クラシック音楽オデュッセイア

2009年の大病以来、月1回程度の更新ペース。クラシックに限らず、身の回りの事なども、気の向くままに書いております。

ユージン・オーマンディ

2004年12月31日 | 演奏(家)を語る
今回はムラヴィンスキーからの流れで、エフゲニという名前を英語読みにしたファースト・ネームを持つ指揮者ユージン・オーマンディについて、ちょっとだけ語ってみたい。(※同じ名前の指揮者でもユージン・グーセンスでは、私はトピックにする自信がない。)

ユージン・オーマンディ&フィラデルフィア管のコンビは長いキャリアを持ち、また録音の数も膨大なものになる。が、彼らはオーケストラを聴く愉しみを存分に味わわせてはくれるものの、必ずしも精神的に深いものを聴かせてくれるとは限らない。それゆえ熱心なファンの方々は別として、同コンビの代表的な名演といったら、基本的には通俗曲から選ばれる事になるんじゃないかと思う。とりあえず、私の独断と偏見で厳選したベスト盤はこれ↓である。

●グローフェ:組曲<グランド・キャニオン>(1967年・ソニー盤)

この曲の数多あるフル・オーケストラ版演奏の中でも、オーマンディのは極めつけの逸品だと思う。ゴージャスな響きと豊かな表情が横溢する、オーマンディ&フィラデルフィア管の最善の姿が示されている。有名な『山道を行く』がとりわけ素晴らしく、山頂に着いた時のパノラミックな展望や晴れ晴れとした空気、そしてさわやかに吹き渡る風の心地良さをこれほど感動的に描いた演奏は、ちょっと類例が見当たらない。終わり間際のオルゴールも素晴らしい。また、全曲を締めくくる「嵐」から終曲にかけてのダイナミックな迫力に至っては、もう独壇場といった感じである。私が随分前に外盤で安く入手したものは、ガーシュウィンの<ポーギーとベスの交響的絵画>と<パリのアメリカ人>が組み合わされていた。併録曲が一部異なる廉価の国内盤も、現在複数のネット通販サイトで扱われているようだ。

―「無声映画時代の映画館お付きのオケマンとして、ヴァイオリン一丁持って雇われた若造が、コンマスの退職やら指揮者の急病やらが重なって、指揮棒をなかば押し付けられるようにして始めたに過ぎない。指揮者になりたかったわけではない」とオーマンディ自身が述懐しているらしい。そのような冷めた自意識を持つ一方で、「我々の音をフィラデルフィア・サウンドと言ってほしくない。これはオーマンディ・サウンドだ」と発言するだけの自負心も持っていた。(※実際そうでなかったら、あんなに続かないだろう。)オーマンディのことを「いずれ忘れ去られる指揮者の一人」と切って捨てる評論家も現実にいるわけだが、将来本当にそうなるのかどうかは、私にはわからない。ただ少なくとも、「今後オーマンディの凄い名演に新たに出会って、感激するというようなことがありそうか」と聞かれれば、どうもなさそうな気がすると、私は答えてしまいそうである。
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オスカー・ワイルドのこぼれ話

2004年12月28日 | エトセトラ
前回、ムラヴィンスキーの初来日ライヴ盤を巡って、「聴衆が作り出す演奏会場の空気もまた、音の一つとして迫ってくる」というようなことを語ったが、そこで思い出されるのは、作家オスカー・ワイルドが残した逸話である。

オスカー・ワイルドをクラシック音楽との関わりで語るなら、この人が聖書のキャラを大胆に翻案して作った『サロメ』が若き日のR・シュトラウスに多大な霊感を与え、あの名作が作曲されることになったというのが、まず思い浮かぶ話であろう。しかし今回、アイルランドの有名作家にご登場いただいたのは『サロメ』の話をするためではなく、この人のちょっと面白いエピソードをご紹介してみたいからである。

{ ワイルドの新作の劇が上演される運びとなった。彼にしてみれば自信作であったのだが、それを見にきた観客からはひどいブーイングを浴びて、さんざんな結果に終わってしまった。その後、友人から新作の上演はどうだったかと聞かれたワイルドは、次のように答えたのだった。「私の劇は大成功だったよ。俳優達も皆、よくやってくれた。・・だが、観客が大失敗だった」。 }

これはいかにもワイルドらしい笑い話として割とよく知られた物かもしれないのだが、「笑い話」という範疇にくくるのはひょっとしたら間違いかもしれないという気もするのである。つまり前回のお話とここでつながってくるわけだが、観客(または、聴衆)もある意味で作品上演の参加者であるわけで、その受け手側も当該作品の仕上がりに何らかの形で影響を与え得るということを考えると、ワイルド氏の物言いは、笑い話としてあっさり片付けられない中味を持っているんじゃないかとも思えてくるのである。その線に乗って言えば、ムラヴィンスキーを喜ばせた当時の日本の聴衆は「名演」であったということになるだろうし、逆に最近聞く例としては、演奏会の最中に携帯電話をピーヒョロロと鳴らすような輩は「しょうもない失敗作」というような言い方もできるのかも知れない。
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ムラヴィンスキーの初来日盤

2004年12月25日 | 演奏(家)を語る
前回はレナータ・テバルディの訃報にふれての臨時投稿で、話のつながりがいったん途切れる形になったが、今回はその前のイワン・ペトロフの項で軽く言及していたエフゲニ・ムラヴィンスキーを題材にして、「音」を巡って考えた事を少し語ってみたい。(※実を言えば、私はこの名指揮者を俎上に乗せて芸術論を展開するほどの力も材料も持ち合わせていないというのが、正直なところである。)

ムラヴィンスキーの初来日コンサート(1973年5月26日)のライヴ録音が何年か前にAltusレーベルから発売されて、私もその二枚のCDを聴いたのであった。具体的にはショスタコーヴィッチの<交響曲第5番>の一枚と、ベートーヴェンの<交響曲第4番>、他の一枚というものである。

ベートーヴェンの方は評論家の宇野功芳氏が口を極めて絶賛し、CD解説書に執筆している金子建志氏もまた具体的な箇所を指摘しながら、「これはムラヴィンスキーの至芸である」みたいな熱弁をふるっておられるので、わかる方たちには定めし凄いものなのだろう。しかし私には、正直言ってダメだった。小さな音を主体に、神経質なまでに強弱をコントロールした弦楽。かと思うと突然、カミナリのような音を出す打楽器。どうも私にはちぐはぐな印象というか、不自然な感じがして、何とも聴いていてすわりが悪かったのだ。そんなに有り難がるものかなあ、という感じなのである。

しかし、それよりも、このCDの音・・。金子氏が「あたかも、今、自宅でFMを聴いているような素晴らしさ」と書いておられるが、私もこの部分非常に同感である。ただし、金子氏とは違う意味合いを持って、と付け加えねばならない。私の感覚では、「確かにこれは、最高のコンディションで受信できた時のFMの音だね。でも、しょせんFMラジオの音ってこんなレベルなんだよね」である。つまり、ほめ言葉ではないのである。良い音という概念がいかに主観的で難しい要素を孕んでいるか、つくづく考えてしまう。

一方ショスタコーヴィチの方からは、音を巡って、またちょっと別種の忘れ難い体験が得られたので、それを少し語ってみたい。

ムラヴィンスキーの指揮による<交響曲第5番>の演奏が相当数残されているのは周知の事実だが、私の場合は1950年代の古いモノラル録音(メロディア盤)をはじめとして、他に1970年代のライヴ(※宇野功芳氏がLP発売当時、「今どきこんな神業が可能なのか」と書いておられたもの)と、このAltus盤、そして1966年のライヴ(Russian Disc盤)といったあたりを聴いてきたのだが、今のところ内容的にはRussian Disc盤が一番良いかなと思っている。

Altus盤での演奏については、特に終楽章あたりが、このコンビにしては燃焼度不足なのと、FMラジオ程度の音質ということもあって今ひとつの印象であるため、「やっぱり、Russian Disc盤が一番良いなあ」という結論に逢着するのだが、逆に「第1楽章と第3楽章に顕著にうかがわれるある現象が、当ディスクを忘れ難い一枚にしている」というのが、私の実感だ。

