クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

ベルリオーズの<荘厳ミサ曲>

2005年01月29日 | 作品を語る
前回ちょっと言及したJ・E・ガーディナーの指揮によるベルリオーズの<荘厳ミサ曲>(1824年)について、今回は簡単な補足をしておきたい。この作品についての詳しい解説は、ガーディナー盤CD(Ph盤)のブックレットを見ていただくのが何よりなので、専門家でも何でもない私からは、聴いて面白かった部分のお話だけ書いておきたいと思う。

演奏時間55分程の規模で書かれた、この埋もれていた興味深い作品の楽曲構成は、以下の通りである。

1.Introduction(序奏)
2.Kyrie(キリエ=あわれみたまえ)
3.Gloria(グロリア=栄光・・これは Gloria, Gratias, Quoniam という三つの曲から成る。)
4.Credo(クレド=我は信ず・・これは Credo, Incarnatus, Crucifixus, Resurrexit という四つの曲からなる。)
5.Motet pour l’offertoire(奉納のモテト・・ミサ通常文ではなく、「出エジプト記」の第15章にあるものらしい。)
6.Sanctus(サンクトゥス=聖なるかな)
7.O salutaris(オー・サルターリス=おお、犠牲の救い主よ)
8.Agnus Dei(アニュス・デイ=神の子羊)
9.Domine salvum(ドミネ・サルウム=主よ、我々の王を助けたまえ・・これも上記「奉納のモテト」と同様にミサ通常文ではなく、その当時のフランスで慣習的に用いられていた歌詞らしい。)

このCDを聴きながら真っ先に「あっ!」と思ったのが、第3曲グロリアの中の「グラティアス」である。この旋律に聴き覚えのある人は大勢いるはずだ。これは、<幻想交響曲>の第3楽章「野の風景」で聴かれる主要主題である。あのおなじみのメロディに乗って歌われる歌詞は「主の大いなる栄光のゆえに感謝し奉る。神なる主、天の王、全能の父なる神よ。主なる御ひとり子イエズス・キリストよ。父のみ子、神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ」というものである。これを知ると、<幻想交響曲>の聴こえ方も変わってきそうだ。つまり、あのわびしい孤独感を演出しているような第3楽章の主題には、上記のような歌詞がもともと作曲者の頭の中で歌われていたということなのだ。尤も、CDの解説書にあるガーディナーの言葉によると、このメロディはドーフィネ地方と呼ばれる地域の民謡に由来するものらしいので、さらにさかのぼれる民謡の歌詞が何かあるのだろう。いずれにしても、楽しい発見ではある。

もう一つ、私のような素人でも「おおっ、こ、これは」と目をみはらされたのが、第4曲クレドの中の「レスルレクシト」。この言葉自体は、「復活」を意味する英語の resurrection の語源になっているものであることは明白だが、「聖書にありしごとく、三日目によみがえり、天にのぼりて、父の右に座したもう」と歌い始めるこの曲、実はあの大作<レクイエム(死者のための大ミサ曲)>の中で聴かれる「怒りの日」の後半にさしかかるところの『トゥーバ・ミルム』の原型なのだ。もう、そっくりである。聴いていて思わず、ニンマリしてしまう。

ただ、そっくりとは言っても、これはあくまでプロトタイプ。粗い原型である。この「レスルレクシト」だけは若き日のベルリオーズ自身も気にいっていたらしく、<荘厳ミサ曲>全体を自ら“お蔵入り”にした後も、これだけは改訂版も書いていて、その楽譜も残っている。ガーディナー盤の最後には、ボーナス・トラックのような形でその「改訂版・レスルレクシト」も追加録音されているのがうれしい。これはちょうどベートーヴェンの<レオノーレ序曲>を、よく知られた第3番の前に第1番、そして第2番と作曲された順に辿って聴いていく時のような面白さが味わえるものである。

