写真①:観光ボランティアガイド拠点事務所・「貝寄せ館」格子に貼られた『はちがめ通信17号』(1面=上=、2面)
=福津市津屋崎3丁目18-16で、2019年4月18日撮影
「海とまちなみの会」平成最後の会報ニュース『はちがめ通信17号』配布します
20-21日の「津屋崎千軒よっちゃん祭」で開館の貝寄せ館内
平成19年発足の福津市津屋崎のまちづくりボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」は、平成最後の会報ニュース『はちがめ通信17号』(A3判カラー、表裏2面印刷)=写真①=300部を4月20日付で発行、会員や活動支援の方たちに配布を始めました。20日(土),21日(日)に津屋崎千軒通り一帯で開催の「第22回津屋崎千軒よっちゃん祭」(実行委員会主催)で11~15時開館する「海とまちなみの会」の観光ボランティアガイド拠点事務所・「貝寄せ館」(津屋崎3丁目18-16)でも、来館される皆様に配布します。
1面=写真②=には、「海とまちなみの会」と福津市複合文化センター「カメリアステージ」が2018年10月3日から11月17日まで同センターで開催した「津屋崎馬鉄道と津屋崎塩田」回顧展(観覧無料)と、11月17日に初めて開催の「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」を特集。
写真②:「津屋崎馬鉄道と津屋崎塩田」回顧展など掲載の『はちがめ通信17号』1面
津屋崎馬鉄道と津屋崎塩田」回顧展では、「津屋崎馬車鉄道」の写真や、馬鉄津屋崎駅の位置も示した「津屋崎千軒昭和初期の町並み」復元地図(「海とまちなみの会」が平成20年=2008年に作成)、津屋崎塩田位置図、旧熊本塩務局津屋崎出張所文書庫(通称「塩倉庫」)の写真など関連資料計8点を展示。10月24日付毎日新聞福岡東版に「津屋崎馬車鉄道と塩田しのぶ」の3段見出しと写真付きで掲載されたことも紹介しています。
「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」は、平成19年に発足した「海とまちなみの会」が、町興し活動の原点に返って地域の宝を見詰め直し、後世に伝えたいと企画、本会が同26年に福津市初のフットパスとして開設した「津屋崎里歩きフットパス」(宮地浜「夕陽風景時計」発着の歩程6.8㌔・㍍)の新日本歩く道推進機構による『絶景の道100選』認定(平成27年)3周年記念も兼ねたイベントです。市内2つ目のフットパスとして開設の「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」コースは、「カメリアステージ」発着の歩程2.6㌔・㍍で、11月17日の初ウオークには市内外から参加の男女20人が、同会手づくりのレトロな町並み散策地図・『津屋崎千軒そうつこう』(A2判カラー印刷)を手に同会ガイドの案内で馬鉄津屋崎駅跡や、筑前津屋崎人形工巧房、「塩倉庫」、明治創業の「豊村酒造」などを訪ね、約2時間のフットパスを楽しみました。
1面下段には、福津市と国立大学法人九州工大環境デザイン研究室が平成31年1月26日主催した「ふくつ環境シンポジウム2019」持続可能なまちづくりに向けて~環境・経済・人づくり=に「海とまちなみの会」会員も参加したことを紹介しています。
2面=写真③=トップ記事は、「海とまちなみの会」と福津市複合文化センター「カメリアステージ」が2018年7月29日に開催した絶景の道100選認定・「津屋崎里歩きフットパス」夏休みウオークです。福岡、古賀、福津3市の男女17人が、福津市宮司3丁目の旅館「大阪屋」前をスタート、同会女性ガイドの案内で「宮地嶽神社」境内のタブノキの古木の説明を聞き、参道石段から直線で1.4Km先の同市宮司浜4丁目の「宮地浜」(国有地)に同会が設置した宮地浜「夕陽風景時計」まで〝光の道〟を歩きました。この後、「宮司・浜の松原」の黒松林の小道を経て「宮地浜」の海浜植物・ハマゴウ群落の青紫色の花を観賞、「津屋崎浜」に設置された「相島」(福岡県新宮町)が江戸時代に徳川幕府に国書を渡しに訪れた朝鮮通信使との交流の島だったことを伝える石碑も訪ね、「カメリアステージ」にゴールするまで2時間余のウオークの模様を掲載しています。
写真③:「津屋崎里歩きフットパス」夏休みウオーク紹介の『はちがめ通信17号』2面
2面下段には、「海とまちなみの会」が海浜植物・スナビキソウの花の蜜を吸いに飛来する〝海を渡る蝶〟・アサギマダラのマーキング調査を2016年続けている「津屋崎浜」が、平成30年8月に「アサギマダラの会」(全国の会員約140人で組織した研究団体、事務局・大阪)が電子書籍Kindle版(114㌻)で発行の『旅をするチョウ アサギマダラに会いに行こう! ―ポイント案内1―』に掲載されたことを写真付きで紹介。アサギマダラに会える日本と台湾計15ポイント解説のカラー写真と地図付きのガイドブックで、九州でただ1か所掲載された「津屋崎浜」(<「絶景の道」のスナビキソウとアサギマダラ>のサブタイトル付き)の記事は、執筆を依頼された「海とまちなみの会」の吉村勝利会長が記事、写真などを寄稿しました。