クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

歌劇<イワン・スサーニン>(2)

2006年09月27日 | 作品を語る
前回の続きで、グリンカの歌劇<イワン・スサーニン>の残り部分のお話。具体的には、第3幕の後半から第4幕、そして最後のエピローグの内容についてである。

〔 第3幕 〕 ~後半部分

突然押し入ってきたポーランド軍の兵士たちが、「修道院まで案内しろ」とイワン・スサーニンに詰め寄る。イワンは一計を案じて、彼らの要求に応じることにする。彼は養女のワーニャに、「皇帝に急を告げよ」とひそかに指示し、ポーランド兵たちとともに家を出て行く。父親を敵軍に連れて行かれたアントニーダは、深い悲しみにくれる。

(※嘆くアントニーダを友人達が励ますシーンでは、「春の水は牧場に溢れ」と歌う女声合唱が聴かれるが、これは素朴なロシア民謡調。やがて気を取り直すアントニーダが、「幼友達よ、私は嘆きません」と歌うロマンスに続いて、ソビーニンと農民たちが敵軍への怒りを歌う力強い合唱へと進む。ちなみに、この合唱のテーマが序曲主部の第1主題になっている。)

〔 第4幕 〕

ワーニャは、養父イワン・スサーニンの身に起こったことを皇帝に通報する。一方イワンは、皇帝のいる修道院ではなく、全くでたらめな方向へとポーランド軍を導いていく。彼は敵軍を深い森の中で迷わせてやろうとしているのだ。激しい風雪の中、ポーランド兵たちはこのロシア農民に自分たちがまんまと騙されてしまったことに気付く。夜明けとともに彼らはイワンを殺害するが、その彼らもまた、雪の中で次々と凍え死んでいく。

(※修道院に馬を乗り付けて皇帝に事件を通報する場面は、ワーニャ役の歌手が最も力を発揮するところである。最初はイタリア式カヴァティーナ風の美しい歌を朗々と披露し、やがて合唱団の合いの手を受けながら力強いカバレッタに進む。このあたりいかにも、「イタリアで、学んできました」というグリンカらしいものだ。手元に歌詞対訳がないのが残念だが、この場面の音楽にはちょっとニンマリさせられる。)

(※続いて、このオペラで最も有名な場面に入る。第4幕第3場、森の中である。イワンの考えが見事図に当たって、ポーランド兵たちは雪の中で難渋する。しかし、ついに彼らはイワンの計略に気付き、彼を殺すことにする。「彼らは感づいた」というレチタティーヴォに続いて、イワンが有名なアリアを歌い始める。この「さし昇る太陽よ」は、数あるロシア・オペラのアリアの中にあっても群を抜く名曲の一つである。実際、全曲を聴いていても、この場面こそまさに全編のクライマックスだと、つくづく実感する。)

(※M=パシャイエフ盤でイワンを歌っているのは、マクシム・ミハイロフ。この人の声は非常に泥臭くて、野性的な響きを持ったものだ。しかし、ロシア農民を演じる歌手の声としては、こういう方が断然良い。ミハイロフは、ヴォルガ中流域の貧しい農村で生まれ育った幼少時の体験から、何よりもイワン・スサーニンという農民の役に深い共感を持っていたそうだ。実際、この役については、何と400回以上も歌った実績があるらしい。今回扱っているCDでも、名演が聴かれる。有名なアリアも勿論立派だが、そこから死に至る場面までの演技歌唱も非常に素晴らしい。ちなみに、かつて映像で鑑賞したネステレンコの歌唱はこれよりずっと洗練度の高いものだったが、残念ながら、私の心にはあまり響いてこなかった。)

〔 エピローグ 〕

モスクワ。クレムリン宮殿前の広場。皇帝を迎える群衆の歓喜の声で、全曲の終了。

(※最後のエピローグは、2つの場面から構成されている。まず第1場は、新しい皇帝を迎える群衆が集まっているところでアントニーダ、ソビーニン、そしてワーニャの3人が、スサーニンの死を悼む三重唱を歌う。そして人々が、「皇帝を守るために命を投げ出したイワン・スサーニンのエピソード」を確認するのである。かつてNHKで紹介されたネステレンコ主演の映像では、この第1場がしっかり演奏されていたと記憶する。しかし、この第1場は実演では省略されることも多いらしく、今私の手元にあるM=パシャイエフ盤ではカットされている。)

(※続く第2場が、全曲を締めくくる最後のシーンとなる。「我がロシアに栄光あれ」と歌う力強い合唱で幕が閉じられる。これは凄い終曲である。轟然たる合唱に、鐘の音がガランガランガランガラン・・・。しかし、ドラマの展開としてはやはり、上記の第1場をちゃんとやってからこの第2場へ進める形の方が良いだろうと思う。いきなりこの第2場では、ちょっと唐突な感じがする。)

(PS) ソビーニンのアリアについて

今回は枠に少し余裕が出来たので、ちょっと補足話。<イワン・スサーニン>に登場する若者ソビーニンはテノールの役だが、彼が歌うアリアはハイCにシャープが付くという超高音が要求される難曲のため、普段の上演ではカットしてしまうのだそうだ。これは本で読んだ知識の受け売りに過ぎないが、録音上でこの「幻のアリア」を見事に歌って復活させたのは、若き日のニコライ・ゲッダだそうである。マルケヴィッチが1957年に指揮した演奏とのこと。さて、その後はどうなのだろう。

―以上で、歌劇<イワン・スサーニン>は終了。これまで見てきた通り、イタリアに学ぶ、つまり「真似ぶ」ことから、グリンカのオペラ創作は始まったのであった。次回のトピックは、そんな彼が書いたもう一つの歌劇。これは序曲ばかりがやたら有名な作品だが、当ブログではしっかりとその全曲の内容を見ていく予定である。

【2019年3月7日 おまけ】

マクシム・ミハイロフが歌うイワン・スサーニンのアリア

極めつけの名演を、貴重なカラー映像で。

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歌劇<イワン・スサーニン>(1)

2006年09月22日 | 作品を語る
大歌手の訃報という臨時ニュースでちょっと中断したが、先頃扱ったスメタナの作品を皮切りに、しばらく「国民歌劇」路線(及び、その周辺)のお話を続けてみようかと思う。ちょうどヴァルナイさんのイをしりとりする形で、ロシア国民歌劇の嚆矢となった作品に話をつなぐことが出来る。グリンカの<イワン・スサーニン>(1836年)である。リハーサルの一つに立ち会った皇帝ニコライⅠ世が、「オペラの題名を、<皇帝に捧げし命>にせよ」と命じたエピソードがよく知られた作品だが、今回と次回はこの<イワン・スサーニン>について語ってみたい。

「ロシア国民楽派の父」と称揚される作曲家ミハイル・グリンカが書いた記念碑的な当オペラの全曲については、随分前にNHKが放送してくれた映像で初めて触れた。主演は、当時全盛期にあったエフゲニ・ネステレンコ。その頃はこの種のクラシック番組を随分熱心に録画したものだが、当時のビデオ・テープはどれも老朽化したため、何年か前にまとめて処分してしまった。今私の手元にあるのは、古い音源の全曲CDが一組だけ。これはアレクサンドル・メリク=パシャイエフの指揮によるボリショイ劇場での録音で、主演はマクシム・ミハイロフだ。1947年の記録なので当然モノラル録音だが、鑑賞には全く差し支えのない音質である。演奏も優秀。以下、かつてNHKで観たライヴ映像での記憶と、このメリク=パシャイエフのCD、そして作品解説の本を材料にして、オペラの内容をざっと見ていくことにしたい。

―歌劇<イワン・スサーニン>のあらすじと、音楽的特徴

〔 第1幕 〕

ロシアの国民軍が、ドムニノ村にやって来る。村娘アントニーダ(S)が婚礼を間近にした喜びを歌っている。やがて、彼女の父親であるイワン・スサーニン(B)が帰ってきて、「我らの新しい皇帝が、国民会議で決まった。今の混乱が収まるまで、お前の結婚式もちょっと延期しよう」と彼女に告げる。そこへ、アントニーダの許婚であるソビーニン(T)が、意気揚々とした様子でやって来る。「我らのロシア軍がにっくきポーランド軍を破って、モスクワを奪還したぞ」。彼がもたらした吉報に、一同盛り上がって喜ぶ。

(※序曲に続いて、ポーランド軍に対する戦いの合唱「我が祖国ロシア」が力強く響く。これはテノール独唱の音頭取りに続いて全員が歌うというロシア民謡によるもので、曲自体にもロシア色が濃厚に漂っている。さらに、ソビーニンが歌うアリア「許婚のもとへ、手ぶらで来る花婿はおらぬ」も、ロシアの軍歌調で書かれているという。このように、いかにもロシア・オペラですね、と思わせる音楽がこのオペラのあちこちで使われているのは事実である。しかし、実はこれらはグリンカ・オペラを特徴づける最大の要素となっているものではない。第1幕の例で言うなら、コロラトゥーラの技巧が散りばめられたアントニーダのカバレッタとロンド、そしてソビーニンの吉報に喜ぶ一同がやがて始める重唱などにこそ、「良くも悪くも、これがグリンカなんだよな」と言える特徴が出て来るのだ。それ即ち、イタリア色である。)

