吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2006年12月31日/〈津屋崎の四季〉042・「結びの夕陽」

2006-12-31 19:33:44 | 風物

写真①:玄界灘の水平線に沈む2006年の「結びの夕陽」
     =福津市の津屋崎海水浴場で、12月31日午後5時16分撮影


 津屋崎は、夕陽(ゆうひ)が美しい町――。12月31日午後4時から福津市の津屋崎海水浴場で、玄界灘に沈む2006年最後の夕陽=写真①=を見送るイベント「結びの夕陽」が催され、市民約200人が参加しました。

 今年から初めて市が主催し、市観光協会が運営を担当。この日は、福岡地方は穏やかな晴天に恵まれ、市福祉会館「潮湯の里 夕陽館」下の海岸のイベント会場では、家族連れの市民らが持参したソバを市が用意した炊き出しの釜でゆでてもらい、ソバつゆや食器の提供を受けて、〝年越しソバ〟に舌鼓を打ちました。

 午後4時40分から約30分間、津屋崎少年少女合唱団(熊丸みつ子さん指揮)の小中学生28人が、「アメイジンググレイス」や「ドレミの歌」など7曲を熱唱=写真②=、盛んな拍手を浴びました。


写真②:砂浜の舞台で熱唱する津屋崎少年少女合唱団の子供たち
     =津屋崎海水浴場で、06年12月31日午後4時48分撮影

 このあと、日没に合わせてカウントダウンが行われ、参加者全員が水平線に沈む真っ赤に燃える夕陽を見送りながら万歳を三唱、暮れ行く年の瀬を惜しみました。


写真③:全員で万歳三唱をして暮れ行く06年を惜しむ「結びの夕陽」参加者たち
     =福津市の津屋崎海水浴場で06年12月31日午後5時18分撮影

 吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」の掲載は、06年はこれで終わります。ご愛読いただいた皆様も、どうぞよいお年をお迎え下さい。

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2006年12月31日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉014

2006-12-31 06:14:04 | 行楽催事
〈07年1月・2月の行楽・催事案内〉


●写真①:初詣客で混雑する「宮地嶽神社」拝殿前の境内
=福津市宮司で、2006年1月1日午後4時57分撮影

1月
 1日(月)=「歳旦祭」:午前0時、福津市宮司の宮地嶽神社で。大太鼓の合図とともに、新年の商売繁盛、家内安全、無病息災を祈願します。宮地嶽神社は開運の神様で、3が日は約100万人の初詣客で賑わいます。1日から14日(日)まで行われる新春開運くじの初穂料は、1,000円。

宮地嶽神社(福岡県福津市宮司):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕西鉄宮地岳線宮地岳駅下車、徒歩10分。JR鹿児島線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きか、神湊波止場行きで10分の「宮地岳宮前」で下車し、徒歩5分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約20分。駐車台数1200台。年末年始の交通規制は、06年12月31日午後10時から07年1月1日午後9時まで、2-4日は午前9時から午後7時まで。JR福間駅から出る同神社参拝用臨時バスでは、神社前で下車可能。問い合わせは、宮地嶽神社(0940-52-0016)へ。

宮地嶽神社
        宮地嶽神社の位置図
        (ピンが立っている所)

 7日(日)=「七草粥(がゆ)」を振る舞う:午前9時30分から午後2時まで、福津市勝浦にある市営農林漁業体験実習施設「あんずの里ふれあいの館」の市農産物直売所・「あんずの里市」の「ふるさとレストラン あんず」(℡0940-52-3891)で。あんずの里市利用組合(℡0940-52-5995)が、伝統行事の体験と、お客さんに元気に買い物に来てもらいたいと、組合員が農地周辺で摘んだりした七草で作った「七草粥」を無料提供。

あんずの里ふれあいの館
      「あんずの里市」位置図
       (ピンが立っている所)

13日(土)=「玉替祭」:午後6時、福津市宮司の宮地嶽神社で。同神社に伝わる民話に由来する行事。昔、正直な村人が、宮地嶽の山中で道に迷い、モマ(フクロウ)の声に導かれるままに行くと、黄金色に光る「金の玉」を見つけました。これは宮地嶽の神様がお授けになった宝に違いないと持ち帰り、お祀りしたところ、たいへん幸せになったという。「玉替祭」で、「金の玉」「銀の玉」をはじめ、多くの縁起物が当たるモマ玉を、多くの人と替えると、幸運を招き、福徳が増すと言われています。モマ玉の初穂料は、300円。抽選は午後7時から。                                                                                        


