吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2016年4月25日/〈東京・町歩き〉020・町田フットパス視察

2016-04-25 06:27:26 | 東京・町歩き

 

写真①:「小野路宿里山交流館」の長屋門

     =東京都町田市小野路町で、2016年4月11日午後0時45分撮影


〈東京・町歩きスポット〉 20 

:町田フットパス視察

  東京滞在3日目の4月11日は、東京都町田市のフットパスを視察しようと、地下鉄や京王線の電車、神奈川中央交通の路線バスを乗り継ぎ、同市小野路町の「別所」バス停で昼過ぎに下車。目の前のバス通り「鎌倉街道」を横断、「セブンイレブン町田鎌倉街道別所店」横の舗装道路を歩き、「小野路宿里山交流館」に着きました。「小野路宿里山交流館」は、町田市が江戸時代に宿場町として賑わった「小野路宿」の旅籠・「角屋(かどや)」を改修、観光拠点として整備して平成25年にオープンした施設。昭和4年ごろ建設された長屋門=写真①=は、「角屋」時代と同じ場所にあります。

  「小野路宿里山交流館」で町歩きマップをもらい、すぐ横にある「小野神社」=写真②=に参拝。境内にある「小野神社の由来」掲示文には〈小野路は鎌倉みちの宿駅として鎌倉と武蔵野の国府の置かれた府中に通づる要衝の地にある。宿の入り口にある小野神社は、小野篁(たかむら)の七代の孫小野孝泰が武蔵の国司として天禄年間(九七二)頃赴任し、小野路のこの地に小野篁の霊を祀ったことに由来する。小野篁は、平安時代前期の人で和漢に優れた学者で、学問の神様であり、菅原道真の先輩にあたる。篁の孫小野道風は、平安時代を代表する書家で三蹟として有名である〉と解説されています。

 小野篁を祭神とし、三蹟の小野道風ゆかりの神社に飛び込み参拝した偶然に感動し、学問の至らなさと筆跡麗しからずを恥じつつ拝殿に柏手を打ちました。

  

写真②:参道石段を上がると狛犬が見守る「小野神社」拝殿

  参拝を終え、「小野路宿里山交流館」前の鎌倉街道へ。新撰組の資料を公開している「小島記念館」=写真③=は休館日で、入館できませんでした。かつて「小島記念館」には道場があり、近藤勇や土方歳三らが稽古に励んだという。

 
写真③:新撰組の資料を公開している「小島記念館」

  さらに歩き、「小野路宿」の町並み中央にある「中宿」バス停を過ぎて、町田市が建てたフットパスの標識・「関屋の切り通し」=写真④=のある地点から右折して「布田道(ふだみち)」へ入ります。

  

写真④:「小野路宿」の町並みから「関屋の切り通し」への入り口に建つフットパスの標識

  「関屋の切り通し」のフットパス標識から狭い坂道を歩いて8分後、小道の分岐点の突き当たりにある「石久保地蔵尊」=写真⑤=の前に到着。

 

写真⑤:小道の分岐点の突き当たりにひっそりと建つ「石久保地蔵尊」の祠

 「石久保地蔵尊」の祠から、右の小道へ入ると、右側に『まちだフットパスガイドマップ1・2』を出版している町田市のNPO法人「みどりのゆび」の古びた案内標識=写真⑥=がありました。〈此道は布田道にて、幕末に近藤勇らが通いし道に御座候 是より関屋を経て二町程にて小野路宿に着き申し候〉と書かれています。

 

写真⑥:町田市のNPO法人「みどりのゆび」の古びた案内標識

 「みどりのゆび」の案内標識から右に上る山道が、〈近藤勇らが通いし道〉と思って行くと、両側が竹林の狭い道にさしかかりました=写真⑦=。

 

写真⑦:両側を竹林に囲まれた狭い道

 竹林の狭い道から「「関屋の切り通し」とやらに行きたかったのですが、途中の分かれ道に案内標識がなく、どうやら道に迷ったらしく、右へ右へと行けば、小野路宿へ戻れると決断。狭い階段の小道=写真⑧=を降りたら、「小野路宿」の町並みにたどり着けました。

