クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

ピエール・ブレーズの訃報

2016年01月30日 | 演奏(家)を語る
2016年1月30日(土)。今月はまた忙しくて、音楽CD等をゆっくり聴く時間がほとんど取れなかった。今回の記事も、何とかその忙しさの合間を見ての作成である。

さて、クラシック分野に於ける今月のニュースと言えば、大御所ピエール・ブレーズがついに世を去ったというのがやはり、大きな出来事だったと思う。指揮者としてのブレーズ氏については、当ブログが立ち上げられた初期の頃、2005年の7月に語っていた。もう10年以上も前だ。先日、改めて当時の古い記事を読みなおしたのだが、まあ結構辛口な事を書いていたなあと、自分ながらちょっと冷や汗が出る。今ならもうちょっと優しめというか、言い回しをソフトな物に替えているところかもしれない。―とは言っても、当時書いていたことと現在の考え方の間に、それほど大きな差があるわけではない。「指揮者としてのブレーズの業績はCBSソニー時代の録音がやはりエヴァーグリーン的な価値を持つもので、年齢を重ねた後のグラモフォン録音にはあまり魅力が感じられない」。この基本線はやはり、今も変わらないのである。

そうは言いつつも、ブレーズ氏はつくづく存在感の大きな人だったなあと思う。最初はモーツァルトやベートーヴェン、あるいはショパンやチャイコフスキーなどでクラシック音楽を聴き始めた人の中から、やがて鑑賞が進んで、もっと難解と言われる作品にも食指を伸ばしてみようと考える人が出てきて、シェーンベルクだのウェーベルンだの、果てはヴァレーズだのベリオだのを聴いてみようと思い立った場合、それらの曲を誰の演奏で聴いたらいいのか。その問題にいつも簡潔明瞭な回答を与えてくれたのが他でもない、このブレーズ氏だった。つまり、「近代・現代の曲を聴くなら、ブレーズの録音を選んでおけばまず間違いない」という不動の安定感(あるいは安心感)をもって、氏は常に一流の演奏を提供してくれていたからだ。

そんなブレーズ氏の豊富なレパートリーの中から今回敢えてベスト1を選び出すとしたら、当ブログ主の場合、それはバルトークの作品集ということになるだろうか。<管弦楽のための協奏曲><弦楽器・打楽器とチェレスタのための音楽>といった有名作ならブレーズ盤に負けず劣らずの名演・名盤が他にもあるが、それら2曲よりも少しポピュラリティの下がる傑作群に於いては、今でもブレーズのCBSソニー録音が筆頭の名演であり続けている。

ブレーズの録音といえば、LP時代からクラシック音楽に親しんできた年配のクラシック・ファンにとっては、ストラヴィンスキーの作品、特にクリーヴランド管との<春の祭典>が忘れ難いものであるかもしれない。しかしこれ、どうだろう。このタイプの演奏スタイルなら、今はもっと完璧で、なお且つホットな迫力も兼ね備えた名演が出ているのではないか。たとえば、ヤープ・ファン・ズヴェーデン指揮オランダ放送フィルのEXTON盤。このCDを聴いた時当ブログ主は、「ああ、これもう<春の祭典>の到達点だわ。オーケストラ演奏の、一つの究極。少なくとも技術的には、もうこれ以上の演奏はあり得ないだろ」と思った。

(ちょっと古い話になるが、ドラティ&デトロイト響の<春の祭典>が発売された時、宣伝文句に「<春の祭典>論争はこれで打ち止め!」なんて書いてあって、要するに「演奏・録音ともにこの曲の決定盤が出ましたよ」ってアピールだったわけだが、どう見ても、ドラティ盤ではとことんストレートに走り切ったドラティ節が披露されているだけのことで、ズヴェーデン盤で聴かれる完璧さとは勝負にならない。)

ともあれ、ブレーズ的なアプローチは当時(1960年代後半~1970年代)としては驚異的に斬新でシャープなものではあったのだが、時代の進歩とともに、より上を行く物が出てきた結果、往年の威光はさすがに薄れてしまったと言ってもいいような気がする。(※ついでの話だが、当ブログ主の好みという点では、完璧無類のズヴェーデン盤よりも若い頃のメータ&LAPOやバーンスタイン&NYP、あるいは怪人エドゥアルド・マータ&LSOといった、いささか癖のある個性的な名演の方にもっと魅かれる。)

―というところで、ちょっと取りとめのない話になってきたので、今回はこれにて・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする