吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2012年2月29日/〈津屋崎の四季〉897:里山に積雪

2012-02-29 10:10:29 | 風物

 

写真①:在自山(標高235㍍)頂上近くの山肌に積もった雪

 

     =福津市津屋崎2丁目の拙宅2階から、2012年2月29日午前9時55分撮影

 


 福津市津屋崎は29日朝、里山の在自山(標高235㍍)=写真①=や対馬見山(標高243㍍)に雪が積もりました

 

 2月もきょうまで。3月早々、暖かくなってほしいですね。

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2012年2月28日/〈日記〉458・宮地岳線の跡地利用

2012-02-28 10:10:08 | 日記

 

写真①:宅地造成工事が進む西鉄「宮地岳線」跡地(向こう側が旧「津屋崎駅」方向)

    =福津市宮司5丁目で、2012年2月27日撮影

 

旧西鉄宮地岳線跡地・福津市宮司5丁目で宅地造成工事進む

古賀市は、公園や歩道の整備用に跡地買い取りの方針

 古里・福津市津屋崎に乗り入れていた旧西鉄宮地岳線(福岡市東区貝塚―津屋崎間、20.0㌔)のうち新宮(福岡県新宮町)-津屋崎駅間9.9㌔が、平成19年(2007年)3月31日限りで廃止され、5年近くになります。新宮町と福津市の間にある古賀市では、路線跡地のうち大根川から福津市との境界まで2.8㌔を市土地開発公社に西鉄から先行取得させたあと買い取る方針で、公園や歩道などにして整備するための利用計画案を作る委託料を計上した平成24年度予算案を市議会に上程するという。一方、福津市宮司5丁目では民間に売却された跡地で宅地造成工事が始まっています=写真①=。古賀市と福津市の跡地利用の差は、なにゆえでしょうか。

 旧津屋崎町時代の昭和26年(1951年)7月1日、「宮地岳駅」から「津屋崎駅」まで1駅延長され、全町で祝う〝津屋崎どんたく〟が催されました。津屋崎小1年生だった私も、天神町どんたくパレード隊の〈紳士ダンス・チーム〉の一員としてラインダンスを披露した記憶が今も脳裏に残っています。

宮地岳線跡地で宅地造成工事が始まっているのは、この「津屋崎駅」―「宮地岳駅」の宮司5丁目です。北側の駐車場に使われていた敷地を含む約5,800平方㍍が約20戸の住宅地として開発工事が、福岡市の会社により4月9日までの予定で進められています。

 

この造成工事の反対側の旧「宮地岳駅」駅寄りの宮地岳線跡地も、近くの小児科病院の第二駐車場に利用されています=写真②=。

 

 

写真②:小児科病院の第二駐車場に利用されている西鉄「宮地岳線」跡地(向こう旧「宮地岳駅」方向)

    =福津市宮司5丁目で、27日撮影

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2012年2月27日/〈津屋崎の四季〉896:カササギの巣作り

2012-02-27 09:35:25 | 風物

写真①:電柱に巣作りを始めたカササギ

     =福津市宮司5丁目で、2012年2月27日午前7時25分撮影

 福津市宮司5丁目にある電柱の上部で27日朝、カササギ(カラス科)が巣作りを始めていました=写真①=

 津屋崎は時折、小雨がパラつく曇りの天気。早くも〝菜種梅雨〟のハシリのようです。

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2012年2月25日/〈津屋崎の四季〉895:只今、休憩中

2012-02-25 17:18:58 | 風物

写真①:杭の上で羽を伸ばして寛ぐカワウ

     =福津市的岡の「新堤池」で、2012年2月25日午後3時55分撮影

 只今、休憩中――文字通り羽を伸ばしていまーす!

