」

  「海とまちなみの会」の事務所・「貝寄せ館」(入館無料)には、来館される方たちから〝貝寄せの浜〟・津屋崎海岸の貝にまつわる様々な情報が次々と寄せられます。

 4月30日まで特別展示中の「〝貝寄せの浜〟・津屋崎の貝がら展」を観覧された宮司浜に住む年配女性からは、「今、宮司浜にはバカガイがよう採れていますよ」と耳よりな情報がもたらされました。それを聞いた、別の若い女性からは「なんでバカガイと言う名前なんですか」と、ボランティアガイドの私に質問の矢が飛んできます。

 私は、展示されているバカガイ=写真①=を指差しながら「一説では、馬鹿のようにたくさん採れたことからバカガイと呼ばれているそうです。このラベルに書かれているように、昔、集めて出荷する場所だった千葉県市原市の地名・青柳から付けられた〈アオヤギ〉という別名もあります」と説明。すかさず、かの女性から「食べられるの?」と飛んできた二の矢の質問には、「海とまちなみの会」長老ガイトの津崎米夫さんが「食べられる。おいしいよ」と答えてくれました。

 「バカガイ」と付けられた名前は貝には気の毒ですが、寿司ネタでは「アオヤギ」の名でおなじみ。長さ10㌢ほどに生長する殻は丸みのあるハマグリ形で、薄く壊れやすい。 

 館内には、津屋崎で採れる約80種類の貝を展示し、貝類に詳しい大賀康子会員(津屋崎北ノ一)にラベルで和名=写真②=を貼ってもらっていますが、このラベルにない二枚貝を24日昼過ぎ、ガイド仲間の有吉敏高会員が津屋崎浜で拾って来て見比べましたが、和名が分りませんでした。多忙な大賀会員にいちいちお越しいただくわけにもいかず、貝類図鑑を館内に備えたいなと思いました。

 

写真②:和名をラベルに貼って展示されている津屋崎産貝類

     =「貝寄せ館」で、4月3日撮影

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年4月24日/〈福間・町歩き〉011・「熊野神社」の朸

2012-04-24 17:35:52 | 福間・町歩き

写真①:樹齢8百年を超える朸の木

     =福津市手光で、2012年4月16日午前10時10分撮影

 

〈福間・町歩きスポット〉 11 

 :熊野神社の朸

 福津市手光の「熊野神社」境内にある朸(おうご)=写真①=は、推定樹齢約800年です。「御神木」と書かれた立て札が、参道入り口の石段の脇にあります=写真②=。

 

写真②:参道入り口石段の脇にある「御神木」の立て札  

     =16日午前10時10分撮影

 朸とは、ナギ(マキ科)のことです。常緑高木の針葉樹で、高さ20㍍に生長。床柱や庭園樹に使われます。樹皮はなめらかな黒紫色で、老木になるとうろこ状にはげ、はげた跡の色は褐色になります。葉は長楕円形で竹の葉のように平行脈を有し、引っ張ってもなかなか切れない強靭なもので、力柴の別名もあります。

  神社参道石段を上がった境内に、拝殿=写真③=が建っていました。

 

写真③:「熊野神社」拝殿

     =16日午前10時10分撮影

 「熊野神社」」(福津市手光)◆交通アクセス:〔バスで〕西鉄バス「通り堂」バス停から徒歩20分。「駐車場」なし。近くの「冠(かむり)公民館」駐車場に駐車、徒歩5分。

 

 「熊野神社」位置図

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年4月23日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉014:「大賀商店」の古い団扇

2012-04-23 18:12:05 | 「貝寄せ館」物語

 

写真①:女優香川京子似の女性の写真が表を飾る「大賀商店」の古い団扇

  

貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語 14

 :「大賀商店」の古い団扇

 

表を飾った女優はだれでしょう?

「大賀商店」の古い団扇

――「海とまちなみの会」

 福津市津屋崎3丁目にある卯建の建つ町家・「麦屋惣平衛邸」当主麦野裕(ゆたか)さん(千葉県在住。「海とまちなみの会」会員)から同会事務所・「貝寄せ館」に寄贈された〈津屋崎千軒〉の商店の古い団扇9枚のうち、同市津屋崎4丁目(旧新町)にある「大賀商店」(大賀正敏さん経営)の団扇=写真①=の表を飾っている女優の名前が分りません。どなたか、ご存じの方教えて下さい。

 9枚の団扇は、美しく懐かしいレトロな色調が魅力です。1枚寄贈された「大賀商店」団扇は、浴衣姿の若い女性が滝の前で団扇を手にほほえんでいる写真が表を飾っています。女優の香川京子でしょうか。裏には「暑中御伺い申し上げます 津屋崎新町 大賀商店 履物 化粧品 板ガラス 大工道具 電話  番」と書かれています。

 大賀正敏さんは「祖父の時代に営業を始めたが、こんな団扇は初めて見た」と話し、喜んでおられました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012年4月22日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉013:貝類解説

2012-04-22 18:55:32 | 「貝寄せ館」物語

 

写真①:和名のラベル付きで貝を展示している「〝貝寄せの浜〟・津屋崎の貝がら展」

      =福津市津屋崎3丁目の「貝寄せ館」で、2012年4月3日撮影

 

 貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語 13

 :貝類解説

 

サクラガイからアオイガイ、ツメタガイまで

〝貝寄せの浜〟・津屋崎の貝がら展」

――4月30日まで「貝寄せ館」で展示しています

 福津市津屋崎3丁目の「海とまちなみの会」の事務所・「貝寄せ館」(入館無料)では、4月30日まで特別展示中の「〝貝寄せの浜〟・津屋崎の貝がら展」=写真①=を観覧されるお客様と、津屋崎の貝談義が弾んでいます。地元天神町から新屋敷、東町、宮司浜、在自と旧津屋崎町在住の人たちからは、幼いころ海岸で採った貝の食べ方や、どこの浜に何という貝がたくさんいたなどの情報交換、はたまた方言名と和名の違いまで質問が出ます。そんなわけで、きょうは展示している貝類の解説をまとめました。

 サクラガイやカバザクラガイ、モモハナガイ、ベニガイ=写真②=は、津屋崎の海岸で冬から春にかけて拾える貝です。

  

 写真②:上からサクラガイやカバザクラガイ、モモハナガイ、ベニガイ

  アオイガイ(葵貝)=写真③=は暖海にすみ、別名カイダコ。雌=写真④=は、先が広くなった一対の腕からの分泌物で作られ、卵の保育器に使う白い舟形をしたプラスチックのような貝殻を持つ。卵がすべて孵(かえ)ると雌は死に、殻は捨てられます。この殻は冬、海岸に漂着し、津屋崎の漁師の話では「子宝貝」とも呼ばれ、縁起の良い貝とされています。

 

 写真③:アオイガイ

 

 写真④:アオイガイの雌と貝殻と卵

 キシャゴは、ビナ、またはチシャゴという方言名で津屋崎の人になじみのある大豆粒くらいのかわいい巻貝です。昔は貝掻(か)きで砂を掻くと、約1時間で石メゴ(籠)一杯採れました。湯がいて醤油、コショウ(赤唐辛子)で味付けし、木綿針で身を取り出して食べます。ズズは、3㌢くらいの細長い巻貝。干潮の時、内海の岩の上にいるのをバレン(熊手)で集めた。ズズーッと啜って食べることから「ズズ」と呼ばれました。イボがないズズ(ウミニナ)より、イボがあるズズ(イボウミニナ)の方がおいしい=写真⑤=。

  

 写真⑤:上がビナ(キサゴ)、下がズズ(ウミニナやイボウミニナ)

  イタヤガイ=写真⑥=は、柄を付けて杓子(しゃくし)にしたので、「杓子貝」ともいわれます。

 

写真⑥:「杓子貝」ともいわれるイタヤガイ

  ツキヒガイ(月日貝)=写真⑦=は二枚貝で、片方が臙脂色(えんじいろ)、もう一方が

黄色で縁取られた白色をし、直径約10㌢の円い形をしているため、お皿として使われました。

 

写真⑦:片方が臙脂色、もう一方が白色をしたツキヒガイ

 ナミセンガイ=写真⑧=またはナミアソビガイは灰紫色の小さな三角形の二枚貝で、正式な和名はナミノコガイです。「白石浜」では、満ち潮に乗っては岸辺の方へ、引き潮に乗っては沖の方へと波とともに移動、波が去ると一斉に貝を突き立て、慌てて砂に潜ろうとするかわいい姿も見られたという。徳富蘆花の小説「不如帰」の主人公浪子は、この貝の名前から付けられました。

 

写真⑧:灰紫色の小さな三角形の二枚貝・ナミセンガイ

  ウマンツメ=写真⑨=は、二枚貝。砂上に馬蹄形の呼吸穴を残して潜っているので、「馬の爪」が訛ってウマンツメと呼ばれています。

 

 写真⑨:砂上に馬蹄形の呼吸穴を残して潜っているウマンツメ

 テングニシ=写真⑩=は、巻貝です。その卵嚢(らんのう)が海酸漿(うみほおずき)=写真⑪=で、昔は津屋崎橋の橋脚や内海でも見られました。昭和30年代ごろまでは、木切れについた海酸漿が鮮魚店等で売られていたという。酸漿にして口に含むと、妙に磯臭い感じです。

  

 写真⑩:巻貝のテングニシ

 

 写真⑪:テングニシの卵嚢・「海酸漿」

 ツメタガイ=写真⑫=は、砂浜でたくさんみかける半球形で薄茶色の巻貝。外套膜(身体)を広げて他の貝に覆い被さり、唾液腺から強酸を分泌して毛糸針で開けたくらいの穴をあけ、この穴に吻(ふん=唇)を入れて中身を食べます。足の前部は鋤(すき)のようになり、その足で砂の中をブルドーザーのように進むため、〝海のギャング〟とも言われるという。食べられるが、硬い肉質です。

 

写真⑫:〝海のギャング〟とも言われるツメタガイ

  以上は、北ノ一にお住まいの大賀康子氏寄稿の『たかが貝 されど貝――貝に誘われて――』、『たかが貝 されど貝Ⅱ――歴史の狭間で――』から引用、「貝寄せ館」のお客様解説用にまとめさせていただきました。詳しい解説を依頼された団体のお客様から見学予約があった場合は、大賀さんにご登場いただくしかありません――そう思っていたら22日午後、康子さんが夫の孝男さんと来館されました。お二人は、佐治徳左衛門が福岡藩主に献上した津屋崎浦の21種の貝と同じ貝を津屋崎で採集され、津屋崎の貝事情にお詳しく、「海とまちなみの会」会員らの質問にも笑顔で答えられていました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする