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吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2011年7月4日/〈イタリア・町歩き〉020・旅の終わりに

2011-07-04 06:51:28 | イタリア・町歩き

写真①:フィウミチーノ空港の搭乗便出発窓口
      =フィウミチーノ市で、2011年5月27日午前9時30分撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 20
 
:旅の終わりに

 イタリア周遊ツアーも、5月27日朝、ローマ市のホテルをバスで出発、ローマ市外のあるフィウミチーノ空港(別称ローマ・レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港)=写真①=から帰国の途へ――。偉大な芸術家レオナルド・ダ・ヴィンチにちなむ別称の空港から、イタリアを離れるのはルネサンス芸術の国を堪能できた旅にふさわしいものでした。

 キャセイパシフィック航空の飛行機に搭乗し、翌28日朝、中華人民共和国香港特別行政区にある「香港国際空港」に到着。福岡行きの航空機に乗り換えるため、同空港ロビーでなんと約5時間待ちの空き時間を得ました。広いターミナル通路の一角には、京劇のP R看板=写真②=もあり、中国に返還された空港だと改めて感じます。


写真②:通路わきに掲示された京劇のP R看板
     =「香港国際空港」で、5月28日午前7時40分撮影

 各航空会社の離発着便のダイヤを知らせる電光掲示=写真③=が、刻々と搭乗時刻や予定便の変更情報などを知らせています。


写真③: 各航空会社の離発着便のダイヤを知らせる電光掲示
     =「香港国際空港」で、5月28日午前9時40分撮影

 身障者や高齢者を乗せた運搬移動車=写真④=が、往来する姿もよく見られました。それにしても、広い空港です。私がまだ51歳だった平成8年(1996年)、イギリスから中国へ返還前の香港へ家族4人で海外旅行した際は、香港の中心地に近い九龍にあった敷地の狭い「啓徳空港」に降り立ちました。この老朽化した空港に変わるアジアのハブ空港として、1998年に香港市街から約25㌔離れた2つの島をつなげた用地にオープンしたのが「香港国際空港」です。


写真④:身障者や高齢者を乗せた運搬移動車
     =「香港国際空港」で、5月28日午前7時35分撮影

 ターミナル内には、多くのレストランやカフェ、エルメス、ダンヒルなどの高級ブランド店もあり、乗り継ぎで長時間待機させられる搭乗客が食事や買い物などを楽しめるようになっています。24時間空港のため、一部のラウンジやレストランや物販店は深夜も営業していました。動く歩道のそばには、環境保護・リサイクル社会の建設を呼び掛けるゴミ箱=写真⑤=が配置されています。「香港国際空港」は、大きくてきれいな空港という好印象を持ちました。


写真⑤:環境保護・リサイクル社会の建設を呼び掛けるゴミ箱
     =「香港国際空港」で、5月28日午前9時50分撮影

 帰国して思ったことは、日本はハブ空港化が中国や韓国に遅れているということでした。「香港国際空港」は立派なハブ空港として機能しています。韓国でも、ソウルの「仁川国際空港」がハブ空港として各国へ直行便が出ているようです。香港や仁川の国際空港で乗り換えせずに、近い将来、ハブ空港として新設された新福岡国際空港から直行便でイタリアやドイツ、イギリスへフライトできる日が待たれます。  (おわり)
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2011年7月2日/〈イタリア・町歩き〉018・まちづくりのヒント

2011-07-02 05:25:18 | イタリア・町歩き

写真①:観光客で賑わう「ドゥオモ広場」
      =ミラノ市で、2011年5月22日午前10時55分撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 18

:まちづくりのヒント

 イタリアの都市に特徴的なのは、街の中心に「広場」があることです。彫刻や噴水が設けられ、周囲には市役所や美術館など公共の建物のほか、洗練されたブランドショップやカフェが集まっています。5月22日に訪ねたミラノ市の「大聖堂(ドゥオモ)」前にある「ドゥオモ広場」=写真①=も、その一つ。

 観光スポットに接して、モードや食が楽しめ、伝統ある歴史と流行、ショッピングが共存できる人を惹きつけるスペースとなっています。都市計画、まちづくりの視点をどこに置くべきか、大きなヒントになりそうです。日本では、直線的な通りに面して店舗が並ぶ市街地が多すぎます。

 イタリアでは、街のシンボルとなる「広場」に、優れた彫刻群が置かれているのに目を奪われます。フィレンツエ市では、かつてフィレンツエの領土を支配したメディチ家が使った「シニョーリア広場」に面した「ロッジア・ディ・ランツィ(ランツィの回廊)」に、メディチ家の宮廷彫刻家・ジャンボローニャ作の彫像「サビニ女の掠奪」=写真②=があります。古代ローマの伝説で、ローマを建国した男たちが近くに住んでいたサビニ人の女性たちを妻にしようと略奪する場面を描いた作品です。今は、市民や観光客の憩いの場であるこの広場の隅に、ローマ建国の挿話をアートで物語らせる文化的装置の妙を感じます。


写真②:ジャンボローニャ作の彫像「サビニ女の掠奪」
     =フィレンツエ市で、5月24日午前11時40分撮影

 「シニョーリア広場」には、大理石とブロンズ製の噴水「ネプチューンの泉」=写真③=があります。メディチ家が、建築家で彫刻家のバルトロメオ・アンマナーティに16世紀に制作させたもので、海神・「ネプチューン像」は大きな彫刻で、迫力があります。こんな彫像があれば、観光客の記念撮影にもってこいのスポットになるでしょう。


写真③:ネプチューン像(中央)と泉水を取り巻く泉の精
     =「シニョーリア広場・ネプチューンの泉」で、5月24日午後2時20分撮影

 ヴァチカン市国では、「ヴァチカン美術館」出口の上部にミケランジェロとラファエロの彫像が飾られています=写真④=。こうしたルネサンスの巨匠が、美術館のシンボル彫刻として描かれる歴史遺産を持つのも、イタリアの歴史の素晴らしさです。日本の観光地にも、シンボル彫刻があるとないとでは、インパクトが違います。


写真④:ミケランジェロ(左)とラファエロの彫像
     =「ヴァチカン美術館」出口で、5月25日撮影

 個人の観光客が観光地を巡る場合、バス利用の周遊ツアーでなければ、路面電車や地下鉄網が充実した都市だと便利です。ミラノ市では、市街地を走る路面電車=写真⑤=に乗ってみたくなりました。福津市・〈津屋崎千軒〉の町並みは、西鉄宮地岳線の廃線で福岡市から電車で通えなくなり、バスだけとなったのは本当に痛いです。


写真⑤:市街地を走る路面電車
     =ミラノ市で、5月22日午前9時撮影

 町並みに賑わいを取り戻すには、魅力のあるまちづくりが必要です。町並みを残すには、来訪客が買い物や食事、宿泊でお金を使ってくれる産業や施設、ソフトの仕掛けが欠かせません。ローマ市の「トレビの泉」近くの通り=写真⑥=を日本人ツアー客の一人として歩いているうち、外国人ツアー客が〈津屋崎千軒〉を訪れてくれるシーンが頭に浮かびました。その日が来るのを夢見て、ガイドの腕を磨きながら町興し、まちづくりに知恵を絞っていければと願いました。


写真⑥:「トレビの泉」近くの通りを行く日本人ツアー客たち
     =ローマ市で、5月25日午後6時10分撮影
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2011年7月1日/〈イタリア・町歩き〉017・観光イタリアの光と影

2011-07-01 05:25:35 | イタリア・町歩き

写真①:路上駐車で走行スペースが狭められた舗装道路
     =ローマ市で、5月27日午前6時45分撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 17 

:観光イタリアの光と影

 ローマ市の観光案内をしてくれたイタリア人男性ガイド・アルフレッドさんが、嘆くように言いました。「ローマ市内の自動車の登録台数は約3百万台で、市人口が3百万人だから、1人に1台ある計算。市内の至る所に古代遺跡があるので、地下鉄を掘って路線網を増やすことは難しい。駐車場が少ないのが悩みで、道路の両側が車の駐車場所になっています」。5月27日朝、宿泊先のホテル近くを散歩してみると、路上駐車で走行スペースが狭められた舗装道路=写真①=に気付き、なるほどと思いました。

 その点、ローマ市内を走る路面電車=写真②=は、通勤やショッピングの市民の貴重な交通手段となっています。


写真②:市民の貴重な交通手段となっている路面電車
     =ローマ市で、5月26日午前7時35分撮影

 イタリア各地を観光して気付いたのは、街路沿いの店舗のシャッターに落書=写真③=が目立つことです。ローマ、ミラノ両市では、建物の壁面にもペイントで描かれた絵や文字が目に付きました。


写真③:落書された店舗のシャッター
     =ローマ市で、5月27日午前6時35分撮影

 ローマ市のホテル街近くでは、道路端にゴミ箱=写真④=が置かれており、ゴミが散乱した光景にはお目にかかれませんでした。


写真④:ホテル近くの道路端に置かれたゴミ箱
     =ローマ市で、5月27日午前6時55分撮影

 しかし、ゴミ処理作業員のストや処理業者の海へのゴミ投棄などが問題となったナポリ市=写真⑤=では、道路の一部にゴミが処理されずに残されていて、きれいな街との印象は受けませんでした。


写真⑤:石造りの建物が並ぶ裏通りを走る乗用車やオートバイ
     =ナポリ市で、5月26日午前2時50分撮影

 イタリアの観光地では、一般的に公衆トイレが有料です。入り口に番をしている女性に1ユーロ程度を支払います。ツアーバス=写真⑥=が駐車したみやげ物店では、無料でした。ただ、イタリアのトイレにはウオシュレットはなく、日本のトイレの方がお尻にやさしくて快適です。


写真⑥:トイレ休憩でみやげ店前に駐車したベンツのツアーバス
     =5月26日午後4時40分撮影

 世界遺産に登録されたイタリアの有名観光地は、大勢の観光客で賑わっていました=写真⑦=。


写真⑦:観光客で混雑する「サン・マルコ広場」
     =ベネチア市で、5月23日午後1時20分撮影

 ヴァチカン市国の美術館では、入館希望者が多く、入り口は待たされる観光客でいっぱいです=写真⑦=。


写真⑧:入館待ちの観光客でいっぱいの入り口
     =「ヴァチカン美術館」で、5月25日午後2時35分撮影

 「ヴァチカン美術館」では、男性警備員が古代ローマ帝国のコンスタンティヌス帝の娘の柩・「コスタンティアの石棺」の横を歩く観光客の列を整理する姿も見られました=写真⑨=。世界各地から詰めかける入館者で身動きできないほどの展示会場もあり、迷子になる観光客も出るほどです。もう少し時間別に入館者を振り分ける制限も必要でしょう。


写真⑨:「コスタンティアの石棺」の横を歩く観光客の列を整理する警備員
     =「ヴァチカン美術館」で、5月25日午後3時20分撮影

 〝水の都・ベネチア〟は、アドリア海に注ぐ河川の潟の上に樫などの木を打ちつけ、その上に造られた水上都市。ツアーで宿泊したホテル「モナコ・グランデ・カナル」=写真⑩=も、運河のそばに建てられていました。人口8万人が住むこの街は最近、地球温暖化による海面上昇の影響で、「サン・マルコ広場」が水没する回数が増え、水位の上昇でゴンドラの航行にも支障が出ているという。地球温暖化による海面上昇を心配ないと否定する学者もいるようですが、この美しいベネチアの街が、海面上昇の加速でアドリア海に沈むことのないよう願いたいですね。


写真⑩:運河のそばに建つホテル「モナコ・グランデ・カナル」(中央の建物)
     =ベネチア市で、5月23日午前10時5分撮影
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2011年6月30日/〈イタリア・町歩き〉016・ショッピング

2011-06-30 03:54:30 | イタリア・町歩き

写真①:ベノッツォ・ゴッツォリ作の壁画『東方三博士の旅』のプリント画

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 16 

:ショッピング

 イタリアでのショッピングも、楽しみにしていました。5月24日、フィレンツエ市にある色彩豊かで美しい文様を描くマーブル紙の文具屋で、15世紀にフィレンツエの領土を支配したメディチ家の宮殿の礼拝堂に画家ベノッツォ・ゴッツォリが描いた壁画・『東方三博士の旅』を紙にプリントした絵=写真①=とマーブル紙のブックカバー=写真②=を買いました。『東方三博士の旅』は、救世主・キリスト誕生を知って東の方から拝みに来たと旧約聖書に記されている博士たちが、ベツレヘムまで旅する様子を描いた絵で、この中にフィレンツエ支配を確立した銀行家のコジモ・デ・メディチらメディチ家の主要人物の肖像が描かれているとされています。


写真②:マーブル紙のブックカバー

 間口の狭い店舗の入り口=写真③=から店内に入ると、手作りのマーブル紙を使ったフォトスタンド、ノートなどの商品が展示されていました=写真④=。


写真③、④:マーブル紙の文具屋入り口(左)と店内
       =フィレンツエ市で、5月24日午後1時55分撮影

 「シチリアの海塩」は、千葉県に住む友人のMさんに「地中海・シチリアの海水塩、または岩塩を買ってきて」と旅行前に頼まれていたものです。残念ながらツアー日程には、イタリア本島南部の地中海最大の島・シチリアに行くコースは入っていません。5月25日に立ち寄った土産品店の売り場に、「『塩の道』と呼ばれる塩田で作られた地中海のミネラルたっぷりの自然海塩で、素材を活かすまろやかな風味です」――とうたった説明書=写真⑤=が掲示されており、百㌘入り1袋=写真⑥=を3.5ユーロ(約4百円)で買いました。

 6月28日、自宅で袋を開いて小粒のカリン糖のような「海塩」をなめてみると、確かにミネラルたっぷりのまろやかな味です。夕食のシチュー料理に使って味わいました。


写真⑤,⑥:「シチリアの海塩」の説明書(左)と百㌘入りの1袋
     =5月25日午前10時15分撮影

 眩しいイタリアの陽光から目を守ろうと、フィレンツエ市の眼鏡店舗で5月24日、サングラスを購入。掛けてみたら、イタリアの〝ちょいワルおやじ〟になった感じですかね?=写真⑦=。



写真⑦:サングラス姿でのスナップ
     =フィレンツエ市で、5月24日撮影

 カメオのブローチやペンダントヘッド、ベネチアングラスのペンダントやピアスなどイタリアのアクセサリー=写真⑦=も、ポンペイのカメオの工房やベネチア市のベネチアングラス工房などで土産に買ってきました。


写真⑧:カメオのブローチやベネチアングラスのペンダントなどのアクセサリー

 フィレンツエ市のホームセンターでは5月24日、おしゃれなデザインが気に入り、イタリア製ジョギング靴=写真⑨=を買い求めました。履き心地もいいです。


写真⑨:イタリア製ジョギング靴

 24日午後は、フィレンツエ市のブランド店街・トルナブォーニ通り=写真⑩=にも足を運びました。


写真⑩:ブランド店が軒を連ねるトルナブォーニ通り
     =フィレンツエ市で、5月24日午後1時35分撮影

 オフタイム用に、カラフルなイタリア製時計=写真⑪=も旅行の記念に買いました。


写真⑪:イタリア製時計

 ショッピングで手元に用意していたユーロ貨幣も少なくなり、ローマ市のホテルで5月27日朝、いくら残っているかを撮影=写真⑫=。


写真⑫:一番上の左から50ユーロ、20ユーロ、10ユーロ、5ユーロの紙幣と、2ユーロ、1ユーロ、50セント、10セント、5セントの硬貨
     =5月27日午前6時15分撮影
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2011年6月29日/〈イタリア・町歩き〉015・田園風景