原典版では、<レクイエム>の『トゥーバ・ミルム』で完成されることになるあの“どかどかサウンド(笑)”の原型に続いて、バス独唱が「主は栄光のうちに再び来たり、生ける人と死せる人とを裁きたもう」と歌う。が、その後の改訂版では、同じ箇所のトランペットを二本から四本に倍増させ、ティンパニも一台増やして増強し、さらに上記の歌詞に続けて、「不思議な響きを伝えるラッパが、すべての人々を玉座の前に集めるであろう」という、まさに Tuba mirum そのものの歌詞を追加して、バスの合唱で爆発的な威力をもって歌わせる。つまり、筆が進むにつれてはっきりと、あの<レクイエム>の誇大妄想的な超大規模サウンドにどんどん近づいていくのがはっきりと聴いてとれるのである。これは大変スリリングな体験である。

弱冠20歳のベルリオーズが書いたという当ミサ曲は、今回私が触れた上記二点以外にも、ベルリオーズの作品を知っている人ほどたくさんの発見に巡り会うことの出来る、非常に興味深い作品である。ガーディナーの指揮による演奏も、また録音も優秀。興味の向きは、御一聴を。

【2019年4月27日 追記】

●ガーディナー盤ベルリオーズの<荘厳ミサ曲>より、グラティアス

有名な<幻想交響曲>~第3楽章の元ネタ。



●ガーディナー盤ベルリオーズの<荘厳ミサ曲>より、レスルレクシト(オリジナル版)

有名な<レクイエム>で聴かれるトゥーバ・ミルムの原型は、〔0:58〕から。



●ガーディナー盤ベルリオーズの<荘厳ミサ曲>より、レスルレクシト(改訂版)

上のオリジナル版よりも、パワーアップ↑。

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カッサンドラ

2005年01月26日 | エトセトラ
詩人ロンサールが愛用していたという『カッサンドルへのオード』に前回言及したところで、今回はギリシャ神話に登場する女性の一人であるカッサンドラについて少しだけ語ってみたい。(※画期的なポスター・デザインを遺した伝説的な人物にカッサンドルという人がいるが、このブログでは守備範囲外なので割愛。)

さて、このカッサンドラという女性は予言者である。ギリシャ神話の世界では、あの盲目のティレシアスと並ぶ有能なる予言者である。彼女は内容が不吉な事ばかり予言するのだが、それはきっと当たるのである。しかし、その凄い予言を誰も聞かず備えたりもしないから、悲惨な事が次々と現実になってしまう。で、そのたびに、「だから言ったのに、何で誰も聞いてくれないのよ」といつも嘆くことになる、ちょっと気の毒な予言者である。そんなことになってしまった経緯は、以下の通り。

トロイアの王女だった内気な娘カッサンドラを、太陽神アポロンが見そめた。アポロンは自分の愛を受け入れてくれれば素晴らしい能力を授けようと言って、彼女に人間を見抜き未来を見通す力を与えた。しかし彼女は、その能力をもらってもなおアポロンを拒んだ。怒ったアポロンは、その能力に“付録”をつけることにした。つまり、神が与えた予知能力なので彼女の予言はきっと当たるのだが、それを誰にも聞いてもらえないという運命も付け添えたのである。

彼女はトロイア戦争とトロイアの滅亡を見通し、そのきっかけとなるパリスのスパルタ遠征を止めようとしたが、誰にも聞いてもらえなかった。ギリシャ軍がトロイアに置いていった巨大な木馬を、「危険なものだから、廃棄するように」と司祭ラオコーンと一緒になって訴えたが、やはり誰にも聞いてもらえなかった。ギリシャの指揮官アガメムノンに、「私を捕えれば、不名誉な死に方をするぞ」と彼女自らの死と合わせて予言したが、これも聞いてもらえなかった。アガメムノンが妻クリュタイムネストラとその愛人アイギストスに謀殺されたのは、このブログでも過去に「エレクトラの薀蓄話」で触れたとおり。カッサンドラも、この二人に殺されたと伝えられている。

カッサンドラが上記の神話のストーリーをほぼ踏襲した形で活躍するオペラが、ベルリオーズ作曲による二部構成の大作<トロイの人々>である。去る2003年10月にパリのシャトレ座で行なわれた公演のハイライト編集版がNHK教育TVで放送されたので、私も視聴した。(2004年6月10日の放送)

カッサンドラが可哀想な(?)活躍をするのは、主に第1部「トロイの陥落」の方である。ギリシャ軍を追い払ったと喜ぶ人々に「彼らが置いていった巨大な木馬は、災いをもたらす不吉なものだ」と予言するが、誰にも聞いてもらえない。彼女と愛し合う男性コレープが登場するが、彼もその話を信じない。苛立つカッサンドラの熱唱が聴きものだ。トロイに入城した木馬からギリシャ兵が大勢現れてトロイを滅ぼしてしまうのは周知の話だが、カッサンドラのいとこに当たるエネアスは英雄へクトルの霊の声を聞いてトロイを脱出し、イタリアへ向かうこととなる。神殿に残ったカッサンドラ他、トロイの女たちは敵軍の兵士達の眼前で次々と自害して果てる。ギリシャ神話と違うのは、この歌劇ではカッサンドラが真っ先に剣を自らの胸(あるいは腹部)に刺して死んでしまうことである。

第2部「カルタゴのトロイ人」は、一軍を率いてトロイを脱出したエネアスと、彼らが途中で立ち寄ったカルタゴを治めていた女王ディドとの間に起こる悲恋を中心にした別の物語になるので今回は省略するが、ラスト・シーンで再びカッサンドラが舞台に姿を見せ、彼女にとっておそらく唯一の“良い未来の予言”を行なって終曲となる。その予言とは、「イタリアに渡ったエネアスによってトロイが再興されるのではなく、ローマが建国されるであろう」というものであった。

ジョン・エリオット・ガーディナーの指揮による舞台公演は、大変聴き映えのするものであった。NHKさんの手際よいフィルム編集も手助けとなって、ハイライト版では殆ど退屈しないですんだ。

ここでカッサンドラを歌っていたのは、若きソプラノ歌手アンナ・カテリーナ・アントナッチという人だったが、これはもう入魂の熱演。とても強い印象が残った。この人について私は何も知らないのだが、将来がとても楽しみな若手歌手ではないかと思う。第2部でディドを歌っていたのはスーザン・グレアムで、既にCD録音もあるようだし、今かなり活躍している人なのだろう。ふっくらほっぺが往年のクリスタ・ルートヴィッヒを思い出させる風貌だが、この人にも大成して欲しいと思う。ここでのディドも熱唱であった。

全体をきりりとまとめた才人ガーディナーの指揮も、心地良かった。基本的にこの人の音楽はすっきりしていて、もたれやもたつきがないので爽やかである。この人のベルリオーズについて言うと、<幻想交響曲>の場合は私にはそのあっさり風味が今ひとつ物足りない印象を残したが、こういった大作オペラだとそのすっきりセンスが生きてくるという感じがする。また、このガーディナーが20世紀末に蘇演を実現した<荘厳ミサ曲>も非常に楽しいものだった。(※ベルリオーズの<荘厳ミサ曲>、この永く埋もれていた興味深い作品については次回、少しだけ補足してみたいと思う。)
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『バッカスの歌』

2005年01月23日 | エトセトラ
ルネサンス期のフィレンツェで大きな権勢を振るっていたメディチ家の人物の中に、イル・マニーフィコという肩書きをいただいていたロレンツォなる男がいる。この「豪華王」ロレンツォ・ディ・メディチは、伝えられるところ16歳頃から詩作を始め、ダンテ、ペトラルカ、ボッカッチョから友人であったポリッツィアーノまでの様々な作品に親しみ、それらを吸収して自分なりのスタイルによる詩もいくつか残しているらしい。

その中でも最もよく知られたものが、『バッカスの歌』ということになるだろう。先頃語ったセメレの息子であるディオニュソス(=バッカス)を題名に冠した詩だが、以下はその有名な第一節である。

Quant’e bella giovinezza,
che si fugge tuttavia!

Chi vuol essere lieto, sia:
di doman non c’e certezza.