それらの楽章から私に伝わってくる最も圧倒的な音は何かと言えば、いささか逆説的な物言いになるけれども、それは「沈黙」である。もう少し言葉を補って言えば、一音たりとも聞き逃すまい、この神聖な場を些少なりとも汚すまいとして息をこらえる聴衆の、その緊迫した空気、張りつめた静けさである。この無言の音が凄い力をもって迫ってくるのだ。リビングでくつろいで聴いているはずのこちらまで、だんだん息苦しくなってくるのである。こんな体験をCDから得たのは、私にとっては初めてのことであった。以前本で読んだところによると、ムラヴィンスキー自身もじっと静かに聴いてくれる日本の聴衆がとてもお気に入りだったらしいが、特にこの初来日コンサート盤の空気に触れると、これはもう何かの儀式にでも立ち会っているかのような気さえしてくるのである。あるいはひょっとしたら、このコンサートは本当に儀式だったのかもしれない。聴衆が伝説の演奏家とともに、世紀の名演という一種の共同幻想を生み出そうとしている儀式。まあそこまで言ったら、やぶにらみのし過ぎかも知れないが、そんな事までふと考えさせる程に、このCDに刻印された“沈黙の音”は、私には圧倒的だったのである。

―そのような訳で、ムラヴィンスキーの初来日盤というのは、演奏そのものについてよりもむしろ音について、あれこれと考えるきっかけを私に与えてくれたのであった。
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レナータ・テバルディの訃報

2004年12月21日 | 演奏(家)を語る
昨日12月20日(月)の朝刊で、レナータ・テバルディの訃報にふれた。享年82とのこと。

今でこそ珍しいオペラ作品にも目を向けるようになっている私だが、始めからこんな状況だったわけではなく、やはり有名作品から聴き始めたのは多くの方々と全く同じである。その名作オペラの魅力を私に教えてくれたのが、主にロンドン・レーベルを中心として行なわれたこのテバルディの名録音の数々であった。と言っても、正確にはテバルディが中心的なお目当てという例はむしろ少数で、デル・モナコやバスティアニーニ、あるいはシエピといった男性の名歌手たちを聴きたくて選んでいたら、テバルディさんがたいてい共演していた、という方が私の場合は正直なところかもしれない。しかし、こんな言い方をすると誤解を招きかねないので、もう少し言葉を補う必要があるだろう。

1950~60年代に戦後のイタリア・オペラの黄金時代があったというのは、多くのファンが共通して抱いている実感ではないかと思うのだが、まさにその一翼を担っていた名歌手がテバルディであったわけだし、彼女が参加した多くの名作オペラの名盤は当然ながら、彼女の力によって作られたと言ってもいい要素がたくさんあるのだ。実際これほどの人になると、名演の記録と一言で言っても、NHKの招聘による来日公演も含めて相当な数にのぼるわけで、とてもここで語りきれる規模のものではない。私が耳にしてきたものだけに限っても、一体いくつあるものかと、ちょっと途方にくれてしまう程である。

そこで今回の記事としては、具体的な録音や演奏への評論めいた話は最後にごく軽く付け添えるにとどめ、本質的に私にとってテバルディとはどういう歌手だったのか、ということを重点にして語ってみたいと思う。

端的に言えば、私にとってのテバルディは、「数々の名作オペラを、無類の安心感を与えながら聴かせてくれた名ソプラノ歌手」ということになる。この「安心感を与えながら」という部分が、私の感じる限り彼女の最大の価値と美徳であった。そしてここで言う「安心感」には二つの意味がある。まず、彼女の歌唱は常に高いレベルで安定していたので、殆どハズレがないという意味での安心感。そしてもう一つは、彼女の歌唱はたとえ激しい表情を見せる場面であっても、あくまで妥当な音楽的表現として安心して鑑賞できる範囲内のものであったということである。その二つの意味で、彼女は無類の安心感を与えてくれた人だったのだ。