〔 第2幕 〕

ポーランド軍の陣営で、舞踏会が催されている。「新しいロシア皇帝がいるのは、ドムニノ村近くの修道院である」という情報を手にした彼らは、そこを襲撃しようという計画を立てる。

(※第2幕は、全体にアトラクション的な性格を強く備えたものになっているようだ。ポロネーズと合唱、クラコヴィアーク、あるいはマズルカといった民族色豊かな舞曲が次々と披露される。ポーランド兵たちの会話のやり取りなどはごく軽く処理され、もっぱら各種のポーランド系舞曲を聴かせることに重点が置かれているように感じられる。)

〔 第3幕 〕 ~前半部分

スサーニンの家。彼が養女として育ててきた孤児のワーニャ(Ms)が、母親を失った悲しみを歌っている。スサーニンが彼女を慰め、やがて始まるであろうロシア国民軍の反撃について語りだす。やがて、村人たちがアントニーダの婚礼を祝いに集まり、楽しいお祝いムードになる。しかし突然、ポーランド軍の兵士達がそこへ押し入ってきて、「修道院まで案内しろ」と、主(あるじ)のスサーニンに詰め寄る。

(※第3幕では、近づく悲劇を予感させる前奏曲もなかなかに印象的なものだが、それよりも孤児ワーニャの歌の方が注目される。弦楽による伴奏音型がベッリーニ風で、さらに彼女を慰めるスサーニンが加わって始まる二重唱もまた、イタリア・ベルカント流。さらに、後半盛り上がってくるこの二重唱は、だんだんとカバレッタ風の楽曲に発展していく。実はこれが、グリンカ・オペラの最たる特徴と言えるものなのである。色々なオペラ作品を聴きこんだ人が、「<イワン・スサーニン>って、ドニゼッティのオペラみたいだな」と感じるのは、理由のないことではない。)

(※村人たちがスサーニンの家へお祝いに来る場面でもやはり、ドニゼッティ・オペラのような重唱シーンが展開される。ソビーニン、ワーニャ、イワン、そしてアントニーダの4人によるアンサンブルが中心なのだが、これが結構長い。一旦区切りがつくや、短い間奏をはさんでまた始まる。え、まだやるの?みたいな感じで、延々と続くのだ。)

(※さて、このオペラで「憎むべき敵」に設定されているのはポーランド軍の兵士たちだが、私にはこの人たち、どうしても悪い連中には見えない。何故かと言うと、ロシアの農家に踏み入って人々を脅し、そこの主人に道案内を強要するという暴力行為を行なっているこんな場面でも、彼らは舞踏会の時みたいに軽やかなポーランド舞曲で歌うからである。いくら男声合唱で悪者らしく怖く歌おうとしても、この楽しげなリズムでは無理だろうって。w )

―この続きから幕切れまでの展開については、次回・・。
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アストリッド・ヴァルナイ(2)

2006年09月17日 | 演奏(家)を語る
前回に続いてもう一度、大歌手アストリッド・ヴァルナイの業績を偲ぶ特別記事である。

●<さまよえるオランダ人>~ゼンタ

ヴァルナイがゼンタを歌ったバイロイト録音としては、クナッパーツブッシュ盤とカイルベルト盤の2種類がLPの時代から有名だ。収録はどちらも、1955年。つまり同じ年の、違う日の公演を別々に記録したものである。私が持っているのはクナッパーツブッシュ盤のCDだけだが、もう一方のカイルベルト盤も評判が良いようだ。(※最近カイルベルトの方はステレオ音源がCD化されたので、録音条件に関してはそちらの方がかなり有利かと思われる。また、同じカイルベルトが翌56年に指揮した上演も、モノラルながらCDが出ている。)

ヴァルナイのゼンタは、とにかく“凄い”の一語である。聴きながら、息を呑んでしまうほどだ。実を言うと私は、オットー・クレンペラー博士のEMIスタジオ録音等で聴かれるアニア・シリアの歌唱にゼンタの理想像を見出しているのだが、ヴァルナイのゼンタもまた、聴き手に強烈なインパクトを与える力を持っている。彼女のゼンタは非常に劇的で、スケール雄大なものだ。ある意味ブリュンヒルデの分身みたいなゼンタ、とでも言えようか。第1幕の有名なバラードから彼女が海に飛び込む幕切れのシーンまで、聴いている方は終始圧倒され通しである。