何と麗しきかな、青春
すぐに去ってしまうものではあるが。

楽しみたいものは、そうするがよい
明日の事など、わからないのだから。

(※和訳は私が勝手に行なったものなので、正確さは保証できません。またブログ上では出来ないのですが、一行目のQuant’eのeと、最後の行のc’eのeにはアッチェント記号をつけるのが正確な表記です。)

この詩の本質的なテーマが吉田勇の名作詩『ゴンドラの歌』と相通じているのはもう、周知の通りと言うべきかもしれない。(※黒澤明監督の映画『生きる』の中で、志村喬さんがブランコに乗って歌っていたあれである。)

命短し 恋せよ乙女
紅きくちびる あせぬまに
熱き血潮の 冷えぬまに
明日の月日は ないものを

両者の通脈についてはネット上だけでも数種のサイトで語られているので、私から屋上屋を架すような事は敢えてするまいと思うが、この「命短し恋せよ乙女」に象徴されるテーマが、西洋文学の中で一つの重要なトポス(=場所)を占めているという事実は知っておいていいと思う。

例えば、ルネサンス期のフランスの詩人ピエール・ド・ロンサール(Pierre de Ronsard)が愛用していたという『カッサンドルへのオード』(Ode a Cassandre)が注目される。これは三連からなる詩だが、始めの二連で「日の光のもとで輝いていた真っ赤なバラも、今宵までのこのわずかな時間に色あせてしまった」と嘆く内容が詠われ、それに次ぐ第三連が以下の通りとなっている。

Tandis que votre age fleuronne
En sa plus verte nouveaute,
Cueillez, cueillez votre jeunesse:

Comme a cette fleur, la vieillesse
Fera ternir votre beaute.

君の年齢が最も緑に輝く新鮮さに花開いているうちに
君の若さを摘み取っておきなさい。

その花のように君の美しさも
老いによって色あせていくのだから。

(※ここでも各種のアクサン記号を、やむを得ず省略してあります。また和訳は、優れた専門家の意訳を参照しながら私が直訳体に近づけて作り直したものです。)

三行目のCueillez votre jeunesse(=君の若さを摘み取りなさい)が詩の核心になっているのは言うまでもないだろう。「一度しかない短い青春を、十分に楽しんでおきなさい」ということを言っているわけだが、この「若さを摘み取っておきなさい」というフレーズの出どころはさらに、古代ローマの詩人ホラティウスの詩にまでさかのぼる事が出来る。以下、日本語のみでその詩を書き出してみると・・。

酒を濾(こ)せ。そして短時間で
長い期間を切り刻むのだ。
私たちが話している間にも
嫉妬深い時間は逃げ去っていく。
今日という日を摘め。
出来る限り明日に信を置くことなしに。

上記の詩の最後の二行がラテン語でcarpe diem, quam minimum credula postero.であり、このホラティウス以来のcarpe diem(=その日を摘み取れ)というテーマが、幾時代も経て脈々と詠い継がれて来たというわけである。

「カルペ ディエム」というテーマは、クラシック音楽以上に人口に膾炙したフランスのシャンソン名曲の中に見出す事が出来るというのが、京都大学の松島征教授のご指摘である(※NHKラジオ・フランス語講座1996年10月号テキスト応用編より)。たとえばレイモン・クノーの詩を見て気に入ったジュリエット・グレコが、ジョセフ・コスマの家に押しかけて作曲してもらったという逸話のある<Si tu t’imagines(=そのつもりでも)>や、イヴ・モンタンがアコーデオン伴奏で歌ったものがとりわけ親しまれている<Le temps des cerises(=さくらんぼの季節)>といった作品がその好例だという。(私も当時、なるほどと思いながら勉強させていただいたのだが、ここでは長くなるのでそれらの具体的な歌詞解説は省略したい。)

一方、クラシック音楽作品でこのテーマを想起させる一例としては、ヴェルディの歌劇<ラ・トラヴィアータ>の中の有名な「乾杯の歌」を挙げてよいかも知れない。フランチェスコ・マリア・ピアーヴェによる台本歌詞のうち、ヴィオレッタが歌う以下の部分にロレンツォの『バッカスの歌』に相呼応する理念を読み取る事も、あながち不可能ではないように思われる。

Godiam, fugace e rapido
E il gaudio dell'amore,

E un fior che nasce e muore,
Ne piu si puo goder.

楽しみましょう、
愛の喜びはうつろいやすく束の間のものです。

それは咲いては散る花
長く楽しむことは出来ません。

―さて、今回は各方面から材料を集合させたのでかなり長くなってしまったが、ワープロの原稿作成をしながら、今まであちらこちらに散っていた知識の整理みたいなことが出来て、ひとしきり楽しい時間を持つことが出来た。こういうのもまた、ブログを書く楽しみの一つと言えるのかも知れない。
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ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレス

2005年01月20日 | 演奏(家)を語る
先月のレナータ・テバルディに続いて、今度はスペイン出身の名歌手ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスが世を去った。この人の訃報を伝えた新聞(2005年1月17日付朝刊)の記事によると、1月15日に亡くなったらしい。享年81ということで、テバルディと同じ世代の人だったわけである。今回は臨時投稿の形で、この名ソプラノ歌手について少し語ってみたいと思う。(※前回の「セメレ」から続くお話はまた次回、ということで。)

名花ロス・アンヘレスが出演していたオペラ録音で、私が聴いてきた全曲盤を思いつくままに並べてみると、まずお国物からフリューベック・デ・ブルゴスの指揮によるファリャの<はかない人生>。そして、彼女が得意としていたフランス系のオペラでは、クリュイタンスの指揮によるグノーの<ファウスト>(ステレオ再録盤の方)、オッフェンバックの<ホフマン物語>、ドビュッシーの<ペレアスとメリザンド>、モントゥーの指揮でマスネの<マノン>、プレートルの指揮でマスネの<ウェルテル>といったあたり。イタリア・オペラでは、サンティーニの指揮によるプッチーニの<ジャンニ・スキッキ>と、ビーチャムの指揮でプッチーニの<ラ・ボエーム>、それとセラフィンのステレオ盤でヴェルディの<ラ・トラヴィアータ>。あと珍しいところでは、クレヴァの指揮によるヴェルディの<オテロ>メトロポリタン・ライヴといったあたりになろうか。

オペラ以外で思い出せるのは、(出番は少ないものの)フリューベック・デ・ブルゴスが指揮したファリャの<三角帽子>と、ヴィラ=ロボスの自作自演盤<バキアナス・ブラジレイラス~第5番>でのソプラノ独唱といったところがまず、思い浮かぶ。それと、ミュンシュの指揮によるベルリオーズの歌曲集<夏の夜>や、ジャキャの指揮によるショーソンの<愛と海の詩>とカントルーブの<オーヴェルニュの歌>、さらにクリュイタンスのステレオ再録盤フォーレの<レクイエム>でのソプラノ独唱といったあたり。あと、昔FMで聴いてその芸達者ぶりに唖然としたのが、シュワルツコップといっしょに歌ったロッシーニの歌曲で、確か<二匹のネコの歌>(?)みたいなタイトルのもの。(※ジェラルド・ムーアのお別れコンサートのライヴだったと思う。)名歌手が二人並んでミャ~オ、ミヤ~オ、ミ~・・ヤオ!なんて歌っていた。これはもう、抱腹絶倒の名演であった。スペイン歌曲については、FMでいくつかの作品をばらばらに聴いたぐらい。知る人ぞ知るスペインの伝説的名ピアニスト、ゴンサロ・ソリアーノと録音したファリャの<スペインの七つの民謡>あたりはもう、歴史的遺産に加えるべきものかもしれない。その他の細かい歌曲については、ちょっと思い出しきれない。

一方、私が未だに聴いていない録音というのもこれまた沢山あって、カタログ上で確認できるものに限っても、ビーチャムの指揮によるビゼーの<カルメン>、サンティーニが指揮したマスカーニの<カヴァレリア・ルスティカーナ>とヴェルディの<シモン・ボッカネグラ>とプッチーニの<蝶々夫人>(※これはガヴァッツェーニ盤もある)、セラフィンの指揮によるプッチーニの<修道女アンジェリカ>とロッシーニの<セヴィリアの理髪師>(※これは古いグイ盤もある)、チェッリーニ指揮によるレオンカヴァッロの<道化師>、バルビローリの指揮によるパーセルの<ディドーとエネアス>、あるいはシモーネの指揮によるヴィヴァルディの<オルランド・フリオーゾ>などがある。また、彼女はバイロイトにも出演したことがあり、サヴァリッシュの<タンホイザー>でエリーザベトを歌ったライヴ録音(1961年)が、外盤で入手できるようだ。(※一般的にサヴァリッシュの<タンホイザー>と言えば、フィリップス録音の1962年盤が知られていて、私もそれをLPで持っていたのだが、そこでのエリーザベトはアニア・シリアであった。)さらに、これら以外にも勿論、ライヴを中心としたオペラや歌曲の記録は相当数あるものと思われる。そう言えば、来日リサイタルのライヴ録音もあったはずだ。いやはや、凄い数である。

