クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

滋賀県で起きた事件と、歪んだ人権教育

2012年07月31日 | エトセトラ
2012年7月31日。イギリスのロンドンで、今オリンピック開催中。昨日30日(月)、日本待望の金メダル第1号が出た。柔道女子57キロ級。 Congratulations! これからの競技種目でも是非日本選手の皆さんには頑張っていただいて、良いニュースをたくさん聞かせてもらえることを願っている。

で、いきなり話が変わるけれども、この1ヵ月を振り返って一番大きかった国内ニュースと言えば、やはり何と言っても滋賀県で起きた所謂「いじめ自殺事件」であったろうと思う。この一件、現地の当事者たちは早く風化させたがっているようだが、そう簡単には収まるまい。視聴率が取れるネタということで、TV増すゴミも参入してきたし。ネット上にも勿論、様々な意見が書き込まれてきた。今回はその中から、私が一番共感を持って読ませていただいた記事を引用させてもらうことにしたい。以下は、この7月12日(木)、ニュース・サイトZakzakに寄稿された八木秀次(やぎ ひでつぐ)氏による文章のコピペである。

{ 自殺から9カ月後、やっと滋賀県警が市立中学校の家宅捜索を行った=12日午前、大津市

大津市の中学生いじめ自殺事件は、滋賀県警がやっと被害少年が在籍した中学校と大津市教委を家宅捜索した。自殺の練習をさせるなど、いじめは残酷を極めていたのに、学校も市教委も事態を放置してきた。市教委はいまだにいじめと自殺の因果関係を正面から認めようとしない。警察も遺族が3度も被害届を出しながら受理しなかった。マスコミや世論が騒ぎ始めて、やっと警察も重い腰を上げたのだ。2つの問題を指摘したい。

1つは教育界の構造的問題だ。学校を所管するのは教育委員会。ここでは大津市教委となる。教委は「レーマン・コントロール」といって教育関係以外の者が委員となって高い見地、広い視野から教育行政をコントルールする仕組みだ。委員のうち教育長だけは常勤だが、他の委員は非常勤。会議のときだけ来る存在だ。結果、教育長をトップとする教委事務局が教委を仕切ることになる。事務局は現場の学校の先生の出向者が大半で、両者は表裏一体の関係にある。大津市の場合は教育長も校長経験者だ。教委が現場をかばうのも当然だ。

市長はどうしているのか。教育長を含む教育委員は市長の任命だが、委員には任期があり、途中でクビにはされない。大津市の場合、教育委員は全員、前の市長に任命されている。教育行政の「政治的中立性」の名の下に市長が教委に口出しできない仕組みになっている。こうして教委が現場と一体となって聖域化する。偏向教育が横行し、いじめが隠蔽される理由だ。大阪府市の教育関連条例はここにメスを入れ、教育を住民の手に取り戻そうとしている。

2つ目の問題は教育の内容についてだ。滋賀県は「人権教育」が盛んな地域として知られる。だが、人権教育が盛んな地域ほど子供たちは荒れている。人権教育は自身を「弱者」や「被害者」の立場に置いて「権利」を主張することを教えるからだ。内容はどうでもよく、「被害者」を自称すれば、どんな主張も成り立つと暗に教えるのだ。事件の加害少年と保護者も、自分たちは被害少年を自殺に追い込んだ“犯人”呼ばわりされている「被害者」と主張している。人権教育の見事な成果だ。

必要なのは人権教育ではない。善悪の判断を教える「道徳教育」だ。だが、この中学でまともな道徳教育が行われた形跡はない。それどころか、道徳教育に反対する日教組を支持基盤とする民主党政権は道徳教育を学校から消そうとしている。大津市の事件は氷山の一角でしかない。=終わり  }

―上記のうち、特に第2の指摘ポイントに私は強く共感する。ねじ曲がった人権教育、これをいい加減やめにしない限り、同じような事件がこれからも延々と発生し続けるだろう。

さて、連日の猛暑で、さすがにバテ気味である(苦笑)。音楽を聴く時間も少なくなっており、今回じっくり語れるほどに聴きこんだCD等がない。ここで取り上げられそうなのは、せいぜい2枚。まず、学生時代にLPで持っていながら当時あまり聴かなかった演奏で、オットー・クレンペラー博士の「シューマン/交響曲第3&4番」(EMI)。これを24ビット盤CDで買い直し、ん十年ぶりに(笑)聴いてみた。<3番>はやはりいかにも、という感じの演奏だったが、<4番>が意外と速めのテンポで活力があり、「あ、くれそぺらセンセーのシュー4って、こうだったんだ」と、古い記憶をちょっと修正したのだった。

あと、ひょんなきっかけで耳にした同じ作曲家による<ピアノ協奏曲>。ブレンデルとザンデルリンクが共演した、割と録音年度の新しいCDである。実はこの名曲、私はこれまでに一つとして満足できる演奏に出会ったことがない。しかし、「ここでのブレンデル、結構いいかも」と思った。どういうところが、どのように、と詳しく語れる段階ではないのが、自分ながら残念なところ。これはもう少し、聴きこんでみたい。

まだまだ暑さの続く折、読者諸氏に於かれては、どうぞご自愛のほど。
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