一方、ここでオランダ人を歌っているのがヘルマン・ウーデ、というのがまた面白い。この歌手に味を感じるという聴き手は、おそらくちょっとひとひねりした通(つう)の感覚を持つ人であろう。ウーデはワグナーを歌うバリトン歌手なのに、剛毅さや英雄性といった要素には乏しく、どこかうつろな響きを持った暗い声によってニューロティックで陰鬱なムードを色濃く漂わせる人。<ローエングリン>のテルラムント等が、よく似合う。従って、この人が歌うオランダ人からは、精神を病んだ男の青白い顔が見えてくる。彼が第2幕でゼンタの前に姿を現すシーンの歌など、いわく言い難いニヒリズムの空洞がぽっかりと口を開けているのだ。ああ、この虚無の闇に乙女を吸い込んでしまうのか、と妙な説得力を感じてしまう。これもまた、“呪われて永遠にさ迷い続ける幽霊船の船長”の姿として、ユニークではあるが一つの正解と言えるかも知れない。(※ただし、この録音で聴かれる彼の歌は、音程もフォルムもいささか安定感を欠いているので、手放しに賞賛することまでは出来ないが。)

しかし、この録音、何と言ってもクナッパーツブッシュの指揮こそが最大の聴き物と言うべきだろう。悠然としたテンポで音楽が深くうねるのはいつものクナ節だが、このライヴで聴かれる抉りの凄さはもう別格である。オランダ人が初めて登場する場面で聴かせる恐ろしい低弦の威力、有名な「水夫の合唱」などで見せる巨大なスケールと迫力、さらにはヴィントガッセンが演じる英雄的な(!)エリックとゼンタのやり取りから最後の幕切れに至るまでの緊迫感漲る展開(※オランダ人も含めた主役3人の凄い熱唱)、それらすべてに大指揮者の炯眼(けいがん)が行きわたっているのだ。とにかく、聴き終えた後に残る手応えが尋常ではないのである。録音はモノラルで、いくつか耳障りなノイズが出る箇所がある。しかし全体としては、クナッパーツブッシュ独特の轟然たる響きが力強く捉えられていて、音質的には鑑賞上不足のないものと言ってよいように思う。

●リサイタル盤に聴くその他のレパートリー

Archipelという廉価レーベルから今、ヴァルナイの歌唱ばかりを集めた一枚物のリサイタルCDが安く出ている。これは彼女が1951、53、及び54年に行なったライヴの記録である(ARPCD 0221)。録音年代を考えると、随分音が良い。24ビット・リマスターが施されていることも効果を発揮しているのだろう。ここで伴奏指揮を務めているのは、(2つの曲を除いて)ヘルマン・ヴァイゲルトという人だ。実はこの方、ヴァルナイの夫君だそうである。指揮者としての実力はともかく、声楽コーチとしてヴァルナイを育てた功績は間違いなく称賛に値する人だ。

このCDの前半に収められたワグナーの中で特に良いものとして、トラック2の「おごそかなこの広間よ」がまず挙げられる。ヴァルナイには確か<タンホイザー>でのバイロイト出演はなかったような気がするが、このエリーザベトを聴くと、「バイロイトでの全曲があったらなあ」とつくづく思う。それに次ぐのは、ジョージ・ロンドンと共演したトラック5の<ワルキューレ>第3幕第3場前半だろう。ブリュンヒルデが、「私のしたことは、そんなに恥ずべきことでしょうか」と始めるところから、『ヴォータンの告別』が始まる直前までの部分である。ここで改めて、ヴァルナイが歌ったブリュンヒルデの素晴らしさが再確認出来る。トラック6では「イゾルデの愛の死」が聴かれる。このイゾルデは、歌詞の明瞭なディクションが好印象を残す。

ベートーヴェンの<フィデリオ>からの1曲をはさんで、CD後半にはヴェルディ・オペラからの4曲と、アレヴィの<ユダヤの女>からの1曲が入っている。この後半の5曲はちょっとヴァルナイのイメージとは結びつきにくいものだが、これらを聴くとつくづく、彼女が極めて優秀な声楽家であったことが実感される。イタリアの唱法もよく研究していたと思われるような歌い方を披露してくれるのだ。<シモン・ボッカネグラ>のマリアや<トロヴァトーレ>のレオノーラなど、声質などから考えてもちょっと異質な感があるのは否めないが、とにかく歌のスケールが大きい。特に後者など、まるで「ワルハラ城のレオノーラ」とでも呼んでみたくなるような雰囲気がある。しかしこれらは、熱心なヴァルナイ・ファン向けの音源と言うべきだろう。彼女がワグナー等のドイツ物を中心的なレパートリーに据えたのは、やはり正解だったと思う。