しかし、どうだろう。日本のアマチュア・クラシック・ファンの何人ぐらいが彼女を懐かしみ、今しんみりと追悼しているだろうか。誤解されないように言葉を補っておくと、私は決して彼女を低く見てこんな言い方をしているのではない。彼女がどんな歌唱を遺した人であるかを語る上で、これは小さくないポイントだと思うからである。

この人について私が抱いているイメージを端的に言い表すなら、「フロリバンダ系の赤いバラみたいな人」ということになる。白でも黄色でもない、鮮やかな赤いバラ。しかし、名品クリスチャン・ディオールのような絢爛たる大輪の赤バラではなく、細やかな花がたくさん咲き並んで艶やかさを演出するフロリバンダの赤である。テバルディは紛れもなく、大輪の花であった。スピントのかかった美しい声に、スケール感のある歌唱。その美しい舞台姿とも相俟って、彼女は見るもあでやかな“大輪の名花”であった。しかし、ロス・アンヘレスの声はどこまでもリリックで、その歌唱は何よりも清楚な繊細さを身上としているかのようであった。ビーチャムの指揮による箱庭的抒情美の<ボエーム>に、彼女のミミはこよなくふさわしかった。セラフィンの指揮で歌ったヴィオレッタでも、『花から花へ』の最後の超高音を彼女は出さなかった。高音の誇示よりも、そこに至るまでの歌詞を大事に歌った。サンティーニの<ジャンニ・スキッキ>でも、全曲の流れに乗せてさらりと、『私のお父さん』を歌った。一方、フリューベック・デ・ブルゴスの指揮によるバレエ音楽<三角帽子>で聴かせた、あの歌い出しの言葉捌きはまさに、「これぞ、スペイン語」と言いたくなるような絶妙のディクションであった。シュワルツコップとの爆笑ロッシーニについては、上に書いた通りである。

そのような訳で、彼女の歌唱にほぼ共通して感じられるのは、胸のすくような技巧を誇示したりはしない細やかで清楚な歌いぶりなのである。オペラでは、先に挙げたヴィオレッタやラウレッタ、あるいはミミでの歌唱がその良い例と言えるだろう。<ウェルテル>のシャルロッテなどを最たる好例として、彼女がフランス系オペラを得意にしていたのも当然の事だったのだ。そして幅広いジャンルを網羅していた歌曲についても、ほぼ同じスタンスが取られていたという印象がある。

しかし、そういったスタイルで表現された歌唱というのは、一方で何か物足りなさを感じさせる側面も持つことになる。上演中に大向こうからブラーヴァ!と声がかかるような大見得とか、きゃあスゴイ!と聴き手を驚かせるような声の超絶技巧とか、激しい感情表現とか、そういう要素は彼女には全く希薄だったわけで、いわゆる“素人受け”のするタイプではなかったということなのである。ドイツ歌曲もフランス歌曲もほぼ同じ地平で清楚にさらりと歌われて、いずれを聴いても水準以上の出来栄えを示してはいるものの、聴いて深く感動する歌唱というよりはむしろ、「ひと時、良い時間を与えてくれたなあ」という印象を残すタイプの歌唱だったと言うべきだろう。だから、そんなに強い存在感を持つ人でもなかったというのが、多くのクラシック・ファンにとっての正直なところではなかったかと思えるのである。私が先ほど「何人のアマチュア・クラシック・ファンが、彼女を懐かしんで追悼しているだろうか」と、まるで疑義を申し立てるかのような書き方をしたのは、まさにそこに理由があったのである。彼女の真価、すなわち国籍を超えた幅広い歌の分野にわたって、高い水準の歌唱を可能たらしめたその豊かな音楽性というのはむしろ、声楽分野の玄人筋にこそ切実に受け止められる種類のものだったのではないかという気がするのである。

それやこれやと、語り始めれば話は尽きないのだが、彼女のような名歌手の歌唱が数多く録音に遺されていることを、まずは何よりも喜びたいと思う。

ヴィクトリアさん、有難う。どうぞ、安らかに・・。
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セメレ