2011-06-29 05:21:46 | イタリア・町歩き

写真①:道路沿いに延々と続くブドウ畑
      =ベローナ市で、2011年5月22日午後6時25分撮影

世界遺産の旅

〈イタリア・町歩き〉 15 

:田園風景

 イタリアの田園は、緑が豊かでした。22日夕、ベネチアへ向けて高速道路を走るツアーバスの窓ガラス越しに、ベローナ市の延々と続くブドウ畑=写真①=が見えました。南北に細長いイタリアは、全土でワインが生産できる気候と土に恵まれ、〝ワインの大地〟とも呼ばれています。

 フィレンツエ市からローマ市へ向かうバスの窓から25日の朝には、広々とした馬の牧場=写真②=をツアーバスの窓から撮影。イタリアは、フランスのロンシャン競馬場で開催される競馬レースで「凱旋門賞」を征覇する名馬を出した馬産家が生まれた国でもあり、この牧場もサラブレッドを育てているのかもしれませんね。


写真②:広々とした馬の牧場
     =5月25日午前9時40分撮影

 続いて、車窓から見えたのが青々としたオリーブ畑=写真③=。のどかで、美しいイタリアの田舎の風景ですね。


写真③:青々として美しいオリーブ畑
     =5月25日午前10時55分撮影

 ナポリ市からローマ市のホテルに戻るバスからは26日夕、牧草地にドラム缶のように丸められた干し草が点在している光景に出合いました=写真④=。


写真④:牧草地に点在するドラム缶のように丸められた干し草
     =5月26日午後5時35分撮影

 畑地の間を流れる小川の土手沿いには、クロマツの並木が美しい緑の帯を連ねていました=写真⑤=。


写真⑤:小川の土手沿いに緑の帯を連ねるクロマツの並木
     =ナポリ市で、5月26日午後3時20分撮影

 5月26日に訪れたポンペイ市の「ポンペイ遺跡」入り口付近には、高く細長い1本の糸杉(ヒノキ科。別名西洋桧)がありました=写真⑥=。古代ローマでは、神聖な木として崇められたという。ポスト印象派の画家・ビンセント・フォン・ゴッホが好んで描いた画材の木を初めて見て、これがあの糸杉なのか、と感じ入りました。


写真⑥:「ポンペイ遺跡」入り口付近にある糸杉(左端)。左奥はベスビオ火山
     =ポンペイ市で、5月26日午前10時45分撮影

 5月25日早朝、宿泊先のフィレンツエ市のホテル近くを散歩中、草原に青いきれいな花が咲いているのを見つけました=写真⑦=。この花の名は、何というのでしょうか。イタリアでも、野の花には涼やかな美しさを感じます。


写真⑦:草原に咲いた青いきれいな花
     =フィレンツエ市で、5月25日午前5時55分撮影

追記
 この青い花について、千葉県に住む野草通の友人Mさんから6月29日、「この青い花は
高級食材のチコリです。キク科なので簡単に増えます」と連絡をいただきました。ありがとうございます。

 チコリの和名は「キクニガナ」といい、茎や葉を折ると出てくる乳液をなめると苦い味がする草(菜)なので、ニガナと名付けられました。地中海地方原産で、日本には江戸時代に観賞用・食用・薬用として入ってきたという。
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2011年6月28日/〈イタリア・町歩き〉014・町並みの景観

2011-06-28 04:47:31 | イタリア・町歩き

写真①:物産市開催会場に面して並ぶ明るい色合いの建物
      =ベローナ市で、2011年5月22日午後5時20分撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 14 

:町並みの景観

 「ミラノにある石造りの建物は、築250年で新しいものです。ベネチアなどでは、築500年から600年です」。5月22日、ミラノ市にあるオペラの殿堂・「スカラ座」の前で、市内在住の日本人女性ガイド・鈴木さんがこう解説しました。

 「えッ、築250年で新しい?」――イタリアの常識に、思わず耳を疑いました。そういえば、ミラノ市にあるゴシック建築の教会・「大聖堂(ドゥオモ)」は14世紀に建設が始められています。もっとも、日本も奈良市の法隆寺の建物は7世紀に建てられたとされ、世界最古の木造建築群として世界遺産に登録されていますが、一般的には木と紙でできた日本の木造建築は、19世紀の江戸時代末の町家でも古民家とされます。建築業界でも〝百年住宅〟を売り出す住宅会社が、最近目立つくらいです。温暖湿潤な気候の日本では、風通しのいい木造りの家が似合っています。イタリアが石の国なら、日本は木の国。町並みの趣も違っているのを、まずミラノで実感しました。

 
 ベローナ市で5月22日、物産市が開催されていた会場に面して並ぶ建物は明るい色合いで、素敵でした。地中海の陽光が降り注ぐイタリアらしくていいですね=写真①=。

 フィレンツエ市では5月24日、ブランド店が入居した風格ある建物の前の街路を行く観光馬車がレトロな雰囲気づくりに一役買っていました。


写真②:ブランド店の前の街路を行く観光馬車
     =フィレンツエ市で、5月24日午後1時40分撮影

 5月23日に訪れたベネチア市では、「サン・マルコ寺院」横の商店が入居した建物がすっきりとしたデザインで、粋な感じでした=写真③、④=。


写真③、④:「サン・マルコ寺院」横の商店が入居した建物
     =ベネチア市で、5月23日午後1時10分撮影

 5月25日、ローマ市で137段もの「スペイン階段」を息を切らして上った後、「トリニタ・ディ・モンティ教会」前の展望所から見下ろした町並みも、古い歴史を感じさせました=写真⑤=。

 さても、イタリアの建物はお洒落で、町並みもなんてきれいなのでしょう! 古風な趣のある〈津屋崎千軒〉の町並みも、こざっぱりとして統一された美しい景観を形成したいものです。


写真⑤:「スペイン階段」方面を見下ろした景観
     =ローマ市・「トリニタ・ディ・モンティ教会」前で、5月25日午後7時分撮影
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2011年6月27日/〈イタリア・町歩き〉013・イタリアの野鳥

2011-06-27 05:55:39 | イタリア・町歩き

写真①:草地に降りたクロウタドリ
      =フィレンツエ市で、2011年5月24日午前6時35分撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 13

:イタリアの野鳥

 イタリアで見た代表的な野鳥は、5月24日にフィレンツエ市で撮影したクロウタドリ(ツグミ科)=写真①=でしょうか。体長28㌢。日本に渡来する冬鳥のツグミ(同科、体長約24㌢)より大きい。ポンペイ市の古代遺跡近くの木の枝にも止まっており、イタリア人女性ガイドのセレーナさんに聞いたら、「ブラックバード」という通称の呼び名で答えが返ってきました。全身黒い体で、嘴は黄色。

 「ポンペイ遺跡」にある住宅の壁の穴を〝お宿〟にしたスズメ(ハタオリドリ科)=写真②=は、日本のスズメと似ていました。


写真②:「ポンペイ遺跡」にある住宅の壁の穴をお宿にしたスズメ
     =ポンペイ市で、5月26日午前11時35分撮影

 ローマ市のホテル近くの上空には5月27日朝、多くのアマツバメ(アマツバメ科、体長約20㌢)=写真③=が飛び回っていました。日本に渡ってくるツバメ(ツバメ科、体長約17㌢)より一周り大きい。


写真③:ホテル近くの上空を飛び回るアマツバメたち
     =ローマ市で、5月27日午前6時55分撮影

 ベネチア市で5月23日、「サン・マルコ寺院」横の広場の水たまりに降りたセグロカモメ(カモメ科)に似た野鳥=写真④=を撮影しました。セグロカモメの足は赤いのですが、このカモメの足は黄色です。


写真④:「サン・マルコ寺院」横の広場の水たまりに降りたセグロカモメに似たカモメ
     =ベネチア市で、5月23日午後1時10分撮影
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2011年6月26日/〈イタリア・町歩き〉012・現地ガイドに学ぶ

2011-06-26 06:47:27 | イタリア・町歩き

写真①:「サン・マルコ広場」で案内するイタリア人男性ガイドのマルコさん(右端)
      =〝水の都〟ベネチア市で、2011年5月23日午前10時40分撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 12 

:現地ガイドに学ぶ

 パリで開かれている国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会が現地時間の6月25日、日本が推薦した「平泉の文化遺産」(岩手県平泉町)について中尊寺など5か所を世界遺産(世界文化遺産)に登録することを決定。国内の世界文化遺産としては、2007年の「石見銀山遺跡とその文化的景観」(島根県)に次いで12件目で、自然遺産を含めると24日に決まった小笠原諸島(東京都)を含め16件になりました。

 平泉町は私も観光旅行で訪れたことがあり、中尊寺をはじめとした「平泉の文化遺産」が浄土世界を示す遺産としての普遍的価値を評価、登録されて、良かったなと思いました

 さて、世界遺産に登録されてから、観光客の受け入れ体制が大変でしょう。観光ガイドの陣容整備もその一つ。そこで、イタリアの世界遺産観光で、この目で拝見した現地のガイドさんの仕事ぶりをリポートします。

 5月22日午前、イタリアで最初に観光したミラノ市では、市内に住む日本人女性ガイドの鈴木さんが、14世紀に築かれた城塞・「スフォルツェスコ城」前からツアーバスに乗車。移動中の車中でも、市内一の一流ホテルに泊まった日本の有名女性芸能人の名前を入れて紹介、オペラの殿堂・「スカラ座」前や、エレガントなアーケード「ガレリア」でのガイドも分りやすく、切れのいい口調でした。お勧めの買い物情報も提供、ベテランのガイドぶりで、感心しました。

 22日午後、訪ねたベローナ市のガイドさんは、市内在住のイタリア人女性。英語での解説を旅行会社の日本人添乗員さんに通訳してもらっての観光で、物足りなさが残りました。

 23日、〝水の都〟ベネチア市で「サン・マルコ広場」から案内してくれたイタリア人男性ガイドのマルコさん=写真①=は、流暢な日本語の使い手です。「サン・マルコ寺院」の解説の中に、漫画のちびマルコちゃんを織り込んで笑わせるなどツボを心得たガイドさんでした。

 フィレンツエ市を観光した24日のガイドは、市内在住のベテラン・ガイドの鈴木さん=写真②=。ミラノ市で解説してもらった女性ガイドの鈴木さんと同姓で、知り合いという。「サン・ジョヴァンニ礼拝堂」の青銅製門扉・「天国の門」の詳しい解説や、混雑していた「ウッフィツイ美術館」では機転の利いた案内で、サンドロ・ボッティチェッリ作の『ヴィーナスの誕生』をはじめとした名画の数々を観賞でき、見所を手際よく説明していく行き届いたガイドぶりで、満足です。


写真②:「サン・ジョヴァンニ礼拝堂」の青銅製門扉・「天国の門」前でガイドする鈴木さん
     =フィレンツエ市で、5月24日午前11時50分撮影

 最も観光客が多かった25日のローマ市観光。イタリア人男性ガイドのアルフレッドさん=写真③=も、日本語が上手でした。「ヴァチカン美術館」の中庭に展示されているミケランジェロ作の巨大壁画『最後の審判』のガイドパネルについて、要領よく解説してくれました。


写真③:巨大壁画『最後の審判』のガイドパネル前でガイドするアルフレッドさん
     =「ヴァチカン美術館」中庭で、5月25日午後2時55分撮影

 26日に訪れたポンペイ市のガイドは、イタリア人女性のセレーナさん=写真④=。ナポリ大学で日本語を専攻、東京でも学んだというだけに巧みな日本語でした。身重の体でしたが、ポンペイ遺跡の石畳を元気に歩き、落ち着いたガイドぶりでした。


写真④:ポンペイ遺跡の入り口でガイドするセレーナさん
     =ポンペイ市で、5月26日午前11時撮影

 イタリアでは、世界遺産観光地を抱える各都市ごとにガイドの免許が出されており、日本の観光バスガイドのように東北各地を1人でガイドすることはできないという。イタリア観光でお世話になった現地のガイドさんたちは、首からガイドの身分証明証を入れたカードケースをぶら下げていました。また、混雑する人気の観光地ではマイクでの解説が聞きやすいように、レシーバーを観光客に使わせています。

 私と「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の仲間が、古風な趣のある〈津屋崎千軒〉をガイドする場合も、もっと小型で使いやすい携帯マイクやレシーバー導入なども検討したいなと思いました。世界遺産に暫定登録されている「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の本登録が決定した場合は、「宗像大社」や「沖ノ島」のガイドは宗像市のガイドが担当し、宗像の君一族の首長墓とされる国史跡・「津屋崎古墳群」や「宮地嶽神社」の解説は福津市のガイドが受け持つなどの役割分担も一案ではないでしょうか。
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2011年6月19日/〈イタリア・町歩き〉011・ポンペイとナポリ

2011-06-19 09:59:10 | イタリア・町歩き

写真①:ベスビオ火山(向こう)の噴火で灰に埋もれた古代都市・ポンペイの遺跡・
      =ポンペイで、2011年5月26日午前11時15分撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 11 

:ポンペイとナポリ

 25日夜、イタリア4泊目をローマのホテルで過ごしました。翌26日は朝からツアーバスに乗って南東へ約3時間、世界遺産に登録されている古代遺跡・ポンペイへ到着。

 紀元前4世紀に古代ローマの支配下に入り、港町として発展していましたが、約2千年前の79年8月24日、ベスビオ火山の噴火で灰に埋もれた古代都市です。1748年にナポリ王・カルロ7世が発掘し、当時の街が遺跡として蘇りました=写真①=。

 古代でもポンペイの道路は舗装され、歩道と馬車道に分れているのには、感心ました=写真②=。


写真②:歩道と馬車道に分れている古代ポンペイの道路
     =5月26日午11時10分撮影

 発掘された44㌶のポンペイ遺跡には、アポロン神殿や野外劇場、建物の柱を飾るカメオ=写真③=などがそのまま残っています。


写真③:建物の柱を飾るカメオ
     =5月26日午前11時25分撮影

 ベスビオ火山の噴火で亡くなった犠牲者の姿も、石膏でそのまま再現して展示されています=写真④=。


写真④:ベスビオ火山の噴火で犠牲となった遺体の石膏
     =5月26日午前11時30分撮影

 公衆浴場の跡=写真⑤=も、見学に入りました。


写真⑤:公衆浴場の跡を見学する観光客たち
     =5月26日午前11時45分撮影

 次に見学できたのは、お金持ちが住んだ3千平方㍍の大邸宅という「ファオの家」の中庭の様子です=写真⑥=。


写真⑥:彫像が置かれた「ファオの家」の中庭
     =5月26日午前11時50分撮影

 四角い穴に棒を通して奴隷が粉を挽いていた石臼やパン焼き窯の所では、イタリア人女性ガイドのセレーナさんが解説してくれました=写真⑦=。


写真⑦:粉を挽いていた石臼に手を添え、パン焼き窯(向こう)について話すガイドのセレーナさん
     =5月26日正午撮影

 ポンペイ遺跡の見学を終え、近くのカメオ工房に立ち寄りました。〝カメオ名人〟とされるスカーラ先生(80)が、カメオ製作の様子を見せてくれました=写真⑧=。


写真⑧:〝カメオ名人〟・スカーラ先生の製作の様子
     =5月26日午後1時撮影

 このあと、ツアーバスでポンペイ北西23㌔・㍍にある港町・ナポリを訪れました=写真⑨=。ローマ、ミラノに次ぐイタリア3番目の都市で、人口160万人。〝イタリア半島の靴底〟に近い地方だけに、ティルニア海に面した海岸は太陽がまぶしく、陽気なカンツォーネの歌が似合う風景です。

 〝ナポリを見て死ね〟の諺にある世界三大美港とされる港を眺めると、岸壁には数隻ものクルーズ船が巨体を横たえていました。大女優のソフィア・ローレンの故郷と知り、若いころ観た映画を思い浮かべました。


写真⑨:ホテルが立ち並ぶナポリの海岸
     =5月26日午後2時50分撮影

 夕方、ローマ市のホテルに戻ったあと、市内のカンツォーネ・ディナーショーの会場・「ビラ・ブラシーニ」へ。テノールの男性歌手アレキサンドレと女性歌手エリザベートが、ナポリ民謡「サンタ・ルチア」をはじめ日本でもなじみのカンツオーネ5曲を高らかに歌うのを、ワイングラスを傾けながら楽しみました=写真⑩=。


写真⑩:「ビラ・ブラシーニ」のカンツォーネ・ディナーショーで歌うアレキサンドレ(左)とエリザベート
     =5月26日午後7時30分撮影
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2011年6月18日/〈イタリア・町歩き〉010・永遠の都・ローマ

2011-06-18 03:10:17 | イタリア・町歩き

写真①:上部にミケランジェロ(左)とラファエロの彫像が飾られている「ヴァチカン美術館」出口
      =ヴァチカン市国で、2011年5月25日午後2時15分撮影

世界遺産の旅
〈イタリア・町歩き〉 10 

:永遠の都・ローマ

 24日のイタリア3泊目の宿も、フィレンツエの同じホテルでした。翌25日朝、ツアーバスで高速道路を約4時間南下し、いよいよ〝永遠の都・ローマ〟へ入りました。

 人口270万人の首都・ローマ市で最初に訪れた名所は、ローマ法王と聖職者ら人口約千人という世界最小の独立国・ヴァチカン市国です。約10億人の信者を持つカトリックの総本山で、歴史的建造物や膨大な美術品の収蔵でも知られ、国自体が世界遺産に登録されています。

 「ヴァチカン美術館(博物館とも呼ばれます)」の出口上部には、ミケランジェロとラファエロの彫像が飾られていました=写真①=。館内の「ピーニャ(松ぼっくり)の中庭」中央には、巨大なブロンズ像の松ぼっくり=写真②=があります。このブロンズ像は、古代ローマ時代に噴水として使われていたという。

 
写真②:「ピーニャの中庭」にある巨大なブロンズ像の松ぼっくり
     =5月25日午後2時50分撮影

 「ピーニャの中庭」には、隣接の「システィーナ礼拝堂」の祭壇側壁にあるミケランジェロ作の巨大絵画『最後の審判』のガイドパネル=写真③=が掲示されていました。絵の上部中央に審判するイエス・キリストが、左側に天国へ昇る者、右側に地獄へ落とされる者がそれぞれ描かれています。同礼拝堂は、法王の選挙会議が開かれる場所でもあります。


写真③:ミケランジェロ作の巨大壁画『最後の審判』のガイドパネル
     =5月25日午後3時5分撮影

 「ヴァチカン美術館」内には、16世紀以降の歴代法王が古代ギリシャの彫刻群をはじめ絵画、地図など貴重な文化遺産を海外流失から守るため収集したコレクションが各所に展示されています=写真④,⑤,⑥=。写真⑥は、ティグリス川を男神に見立てた彫刻『ティグリス』です。手に持ってる壺から流れる水がティグリス川の流れになるという。


写真④:回廊に並べて展示されている古代ギリシャ・ローマ時代の彫刻群
     =5月25日午後3時10分撮影


写真⑤:浮き彫りで装飾された古代の柩
     =5月25日午後3時10分撮影


写真⑥:ティグリス川を男神に見立てた彫刻『ティグリス』
     =5月25日午後3時10分撮影

 ヴァチカン南東にあるカトリック教会の総本山・「サン・ピエトロ大聖堂」は、キリスト12使徒のひとり、聖ペテロがローマ皇帝ネロの迫害で処刑された場所に4世紀に建てられ、現在の建物は1626年に完成した二代目。床面積2万3千平方㍍という世界最大級の教会です。1633年に法王の祭壇を覆って建てられたブロンズ製の大天蓋は、ツタのからまるねじれた柱や細部まで施された華麗な装飾で彩られています=写真⑦=。