14日(日)=「開運宮座祭」:午前8時、福津市宮司の宮地嶽神社で。鏡開きに由来するといわれる祭典。年の初めに大神様にお供えした米・酒・餅・魚・野菜などが神聖な火で調理され、高足膳に盛り付けられます。古来より伝わる宮司式手打の後、このお膳をいただき、一年間の開運と無病息災を祈ります。この神様と人との共食の儀は百畳敷の開運殿で行われ、毎年この一番座席を求めようと遠方からも多くの参拝者が訪れます。一座席の初穂料は1,000円。

2月

 1日(木)=「組み木作品展」:10日(土)まで、福津市新町の「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」(℡0940-52-0605)で。組み木夢工房( 秦信男代表)主催。地元特産品の「組み木人形」の新作展示会で、販売も行われます。

 3日(土)=節分祭:宮地嶽神社で。

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2006年12月30日〈津屋崎の野鳥〉049:「津屋崎干潟」の野鳥グラフ

2006-12-30 10:15:44 | 福津市津屋崎の野鳥
●写真①:「津屋崎干潟」東岸の電柱に止まったトビ
      =福津市渡で、2006年12月6日午前9時42分撮影

 2006年11-12月に福津市渡の「津屋崎干潟」で見かけた野鳥のグラフ・スケッチです。
 
 12月6日朝、「津屋崎干潟」東岸の電柱にトビ(タカ科)が止まり、辺りを睥睨(へいげい)しています=写真①=。

 12月12日朝、「津屋崎干潟」で、マガモ(カモ科)が泳いでいるのを見かけました=写真②=。

 
写真②:「津屋崎干潟」入り江で泳ぐマガモたち
     =12月12日午前9時28分撮影

 12月6日朝、「津屋崎干潟」入り江で、カイツブリ(カイツブリ科)が2羽泳いでいました。互いに反対の方向を向いています=写真③=。


写真③:入り江で泳ぐ2羽のカイツブリ
     =12月6日午前9時41分撮影

 11月29日朝、「津屋崎干潟」で、コサギ(サギ科)が佇んでいました=写真④=。


写真④:「津屋崎干潟」で佇むコサギ
     =11月29日午前10時36分撮影

 12月2日午後、「津屋崎干潟」に立つ杭にカワウ(ウ科)たちが止まり、のんびりとした雰囲気です=写真⑤=。


写真⑤:「津屋崎干潟」に立つ杭に止まったカワウたち
     =12月2日午後2時37分撮影

 11月8日午後、「津屋崎干潟」の西側の電線にミヤマガラス(カラス科)が群れ、にぎやかでした=写真⑥=。


写真⑥:「津屋崎干潟」西側の電線に群れるミヤマガラス
     =11月8日午後0時07分撮影
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2006年12月30日/〈日記〉73・ウミガメが産卵に来る美しい海岸は津屋崎の自然遺産

2006-12-30 07:05:01 | 日記

写真①:ウミガメが産卵に訪れる勝浦海岸
     =福津市勝浦塩浜で、2006年12月12日午後0時20分撮影

 福津市津屋崎が自然豊かな環境にあることは、「津屋崎干潟」に世界でも数少ない絶滅危惧種の渡り鳥・クロツラヘラサギ(トキ科)が今年も飛来したことや、カブトガニが生息していることでも分かります。加えて、福岡県内でもあまりないウミガメが産卵に訪れる美しい勝浦海岸=写真①=が残っていることも、自然に恵まれた津屋崎の象徴といえるでしょう。

 その勝浦海岸で今年7月、市のウミガメ産卵調査に加わっていた専門学校生が仕掛けられていた落とし穴に落ち、足を負傷するというおぞましい出来事があったのは、悲しいことでした。私はたまたま探鳥に訪れた勝浦海岸で12月12日、「落とし穴に注意」と赤い文字で書かれた福津市作成の看板=写真②=が建てられているのを見て、ここが現場だったのだと気付き、驚きました。看板では、次のような文面で市民に注意を呼びかけています。

 〈この海岸に「釘を仕掛けた落とし穴」が数か所作られていました。このような行為は、きわめて危険な犯罪行為です。発見した際は、ただちに宗像警察署及び福津市に通報してください〉