25日午後、福津市的岡の「新堤池」でのカワウ(ウ科)さん=写真①=

そばの土手には、冷たい西風を避けて仮眠中のカルガモ(カモ科)の群れと、仲間のカワウ3羽もいました=写真②=。

  

写真②:冷たい西風を避けて土手で仮眠中のカルガモ(カモ科)の群れとカワウ3羽

     =「新堤池」で、25日午後3時55分撮影

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2012年2月24日/〈津屋崎の四季〉894:鵜の目の先に見えるのは!

2012-02-24 16:00:22 | 風物

写真①:杭の上に止まったカワウ

     =福津市的岡の「新堤池」で、2012年2月24日午後3時撮影

 福津市的岡の「新堤池」で24日午後、カワウ(ウ科)が杭の上に止まっていました=写真①=

きょうは、ちょっと暖かいな、と思いつつ、鵜が眺めている北東の在自山(標高235㍍)を見て、内心ギクリとなりました。中腹の杉林が赤茶けて杉花粉を飛散し始めているようです=写真②=。

  

写真②:杉花粉を飛散し始めた在自山中腹の杉林

   =「新堤池」で、24日午後3時撮影

マスクにゴーグルを着用して備えていた我が身ですが、鼻水が流れるのに気付きました。もっと暖かくなるという25日以降、4月初めまで花粉との戦になりそうです。

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2012年2月23日/〈津屋崎の四季〉893:久しぶりのツグミ

2012-02-23 05:19:58 | 風物

 

写真①:枯れ枝の先に止まったツグミ

     =福津市竪川で、2012年2月22日午前7時30分撮影

 久しぶりに冬鳥・ツグミ(ツグミ科)=写真①=を見かけました。2月22日朝、福津市竪川の「津屋崎干潟」東岸の県道502号線わきにある樹木の枝先に止まっていたんです。

今季は、ツグミをはじめ冬鳥の姿が例年に比べて異常に少なく感じます。寒波がひどい影響でしょうか。渡りの途中で体力が続かず、落鳥したのかもしれません。あるいは、もっと暖かな南の国へ抜けているのなら心配ないのですが…。

この独りぼっちのツグミちゃん、枝先でしばらくじっとしていました。

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2012年2月22日/〈日記〉457・TVQ九州放送のテレビで紹介されます

2012-02-22 09:41:23 | 日記

  

写真①:明治34年建築の「津屋崎千軒民俗館・『藍の家』」(国登録有形文化財)

 

きょう午後5時13分からTVQ九州放送のテレビ番組で紹介されます

「海とまちなみの会」の町興し活動や〈貝寄せ館〉改装費支援寄付金呼びかけ

 

私が所属する福岡県福津市津屋崎の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の〈津屋崎千軒〉と呼ばれる古い町並みのガイド活動や、市津屋崎3丁目に設けた事務所・〈貝寄せ館〉の改装費支援寄付金の呼びかけの様子が、きょう2月22日午後5時13分からTVQ九州放送のテレビ番組「津屋崎・折尾…歴史的景観でわが街ににぎわい作る!」で放映されます。

 

明治7年創業の「豊村酒造」や同34年建築の「津屋崎千軒民俗館・『藍の家』」(国登録有形文化財)=写真①=、卯建と鏝絵のある町家など〈津屋崎千軒〉の町並みと、〈貝寄せ館〉募金活動について16日、同放送記者とカメラマンの方の取材を受けていました。本会役員や会のホームページ、ブログとFacebookページhttp://www.facebook.com/#!/pages/%E6%B4%A5%E5%B1%8B%E5%B4%8E%E5%8D%83%E8%BB%92-%E6%B5%B7%E3%81%A8%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%AA%E3%81%BF%E3%81%AE%E4%BC%9A/275739925831878でご協力を全国の津屋崎ファンの方に呼び掛けている募金は、21日までに市内外の会員や津屋崎出身の9人の方から計15万円をお寄せいただいています。自分一人では何もできませんが、多くの皆様の支えが大きな力になっています。心より感謝申し上げます。

 

〈貝寄せ館〉の看板用流木を発見しました!