写真⑦:「サン・ピエトロ大聖堂」の大天蓋
     =5月25日午後3時25分撮影

 ラファエロが1520年に描いた『キリストの変容』=写真⑧=は、上部にイエス・キリスト、その左右にモーセとエリヤ、下部に神の慈悲を懇願する信徒らが表現されています。


写真⑧:ラファエロ作『キリストの変容』
     =5月25日午後3時25分撮影

 「地図のギャラリー」=写真⑨=には、16世紀のイタリア各地の地図を両側の壁面に展示。黄金に輝く天井の彫刻が、きらびやかです。


写真⑨:16世紀のイタリア各地の地図を両側の壁面に展示した「地図のギャラリー」
     =5月25日午後3時30分撮影

 ラファエロ作『アテネの学堂』は、古代ギリシャの哲学者・アリストテレスやプラトン、科学者らが一堂に集い、議論している様子を描いています=写真⑩=。


写真⑩:ラファエロ作『アテネの学堂』
     =5月25日午後3時45分撮影

 「サン・ピエトロ大聖堂」=写真⑪=の前には、17世紀に設けられた約30万人を収容できる楕円形(長さ340㍍、幅240㍍)の「サン・ピエトロ広場」があります。円柱284本を左右対称に配置したバロック様式の広場で、現在の第265代法王・ベネディクト16世の大きな写真が掲げられていました=写真⑫=。春の「復活祭」には、世界から20万人の信者が集まるという。


写真⑪:「サン・ピエトロ大聖堂」と「サン・ピエトロ広場」(手前)
     =5月25日午後3時35分撮影


写真⑫:「サン・ピエトロ広場」に掲示された第265代法王・ベネディクト16世の写真
     =5月25日午後3時35分撮影

 「ヴァチカン市国」出入り口では、約百人いるというスイス衛兵が立番していました。青と黄の縦縞の制服は、ミケランジェロのデザインといわれ、色鮮やかです=写真⑬=。


写真⑬:制服が素敵な「ヴァチカン市国」を守るスイス衛兵
     =5月25日午後4時30分撮影

 次に訪れた「ヴァチカン市国」南東方向にある「コロッセオ」=写真⑭=は、紀元80年に完成した古代ローマを象徴する大理石の建物です。高さ57㍍という4階建ての巨大な円形競技場(闘技場)で、外周は527㍍。約5万人収容の観客席があり、6世紀前半まで使われました。地下には、猛獣の檻があり、捕虜や奴隷の剣闘士同士、または猛獣との冷酷な対決や罪人の処刑も見世物として行われたといい、見学して気持ちの良いものではありません。


写真⑭:古代ローマの巨大な円形闘技場・「コロッセオ」
     =5月25日午後5時20分撮影

 ぜひとも行きたかったのが、青春時代に観た映画『ローマの休日』の舞台となった「トレビの泉」=写真⑮、⑯=と「スペイン広場」=写真⑰=でした。「トレビの泉」は、紀元前19年の古代ローマの放水口を元に、18世紀にニコラ・サルヴィが完成させたローマ最大の噴水。アン王女に扮したオードリー・ヘッブバーン=写真⑱=が、街の雑踏を楽しみながら通り過ぎた場所です。泉に背を向けてコインを1枚投げ入れると、ローマ再訪がかなうという有名な言い伝えがあります。


写真⑮:観光客で混雑する「トレビの泉」
     =5月25日午後6時20分撮影


写真⑯:見事な彫刻群に飾られた「トレビの泉」
     =5月25日午後6時15分撮影

 「スペイン広場」は、17世紀にスペイン大使館があったことから名付けられました。17世紀建造の彫刻「バルカッチャの泉」の背後にある「スペイン階段」を、『ローマの休日』でアン王女役のオードリー・ヘッブバーンと新聞記者・ブラッドリー役のグレゴリーペック=写真⑲=が手をつないで歩く名シーンがありました。137段ある「スペイン階段」は1720年に造られ、「トリニタ・ディ・モンティ教会」へ上る参道になっています。かっこいいグレゴリーペックのようにと、新聞記者になった私は青春の思い出を懐かしみながら同教会まで階段を上りましたが、66歳の身にはやや息が切れました。


写真⑰:「トリニタ・ディ・モンティ教会」(向こう)へ上る参道になっている「スペイン階段」
     =5月25日午後6時45分撮影



写真⑱、⑲:王女役のオードリー・ヘッブバーンと新聞記者役のグレゴリーペック
     =ツアーバスで放映のDVD影像から、5月25日午前9時25分撮影

 『ローマの休日』のもう一つの舞台、「サンタ・マリア・イン・コスメディアン教会」にある「真実の口」にもオプションで訪ねたいと検討しましたが、時間の都合で行けなかったのが残念でした。海神・トリトンの顔をした「真実の口」は古代の井戸の蓋といわれ、うそつきが手を入れると噛まれるという伝説から付けられた名称です。私は細君ともども、「トレビの泉」を訪ねた際、きれいな泉へコインを1枚投げ入れてみましたので、ローマ再訪がかなった暁には「真実の口」に手を差し伸べたいものです。

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