 

写真⑧:竹林の狭い道から下る狭い階段の小道(手前が「小野路宿」の町並み)

 このあと、「小野路宿」の町並みからバス停のある「別所」まで来た道を引き返し、「小野路宿」散策コースにある大犬久保(おいなくぼ)の眺望ポイントを見に坂道を上りました。道の山側にある「ムクロジの大木」=写真⑨=前に到着、道の上に羽根つきのつくばねに用いる黒い実が2つ落ちており、記念に拾って持ち帰りました。福津市の「宮地嶽神社」参道石段最上部脇にあるムクロジの古木の下にも、この黒い実が落ちているか、気になりました。

 

写真⑨:散策コースの山側にある「ムクロジの大木」

 「ムクロジの大木」から百㍍ほど進み、振り返って見ると〈畑と丘陵の緑が波を打って広がる美しい眺望〉スポットのようでした=写真⑩=。

 

写真⑩:畑と丘陵の緑が波を打って広がる大犬久保の田園

 このあと、「別所」へ引きかえす途中、大犬久保の「谷戸」(やと)の景観=写真⑪=を撮影。「谷戸」は、小さな丘陵や、丘陵と丘陵の間から流れる湧水によって開かれた地域のことで、「谷戸」がいくつも折り重なって多摩丘陵の潤いのある景観を形成しています。

 

写真⑪:多摩丘陵の潤いのある景観の一つ・大犬久保の「谷戸」

                       (このシリーズを終わります)

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〈催事〉0437:津屋崎千軒よっちゃん祭

2016-04-24 06:29:16 | 行楽催事

 

写真①:大勢の家族客や観光町歩きの人でにぎわうイベント広場

     =福津市津屋崎3丁目の「福津市まちおこしセンター」で、2016年4月23日午前10時50分撮影

〈津屋崎千軒よっちゃん祭〉24日まで開催

初日の町歩きグラフ・レポート

  福津市の恒例イベント・〈津屋崎千軒よっちゃん祭〉=写真①=が4月23日開幕。午前中、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の観光ガイド拠点事務所から〈津屋崎千軒通り〉を津屋崎漁港まで歩いて楽しみました。

  津屋崎3丁目の「福津市まちおこしセンター」のイベント広場では、市立津屋崎中学校生徒らのブラスバンド演奏=写真②=が、ステージを盛り上げ。


写真②:ブラスバンド演奏を披露する福津市立津屋崎中学校生徒たち

 イベント広場前の「しおさい通り」を渡って向かいにある「力丸洋品店」に、抹茶サービスのお店がお目見え=写真③=しており、着物姿の女性に柏餅とよもぎ餅を注文、店内のベンチでおいしくいただきました。

 

写真③:抹茶サービスのお店に変身した「力丸洋品店」

  「力丸洋品店」前の〈津屋崎千軒通り〉近くの家のシャッターや塀などには、津屋崎小学校児童が描いた「波折神社」や「津屋崎漁港」などの絵画が展示されています=写真④=。

 

写真④:シャッターに展示されている津屋崎小学校児童の絵画

  さらに、〈津屋崎千軒通り〉を歩いていくと、左手に元燃料店だった「王丸屋」の2階建て町家がリフォームされ、津屋崎の郷土料理・「だぶ」とおにぎり提供の「みんなの縁側」のお店になっていました=写真⑤=。

 

写真⑤:津屋崎の郷土料理・「だぶ」とおにぎり提供の「みんなの縁側」

 津屋崎4丁目の「豊村酒造」=写真⑥=では、清酒「豊盛」の試飲即売や「豊村酒造百年史」、「山笠の子どもたち」などの写真を展示。

 

