吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2009年4月30日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉079

2009-04-30 08:18:43 | 行楽催事
写真①:「第106回有田陶器市」で賑う古い町家の町並み
     =佐賀県有田町で、2009年4月29日午前8時4分撮影

歴史的な建物も楽しめます
「有田陶器市」で町並み散策

 「第106回有田陶器市」が29日開幕した佐賀県有田町で、歴史的な建物=写真①=を楽しめる町並み散策もお勧めです。

 有田町は、江戸時代初期の元和2年(1616年)に朝鮮人陶工李参平らが泉山で陶石を見つけ、日本で初めて磁器を焼いて以来、佐賀藩が磁器生産に力を入れました。江戸時代から海上交易の港町で栄え、〈津屋崎千軒〉と称された福津市津屋崎の町並みと同じように、〈有田千軒〉と呼ばれる町並みが谷あいに形づくられました。

 このうち有田内山地区の町並みは平成3年(1991年)、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定。江戸時代に設けられた上の番所(泉山)から、下の番所(岩谷川内)まで約2㌔にわたり、江戸・明治・大正・昭和の各時代を代表する町家が並んでいます。一軒ごとに違った趣が味わえ、町歩きの足を止め、見とれてしまいます。

 以下、カメラに収めた建物を紹介しましょう。


写真②:漆喰壁に格子のある2階建て町家の趣がいい「深川製磁」
     =29日午前8時8分撮影


写真③:こじんまりとした2階建ての「陶祖李参平窯」
     =29日午前9時14分撮影


写真④:2階の左右対称の造りが面白い抹茶道具店
     =29日午前9時17分撮影


写真⑤:外観の渋さが魅力の2階建て「赤絵町・泉寿堂」
     =29日午前9時27分撮影


写真⑥:おしゃれな町家の「納富鮮魚店」
     =29日午前9時43分撮影
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2009年4月29日/〈今月・来月の行楽・催事案内〉078

2009-04-29 22:03:18 | 行楽催事
写真①:「有田陶器市」の買い物客で賑わう町並み
     =佐賀県有田町で、2009年4月29日午前8時51分撮影

「有田陶器市」に遠征
行楽日和に恵まれました

 佐賀県有田町で29日、「第106回有田陶器市」(有田商工会議所主催)が開幕。今年も早朝、5年連続で〝掘り出し物〟を求めて陶器市会場=写真①=を細君と訪ねました。

 午前5時10分、朝食抜きで福津市津屋崎の自宅をマイカーで出発。「九州縦貫道」―「西九州自動車道」経由で高速道路を走り、同7時10分に有田町の有田中学校駐車場に着きました。今年はETC利用だと高速道路料金が割り引かれて千円でいいとあって、昨年より有田行きの高速道路の車が多いように感じました。

 有田町のメーンストリートにある「香蘭社」や「深川製磁」、「賞美堂本店」などの店舗を回り、お皿や小鉢、コーヒーカップなど割り引きサービスの〝掘り出し物〟16点を購入しました。

 今年は、真右ェ門窯(有田町南原甲)の二代真右ェ門、馬場九洲夫さん(日展会友、現代工芸美術家協会本会員)の作品=写真②=が展示されている昭和5年建築という有田の焼き物商家・「旧松本家」の座敷=写真③=を初めて観覧しました。


写真②:釉薬の効果を巧みに使い、夜明けの富士山を表現した馬場九洲夫さんの力作
     =佐賀県有田町の「旧松本家」で、29日午前8時43分撮影

 馬場さんの夜明けの富士山は、床の間に飾りたくなる印象の作品でした。「有田陶器市」は、5月5日まで。天気に恵まれた今年は、不況の最中ながら最高の人出になりそうな気配です。


写真③:馬場九洲夫さんの多くの作品が展示された座敷
     =「旧松本家」で、29日午前8時43分撮影
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2009年4月29日/〈日記〉353・「町家まつり」を振り返って(6)