 

〈貝寄せ館〉入り口に掲げる看板用に探していた流木を2月21日午後、同市渡の「恋の浦」海岸=写真②=で見つけました。〝貝寄せの浜〟とも呼ばれる津屋崎浜にちなみ、玄界灘から吹く春先の西風で打ち寄せられる貝のように、津屋崎に流れ着いた木が看板用にふさわしいと、恋焦がれた想いが「恋の浦」の女神に通じたのかもしれません。

 

 

写真②:流木が砂浜に漂着していた福津市渡の「恋の浦」海岸(向こう左は大峰山)

 

この流木は幅30.5センチ、長さ2.33メートル(幅30.5センチの部分の長さだと1.43メートル)、厚さ1.8センチの板状で、砂浜に打ち上げられていました。〈貝寄せ館〉入り口の引き戸の上に置いて見たところ、看板=写真③=にぴったりの形状と分りました。この流木を使い、本会会員の女性デザイナーにトールペインティングの腕を振るっていただき、「貝寄せ館 津屋崎千軒 海とまちなみの会の素敵な看板を作る予定です。

 

 

写真③:「海とまちなみの会」事務所・〈貝寄せ館〉の外観設計イメージ

 

                                                                                  

◇〈貝寄せ館〉改装費支援のご浄財ご寄付のお願い

 

「海とまちなみの会」事務所・〈貝寄せ館〉改装費支援の寄付金のお振込には、西日本シティ銀行福間支店普通預金口座(「津屋崎千軒 海とまちなみの会 会長吉村勝利」、口座番号1304781)をご利用下さい。

 

お問い合わせは、E-mail:yosi3019@sage.ocn.ne.jpか、℡090-7451-8063で「海とまちなみの会」事務局・吉村勝利へお願いいたします。

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2012年2月21日/〈津屋崎の四季〉892:エナガの春

2012-02-21 10:06:57 | 風物

 

写真①:長い柄のような尾が特徴のエナガ

     =福津市宮司3丁目で、2012年2月21日午前8時45分撮影

 福津市宮司3丁目で21日朝、道路わきの樹木の枝先にエナガ(エナガ科)=写真①=がいるのを見つけました。「宮地嶽神社」・民家村自然広苑の東側です。

エナガは体長13㌢で、スズメ(体長14㌢)より小さく、10円硬貨2枚ほどの重さしかありません。「柄長」の名前の通り、丸い体より長い柄のような尾を持つのが特徴。

「ジュリッ、ジュリッ」と貝殻をすり合わせるような声で鳴きながら、枝を次々と飛び移って昆虫やクモ類、木の実などの餌を食べます。5羽の群れで、少しもじっとしていません。

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2012年2月20日/〈日記〉456・「天神橋」完成まだですか

2012-02-20 18:24:45 | 日記

 

 

写真①:架け替え工事中の「天神橋」(「新川」上流から写す。右は廃業した割烹旅館・旧「魚正」)

福津市津屋崎天神町で、2012年2月18日午後2時35分撮影

 

津屋崎・「天神橋」架け替え着工から約2か月

3月まで「新川」に架かる往還通行禁止は痛い

――福津市天神町

 

福津市津屋崎天神町の往還(〈津屋崎千軒〉通り)の「新川」に架かる「天神橋」の架け替え工事が、2011年11月28日から本格的に始まり、12年2月20日で約2か月。やっと左岸側の工事部分ができた様子=写真①=ですが、3月下旬の完成予定まではまだ時間がかかりそう

 

「天神橋」は旧津屋崎町時代の昭和28年(1953年)5月28日、改修工事が完成。私が8歳の津屋崎小学校3年生の時です。架け替え工事が終わる3月下旬まで同橋を通る往還は通行できず、「新川」下流の海岸道路(県道渡―津屋崎線)の「新天橋」を迂回しなければなりません。

 

