クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

2011年11月・近況、伯父の死

2011年11月29日 | エトセトラ
今月4日、田舎の伯父が亡くなった。私の父の兄である。享年83。夏頃まではいつも通り元気に畑仕事などをしていたようなのだが、下腹部がやたら不調なので検査してもらったら、がんが見つかった。即、入院。摘出手術ができる状況ではなかったらしい。しかし、すぐさま命が脅かされるというレベルのものでもなかったので、「薬で増殖を抑えながら、これからの日々はがんと共存して生きていくようにすればいい」という話になった。それから退院して、しばらく自宅で療養。が、その後再び激しい痛みと苦しみを訴え、再入院。そこで改めて全身の検査をしたら、がん細胞が肝臓に転移していて、それがもうX線画像で真っ黒に映るような状態にまで進んでしまっていた。そして家族あてに、医師からいきなり余命宣告が出される。わずか数カ月で、それまで普通に元気だった老人が、一気に人生の終点まで行ってしまったのだった。

週が明けて、7日の月曜日にお通夜。山の中のお寺で、親族一同が揃ってお経を聞く。弔問客のお焼香が続く。昔と違って畳に正座ではなく、並んだ椅子に腰かけての列席だった。そのおかげで足がしびれるつらさはなかったのだが、冷たい夜の風が吹き抜けるお堂で、すっかり体が冷えてしまった。はっきりと自分でもわかるほど体の調子がおかしくなってきたので、私は帰宅後すぐに入浴を済ませて就寝。翌日の告別式は欠席させてもらった。私の体の状態については親戚一同皆知っているので、通夜の暇(いとま)乞いをするときに、「明日は休ませてもらうね」と言っても悪く見られることはなかった。

亡くなった伯父は、とにかくキャラの立つ人だった。甲高い響きを持った大きな地声の持ち主で、頭の回転が速くて弁が立つ。普通の人が言いにくいような言葉でも、場の空気を全く読まずに(笑)、ずけずけと言い放つ。時には無神経と思われながらも、独特の愛嬌と存在感があった。そのユニークな伯父がもうこの世からいなくなってしまったと思うと、何とも言いようのない寂しさに襲われる。家族の者たちは尚更のことだろう。葬儀から帰った母に、その日の様子を聞いた。火葬が済んで親族がお骨を拾うところで、残った骨の太さと立派さに皆驚いたそうだ。伯父は体格の良い人だったが、やはり骨組みがしっかりしていたのだ。

―というところで、最後に申し訳程度、当ブログ本来のテーマであるクラシック音楽の話。随分前に買って以来ずっと「つんどく状態」になっていたCDから、最近ポール・パレー&デトロイト響によるシューマンの交響曲全集をまとめて聴いた。全集と言っても、<ツヴィッカウ交響曲>というレア物作品は入っておらず、通常演奏される第1番から第4番までの4曲である。たいてい速いテンポで曲が進み、一見ぶっきらぼうに見える剛毅でストレートな表現の中に様々なニュアンスを息づかせる。それが、通人好みのパレーの芸風だ。基本的にフランス音楽のレパートリーにその素晴らしい実現例を多く見出すことができるのだが、シューマンの交響曲に関しては、第2番の演奏に私は好感を持った。いかにもパレーらしい骨太でストレートな演奏の運びが、全4曲中最も晦渋(かいじゅう)でとっつきにくく思われがちな第2番から、ある種の“男性美”みたいなものを引き出している。「あ、シューマンの2番って、結構たくましい曲だったりするんだな」と、新たな発見を聴き手に与えてくれるのである。とりあえず、長らく入手困難だった音源をCD復活させてくれたタワレコさんに、この場を借りて感謝を申し上げたい。今回は、これにて・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする