吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2015年12月31日/〈津屋崎の四季〉1124:ウミネコの群れ

2015-12-31 17:17:47 | 風物

 

写真①:波打際を飛び立ったウミネコの群れ

      =福津市津屋崎1丁目の「津屋崎浜」で、2015年12月31日午前10時40分撮影

 雨模様の12月31日朝、ウミネコ(カモメ科)の群れが、福津市津屋崎1丁目の「津屋崎浜」の波打際を次々と飛び立ちました=写真①=。

 2015年もきょうまで。飛び立ったウミネコたちが舞い降りる2016年は、どんな出来事が待っているのでしょうか。

 皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。

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2015年12月30日/〈津屋崎の四季〉1123:「津屋崎干潟」のマガモ

2015-12-30 09:15:58 | 風物

 

写真①:浅瀬で憩うマガモの群れ

     =福津市渡の「津屋崎干潟」で、2015年12月30日午前8時10分撮影

  12月30日朝、福津市津屋崎は放射冷却でぐんと冷え込み、畑に霜が降りました。

  渡の「津屋崎干潟」の浅瀬では、冬鳥・マガモ(カモ科)の群れが朝日を浴びながらうとうとと居眠りの様子です=写真①=。

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〈催事〉0411:「テラコヤナチュラ」閉店

2015-12-27 12:11:25 | 行楽催事

 

写真①:「テラコヤナチュラ」が閉店した「津屋崎千軒古民家」

     =福津市津屋崎4丁目で、2015年12月26日撮影

 福津市・〈津屋崎千軒古民家〉で営業の

「テラコヤナチュラ」が閉店しました

  福津市津屋崎4丁目(旧新町)にある同市所有の「津屋崎千軒古民家」(大正時代建築の木造2階建て。使用料月3万円)=写真①=を運営していた野菜カフェ「テラコヤナチュラ」が、12月25日に閉店しました。入り口には、1月初旬からは同市津屋崎渡で新規オープンの薬膳cafe&バー「寿膳」(じゅぜん)として営業を再開します、と同店営業者の「お知らせ」の貼り紙が出ています。

  「津屋崎千軒古民家」では、2011年1月15日に開業したフランス料理店「Chez Oomae シェ・オオマエ」が12年6月30日で店じまい。続いて、ハーブティーを主としたカフェ「Teahouse miya(ティーハウス ミヤ)」が14年12月7日まで営業後、15年2月22日から「テラコヤナチュラ」が営業していました。

  16年1月15日からは、福津市の公募に応じた新しい営業者が鍋焼きうどんや、惣菜ランチ、あんみつなどを提供する、「惣菜ランチ・和カフェ せんげんや」が開店の予定。

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2015年12月25日〈エッセー〉047:太宰府市に隈研吾氏設計の店

2015-12-25 08:25:01 | エッセー

写真①:隈研吾氏設計の木組み構造を用いたスターバックス コーヒー「太宰府天満宮表参道店」

     =太宰府市宰府3丁目で、2013年3月2日撮影

・連載エッセー『一木一草』

 第47回:太宰府市に隈研吾氏設計の珈琲店

 新国立競技場計画デザイン採用の建築家の作品

「スタバ太宰府天満宮表参道店」をご存じですか

  日本スポーツ振興センターが12月22日、2020年東京五輪・パラリンピックのメイン会場の新国立競技場についいて、建築家の隈研吾氏がデザインし、大成建設などが提案するA案が採用されました。隈氏は「広く市民に開かれた木と緑のスタジアム」を基本概念に、国産杉を多用し「緑に恵まれた神宮の杜と一体化した建築」として日本らしさを表現したという。その隈氏が木の素材を活かして伝統的な木組み構造の天井や壁を用いた特徴あるデザインの建築作品が、福岡県太宰府市の「太宰府天満宮」表参道にもありました。

  スターバックス コーヒー「太宰府天満宮表参道店」=写真①=です。2013年3月15日付の吉村青春ブログ〈福岡・町歩き〉011・西鉄太宰府駅http://blog.goo.ne.jp/magpie03/e/6306ef0ef976ebd126e9012385c5c5eeで、「太宰府天満宮」表参道の商店街にある組み木を入り口に突き出した変わったデザインのコーヒー店として掲載していました。

  2016年の正月は、「スタバ太宰府天満宮表参道店」が初詣客に注目されそうですね。日本家屋の格子など「和」の感覚と、最新技術を調和させる建築を重視する隈氏。東京五輪=写真②=で、隈氏デザインの「杜のスタジアム」が世界のアスリートや観客らにどのような印象を与えるか。また、格子の美しさが特色の福津市・〈津屋崎千軒〉の町並みでも、老朽化した町家の再生リフォームで、隈氏がデザインしたらどんな建築作品が生まれるか、デザインの力をあれこれ想像してみると、楽しくなります。

 

写真②:東京オリンピック開催決定のカードを示すIOCのジャック・ロゲ会長(2013年9月8日のNHK総合テレビ・ニュース画面から)

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2015年12月23日/〈津屋崎の四季〉1122:「天皇誕生日」の虹

2015-12-23 17:31:23 | 風物

 

写真①:向こうの在自方面から大空にかかった虹

      =福津市宮司6丁目の「対馬見通り」で、2015年12月23日午後3時50分撮影

 「天皇誕生日」の23日、津屋崎の空に虹かかる

  雨が上がりかけた12月23日午後3時50分、福津市宮司6丁目の「対馬見通り」で、在自方面から大空にかかった虹=写真①=に見取れました。

  津屋崎は、朝から雨が降ったり、やんだりの一日でしたが、この虹が「天皇誕生日」を祝福しているようで晴れ晴れとした気分です。

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2015年12月20日/〈光市・町歩き〉005・「光ふるさと郷土館」別館

2015-12-20 03:30:39 | 〈光市・町歩き〉

 

写真①:「光ふるさと郷土館」別館(礒部本家旧宅」)

         =山口県光市室積5丁目で、2015年12月11日午前9時55分撮影

〈光市・町歩き〉 5

 :「光ふるさと郷土館別館

  12月11日午前、山口県光市室積5丁目の「光ふるさと郷土館」本館(江戸時代末期創業の醤油屋・「磯民」=後に「磯屋」の屋号に=を営んでいた礒部家=いそべけ=を修復した町家)の見学後、「海商通り」を挟んで向かい側にある別館(「礒部本家=いそべほんけ=旧宅」)=写真①=を訪ねました。

  礒部家の本家にあたり、「磯乃屋」の屋号で廻船問屋を営み、江戸・大坂・琉球などとの交易で江戸時代から栄えた室積の豪商の旧家です。明治前期建築の妻入り寄せ棟造り本瓦葺き木造二階建てで、昔の姿をとどめており、平成11年に主屋・茶屋・釜屋の三件が国の登録有形文化財になっています。材木や米なども商い、金融業、塩田経営にも携わった大地主だけに、富豪の裕福さがうかがえる豪壮な造りです。客間には、旧大和町(現光市束荷)生まれの初代内閣総理大臣・伊藤博文の額入りの書=写真②=や、藤愚渓(とうぐうけい)が描いた山水の襖絵=写真③=などがあり、床の間や欄間の造りも手が込んでいます。

  

写真②:初代内閣総理大臣・伊藤博文の額入りの書

  

写真③:藤愚渓が描いた山水の襖絵

  仏間の横にある中庭には、礒部本家「磯屋」の船が江戸時代に琉球(現在の沖縄)方面から持ち帰ったと伝えられる樹齢数百年とされる大蘇鉄(おおそてつ)があります=写真④=。

  

写真④:中庭にある樹齢数百年とされる大蘇鉄

  明治41年(1908年)に改築された離れ座敷のお茶室=写真⑤=は、材木問屋も営んでいた礒部本家らしく、使われた木材、造作とも優れています。

 

写真⑤:明治41年に改築されたお茶室の床の間

  障子の窓ガラス=写真⑥=も風情があり、見事です。

  

写真⑥:風情がある障子の窓ガラス

  お茶室の回り廊下角に放射状に張った板一つにも、疎かにしない建築の美学を感じます=写真⑦=。

  

写真⑦:お茶室の回り廊下角の放射状の板張

  もちろん、欄間=写真⑧=もあります。

  

写真⑧:お茶室の欄間彫刻

  洋間の椅子や調度=写真⑨=も、センスがいいですね。

  

写真⑨:センスのよい洋間の椅子や調度

  洋間の出入り口は、内壁の縁取りをカーブさせ=写真⑩=、おしゃれです。

  

写真⑩:洋間らしく内壁の縁取りをカーブさせた出入り口

  建物のあちこちに傷みがみられるのは残念ですが、かつての港町室積の繁栄を偲ばせる豪壮な造りは国登録有形文化財にふさわしい素晴らしさです。廻船問屋の建物をつぶさに見学できたのは初めてでもあり、港町・室積の歴史や文化に以前にも増して愛着を感じました。


       (今回の〈光市・町歩き〉岳父の墓参旅行帰りのシリーズを終わります)

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2015年12月19日/〈光市・町歩き〉004・「光ふるさと郷土館」本館

2015-12-19 04:32:36 | 〈光市・町歩き〉

 

写真①:江戸時代末期から創業の醤油屋・旧「磯民」だった「光ふるさと郷土館」本館

         =山口県光市室積5丁目6番5号で、2015年12月11日午前9時40分撮影

〈光市・町歩き〉 4

 :「光ふるさと郷土館本館

  2011年10月31日、山口県光市束荷にある旧「伊藤博文邸」を紹介して以来の〈光市・町歩き〉シリーズの再開掲載です。15年12月11日午前、同市室積での岳父の墓参旅行帰りに立ち寄った同市室積5丁目の「光ふるさと郷土館」からリポートします。

  「光ふるさと郷土館」は、海外貿易の隆昌をきわめた足利・室町時代からの古い町並みで知られる「海商通り」に面し、本館=写真①=と別館があります。市制50周年記念と、ふるさと創生事業の一つとして整備されました。本館は、江戸時代末期から昭和30年代まで醤油屋・「磯民(いそたみ)」(後に「磯屋」の屋号に)を営んでいた礒部家(いそべけ)を修復したものです。

  明治初期に建てられた町家づくりの商家で、間口が狭く奥行きが長い「うなぎの寝床」といわれる造り。江戸時代に室積に寄港していた北前船をはじめ廻船に関する資料や醤油の醸造用具などが展示されています。

  醤油醸造の工程に欠かせないレンガ造りの「麹室」も、残されています=写真②=。

  

写真②:レンガ造りの「麹室」

  「麹室」の右手には、古めかしいレンガ造りの煙突が建っていました=写真③=。

 

写真③:「麹室」の右手に建つ煙突

  圧巻は、廻船に関する資料展示室です。まず、250石積の弁才船の大型模型=写真④=に見ごたえを感じました。

写真④:250石積の弁才船の大型模型

 実際には、室積の廻船の多くは「弁才船」より小さく、近距離の商品流通に活躍した100石積(約15トン)の「小型弁才船」や、3~4人乗りの「イサバ船」=写真⑤=、さらに小さい80石積前後の「猪牙(チョキ)船」だったという。江戸時代から明治にかけて「津屋崎塩田」の塩を運んだ〈津屋崎千軒〉の廻船・「イサバ船」は「五十集船」の漢字で書かれています。

  

写真⑤:パネルに展示されている「イサバ船」の解説

  江戸時代末期から醤油屋を営み始めた「磯民」の鬼瓦(丸に桜) =写真⑥=や、その後の「磯屋」の鬼瓦(梅の花を上から見た形を図案化した「梅鉢」)=写真⑦=も、通路わきに展示されていました。

 

写真⑥:「磯民」の鬼瓦(丸に桜)

  

写真⑦:「磯屋」の鬼瓦(梅の花を上から見た形を図案化した「梅鉢」)

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2015年12月18日/〈日記〉572・山口墓参旅行リポート⑤

2015-12-18 04:50:44 | 日記

 