写真②:「落とし穴に注意」と赤い文字で書かれた看板
      =福津市勝浦塩浜で、2006年12月12日午後0時20分撮影

 この看板の近くには、福津市うみがめ課が建てた「ウミガメ保護規制のお願い」の看板もあり、次のようなお願いが書かれていました。

〈・ウミガメを見つけたら生死に関係なく、うみがめ課に報告して下さい。
 ・ゴミは必ずお持ち帰り下さい。
 ・ウミガメの捕獲や卵の採取は禁止されています
 ・漁港や海岸周辺での、次の行為は6月から10月まで自粛して下さい。
  ①海岸への車両の乗り入れ
  ②車のヘッドライト等海岸照射
  ③焚き火・キャンプ等
  ④フラッシュ・ストロボ等照明の使用
  ⑤花火・大声などの騒音 〉


写真③:福津市が建てた「ウミガメ保護規制のお願い」の看板
     =福津市勝浦塩浜で、12月12日午後0時20分撮影

 今夏は3年ぶりに市内の海岸でウミガメの産卵があり、卵を安全な場所に埋め替えて観察する市ウミガメ特捜隊の保護活動が功を奏し、産み落とされた卵325個のうち273匹の子ガメが孵化し、孵化率は84%で、自然界での孵化率60-70%を上回ったという。ウミガメが産卵に訪れる美しい海岸は、津屋崎の誇るべき自然遺産ではないでしょうか。2007年は、自然保護意識がさらに高まり、「落とし穴に注意」の看板が不要になる1年になるよう願いたいですね。
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2006年12月29日の追加〈津屋崎の野鳥〉048:クロツラヘラサギ

2006-12-29 12:06:39 | 福津市津屋崎の野鳥
●写真①:「津屋崎干潟」に飛来したクロツラヘラサギ3羽
      =福津市渡で、2006年12月29日午前8時48分撮影

 福津市渡の福岡県指定鳥獣保護区「津屋崎干潟」に、世界的に数が少ない絶滅危惧種に環境庁から指定されているクロツラヘラサギ(トキ科)3羽が12月29日朝、飛来しているのを見つけました=写真①=12月27日に1羽が飛来しているのを確認していましたが、今季一番の寒気に見舞われたこの日は3羽に増えていました。

 体長73㌢。体は白く、眼から嘴までが黒色=写真②=で、脚も黒い。浅瀬の水中に嘴を少し開いて入れ、頸を左右に振って歩き回りながら、嘴に触れた魚を捕らえる動作が独特です。越冬中に鳴くことはほとんどありません。

 世界でも約1,000羽しか生息していないとされ、主に朝鮮半島で繁殖し、冬鳥として福岡県内に渡来。福岡市東区の人工島を含む博多湾一帯では10月8日に4羽が愛鳥家に確認されたほか、11月5日に日本クロツラヘラサギネットワークが行った調査では人工島で43羽、同市西区の今津干潟で24羽の飛来が確認されています。

 「津屋崎干潟」は、2006年11月に福岡県鳥獣保護区に指定されたばかり。これまで同干潟へのクロツラヘラサギの渡来は03年、04年、05年と連続して1-4羽が確認され、06年は12月10日に1羽の飛来を福津市内の愛鳥家が確認しているという。


写真②:干潟で餌を探すクロツラヘラサギ3羽
     =「津屋崎干潟」で、2006年12月29日午前8時48分撮影
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2006年12月29日〈津屋崎の野鳥〉047:タゲリ

2006-12-29 04:32:33 | 福津市津屋崎の野鳥
●写真①:寒風の吹く田んぼで餌を探すタゲリ
      =福津市末広で、2006年12月28日午後2時08分撮影

 久しぶりに冬鳥のタゲリ(チドリ科)=写真①=を見ました。以前、福岡市の福岡空港で芝生の上を歩いているのを搭乗中の飛行機の窓から目撃したのは1羽でしたが、12月28日午後、福津市末広の稲刈り跡の田んぼでは一度に5羽も観察できました。一緒に渡ってきたグループでしょうか。

 タゲリは体長31㌢で、ハトぐらいの大きさのチドリです。背中は金属光沢のある緑色。胸には幅の太い黒帯があり、腹部は白い=写真②=。顔は黒白模様で、頭に黒い冠羽があるのが特徴。「ミューッ、ミャーッ」と猫に似た声で鳴きます。


写真②:稲刈りの跡の田んぼに降りた2羽のタゲリ
     =福津市末広で、06年12月28日午後2時08分撮影
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2006年12月28日〈津屋崎学〉019:桃中軒雲右衛門と「新泉岳寺」