写真⑥:清酒「豊盛」の試飲即売や写真展が開かれている「豊村酒造」

  「豊村酒造」隣りの「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」では、1階座敷で藍染め作品や日本の和歌集から貝に因んだ藤原定家、西行法師などの名吟を選び、それに相応する小貝36個を箱に入れた貝の標本・「三十六歌仙貝」=写真⑦=、『藍の家』を舞台に撮影されたNHK福岡放送局制作で総合テレビで全国放送された2014年度福岡発地域ドラマ「ここにある幸せ」の主役・松田翔太さんと宮本信子さんの写真が展示されています。

 

写真⑦:『藍の家』座敷に展示されている藍染め作品や「三十六歌仙貝」(手前)

 『藍の家』近くの「瀬戸鮮魚本店」では、おいしいと定評のあるてんぷらを求める人の列が出来ていました=写真⑧=。ふだんは卸販売され地元でも買えないだけに、〈津屋崎千軒よっちゃん祭〉では唯一の〝行列の出来る店〟です。揚げたてのてんぷらを土産に買いたかったのですが、「貝寄せ館」での観光ボランテイアガイド当番の時刻が迫っていたのであきらめました。

 

写真⑧:〝行列の出来る店〟・「瀬戸鮮魚本店」前でてんぷらを求める人たち

 カレーやかるかんが味わえる「波折神社」横の「Café and Galley古小路」=写真⑨=には女性客が訪れていました。

 

写真⑨:女性客が訪れている「Café and Galley古小路」

 〈津屋崎千軒通り〉から津屋崎漁港へ出て、「お魚センターアーケード」へ。獲れたての魚やいか焼などの露店が並び=写真⑩=、そばの駐車場の特設ステージでの楽器演奏を楽しむ家族客の姿も見られました。〈津屋崎千軒よっちゃん祭〉は最終日の24日、午前10時から午後4時まで開催されます。

 

写真⑩:獲れたての魚やいか焼などの露店が並ぶ「お魚センターアーケード」

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2016年4月23日/〈東京・町歩き〉019・喜多院

2016-04-23 04:17:14 | 東京・町歩き

 

写真①:〈川越大師〉として信仰を集める「喜多院」の本堂(慈恵堂)

     =埼玉県川越市小仙波町で、2016年4月10日午後2時25分撮影


〈東京・町歩きスポット〉 19 

:喜多院

  埼玉県川越市郭町の「川越城本丸御殿」を訪れた4月10日午後、次に〈川越大師〉として信仰を集めている同市小仙波町の「喜多院」=写真①=に参拝しました。もとは平安時代の天長7年(830年)、淳和(じゅんな)天皇の勅(みことのり)により慈覚大師円仁が創建した勅願所で、本尊阿弥陀如来をはじめ不動明王、毘沙門天などを祀り、無量寿寺と名付けられた天台宗の寺院です。

  鎌倉時代の元久2年(1205年)、兵火で無量寿寺の建物が炎上後、永仁4年(1296年)に伏見天皇が尊海僧正に再興させた際に慈恵大師(元三大師)をお祀りし、関東天台の中心となりました。その後、室町時代の天門6年(1537年)に兵火で炎上しましたが、江戸時代初期の慶長16年(1611年)に徳川家康公が第27世住職・天海僧正(慈眼大師=1536~1643)=写真②=の意見により酒井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改めたという。

 

写真②:「喜多院」境内にある天海大僧正の銅像

  寛永15年(1638年)の川越大火で、現存の山門(寛永9年建立)を除き喜多院の建物はすべて焼失。このため、3代将軍徳川家光公が、江戸城紅葉山(もみじやま=皇居)の別殿を移築して、客殿、書院などに充てました。「家光公誕生の間」や「春日局化粧の間」などが移築された客殿、書院が、国指定重要文化財として保存公開されているのはこのためです。客殿、書院へ通じる庫裏・寺務所の玄関=写真③=から入り、「家光公誕生の間」を見学しましたが、撮影禁止で写真をお見せできないのが残念です。

 
写真③:客殿、書院へ通じる庫裏・寺務所の玄関

  このほか、「慈恵堂」(埼玉県指定文化財)、釈迦・多宝如来の二仏を祀る仏塔の「多宝塔」(同)=写真④=、「鐘楼門」(国指定重要文化財)など現存の建物を数年間で再建、現在まで文化財として大切に守られているという。