2009-04-29 04:22:58 | 日記
写真①:「津屋崎めぐり」の画像を見ようと携帯電話のカメラで「QRコード」を読み取る女性
     =福津市津屋崎の「津屋崎人形巧房」前で、2009年4月18日午後2時59分撮影

何かが変わる、変える
「津屋崎千軒 町家まつり」を振り返ってー 

6)QRコードで「津屋崎めぐり」見物

 「QRコード」というのをご存知でしょうか。白と黒の格子状のパターンで情報を表し、高速読み取りができるようにしたマトリックス型二次元コードです。4月18日、19日に初めて開催された「津屋崎千軒 町家まつり」で、この「QRコード」でインターネットに接続して「津屋崎めぐり」の画像を携帯電話で見られる珍しい試みが行われました=写真①=。

 「町家まつり」に参加した〈津屋崎千軒〉かいわいの町家の軒先やショーウィンドーなど13か所に12種類の「QRコード」=写真②=を掲示。たとえば、「津屋崎人形巧房」前を通りかかった行楽客が、携帯電話のバーコードリーダーを起動し、カメラで「QRコード」を撮影して読み取り、表示されたURLをクリックしてインターネットに接続すれば「津屋崎祇園山笠」の画像や解説文を、別の町家の前でも同様に「旧津屋崎塩田」の画像や歴史の概要説明文などをそれぞれその場で楽しめます。


写真②:「津屋崎めぐり」の画像が読み取られる「QRコード」
     =福津市津屋崎で、2009年4月23日スキャン

 この画像は、「津屋崎千軒 町家まつり」の企画運営にボランティアで協力していただいた九州工業大学(北九州市)の「景観研究室」4年生・船場(ふなば)文博さん(建築学専攻)が12点用意し、ブログにアップ。携帯電話で「QRコード」を読み取り、インターネットに接続すればパケット料金が発生することを「QRコード」の掲示に添え、利用方法が分からない行楽客には「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」に「津屋崎千軒 町家まつり」期間の18,19両日午前10時から午後4時までなら、電話して問い合わせできるように配慮しました。

 船場さんは「2日間で約130のアクセスがありました。お店の方にも、QRコードの使い方を説明して携帯電話で観てもらい、喜んでいただいて、よかったです」と話しています。この「津屋崎めぐり」のように、「QRコード」でインターネットに接続して画像や解説文を見ることができる試みは、福岡県では門司港レトロ地区で行われた例があるくらいという。先進的な試みが、「津屋崎千軒 町家まつり」で成功したのは、嬉しいことです。
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2009年4月28日/〈日記〉352・「町家まつり」を振り返って(5)

2009-04-28 20:11:10 | 日記
写真①:講演する田上健一・九大大学院准教授
     =福津市津屋崎天神町の市まちおこしセンターで、2009年4月19日午後1時21分撮影

何かが変わる、変える
「津屋崎千軒 町家まつり」を振り返ってー 

(5)田上健一・九大大学院准教授の講演会

 福津市の新しいまつり、「津屋崎千軒 町家まつり」で、歴史と建築文化を学ぶイベントの企画第二弾は、4月19日午後1時から開催した田上(たのうえ)健一・九州大大学院芸術工学研究院准教授(建築計画)の講演会です。演題は、「〈津屋崎千軒〉における生活空間の変容と空き家の活用方策」。約50人が聴講、立ち見の人が出るほどでした。

 「海とまちなみの会」では08年12月、田上准教授に同行をお願いした調査で、〈津屋崎千軒〉にはよそではあまり見られない「卯建(うだつ)」や「鏝絵(こてえ)」のある町家が、あちこちに残っていることを確認しました。卯建は、仕事などで成果が出せない人を「卯建が上がらない人」という語源になったとされるほど、裕福な家でないと建てられなかったともいわれています。ということは、江戸時代から海上交易で栄えた〈津屋崎千軒〉には「卯建の上がる人」、つまり商人が多かった! といえるのではないでしょうか。

 また、〈津屋崎千軒〉の町並みでは、空き町家を活用して津屋崎以外の人が営業するカフェも、「津屋崎千軒 町家まつり」が始まった4月18日に初めてお目見えするなど、町並み活性化に向けて新しい時代を迎えたように思われます。

 こうしたことから、「町家まつり」を主催した「津屋崎地域郷づくり推進協議会」と「藍の家保存会」では、〈津屋崎千軒〉の町家=写真②=が歴史的に変わってきた様子や、空き家をどう活用すれば町並みを活性化できるのかなどについて講演会で話していただきたいと、田上准教授を講師にお招きしました。


写真②:〈津屋崎千軒〉通りの「卯建と鏝絵の町家めぐり」ガイドを楽しむ人たち
     =福津市津屋崎新町で、4月19日午前10時24分撮影

 講演で、田上准教授は〈津屋崎千軒〉の地形と街路の特徴について「千軒通りを境に南北に地形が下がっており、中央の微高地に『教安寺』などの寺社、墓地が確保されている。中央の微高地を除いて一番高い所に街路がつくられ、中央で折れ曲がった形態となった」と話し、スクリーンに標高点を色分けした地形モデルを映写されました。
 
 次に、〈住まい方と住宅の変容〉に触れ、「物置部屋等の確保と上下移動の解消のため通り土間・中庭に床を張って居室化したり、和室と台所、洗面所を水平につないだ〈接続空間確保〉が9件、店舗閉店や家族構成の変化のため通り土間を台所と、壁で仕切られた部屋と廊下へと改築するなど〈個室優先〉が8件あった」などと説明。

 明治から昭和初期までに建築し、50年以上たった住宅125軒より抽出して調査した住宅36軒の生業については、商家が24件と最も多く、次いで漁家4軒、農家2軒、大工などのその他6軒の順。土間の形は、32軒中28軒の通り土間が東側に付いており、中庭は「間口7.6から15.2㍍、奥行き11.4から19.0㍍の住宅で所有している割合が高い」と指摘されました。

 建物の建ち方を見ると、1階建て、2階建てが中心の低層住宅地で、海岸沿いに3階建て以上の建て物があり、「しおさい通り」より西側の千軒通り沿いに明治から昭和初期に建てられた住宅が分布。地区構成では、「北の一区・北の二区」は漁業中心に発達、「新町区」は漁業中心に発達後、商業の町となり、「天神町区」は職人の町として発達、「岡の二」と「岡の三区」は農業を中心に発達した、と話されました。

 街区の変容では、江戸後期までに街区の原型が成立し、江戸後期から明治中期にかけて街区が細分化し、街区構成が完成。昭和20年代から40年代にかけて、海岸沿いの宅地が成立しました。昭和42年に県道「渡・津屋崎線」(海岸道路)が建設されると、海岸沿いの土地が宅地化され、平成13年の「しおさい通り」の建設で〈津屋崎千軒〉の街区は二分されました。

 千軒通りだけでなく、表筋から入った所にも立派な家が建っていますが、現在は空き地=写真③=が広範囲にあります。また、調査した住宅645軒のうち空き家が54軒で、空き家率は8.37%と多い。〈津屋崎千軒〉の建物は、敷地の奥行きの長さや、住宅前面の緩衝帯、中庭、隣の家とのすき間・「スアイ」、土間の設置などに特徴があるが、通り土間の多目的活用をはじめ従来の間取りを生かした現在の生活への適応が必要とされており、豊村酒造も改修部分をもう少し調査し、登録有形文化財にしたい建物と言われました。


写真③:シロアリ被害と老朽化のため解体される「旧河崎米屋」。跡地は空き地のまま。
     =福津市津屋崎横町で、08年10月4日午前11時27分撮影


 福津市民や町興しボランテイアら約50人の聴講者からは、講演で〈津屋崎千軒〉の町並みの特徴や変容ぶりを明解に分析していただいたとして、感謝の弁が述べられました。また、町家や町並みの保存策への質問も出され、田上准教授は「登録有形文化財に登録できそうな建造物も少なくない」と指摘されました。

 講演聴講者のアンケート結果では、「講演内容は、とてもよかった。津屋崎のマチについての講演をシリーズで開き、関心や愛着を持つ土壌づくりを続けてほしい」(福津市の女性会社員、31歳)、「地元に住んでいたけれども疑問にも思わなかった所が調べられていて、視点を広げることができて良かった」(同市津屋崎の大学建築学科の女性、18歳)、「今後の〈津屋崎千軒〉の方向性が見えてきました」(同市の公務員女性、50歳)など、興味深く聴いたとの感想が目立ちました。
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2009年4月28日/〈福津市津屋崎の野鳥〉131:ツリスガラ

2009-04-28 08:11:40 | 福津市津屋崎の野鳥
写真①:葦に止まった雄のツリスガラ
     =福津市的岡の「新堤池」で、2009年4月28日午前6時4分撮影

 福津市津屋崎的岡の「新堤池」で4月28日朝、冬鳥のツリスガラ(ツリスガラ科)=写真①=を初めて撮影しました。10羽の群れで、渡りの途中でしょうか。27日朝、池の葦原を飛びまわっているのを初めて見ましたが、すばしこくて撮影できませんでした。

 体長11㌢と、スズメ(体長14㌢、ハタオリドリ科)よりかなり小さい。頭は雄が灰色、雌は淡褐色。雌雄とも眼を黒い線が横切り、体は白っぽいが褐色味があります=写真②=。この個体は、頭の灰色から雄のようです。


写真②:頭が灰色で、眼を黒い線が横切っているのが特徴の雄のツリスガラ
     =「新堤池」で、28日午前6時1分撮影
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2009年4月27日/〈日記〉351・「津屋崎千軒 町家まつり」を振り返って(4)

2009-04-27 11:13:06 | 日記
写真①:大勢の聴講者を前に熱っぽく講演する麦野裕さん
     =福津市津屋崎天神町の市まちおこしセンターで、2009年4月18日午前11時53分撮影

何かが変わる、変える
「津屋崎千軒 町家まつり」を振り返ってー 

(4)「麦屋惣平衛」邸当主・麦野裕さんの講演会

 福津市の新しいまつり、「津屋崎千軒 町家まつり」で、歴史と建築文化を学ぶイベントとして企画したのが、「福津市まちおこしセンター」で4月18日と19日、2日連続で開催した二つの講演会です。「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が、運営に当たりました。

 18日午前11時30分から開催したのが、福津市津屋崎門前にある卯建(うだつ)の建つ2階建て町家「麦屋惣平衛」邸当主・麦野裕(ゆたか)さん(本籍・福津市津屋崎、千葉県在住)の講演会です。演題は、「明治40年、塩木で建てた家の移転保存」で、聴講者が約80人と多く、立ち見の人が出るほどでした。

 「町家まつり」のキャッチコピー、「そうつこう! 『うだつ』と『こて絵』の残る路地」に援用した、よそではあまり見られない「卯建」のある町家7軒の代表格といえる「麦屋惣平衛」邸は、百年以上もてるように建てられたいきさつが、講師の麦野さんから熱く語られました=写真①=。

 「麦屋惣平衛」邸は、麦野さんの曽祖父・乙松さんが明治40年(1907年)に建築=写真②=。乙松さんは、旧宗像郡赤間村(現宗像市赤間)で生まれ、18歳の時、代用教員として津屋崎小学校に赴任、のちに津屋崎町議になられた方です。以前の家が津屋崎の大火で類焼したため、焼けにくいように窓がない防火対策の土蔵造りの家の新築を目指し、同38年から在自山から松を切り出すなどして材木の購入を始め、防火、防虫効果を持たせるため、丸太や板を塩水に浸けた「塩木」にして建築材に充てたという。建築材料の購入費などの資料は、「普請買入帳」に記録、大事に保管されています。


写真②:移転前の「麦屋惣平衛」邸(人物左側の2階建て)を描いた旧津屋崎町街並み保存協議会事務局長・柴田治氏の絵画『門前の道』(右側は「教安寺」)
     =富美子夫人(「津屋崎千軒 町家まつり」主催団体・「藍の家保存会」代表)提供