―クナッパーツブッシュとの、ちょっと笑えるエピソード

最後に、ヴァルナイとクナッパーツブッシュの楽しいエピソードを2つほどご紹介して、今回の特別記事を終えることにしたい。いずれも、フランツ・ブラウン著『クナッパーツブッシュの思い出』(芸術現代社)の中に出て来るものである。

1.バイロイトの会場に車で乗りつけたヴァルナイが、警察官に捕まった。違反運転のためである。そこへ通りかかったクナッパーツブッシュに、ヴァルナイは言った。「ねえ先生、私、違反で捕まっちゃったんですよー」。それを聞いたクナ先生、「やれやれ、やっとつかまったかい」。

(※これはクナ先生一流の皮肉ジョークだったのか、それともヴァルナイは本当に違反運転の常習者だったのか、そのあたりはもう永遠の謎。w )

2.バイロイトでの公演期間中、自分が指揮しない日になると、クナッパーツブッシュはよく非番の楽員たちと大好きなトランプ・ゲームをやった。たまたまある日、その場所にヴァルナイが居合わせることになった。彼女は大指揮者に、「私もしばらく、ここにいてよろしいかしら」と尋ねた。クナ先生、いいとも悪いとも答えず、例のがらがら声でこう言った。「それは、まあ、・・しかし、ここは男だけの集まりなんで、その、色々きわどい言葉が出てきますよ」。それに対して、「いいですよ。私もいくらか慣れましたから」と答えたヴァルナイだったが、そのわずか5分後に彼女はそこを飛び出していった。

(※クナッパーツブッシュが何かにつけてすぐ口にする言葉の一つが、「ケ○の穴」だったことはよく知られている。毎年彼と共演したヴァルナイはリハーサル等でそういうのをさんざん聞かされていたから、「いくらか慣れました」と言えたのだろう。しかし、それでも5分といられなかったのだから、その場所では相当な言葉が飛び交ったものと推測される。w )

―ヴァルナイさん、有難う。でもまだ、あなたの録音を何かこれから入手して聴くことがきっとあると思います。その時また、楽しませてください。どうぞ、安らかに・・。
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アストリッド・ヴァルナイ(1)

2006年09月12日 | 演奏(家)を語る
先頃のエリーザベト・シュワルツコップに続いてまた一人、偉大な歌手がこの世を去った。アストリッド・ヴァルナイである。去る9月4日に、ミュンヘンの病院で亡くなったそうだ。享年88との由。そこで今回と次回は、この大歌手を偲ぶ追悼特別記事にしようと思う。ヴァルナイのデビューは1941年にメトロポリタン歌劇場でなされたらしいのだが、ここでは1951年、つまり彼女がバイロイトに初登場した年以降の話に絞ってみたいと思う。以下、私が実際にCDを聴いて知っている狭い範囲での話だが、彼女が遺した業績をざっとかいつまんで見ていきたい。

●《ニーベルングの指環》~ブリュンヒルデ

バイロイト音楽祭が戦後の再出発を果たした、1951年。大作曲家の孫であるヴィーラント・ワグナーは、その記念すべき最初の《指環》上演で、伝説のフラグスタートにブリュンヒルデの役を歌ってほしいと願った。しかし高齢の大歌手は、様々な理由から辞退してしまう。その代わりに彼女が推薦してきたのが、ヨーロッパでは当時ほとんど無名のアストリッド・ヴァルナイであった。ヴィーラントはその若い歌手を聴いたこともなく、会ったこともなかったが、フラグスタートの言葉を信じて、“アメリカではちょっと知られていたドラマティック・ソプラノ”に大役を任せた。結果は大成功。以後ヴァルナイは、1950年代のバイロイトを支える大歌手の一人となった。

51年《指環》ライヴについては、現在<神々の黄昏>だけがCD化されている。(※テスタメント・レーベルが実現したこの快挙の裏にシュワルツコップの大きな助力があったことは、当ブログでも紹介済み。)私が今持っているのはその51年盤<神々の黄昏>と、同じクナッパーツブッシュの指揮による56年と57年の《指環》各全曲セットである。今回の記事を書くにあたって、これら3組に共通する<神々の黄昏>から、いくつかの部分を聴き比べてみた。

そこで改めて驚いたのは、バイロイト・デビューとなった51年の段階で、ヴァルナイがすでに極めて高い完成度を示していたということである。より熟練してくる後年の歌唱と比べても、殆ど遜色のない出来栄えなのだ。しかし考えてみれば、当時彼女は既に歌手暦10年のキャリアを持っていたわけで、決して新米歌手ではなかったのである。それに当然、十分な事前準備もしていたことだろう。他の出演者たちの出来や録音状態など、様々な要素が絡んでくるので、どの年の公演がベストだったか、みたいな単純なランク付けは不可能だが、ことヴァルナイの声と歌唱については、最初から非常に優秀なものだったと言うことが出来る。

ヴァルナイの声には、深く豊かな中声部の響きとともに、しなやかで力強い高音があった。そして、ただ雄大な声を振り回すのではなく、歌詞のディクションが明瞭で歌の姿がしっかりしていた。彼女がブリュンヒルデを演じた時の歌唱には神々しいほどの威厳が備わっていると同時に、女性としての喜びも苦悩もあまねく歌い出されたヒューマンな温もりがあった。(※単純な優劣論議は出来ないが、私はニルソンよりもヴァルナイのブリュンヒルデの方が断然好きである。)

そう言えば、この時期のヴァルナイの活躍に関してもう一つ、触れておくべき逸話がある。想像に難くないことだが、歌劇場ではよく、「当日の出演予定者が急病等で、キャンセルしてきた」みたいなトラブルが起こる。しかしヴァルナイは、その種の突発的なハプニングに対して常人離れした対応が出来る人だったと伝えられている。たいていの役なら、いつでも飛び入りで代わりに歌えたというのだ。特に、1956年の《指環》上演時のエピソードには驚かされる。<神々の黄昏>で第3のノルンを演じる予定だった歌手が出られなくなったのだが、その時ヴァルナイが飛び入りでノルンを歌い、それが済んで引っ込むや、彼女はブリュンヒルデに早変りして再び舞台に向かったというのである。うひゃあ!

ところで、1955年にカイルベルトが指揮した《指環》の公演にも、ヴァルナイは例年通りブリュンヒルデ役で出演している。で、これが何とステレオでライヴ録音されていたらしく、今その四部作がテスタメント・レーベルから順々にCD化されているところだ。このセットは、私もいつか手にしてみたい。年代的に見ても、ヴァルナイの絶頂期はまさにこの頃にあったわけだから、その思いも一入(ひとしお)である。

●<ローエンングリン>~オルトルート

ドラマティック・ソプラノの役で名を馳せたヴァルナイだったが、彼女の声は本質的にメゾ・ソプラノだった。深みのある雄渾なメゾの声で強靭なソプラノの高音を出せたことが、彼女を偉大なブリュンヒルデ歌手にした理由の一つである。そんな彼女にぴったりのもう一つの役柄は、<ローエングリン>に出て来るオルトルートであった。これは幸いなことに、バイロイト・ライヴを中心にかなりの数が録音に遺されている。ちょっと古いカタログで調べてみたら、シュティードリーの指揮による1950年のメト・ライヴに始まり、カイルベルトの1953年盤、ヨッフムの1954年盤、クリュイタンスの1958年盤、マゼールの1960年盤、そしてサヴァリッシュの1962年盤といった一連のバイロイト録音、さらにサヴァリッシュの1965年スカラ座録音などが見つかった。この中で、たまたま私はカイルベルトの1953年バイロイト盤を購入したのだが、それに深い意味はなく、ただ単にCDが安い値段で見つかったからというだけのことである。

カイルベルトの指揮による1953年盤は、ヴァルナイがバイロイトで初めてオルトルートを歌った時の記録ということになりそうだ。しかし、それ以前にも同役をメトで歌っていたらしいので、決してこの役への初挑戦ではなかったわけである。ただ、率直な感想を言えば、この53年盤で聴かれる歌唱よりも、おそらくもっと後の記録の方にずっと優れたものがあるような気がする。つまり、ここでの彼女は、この魔女役に対する高い適性をすでに力強く示してくれてはいるものの、どこかまだ生硬で出来上がり切っていない印象を与えるのだ。この時の上演ではむしろ、相方(?)のテルラムントを歌ったヘルマン・ウーデの方が冴えているようである。カイルベルトの指揮は、いかにもこの人らしくゴツゴツした感じの骨太な演奏を生み出している。しかし一方で、第2幕第2場のように、思いがけず柔らかい抒情味を見せるところもあったりする。カラヤンあたりが聴かせるような精妙な表現は期待できないものの、いかにもツボを押さえた練達の芸を披露している。