2005年01月16日 | エトセトラ
前回の「ファウストはかせ」の「せ」をしりとりして、今回はギリシャ神話のセメレに話を持っていってみたいのだが、このセメレという名前を聞いて、「ああ、ヘンデルのあれね」なんてすぐに思いついて、その一節でも口ずさんだりしちゃう人は、相当クラシックにはまり込んでいる人じゃないかと思う。あるいは、専門的に声楽をなさっている方か。

正直に言ってしまうが、私はヘンデルのオペラやオラトリオ等は苦手である。ファンの方には申し訳ないが、とにかくつまらないのである。若い頃、「クラシック音楽作品を何から何まで聴き尽くしてやるぞ」などという途方もない志を立てて、FMのエアチェックに勤しんだり、LPを中古で買ったり、人からテープにとらせてもらったりと、まあずいぶんと励んだ時期が長く続いたのだが、ヘンデルのオペラについては、当時よくNHK―FMで全曲上演ライヴ等が紹介されていたので、テープにとっては後で聴くというようなことをしていた。

しかし、つまらなかった!どの作品も、聴きとおすのが苦痛だった。従って、当時聴いた相当数の曲、今は何一つ覚えていないという体たらくである。今回はそれゆえ、ヘンデル作品の話ではなくギリシャ神話へのアプローチで、この数奇な運命をたどった女性を語ってみたいと思う。

大神ゼウスがたくさんの女性たちと次々に交わって子供を産ませていったのはよく知られた話だし、また彼の妻ヘラの激しい嫉妬もよく知られたものだが、セメレという女性も、愛と嫉妬のドラマに巻き込まれた一人であった。

ゼウスの愛を受けて身ごもったセメレだが、それは例によってヘラの知るところとなり、彼女は策略にはめられることになる。これがちょうどワグナーの<ローエングリン>のストーリーよろしく、乳母に化けたヘラがセメレに対して、「あなたの好きな男性が何者なのか、騙されないようにちゃんと確かめた方がいいですよ」と言葉巧みに持ちかけ、セメレの心に疑いの念を持たせるわけである。

<ローエングリン>の場合は、白鳥の騎士がエルザの問いに答えて正体を明かし、去っていった。が、セメレにせがまれてゼウスが正体を明かした時には、もっと悲惨なことが起こった。つまり、生身の人間であるセメレが大神ゼウスの姿をじかに見た瞬間、彼女は神が発する灼熱の光(※一説では、ゼウスの稲妻)に焼き尽くされて灰になってしまったのである。傷心のゼウスが灰の中から拾い出した胎児こそ、あのディオニュソス(=バッカス)である。ゼウスはこの胎児を、月が満ちたら甦るようにと、再生を意味するDia_nysosと名づけ、自らの太ももに縫いこんだという。

その後、月が満ちてディオニュソスは産まれ出るのだが、ヘラのしつこさは尋常でなく、それからも執拗に彼への攻撃が続く。しかし、ディオニュソスは周知の通り、大きな力を持つ神に成長する。やがて彼は黄泉の国へ下りて行き、そこの妃であるペルセポネに抗いがたい魅惑の力を持つ花束を贈り、ついに死せる母セメレを生ける者の世界へ連れ戻すことに成功するのである。その後ディオニュソスの請願を聞き入れ、ゼウスはセメレを女神の一人として迎え入れたのであった。

音楽家たちに創作の霊感を与えた実績としては、セメレよりもやはり息子のディオニュソス(=バッカス)の方が圧倒的に大きなものがあるのは言うまでもないだろう。アポロ的な古典美に対するディオニュソス的な野放図とか、芸術論の概念としても重要な用語として使われてきたし、バッカスの饗宴を意味する「バッカナール」というタイトルだけをとっても、一体いくつの音楽作品が書かれたことだろう。

さて、ギリシャ語のnysosは 同じく「誕生」を意味するフランス語のnaissanceに似ているような気がするが、ひょとしたらこの二つは同根なのかもしれない。「再生」を意味するフランス語としてrenaissance(ルネサンス)があることはよく知られているが、次回はそのルネサンスとディオニュソス(=バッカス)をリンクさせて語ってみたい。
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