 

写真④:埼玉県指定文化財の仏塔・「多宝塔」

  境内には、「五百羅漢」(川越市指定文化財)=写真⑤=も祀られています。釈迦の弟子の高僧ら悟りを開いた533尊者の石像が鎮座しており、江戸時代中期の天明2年(1782年)から江戸後期・文政8年(1825年)まで約50年間にわたって建立されました。

 

写真⑤:533尊者が鎮座する「五百羅漢」

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2016年4月22日/〈東京・町歩き〉018・川越城本丸御殿

2016-04-22 05:20:05 | 東京・町歩き

 

写真①:巨大な唐破風風屋根と間口3間の広い開口部を誇る「川越城本丸御殿」

     =埼玉県川越市郭町で、2016年4月10日午後1時50分撮影


〈東京・町歩きスポット〉 18 

:川越城本丸御殿

  4月10日午前、埼玉県川越市中央通の〝小江戸・川越〟の町並み散策後、同市幸町にある明治創業の手打ち茶そばの名店・「寿庵」でかもなん抹茶そばで軽く昼食。午後は同市郭町にある「川越城本丸御殿」=写真①=を訪れました。東日本唯一の本丸御殿遺構で県指定有形文化財です。玄関は巨大な唐破風風屋根に間口3間の広い開口部と、8寸角の太い柱が石高17万石の大名御殿にふさわしい威容を誇っています。

 川越城は室町時代の長禄元年(1457年)、扇谷(おうぎがやつ)上杉持朝(もちとも)が家臣の太田道真、道灌父子らに命じて築かせ、徳川家康が江戸城に入った後は有力大名が配置されました。本丸御殿は江戸後期・嘉永元年(1848年)に造営、城主の住まいや家臣が常駐する部屋などが設けられていましたが、明治維新後に多くの建物が解体、移築され、今は玄関や、城主のお出ましまで来客が待機する36畳の「大広間」=写真②=、家老詰所などが残っているだけ。

 
写真②:欄間や襖絵の意匠が座敷を引き立たせる「大広間」

  「大広間」の隣には、15畳の「使者の間」=写真③=が配置されています。

 

写真③:15畳の「使者の間」

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2016年4月21日/〈東京・町歩き〉017・小江戸・川越

2016-04-21 16:17:42 | 東京・町歩き

 

写真①:江戸の風情が漂う〝小江戸・川越〟の町並み

     =埼玉県川越市中央通で、2016年4月10日午前11時30分撮影


〈東京・町歩きスポット〉 17 

:小江戸・川越

  4月10日、東京の娘宅から娘婿の運転する車で首都高速道路を走り、埼玉県川越市中央通の〝小江戸・川越〟の町並み=写真①=を散策しました。

  明治26年(1893年)の川越大火で、焼け残った建物が伝統的な蔵造りだったことから、蔵造り建築の店舗・「店蔵」が「江戸黒(えどぐろ)」と呼ばれる江戸の町並みを模した黒漆喰仕上げの壁で建てられたという。この「店蔵」造りの重厚な建物=写真②=30数軒が連なる町並みは、平成11年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。

 


写真②:重厚な「店蔵」が中央通に軒を連ねる国選定「重要伝統的建造物群保存地区」

  川越大火の際にも焼け残り、川越最古の蔵造りという「大沢家住宅」(重要文化財)=写真③=は寛政4年(1792年)、呉服太物を商う豪商・「近江屋」の西村半右衛門が建てた二階建てです。

 

写真③:川越最古の蔵造りの「大沢家住宅」

 明治26年(1893年)に煙草卸商・小山文造が建てた蔵造りの町家だった「蔵造り資料館」(市指定文化財)=写真④=では、蔵造りの構造や意匠を見学できます。

 

写真④:煙草卸商が明治26年に建てた蔵造りの「蔵造り資料館」

 館内の展示室には、江戸の大火と街づくりの解説パネル=写真⑤=もありました。

 