2006-12-28 10:34:22 | 郷土史

●写真①:東京・高輪の「泉岳寺」の寺号と墓砂を分霊として譲り受け、建立された「新泉岳寺」

      =福津市津屋崎天神町で、2006年8月6日午前6時30分撮影

琢二と清の郷土史談義
『津屋崎学』

第19回:2006.12.28
  桃中軒雲右衛門と「新泉岳寺」


清 「おいしゃん(叔父さん)、今年もあと3日を残すだけになったね。12月14日、福津市津屋崎天神町の万松山新泉岳寺=写真①=で、約300年前の赤穂浪士討ち入りの義挙をたたえる〈義士祭〉=写真②=が催されたのに初めて行ったっちゃが、約70人も参列者がいて、感動したばい。旧暦の元禄15年(1702年)に大石内蔵助ら赤穂浪士が吉良上野介の屋敷に討ち入った日のことが、津屋崎でも年に1回、新泉岳寺で話題になるっちゃね」


写真②:万松山新泉岳寺で催された赤穂浪士討ち入りの義挙をたたえる〈義士祭〉
     =福津市津屋崎天神町で、2006年12月14日午前11時30分撮影

琢二 「新泉岳寺は、津屋崎の観光開発を手がけた実業家、児玉恒次郎氏が桃中軒雲右衛門=写真③=の義士を扱った浪曲に感動し、四十七士を祭っている東京・高輪の泉岳寺の寺号と墓砂を分霊として譲り受けて建立した。そのへんの経過は、福津市が新泉岳寺の境内入り口に建てた案内標示の解説文=写真④=に次のように書かれとる。

〈渡半島に活洲場(いけすば)を開設するなど、町の観光開発に熱心だった故児玉恒次郎氏が大正2年(1913年)に建立(創設)した赤穂四十七士の墓です。
 福本日南の『義士銘々伝』を浪曲師として有名な桃中軒雲右衛門の語りで全国に広めた児玉氏の功績が認められ、東京高輪の泉岳寺から特別に許可を受け、寺号と47人の義士の墓砂を分霊として持ち帰ったものです。
 毎年、12月14日の討ち入りの日には、児玉氏の親族などにより義士祭が行われており、法要やそばの接待が行われています〉

福本日南は、今の西日本新聞の前身だった九州日報の社長兼主筆だ。ところで、この桃中軒雲右衛門が、津屋崎の天神町に住んどったのを知っとうや?」
清 「何も知らん。第一、桃中軒雲右衛門どころか、浪曲というのもよう知らんもん」


写真③:明治40年代に爆発的な人気を得た名浪曲師・桃中軒雲右衛門
     =06年12月27日、田中香苗氏著『津屋崎風土記』から複写
    
琢二 「浪曲は浪花節とも言い、明治時代初期から始まった演芸三味線の伴奏に合わせて節を付けて歌う部分と、語りの部分を一人で演じる寄席演芸たい。〈浪花節だよ、人生は〉と言われるように、義理人情の世界を題材にした演目が多い。明治時代の初期に、大阪の芸人浪花伊助が新しく売り出した芸が大うけして、その名前から〈浪花節〉と名付けられた。以後、明治40年代に一世を風靡した桃中軒雲右衛門や二代目広沢虎造の活躍で戦前まで全盛を迎えた。私の若いころは、広沢虎蔵の浪曲、『清水次郎長伝』なんかが、NHKラジオ放送の番組で流されとったから、〈旅行けば、駿河(するが)の国に茶の香り…〉などと、語り口調を真似して唸ったもんや」


写真④:福津市が建てた案内標示に書かれた「新泉岳寺」の解説文
     =「新泉岳寺」境内入り口で、06年10月28日午前10時58分撮影


清 「へー。それで、桃中軒雲右衛門は、どげな浪曲をやっとったとね」
琢二 「桃中軒雲右衛門は群馬県出身で、父親は吉川繁吉といい、祭文語りをしていた。雲右衛門は、松の盆栽と金屏風を両側に置いた舞台で、富士山のように裾にゆくほど左右に広がるテーブル掛けの席の立ち高座で語る舞台演出を考案し、浪花節人気を高め、浪界の宗家とか、浪聖とも呼ばれた。修行中に静岡県で東中軒という駅弁当屋で空腹をしのいだため、富士山よりも上にある雲のように雲から上はないような芸人になりたいと願って、26歳だった明治25年(1892年)に祭文語りの二代目繁吉を桃中軒雲右衛門と改名した。雲右衛門の語りは、腹の底から唸り出すような祭文調の美声で〈人生わずか五十年、二十五年は寝て暮らす、朝寝十年、うたた寝十年、残り五年を居眠りすれば、人生しまいにゃゼロとなる〉の語り出しが、当時の庶民に大受けしたそうたい」