 平成7年(1995年)、「市街地活性化に不可欠な道路」だとして都市計画道路(現「しおさい通り」)が建設される際、塩木の家を壊さずジャッキで持ち上げ=写真③=、11㍍の距離を90度右回転して引っ張り、移転保存。「塩木の家の建築は、庶民の歴史で先輩の知恵でもあり、私たちの誇り。〈市街地活性化に不可欠〉という理由での道路整備で家を移転させられたが、その結果、市街地が活性化されたでしょうか。道路が拡張され、潮風が浜から吹き抜けるようになりました」と麦野さん。


写真③:移転のためジャッキで持ち上げられた「麦屋惣平衛」邸
     =麦野裕さんの講演会場でスクリーンに映写された写真から

 麦野さんは「津屋崎の風景、まちなみが、いとおしい。玄界灘や宮地嶽神社などを見ると、胸がいっぱいになる。津屋崎の海岸は以前、綺麗な砂浜でした。街が汚いと、人は逃げていく。津屋崎は環境保全を十分配慮した町興しをしてほしい、と思います。津屋崎の言い伝え、伝説も皆好きです。土地の名前は重要で、津屋崎は神郡の宗像郡にあることに意味があったのに、合併して福津市になったのでは何のことか分らない。大字も消えて津屋崎何丁目などに勝手に書き換えられている。地名に誇りを持つべきなのに、怒りを覚えます」と郷土を愛され、津屋崎の歴史、文化、自然の素晴らしさを誇りにしたいと話されました。

 麦野さんの祖父麦野時雄さんは、第12代津屋崎町長を務め、津屋崎の玄海国定公園指定や水産高校誘致、西鉄宮地岳線の津屋崎駅までの延長に貢献されました。

 麦野さんの講演聴講者のアンケートからは「津屋崎に大変な思い入れが強いお人だと思い、感激しました。古里は変化させてはいけないと思いました」(福津市津屋崎の主婦、67歳)、「津屋崎に残されている大切な物が、たくさんあることがわかった。これを町おこしに生かしたい」(同市宮司の無職男性、67歳)、「津屋崎のことが学べて、とてもよかった」(筑紫野市の大学教員男性、57歳)などの感想が寄せられています。
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2009年4月26日/〈津屋崎の四季〉430・旅鳥の群れ立ち寄る

2009-04-26 11:29:24 | 風物
写真①:田んぼで餌を探す4羽の旅鳥たち
     =福津市末広で、2009年4月26日午前7時23分撮影

 福津市津屋崎は26日朝、冷え込みが厳しく、3月の気温に舞い戻った感じです。せっかくのゴールデンウイークも、暖かくないと、出かけるのがおっくうになりますね。

 季節の変わり目を迎え、渡りの途中に津屋崎に立ち寄るシギやチドリなど旅鳥の姿も、目立ってきました。

 末広の田んぼには、4羽の旅鳥が舞い降りていました=写真①=。長旅の体力を養おうというのでしょうか、餌を探してせわしく動き回っています。
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2009年4月25日/〈日記〉350・「津屋崎千軒 町家まつり」を振り返って(3)

2009-04-25 10:13:15 | 日記
写真①:「卯建と鏝絵の町家めぐり」ガイドを撮影するテレビ局と新聞社の取材陣
     =福津市津屋崎沖町の「麻生久彦邸」裏で、2009年4月19日午前10時29分撮影

何かが変わる、変える
「津屋崎千軒 町家まつり」を振り返ってー
 
(3)卯建と鏝絵の町家めぐり

 4月18日、19日に初めて開催された「津屋崎千軒 町家まつり」で、目玉のイベントにしたのが「卯建と鏝絵の町家めぐり」です。「町家まつり」のキャッチコピーを「そうつこう! 『うだつ』と『こて絵』の残る路地」としたように、江戸時代から栄えた〈津屋崎千軒〉の古い町並みには、よそではあまり見られない「卯建(うだつ)」や「鏝絵(こてえ)」のある町家が11軒も残っていることを広くアピールしたかったからです。

 18日午前10時から「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」を振り出しに行った「卯建と鏝絵の町家めぐり」には、団体客を中心に行楽客約70人が詰めかけました。ガイド担当の「津屋崎千軒 海とまちなみの会」では、男女4人のボランティアガイドを二班に分けて対応しました。19日も午前10時から始めた「町家めぐり」に、家族連れや女性グループら約20人が参加し、男女6人のボランティアガイドが二班編成で案内し、卯建や鏝絵のある町家を巡り歩く様子が、テレビ局や新聞社の取材を受けました=写真①=。

 19日昼のKBCテレビ・ニュースで、「卯建と鏝絵の町家めぐり」の模様が放映されたのを見た女性が、北九州市から午後4時のまつり終了前に間に合うようにと3時半ごろ駆けつけ、女性ボランティアガイドが急きょ、町家めぐりの案内をした一幕もあったほど。町家めぐりガイドが、18、19日とも朝の1回限り実施ということを知らない行楽客の方もいて、午後から臨時のガイドを何回も行いました。

 18日のガイド申し込みをした宗像市の団体代表は、「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が07年に発行、無料配布した手作りのまちなみ散策地図・『津屋崎千軒そうつこう』(A2判)に記載した問い合わせ先の私に電話され、「〈津屋崎千軒そうつこう〉ガイドを申し込みます」と言われました。まちなみ散策地図の配布が、ガイドの呼び水になって、嬉しかったです。

 2日間の「町家まつり」期間中、参加町家30軒では、お宝の家財展示や室内公開、陶芸作品の販売もあり、大勢の人出で賑わいました=写真②=。〈津屋崎千軒〉かいわいのあこちで、お客様と町家のご家族との会話が弾んだようです。〈津屋崎千軒〉のランドマークの一つ・「豊村酒造」や「上田製菓」、「石橋銘茶」各店の話では「いままでのまつりで一番商品が売れた」「これまでと違う層のお客様が見えた」「筑豊や筑後、博多、北九州と幅広い地域から来客があった」ということでした。


写真②:多くの人が出入りした「津屋崎千軒民俗館『藍の家』」(国登録有形文化財)
     =福津市津屋崎横町で、4月18日午後1時31分撮影

 「津屋崎千軒 町家まつり」の核は、〈町家〉であり、「~江戸時代からの町並みをなごみの郷に~」しょうと催した企画が、まつり会場を訪ねられた多くのお客様に受け入れられたのではないか、と思います。ゴールデンウイーク期間中も、市内外の津屋崎ファンの方たちに「そうつこう! 『うだつ』と『こて絵』の残る路地」と呼びかけさせていただきたいです。
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2009年4月25日/〈津屋崎の四季〉429・夏の使者・アマサギ渡来

2009-04-25 08:22:09 | 風物
写真①:田んぼに飛来した夏の使者・アマサギたち
     =福津市末広で、2009年4月25日午前7時37分撮影

 福津市津屋崎末広の田んぼに25日朝、夏鳥のアマサギ(サギ科)=写真①=が渡来しました。08年は4月28日、末広の田んぼに2羽が渡来したのを確認しており、3日早い津屋崎入り。

 夏の使者の第一陣は、5羽の群れです。あたりの田んぼは田植えが始まり、たっぷりと水をたたえており、畦に舞い降りて休憩しています。
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2009年4月24日/〈津屋崎の四季〉428・田植え始まり、ホオジロの声響く

2009-04-24 07:54:14 | 風物
写真①:苗植え機で次々と稲が植えられていく水田
     =福津市末広で、2009年4月24日午前7時撮影

 福津市津屋崎は24日朝、風が冷たく、曇り空です。

 末広の水田では、苗植え機で次々と稲が植えられていました=写真①=。もう田植えの時季ですか。

 在自の畑では、繁殖期の春を迎えたホオジロ(ホオジロ科)=写真②=が、竹の杭の上で高らかに縄張り宣言をしています。


写真②:竹の杭の上で高らかにさえずるホオジロ
     =福津市在自の畑で、24日午前6時16分撮影
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