写真⑤:江戸の大火と街づくりの解説パネル

 「蔵造り資料館」近くの中央通から入った横道にあり、川越の象徴として知られる鐘楼・「時の鐘」(市指定文化財)=写真⑥=を聞こうと訪ねましたが、耐震化工事中で1日4回(6時、正午、15時、18時)を告げる鐘の音は聞けず、残念でした。江戸時代初期の寛永年間に川越藩主・酒井忠勝が建築、明治時代の川越大火の直後に再建されたといい、記念写真を撮る観光客らの人気を集めています。

 

写真⑥:川越のシンボル・「時の鐘」を撮影する人たち

 「時の鐘」から歩いて中央通に戻り、青緑色の塔屋が印象的な「埼玉りそな銀行川越支店」=写真⑦=が、目にとまりました。大正7年(1918年)に保岡勝也の設計で第八十五銀行の本店として、ネオ・ルネサンス様式で建てられ、国登録有形文化財です。

 

写真⑦:ネオ・ルネサンス様式の洋風建築の「埼玉りそな銀行川越支店」

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2016年4月20日/〈東京・町歩き〉016・多摩動物公園昆虫園

2016-04-20 06:10:34 | 東京・町歩き

 

写真①:「多摩動物公園」の入り口

      =東京都日野市で、2016年4月9日午後2時20分撮影


〈東京・町歩きスポット〉 16 

:多摩動物公園昆虫園

  東京都日野市にある「多摩動物公園」=写真①=を4月9日、初めて訪れました。東京の娘宅に遊びに行った機会に、〝海を渡る蝶〟アサギマダラ(タテハチョウ科マダラチョウ亜科)を飼育しているという「昆虫園」を見学するのが目的でした。

  「昆虫園」は、「多摩動物公園」入り口から坂道の園路を右に上った丘陵地にあり、「昆虫生態園大温室」=写真②=に蝶が放し飼いにされています。案内板には、3月に同大温室に放した蝶は1,114匹と表示されており、幼虫が食べる植物も育てているという。


写真②:蝶が放し飼いにされている「昆虫生態園大温室」

 「昆虫生態園大温室」の通路沿いにマダラチョウの仲間を写真入りで解説したパネル=写真③=が掲示され、日本全土に分布するアサギマダラと奄美大島以南に分布のリュウキュウアサギマダラが並んで紹介されていました。

 

写真③:アサギマダラとリュウキュウアサギマダラの解説パネル

 「昆虫生態園大温室」内には、日本の蝶では最大級で、沖縄本島以南に分布する白い翅に黒いまだら模様が特徴のオオゴマダラ(タテハチョウ科)=写真④=をはじめ色とりどりの蝶が飛び交い、両親と訪れた女の子が花の蜜を吸う蝶を見て歓声をあげています。

 

写真④:白い翅を開いたオオゴマダラ

 「昆虫生態園大温室」と別棟の「昆虫園本館」には、「昆虫の渡り」を解説したパネルが展示され、台湾で放たれたアサギマダラが日本で捕獲された事例が地図付きで紹介されていました=写真⑤=。

  

写真⑤:台湾で放たれ日本で捕獲されたアサギマダラを紹介したパネル

  「多摩動物公園」の話では、アサギマダラの越冬幼虫は飼育していないそうで、蛹になって羽化する過程を聞きたかっただけに残念でした。この日は時間がなく1時間余りの園内見学でしたが、土曜日の午後とあって園内では食事を楽しむ家族連れ=写真⑥=で賑わっており、今度訪れる時は家族で「昆虫生態園」以外の「アジア園」や「オーストラリア園」の鳥類と動物の観察も楽しみたいと思いました。

  

写真⑥:園内では食事を楽しむ家族連れ

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2016年4月17日/〈津屋崎の四季〉1143:雨後の筍

2016-04-17 07:07:12 | 風物

写真①:竹林の地面から次々と顔を出した筍

     =福津市宮司6丁目で撮影

雨後の筍、ニョキニョキと

  雨後の筍――。福津市宮司6丁目にある竹林では、雨上がりに次々と筍が地面から顔を出しています=写真①=。

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〈催事〉0436:ボタンの花次々と咲く

2016-04-15 08:02:52 | 行楽催事

 

写真①:見ごろになったボタンの白い花

     =福津市宮司元町の「宮地嶽神社」ボタン園で、2016年4月15日午前7時10分撮影

赤や白、ボタンの花次々と咲く

――福津市・「宮地嶽神社」

 福津市宮司元町にある「宮地嶽神社」境内のボタン園では、白=写真①=や赤、ピンク、赤紫などの花が次々と咲いています。

 そばの奥の院に通じる参道では、八重桜の花=写真②=も境内に彩りを添えており、15日朝はシャッターを切るアマチュアカメラマンの姿も見られました。

 

写真②:奥の院に通じる参道に彩りを添える八重桜の花

     =15日午前7時15分撮影

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2016年4月6日/〈津屋崎の四季〉1142:「あんずの里」の桜の花も満開

2016-04-06 13:09:52 | 風物

 

写真①:ソメイヨシノの花が満開になった桜並木を訪れた人たち

     =福津市市勝浦の「あんずの里運動公園」で、2016年4月6日午前11時45分撮影

 満開のソメイヨシノの花見客で賑わう

――福津市・「あんずの里運動公園」

  うららかな天気に恵まれた4月6日、福津市勝浦の「あんずの里運動公園」では、満開のソメイヨシノの花=写真①=を見ながら昼食を楽しむ家族連れや女性グループで賑わっています。

  公園内に植栽されているアンズの木は、花が落ちたあと伸び出した新芽の緑が瑞々しい感じです。

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〈催事〉0435:〝光の道〟を掛け抜ける開運一番駆け

2016-04-03 05:38:47 | 行楽催事

 

写真①:参道石段最上部から1.4K先の宮地浜まで真っすぐ延びる参道の絶景

     =福津市元町の「宮地嶽神社」で、2016年2月25日撮影

 「嵐」CMで話題の〝光の道〟を掛け抜ける「第13回開運一番駆け」

きょう3日午前10半、福津市・「宮地嶽神社」で開催

 人気アイドルグループ・「嵐」のテレビCMで話題の〝光の道〟を一番駆けしませんか――。福津市宮司元町の「宮地嶽神社」で、きょう4月3日午前10時30分から、参道を駆け上がって開運をつかみ取るイベント、〈走れ!宮地嶽神社「第13回開運一番駆け」〉(市商工会主催)が行われます=写真①=。

  競技の出場者は、「宮地嶽神社」門前町入り口の「小松屋」前参道を太鼓の合図でスタート。270㍍離れたゴールの楼門まで参道や81段の石段を懸命に駆け上がり、ちびっ子の部(新旧小学5・6年生)、一般女子の部(18歳以上。高校生を除く)、一般男子の部(18歳以上。高校生を除く)別に競い、優勝者の開運一番男・一番女には福津市の特産品が授与されます。

  「宮地嶽神社」参道石段の最上部から1.4K先の宮地浜まで真っすぐ延びる参道の絶景が2月11日、JALの国内旅行企画『先得』シリーズ新CMで「嵐」メンバー5人が感動する〝光の道〟としてテレビ放映され、全国的に知られる絶景スポットになりました。以降、同神社に各地から「嵐」ファンの参拝が急増。「嵐が見た絶景ロケ地に『共有したい』ファン殺到」の記事見出し入り週刊誌・『週刊女性』の広告が3月10日付読売新聞に掲載され、福岡の〝嵐神社〟としてファンの人気が続いており、この日の「開運一番駆け」は「嵐」ファンの〝光の道〟観光客も呼び込み、例年以上に賑わいそうです。

 神社境内では、「桜花まつり」(10日まで)のイベントとして、この日午前10時から和太鼓やキッズダンス、バンド演奏が披露される『花コンサート』や、九州各地のグルメをケータリングカーで楽しめる『ケータリングカー&グルメ博』も開催されます。

 

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