そんな風に言うと、じゃあ安心感を与えない名歌手っているの?と質問されそうだが、その答えは「いる」である。マリア・カラスだ。まずはっきり言ってしまうが、私はあのギリシャ出身の大歌手の声がとにかく嫌いである。あれはもう虫唾が走るような悪声と申し上げておきたい。このカラスについても私は数多くの録音に触れてきているが、特に1955年のスカラ座ライヴ、若きジュリーニが指揮したヴェルディの<ラ・トラヴィアータ>での、あの「花から花へ」で聞かされた高音にはもう、吐き気さえ感じたのであった。これは極端な例であるが、カラスの録音についてはどれであっても、その声が聞こえて来ただけで私は眉をしかめて渋面になり、時には片手で胃を押さえながら聴くことになるのである。(※私がベッリーニのオペラに今ひとつ疎いのは、この人のディスクばかりが名盤として出回っているから、というのが大きな理由の一つである。ベッリーニの美しい旋律を、わざわざあのうざったい声で聴きたいとは思わないのだ。)

テバルディがそんな不快感を与えることは、少なくとも私の場合は皆無に等しい。勿論長いキャリアの中には不調のことだってあったろうし、いつもにこにこベスト・コンディションであったわけはないのだが、概ね彼女の美しい声と優れた歌唱は高いレベルで安定していて、どの録音であってもたいてい安心して聴いていられるのである。この安心感こそが、彼女の大きな魅力だと私には感じられるのである。

しかし一方で、だからこそテバルディはカラスほどの偉大な業績を残せなかったのだ、という見方もまた成り立つことを付け加えておく必要がある。カラスの歌は聴く者に安心感を与えるというよりはむしろ逆に、深く激しく抉りこんだ凄絶な歌唱表現とその演技によって聴く者をゆさぶり、圧倒するのである。その悪声も手伝って、およそきれい事でない、尋常でない音のドラマが現出し、とにかく聴き手を安心させない。ここに、テバルディとカラスがそれぞれに持つ正反対の価値が存在すると、私は感じている。私生活上の派手な話題性も加わって、カラスが死後もずっと伝説的な存在としてオペラ史に特別な位置を占め続け、オペラをろくに聴きもしない“ド素人”までがTVのドキュメンタリーか何かを見て盲目的に崇拝しているような状況であるのに対し、テバルディの方は今やオペラ・ファンの一部にしか知られていないという事実は、一つには安心感を与えずに人を揺さぶった歌手と、安心感を与えてくれて揺さぶりには来なかった歌手の違いが反映されているのではないかとも思えるのだ。

話が長くなるので、区切りをつけようと思う。テバルディの歌唱芸術が記録された多くの録音の中から、無茶な試みであると承知しつつ、ここでは未聴のものも含めて三つだけ選んで簡単に語っておきたい。

まずは、チレアの歌劇<アドリアーナ・ルクヴルール>全曲(L)。カプアーナのスケール感豊かな名指揮に乗って繰り広げられる、シミオナートとの火花散るような競演が聴き物だ。そこにデル・モナコの輝かしい声が加わって、美しく激しく音楽が高揚していく。これがおそらくテバルディの主演による代表的な名演であると言っていいだろう。これでミショネがバスティアニーニだったらなあ、と思ったりもしてしまうが・・。(※熱心なファンのために補足しておくと、バスティアニーニがミショネを演じたものは、違うメンバーとのライヴ盤が存在する。)

続いては、セラフィンの指揮によるプッチーニの歌劇<ラ・ボエーム>全曲(L)。テバルディを始めとする豪華な歌手陣がそれぞれに素晴らしいが、それ以上にセラフィンの指揮が最高で、劇場空間を思わせる豊かな音響の中に溢れ出さんばかりの歌が満ち満ちている。録音も良い。ミミ役は後にミレッラ・フレーニが素晴らしい歌唱を聴かせてくれる時代が来るが、テバルディのもやはり一時代を画した名唱であった。(※この役をカラスで、などと私は死んでも思わない。)

