写真①:平成16年に建てられた「炭坑節発祥の地」の記念碑
=福岡県田川市伊田の「石炭記念公園」で、2011年7月29日撮影
〈田川・町歩きスポット〉 3
:炭坑節発祥の地
福岡県田川市は、「炭坑節のふるさと」を全国にアピールしています。市内伊田の「田川市石炭・歴史博物館」がある「石炭記念公園」には平成16年、麻生渡・県知事(当時)の揮毫による「炭坑節発祥の地」の記念碑=写真①=が建てられています。明治43年、伊田尋常高等小学校の教員だった小野芳香(よしか)が、「伊田場打選炭唄」の一部を改曲して節を付け、「炭坑節」として世に出しました。筑豊・川崎町出身の芸者歌手赤坂小梅が戦後、日本コロムビアからレコードを出して大流行、NHKの紅白歌合戦でも歌い、全国区の民謡となりました。
「月が出た出た 月が出た」でおなじみの歌詞を刻んだ「炭坑節之碑」=写真②=も、「石炭記念公園」にあります。地元の有志が、昭和42年に田川市中央町1の市役所敷地に建てていた詩碑を移設したものです。
写真②:「石炭記念公園」に移設された「炭坑節之碑」
「田川市石炭・歴史博物館」1階の玄関ロビーには、炭坑節の踊りの振り付けを描いたイラストが掲示されていました=写真③=。
写真③:炭坑節の踊りの振り付けを描いたイラスト
=「田川市石炭・歴史博物館」1階の玄関ロビーで撮影
日本の代表的民謡・「炭坑節」の歌詞で「あんまり煙突が高いので、さぞやお月さんけむたかろう」と歌われた煙突が、「石炭記念公園」にそびえています。明治41年(1908年)に築造された旧三井田川鉱業所伊田竪坑の第一・第二煙突(通称・二本煙突)=写真④=。国登録文化財で、経済産業省認定近代化産業遺産です。伊田竪坑の開設時に、捲揚機と付属設備の動力に使われた蒸気機関の排煙用に築造された丸形の大煙突(高さ45.4㍍)で、耐火煉瓦製。現存する明治期のものとしては国内最大級という。筑豊の石炭産業に竪坑時代を画した伊田竪坑の一部で、筑豊炭田のシンボルです。
写真④:筑豊炭田のシンボル・〝二本煙突〟
=「石炭記念公園」で撮影
旧三井田川鉱業所伊田竪坑の櫓(国登録文化財、経済産業省認定近代化産業遺産)=写真⑤=も、「石炭記念公園」にあります。地下深部の石炭を採掘する竪坑の捲揚機で、イギリス製のバックステイ形。高さ28.4㍍の鉄骨造りです。明治43年(1910年)に完成しました。筑豊に残る唯一の竪坑関係遺跡です。
写真⑤:旧三井田川鉱業所伊田竪坑櫓
=「石炭記念公園」で撮影
「田川市石炭・歴史博物館」裏の屋外展示場には、筑豊地区で石炭などを運ぶ国産貨物列車牽引用に使われていた蒸気機関車(9600形、愛称キューロク)も展示されています=写真⑥=
写真⑥:「田川市石炭・歴史博物館」の屋外に展示されたSL
「田川市石炭・歴史博物館」2階のバルコニーで、田川市伊田町の(有)亀屋延永の「羊羹黒ダイヤ」 =写真⑦=が販売されており、お土産に購入。しっかりした甘味が舌先に残り、美味しい羊羹でした。“ 黒いダイヤ”とは石炭のことで、筑豊地区が石炭産業華やかりし、昭和25年から販売されているロングセラーの逸品という。
写真⑦:(有)亀屋延永の「羊羹 黒ダイヤ」(黒色の菓子)
明治33年に旧三井田川鉱業所が設立され、炭鉱=写真⑧=のまちとして大きく発展した田川。大正6年には全国の出炭量2,290万㌧のうち筑豊炭田が約50%の1,148万㌧を産出しましたが、昭和30年代には石炭産業にかげりが見え始め、戦後の復興期まで日本経済を支えた石炭はエネルギー革命で石油にその座を奪われ、同鉱業所も昭和39年に閉山しました。
写真⑧:「石炭記念公園」に立つ「炭坑夫之像」
現在の田川市の人口は、約5万1千人。「田川市石炭・歴史博物館」に所蔵されている「山本作兵衛炭坑記録画」(福岡県有形民俗文化財指定の墨画306点、水彩画278点)が、ユネスコの世界記憶遺産に登録が決まり、歴史・炭坑観光で浮揚のビッグ・チャンスを迎えたといえるでしょう。お土産品や、お食事処、観光スポット、ガイドの紹介など案内情報の整備・充実が求められます。 (おわり)