今回はムラヴィンスキーからの流れで、エフゲニという名前を英語読みにしたファースト・ネームを持つ指揮者ユージン・オーマンディについて、ちょっとだけ語ってみたい。(※同じ名前の指揮者でもユージン・グーセンスでは、私はトピックにする自信がない。)
ユージン・オーマンディ&フィラデルフィア管のコンビは長いキャリアを持ち、また録音の数も膨大なものになる。が、彼らはオーケストラを聴く愉しみを存分に味わわせてはくれるものの、必ずしも精神的に深いものを聴かせてくれるとは限らない。それゆえ熱心なファンの方々は別として、同コンビの代表的な名演といったら、基本的には通俗曲から選ばれる事になるんじゃないかと思う。とりあえず、私の独断と偏見で厳選したベスト盤はこれ↓である。
●グローフェ:組曲<グランド・キャニオン>(1967年・ソニー盤)
この曲の数多あるフル・オーケストラ版演奏の中でも、オーマンディのは極めつけの逸品だと思う。ゴージャスな響きと豊かな表情が横溢する、オーマンディ&フィラデルフィア管の最善の姿が示されている。有名な『山道を行く』がとりわけ素晴らしく、山頂に着いた時のパノラミックな展望や晴れ晴れとした空気、そしてさわやかに吹き渡る風の心地良さをこれほど感動的に描いた演奏は、ちょっと類例が見当たらない。終わり間際のオルゴールも素晴らしい。また、全曲を締めくくる「嵐」から終曲にかけてのダイナミックな迫力に至っては、もう独壇場といった感じである。私が随分前に外盤で安く入手したものは、ガーシュウィンの<ポーギーとベスの交響的絵画>と<パリのアメリカ人>が組み合わされていた。併録曲が一部異なる廉価の国内盤も、現在複数のネット通販サイトで扱われているようだ。
―「無声映画時代の映画館お付きのオケマンとして、ヴァイオリン一丁持って雇われた若造が、コンマスの退職やら指揮者の急病やらが重なって、指揮棒をなかば押し付けられるようにして始めたに過ぎない。指揮者になりたかったわけではない」とオーマンディ自身が述懐しているらしい。そのような冷めた自意識を持つ一方で、「我々の音をフィラデルフィア・サウンドと言ってほしくない。これはオーマンディ・サウンドだ」と発言するだけの自負心も持っていた。(※実際そうでなかったら、あんなに続かないだろう。)オーマンディのことを「いずれ忘れ去られる指揮者の一人」と切って捨てる評論家も現実にいるわけだが、将来本当にそうなるのかどうかは、私にはわからない。ただ少なくとも、「今後オーマンディの凄い名演に新たに出会って、感激するというようなことがありそうか」と聞かれれば、どうもなさそうな気がすると、私は答えてしまいそうである。
ユージン・オーマンディ&フィラデルフィア管のコンビは長いキャリアを持ち、また録音の数も膨大なものになる。が、彼らはオーケストラを聴く愉しみを存分に味わわせてはくれるものの、必ずしも精神的に深いものを聴かせてくれるとは限らない。それゆえ熱心なファンの方々は別として、同コンビの代表的な名演といったら、基本的には通俗曲から選ばれる事になるんじゃないかと思う。とりあえず、私の独断と偏見で厳選したベスト盤はこれ↓である。
●グローフェ:組曲<グランド・キャニオン>(1967年・ソニー盤)
この曲の数多あるフル・オーケストラ版演奏の中でも、オーマンディのは極めつけの逸品だと思う。ゴージャスな響きと豊かな表情が横溢する、オーマンディ&フィラデルフィア管の最善の姿が示されている。有名な『山道を行く』がとりわけ素晴らしく、山頂に着いた時のパノラミックな展望や晴れ晴れとした空気、そしてさわやかに吹き渡る風の心地良さをこれほど感動的に描いた演奏は、ちょっと類例が見当たらない。終わり間際のオルゴールも素晴らしい。また、全曲を締めくくる「嵐」から終曲にかけてのダイナミックな迫力に至っては、もう独壇場といった感じである。私が随分前に外盤で安く入手したものは、ガーシュウィンの<ポーギーとベスの交響的絵画>と<パリのアメリカ人>が組み合わされていた。併録曲が一部異なる廉価の国内盤も、現在複数のネット通販サイトで扱われているようだ。
―「無声映画時代の映画館お付きのオケマンとして、ヴァイオリン一丁持って雇われた若造が、コンマスの退職やら指揮者の急病やらが重なって、指揮棒をなかば押し付けられるようにして始めたに過ぎない。指揮者になりたかったわけではない」とオーマンディ自身が述懐しているらしい。そのような冷めた自意識を持つ一方で、「我々の音をフィラデルフィア・サウンドと言ってほしくない。これはオーマンディ・サウンドだ」と発言するだけの自負心も持っていた。(※実際そうでなかったら、あんなに続かないだろう。)オーマンディのことを「いずれ忘れ去られる指揮者の一人」と切って捨てる評論家も現実にいるわけだが、将来本当にそうなるのかどうかは、私にはわからない。ただ少なくとも、「今後オーマンディの凄い名演に新たに出会って、感激するというようなことがありそうか」と聞かれれば、どうもなさそうな気がすると、私は答えてしまいそうである。