写真①:写真パネルでナベヅルの生活がわかりやすく理解できる資料展示室

     =山口県周南市大字八代の「鶴いこいの里交流センター」で、2015年12月11日午前11時5分撮影

 「八代のツル」探鳥

山口墓参旅行リポート⑤

 山口県光市室積での岳父の墓参旅行帰りの12月11日午前、同県東部の周南市大字八代(やしろ)にある特別天然記念物・ナベヅル(ツル科)の渡来地を訪ねました。烏帽子岳(標高697㍍)の山懐にある「八代盆地」(標高約320㍍))の田んぼに、毎年稲刈りが終わる10月下旬ごろナベヅルがシベリアから渡来します。体長約90~100㌢、翼開張約185㌢。体は灰黒色で、首から上が白く、目の周りが黒く、アイマスクをしているように見えます。水田の落ち穂や草の実、水草、ミミズ、昆虫、ドジョウ、小魚などを食べます。

  まずは飛来状況を得ようと、「鶴いこいの里交流センター」の資料展示室に立ち寄りました。写真パネルでナベヅルの生活が、わかりやすく説明されています。建物のそばにある掲示板には、「只今ツル4羽」の表示が出ていました。ここから約400㍍離れた場所が飛来地とあり、→で示された方向へ歩くと、道路わきに「特別天然記念物八代のツルおよびその渡来地見学者の皆さまへ」と題して「見学・撮影は野鶴監視所でお願いします」との注意書き看板がありました=写真②=。

  

写真②:「特別天然記念物八代のツルおよびその渡来地見学者の皆さまへ」の注意書き看板

  ナベヅルの日本の渡来地は、「八代盆地」と鹿児島県出水市荒崎だけ。八代地区では、村の掟としてツルを守り続け、明治20年には県へツル捕獲の禁止をお願いするなど地区住民がツルを大切に保護し、近代日本における自然保護制度発祥の地といわれているという。ナベヅルと同じ冬鳥のマナヅルは2007年12月17日朝、福津市津屋崎勝浦の田んぼに舞い降りた1羽を初めて確認、撮影したことがあります。随分前に、出水市荒崎の田んぼで観察して以来の撮影でした。

  「野鶴監視所」は平屋の建物で、見学者は室内から窓ガラス越しに双眼鏡で観察できるようになっています=写真③=。

 

 写真③:室内から窓ガラス越しに双眼鏡で観察できる「野鶴監視所」

  窓ガラスのそばに望遠レンズで実況撮影の動画映像がディスプレイに映写=写真④=されており、観覧すると田んぼの稲小積の間にナベヅル4羽の姿が確認できました。

 

写真④:望遠レンズで動画撮影した稲小積の間のナベヅルたち

  「野鶴監視所」の隅にナベヅルの剥製が、展示されています=写真⑤=。

  

写真⑤:「野鶴監視所」の隅に展示されているナベヅルの剥製

  農道の先の田んぼにあるナベヅルの渡来地は、見学者が近寄れないよう進入口の道路にロープを張って隔離されています=写真⑥=。出水市荒崎に渡来するツル類はナベヅル、マナヅル、カナダヅルなど計1万2千羽を超えており、今季わずか5羽が渡来、うち1羽が11月26日に渡去し、現在渡来数4羽となっている八代のツルをなんとしても保護したいという八代地区の人たちの熱い想いが伝わってきました。

  

写真⑥:進入口の道路にロープが張られた農道の先の田んぼにあるナベヅルの渡来地

 

                       (「山口墓参旅行リポート」終わり)

 

追記

 

 山口墓参旅行リポート④の「室積(むろづみ)塩田」で触れた光市室積にある「光ふるさと郷土館」 別館・「礒部本家(いそべほんけ)旧宅」や、「光ふるさと郷土館」については、12月19日から〈光市・町歩き〉シリーズの4で掲載します。

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2015年12月17日/〈日記〉571・山口墓参旅行リポート④

2015-12-17 03:26:38 | 日記

 

写真①:明治末から大正のはじめに撮影されたといわれる「室積塩田」の写真

       =山口県光市室積の「礒部本家旧宅」で、2015年12月11日午前10時撮影

「室積塩田」のこと

山口墓参旅行リポート④

  山口県防府市の「三田尻(みたじり)塩田記念産業公園」の見学後、マイカーを走らせ、同県光市にある義父の菩提寺へ12月10日午後、到着。墓参を済ませ、市内の温泉宿・「かんぽの宿光」に泊まり、翌11日午前、江戸時代に瀬戸内海有数の港町として栄えた同市室積(むろづみ)にある「光ふるさと郷土館」 別館・「礒部本家(いそべほんけ)旧宅」を見学し、かつて同市唯一の「室積塩田」なるものがあったことを知りました。