(※キャリア後期のヴァルナイは、本来の声質であるメゾ・ソプラノの役を受け持つようになった。その代表的な例として、彼女がかなり高齢になってからの記録ではあるが、カール・ベーム&ウィーン・フィルの演奏による2つのR・シュトラウス作品の映像盤が挙げられる。そこで彼女は、<サロメ>のヘロディアスと<エレクトラ>のクリテムネストラを演じているが、どちらも印象強烈なものである。これについては当ブログでかつて、『<サロメ>の演奏史』と題したシリーズの第3回で軽く言及したことがあった。

前者ヘロディアスの方はその姿から昔日の美貌がまだ多少は偲ばれるが、後者クリテムネストラは妖怪のようなメイクで衝撃的だ。尤も、このフリードリヒ版<エレクトラ>は演出自体がおどろおどろのオカルト・タッチなので、ヴァルナイの扮装もそれに合わせたものである。そう言えば、私は未聴だが、若い頃のヴァルナイはエレクトラ役もよく歌っていたようだ。ミトロプロス盤、ライナー盤、あるいはカラヤン盤等、数種の全曲CDが通販サイトで見つかる。そのうちのどれか一つでも、いつか機会があったら聴いてみたいと思う。声の点でも、キャラクターの点でも、この役は彼女にとてもよく似合っていたような気がするのだ。)

―次回はもう一度、ヴァルナイの追悼特別記事。
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歌劇<ダリボル>

2006年09月07日 | 作品を語る
前回までの話に続いて、今回もう一つ、スメタナの国民歌劇作品を扱ってみたい。作曲家にとって3作目の歌劇となる<ダリボル>(1867年)である。これは、作曲者自身が生前一番気に入っていたものと伝えられている歌劇だ。一般的にはあまり馴染みのある作品とは言い難いものだが、スメタナのオペラを語る上ではやはり無視することが出来ない。

このオペラについて私がかつて聴いた全曲CDは、ヨゼフ・クリップスの指揮によるウィーン国立歌劇場でのライヴ(1969年10月19日収録)盤である。これは一応国内盤ではあったのだが歌詞対訳はなく、トラック番号に準拠した短いあらすじ紹介文だけが付いているものだった。以下、上記のCDを聴きながら取ったメモをもとにして、その内容を順に見ていきたいと思う。

―歌劇<ダリボル>のあらすじ

〔 第1幕 〕 プラハの城の中庭。

騎士ダリボルが、国王のもとで今裁判にかけられるところ。プロスコヴィッチの城主を殺害し、城を破壊したという容疑である。殺された城主の妹ミラダがこの訴えを起こし、王に厳しい裁定を求めている。一方、ダリボルに拾われて育てられてきた娘イトカは、何とかして恩人である彼を救出したいと考えている。やがて、国王ヴラジスラフと裁判官が登場。そして、ダリボルも姿を現す。

ダリボルは容疑を認めた上で、揺るがぬ信念を語りだす。「私の親友であった音楽家のズデンコは、あの城主によって不当に捕らえられ、殺害された。私は裁判に訴えたが、城主には逆らえないといって誰も聞いてくれなかった。だから私は、自分自身で復讐を遂げたのだ」。裁判官は、ダリボルに終身刑を言い渡す。しかし彼は、「牢獄で精神の自由を押さえつけることなど出来ない」と、屈する様子を微塵も見せない。その態度に、民衆は深く感じ入る。そればかりか、兄の仇とダリボルを憎んでいたミラダまでが感動してしまう。

彼女はダリボルを許す気持ちになり、国王に寛大な処置を求める。しかし、裁判官の判決を勝手に覆すことは、さすがの王にも出来なかった。皆が去った後、中庭にミラダが一人残る。彼女はダリボルに対して、愛を感じ始めている。そこへイトカがやって来て、「愛とダリボルのために、闘いましょう」とミラダを説得する。

(※第1幕ではまず、控えめなファンファーレに続いて悲劇的な旋律が流れる前奏曲が良い。当ブログでかつて扱った例で言えば、マデトヤの歌劇<ポホヤの人々>にちょっと似た雰囲気を持っている。主役のダリボルは、ドラマティック・テノール。終身刑を言い渡された後になお、彼が強い信念を歌って人々を揺り動かす場面が、第1幕の聴きどころと言えそうだ。なお、そのダリボルの歌には、かなりワグナーの影響が窺われる。)

〔 第2幕 〕

プラハの下町の居酒屋で、若者たちが飲みながら盛り上がっている。イトカが、「ダリボルを救出しましょうよ」と恋人のヴィーテクを誘う。すると他の若者たちもそれに乗ってきて、力強い合唱へと発展する。

(※この居酒屋の場面は、いかにもチェコらしい舞曲のリズムで始まる。続くイトカとヴィーテクのデュエットは大した曲ではないが、2人の歌に他の若者たちが加わってくると再び盛り上がる。)

場面変って、城の中庭。ダリボル奪還計画の噂を耳にした司令官ブディヴォイが、牢番に注意を促している。牢番ベネスは、少し前から自分の手伝いに来ている若者を息子のように可愛がって信頼しているが、その若者とは男装したミラダであった。「孤独で、つらい牢番生活だ」と嘆くベネスを、ミラダは慰める。それからベネスは、「これを、ダリボルにやってくれ」と、自分の古いヴァイオリンをミラダに手渡す。

(※男装したヒロインが牢番の信頼を勝ち取るという設定はベートーヴェンの<フィデリオ>そのものだが、作曲者はそのあたりを意識していたのだろうか?それはともかく、牢番ベネスからヴァイオリンを預かってダリボルのもとへ向かうミラダが、「ダリボル救出のために、力を与えよ」と祈る歌にも、やはりワグナーの影響が見られる。)

再び、場面転換。牢獄の中で石につながれたダリボルが、亡き友ズデンコとのヴァイオリン演奏を夢に見ている。そこへ、牢番ベネスから預かったヴァイオリンを持ってミラダがやって来る。彼女はダリボルに正体を明かし、彼を訴えたことを許してほしいと頼む。さらに彼女は、「私はあなたを、ここから救出したいのです」と告げる。ダリボルはミラダを許し、新たな希望と自由へ導いてくれる彼女の愛を受け入れる。

(※この場面転換の音楽は、美しい曲である。チェロやハープ、各種木管、そしてヴァイオリンといった楽器が入れ替わり立ち代りソロイスティックに活用されて、とても印象的なものに仕上がっている。最後を締めくくるダリボルとミラダの「愛の二重唱」もやはりワグナーっぽいが、なかなか良い。オペラ全体を見渡しても、第2幕が一番聴きどころの多い箇所と言えそうだ。)

〔 第3幕 〕

司令官ブディヴォイが、ダリボルを巡る不穏な動きについて国王に警告する。やがて、「秩序を維持するためには、ダリボルを処刑するしかないだろう」という話が出て来る。国王ヴラジスラフは、「ダリボルの死刑については、慎重に考えた上で決定してほしい」と裁判官たちに依頼する。そして王は、「私は公正で温和な国王でありたいのに、理想はいつも現実によって破られる」と、嘆く思いを歌う。やがてダリボルの死刑判決が、裁判官たちによって出される。悩める王は、「ダリボルが反逆心を捨ててくれるなら、許そう。しかし尊大であり続けるなら、殺す」と語る。

(※この国王の歌は聴き物だ。自らが心に思い描く理想と、そうはさせてくれない現実とのギャップに苦しむ王の嘆きである。クリップス盤ではウィーン出身のバリトン歌手エバーハルト・ヴェヒターがこの役をやっていたが、熱のこもった見事な名唱であった。)

場面転換。夜。ミラダとイトカ、そして武装した民衆が城に向かってくる。いよいよダリボルが処刑されようとしているところへ、人々が突入。助け出されたダリボルは、そこで瀕死の重傷を負ったミラダを城から運び出す。しかし、彼女は間もなく、ダリボルの腕の中で息を引き取る。侵入者たちを殺し捕らえたブディヴォイが、ダリボルの捕獲を命じる。ダリボルは、「自由の扉を開け!私は別の世界へ行く」と叫び、兵士たちの剣の中へ飛び込んでいく。(終)

(※ミラダが息を引き取る場面には、さすがにしんみりさせる音楽がついている。ただ、その後ダリボルが兵士たちに向かっていく幕切れには、もう少し豊かな響きがほしいなあと思った。)

―スメタナの作品については以上で終了だが、これをきっかけにして、しばらく国民歌劇路線でのお話を進めてみようかと思っている。ただし次回は、特別記事。まさに今日(9月7日)、HMVさんのネット通販サイトで、アストリッド・ヴァルナイの訃報に触れたのだった。去る4日にミュンヘンの病院で亡くなられたらしい。享年88との由。という訳で次回は、大歌手ヴァルナイのお話である。
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