最後に、実は私自身がまだ聴けていないライヴの記録なのだが、大変に注目される録音として、ガヴァッツェーニの指揮によるプッチーニの<トスカ>全曲のCDに触れておきたい。注目される点は、主に二つある。一つは、彼女が得意としていたトスカがライヴの記録で聴けるという点。NHKの招聘によるイタリア歌劇公演の中で、彼女が<アンドレア・シェニエ>のマッダレーナ役でデル・モナコと共演した時に、スタジオ盤とは別人のような叫び声をはりあげるシーンがあった。「今の悲鳴、誰?えっ、テバルディさん?まさか・・」と随分びっくりさせられたものである。が、これなどはほんの一例で、ライヴの彼女はスタジオ録音でよく聴かれる“良家のお嬢様”っぽいスタイリッシュな歌とはずいぶん違う激しい表現を見せていたというのは、結構よく知られた事実ではないかと思う。その彼女のライヴのトスカである。聴いてみたい。

もう一つの注目点は、スカルピアをバスティアニーニが演じていることである。数種遺された彼女の<トスカ>の中でこの盤に注目したい最大の理由は、実はここにある。イタリア・オペラ戦後の黄金期に最高のスカルピアを聴かせてくれたのは、ゴッビよりもむしろバスティアニーニの方ではなかったか、と私は感じているのである。もっともその理由まで語り始めると話が横道にそれ過ぎるので、その話はまた別の機会に譲りたいと思う。未聴ゆえ、録音年代に由来する音質の問題も含めて、これが名盤なのかどうかはまだ判断はつきかねるのだが、現在は入手困難なこのCD、いつか復活してほしいものだ。

テバルディさん、たくさんの名演を遺してくれて有難う。あなたのおかげで、多くの名作歌劇の魅力を心から味わうことができました。どうぞ、安らかに・・。
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イワン・ペトロフ

2004年12月19日 | 演奏(家)を語る
国際的な活躍というのが限りなく皆無に近い人だったので、一部のオペラ・ファン以外にはおそらく殆ど知られていないんじゃないかという気がするが、残された録音のいくつかでもお聴きいただければ、この歌手が大変な実力の持ち主であった事が実感されると思う。前回のイーゴリ・マルケヴィッチの名から歌劇<イーゴリ公>が連想され、即座に旧ソ連時代の重鎮バス歌手イワン・ペトロフの名が思い浮かんだという次第である。

もっとも、この人についてはムラヴィンスキーの指揮によるショスタコーヴィッチの<森の歌>でのバス独唱者として記憶しているファンの方もおられるような気がする。これは確か1949年の録音で、私も学生時代にLPで買ってはみたものの、そのあまりの音の悪さに一度でいやになって、即座に売却を決意したものであった。(それゆえ、これについて語ることは、私にはもう無理である。)

さて本題のオペラ録音だが、私が今持っているのは、実はわずか3種の全曲盤にすぎない。しかし、その3つの材料だけでも十分に、この歌手の実力の片鱗は語れると思う。

1.ボロディン:歌劇<イーゴリ公>全曲 マルク・エルムレルの指揮によるボリショイ録音(1969年)

最近は鬼才ゲルギエフの指揮による個性的な快演も聴けるようになった<イーゴリ公>だが、本家はやはりこちらだと思う。ゲルギエフ盤は指揮の力は凄いものの、出演している歌手達が小粒で、とにかく歌が物足りなくて仕方がない。

エルムレル盤は、タイトル役のペトロフが雄大なスケール感を持った天下無双の名唱を聴かせるのに加えて、他の歌手たちも非常に出来が良く、総合点が極めて高い名盤である。エイゼンのガリツキー、トゥガリノワのヤロスラヴナ、アトラントフのヴラジーミルはそれぞれに立派だし、普段は声のアクの強さが災いしがちなヴェデルニコフもここでは「異形の敵将コンチャク汗」という当たり役を得て、まさに適材適所に収まった。そして西側での活躍も知られるオブラスツォワのコンチャコヴナと、「まあ、よくぞ揃えてくれました」という豪華なキャスティングである。勿論エルムレルの指揮も素晴らしいもので、当作品の正当ロシア流といった感じの名演を聴かせてくれる。

ところで、エルムレルの指揮による<イーゴリ公>全曲というのは他にもライヴの記録があって、私が聴いて知っているものだけを言えば、とりあえず2つある。1つは、バイエルン歌劇場でドイツ語版上演を行なったもの。もう1つは、ボロディンの生誕だか没後だかの何周年かの記念行事として当時のソ連が国をあげての一大ボロディン・フェスティヴァルを行なった時の記録で、そのライヴ録音となるものである。(※FM放送で1987年10月11日と18日、計2回に分けて全曲が放送されたので、作曲家の没後100年という可能性が高い。)