  礒部本家は、江戸時代から明治まで「磯屋(いそや)」の屋号で廻船問屋や金融業などを営み、広大な田畑や塩田を持つ大地主で、室積の繁栄を支えた豪商。その旧宅に明治末から大正のはじめに撮影されたといわれる「室積塩田」の写真が額に入れて展示してありました=写真①=。

    「室積塩田」は、江戸時代半ばに長州藩が室積の繁栄のため造られ、後に礒部本家の所有となり、5町3反歩の面積があったという。場所は、現在の「フイッシングパーク光」の東側=写真②=で、戦後、光市に寄贈され、室積小学校や住宅団地が建てられました。

  

写真②:室町時代から山陽海路の要衝として栄えた室積の瀬戸内海の眺望。「室積塩田」は、中央奥に見える瀬戸内海の浜辺にあった。

     =山口県光市室積の「かんぽの宿光」5階客室から、12月11日午前7時50分撮影

   江戸時代、防府の「三田尻塩田」では塩業者201軒、塩の生産は36万石に達し、防長両国(周防・長門)での生産の半ばを占め、長門、周防、播磨、讃岐などにあった「瀬戸内十州塩田」でも「播州赤穂」に次ぐ国内第二位の大製塩地でした。三田尻の塩は、北前船で主に山陰、北陸、東北地方に積み出され、東北地方では塩のことを「みたじり」と呼んでいたという。

   「三田尻塩田記念産業公園」で、江戸時代に福岡藩が藩直営で開いた福津市の「津屋崎塩田」と同じ入浜式で海水を塩田に導入しての製塩工程が学べ、讃岐から津屋崎に移住して福岡藩から「塩庄屋」に任命された大社元七が「瀬戸内十州塩田」の讃岐の製塩法を津屋崎に伝えたことが理解でき、大いに参考になりました。

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570・山口墓参旅行リポート③

2015-12-16 09:23:25 | 日記

 

写真①:「沼井台」に塩がついた砂を入れる作業姿の人形

       =山口県防府市大字浜方字鶴浜の「防府市三田尻塩田記念産業公園」で、2015年12月10日午前11時50分撮影

 「三田尻塩田記念産業公園」の「塩田の地場」

山口墓参旅行リポート③


  山口県防府市の「三田尻(みたじり)塩田記念産業公園」の資料室の窓ガラス越しに、「塩田の地場」が見えます。「塩田の地場」は、海水の吸い上げを良くするため、砂粒の大きさが異なる4層からなっており、最下層から「海底の砂」「つけ砂」「張砂」「持砂」と呼ぶという。

  「三田尻塩田」では、塩田は浜溝で5区画に分かれ、1区の広さは長さ約216㍍、幅約13.5㍍で、中央に18台の「沼井(ぬい)」が置かれていました。「沼井」は塩がついた砂を沼井台の中に入れ、海水や藻だれを汲み掛けて濃い塩水の「鹹水(かんすい)」を採る装置です。「防府市三田尻塩田記念産業公園」では、「沼井台」に塩がついた砂を入れる作業姿の人形が、「鹹水」作りの工程を分かりやすく示しています=写真①=。

  「塩田の地場」の向こうには、国登録有形文化財の「釜屋の煙突」=写真②=が建っています。高さ12.5㍍、頂上部周囲4.2㍍、内径43㌢の石づくり煙突。「鹹水」を塩釜で長時間、高温で煮詰めるため、大きな煙突が必要だったという。

 

写真②:国登録有形文化財の「釜屋の煙突」

  「塩田の地場」の周囲に築かれた入川(いりかわ)に架けられた石橋は、塩や石炭を積んだ上荷船(うわにぶね)が満潮時でも通れるよう高い橋桁になっています=写真③=。

  

写真③:上荷船が満潮時でも通れるよう高い橋桁になっている石橋

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