西鉄宮地岳線の津屋崎―新宮駅(福岡県新宮町)間が廃線後、ただでさえ人通りが少なくなった〈津屋崎千軒〉通りです。「天神橋が通れんごとなって、観光客の姿もよけいに見られなくなった」と商店経営者の嘆きの声も聞かれます。3月早々には、開通してほしいものです。

 

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2012年2月19日/〈日記〉455・「象使い」の唐子を描いた津屋崎人形

2012-02-19 07:45:56 | 日記

 

 

写真①:象使いの唐子を描いた津屋崎人形の写真

=福津市津屋崎3丁目の「筑前津屋崎人形巧房」で、2011年10月24日撮影

 

象使いの唐子(からこ)を描いた珍しい津屋崎人形が、あることを知りました。福岡県直方市から福津市・〈津屋崎千軒〉の町歩きに来られたご夫婦の観光ガイドをした2011年10月24日津屋崎3丁目の「筑前津屋崎人形巧房」(原田誠当主)を訪れた際、アルバムに収録されていたカラー写真を撮影させていただきました=写真①=。同人形巧房のお話では、型が保存されており、注文生産で作る大型の人形という。

 

唐子は、中国風の服装や髪形をした子供、また、その姿をいい、唐子の姿をした人形を「唐子人形」といいます。また、唐人(韓人)は、古くは「からひと」といい、中国、または朝鮮の人のことです。江戸時代初期の慶長12年(1607年)から同後期の文化8年(1811年)まで12回にわたり、朝鮮李王朝の使者・「朝鮮通信使」が日本の信頼を得るため国書(信書)を持って来日、徳川将軍からの返書を持ち帰っています。使者の一行は、3百人から5百人で、福岡藩主は玄界灘の相島(福岡県新宮町)に寄港した使節団を接待するため、津屋崎浜(福津市津屋崎)から船に乗って出迎えに向かっていました。

 

「朝鮮通信使」の一行の接待のため、福岡藩は相島に客館=写真②=を毎回新築し、食糧の猪や鹿は立花山(新宮町)、能古島(福岡市)、津屋崎の渡山(わたりやま)で獲っていました。「朝鮮通信使」の来日のたびに、津屋崎浦の領民は藩主の相島への渡海船の漕ぎ手や荷物の運送などの水夫役、鯛を中心とした魚の提供など相当な迷惑を被ったという。

 

 

写真②:相島(福岡県新宮町)の畑に立てられた「朝鮮通信使客館図」(吉村青春著『津屋崎学』から)

 

ただ、「朝鮮通信使」の一行には書や漢詩に詳しい文化人や舞踊・楽曲を披露する芸能人も含まれ、日本各地で文化交流も行われ、異国の装束に身を固めた使節団の行列を見る人だかりができたほど。津屋崎人形は、18世紀の江戸時代中期から作られており、「朝鮮通信使」一行の唐子姿を描いた「唐子人形」の作品を生んだのも当然の流れでしょう。2011年2月、兵庫県たつの市立室津海駅館で開かれた「朝鮮通信使ゆかりの人形展」では、この「象使い」の津屋崎人形が展示されています。

 

江戸時代中期の享保14年(1729年)、清(中国)の商人がベトナムから入ってきた象を八代将軍徳川吉宗への献上品として長崎から江戸まで送っています。象は「象使い」と長崎街道を歩き、福岡県飯塚市も通っています。「筑前津屋崎人形巧房」は、江戸時代中期の安永6年(1777年)が起源ですが、珍しい「象使い」の姿は筑豊から津屋崎にも当時の絵画などから伝わったのかもしれません。今月18日、同人形巧房を訪ねた際、原田誠・7代目当主は「唐子人形の型は、『象使い』のほかにも二つ伝わっています」と話されていました。「朝鮮通信使」や「象使い」の唐子人形――津屋崎人形にまつわる歴史や文化のエピソードを知るのも楽しいものです。

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