清 「なかなか名調子の台詞やね。で、雲右衛門は、いつごろ福岡県に来たっちゃろうか」
琢二 「日本で孫文を支援して〈辛亥革命〉を支えた革命家となる前に、浪花節で自伝を語り歩いていた弟子で熊本県生まれの宮崎滔天(とうてん)の紹介で九州日報に売り込み、明治36年(1903年)6月、日露戦争前の軍国主義日本の武士道鼓吹を目的に、義士伝『神埼与五郎東下り』を博多で旗上げ興行し、息の長い名調子で聴衆を酔わせ、大入りの好評を博した。明治40年(1907年)には東京の本郷座で総髪、紋付袴姿で『義士伝』を口演、約1か月の大入りを続け、名声は日本国中に広まった」
清 「津屋崎に住んだいきさつは?」
琢二 「海が好きで時々、津屋崎には遊びに来ていたらしい。大正4年(1915年)ごろ、喉頭病の療養のためか、天神町の鐘川商店の近所に弟子と一緒に住んどったが、大正5年に43歳で病死したそうだ」


清 「津屋崎の〈義士祭〉=写真⑤=は、どういう歴史があると?」
琢二 「以前の〈義士祭〉は、地元の郷土史家らで組織した〈四十七士をしのぶ会(古野卯平会長)〉が昭和50年(1975年)から主催し、記念塔前で、羽織に鉢巻姿の討ち入り装束の会員と市民らが参加しての法要や、仏教婦人会、吟詠グループによるご詠歌や詩吟を披露。このあと、同会から墓参者に義士が討ち入り前に食べたという〝討ち入りそば〟約千杯や、縁起ものの目刺しが振る舞われとったが、会結成10年を経た昭和60年(1985年)に、会員の高齢化や、『地域の人たちへの義士の心の理解も深まった』として会を解散。翌61年以降の法要は、児玉家にバトンタッチされている。


写真⑤:「津屋崎義士祭」の旗や幟が立つ新泉岳寺
    =天神町で、06年12月14日午前11時01分撮影

清 「今年の〈義士祭〉は、曇り空の下、午前11時から四十七士の各墓=写真⑥=に線香が立てられた境内で法要が行われた。福津市宮司にある真言宗・〈海心寺〉の吉原泰祐住職らが記念塔前で読経し、参列者が次々と焼香した。児玉家を代表して津屋崎の京塚萬次郎さんが『皆様のご協力で、義士祭を毎年続けていきたい』と挨拶しとんしゃった。このあと、『刃傷松の廊下』などの詩吟や剣舞=写真⑦=が披露され、なかなか良かったよ。正午から境内に張られたテントの席で、参列者に振る舞われた〝討ち入りそば〟=写真⑧=をいただいたばってん、おいしかったばい」


写真⑥:「新泉岳寺」境内に建てられた四十七士の墓
    =天神町で、06年12月14日午前11時02分撮影


写真⑦:四十七士の墓の前で披露された剣舞
      =「新泉岳寺」で、06年12月14日午前11時44分撮影

琢二 「おい、おい。そばを食べるのが目的やないぞ。義士たちには、武士の一分(いちぶん)が大事なことやったということを理解せんとな。今の世の中、利ばかりがもてはやされて、義がないがしろにされとる。いじめの問題も、卑怯な真似をするのは、武士の恥だという心構えがあれば、少なくなろう。日本人のバックボーンであるいい意味の武士道を子供の時から教育せんといかんばい」


写真⑧:境内に張られたテントの席で、参列者に振る舞われた〝討ち入りそば〟
     =新泉岳寺で、06年12月14日午後0時10分撮影


万松山新泉岳寺(福岡県福津市津屋崎天神町):◆交通アクセス=〔電車・バスで〕西鉄宮地岳線津屋崎駅下車、徒歩5分。JR鹿児島本線福間駅下車、西鉄バス津屋崎橋行きに乗って「津屋崎駅前」で下車し、徒歩5分〔車で〕九州自動車道古賀インターから約25分。

福津市・「新泉岳寺」位置図
 福津市津屋崎天神町の「新泉岳寺」位置図
        (ピンが立っている所)
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2006年12月27日/〈日記〉72・もう菜の花が満開!