よほど熱心なファンでもなければ、前者は知らなくても問題ないと思う。というのは、エルムレルの指揮による演奏自体の出来はさすがに見事なものであったのだが、やはりこの作品はドイツ語で歌うと、しっくり来ないのである。

大事なのは後者、つまりボロディン・フェスティヴァルでの公演である。実はこれこそ最高の上演だったのだ。ペトロフのタイトル役をはじめ、先述のCDと出演者がかなり共通していて、やはり皆見事であったのだが、それ以上にエルムレルの指揮がもう冴えまくっていて、あの『ポロヴェッツ人の踊りと合唱』など、上記CDでの演奏を遥かに凌ぐ爆演を披露してくれたのである。それは単に爆発的名演というにとどまらず、テンポもバランスもすべて、この曲はこうあってほしいと望まれる理想に近い形を実現してくれたのだ。私はこの上演を昔NHKのFM放送で聴いたのだが、今でもその時の印象は鮮明に記憶している。ソ連解体後の混乱という政治的な事情もあろうかとは察するが、こういう貴重なライヴの記録テープはどこかに無事に残っていてほしいものである。

2.ムソルグスキー:歌劇<ボリス・ゴドゥノフ>全曲 アレクサンドル・メリク=パシャイエフの指揮によるボリショイ録音(1962年)

ペトロフのボリスは、堂々たる貫禄が素晴らしい。朗々とした声で格調高い歌の形を示しながら、ボリスの苦悩を歌い出す。この見事な歌の造型はかなりのインテリジェンスを備えていなければ難しいものだと思う。レパートリーは違う人だが、ちょうどあのテオ・アダムを思い出させる歌唱という感じになろうか。

他に聴いてきたクリストフ、ギャウロフ、ネステレンコといった名歌手たちのボリスと比較すると、声の音楽的な美しさではギャウロフだが、歌の堅固な造形と格調の高さではペトロフがおそらく随一。(※私見では、ペトロフとある意味対照的な表現によって抜群のボリスを演じたのが、マタチッチの来日公演で歌ったミロスラブ・チャンガロヴィチであった。この人が日本で聴かせたボリスは、「歌う」というよりは「苦悩を激しく語る」というタイプのもので、その劇的な迫力は尋常でなかった。)

ただし、このメリク=パシャイエフ指揮による<ボリス>の録音は先述のエルムレルの<イーゴリ公>とは違って、ペトロフ以外の出演歌手達の出来が落ちる。なので、全体的な完成度という点では、不満がある。

3.チャイコフスキー:<エフゲニ・オネーギン>全曲 ボリス・ハイキンの指揮によるボリショイ録音(1955年頃のモノラル)

このCDは、若きヴィシネフスカヤによるタチヤーナが聴けるという点で貴重な記録なのだが、今の私にはまだ何とも評価を下しにくいディスクである。とりあえず、グレーミン公役で出演しているペトロフの歌唱が優れたものであるということは感じている。

グレーミン公というのは、ドラマの後半にタチヤーナの老いた夫としてちょこっと登場する、言わば“チョイ役”みたいな感もある人物だが、ペトロフのようなスケール感のある、そして堂々たる佇まいの中にしんみりと老いた者の愛の喜びを歌いだす名唱に触れると、これが重要なチョイ役であることが実感されるのである。

―旧ソ連の名バス歌手は去る2003年、永久(とわ)の眠りにつかれたとの由。

【2019年3月27日 おまけ】

●鮮明なモノクロ映像で見るイワン・ペトロフのボリス・ゴドゥノフ ~戴冠式の場から

良いところで切れてしまうのが残念だが、これは結構貴重な映像ではないかと思う。ボリス歌いの先輩であるアレクサンドル・ピロゴフやマルク・レイゼンに比べて、この人のボリスは雄大でありながら、どこかすっきりした清新さが漂うのが特徴と言えるだろうか。

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