2006-12-27 06:43:17 | 日記
写真①:冬本番なのに、もう満開になっている菜の花畑
     =福津市中央のJR福間駅裏で、2006年12月26日午後0時05分撮影

 福津市中央のJR鹿児島線福間駅裏にある畑で、もう菜の花が満開になっており=写真①=、そばを通りかかる市民を驚かせています。

 菜の花は、福間駅4番ホーム東側にある畑で植栽。一面に広がる〝黄色の絨毯〟=写真②=は、電車に乗って出勤するサラリーマンたちの気持ちも温かくしそうですね。05年は3月初旬が満開でしたが、今年は師走のうちに満開とは暖冬だからでしょうか。


写真②:畑いっぱいに広がる〝黄色の絨毯〟
     =JR鹿児島線福間駅裏で、06年12月26日午後0時05分撮影

  冬日向もう菜の花の見ごろかな  青春
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2006年12月26日/〈日記〉71・迎春準備の買い物帰りにミサゴと遭遇

2006-12-26 15:07:32 | 日記

写真①:贈答用で見栄えのいいシクラメンの鉢植え(7寸、3,500円)
     =古賀市新原の「安武園芸」で、2006年12月26日午前10時14分撮影

 師走も押し詰まった26日、細君と迎春準備の買い物に行きました。福岡県古賀市新原の県道古賀筑紫野線沿いにある園芸店「安武園芸」では、鉢植えのシクラメンの花が出荷時期を迎えており、大きくて見栄えのいい贈答用の鉢植え(7寸もので3,500円)=写真①=が、お客さんに人気があるようです。

 店内では、5寸もので790円のシクラメン=写真②=など家庭用の鉢植えも売られており、居間の出窓に飾ろうと、5寸もの1鉢と5.5寸もの(980円)1鉢を買いました。


写真②:赤や白、ピンクと色とりどりのシクラメン(5寸、790円)
     =古賀市新原の「安武園芸」で、06年12月26日午前10時16分撮影

 このあと、近くの古賀市青柳町の市営農産物直販所、「コスモス広場」で、松とシクラメン、葉牡丹、初雪カズラが寄せ植えされた〈ミニ門松〉や、注連飾り、ウラジロ、菊の花、餅のほか、<我儘な美人>という花言葉を持つデンドロビウム(ラン科)を購入。

 これで迎春準備はほぼ整ったと、帰宅のため車で走行中の午前11時57分、福津市中央のJR鹿児島線福間駅裏踏切そばにある「記念橋」上流の西郷川で、上空を舞う猛禽のミサゴ(タカ科)に遭遇し、幸運でした。

 細君が鳥影を見つけ、褐色のトビ(タカ科)より小さく体の下面が白いことからミサゴと私が確認。どうやら、玄界灘に面した近くの福間海岸の河口付近から東上して来た個体と思われます。空中の一か所にとどまる「停飛(停空飛翔)」を繰り返し、川魚を探している様子です。

 ミサゴは、福津市の旧津屋崎町渡の「津屋崎干潟」でも1番を確認しており、この日に旧福間町でも1羽の個体を新たに確認できたことは市内の繁殖環境の良さを裏付けるもので、嬉しく思いました。
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2006年12月26日〈津屋崎の野鳥〉046:スズガモ

2006-12-26 01:52:43 | 福津市津屋崎の野鳥
●写真①:「津屋崎干潟」の入り江で泳ぐスズガモ
      =福津市渡で、2006年12月25日午前9時11分撮影

 12月25日朝、福津市渡の「津屋崎干潟」入り江で、1羽の見慣れないカモが泳いでいました。南側の浅瀬で餌を取るヨシガモや、ヒドリガモ、マガモなどの群れからは、かなり離れています。よく見ると、スズガモ(カモ科)の雌=写真①=でした。

 スズガモは体長47㌢で、マガモ(体長59㌢)より小さい中形のカモです。海底が干潟状になった海に、冬鳥として渡来。「クックッ」と低い声で鳴きます。雌雄とも嘴が青灰白で、眼は黄色。雌=写真②=は頭と頸、胸、背中が黒褐色で、嘴の付け根が大きく白い。雄は頭と頸、胸が黒色、脇と腹は白色。背中は白地に小さな黒斑があります。


写真②:頭、頸、胸、背中が黒褐色のスズガモの雌
     =福津市渡の「津屋崎干潟」入り江で、06年12月25日午前9時10分撮影
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